余命-24h

安崎依代@『絶華の契り』1/31発売決定

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 その都市伝説の中にいる私は、……その二十四時間の余命の中にいる私は、部屋の姿見に映り込んだ自分に向かってささやいた。ひた、と鏡に手を添えると、鏡の中の私も同じように鏡面に手を添える。
 いつもより顔色が悪く見えるけど、その原因は多分、砂になって崩れたせいじゃない。だから今の私は、まったくいつもと変わらないってことになる。
 私はチラリと床に放り出したスマホに目を向けた。カウントダウンアラームは、もうすでに私の寿命があと五時間しかないことを示している。
 その表示を見て私はキュッと唇を噛みしめた。
 私が砂になって崩れたのは、学校の昼休みのことだった。海外旅行に行っている両親から授業中に着信が入っていて、昼休みの時間帯なら時差を考えても電話して大丈夫かな、なんて考えながら、一人でちょっと校舎の外に出た時のこと。
『もう。二人とも時差ボケのせいか、テンションが上がってるせいか、私が普通に学校に行ってること忘れてるんじゃない?』なんてのんに心の中で文句を言っていた私は、突然響いたザザザッという音に体をこわらせた。だってそんな音を立てる物も人も、私の周囲にはなかったから。
 反射的に体をこわらせて、ソロリと周囲をうかがって、でも異変は見つけられなくて、なんかいきなり全身がザラザラして気持ち悪くなったな、なんて思った時、私はようやく自分の足元に、自分を取り囲むように砂山ができていることに気付いた。まるでいきなり現れた小さな砂場の小さなくぼの中に入り込んでしまったかのような状態だった。

『……え?』

 意味が、分からなかった。だって何がどうなったらそんな状態に行き合うのか、全然分かんなかったから。
 混乱した私がとっさに思ったことは、『手もザラザラしてて気持ち悪い』ってことで、頭の中に浮かんだのは自宅のお風呂だった。きっとこの全身のザラザラを洗い落としたいって思ったんだと思う。
 その、次の瞬間。

『……は?』

 私は、瞬きひとつした間に、自分の家のお風呂の中に立っていた。

『……え。何これ? 何なに? なんなの?』

 一瞬、夢でも見てるんじゃないかと思った。眠れない夜にウトッとした瞬間に見る、意味が分からない悪夢。
 だけど、いくらほっぺを殴ってみても、お腹のお肉をつまんでひねってみても、痛いばかりで目は覚めてくれなかった。全身にまとわりついた砂が、私の動きに合わせてパラパラと落ちていくばかりで。

『……そうだ。シャワー、浴びよう』

 混乱していた私は、自分に言い聞かせるように呟いて、砂まみれの制服を脱いだ。そのまま洗濯機や洗濯かごに入れるとジャリジャリして後からママに怒られそうだと思ったから、脱いだ服はキッチンに転がっていたバケツにひとまず入れた。
 シャワーの蛇口をひねって、しばらく待って、ようやく温かくなったお湯を頭から浴びた。ジャリジャリとした感触は流れていったけど、冷え込みも増してきた十一月の終わりにシャワーだけじゃやっぱり寒くて、ちゃんと湯船にお湯を溜めれば良かった、なんて本題から外れたことを一瞬考えていた。
 髪からジャリジャリした感触が取れて、肩や腕を撫でるように砂を洗い落とし始めた辺りで、私は少しだけ冷静になることができた。
 砂。……砂状病。
 全身が砂になって、体が崩れて消える病気。
 またの名前を失踪病。遺体が砂になって消えてしまうから、『死んだ』っていう証拠がどこにも残らなくて、自分から消えたのか、消えてしまったのか分からないから。

『……私、死んだの?』

 そこまで思って、ようやく私はそのことに気付いた。

『え……なんで? だって、私、今……』

 体に降り注ぐシャワーは熱いくらいなのに、指先の震えが止まらない。頭の芯まで冷え切っていて、こういう状態が頭がしろになるってことなのか、なんて、余計なことばかりが思い浮かんだ。

