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1巻
1-3
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「私は、沙那の言う通りに高部君が好きだったのかもしれないって、あの時思ったし、今でも思ってる。でも、私、絶対ないって言える。沙那が言うみたいに高部君を沙那から奪おうとか、沙那に成り代わって高部君の彼女になろうとか、そういう感情は絶対なかったの……っ‼」
今でも覚えてる。沙那と高部君の幸せそうな笑顔。
私は、ずっとそんな二人を見ていたかった。転校があんなに辛かったのは、そんな二人から無理やり自分が引き離されてしまうんだって思ったからで。
多分、私は、寂しかったんだ。二人が恋しかったから、その分その感情も深くて。
「そう、ずっと、言いたくて、伝えたくて……っ‼」
あの時、私の喉につっかえて言葉を奪ったのは、きっとこの悲しさだったんだ。
沙那にはこの悲しさは分からない。だって沙那はいつだって置いていく側で、いつだって見送る側でもあって。
置いていかれて焦りとともに腕を伸ばす感覚も、旅立ちたくない場所から無理やり引き剥がされる痛みも、沙那は知らない。『みんなで最後の思い出を作りたい』っていう気持ちは、沙那にはきっと分からない。
だって、人は、自分が体験したことしか理解できないから。
この病気の認知が一行に進まないのと一緒で。
「あの時の私、色んなことがグチャグチャになってて、言えなかった。でもずっと、沙那に伝えたかったの……っ‼ ずっと、謝りたかったの……っ‼」
だからこそ私は、知りたいって思った。私の悲しさが沙那に絶対伝わらないように、沙那が抱える思いもきっと、私には分かることができないから。
だから、せめて、言葉に出して説明してほしい。
怒っているなら怒っているんだって。悲しいなら悲しいんだって。
何も言わずに一方的に怒って、自分が言いたいだけ言ったら耳をふさいじゃうなんてズルい。すごく自分勝手だ。
そうなんだって、自分が死んでから、やっと分かったんだ。
「ねぇ、沙那。私、沙那の言葉を聴きたい。沙那がなんでそんなに怒ってるのか聴きたい。だって私、分かんないんだもん。ドジで、バカで、鈍臭い私じゃ、沙那がなんであんなことを思ったのか分かんないよ……っ‼」
沙那の肩に置いた手にギュッて力がこもった。でもそれは沙那を逃がさないためじゃない。だって沙那はずっと、立ち尽くしたまま無防備に私の話を聞いている。
視界がぼやけて何も見えなくなっていた。ボロボロ涙がこぼれていたから。私はもう、沙那の肩に置いた手に力を込めていないと立っていられないんだ。
怖かった、から。
怖くて怖くて、しゃがみ込んでしまいたかったから。
「私、沙那に適当なこと言いたくないっ‼ 沙那のこと、大好きだから……っ‼ だから、適当に謝って、それで終わりってしたくない……っ‼」
こんな風に心から叫んだことなんて、一度もなかった。沙那にも、家族にだって、こんな風に感情をぶつけたこと、なかった。
私はいつも誰かに引っ張ってもらっていて、自分の足と頭で進んだことって、思えばあんまりなくって。だから自分の心の中だって、よく分かっていなかったのかも。誰かに『秋帆はこう思ってるんだね』って言われたら『そうなのかも』なんて、深く考えずに同意していたのかも。そんな状態でここまで来てしまった。
だから今、怖くて怖くて仕方がない。全部さらけ出した心をぶつけて、受け取ってもらえなかったらって。
でも、それでも。たとえ受け取ってもらえなかったとしても。
沙那にこの気持ちを知ってもらいたいっていう衝動は、もう抑えきれないんだ。
……私の、沙那を『好き』っていう気持ちは、こんなにも大きかったんだ。
こんなに大きな声で自分の心をさらけ出して叫んでしまうくらい、沙那のことが大切だったんだ。
「謝るなら、ちゃんと心から謝りたいの。沙那がどうしてこんなに怒っているのか、ちゃんと分かって、ちゃんと理解して、心から謝りたいの」
また沙那の肩に置いた手に力がこもる。きっと痛いだろうなって分かってる。
でも私は、この手の力を緩めることはできない。緩めたら崩れ落ちるって、分かっているから。
「だから、教えてよ、沙那……。なんであんな風に怒ったの? なんで今もそんなに怒ってるの?」
涙声で、結局グチャグチャで、もう自分でも何を言っているのか分からない。
……ねぇ、沙那。私が何って言ってるか、伝わってる?
私の心は、届いてる?
