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第32話 痛み
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「――はっ!!」
目覚めた視線の先には、ここ数日で見慣れた天井があった。
締め切られたカーテンの隙間から、月光が差し込んでいる。どうやら数時間しか眠っていなかったようだ。
美澪は、目を見開いたまま、肩を大きく弾ませて息をする。そして、空気を肺いっぱいに吸い込み、時間をかけて息を吐き出した。これを何度か繰り返して呼吸を整えた美澪は、ベッドからゆっくりと上体を起こした。
「ゆめ……?」
美澪は額の汗を拭い、月光を頼りに、着ている服を確認した。
(やっぱり、夜着だよ、ね……)
美澪はハァとため息を吐くと、サイドチェスト上に置いてある呼び鈴を鳴らした。それからしばらくして、控えめなノックと共にメアリーが姿を現した。
「ミレイ様。どうなさいましたか?」
カンテラ片手に夜着姿で現れたメアリーは、美澪の状態を見て、「まあ!」と声を上げた。
「汗でびしょ濡れではないですか!」
カンテラをサイドチェストに置いて、美澪の顔色や身体を触って確かめるメアリーに、美澪はクスッと笑った。
「ちょっと悪夢を見ちゃって。このままじゃ気持ちが悪いから、着替えを用意してもらえる? あ、あと飲み物も」
「かしこまりました。少々お待ちいただけますか?」
美澪はこくりの頷いた。
メアリーが去り、再び薄暗くなった室内で、美澪は膝を抱えた。
夢のことを考えようにも、頭が混乱していて、思考が定まらない。
しかし、ただひとつだけハッキリしていることがある。
(……トゥルーナさんは、本気で私を殺すつもりだった)
美澪は、抱えた膝に顔を伏せて、疲れ切ったため息を吐いた。
(エクリオへ来てから、次から次へと問題が起きる。それに……)
脳裏にトゥルーナの言葉がよぎった。
『残念ね……。どんなに願っても、あなたは故国に帰れない』
美澪はぐっと両目を閉じる。
(みんなして『帰れない』って言う)
ヒュドゥーテルでもエクリオでも、忙しい毎日を送っていて、まだなにも調べることができていない。
(今夜もまたパーティーがあるし……)
何度目かのため息を吐いたとき、扉が叩かれ、メアリーが入室してきた。
洗面器やピッチャーを乗せたワゴンを運び込み、手にした小箱から小さな棒を取り出し、それを擦って燭台に火を灯した。
「――メアリー。それってもしかしてマッチ?」
メアリーは、小さな棒を振って火を消すと、灯りのついた燭台を持ってベッドに近づいてきた。
サイドチェストに燭台を置いたメアリーは、目を丸くして「よくご存知で」と言った。
「あたしの国にも同じ物があるの」
「左様でございましたか。わたくしはこちらに来て初めて、カンテラやマッチを目にしました」
メアリーは、感心するようにマッチ箱を振った。
「さすがは火の国でございます。なんでも『いおうりん』という物質が棒の先に練り込まれていて、箱の側面に擦り付けて発火させる仕組みになっているそうです」
興奮して話すメアリーに、美澪はフフッと微笑んだ。
「あ。も、申し訳ございません。わたくしったら……」
メアリーは焦りながら、マッチ箱をお仕着せのポケットにしまい、湯を張った洗面器をベッドの足元に置いた。そして清潔な手ぬぐいをお湯で湿らせているメアリーに、美澪はマッチ箱を見せてほしいと頼んでみる。するとメアリーは快く手渡してくれた。
「ふーん」
美澪は、小さな箱を色んな角度から眺めると、箱の面を見てプッと吹き出した。
(若い頃の国王陛下のお顔ね。……どことなくイリオス殿下にそっくりだわ)
機嫌よく笑う美澪を見たメアリーが、「お気に召しましたか?」と聞いてきた。
「うん! ……ねぇ。これ、もらっちゃダメかな?」
メアリーの顔色を伺うように聞くと、メアリーは笑顔で「どうぞ、お持ちになってくださいませ」と譲ってくれた。
「! ありがとう、メアリー」
美澪はもう一度マッチの箱の表を見ると、ふふっと笑ってそれを枕の下に隠した。
