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第18恐怖「内見にて」
しおりを挟む引越し先の部屋を選ぶ時は慎重になったほうがいい、なんて当たり前の話だが、何にどれくらい慎重になるのかは人それぞれだと思う。
私は、その基準が大きく変わることとなった恐ろしい体験をしたことがある。
二十代の頃の話だ。
当時、高校からの友人と都内でルームシェアをしていたのだが、友人に彼女ができたため、私はそこを離れて一人暮らしを始めることにした。
不動産屋に勤める知り合いのYに連絡し、契約を手伝ってもらうよう頼んだ。余計な手間を省くため、物件はこちらがネットで探し、内見から契約までを協力してもらう形だ。
部屋探しのこだわりはそれほど多くないつもりだった。なるべく広く、なるべく明るく、なるべく安く。それくらいだ。が、意外とこれが大変である。
なかなか苦労したが、とある物件に目が止まった。
3DKで家賃五万円。風呂トイレ別。角部屋で南向き。閑静な住宅街。
なぜこんなに安いのだろうと思ってみれば、築年数五十年の、二部屋は和室。駅からも遠い。典型的なおんぼろアパートのようだ。
私が惹かれたのは広さと部屋の数、そして安さだった。それを思うと、ほかの欠点は補って余りある。十分思案し、とりあえず内見をしてみることに決めた。
さっそくYに連絡し、内見の日程を調整する。こちらは予定を合わせることが可能だったので、Yの予定次第だった。
確認待ちをしているなか、それとは別に、Yから妙な連絡がきた。
「この物件はやめたほうがいいかも」
そう言うのだ。
なぜかと聞くと、直感だという。どうやら、その部屋の内見をする人は多いらしいのだが、なかなか契約までが決まらず、ずいぶん長い間空き部屋らしい。そういうところは、たいてい何か問題があるとのこと。
ひとまず内見をするぶんにはいいだろうということで、私はそのまま話を進め、後日、日程が決まった。
内見当日、夕方のことだ。
私は車の免許を持っていなかったので、電車を利用した。しかし、それが仇となった。人身事故で電車が遅延したのだ。
すぐさま、遅れる旨をYに連絡した。
「全然問題ない」と連絡が返ってきた。
そんなこともあろうかと、Yはこの内見を、この日の最後の仕事に当てているらしかった。
やっと電車がまともに動き出したとき、予定より三十分も遅れていた。ちょうどそのタイミングで、何やら、Yから変なメッセージが届いた。
「やばい」
と、それだけがきたのだ。
「どうした?」
と私は返した。
それから数分後、「だめだ、ここ」ときた。
「えぇ~」と落胆するようなメッセージを打ってから、「もう中に入ってるの?」と私は入力した。送信しようとしたその瞬間、さきに、Yからのメッセージが再びきた。
「ちゅうし」
たった一言、ひらがなで、そう送られてきた。
「え、なんで? なんかあった?」
と私は返した。が、それから返信がないまま十数分が過ぎ、物件の最寄り駅に到着してしまった。
駅に降り立ってから、すぐ電話した。
しかしYは出ない。
それから何度か電話をかけ、メッセージも入れる。「もう向かってるぞ」と。
徒歩で物件まで向かうつもりだったが、タクシーを拾った。駅から十分もかからずに物件に到着した。その間も、連絡は返ってきていない。
タクシーから降りて、物件を見上げる。
外観は悪くない。昔馴染みの二階建てのアパートで、確かに古い感じはあるが、しかし管理がしっかりしているのだろう。おんぼろという雰囲気でもない。
辺りを見渡してみる。込み入った狭い道が奥に続いているものの、引越し業者がここまで来るのは、比較的楽だろう。車を横付けするスペースもある。
と、まさにそのスペースに停めてある一台の車が目についた。
もしかして、不動産屋で使っている車ではないだろうか。
中には誰も乗っていなかった。が、助手席には書類の束が崩れかけていて、明らかに不動産関連だろうというものも見える。やはりYが乗ってきた車にちがいない。
であれば、Yはどこへ行ったのか。近くのコンビニでも行ったのだろうか。徒歩圏内に一軒あるはずだ。それとも、やはり部屋の中にいるのか……。
そのとき、ポケットに入れていた携帯電話の着信が鳴った。Yからだ。
一安心して電話に応じる。開口一番、「どこにいるんだよ」と私は言った。
すると私の声が電話の向こうで反響した。スピーカーになっているのだろうか。
Yは返事をしなかった。何度か呼びかけたが、ノイズがのっていたため、もしかしたら電波が悪いのかもと思い、ため息をつきながら電話を切った。
こちらから掛け直してみよう──Yの番号へ電話をかける。しばらく呼び出し音が鳴ったあとに繋がった。と思いきや、すぐにブツっと切れてしまった。
「なんなんだよ……」
私は苛立ちながらも、ひとまず内見予定の部屋へ向かうことにした。