「ちゃんと『さよなら』って言わせてよ、沙那ぁ……っ‼」
結局私は、情けなくすがって泣いてしまった。言葉が途切れた後は、嗚咽しか出てこない。顔も知らない間に下を向いてしまっていて、今沙那がどんな顔で私を見ているのかも分からない。
「……秋帆……」
だから、沙那がどんな顔で私の名前を呼んでくれたのかも、分からなかった。
「……ヒロ、ね。……私の隣にいながら、秋帆のことばっかり見てたの。……そんな風に、見えてたの」
だけど、ポツリと零すように話してくれた声は、聞こえた。
ヒロ。懐かしい呼び方。
そうやって高部君に呼び掛けていたのは『彼女』だった沙那だけ。
沙那はその特別な呼び方で、高部君のことを口にした。
「私、すごく、ヒロのことが好きで。……すごく、必死で」
「……うん」
「告白するまでも必死だったけど、……彼女、に、なってからも、必死で」
「うん」
「彼女になったら、みんな敵に思えて。……ヒロが見てる女の子は、みんな、敵みたいに思えて」
私は、思い切って顔を上げた。
すぐ目の前にある沙那の顔。その顔は私に真っ直ぐに向けられていて、でも、私は知らない表情を浮かべていて。
「秋帆が敵なわけ、なかったのに」
沙那は、泣いていた。雨の中で迷子になった小さい子供みたいに頼りない顔で。強さなんて欠片もない顔で。
「私、それを知ってたはずなのに。秋帆まで、敵に見えて……っ‼」
クシャリと、沙那の顔が歪む。
そんな沙那を私はとっさに抱きしめていた。私の瞳から零れる涙が沙那の制服の肩から転がっていくように、沙那が零す涙が私の制服の肩口に落ちていく。
「私、耐え切れなくて……っ‼ あの日、ヒロが、縁結びの神様にお参りしてた秋帆のこと見てたの、すごく気になっちゃって、っ……それで……っ‼」
「うん」
「八つ当たりだって分かってたのに……っ‼ どんどん言葉が、エスカレートしてっ、……っ、止まら、なくて……っ‼」
私が抱きしめても、沙那の手は私の背中に回らなかった。沙那の両手はギュッと固く握られていて、何かに必死に耐えている。
それは、沙那の強さ。簡単に相手にすがってしまう私と違う、相手にすがることを良しとしない、沙那の強さだ。
「許せなかったの……っ‼ 何が許せないのかも分からなくて……っ‼ あの後、結局ヒロともうまくいかなくて、すぐに別れることになっちゃって……っ‼」
その強さが、時に他人だけじゃなくて沙那自身まで傷付けているんだって、知ってた。ずっと沙那を見続けてきた私は、知ってた。
でも今、その拳を解くのは、私の役目じゃない。
「全部全部、秋帆が悪いんだって思い込んだの……っ‼ そうしなきゃ、私、耐え切れなくて……っ‼ 傍にいなくなった秋帆なら、いくら憎んだっていいって、すごく自分勝手なこと……っ‼」
「……それでも、良かったんだよ」
私は沙那を抱きしめる腕に力を込めた。そういえばこんな風に抱きしめたのも、初めてだっけ。
「沙那が楽になれるなら、それがきっと正しかったんだよ」
ずっと、一緒にいたのにね。
ずっと一緒にいたのに、こんな風に本音を叫び合ったのって、初めてだよね。こんな風に抱きしめたのも、すがったのも初めてだよね。
もっと早く、こうしていれば良かったのにね。九年も一緒にいたのに、何してたんだろうね、私達。
……沙那、私ね。
最期にこうやって沙那を抱きしめることができて、すごく、嬉しいよ。
「沙那、ごめんね」
私は、そんな全部をひっくるめて、沙那にごめんねを言った。
「ごめんね」
沙那の呼吸が引きつれる。そう思った瞬間、沙那は叫ぶように泣いていた。
沙那の手が私の背中に回る。きつく握りしめられていた手が、遠慮がちに私の制服の背中をつまむ。
だから私は、沙那の肩口に顎を乗せてもう一度泣いた。
あれだけ本心を叫んだくせにどうしても言えなかった自分の最期を思って、もう一度心の底から泣いた。
【-24】
「……もう、ヤダ。絶対明日、目腫れるじゃん」
スンッと鼻を鳴らしながら、嗄れた声で沙那が呟く。隣に並んで座った私は、そんな沙那に苦笑を向けた。
「帰ったら、ちゃんと目元冷やさなきゃね」
「てか、学校行きそびれた」
「サボったの、バレちゃったかな?」
「バレてるに決まってんじゃん。心配されてるかも」
そう答えながらスマホを取り出した沙那は『あ~……』って呻いてからスマホを片付けた。もしかしたら沙那のママや友達から鬼のようにメッセージが来てたのかもしれない。
「てか、秋帆は良かったの?」
「うん?」
「秋帆だって、学校サボってるじゃん」
「あ~……」
なんなら昨日の昼休みから周りに何も言わずに姿を消しちゃったわけだから、沙那以上に周りから心配されているかもしれない。というか絶対されてる。沙那のことに必死になりすぎてて、他のことにまで気を回してる余裕がなかったんだよね。
「……うん。私は、いいの」
みんな、ごめんね。
でも私、後悔はしてないんだ。
「良くないでしょ?」
沙那が、真っ直ぐに私を見て小首を傾げた。その視線に怒りはなくて、氷みたいな冷たさもなくて。
まるで氷が溶けた後みたい。同じ温度でも、温かさが余計に身に染みる。
だから、……だからこそ私は、笑って沙那に答えた。
「お別れを言いに来たってことで、みんな納得してくれるよ」
そんな私の言葉に沙那は顔を曇らせた。何かを考えた沙那は、言いにくそうに言葉を口にする。
「また、お父さんの転勤?」
「今までよりもずっと遠くに行くことになっちゃって」
「じゃあ、もう会えないってこと?」