「ミレイ様。お体をお拭きいたします」
「よろしくお願いします」
美澪は、落ち込んでいた気持ちが晴れていることに気づくことなく、メアリーに身体を清めてもらい、再び眠りについたのだった。
*
美澪は朝食を終えると、真っ先に図書室に向かうことにした。
パーティーの準備があるので短い時間しか滞在できないが、元の世界に戻る方法を探すため、積極的に動くことにしたのだ。
(あ。グレイス王妃殿下だわ)
穹窿廊下の向かいから、王妃が歩いてくるのを目にして、スッと端に避けて軽く膝を曲げた。そうして王妃が通り過ぎるのを待っていたのだが、どうやら王妃は美澪に用事があったらしい。
王妃が美澪の前で歩みを止めたので、美澪は仕方なく深々とお辞儀をした。それに倣って、メアリーやメイドたちも深く膝を曲げる。
「エクリオの朱雀の伴侶、グレイス王妃殿下にご挨拶申し上げます」
幼い顔の下半分を、赤い羽根のついた扇で隠したグレイスは、見下げるように美澪を見つめた。
なかなか許しの声がかからず、美澪の額から汗が一筋流れ落ちて、足がガクガクと震えだす。
(も、もうだめ……っ)
と思った瞬間、ようやくグレイスは口を開いた。
「面を上げなさい」
「……ありがとうございます」
言って、メアリーの介添えを受けながら立ち上がった。
しかし、グレイスが立ち去る気配はなく、美澪から立ち去る――礼儀に反する――こともできず。重い沈黙が漂う居心地の悪い空間に、美澪は辟易してしまう。
(これからもずっと、カーテシーをするたびにこういう目に合うのかな? ……あたしを目の敵にしたって意味無いのに)
美澪が思わず小さな息を吐いた瞬間、グレイスが扇をジャッと閉じ、扇の先を美澪の顎下に当てた。それから、俯いていた顔を強制的に上げられ、驚いた美澪の顔が、グレイスのオリーブグリーンの瞳に映っていた。
ともすれば、鼻と鼻が触れ合いそうになる距離で、グレイスは瞬きひとつせずに美澪を凝視していた。
(な、なに……? こわいんですけど)
美澪の瞳に涙の膜が張りはじめたのをきっかけに、荒い動作で顎が開放された。
「っ、」
――顎下の皮膚がヒリヒリする。擦過傷を負ったかもしれない。
美澪はキッと眉を吊り上げたが、グレイスに物申すことはせず、軽く膝を曲げた。
「……王妃殿下。私に御用がお有りでしたらこの場でお伺いしたく存じますがいかがでございましょう?」
そう言った美澪に対してグレイスは、ころころと可憐に笑って扇を開くと、美澪の耳元に唇を寄せた。
「イリオスに優しくされて、図に乗っているようですわね? でも残念ね。イリオスはあなたのことなど少しも愛していないわ。異世界から来たあなたに同情しているだけ……。ふふっ。それにエフィーリアなんて、男児を産めば、利用価値がなくなるもの」
そう言って離れていったグレイスから、芳醇で甘いバラの香りがした。
美澪は、下ろしたままのピンクブロンドの髪を整えるグレイスを、信じられない思いで見つめた。
脳裏に、美しい花園と、寂しげに微笑むイリオスの顔が浮かび上がる。
美澪はぶるぶると震える手をぎゅっと握りしめ、戦慄く口を動かした。
「……あなたが。あなたがそれを言うの?」
「なんですって?」
「僭越ながら。イリオス王太子殿下の心情を慮るならば、先程の発言は礼儀をかいていると存じますが。……いかがでしょう?」
美澪は目蓋が熱くなるのを感じながら、挑むように言い放った。するとグレイスは、己の失言を理解した様子で、表情を悲痛に歪めた。
グレイスの態度に満足した美澪は、深呼吸をして心を落ち着け、深々とカーテシーをした。
「王妃殿下がご心配なさらずとも、私が王太子殿下に愛されることはありません。その理由を、王妃殿下ならばご存知では? ……私は用事がございますので、ここで失礼いたします」
そう言って姿勢を正した美澪は、グレイスの姿を視界に入れることなく、メアリーを伴って図書室へと歩を進めた。
美澪は震えの治まった手で、胸元をぎゅっと握りしめる。
(あたしはただ、あの2人の関係に巻き込まれただけなのに。……なのに。どうして……こんなに心が痛むんだろう?)
