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見たくなかった手紙
しおりを挟む「愛してるわ、ルーカ」
正面玄関ホールの階段を三段ほど降りかけた主人――ルドヴィカに、いつものようにキスをせがむ。
少し間があって、軽くため息を漏らした銀色の瞳が取り繕うように微笑む。
「いってくるよ、シア」
ほんの唇が触れたか程度のキスをすると、ルーカは こちらを振り返ることなく、馬車に乗り込んだ。
「気をつけてね」
手を振るわたしの姿は、きっと彼の目に写っていないのだろう。
私の笑顔は、不自然ではなかっただろうか。
ルーカが門を抜けてその姿が見えなくなっても、そのことが頭から離れなかった。
――――――――
「奥様はご主人様を、深く愛していらっしゃるのですね」
夢見がちなメイドが、キラキラの瞳を向けて来た。
手が滑り、紅茶を淹れたカップがカチャンと音をたてる。
毎朝あんな風に見送りをするなんて憧れですと、そばかすだらけの笑顔が眩しい。
「あら、恥ずかしいわ」
うふふと笑いながら、その純朴な瞳から目を逸らす。
彼女は……2日前に入ったばかりの新人だったか。
まだ15歳になったばかりのはず。
「エレーンには素敵な人が現れますよ」
扇で口を隠しながら、そう微笑み返した。
ーーだからといって、幸せになれるか保証はないけれど。黙ったままでいると、こちらの反応が思ったようなものでなかったのか、首を傾げ出した。
「エレーン、こちらへ」
赤髪のおさげは、執事のエドモンドが声をかけると不思議そうな顔をした。
お茶の時間は終わってないのだから、仕事はまだあるはずだ、と。
そのまま彼女は部屋の外に連れ出される。
きっと私が彼女と再び会うことは、ないのだろう。
給仕をしていた彼女が悪いわけではない。
ただタイミング悪く、地雷を踏み抜いたのだ。
私はイリシア
イリシア・ルミ・ガーランド
ガーランド家に18で嫁いで5年になる。
望まれて結婚したつもりだった。
ため息をつきながら夫、ルドヴィカに想いを馳せる。
きっかけは、何だったのだろう。
5年前までわたし好みに短く整えられた彼の銀髪は、今では肩まで伸ばされて、サラサラと輝いている。
かつて蕩けるような愛の囁きを紡いだ唇は、触れる程度のキスをするにとどまる。
そのキスも、ごく稀にしかない。
「愛していても……、愛されて……いないのよ」
その言葉は誰の耳にも届かずに、消える。
愛は一方的なものではない。
そう気付かされたのは、最近の事だった。
それまでは、ただ幸せだったのだ。
私だけ……。ただ、毎日彼を愛して、愛されていると勘違いしていただけなのに。
でも、何も知らないままでいるより、知った方が良かったのかもしれないわ。
ぼんやりとそのことを考えて、イリシアは冷えた紅茶を口にする。
――――――――
数日前の決定打を見たきっかけは、主人の書斎にて本を探していた、だった。探さなければ、何もなくこれまで通り幸せなまま、生きていられたのに。
その日も、いつもの通りの行動をしていただけなのに。
私は部屋に居た執事のエドモンドに話しかけた。
「エドモンド、何か面白い本知らないかしら」
ルーカったら本を読み切らないうちに、次から次へと買ってくるのを繰り返してる。
そして一度も目を通してない本は、本だけの部屋にうつされてしまうのだ。
我が家の図書室には、本が溢れかえってる。
そこは使用人達も自由に使えるので、買われてくる本達は無駄にならない。
ルドヴィカは実に素晴らしい嗜好を持っているのだ。
買ってくる本は大抵外れがない。
そんな訳で、書斎には新しい本ばかりがあるので、見ているだけでも楽しい。
あまり外出をしないので、この部屋は私にとって最新の情報源なのよね。
執事の仕事の一環で同じ部屋にて事務処理していたエドモンドは、わたしの声に反応する。
椅子から立ち上がり、こちらに近付いてくる。
メガネをクイっと中指であげながら、本棚を一緒に探してくれる姿が真面目で面白い。悪いけど、くすくす笑うと、エドモンドはバツが悪そうに眼鏡屋で修理しなくては……と頭を掻いている。
「そうですね…」
視線が彷徨って一点でとまる。
「こちらは人気作家の最新作です」
白い手袋に包まれた長い人差し指が、本の背表紙を軽く引き出した。
今とても売れていると評判ですよ、と差し出された本は推理小説らしい。
「たまには違うジャンルの本も楽しそうね……あら」
その本のタイトルに下巻と書いてある。
「上巻は無いのかしら」
ルーカがシリーズ物を揃えないなんて、と首を傾げながら本棚を探していると……。
「奥様、あちらに上巻がありますよ」
エドモンドに指し示されたのは、夫であるルドヴィカの書斎机の上に並べてある本だった。
「まぁっ!今日はこの本を借りましょう」
浮き浮きと書斎机に駆け寄り、本を手に取ると、はらりと白い紙が落ちた。
『愛』
文字が目に飛び込む。
「?」
それは書きかけの手紙だった。
目的の上巻と他の本の間に挟まっていた。愛という文字が見えた。
もしも――
もしも、時間を戻せるなら私は決して、この手紙を見ない選択をする。
更に、いつも許されてる書斎へ本を取りに行かないだろう。
でももしもの世界なんて、無いことを私は知っている。
何も言葉を発しなくなったイリシアの様子を不思議に思ったエドモンドは、目の前で手をフリフリ振ってみた。反応がない。
「奥様?」
声をかけるとビクッと反応し、はじめて気がついたかのように呆然とエドモンドを見上げるイリシア。
手には紙が握られていた。
「エドモンド…」
イリシアの目はどこか虚ろだ。
縋るような目を執事にむける彼女の反応を訝しげに思う。
しかし、エドモンドが声をかける前に、取り繕うような微笑みを浮かべた。
「なんでもないわ、この本を読むので部屋に戻ります。呼ぶまで来ないで頂戴」
早口にそう言った彼女は、落ちてきた紙を元あったように本の隙間に戻して、少し乱れていた机の上を整えた。
エドモンドは、二冊の本を胸に抱えあわてて部屋から出て行く彼女に、違和感を覚えていた。
何時もならお茶とともに優雅に読むから(自慢げに)よろしくね(お茶の用意を)、などと調子の良い可愛らしい依頼があるのに。
不審に思いながらも、主人の執務机の上にある少し乱れた本の山を丁寧に並べなおす。
かさり
手に触れたのは、上質な硬い感触の紙であった。
それは本と本の間に、先程イリシアが挟み直した手紙だった。
軽く目を通して、内容に目が眩む。
「……ルドヴィカ様…」
深いため息が出る。
今この場にいない主人はなんて粗忽者なんだ。
せめて、出すならすぐに出す、出さないなら誰でも触れる場所に保管しないで欲しい……。
特に奥様が触るような所に置いておくなんて。
それは奥様が一番この世で見てはいけないもの、――他の女へと愛を綴った手紙であった。
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