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プロローグ

月夜の魔物

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「いいか?自由の基本は自分で考え行動することだ」

 再び横になったエルフに向かって、自由について薬売りは意気揚々と講義を始めた。

「お前は今まで命令通りに行動してきたのだろう?まずは自分がどうしたいかを考え、理解するところからだな…。しばらくは寝てるしかないんだ。その間によく考えてみるといい」

 その張り切りようから長々と続くかに思えた講義は、あっけないほどすぐに終わった。今日はもうこれ以上教える気はないようで、薬売りは読書に戻ってしまう。

 (俺がどうしたいか……)

 エルフは言われた通り考えてみたが、結局その日は何も思いつかず、いつの間にか眠りに落ちていた。



 次の日、頭の下の温かな毛並みがモゾモゾと身じろぐ振動で、エルフは目を覚ました。

「……ん」
「ワフッ!ハッハッハッ」

 目を開けると、白銀の瞳の黒い狼がエルフの顔を覗き込んでいた。

「ッ!……魔物?」

 飛び起きて後ずさるエルフを、狼の魔物はキョトンとした顔で見つめている。

「狼、ご飯の時間だぞ」
「ワフッ!」

 薬売りの声がかかると、ご飯の一言で魔物の興味はそちらに移ってしまったらしい。エルフに背を向けると、まっすぐに薬売りへと飛びついた。

「おーよしよし。ほら、たくさん食べろ」

 薬売りは大皿の上に大量の生肉を盛って、魔物にやった。

「お前も、起きたのか。ちょうどいい。わたし達も食べよう」

 薬売りは鍋かからスープをよそうと、匙を突っ込んでエルフに差し出した。
 温かくいい香りのするスープは、細かく刻まれた肉と野菜がとろりと煮込まれている。

「消化を助ける薬草が入っている。遠慮せず食べなさい」

 呆けるエルフに無理やり椀を持たせると。自分の分をよそってさっさと食べだした。

「うん。美味いな」

 味付けに満足したように頷く薬売りを見て、エルフも匙を口に含む。

「うまい……」

 エルフはこれまで、他人に出されたものを不用意に口にしないようにと、厳しくしつけられてきた。だが、薬売りを見ていると、警戒するのがなんだか馬鹿らしくなってしまったのだ。
 薬売りには良くも悪くも嘘がない。言わなくていいことも、自分の都合の悪いことも、迷いなく口にする。
 悪人や狂人だらけの歪んだ世界で生きてきたエルフには、信じられないほど真っ直ぐなのだ。
 気づけば、エルフはスープを飲み干していた。

「まだ食べるか?」
「……ああ」

 遠慮も躊躇いもなく、素直にそう答えられたのは何故だろう。余程腹が減っていたのか、もしかすると薬売りに当てられたのか。
 結局エルフはスープを三回おかわりして、存分にその腹を満たした。

「よく食べたな。用を足す時は悪いが洞窟の外で頼む。ここじゃ臭いがこもるからな。後は倒れない程度に好きにするといい」

 空になった鍋と食器を洗って片付けると、洞窟の隅に置いていた机の前に座って、薬研で薬草を砕き始める。
 狼の魔物は、薬売りの背中に寄り添って丸まり、食休みをしている。

「……その魔物はお前が飼っているのか?」
「まあ世話をしているという意味ではそうだが、ともに暮らしていると言った方がわたし達の関係には相応しいな」
「そうか……」

 飼っていることと、ともに暮らすことの何が違うのかエルフには分からなかった。けれど何となくそのように言って貰える魔物を少し羨ましく思った。

「その魔物に名はあるのか?」
「……あるけど、この森の中では呼ばない。ここでは狼と呼んでいる」
「何故……?」
「……色々と煩わしいからだ」

 薬売りはこの森を訪れる冒険者達の間で、かなり噂になっている。その正体に迫りたいと思う者も多く、いつもともにいる狼の魔物から探ろうと考えるのはおかしなことではない。
 薬売りは森で暮らしているが、一切街に出ないわけではない。たまには人里に降りて薬草や薬を売ったり、穀物など、森では手に入らないものを買ったりしているのだ。目立たないように姿を変え、魔物のことも名前で呼ぶ。

「街でのことはできるだけ森の中に持ち込みたくない。冒険者たちにコイツの呼び名を聞かれて、そこから近づかれるかもしれないしな。だからと言って、いちいち森での呼び名を考えるのも面倒だし、狼で十分だ」

 薬売りが魔物のことを大切にしているのか、適当に扱っているのかエルフにはよく分からなくなった。

「森には狼の魔物など珍しくもないだろう。狼ではややこしくないか?」
「少しもややこしくない。わたしが狼と呼ぶのはコイツだけ。わたしが狼と呼べばそれはコイツのことだ。…呼び名が増えるほうがよっぽどややこしい」