部屋は一階の一番奥だ。私はもう一度電話をかけながら、苔むしたブロック塀に沿って、奥へと踏み入った。
部屋の前まで来たとき、玄関扉がわずかに開いていることに気づいた。
やっぱり、Yは中にいるにちがいない。電話を切ろうと思ったそのとき、またブツっとむこうから切られた。一体、なんだというのか。
そっと扉を開き、部屋の中を覗く。すぐ左手にキッチンがあり、広いダイニングの三方にそれぞれ部屋の戸があった。Yの姿は見えない。
玄関には、場違いな綺麗なスリッパが一つ用意されていた。Yが準備したものだろうか。私はスリッパに履き替えて玄関をあがると、まずは洋室の入り口を開けた。
Yはいない。埃の匂いとフローリングの匂いが鼻をくすぐる。奥にはベランダがあった。
次に四畳半の和室を開けた。Yはいない。古い畳の匂いが充満している。奥に窓があった。
最後に、六畳の和室を開けた。Yはいない。同じく、むっとした畳の匂い。広そうな押し入れがあった。
私はいよいよ腹が立ってきた。戸締りもせず、車も放っておいて、Yはどこへ行ったのか。舌打ちをして、もう一度電話をかけてみる。
呼び出し音が鳴っている間、私はそこらをうろうろして観察した。ここに住むことになるかもしれないわけだし、色々と見ておきたかった。
トイレを覗く。おもいのほか狭いが、綺麗だ。あらためてキッチンを見る。見た目は悪いものの、広さは申し分ない。
洗濯室やバスルームはどうだろうか。
バスルームの前まできたとき、何か妙な音がすることに気づいて立ち止まった。耳をすます。
携帯電話のバイブレーションだ。
ハッとした。Yの携帯電話が、戸の向こう、風呂場にあるらしいのだ。
途端、私は強い緊張を覚えた。
不自然だ。なぜそんなところに。
そのとき、呼び出し音が止み、ブツっと電話が切れた。
私は得体の知れぬ恐怖を感じながらも、それをおしのけて、おもいきって戸を開けた。
Yが、倒れていた。
その横には携帯電話が転がっている。
「おい、大丈夫か」と私はYのそばにしゃがみこんだ。息はしている。気を失っているようだ。なぜ、こんなところで。
ふと強い気配を感じた。背中に強烈な悪寒が走る。まるで包丁を突き立てられたかのようだ。
とっさに、目の前にあった鏡を見て、背後を確認した。
心臓が止まるかと思った。
私の背後に、誰かいる。女の子だ。しかも、普通の子ではない。体が、まるで雑巾を絞ったかのように、ねじれているのだ。
うわあっと悲鳴をあげ、振り返った。誰もいない。私は慌てて戸を閉め、それからシャワーを手に取った。目を覚ませるため、Yに水をかけようとしたのだ。が、あたりまえだが、水は出ない。
ふたたび戸を見ると、その曇りガラスの向こうに人影が見える。さきほどの女の子よりも大きく、倍くらいある。
パニックになった私は、両手で戸を抑え、その何者かが入ってこられないようにした。
影は、ガタガタと戸を揺らし、そして、「何をしてるんだ!」と大声をあげた。
一瞬、思考が停止した。すぐに私は理解した。
人間だ。隣の人かもしれない。
戸を開けると、そこに立っているは初老のおじさんだった。
結果的にいうと、それは大家さんだった。
私は安堵で、ほとんど泣き出しそうだった。
その後、Yは目を覚まし、私たちは大家さんの住む一軒家にお邪魔した。そして、まずはYから、ことの顛末を話した。
どうやらYは、部屋に入ってすぐ、明らかに何かいるような気がしたらしい。不審な物音を耳にしたり、影を見たり、気配を感じたり。それで怖くなって風呂場に逃げ込んだ末、私が見たのと同じ女の子の姿を直接目にし、それで気を失ったらしい。
私に送ったメッセージの内容も納得だ。
続いて私がこの物件に到着してからの話をした。その内容を聞いて、Yは、俺は電話に一度も出ていないしかけてもないと、しきりに怯えた。やっぱりそうかと私は思った。
大家さんは私たちの話を聞いたあとで、ぽつりと、「やっぱりダメだったか」と呟いた。
というのも、私の内見が決まってすぐ、お祓いを行ったらしいのだ。
あの部屋は元々、事故物件でもなんでもないのだが、空き家だった期間に、いつの間にやら、私たちが見た女の子の霊が出るようになったという。最初、大家さんは客から聞かされたその話を信じなかったが、内見にくる客がいつも「嫌な感じがする」と言うので、信じるほかなかった。それで今回は、お祓いを行ったのだが、それでもダメだった、と、そういうことだという。
一連の騒ぎによって、その部屋はネットで検索しても出てこなくなった。今頃、開かずの間になっていることだろう。
私はその後、多少狭いし、多少お高いが、新しくて綺麗な物件に住み始めた。
もう二度と、空き家の期間が長いところは選ばないだろう。
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