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陸
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蘭花が振り返ってのろのろと見上げた先に、息を切らして、額に汗をにじませた軒が立っていた。
「あ、あんた……走るのが速ぇよ……!」
言って、軒はその場にしゃがんだ。ハァハァと荒い呼吸を繰り返す姿を見て、蘭花は正気を取り戻した。
「ごめんなさい。まさか、軒が追いかけて来てくれるなんて思いもしてなくて。両足だけ白虎に転変して走ってきたのよ」
「……だから、あれだけ走ってもケロッとしてんのか。小蘭は器用なことをしてみせるな」
言って、軒はすぐに呼吸を整えて立ち上がった。
「……軒の回復力も大したものよ」
蘭花は感心して、軒を褒める。
「ところでこの騒ぎはなんなんだ? 尋常じゃないことが起きたようだが。まさか、あれが原因か?」
そう言って、軒が指差した先には、数分前よりも勢いを増した煙と炎が空一面を覆っていた。
熱風にのって、焼け焦げた何かの残滓が、蘭花の顔のすぐ横をはらりと過ぎていく。そしてその風が運んできたのは物が焼ける臭いだけでなく、人が焼ける臭いも一緒に運んできたのだ。
「……え? うそでしょう?」
蘭花は軒の存在を無視して、朧月堂に向かって、全速力で走り出した。
白虎の力を解放した蘭花は、頭上に耳、尾骨からは尻尾を生やし、毛に覆われた筋肉質な両足を持つ姿に転変する。その両足の脚力を最大限に使い、目にも止まらぬ速さで朧月堂に向かった。
蘭花は風になったかのように、人々の間をすり抜け、あっという間に朧月堂の近くまで移動してきた。
しかし、想像していた異常に火災の範囲が広く、煙焔天に漲っている。
多くの太監や救火義役たちが消火活動に当たっていて、龍吐水まで使用しているにもかかわらず、火の勢いは増すばかりだった。
「これだけ離れていても、肌が焼けたようにヒリヒリするわ」
もし、朧月堂の中にいれば、すでに命はないだろう。
「お母様は宴に出ているし、他の皆もお休みをもらって出払っているはず……」
だとしたら、この人肉が焼ける臭いの元は誰なのだろう。そう考えていた時だった。――猛煙の臭いに混じる、白梅香の香りに気づいてしまった。
「――っ! お母様ぁーーっ!!」
蘭花は絶叫すると、人間離れした脚力で地を蹴り空中に飛び上がった。猛烈な熱気に肌や髪、喉の粘膜が焼けようとも、蘭花は死に物狂いで母の元を目指した。しかし――
何度目かの跳躍で地に足を着いた瞬間、衣の襟をグン! と後ろに引っ張られてしまい、蘭花は石畳の上に倒れ込んだ。
打撲や擦過傷を負い、熱気を浴びて満身創痍だった蘭花は、ほとんど気力だけで動いている。重い体を必死に起こした先に見たのは、宙に浮かぶ雪のように白い白毛と、宝石のように輝く赤い瞳を持った白虎の姿だった。
「……きれい」
一瞬だけ目的も、身体の痛みも忘れて、蘭花はその白虎に魅入った。
白虎は、蘭花の姿をじっと見つめたあと、空に向かって咆哮を上げた。するとたちまち夜空に暗雲が垂れこめ、厚く空を覆った黒雲の中で稲光が走り、次の瞬間には滝のような雨が朧月堂の真上に降りしきった。猛威を振るっていた炎があっという間に鎮火し、辺りには、黒い霧が立ち込める。
多くの人々が歓声を上げる中、蘭花は地にへたり込んだまま、白虎の姿を探した。しかし、白虎の姿は見当たらず、いつの間にか雨は嘘のように上がっていた。
「……どうして手を貸してくれたの? ……白軒虎……」
蘭花は歯を食いしばり、静かに涙を流したのだった。
「あ、あんた……走るのが速ぇよ……!」
言って、軒はその場にしゃがんだ。ハァハァと荒い呼吸を繰り返す姿を見て、蘭花は正気を取り戻した。
「ごめんなさい。まさか、軒が追いかけて来てくれるなんて思いもしてなくて。両足だけ白虎に転変して走ってきたのよ」
「……だから、あれだけ走ってもケロッとしてんのか。小蘭は器用なことをしてみせるな」
言って、軒はすぐに呼吸を整えて立ち上がった。
「……軒の回復力も大したものよ」
蘭花は感心して、軒を褒める。
「ところでこの騒ぎはなんなんだ? 尋常じゃないことが起きたようだが。まさか、あれが原因か?」
そう言って、軒が指差した先には、数分前よりも勢いを増した煙と炎が空一面を覆っていた。
熱風にのって、焼け焦げた何かの残滓が、蘭花の顔のすぐ横をはらりと過ぎていく。そしてその風が運んできたのは物が焼ける臭いだけでなく、人が焼ける臭いも一緒に運んできたのだ。
「……え? うそでしょう?」
蘭花は軒の存在を無視して、朧月堂に向かって、全速力で走り出した。
白虎の力を解放した蘭花は、頭上に耳、尾骨からは尻尾を生やし、毛に覆われた筋肉質な両足を持つ姿に転変する。その両足の脚力を最大限に使い、目にも止まらぬ速さで朧月堂に向かった。
蘭花は風になったかのように、人々の間をすり抜け、あっという間に朧月堂の近くまで移動してきた。
しかし、想像していた異常に火災の範囲が広く、煙焔天に漲っている。
多くの太監や救火義役たちが消火活動に当たっていて、龍吐水まで使用しているにもかかわらず、火の勢いは増すばかりだった。
「これだけ離れていても、肌が焼けたようにヒリヒリするわ」
もし、朧月堂の中にいれば、すでに命はないだろう。
「お母様は宴に出ているし、他の皆もお休みをもらって出払っているはず……」
だとしたら、この人肉が焼ける臭いの元は誰なのだろう。そう考えていた時だった。――猛煙の臭いに混じる、白梅香の香りに気づいてしまった。
「――っ! お母様ぁーーっ!!」
蘭花は絶叫すると、人間離れした脚力で地を蹴り空中に飛び上がった。猛烈な熱気に肌や髪、喉の粘膜が焼けようとも、蘭花は死に物狂いで母の元を目指した。しかし――
何度目かの跳躍で地に足を着いた瞬間、衣の襟をグン! と後ろに引っ張られてしまい、蘭花は石畳の上に倒れ込んだ。
打撲や擦過傷を負い、熱気を浴びて満身創痍だった蘭花は、ほとんど気力だけで動いている。重い体を必死に起こした先に見たのは、宙に浮かぶ雪のように白い白毛と、宝石のように輝く赤い瞳を持った白虎の姿だった。
「……きれい」
一瞬だけ目的も、身体の痛みも忘れて、蘭花はその白虎に魅入った。
白虎は、蘭花の姿をじっと見つめたあと、空に向かって咆哮を上げた。するとたちまち夜空に暗雲が垂れこめ、厚く空を覆った黒雲の中で稲光が走り、次の瞬間には滝のような雨が朧月堂の真上に降りしきった。猛威を振るっていた炎があっという間に鎮火し、辺りには、黒い霧が立ち込める。
多くの人々が歓声を上げる中、蘭花は地にへたり込んだまま、白虎の姿を探した。しかし、白虎の姿は見当たらず、いつの間にか雨は嘘のように上がっていた。
「……どうして手を貸してくれたの? ……白軒虎……」
蘭花は歯を食いしばり、静かに涙を流したのだった。
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