『こうやって、ここで、こうして……』

 声が、震える。唇も震えているのか、出しっぱなしのシャワーが口に入ってきてむせそうだった。
 キモチワルイ。頭がクラクラする。
 なんで、これ、どうして、一体……

『……もしかして』

 そのまましゃがみ込みそうになった瞬間、ふと、一時期学校で噂になっていた話を思い出した。
 砂状病の都市伝説。

『発症して体が崩れたのち、二十四時間だけ、生前と同じ姿で、己が望んだ場所で行動することができる』

 ……じゃあ私は今、その『死後の二十四時間』の中にいるってこと? あの噂は、本当だった?
 もう体にまとわりつく砂は全部流れ落ちていたけど、シャワーを止める気になれなかった。熱いくらいのお湯の中で、震えが止まらない体を自分で抱きしめながら、私は止まりそうな頭を必死に動かし続ける。
 ……私は、あと二十四時間しか生きられない。二十四時間を過ぎたらどうなってしまうのかは、聞いたことがないから分からないけど……。だけど今、もう肉体的には死んでいるわけで……あれ? じゃあ今この『私』って、一体なんなんだろう? もしかして、『二十四時間後に死んでしまうことが確定している状態』っていうのが、一番正しい説明になるのかな?
 ……死ぬ。死んじゃうんだ、私。
 何をどう考えても、最終的には意識がそこに戻っていってしまう。他のことを考えられない。
 だって私、まだ高校生なんだよ? 今度のテスト範囲のこととか、友達関係とかに悩むことはあっても、自分の死について悩むことなんて一度もなかった。
 自分はこのまま高校を卒業して、どこかの大学に入って、社会人になる。その頃の私がどこにいるかは分からないけれど、そうやってごくごく普通に未来は続いていくんだと、ずっと思ってきた。ううん。意識してそう思うことさえ、なかった。考えたり思い悩んだりしなくても、ごくごく当たり前にそうなっていくんだろうって、無意識の内に思ってきたから。
 だけど。だけど、だけど。
 もう、私には……
 ――どうすれば、いいんだろう。どうするのが、正しいんだろう。
 ドジで、トロい私は、いつだって自分で物事を決められなかった。でも今は、誰も私の代わりに決めてくれない。
 私が、決めなきゃ。
 震える指を組み合わせてギュッと握る。そうすると少し落ち着くことができるんだよって教えてくれたのは沙那だった。ブラスバンド部で大会に出る時、緊張でガッチガチになってた私を、そうやって励ましてくれたんだ。

『……沙那』

 ぽつりと呟いたら、涙がこぼれた。
 中学卒業の春に喧嘩別れになったまま、高校二年の冬になってしまった。いつか謝りたい、今日こそは、でもどうやったらって思うばかりで、私はあの日からずっと沙那に連絡を取ることができなかった。
 ……怖かったから。氷のような沙那に相対するのも。あんなにいつも私の心をみ取ってくれていた沙那に私の心が伝わらないということを再び実感してしまうのも。……自分の本当の気持ちに向き合うことも。
 でも。
 ――……ねぇ、このまま消えてしまって、いいの?
 私の心にそうやって問いかけてくれたのは、誰だったんだろう。
 ――ずっと逃げ続けてきたね? でももう、逃げることもできなくなっちゃうんだよ?
 もしもこの二十四時間の間に決断できなくて、行動もできなかったら。
 私はこのまま、消えてしまう。混乱したまま、イヤイヤ言ってうずくまって泣いているだけでもこの二十四時間は刻々と過ぎていくんだ。
 消えてしまったら、もう沙那に『ごめんね』って言えなくなる。私達は、一生喧嘩別れをしたままで終わってしまう。
 ――ねぇ、それで本当にいいの?