嘘はつきたくなかったから、曖昧に言葉を濁した。そんな私の言い回しに気付いていない沙那はさらに顔を曇らせる。
「あんな態度取って勝手なこと言ってるって分かってるけど、……秋帆と、また、こんな風に……」
「嬉しい」
ポロリと、言葉が勝手に零れていた。その言葉を拾った沙那が顔を跳ね上げる。『だったら』という感情が沙那の顔に躍るのが分かる。
だけど。
「でも、ごめんね」
だけどもう、曖昧なお別れはしたくなかった。
「本当に、遠くに行っちゃうから」
沙那が寂しそうに顔を伏せる。
ほんとはそんな顔をさせたくない。させないために、少しでも期待させるようなことを言ってしまいたい衝動に駆られて、少しだけ唇が動いた。
だけど私は、声が漏れる寸前でその唇を引き結ぶ。
絶対にやっちゃいけないことだから。私みたいに『きっといつか』なんて感情を引きずって生きるようなことを、沙那にはさせたくないから。
「だから沙那。さよならって、きちんと言わせて?」
だから私は、綺麗な終止符を私達の間に置くことを望んだ。
私が消えるのは、沙那のせいなんかじゃないよって。私は、沙那を置いていきたくて置いていくんじゃないよって。それを、伝えるために。
一度顔を伏せた沙那は、ゆっくりと顔を上げて私を見つめた。じっと、心の底を見透かすかのように私を見つめる沙那を、私も静かに見つめ返す。
今ならきっと、それだけで伝わるものがあると、思ったから。
「……分かった」
先に視線をそらしたのは沙那だった。ジワリとにじんだ涙を無理やり手の甲で拭って蹴散らした沙那は、立ち上がって私と相対する。そんな沙那に、私も立ち上がって向かい合った。
冷たい風が、私達の間を駆け抜けていく。沙那の強さに似た冷たい風。沙那を思わせる氷の季節は、沙那が好きな季節だった。
「今日は、来てくれてありがとう、秋帆。私を見捨てないでくれて、……ありがとう」
「沙那、私と真正面から向き合ってくれて、ありがとう」
ぎこちなく笑い合ったら、また涙が零れた。なぜか沙那も泣いてる。それが面白くて、切なくて、私は笑顔も涙もさらに溢れさせてしまった。
「バイバイ、沙那」
「バイバイ、秋帆」
笑って、別れを口にして。
目を、閉じた。
「……――――」
冷たい風が消える。籠った空気特有の熱に目を開けると、飛び込んできたのは見慣れた家具と大きな姿見。
「……やった」
誰もいない私の部屋。
姿見の前にズルズルと座り込んだ私は、鏡に手を添えて呟いた。
「私……沙那と、仲直り、できたんだ……」
鏡の中の私も、私の手に自分の手を添えている。
そんな鏡の向こうの私が、ボロボロと涙を流していた。
色んなことが頭の中をよぎっていった。
沙那と一緒にいて嬉しかったこと。沙那と一緒にいて悲しかったこと。初めて沙那と出会った時のこと。一緒に通った小学校。一緒に苦しんだ定期テスト。一緒に悩んだ恋。一緒に過ごした、たくさんの日々。
「私、その最期を、笑顔で、締めくくれたんだ」
鏡の中の私が笑った。ボロボロ泣きながら笑う顔は、やっぱり冴えないけれど。
でも、とても幸せそうだった。
「なぁんだ、私、案外やればできるじゃん」
ピシッ、パキッと、何かが割れる音が聞こえてくる。
氷が割れるみたいな音。……終わりの音が、近付いてくる。
でももう、なんだか怖くなかった。だって私は、笑顔でさよならを言うことができたんだから。
――……あ。最後にまだ一人、言うべき相手に笑顔でさよならを言ってないじゃん。
私は姿見の前で居住まいを正すと、鏡面に手を添えたまま、最期の挨拶を口にした。
「今まで、ありがとね」
自分自身に向けた言葉に、鏡の中の私がニコッと笑ってくれた。こっちの私も、同じ顔で笑ってるってことだ。
そのことに、心が満たされた気がした。
パキッと、一際大きな音がして、私はそっと瞳を閉じた。
――さよなら、私。最期に笑ってくれて、ありがとう。
自分自身にさよならを告げて、私は氷の季節の空気の中に溶けていった。
【……】
冷たい風が、私の傍らを駆け抜けていく。今年も、彼女が消えた季節が巡ってくる。
その季節がいつもと違うのは、今年でひとつの区切りがつくってこと。
私は足を止めると空を見上げた。色が薄い、冬の空。何もかもが寒々しい色をした中、一際冷たい黒に身を包んだ私は、何もない空をひたすら眺め続ける。
高校二年の冬から七年。社会人二年目の冬。
私の幼馴染で、親友だった彼女の死亡が、法的に成立した。
「……秋帆のバカ」
七年前のあの日。ずっと連絡ができなかった私のところに押しかけてきた彼女は、あの時点ですでに死んでいたらしい。
砂状病。今でこそ新しい死亡理由として認知されて、死後の余命が二十四時間あることをみんな知るようになってきたけど、当時の私はそんなこと、何も知らなかった。引っ込み思案だった秋帆がどうしてあんなに大胆で強引なことをしてきたのか、分からなかった。
ただ驚いた。ただ不思議だった。
私はあの時、そんな秋帆のことを深く考えようとしなかった。知ろうとしなかった。
「……でもそんなの、私が一番バカだ」
知ろうとしない。それが愚かさの極みだって理解できたのは、いつのことだったんだろう。
……ううん、きっと私は今でも本当の意味では理解なんてできていないんだ。ただなんとなく分かったつもりで、日々は淡々と続いていく。うずくまり続けた、あの高校時代と同じように。
――ねぇ、秋帆。秋帆はどうしてあの時、最期の二十四時間を私に使おうと思ったの?
