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第1恐怖「揺れる人」
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仕事で東京におとずれた時の、帰りの話。
平日の十五時くらいだった思う。私はとある路線のホームで、ベンチに座って電車を待っていた。電車が入る線路は正面のみで、私の背中側は壁だった。人は少なく、ベンチには私のほかに女性が一人、眠たげに俯いていた。
電車が来るまでまだ時間があった。私はバッグから読みかけの小説を取り出し、読書を始めた。
が、なんだか本に集中できなかった。文章が頭に入ってこなくて、何度も同じところを読んでしまった。おもいのほか仕事で疲れてしまったのか。一旦本から顔を外して、深く呼吸する。
と、そのとき、奇妙な動きをした人物の姿が目に入った。
紺色のスーツを着た男で、黄色い線を越えてホームのきわに立ち、ゆらゆらと前後に体を揺らしている。
酔っ払いだろうか。いや、こんな時間帯に会社勤めの男が酒を飲むだろうか。それとも仕事をクビにでもなって、自暴自棄になって酒を飲んでいるのか。あるいはそのまま線路に飛び込もうとしているのかもしれない。
そう考えてみると、確かに男の様子はただの酔っ払いとは言い難い。どちらかというと、薬を過剰摂取してラリっているように見える。
とにかく、その後ろ姿を見ていると、無性に不安になった。ふらりとホームの下へ落ちかねない。
周りの人は男に気づいているのだろうか。ふと気になり、ホームを見渡した。
どきりとした。
少々離れたところで、同じようにホームのきわに立ち、前後に揺れている別の人を見つけた。ブラウンのスーツを着ていて、正面の男よりも年配の雰囲気だ。
紺色のスーツの男と、ブラウンのスーツの男とを見比べる。距離が離れているし、二人に関係があるとは思い難い。一緒に酒を飲んで酔っ払っているのだとも思えない。なんにせよ、こんなに動きが一致するなんて、そんなおかしなことがあるだろうか。
と、同じベンチに座っていた女性が、ガクンと頭を垂れた。
不意のことで、私の心臓は跳ね上がった。女性はゆっくりと頭を元の位置に戻した。よほど眠いのだろう。
が、女性はまたガクンと頭を垂れた。そしてまたゆっくりと位置を戻し、そこからガクンと頭を垂らす。
得体の知れぬ嫌な感じがした。手汗がにじむ。
私が横目でその姿を観察しているうち、いつの間にか、ホームのきわに立って揺れる人の姿が増えていた。五、六人はいる。
嫌な感じは募るばかりで、私はベンチから立ち上がった。
すると女性も立ち上がり、ふらふらとホームのきわへ近づいていった。そして、揺れる人の中にくわわった。
私は慌てて階段を上がり、その路線から立ち去った。
駅構内では、まともな人々が、まともに、それぞれの路線を目指して歩いていた。
その光景に胸を撫で下ろす。
さきほどの現象はなんだったのだろう。白昼夢という可能性は否定できない。いくらか頭がぼんやりしていたし、読んでいた小説の世界観が影響したのかもしれない。
考えているうち、さっきまでの体験の現実感が薄れていった。
電車が到着する時間近くになって、私はふたたびホームへ下りた。
少々緊張しながらホームを見渡すと、異様な動きをする人々の姿は消えていた。同じベンチに座っていたあの女性の姿も見当たらない。ホームには、階段を上がった先と同じように、まともな人々がまともな態度で電車を待っていた。
何事もなく乗るべき電車がやってきた。
私はそこへ乗り込むと、いくらか空いていた座席の一つに深くもたれた。アナウンスが流れ、電車がゆっくりと動き出す。
目を閉じ、深い息をつく。やはり疲れている。都心から外れているとはいえ、慣れぬ都内での仕事に、神経がおかしくなっていた気がする。
そのときだ。
ゴンッ
と、頭の後ろに衝撃が走った。
驚いて目を開き、振り返ると、異様な光景が広がっていた。
虚な目をした人々が、窓のすぐ向こう側からこちらを覗き込んでいるのだ。そして、ゆらりと頭を振り──
ゴンッ
窓に頭を叩きつける。
「うわあっ」
悲鳴をあげたそのとき、車内の電気が消えた。同時にブレーキがかかり、電車が停止する。一瞬にして、車内がざわついた。
私はあまりの恐怖に、身を屈めて息をとめた。
すぐに明かりが点灯したので、私はふたたび窓の外を確認した。
頭を打ちつける人々は、跡形もなく消えていた。
そして、車体に異常があったとして、詫びの車内アナウンスが流れ、少し間があってから、電車は発進した。
私は目にした光景が信じられなくて、隣にいた若者に声をかけた。
「さっきの、見ましたか?」
若者はぽかんとするばかりで、まともに話を聞いてくれなかった。
ほかの人々も、とくに何かを目にしたという様子はないように見受けられた。