『~~~~っ‼』

 私は思いっきり両腕を広げると、そのままためらいなく両頬を叩いた。両側から挟むように叩くと、痛みと衝撃が脳を突き抜けていく。

『良くないっ‼』

 叫んで、そのまま勢いよくシャンプーのボトルの頭を押した。ジャッコジャッコ押して、ガッシガッシ頭を洗う。どうせ全身ずぶ濡れになっちゃったんだ。もう全身洗ってやれっ‼

『まずは身だしなみからっ‼ お姉ちゃんだって、沙那だってそう言ってたっ‼』

『お姉ちゃん』って叫んだ瞬間、またジワリと涙がにじんだ。そうだ、もう家族にも会えないんだ……
 大学進学を機にお姉ちゃんは一人暮らしを始めた。登山サークルに入っていて、ちょうど今日はどこかの山に泊まりがけで登ってるって、この間電話した時に聞いた。
 お姉ちゃん、ママ、パパ、……それに沙那。
 全部、大切な人。本当はみんなに会いたい。だけど、二十四時間で全員に会いに行くのは不可能だ。絶対に時間が足りない。
 ……だったら、私は。
 私が、今会わなくて一番後悔する相手は、やっぱり。
 ――やっぱり、沙那、だから。
 またにじんだ涙を、グッと奥歯を噛みしめて堪える。それでもシャワーのお湯に混じってボロボロと涙がこぼれていったのが分かった。
 ――……私、旅行に行くママとパパに、ちゃんと笑って『行ってらっしゃい』って言ったっけ? お姉ちゃんに最後に会った時、ちゃんと『またね』って言ったっけ?

『っっっ! 泣くのっ! あとっ‼』

 もう一度叫んで、リンスを丁寧になじませて、体を洗ってお風呂から出る。お風呂の外は相変わらず寒くてブルリと体は震えたけど、もうたじろぐことはなかった。
 体をいて、髪を乾かし、予備の制服を着た。私服にしなかったのは、あれこれ服に迷いたくなかったから。それと……、沙那に、一度も高校の制服姿を見てもらってなかったなって、思ったから。
 もう一度しっかり身だしなみを整えた私は、玄関の中で深呼吸をした。
 ……私は、学校から家のお風呂まで瞬間移動していた。混乱していて意味が分かってなかったけど、きっとあれも砂状病の都市伝説の『思った場所で行動できる』ってやつなんだと思う。だったら、今の私は……
 深呼吸を繰り返しながら、沙那が通っている高校を頭の中に思い浮かべる。かつて私が暮らしていた町。有名な学校だったから場所は知っていたし、何回か前を通ったこともある。
 必死に頭にその光景を思い浮かべること数秒。
 フッと、私のかたわらを風が駆け抜けていった。冷たい、切れるような風。家の中にいたら、絶対に感じない風。
 ソロリと目を開けた私は、結果が予想できていたはずなのに大きく目を見開いていた。
 頭に思い浮かべていた通りの景色の中に、自分が立っていたから。

「……どうしたら」

 そこまで思い出して、私は力なく呟いた。
 会えばすぐに分かりあえるなんて都合のいいことは思っていなかった。だけど、あそこまでかたくなに話を聞いてもらえないとも思っていなかった。
 沙那は、今でもあの時のことを怒っている。私のことを許していないし、許すつもりもない。
 ――謝りたくても、まずその言葉を聞いてもらえなかったら……
 モヤモヤとしたものが、私の胸をめる。砂になって崩れた直後は焦りや恐怖の方が強かったと思う。だけど時間が経つごとに、このモヤモヤが私の中で強くなっていく。
 ――途方に暮れてるから? 感覚がマヒしてきたから?

「どうしたら、沙那と話せるの?」

 とにかく昨日、私は沙那に会いに行ったわけだけど、沙那は私を拒絶して、話どころか声さえ聞いてくれなかった。あの後、硬直が溶けてから沙那の家まで行ったんだけど、結局私は沙那の家のチャイムを押すことができなかった。
 だったらせめてと思って、ずっと沙那宛てには使えなかったメッセージアプリでメッセージを送った。

『今日はいきなり押しかけてごめんなさい』
『でも、どうしても話を聞いてほしいの』
『メッセージでもいいし、電話でもいい。できれば直接会いたいです。返事をして』

 必死にメッセージを送って、既読マークがつかないって分かってからは勇気を出して電話もしてみた。だけどどれにも沙那は反応してくれなかった。
 そのまま、夜が明けた。
 私はもう、今日のお昼には消えてしまうのに。