秋帆が最期の二十四時間を私のために使ってくれたんだってことを、私は秋帆が消えて、しばらく経ってから知った。
秋帆のお母さんから『秋帆が行方不明になった』って連絡を受けて、私が最後に会ってた人間だったって分かって。警察の捜査が進むうちに『これは砂状病案件だろう』って話になって。秋帆の家族はそんなの受け入れられなくて、必死に捜索して。でもそれは無駄な足掻きなんだって、数年をかけて理解していって。
そうやってみんな、徐々に秋帆の死を受け入れていった。今日のお葬式でだって、みんな秋帆の死を受け入れた顔をしていた。
ただ、私だけが。
秋帆と最後まで会っていた私だけが、まだ心のどこかで秋帆の死を受け入れられずにいる。
――あんなに綺麗なさよならをしたから、まだ世界のどこかに秋帆がいるんだって、秋帆はすごく遠い場所にいるだけなんだって、勘違いしちゃってる。
秋帆は、どうして私にあんなさよならを言ったんだろう。どうしてあの時、教えてくれなかったんだろう。
どうして。どうして、どうして。
「……っ‼」
グルグル回った思考回路が、また秋帆に怒りを募らせる。
その前に私は、自分の手で思いっきり自分の頬を叩いた。この七年の間、何回もやってきた仕草は我ながら堂に入っていて、パンッという小気味いい音の後に痛みと衝撃が突き抜けていく。
だけど七年前、私を無理やり秋帆に向き直らせてくれたあの平手には程遠い。
それがなんだか、ずっと悔しくて。
「……八つ当たり、しないっ‼」
秋帆はいつも、私のことを『強い』って言ってくれてた。
でも、そんなの嘘。私の強さなんて、見せかけだけのハリボテで、中身はこんなにボロボロで弱い。こんな弱い中身を見せないために、私は強く見えるハリボテを纏っていた。
本当に強いのは、秋帆の方。
あんなに酷い八つ当たりをした私をずっと気にしてくれて。私はあんなに酷い態度を取ったのに、最期の時間を使い切ってまで、私の心を解きほぐしてくれた。
あの時だけじゃなくて、その前だって、ずっと。
……ねぇ、秋帆。
秋帆はいつも『沙那のおかげで』って言ってくれてたね。でも、そうじゃないの。私、ずっと秋帆に支えられてた。私の弱さを、秋帆が強さに変えてくれてたの。
怖いよ、秋帆。七年間ずっと怖かったの。この日が来たら、……秋帆が『いない』って突き付けられるこの日が来たら、私、立っていられなくなるかもしれないって。
……でも。
「……でも、これだって。……八つ当たりと、何も変わらないよね」
秋帆がここにいてくれたら、オロオロしながら『それは違うよ沙那っ!』って言ってくれたかもしれない。……そんな風に言ってくれる秋帆が思い浮かぶくらいに、なった。
秋帆が大学生になっていたら、どんな風に成長していたんだろう。社会人になっていたら? どんな大人になってたのかな? 一緒に飲み会とかできたのかな? どんな会社に就職してたのかな?
