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⑱月光の下で
しおりを挟むおぼつかない足取りでセドリックの部屋までたどり着いたシルティは、扉を叩くのを一瞬躊躇したあと、気を引き締めてノックした。
「セディ? 私。シルティよ。起きている?」
できるだけ穏やかに声をかけて室内の気配をさぐってみた。かすかに人の気配はするものの返事はなく、もう一度ノックするのも躊躇われて、出直そうと踵を返そうとしたとき、カチャリと鍵を開ける音が聞こえた。
シルティは中から扉が開くのを待ったがその気配はなく、どうするべきか逡巡したのち、ドアノブに手を伸ばした。
「セディ、入るわね」
反応がないことを承知の上で、一応断りを入れてから扉を開く。そのときに生じた空気の流れにのって、爽やかなラベンダーの香りがあたりに漂った。
しかし、すっきりとした匂いとは対照的に、カーテンを閉め切り、暖炉の火が消えた室内は薄暗く、沈鬱な雰囲気を感じさせた。セドリックの心中を察するに余りある様子にシルティの胸が痛んだ。
「セディ……?」
目が慣れていないせいで余計に暗く感じる室内を、カーテンの隙間から時折差し込む月光を頼りに彷徨う。そうして目を凝らしてセドリックの姿を探していると、掃き出し窓が僅かに開いているのを見つけた。
まさかと思い、窓に近づいてカーテンをめくってバルコニーへ出ると、そこには、月の光を浴びるセドリックの姿があった。
「……天使みたい」
そう思わずつぶやいた声にセドリックが振り向いた。太陽の下では稲穂のように輝く金の髪が、いまは月の光に照らされて白銀に輝いている。
そして、陽光のもとで見るのとは違う宵闇色に染まった瞳が、シルティを静かに見つめていた。
「ああ、愛しいセディ。私の、私だけの天使……」
シルティは、目尻から涙がこぼれ落ちるのを感じながら、「こっちにおいで」と両腕を伸ばした。
「シルねぇさま」
愛らしい微笑みを浮かべたセドリックは、吸い寄せられるようにあたたかな胸に飛び込み、シルティの柔い身体を優しく抱きしめた。
「セディ……セドリック……」
いつの間にか、シルティよりも高くなった形のいい頭を、髪を梳くように何度もなでながら名前を呼ぶ。その度に「はい、シルねぇさま」と答えてくれる存在が、大切で、愛おしくて、奇跡のように感じられた。
「セディ、ごめんね。あなたの苦しみに気づいてあげられなくて、本当にごめんなさい」
「どうして謝るの? シルねぇさまはなにも悪くないのに」
「変なシルねぇさま」と言って、クスクス笑うセドリックを抱きしめたまま、頭を横に振る。
「……聞いて、セドリック。私、お茶会の日に、あの応接室で何が起こっていたのか見ていたの」
そう言った途端、笑い声が消え、セドリックの肩に力が入ったのを感じ、激しい罪悪感に襲われた。
「2人が睦み合う姿を見て、裏切られたと思ったわ」
「……最後まで、見た?」
「いいえ」
「でも、汚れた僕の姿を見て、嫌いになったから、いままで会ってくれなかったのでしょう?」
「セドリック……いいえ、違うわ。私の意思ではなかったの。本当よ。……けれど今日、あの日の真実を聞くまでは、あなたたちに怒りを感じていたのは確かよ」
「シルねぇさま……」
セドリックの肩が震えだして胸元が生温くぬれていくのを感じたシルティは、焦ってセドリックを引き剥がし、彼の顔を覗き込んだ。
「ああ、泣かないでセディ。ごめんね、本当にごめんなさい。あなたはなにも悪くなかったのに。私はセディの苦しみも知らず、しかも裏切られたなんて勝手に思い込んで、自分の心を守るために殻に閉じこもってしまっていたわ。本当に守らなければならなかったのは――セディ。愛おしい私のセディ……あなただったのに……」
言葉を紡ぐたびに、両目からポロポロと涙がこぼれ落ちていく。本当に悲しいのは、悔しくてたまらない思いなのは、セドリックだというのに。シルティは義姉として、義弟のまだ幼く柔い傷ついた心を包み込んで慰めなければならないのに。弱く未熟なシルティには、セドリックの分まで涙を流し、共に慰め合うことしかできない。
――なんて頼りない義姉なのだろう。
セドリックの顔を両手で包み込み、コツンと額と額を合わせる。
シルティは目蓋を閉じて、額から伝わるセドリックの熱を享受する。長い間バルコニーへ出ていたのか、肌は氷のように冷たかったが、シルティの肌から移っていく体温が、形の良い額をじんわりと温めていった。しばらく2人の間に沈黙が落ちる。
しん、と肌を刺す冷気が生み出した静寂と、雲がかかる夜空から時折のぞく月の光が、2人だけの世界を作り出し、お互いの唇が自然と引き寄せられていく。皮膚と皮膚が軽く触れるだけのささやかな口づけは涙の味がした。
どちらからともなく唇を離し、ハァと息を吐く。口もとにかかる白く生暖かい息を吸い込むと、セドリックの僅かに開いた口からのぞく赤い舌に、口腔内を犯されたい気持ちが湧き上がった。
「シル……」
そうかすかに呼ばれ、再び唇が触れ合う前にシルティは後ずさった。驚愕に目を見開き手の甲で口もとを抑えながら、羞恥で潤んだ瞳をセドリックに向ける。月光を背に浴びて輪郭が白くぼやけた華奢な身体は、今にも消え去ってしまいそうなほど儚かった。
「……っ、違うの……その、これは……」
決して、口づけを拒んだわけではない。その先を望んでしまった自分の浅ましさに驚いただけだ。そう言いたいのに、上手く言葉にできない。
「――汚い?」
「え……?」
ふいにそう言われ、目を丸くしてセドリックを見ると、彼はフッと微かに笑い泣きそうな笑みを浮かべた。
「やっぱり、ぼく、きたない……?」
「っ、そんなわけない!」
「でも……」
なおも言い通そうするセドリックの顔を掴んで口づけをした。勢いを付け過ぎたせいで、口内に鉄の味が広がったが、それに構わず、セドリックの歯を掻い潜るように自らの舌をねじ込んだ。
互いの舌先が触れ合った瞬間、得も言われぬ快感が背筋を走り抜け、尾てい骨のあたりがぞくぞくとした。その気持ちよさをもっと感じたくなり、恥ずかしげに逃げ惑う肉厚な舌を追いかけた。そうしてついに絡め取ることに成功したそれを、唾液と一緒にじゅるると吸い上げてやった。
「んん、っ、はぁ、シ、シル……っ」
膝をがくがくさせ苦しそうに、けれど快感に溶けた宵闇の瞳をじっと見つめ、シルティはようやく口を離した。
顔を紅潮させて、はっ、はぁ、と荒い呼吸を肩でする彼を抱きしめ、「ほら。汚くないわ」と言った。
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