「どうしたら……」

 やっぱり直接会いに行くしかない。もう朝の登校時間に捕まえるしかないだろう。
 でも、捕まえることができても、そこからどうやって話を聞いてもらったらいいんだろう。

「沙那、どうして……」

 うめくような声が漏れる。
 その時、私はふと、思った。

「……どうして?」

 ――どうして沙那は、こんなに私に怒っているんだろう?
 それは、私が高部君を好きになったからだろう、と心の中の誰かが答える。いつもはそこで終わっていた。
 だけど、終わりにき立てられている私は、さらに踏み込んだ問いを呟く。
 ――なんで沙那は、そんなことをあの時、急に思ったんだろう?
 急ではなかったのかもしれない。沙那の心の中に少しずつ降り積もっていた感情に私が気付いていなかっただけで、それがあの瞬間に爆発してしまっただけなのかもしれない。
 だけど。だけど私は、沙那がそう思うに至った理由を知らない。聴いて、いない。
 なんで沙那があの時あんなに怒ったのか、そして今も同じだけの怒りを向け続けているのか、その理由を、私は全然知らない。
 モヤッ、と。
 また私の胸の中で、モヤモヤが大きくなった。

「どうして」

 沙那が、大好きだった。その沙那が、目の前であんな勢いで怒った。その怒りはぐに私に向いていた。
 だから私は、無条件に私が悪いんだって思った。だから謝りたかった。ずっとずっとそう思い続けてきて、でも勇気がなくて、いつ言おう、今日は言えない、また言えなかったっていう堂々巡りを、ずっと繰り返してきた。
 でも、それって。
 私が『好き』っていう感情を深く見つめようとしなかったのと一緒で。
 ……私、は。
 また、見ているつもりで、見ないフリをしてきたんじゃ、ないかな?
 このモヤモヤは、きっと、そんな私の胸の中で成長してしまった……

「……っ」

 怒り、だ。
 私はギリッと歯を食いしばると、スマホも手に取らないまま一直線に玄関に向かった。放り出してあったローファーに足を突っ込んで、目を閉じて沙那の家の玄関前を思い浮かべる。慣れた場所を思い浮かべた方がやっぱり移動がしやすいのか、昨日沙那の学校に移動した時よりもずっと早く周囲の空気が変わった。
 ガチャッ、と、すぐ近くで重たい扉が開く音がする。目を開けると、いつだって心の底からうらやましかった黒髪をなびかせて沙那が玄関から出てきたところだった。
 いつだって前だけを見つめていた沙那は、うつむきがちに外に出てきた。だからすぐかたわらに私がいることにも気付かない。

「沙那」

 私はそんな沙那にぐに声を掛けた。はじかれたように顔を上げた沙那がサッと顔中に怒りを広げる。
 だけど今日の私は、置いていかれたりなんかしない。
 ううん、今日は逆。
 沙那を待ってなんか、あげないっ‼
 私は勢いよく沙那との間を詰めるとまずは逃げられないように沙那の腕を掴んだ。キッと私をにらんだ沙那が昨日と同じように私の腕を払い落とそうとする。
 だけど私はそれを沙那に許さなかった。
 バシッ‼ と鈍い音が響いて、沙那の髪が揺れる。一度力に従って首を振った沙那は、すぐに『何が起きたのか分からない』って顔で私を見上げてきた。

「沙那、久しぶり」

 私は沙那のほっぺを引っぱたいた手をそのままに、沙那をぐにえて口を開いた。喉をすり抜けてくる声は自分でも『え? こんなに低い声出せた?』って思うくらいに低い。

「久しぶりで悪いけど、私、すごく怒ってる」

 そんな私に沙那が大きく目を見開いた。私自身がビックリしてるくらいだもん。沙那だって私がこんなに怒ってるところは見たことがないんだろう。

「だって、謝りたくても、何に謝ればいいのか分かんないんだもん……っ‼」

 私は見た目もえなくて、どんくさくて、ドジだったけど、力だけは沙那よりあった。その馬鹿力を見込まれて、ブラスバンド部時代、体格がいい男の子に混じって重低音金管楽器を演奏していたくらいには。