それ以来、仕事で電車を使う時は、ホームで体を揺らす人がいないか注意している。
もしいたら、すぐさまその路線を使うのはやめ、別の手段を検討しようと思っている。
平日の十五時くらいだった思う。私はとある路線のホームで、ベンチに座って電車を待っていた。電車が入る線路は正面のみで、私の背中側は壁だった。人は少なく、ベンチには私のほかに女性が一人、眠たげに俯いていた。
電車が来るまでまだ時間があった。私はバッグから読みかけの小説を取り出し、読書を始めた。
が、なんだか本に集中できなかった。文章が頭に入ってこなくて、何度も同じところを読んでしまった。おもいのほか仕事で疲れてしまったのか。一旦本から顔を外して、深く呼吸する。
と、そのとき、奇妙な動きをした人物の姿が目に入った。
紺色のスーツを着た男で、黄色い線を越えてホームのきわに立ち、ゆらゆらと前後に体を揺らしている。
酔っ払いだろうか。いや、こんな時間帯に会社勤めの男が酒を飲むだろうか。それとも仕事をクビにでもなって、自暴自棄になって酒を飲んでいるのか。あるいはそのまま線路に飛び込もうとしているのかもしれない。
そう考えてみると、確かに男の様子はただの酔っ払いとは言い難い。どちらかというと、薬を過剰摂取してラリっているように見える。
とにかく、その後ろ姿を見ていると、無性に不安になった。ふらりとホームの下へ落ちかねない。
周りの人は男に気づいているのだろうか。ふと気になり、ホームを見渡した。
どきりとした。
少々離れたところで、同じようにホームのきわに立ち、前後に揺れている別の人を見つけた。ブラウンのスーツを着ていて、正面の男よりも年配の雰囲気だ。
紺色のスーツの男と、ブラウンのスーツの男とを見比べる。距離が離れているし、二人に関係があるとは思い難い。一緒に酒を飲んで酔っ払っているのだとも思えない。なんにせよ、こんなに動きが一致するなんて、そんなおかしなことがあるだろうか。
と、同じベンチに座っていた女性が、ガクンと頭を垂れた。
不意のことで、私の心臓は跳ね上がった。女性はゆっくりと頭を元の位置に戻した。よほど眠いのだろう。
が、女性はまたガクンと頭を垂れた。そしてまたゆっくりと位置を戻し、そこからガクンと頭を垂らす。
得体の知れぬ嫌な感じがした。手汗がにじむ。
私が横目でその姿を観察しているうち、いつの間にか、ホームのきわに立って揺れる人の姿が増えていた。五、六人はいる。
嫌な感じは募るばかりで、私はベンチから立ち上がった。
すると女性も立ち上がり、ふらふらとホームのきわへ近づいていった。そして、揺れる人の中にくわわった。
私は慌てて階段を上がり、その路線から立ち去った。
駅構内では、まともな人々が、まともに、それぞれの路線を目指して歩いていた。
その光景に胸を撫で下ろす。
さきほどの現象はなんだったのだろう。白昼夢という可能性は否定できない。いくらか頭がぼんやりしていたし、読んでいた小説の世界観が影響したのかもしれない。
考えているうち、さっきまでの体験の現実感が薄れていった。
電車が到着する時間近くになって、私はふたたびホームへ下りた。
少々緊張しながらホームを見渡すと、異様な動きをする人々の姿は消えていた。同じベンチに座っていたあの女性の姿も見当たらない。ホームには、階段を上がった先と同じように、まともな人々がまともな態度で電車を待っていた。
何事もなく乗るべき電車がやってきた。
私はそこへ乗り込むと、いくらか空いていた座席の一つに深くもたれた。アナウンスが流れ、電車がゆっくりと動き出す。
目を閉じ、深い息をつく。やはり疲れている。都心から外れているとはいえ、慣れぬ都内での仕事に、神経がおかしくなっていた気がする。
そのときだ。
ゴンッ
と、頭の後ろに衝撃が走った。
驚いて目を開き、振り返ると、異様な光景が広がっていた。
虚な目をした人々が、窓のすぐ向こう側からこちらを覗き込んでいるのだ。そして、ゆらりと頭を振り──
ゴンッ
窓に頭を叩きつける。
「うわあっ」
悲鳴をあげたそのとき、車内の電気が消えた。同時にブレーキがかかり、電車が停止する。一瞬にして、車内がざわついた。
私はあまりの恐怖に、身を屈めて息をとめた。
すぐに明かりが点灯したので、私はふたたび窓の外を確認した。
頭を打ちつける人々は、跡形もなく消えていた。
そして、車体に異常があったとして、詫びの車内アナウンスが流れ、少し間があってから、電車は発進した。
私は目にした光景が信じられなくて、隣にいた若者に声をかけた。
「さっきの、見ましたか?」
若者はぽかんとするばかりで、まともに話を聞いてくれなかった。
ほかの人々も、とくに何かを目にしたという様子はないように見受けられた。
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