美澪は、ズキズキと痛む胸をトントンと叩いて、やり場のない悲しみを、心から押し出そうとした。
……そんなことをしても、意味がないと理解しながら。
目覚めた視線の先には、ここ数日で見慣れた天井があった。
締め切られたカーテンの隙間から、月光が差し込んでいる。どうやら数時間しか眠っていなかったようだ。
美澪は、目を見開いたまま、肩を大きく弾ませて息をする。そして、空気を肺いっぱいに吸い込み、時間をかけて息を吐き出した。これを何度か繰り返して呼吸を整えた美澪は、ベッドからゆっくりと上体を起こした。
「ゆめ……?」
美澪は額の汗を拭い、月光を頼りに、着ている服を確認した。
(やっぱり、夜着だよ、ね……)
美澪はハァとため息を吐くと、サイドチェスト上に置いてある呼び鈴を鳴らした。それからしばらくして、控えめなノックと共にメアリーが姿を現した。
「ミレイ様。どうなさいましたか?」
カンテラ片手に夜着姿で現れたメアリーは、美澪の状態を見て、「まあ!」と声を上げた。
「汗でびしょ濡れではないですか!」
カンテラをサイドチェストに置いて、美澪の顔色や身体を触って確かめるメアリーに、美澪はクスッと笑った。
「ちょっと悪夢を見ちゃって。このままじゃ気持ちが悪いから、着替えを用意してもらえる? あ、あと飲み物も」
「かしこまりました。少々お待ちいただけますか?」
美澪はこくりの頷いた。
メアリーが去り、再び薄暗くなった室内で、美澪は膝を抱えた。
夢のことを考えようにも、頭が混乱していて、思考が定まらない。
しかし、ただひとつだけハッキリしていることがある。
(……トゥルーナさんは、本気で私を殺すつもりだった)
美澪は、抱えた膝に顔を伏せて、疲れ切ったため息を吐いた。
(エクリオへ来てから、次から次へと問題が起きる。それに……)
脳裏にトゥルーナの言葉がよぎった。
『残念ね……。どんなに願っても、あなたは故国に帰れない』
美澪はぐっと両目を閉じる。
(みんなして『帰れない』って言う)
ヒュドゥーテルでもエクリオでも、忙しい毎日を送っていて、まだなにも調べることができていない。
(今夜もまたパーティーがあるし……)
何度目かのため息を吐いたとき、扉が叩かれ、メアリーが入室してきた。
洗面器やピッチャーを乗せたワゴンを運び込み、手にした小箱から小さな棒を取り出し、それを擦って燭台に火を灯した。
「――メアリー。それってもしかしてマッチ?」
メアリーは、小さな棒を振って火を消すと、灯りのついた燭台を持ってベッドに近づいてきた。
サイドチェストに燭台を置いたメアリーは、目を丸くして「よくご存知で」と言った。
「あたしの国にも同じ物があるの」
「左様でございましたか。わたくしはこちらに来て初めて、カンテラやマッチを目にしました」
メアリーは、感心するようにマッチ箱を振った。
「さすがは火の国でございます。なんでも『いおうりん』という物質が棒の先に練り込まれていて、箱の側面に擦り付けて発火させる仕組みになっているそうです」
興奮して話すメアリーに、美澪はフフッと微笑んだ。
「あ。も、申し訳ございません。わたくしったら……」
メアリーは焦りながら、マッチ箱をお仕着せのポケットにしまい、湯を張った洗面器をベッドの足元に置いた。そして清潔な手ぬぐいをお湯で湿らせているメアリーに、美澪はマッチ箱を見せてほしいと頼んでみる。するとメアリーは快く手渡してくれた。
「ふーん」
美澪は、小さな箱を色んな角度から眺めると、箱の面を見てプッと吹き出した。
(若い頃の国王陛下のお顔ね。……どことなくイリオス殿下にそっくりだわ)
機嫌よく笑う美澪を見たメアリーが、「お気に召しましたか?」と聞いてきた。
「うん! ……ねぇ。これ、もらっちゃダメかな?」
メアリーの顔色を伺うように聞くと、メアリーは笑顔で「どうぞ、お持ちになってくださいませ」と譲ってくれた。
「! ありがとう、メアリー」
美澪はもう一度マッチの箱の表を見ると、ふふっと笑ってそれを枕の下に隠した。
「ミレイ様。お体をお拭きいたします」
「よろしくお願いします」
美澪は、落ち込んでいた気持ちが晴れていることに気づくことなく、メアリーに身体を清めてもらい、再び眠りについたのだった。