そんな風に、ずっと、秋帆のことばかり、考えて過ごしてきた。
……でも、そんな私ももう、卒業しなきゃ。
「……秋帆」
やっぱり何も見つけられない空を見上げたまま、私は親友の名前を呟いた。このお葬式に合わせてバッサリ短くした髪が、広い空を吹き渡る風に吹き上げられて、耳をくすぐるように揺れる。
「……さよなら」
やっと言えた言葉を噛み締めて、ジワリと熱くなる目の奥を感じながら、私は不器用に何もない空に向かって笑いかける。
あの子が消えていった空は、色が淡くて、何もなくて。
春の日差しが似合う彼女には、どこまでも不釣り合いな空だった。
今でも覚えてる。沙那と高部君の幸せそうな笑顔。
私は、ずっとそんな二人を見ていたかった。転校があんなに辛かったのは、そんな二人から無理やり自分が引き離されてしまうんだって思ったからで。
多分、私は、寂しかったんだ。二人が恋しかったから、その分その感情も深くて。
「そう、ずっと、言いたくて、伝えたくて……っ‼」
あの時、私の喉につっかえて言葉を奪ったのは、きっとこの悲しさだったんだ。
沙那にはこの悲しさは分からない。だって沙那はいつだって置いていく側で、いつだって見送る側でもあって。
置いていかれて焦りとともに腕を伸ばす感覚も、旅立ちたくない場所から無理やり引き剥がされる痛みも、沙那は知らない。『みんなで最後の思い出を作りたい』っていう気持ちは、沙那にはきっと分からない。
だって、人は、自分が体験したことしか理解できないから。
この病気の認知が一行に進まないのと一緒で。
「あの時の私、色んなことがグチャグチャになってて、言えなかった。でもずっと、沙那に伝えたかったの……っ‼ ずっと、謝りたかったの……っ‼」
だからこそ私は、知りたいって思った。私の悲しさが沙那に絶対伝わらないように、沙那が抱える思いもきっと、私には分かることができないから。
だから、せめて、言葉に出して説明してほしい。
怒っているなら怒っているんだって。悲しいなら悲しいんだって。
何も言わずに一方的に怒って、自分が言いたいだけ言ったら耳をふさいじゃうなんてズルい。すごく自分勝手だ。
そうなんだって、自分が死んでから、やっと分かったんだ。
「ねぇ、沙那。私、沙那の言葉を聴きたい。沙那がなんでそんなに怒ってるのか聴きたい。だって私、分かんないんだもん。ドジで、バカで、鈍臭い私じゃ、沙那がなんであんなことを思ったのか分かんないよ……っ‼」
沙那の肩に置いた手にギュッて力がこもった。でもそれは沙那を逃がさないためじゃない。だって沙那はずっと、立ち尽くしたまま無防備に私の話を聞いている。
視界がぼやけて何も見えなくなっていた。ボロボロ涙がこぼれていたから。私はもう、沙那の肩に置いた手に力を込めていないと立っていられないんだ。
怖かった、から。
怖くて怖くて、しゃがみ込んでしまいたかったから。
「私、沙那に適当なこと言いたくないっ‼ 沙那のこと、大好きだから……っ‼ だから、適当に謝って、それで終わりってしたくない……っ‼」
こんな風に心から叫んだことなんて、一度もなかった。沙那にも、家族にだって、こんな風に感情をぶつけたこと、なかった。
私はいつも誰かに引っ張ってもらっていて、自分の足と頭で進んだことって、思えばあんまりなくって。だから自分の心の中だって、よく分かっていなかったのかも。誰かに『秋帆はこう思ってるんだね』って言われたら『そうなのかも』なんて、深く考えずに同意していたのかも。そんな状態でここまで来てしまった。
だから今、怖くて怖くて仕方がない。全部さらけ出した心をぶつけて、受け取ってもらえなかったらって。
でも、それでも。たとえ受け取ってもらえなかったとしても。
沙那にこの気持ちを知ってもらいたいっていう衝動は、もう抑えきれないんだ。
……私の、沙那を『好き』っていう気持ちは、こんなにも大きかったんだ。
こんなに大きな声で自分の心をさらけ出して叫んでしまうくらい、沙那のことが大切だったんだ。
「謝るなら、ちゃんと心から謝りたいの。沙那がどうしてこんなに怒っているのか、ちゃんと分かって、ちゃんと理解して、心から謝りたいの」
また沙那の肩に置いた手に力がこもる。きっと痛いだろうなって分かってる。
でも私は、この手の力を緩めることはできない。緩めたら崩れ落ちるって、分かっているから。
「だから、教えてよ、沙那……。なんであんな風に怒ったの? なんで今もそんなに怒ってるの?」
涙声で、結局グチャグチャで、もう自分でも何を言っているのか分からない。
……ねぇ、沙那。私が何って言ってるか、伝わってる?
私の心は、届いてる?
