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ひとつめの国
49.子爵
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「閣下こそ、素晴らしい観察眼ですね。自分でも何故か分からないのですが、わたしはよく男性に間違われるのですよ」
「それは……服装や言葉遣いが原因では?」
領主は何故か複雑そうな顔をして、長いこと考え込んで気遣う台詞を吐いた。その長い間から、本心からそう思っているわけでないことは明らかだ。
しかし、平民の些細な心情の変化などほぼ気にする必要がない貴族に気を使われてしまうほど、わたしは男に見えるのだろうか?
いやいや、今そんなことはどうでもいい。それよりも、この領主がどういう人物か探るのが先だ。
どうにも彼はわたしについて色々知っているように思える。
「……なんだか閣下には何もかもお見通しの様ですね」
遠回しに探るようなことができればよかったのだが、わたしにそのような対人能力はなく、結局直球で勝負するほかなかった。そもそもわたしは人生のほとんどを森で過ごしてきたわけだから、あまりにも対人経験が乏しく、そんな器用なことができるわけがないのだ。
「何でも見通せるのは君の方だろう」
しかし、領主の方も余計な探り合いをするつもりはないらしく、いきなり突っ込んだ切り返しをする。貴族は基本的に長ったらしい遠回しなやり取りを美徳とするので、平民であるわたしに合わせてくれているのかもしれない。
そして人払いしてくれたことからも、わたしの秘密を知りながらも、他の人間には隠したいように見える。
油断はできない相手だが、悪意も感じられない。
「閣下は、わたしのことをよくご存じのようですね」
「君は……」
子爵は何故か訝し気にわたしを見つめて何かを言いかけるが、なかなか続く言葉は出てこない。
もしかして何かがすれ違っていて、単純な真実を複雑にこねくり回してしまっているのだろうか?どうにもそんな気がしてならない。
「……私には今、息子と娘が一人ずついる」
領主がおもむろにまったく関係のない話をし始める。
「……?」
「だが昔、もう一人娘がいた」
「はあ……」
何故突然そんな話をし始めたのか、領主の意図が読めず、歯切れの悪い返事しかできない。領主はそんなわたしに構わず、話を続ける。
「娘は、亡くなったわけではない。……いや、ずっと亡くなったと思っていた」
「…………」
「私の娘は、困窮していた家計を助けるため、自ら奴隷になったのだ」
わたしはそこでようやく、そう言うことかと納得した。
わたしが生まれついたのは、とある田舎の領主を務める子爵家。
家族関係は非常に良好で、両親も領民のことを考えて日夜領地経営について思案に暮れるような、よき領主であった。
しかし、先代領主である祖父達の浪費癖による散財で、十分にあったはずの財産は両親の代にはほとんどなく、他貴族からも没落は目前だと陰で嗤われていた。
家計はいつでも火の車で、貴族の家に生まれたというのに、わたしは贅沢な暮らしなどしたことがなかった。
普段着は全て姉のお下がりで、もしそれが汚れたり破れたりしても、新しいものを買ってもらえるわけもなく、自分たちで染み抜きしたりつくろったりして、修繕しながら着ていた。
両親と、既に社交の場でのお披露目を終えた兄は社交のシーズンが来るたびに何着か服を新調していたが、それも最低限で、デザインも少し古い型のものを安く仕立ててもらっていた。
そして来年には姉がお披露目をする。今でもずいぶん家計が苦しいのに、姉の分の社交用の服を仕立てなければならないのだ。
「はあ……、困ったわね。もう売れるようなものもほとんど残っていないし……」
母はいつも家計簿とにらめっこしては頭を抱えていた。
「お母様、わたくし新しいドレスなんていりませんわ。お祖母様が買い込んでいたドレスを裾上げして着たら良いのですから」
姉は悩んでいる母を見たくなくて、そのように言っていたが、そのドレスさえ既にほとんど売ってしまっていて、もうろくなものは残っていなかった。
しかしそれをそのまま伝えるのはあまりにも惨めで、母は困ったように笑った。
「いいえ。来年はあなたのお披露目なのよ?多少無理をしても、新しいドレスを着せてあげるわ」
「お母様……」
「まあ、流行のデザインのものは無理だけどね?」
うふふ、と母がイタズラっぽく笑うと、姉は安心したように笑い出す。
「そんなの、着られたら何でも構いません。わたくし、服なんて興味ありませんから」
そうは言っても本当のところ、姉は洋服や綺麗なものが好きで、王都に行ったときは、すれ違った令嬢のドレスを見て羨ましそうにしている。
わたしはその時、色々な言葉を話せるようになったばかりで、話したい盛りだった。
「おかーさまも、おねーさまも、うそつき」
だから悪意なく、二人の些細な嘘を”見抜いて”しまった。
「あら、どうしてわたくし達が嘘つきなの?」
「ふふ、きっとお話しするのが楽しいのでしょう」
言葉を覚えたばかりの幼いわたしが、とにかく話したくてデタラメを言っていると思って、母も姉も微笑ましくわたしを見ていた。
しかし、わたしが続きを話し出すと、その表情は氷ついた。
「もうおばーさまのどれすは、うったからのこってないって、おかーさま、おもってる。おねーさま、ほんとははやりのどれすでおしゃれしたいし、おようふく、だいすき」
「それは……服装や言葉遣いが原因では?」
領主は何故か複雑そうな顔をして、長いこと考え込んで気遣う台詞を吐いた。その長い間から、本心からそう思っているわけでないことは明らかだ。
しかし、平民の些細な心情の変化などほぼ気にする必要がない貴族に気を使われてしまうほど、わたしは男に見えるのだろうか?