「ちゃんと説明してよ沙那っ‼ ちゃんと言ってくれたら謝れるからっ‼」

 グッと沙那の腕を掴む手に力を込めると沙那は少し眉をしかめた。私が馬鹿力のまま握っているから痛いのかもしれない。

「沙那、私にあの時『サイテー』って言った! でも、沙那だっていい勝負だよっ‼ あんなの、ただの八つ当たりじゃんっ‼」

 でももう、逃がさない。逃がしてあげない。

「私の何がダメだったのか、私は沙那に謝りたいっ‼ だから、まずは沙那がきちんと説明してよっ‼ きちんと怒ってよっ‼」

 その覚悟とともに、私は沙那と出会ってから初めて、自分から沙那に喧嘩を吹っかけた。


【-20】

「な……なんなの、こんな……。待ち伏せして、いきなり引っぱたくなんて……」

 ぐ言葉をぶつけた私は、俯くことなくただひたすらぐ沙那を見つめている。そんな私の視線を受けた沙那は、しばらく視線をユラユラとさまよわせると力なく顔を背けた。
 いつもとは逆。なんだか、私の方が沙那より強いみたい。

「DV彼氏みたいなマネして……お、大きな声出して、人呼ぶから……っ‼」
「させない」

 私はギリッと沙那を掴む手に力を込め直した。同時に、記憶の中にある思い出の場所を思い浮かべる。
 ユラリ、と、また周囲の空気が変わった。そのことに気付いた沙那がハッと顔を上げて、次いで大きく目を見開く。

「……え」
「ここなら、大きな声出しても、聞かれない」

 私達二人が立っていたのは、昔二人でやってきては秘密の話をしていた大きな川にかかる大きな橋の下だった。遊歩道が整備された河川敷はひとがなくて、ひっきりなしに車が行き来する橋の下は車の音にかき消されて多少の声は周囲に届かない。中学から私達が住んでいたマンションに帰るまでの通学路の近くにある場所で、私と沙那は学校帰りによくここに寄っては誰にも聞かれたくない話ばかりしていた。
 ――この瞬間移動みたいな力、相手を巻き込んで使えたんだ……
 自分でやっといて、自分の行動に驚いていた。同時に『確かにこれDV彼氏がいかにもやりそうな行動だよね』なんて思う。

「や……な、なんで? 私、さっきまで、家の前に……」

 だけど、そんなことは何もかも後。
 今は、そんなことイチミリだって考えてる場合じゃない。

「沙那、聴いて」

 私は沙那の手を離すと両手をそっと沙那の両肩に置いた。普通ならあり得ない現象に巻き込まれたせいなのか、沙那は私に怒りを向けることも忘れてビクッと肩をね上げる。

「高部君のこと」

 沙那の目が、初めて怒り以外の感情と一緒に私に向けられた。

「私、確かに高部君のこと、好きだったと思う。だけどそれは、沙那がいたからこそだったの」

 恐怖。
 沙那の視線を染めていたのは、圧倒的な恐怖だった。こんな場所に瞬間移動みたいに連れてこられたこと。いきなり私が沙那に対してキレたこと。沙那のほっぺを全力で引っぱたいたこと。そのどれに沙那が恐怖しているのかは分からない。
 だけど、沙那が私に怯えてるってことだけは確かだった。そのことにチクリと心が痛む。
 話を聴いてもらいたかった。沙那に対して怒ってもいた。
 だけどこんな風に怯えさせたかったわけでもなければ、痛い思いをさせたかったわけでもないのに……

「沙那と一緒に笑ってる高部君が好きだったの。あの時の私は、『好き』は『好き』しかないって思ってた。『好き』に種類があるなんて知らなかったの。沙那に向ける『好き』と高部君に向ける『好き』が違うってこと、気付いてなかったの」

 私は必死に言葉をつむいだ。沙那を怖がらせてることに対する悲しみも、その恐怖を利用して沙那に話を聞かせようとしている罪悪感もみ込んで。
 だって、この瞬間をのがしたら、もう言えないかもしれない。
 そんな恐怖が、私のことを突き動かす。


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