「ちゃんと『さよなら』って言わせてよ、沙那ぁ……っ‼」
結局私は、情けなくすがって泣いてしまった。言葉が途切れた後は、嗚咽しか出てこない。顔も知らない間に下を向いてしまっていて、今沙那がどんな顔で私を見ているのかも分からない。
「……秋帆……」
だから、沙那がどんな顔で私の名前を呼んでくれたのかも、分からなかった。
「……ヒロ、ね。……私の隣にいながら、秋帆のことばっかり見てたの。……そんな風に、見えてたの」
だけど、ポツリと零すように話してくれた声は、聞こえた。
ヒロ。懐かしい呼び方。
そうやって高部君に呼び掛けていたのは『彼女』だった沙那だけ。
沙那はその特別な呼び方で、高部君のことを口にした。
「私、すごく、ヒロのことが好きで。……すごく、必死で」
「……うん」
「告白するまでも必死だったけど、……彼女、に、なってからも、必死で」
「うん」
「彼女になったら、みんな敵に思えて。……ヒロが見てる女の子は、みんな、敵みたいに思えて」
私は、思い切って顔を上げた。
すぐ目の前にある沙那の顔。その顔は私に真っ直ぐに向けられていて、でも、私は知らない表情を浮かべていて。
「秋帆が敵なわけ、なかったのに」
沙那は、泣いていた。雨の中で迷子になった小さい子供みたいに頼りない顔で。強さなんて欠片もない顔で。
「私、それを知ってたはずなのに。秋帆まで、敵に見えて……っ‼」
クシャリと、沙那の顔が歪む。
そんな沙那を私はとっさに抱きしめていた。私の瞳から零れる涙が沙那の制服の肩から転がっていくように、沙那が零す涙が私の制服の肩口に落ちていく。
「私、耐え切れなくて……っ‼ あの日、ヒロが、縁結びの神様にお参りしてた秋帆のこと見てたの、すごく気になっちゃって、っ……それで……っ‼」
「うん」
「八つ当たりだって分かってたのに……っ‼ どんどん言葉が、エスカレートしてっ、……っ、止まら、なくて……っ‼」
私が抱きしめても、沙那の手は私の背中に回らなかった。沙那の両手はギュッと固く握られていて、何かに必死に耐えている。
それは、沙那の強さ。簡単に相手にすがってしまう私と違う、相手にすがることを良しとしない、沙那の強さだ。
「許せなかったの……っ‼ 何が許せないのかも分からなくて……っ‼ あの後、結局ヒロともうまくいかなくて、すぐに別れることになっちゃって……っ‼」
その強さが、時に他人だけじゃなくて沙那自身まで傷付けているんだって、知ってた。ずっと沙那を見続けてきた私は、知ってた。
でも今、その拳を解くのは、私の役目じゃない。
「全部全部、秋帆が悪いんだって思い込んだの……っ‼ そうしなきゃ、私、耐え切れなくて……っ‼ 傍にいなくなった秋帆なら、いくら憎んだっていいって、すごく自分勝手なこと……っ‼」
「……それでも、良かったんだよ」
私は沙那を抱きしめる腕に力を込めた。そういえばこんな風に抱きしめたのも、初めてだっけ。
「沙那が楽になれるなら、それがきっと正しかったんだよ」
ずっと、一緒にいたのにね。
ずっと一緒にいたのに、こんな風に本音を叫び合ったのって、初めてだよね。こんな風に抱きしめたのも、すがったのも初めてだよね。
もっと早く、こうしていれば良かったのにね。九年も一緒にいたのに、何してたんだろうね、私達。
……沙那、私ね。
最期にこうやって沙那を抱きしめることができて、すごく、嬉しいよ。
「沙那、ごめんね」
私は、そんな全部をひっくるめて、沙那にごめんねを言った。
「ごめんね」
沙那の呼吸が引きつれる。そう思った瞬間、沙那は叫ぶように泣いていた。
沙那の手が私の背中に回る。きつく握りしめられていた手が、遠慮がちに私の制服の背中をつまむ。
だから私は、沙那の肩口に顎を乗せてもう一度泣いた。
あれだけ本心を叫んだくせにどうしても言えなかった自分の最期を思って、もう一度心の底から泣いた。
【-24】
「……もう、ヤダ。絶対明日、目腫れるじゃん」
スンッと鼻を鳴らしながら、嗄れた声で沙那が呟く。隣に並んで座った私は、そんな沙那に苦笑を向けた。
「帰ったら、ちゃんと目元冷やさなきゃね」
「てか、学校行きそびれた」
「サボったの、バレちゃったかな?」
「バレてるに決まってんじゃん。心配されてるかも」
そう答えながらスマホを取り出した沙那は『あ~……』って呻いてからスマホを片付けた。もしかしたら沙那のママや友達から鬼のようにメッセージが来てたのかもしれない。
「てか、秋帆は良かったの?」
「うん?」
「秋帆だって、学校サボってるじゃん」
「あ~……」
なんなら昨日の昼休みから周りに何も言わずに姿を消しちゃったわけだから、沙那以上に周りから心配されているかもしれない。というか絶対されてる。沙那のことに必死になりすぎてて、他のことにまで気を回してる余裕がなかったんだよね。
「……うん。私は、いいの」
みんな、ごめんね。
でも私、後悔はしてないんだ。
「良くないでしょ?」
沙那が、真っ直ぐに私を見て小首を傾げた。その視線に怒りはなくて、氷みたいな冷たさもなくて。
まるで氷が溶けた後みたい。同じ温度でも、温かさが余計に身に染みる。
だから、……だからこそ私は、笑って沙那に答えた。
「お別れを言いに来たってことで、みんな納得してくれるよ」
そんな私の言葉に沙那は顔を曇らせた。何かを考えた沙那は、言いにくそうに言葉を口にする。
「また、お父さんの転勤?」
「今までよりもずっと遠くに行くことになっちゃって」
「じゃあ、もう会えないってこと?」