*
美澪は朝食を終えると、真っ先に図書室に向かうことにした。
パーティーの準備があるので短い時間しか滞在できないが、元の世界に戻る方法を探すため、積極的に動くことにしたのだ。
(あ。グレイス王妃殿下だわ)
穹窿廊下の向かいから、王妃が歩いてくるのを目にして、スッと端に避けて軽く膝を曲げた。そうして王妃が通り過ぎるのを待っていたのだが、どうやら王妃は美澪に用事があったらしい。
王妃が美澪の前で歩みを止めたので、美澪は仕方なく深々とお辞儀をした。それに倣って、メアリーやメイドたちも深く膝を曲げる。
「エクリオの朱雀の伴侶、グレイス王妃殿下にご挨拶申し上げます」
幼い顔の下半分を、赤い羽根のついた扇で隠したグレイスは、見下げるように美澪を見つめた。
なかなか許しの声がかからず、美澪の額から汗が一筋流れ落ちて、足がガクガクと震えだす。
(も、もうだめ……っ)
と思った瞬間、ようやくグレイスは口を開いた。
「面を上げなさい」
「……ありがとうございます」
言って、メアリーの介添えを受けながら立ち上がった。
しかし、グレイスが立ち去る気配はなく、美澪から立ち去る――礼儀に反する――こともできず。重い沈黙が漂う居心地の悪い空間に、美澪は辟易してしまう。
(これからもずっと、カーテシーをするたびにこういう目に合うのかな? ……あたしを目の敵にしたって意味無いのに)
美澪が思わず小さな息を吐いた瞬間、グレイスが扇をジャッと閉じ、扇の先を美澪の顎下に当てた。それから、俯いていた顔を強制的に上げられ、驚いた美澪の顔が、グレイスのオリーブグリーンの瞳に映っていた。
ともすれば、鼻と鼻が触れ合いそうになる距離で、グレイスは瞬きひとつせずに美澪を凝視していた。
(な、なに……? こわいんですけど)
美澪の瞳に涙の膜が張りはじめたのをきっかけに、荒い動作で顎が開放された。
「っ、」
――顎下の皮膚がヒリヒリする。擦過傷を負ったかもしれない。
美澪はキッと眉を吊り上げたが、グレイスに物申すことはせず、軽く膝を曲げた。
「……王妃殿下。私に御用がお有りでしたらこの場でお伺いしたく存じますがいかがでございましょう?」
そう言った美澪に対してグレイスは、ころころと可憐に笑って扇を開くと、美澪の耳元に唇を寄せた。
「イリオスに優しくされて、図に乗っているようですわね? でも残念ね。イリオスはあなたのことなど少しも愛していないわ。異世界から来たあなたに同情しているだけ……。ふふっ。それにエフィーリアなんて、男児を産めば、利用価値がなくなるもの」
そう言って離れていったグレイスから、芳醇で甘いバラの香りがした。
美澪は、下ろしたままのピンクブロンドの髪を整えるグレイスを、信じられない思いで見つめた。
脳裏に、美しい花園と、寂しげに微笑むイリオスの顔が浮かび上がる。
美澪はぶるぶると震える手をぎゅっと握りしめ、戦慄く口を動かした。
「……あなたが。あなたがそれを言うの?」
「なんですって?」
「僭越ながら。イリオス王太子殿下の心情を慮るならば、先程の発言は礼儀をかいていると存じますが。……いかがでしょう?」
美澪は目蓋が熱くなるのを感じながら、挑むように言い放った。するとグレイスは、己の失言を理解した様子で、表情を悲痛に歪めた。
グレイスの態度に満足した美澪は、深呼吸をして心を落ち着け、深々とカーテシーをした。
「王妃殿下がご心配なさらずとも、私が王太子殿下に愛されることはありません。その理由を、王妃殿下ならばご存知では? ……私は用事がございますので、ここで失礼いたします」
そう言って姿勢を正した美澪は、グレイスの姿を視界に入れることなく、メアリーを伴って図書室へと歩を進めた。
美澪は震えの治まった手で、胸元をぎゅっと握りしめる。
(あたしはただ、あの2人の関係に巻き込まれただけなのに。……なのに。どうして……こんなに心が痛むんだろう?)
美澪は、ズキズキと痛む胸をトントンと叩いて、やり場のない悲しみを、心から押し出そうとした。
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