 どこかぶすくれたように付け加えられた言葉には、うっかり呼び間違えそうだという薬売りの本音が見え隠れしていた。

「まあ確かに、狼の魔物は多くいるが。コイツの見てくれは変わっているからな。冒険者やここの住人の間では月夜の魔物とか呼ばれてるみたいだぞ」

 白銀の月を思わせる瞳。明るい月光に星を隠された夜空のような漆黒の毛並み。月夜の魔物とはよく言ったものだとエルフは思った。

「確かに変わっているが、夜闇に紛れるにはいい毛色だ。暗殺に向いている」
「……お前の頭の中は暗殺に染まっているな」

 そう言われるとエルフは黙り込むしかなかった。いままで暗殺に必要か否か。それしか考えてこなかった。そういう考え方しかおそわってこなかった。それ以外、自分には何もないのだと、そのふとした考えに思い知った。

「俺がじぶんで考えて判断できるのはそれだけだからな」
「ふーん。お前って、かなり無垢なんだな」

 思わずポツリとごちた、なんの返答も期待しない独り言のような言葉に、予想外の言葉が帰ってくる。

「無垢……?俺がか?」

 これまで暗殺者として生きてきたエルフには、あまりに似つかわしくない言葉だ。
 たくさんの人間を屠り。ターゲットを殺めるためなら、手段も選ばず。悪人だけでなく、悪人に目をつけられただけの善人も、容赦なく殺した。
 そんな血まみれの自分が、無垢と言われる日が来るとは露ほども思わなかったのだ。

「教えられたことだけしか分からなくて、狭い世界しか知らない。なんか真面目で無垢だろ?」

 薬売りの言っていることが、エルフには少しも理解出来なかった。否、他の人間からしても、よく分からない感性だろう。
 けれどそんなふうに言われて、エルフはなんだか気恥しい気持ちになった。それはエルフにとって初めての感情で、大いに戸惑い、言葉も思考もまとまらなくなる。
 そんなエルフに気付きもせず、薬売りはゴリゴリと薬研を動かし続ける。エルフはその背にほっとした。何となく、今の自分の姿を見られたくないと思ったのだ。

「……用を足して来る」
「んー」

 全く催したわけではなかったが、とにかくひとりになりたくて、早足に洞窟を出た。
 洞窟の外は、多少明るかったが、木々が空をほとんど覆い隠していて、十分薄暗いと言えた。しかし、空気は新鮮で、何度か呼吸すると少し心が落ち着く。
 ひとりになるための口実ではあったが、せっかくだし用も足していこうと、エルフは森を歩き出した。
 風にさわさわと揺れる梢。遠くに感じる強大な魔物の気配。隠れ潜む小動物の立てる、僅かな物音。暗く静かな森の中。
 エルフはそれをどこか懐かしいと思った。もうずっと昔。記憶にも残っていない故郷に、少し似ているのかもしれない。
 エルフは、急ぐことなくゆったりと地面を踏む。思えば、これほどのんびり過ごせる日など、奴隷になってから一度も無かった。ダラダラ歩いても、叱る者はなく、足を止めても叩かれない。

「これが自由……」

 それからエルフは、意味も無く立ち止まったり、急に歩く方向を変えてみたりと、思うさま歩き回った。そして迷った。
 洞窟への帰り方が分からなくなってしまい、エルフは途方に暮れた。

「はしゃいで迷子になるなど……子どもか、俺は」

 今までの自分の行動を振り返り、思わず頭を抱える。目を覚ましてからの自分はどうもおかしい。一度死んだせいで、頭がバカになってしまったのだろうか。
 薬売りといると調子が狂ってばかりだ。そこまで考えてはたと気づく。別にあの洞窟に帰る必要は無いのだと。多少不義理だが、このままどこかへ行ってしまって、そのままひとりで生きたとしても、なんの問題もない。薬売りはなんの文句も言わないだろうし、きっとすぐにエルフのことなど忘れてしまうだろう。

「バウッ!」

 ぐるぐると考えていたエルフの背後から、突然獣の鳴き声が聞こえた。
 全く気配を察知出来なかったことに、瞬時に頭が冷え、振り向き飛び退る。

「……月夜の魔物?」

 振り返るとそこには、ご機嫌そうに尻尾を揺らす月夜の魔物が立っていた。煌めく白銀の目でエルフをじっと見つめたあと、くるりと身を翻して歩き、また振り返って立ち止まる。
 まるで、着いて来いと言っているようだ。

「俺は……」

 自分がどうしたいのか、エルフはまだ悩んでいた。帰るか、別れるか。狼の魔物とじっと見つめ合う。
 しかし、魔物は不意に踵を返すと、今度は颯爽と走り出した。

「待て!」

 今度はもう待ってくれない。そう思った瞬間、エルフはとっさに走り出していた。
 本当に帰りたかったのか、それとも流されてしまっただけか。それは分からなかった。
 でもとっさに付いて行ってしまうくらい、あの洞窟に未練があるのは確かだろう。そう考えると、ぐるぐるしていた胸がいくらかすっとした。
 自由も、自分がどうしたいかも、まだよく分からない。それでも勝手に足が向く。あの魔物を見失えば後悔すると、重い体が必死に走る。
 今はまだ、それで十分。いつか未練を感じなくなるまで、あの洞窟に帰ろう。誰もそれを咎めるものはいない。

「これが自由……」

 馬鹿の一つ覚えのように繰り返す。
 凍りついたように動かなかったエルフの頬が、今わずかに緩んでいることを誰も知らない。
 エルフ本人さえも。
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