嘘はつきたくなかったから、曖昧に言葉を濁した。そんな私の言い回しに気付いていない沙那はさらに顔を曇らせる。
「あんな態度取って勝手なこと言ってるって分かってるけど、……秋帆と、また、こんな風に……」
「嬉しい」
ポロリと、言葉が勝手に零れていた。その言葉を拾った沙那が顔を跳ね上げる。『だったら』という感情が沙那の顔に躍るのが分かる。
だけど。
「でも、ごめんね」
だけどもう、曖昧なお別れはしたくなかった。
「本当に、遠くに行っちゃうから」
沙那が寂しそうに顔を伏せる。
ほんとはそんな顔をさせたくない。させないために、少しでも期待させるようなことを言ってしまいたい衝動に駆られて、少しだけ唇が動いた。
だけど私は、声が漏れる寸前でその唇を引き結ぶ。
絶対にやっちゃいけないことだから。私みたいに『きっといつか』なんて感情を引きずって生きるようなことを、沙那にはさせたくないから。
「だから沙那。さよならって、きちんと言わせて?」
だから私は、綺麗な終止符を私達の間に置くことを望んだ。
私が消えるのは、沙那のせいなんかじゃないよって。私は、沙那を置いていきたくて置いていくんじゃないよって。それを、伝えるために。
一度顔を伏せた沙那は、ゆっくりと顔を上げて私を見つめた。じっと、心の底を見透かすかのように私を見つめる沙那を、私も静かに見つめ返す。
今ならきっと、それだけで伝わるものがあると、思ったから。
「……分かった」
先に視線をそらしたのは沙那だった。ジワリとにじんだ涙を無理やり手の甲で拭って蹴散らした沙那は、立ち上がって私と相対する。そんな沙那に、私も立ち上がって向かい合った。
冷たい風が、私達の間を駆け抜けていく。沙那の強さに似た冷たい風。沙那を思わせる氷の季節は、沙那が好きな季節だった。
「今日は、来てくれてありがとう、秋帆。私を見捨てないでくれて、……ありがとう」
「沙那、私と真正面から向き合ってくれて、ありがとう」
ぎこちなく笑い合ったら、また涙が零れた。なぜか沙那も泣いてる。それが面白くて、切なくて、私は笑顔も涙もさらに溢れさせてしまった。
「バイバイ、沙那」
「バイバイ、秋帆」
笑って、別れを口にして。
目を、閉じた。
「……――――」
冷たい風が消える。籠った空気特有の熱に目を開けると、飛び込んできたのは見慣れた家具と大きな姿見。
「……やった」
誰もいない私の部屋。
姿見の前にズルズルと座り込んだ私は、鏡に手を添えて呟いた。
「私……沙那と、仲直り、できたんだ……」
鏡の中の私も、私の手に自分の手を添えている。
そんな鏡の向こうの私が、ボロボロと涙を流していた。
色んなことが頭の中をよぎっていった。
沙那と一緒にいて嬉しかったこと。沙那と一緒にいて悲しかったこと。初めて沙那と出会った時のこと。一緒に通った小学校。一緒に苦しんだ定期テスト。一緒に悩んだ恋。一緒に過ごした、たくさんの日々。
「私、その最期を、笑顔で、締めくくれたんだ」
鏡の中の私が笑った。ボロボロ泣きながら笑う顔は、やっぱり冴えないけれど。
でも、とても幸せそうだった。
「なぁんだ、私、案外やればできるじゃん」
ピシッ、パキッと、何かが割れる音が聞こえてくる。
氷が割れるみたいな音。……終わりの音が、近付いてくる。
でももう、なんだか怖くなかった。だって私は、笑顔でさよならを言うことができたんだから。
――……あ。最後にまだ一人、言うべき相手に笑顔でさよならを言ってないじゃん。
私は姿見の前で居住まいを正すと、鏡面に手を添えたまま、最期の挨拶を口にした。
「今まで、ありがとね」
自分自身に向けた言葉に、鏡の中の私がニコッと笑ってくれた。こっちの私も、同じ顔で笑ってるってことだ。
そのことに、心が満たされた気がした。
パキッと、一際大きな音がして、私はそっと瞳を閉じた。
――さよなら、私。最期に笑ってくれて、ありがとう。
自分自身にさよならを告げて、私は氷の季節の空気の中に溶けていった。
【……】
冷たい風が、私の傍らを駆け抜けていく。今年も、彼女が消えた季節が巡ってくる。
その季節がいつもと違うのは、今年でひとつの区切りがつくってこと。
私は足を止めると空を見上げた。色が薄い、冬の空。何もかもが寒々しい色をした中、一際冷たい黒に身を包んだ私は、何もない空をひたすら眺め続ける。
高校二年の冬から七年。社会人二年目の冬。
私の幼馴染で、親友だった彼女の死亡が、法的に成立した。
「……秋帆のバカ」
七年前のあの日。ずっと連絡ができなかった私のところに押しかけてきた彼女は、あの時点ですでに死んでいたらしい。
砂状病。今でこそ新しい死亡理由として認知されて、死後の余命が二十四時間あることをみんな知るようになってきたけど、当時の私はそんなこと、何も知らなかった。引っ込み思案だった秋帆がどうしてあんなに大胆で強引なことをしてきたのか、分からなかった。
ただ驚いた。ただ不思議だった。
私はあの時、そんな秋帆のことを深く考えようとしなかった。知ろうとしなかった。
「……でもそんなの、私が一番バカだ」
知ろうとしない。それが愚かさの極みだって理解できたのは、いつのことだったんだろう。
……ううん、きっと私は今でも本当の意味では理解なんてできていないんだ。ただなんとなく分かったつもりで、日々は淡々と続いていく。うずくまり続けた、あの高校時代と同じように。
――ねぇ、秋帆。秋帆はどうしてあの時、最期の二十四時間を私に使おうと思ったの?
