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第26恐怖「井戸に吊るす」

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Sさんの村には珍しい風習があった。
 それは十二歳になる村人の誕生日前夜に行われる。といってもたいていは午前零時以降に行われるため、日付的には当日であることが多い。

 その内容はずいぶん過酷だ。
 十二の誕生日を迎える者は、夜中、すまき状態(すだれの上から縄で体をぐるぐるに巻かれる)で井戸の中に吊るされ、そのまま夜明けまでを過ごさなければならないのだ。
 深夜の井戸という恐怖、吊るされている不安、時間的苦痛、暴走する嫌な想像。それらに耐えて無事に夜明けを迎えると、朝と昼には大変なご馳走がふるまわれる。と、そのようなものらしい。

 ご馳走までがお決まりの段取りだが、夜は西洋的なパーティが開かれる家もあり、そうすると、なかなか奇天烈な一日となる。

 Sさん曰く、そのようなしきたりがどのように始まったのか、由来はわからないとのことだった。起源や本来の意味を理解して行っている家もあるのかもしれないが、多くは、ただたんに通過儀礼としてみている。つまり、たくましい大人になるための試練というわけだ。

「そんな辛い目にあったなら、終わったあとのご飯が格別に美味しいし、生きていることに心から感謝して日々を送れるでしょう?」

 Sさんの祖母はそう言うものの、Sさんは十二歳を迎えるのが嫌で嫌で仕方なかったという。
 しかも、恐ろしいのはその過酷なやり方だけではない。しきたりにまつわる具体的な言い伝えこそ不明だが、怖い噂話なら腐るほどあるらしいのだ。その多くは、生贄にまつわるのではないかという発想だ。

 また、怪談話も尽きない。
 やれ井戸の水がせり上がってくる、何者かに足を掴まれる、壁に見知らぬ顔が浮き出る、妖怪が味見にくる、などと。

 さらに、多くはないものの、事故の実例だってある。
 いじわるな同級生が縄をいじったせいで、少女が井戸に落ちて大怪我を負ったり、あるいは、あまりの恐怖ゆえ精神に傷を負ったり。

 今でこそ問題視されて、伝統的な家の者が三十分だけ行う程度になっているらしいが、Sさんの時代にはどこの家でもまだまだ厳しさが残っていた。
 その日が迫ってくると、Sさんは憂鬱で仕方なく、いっそのこと、わざと事故を起こして問題に挙げさせようか、あるいは家出してどこかまともな土地に移住しようか、などと考えたらしい。
 が、結局、勇気が湧かなかった。Sさんは震えながら当日を迎えた。

 季節は秋で、時刻は午前一時だった。
 気温が低いため、Sさんはすだれの代わりに暖かい毛布を巻かれた。安全のためハーネスのような具合に縄で縛られ、準備が整うと、悪魔の口にも思える陰鬱な穴へずるずる下ろされた。その宙ぶらりんで、つなもとが固定される。
 井戸の上には小さなライトが紐で括られ、心もとない灯りが内部をぼんやりと浮かびあがらせる。それはそれで不気味だった。

 両親は三十分ごとに様子を見にくると言って、励ましの言葉をかけてから家に戻っていった。両親の前では強がったものの、その姿が見えなくなると、心細くてさっそく泣きそうになった。

 ふと、灯りがゆらめいた。ライトを括ったロープにあそびがあるのだ。強い風が吹くと、ライトがあおられて一瞬だけ闇に包まれる。ゆらりゆらりと灯りが戻れば、不意に、でこぼこした壁の表面が顔に見えてひやっとする。ただの壁だと言い聞かせるようにあえて凝視してみれば、そこに何やらモゴモゴと蠢く虫を発見してしまう。いや、虫というのも見間違いで、たんたる土くれかもしれない……
 いや、動いた! やはり虫がいる……! 
 と、不穏と不安のサイクルは止まらない。

 そんなこんなで、当たり前だが一向に落ち着けず、恐怖と闘いながら、早く三十分経ってくれと願い続けた。

 しばらくして、さすがにもう三十分は経ったはずだと思い始めた。しかし、両親は来なかった。嫌な予感がどんどん膨れ上がっていった。もしかして両親は自分のことなど忘れて寝てしまったのではないか。

 いっそのこと、自分も寝てしまおうと思った。だがなかなか眠気がやってこない。体を縛りつけている縄はさほど苦しくはないのだが、だんだん節々が痛んでくるのだ。

 一時間は経過しただろうというときだった。
 不意に、ライトが点滅をはじめ、強い風が吹くのと同時に灯りが消えた。一瞬にして、闇におおわれる。おもわず悲鳴が漏れた。
 電池切れだろうか……いや、電源を引いてるはず……一体なんで!

 Sさんはついに泣き出してしまい、両親へ届くよう大声で助けを求めた。
 しかし、両親はやってこない。耳をすませると、きーんと耳鳴りがやかましく、ほかには、痛ましいほどの心臓の叫び以外に何も聞こえない。鳥でもいい風でもいい虫でもいいから、一人にしないでくれ! Sさんはなかば半狂乱で泣き喚いた。

 そのとき、ふわりと橙色の灯りが井戸内部を照らした。たゆたっている。蝋燭の灯りだ。
 両親……いや、祖母が来てくれたのだ! Sさんは頭上を見上げた。

 と、知らぬ女の顔があった。

 ガクンと脳を揺さぶられるような驚愕と同時に、全身が総毛立った。思考は停止する。
 理解できたのは、ただ、井戸のふちに手をかけて、見知らぬ女がこちらを覗いているという事実のみ。

 ややあって動き出した思考は、恐怖や不安とは裏腹に、必死に良いことを探り始めた。
 もしかして、近所の人が助けに来てくれたのだろうか? 
 が、そんなことを考えれば考えるほど、なぜか恐怖が肥大する。本能が訴えているのだ。そうではない、危険だ、逃げろ、と。

 もちろん、Sさんは身動きがとれず、逃げようがない。
 視線を外せずにいると、おもむろに、女が井戸の中へ腕を伸ばした。異常なほど白い腕だった。

 ア……

 女はなにやら低い声をもらした。

 アア……アア…… 

 白い腕はSさんまで届かない。が、女のうめきが笑い声に変わった。

 アハハ、アハハ!

 そして、女は縄をぐいと力強く掴んで、揺らし始めた。

 アハハ、アハハ、アハハ!

 Sさんはたまらず、ふたたび大声で両親に助けを呼びかけた。
 おとーさん、おかーさん、たすけて!
 そのときだった。パッと、ライトの眩しい光が闇を追いやった。

「大丈夫か?」

 Sさんの父親が井戸を覗き込んで言った。
 Sさんは止まらぬ涙を必死に堪えながら訴えた。

 「女がいる! 知らない女が、おとうさんの隣にいる!」

 その夜、Sさんの精神状態をかんがみて、儀礼は中断されたという。
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