いやいや、今そんなことはどうでもいい。それよりも、この領主がどういう人物か探るのが先だ。
どうにも彼はわたしについて色々知っているように思える。
「……なんだか閣下には何もかもお見通しの様ですね」
遠回しに探るようなことができればよかったのだが、わたしにそのような対人能力はなく、結局直球で勝負するほかなかった。そもそもわたしは人生のほとんどを森で過ごしてきたわけだから、あまりにも対人経験が乏しく、そんな器用なことができるわけがないのだ。
「何でも見通せるのは君の方だろう」
しかし、領主の方も余計な探り合いをするつもりはないらしく、いきなり突っ込んだ切り返しをする。貴族は基本的に長ったらしい遠回しなやり取りを美徳とするので、平民であるわたしに合わせてくれているのかもしれない。
そして人払いしてくれたことからも、わたしの秘密を知りながらも、他の人間には隠したいように見える。
油断はできない相手だが、悪意も感じられない。
「閣下は、わたしのことをよくご存じのようですね」
「君は……」
子爵は何故か訝し気にわたしを見つめて何かを言いかけるが、なかなか続く言葉は出てこない。
もしかして何かがすれ違っていて、単純な真実を複雑にこねくり回してしまっているのだろうか?どうにもそんな気がしてならない。
「……私には今、息子と娘が一人ずついる」
領主がおもむろにまったく関係のない話をし始める。
「……?」
「だが昔、もう一人娘がいた」
「はあ……」
何故突然そんな話をし始めたのか、領主の意図が読めず、歯切れの悪い返事しかできない。領主はそんなわたしに構わず、話を続ける。
「娘は、亡くなったわけではない。……いや、ずっと亡くなったと思っていた」
「…………」
「私の娘は、困窮していた家計を助けるため、自ら奴隷になったのだ」
わたしはそこでようやく、そう言うことかと納得した。
わたしが生まれついたのは、とある田舎の領主を務める子爵家。
家族関係は非常に良好で、両親も領民のことを考えて日夜領地経営について思案に暮れるような、よき領主であった。
しかし、先代領主である祖父達の浪費癖による散財で、十分にあったはずの財産は両親の代にはほとんどなく、他貴族からも没落は目前だと陰で嗤われていた。
家計はいつでも火の車で、貴族の家に生まれたというのに、わたしは贅沢な暮らしなどしたことがなかった。
普段着は全て姉のお下がりで、もしそれが汚れたり破れたりしても、新しいものを買ってもらえるわけもなく、自分たちで染み抜きしたりつくろったりして、修繕しながら着ていた。
両親と、既に社交の場でのお披露目を終えた兄は社交のシーズンが来るたびに何着か服を新調していたが、それも最低限で、デザインも少し古い型のものを安く仕立ててもらっていた。
そして来年には姉がお披露目をする。今でもずいぶん家計が苦しいのに、姉の分の社交用の服を仕立てなければならないのだ。
「はあ……、困ったわね。もう売れるようなものもほとんど残っていないし……」
母はいつも家計簿とにらめっこしては頭を抱えていた。
「お母様、わたくし新しいドレスなんていりませんわ。お祖母様が買い込んでいたドレスを裾上げして着たら良いのですから」
姉は悩んでいる母を見たくなくて、そのように言っていたが、そのドレスさえ既にほとんど売ってしまっていて、もうろくなものは残っていなかった。
しかしそれをそのまま伝えるのはあまりにも惨めで、母は困ったように笑った。
「いいえ。来年はあなたのお披露目なのよ?多少無理をしても、新しいドレスを着せてあげるわ」
「お母様……」
「まあ、流行のデザインのものは無理だけどね?」
うふふ、と母がイタズラっぽく笑うと、姉は安心したように笑い出す。
「そんなの、着られたら何でも構いません。わたくし、服なんて興味ありませんから」
そうは言っても本当のところ、姉は洋服や綺麗なものが好きで、王都に行ったときは、すれ違った令嬢のドレスを見て羨ましそうにしている。
わたしはその時、色々な言葉を話せるようになったばかりで、話したい盛りだった。
「おかーさまも、おねーさまも、うそつき」
だから悪意なく、二人の些細な嘘を”見抜いて”しまった。
「あら、どうしてわたくし達が嘘つきなの?」
「ふふ、きっとお話しするのが楽しいのでしょう」
言葉を覚えたばかりの幼いわたしが、とにかく話したくてデタラメを言っていると思って、母も姉も微笑ましくわたしを見ていた。
しかし、わたしが続きを話し出すと、その表情は氷ついた。
「もうおばーさまのどれすは、うったからのこってないって、おかーさま、おもってる。おねーさま、ほんとははやりのどれすでおしゃれしたいし、おようふく、だいすき」
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