秋帆が最期の二十四時間を私のために使ってくれたんだってことを、私は秋帆が消えて、しばらく経ってから知った。
秋帆のお母さんから『秋帆が行方不明になった』って連絡を受けて、私が最後に会ってた人間だったって分かって。警察の捜査が進むうちに『これは砂状病案件だろう』って話になって。秋帆の家族はそんなの受け入れられなくて、必死に捜索して。でもそれは無駄な足掻きなんだって、数年をかけて理解していって。
そうやってみんな、徐々に秋帆の死を受け入れていった。今日のお葬式でだって、みんな秋帆の死を受け入れた顔をしていた。
ただ、私だけが。
秋帆と最後まで会っていた私だけが、まだ心のどこかで秋帆の死を受け入れられずにいる。
――あんなに綺麗なさよならをしたから、まだ世界のどこかに秋帆がいるんだって、秋帆はすごく遠い場所にいるだけなんだって、勘違いしちゃってる。
秋帆は、どうして私にあんなさよならを言ったんだろう。どうしてあの時、教えてくれなかったんだろう。
どうして。どうして、どうして。
「……っ‼」
グルグル回った思考回路が、また秋帆に怒りを募らせる。
その前に私は、自分の手で思いっきり自分の頬を叩いた。この七年の間、何回もやってきた仕草は我ながら堂に入っていて、パンッという小気味いい音の後に痛みと衝撃が突き抜けていく。
だけど七年前、私を無理やり秋帆に向き直らせてくれたあの平手には程遠い。
それがなんだか、ずっと悔しくて。
「……八つ当たり、しないっ‼」
秋帆はいつも、私のことを『強い』って言ってくれてた。
でも、そんなの嘘。私の強さなんて、見せかけだけのハリボテで、中身はこんなにボロボロで弱い。こんな弱い中身を見せないために、私は強く見えるハリボテを纏っていた。
本当に強いのは、秋帆の方。
あんなに酷い八つ当たりをした私をずっと気にしてくれて。私はあんなに酷い態度を取ったのに、最期の時間を使い切ってまで、私の心を解きほぐしてくれた。
あの時だけじゃなくて、その前だって、ずっと。
……ねぇ、秋帆。
秋帆はいつも『沙那のおかげで』って言ってくれてたね。でも、そうじゃないの。私、ずっと秋帆に支えられてた。私の弱さを、秋帆が強さに変えてくれてたの。
怖いよ、秋帆。七年間ずっと怖かったの。この日が来たら、……秋帆が『いない』って突き付けられるこの日が来たら、私、立っていられなくなるかもしれないって。
……でも。
「……でも、これだって。……八つ当たりと、何も変わらないよね」
秋帆がここにいてくれたら、オロオロしながら『それは違うよ沙那っ!』って言ってくれたかもしれない。……そんな風に言ってくれる秋帆が思い浮かぶくらいに、なった。
秋帆が大学生になっていたら、どんな風に成長していたんだろう。社会人になっていたら? どんな大人になってたのかな? 一緒に飲み会とかできたのかな? どんな会社に就職してたのかな?
そんな風に、ずっと、秋帆のことばかり、考えて過ごしてきた。
……でも、そんな私ももう、卒業しなきゃ。
「……秋帆」
やっぱり何も見つけられない空を見上げたまま、私は親友の名前を呟いた。このお葬式に合わせてバッサリ短くした髪が、広い空を吹き渡る風に吹き上げられて、耳をくすぐるように揺れる。
「……さよなら」
やっと言えた言葉を噛み締めて、ジワリと熱くなる目の奥を感じながら、私は不器用に何もない空に向かって笑いかける。
あの子が消えていった空は、色が淡くて、何もなくて。
春の日差しが似合う彼女には、どこまでも不釣り合いな空だった。
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