IL FALCO NERO 〜黒い隼〜

宇山遼佐

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プロローグ

黒い隼

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 アレッサンドロ海に浮かぶ、とある島。古代から続く伝統的な港町があり、ごく小規模な飛行場もある。
 島の人口は約2,000人ほど。猫はその倍以上いる。
 大昔は、敵国の侵略に対する最重要拠点であったため、それなりに栄えていたが、その敵国が衰退し、同盟を結んでからは、国家的にはあまり重要ではなくなった。しかし、飛行機乗りが現れるようになって来ると、彼らの補給拠点の一つとなり、昔ほどではないが、それなりに栄え始めた。


 しかし、飛行機乗りが集まって来る様になると、同時に問題が発生するようになった。
 例えば………

「野郎このエテ公‼︎ もっぺん言ってみやがれ‼︎」

 このように、町の酒場は、ガラの悪い飛行機乗りや空中海賊の温床となり、喧嘩が絶えなくなる。
 椅子を蹴飛ばして立ち上がったヒゲ男の怒りの矛先を向けられている小柄な男は、平然としてグラスの酒を飲みながら、男に返した。

「だから、カタギに迷惑かけてんじゃねぇよ、って言ったんだよ」

 それを聞いたヒゲ男は余計に熱り立ち、ズカズカと小柄な男に詰め寄ると、目と鼻の先まで顔を近づけ、大声で凄んだ。

「あれはあのガキがオレ様の前を断り無しに横切った挙句、オレ様のズボンを汚しやがったのが悪いんだよッ‼︎」

 詰め寄られた小柄な男は、鼻で笑うと、また酒を飲みながら、わざとらしい口調で、周りの野次馬全てに聞こえるぐらいの声量で言った。

「具体的にその子供の顔がどれくらい汚れたのか教えてくれ」

 それを聞いた野次馬は一斉に笑い出した。
 恥をかかされたヒゲ男は、もう噴火寸前、といった様子だった。
 そして、小柄な男は酒をグイッと飲み干すと、静かに立ち上がり、逆に顔を近づけた。

「ちなみに、俺も飛行機乗りだ。そしてお前も飛行機乗りだ。言いたいことは判るな?」

 これは飛行機乗り同士の決闘の申し込みのようなもので、これを言われた後に、もし相手に暴力を振るうような事をすれば、孫の代まで卑怯者として語り継がれることになる。すなわち、この爆発寸前のヒゲ男は、暴力の使用を禁じられたのである。

「やってやろうじゃねぇかよォ‼︎」

 野次馬から歓声が上がる。決闘成立である。

「もしオレ様が勝ったら、テメェは大衆の面前でオレ様に土下座して、爪先を舐めろよ?」

「判った、受け入れよう。 じゃあ、もし僕が勝ったら、お前は二度とこの島の半径50kmに立ち入るな。良いな?」

「あぁ、良いぜ」

 例えどんなに残酷だろうとも、どんなにバカバカしくとも、飲まなければならないのは、決闘のルールである。




 決闘の為に、二人は町外れにある島の飛行場へと向かった。
 道中、立会人の一人が、先ほど凄んでいたヒゲ男に、小さな声で話し掛けてきた。

「おい、アンタ、この辺来てからまだ新しい方か?」

「そうだ。最近、故郷くにの仲間とこの辺に来て、空賊稼業を始めた。ひいきにするぜ?」

「そうか、なら、〈黒い隼ファルコ・ネーロ〉のことも?」

「何だそれ?」

「だよな…知らなくて当然だよな……」

「だからどうした?」

「いや、なに、頑張れよ」

 それ以上その男は何も言わなかった。不思議なヤツだな、と、ヒゲ男はそれだけ思った。


 暫くすると、町外れの小さな飛行場に着いた。
 連絡を受けた飛行場の職員が、決闘者両名の愛機を、いつでも飛行可能な状態にして、滑走路上に出していた。
 愛機の元に駆け寄ったヒゲ男は、機首に鮫の顔を模したペイントを施した機体に手を当て、得意げな表情で小柄な男を見ながら、愛機の自慢をした。

「オレ様の愛機、『フライング・シャーク号』だ! 聞いて驚け、なんとコイツはな、漂流ドリフ物の設計図を基に造られた、〈P-40〉という正真正銘の準漂流ドリフ機なのだ‼︎」

 ヒゲ男は豪快に笑ったが、一方の小柄な男は全く気にせず、軽く身体をほぐしていた。そして、自身の愛機、真っ黒に塗装された戦闘機に額を当て、目を閉じて深呼吸した。
 そして目を開けると、主翼の付け根部分を登り、颯爽と操縦席に飛び乗った。
 それを見たヒゲ男も、笑うのを止め、操縦席に飛び乗った。
 立会人とエンジンを始動させる作業を終えると、飛行場に轟音が鳴り始め、少しすると、とてつもない音量になった。
 そして、決闘の作法に則り、はじめに受けた方、「フライング・シャーク号」が飛び立ち、その次に申し込んだ方、漆黒の戦闘機が飛び立った。すなわち、「フライング・シャーク号」が優位、漆黒の戦闘機が劣位で決闘は開始する。

 飛行場の上空をぐるぐると旋回して高度を稼ぐ「フライング・シャーク号」に対して、漆黒の戦闘機は低空を這うように飛んで、海の方へと向かった。
 それを見た「フライング・シャーク号」は漆黒の戦闘機を追いかけ、ゆっくりと巡航速度ぐらいで飛ぶ漆黒の戦闘機の上を取った。そして先手の一連射を浴びせるが、海面スレスレを飛ぶ漆黒の戦闘機には当て難く、更に見事な回避運動を見せたため、その後の射撃も全て当たらなかった。
 島の野次馬は、滅多に見られない、戦闘機同士の超低空戦にどよめき、ヤンヤヤンヤと歓声を上げた。中には、賭けをし始める者まで現れた。

「フライング・シャーク号」の操縦士がとうとう痺れを切らし、無茶を承知で、漆黒の戦闘機と同高度に機体を下げた刹那、漆黒の戦闘機は待っていたとばかりに機首を上げ、上昇し、宙返りに移った。「フライング・シャーク号」も、少し遅れてそれに続いた。
 一度目の宙返り、尚も「フライング・シャーク号」が背後を取り続ける。
 二度目の宙返り、「フライング・シャーク号」の操縦士があっと驚く事が起きた。
 二度目の宙返り終了時に、いつの間にか漆黒の戦闘機が背後を取っていたのだ。
「フライング・シャーク号」の操縦士は何が何だか判らなかった。ただただ、今は振り切ることしか頭になかった。
「フライング・シャーク号」は、右に左にブレイク機動で逃れようとするが、漆黒の戦闘機は振り解けない。何処へどう行こうとも、ピッタリとくっ付いてくる。

 完全にロックオンされたのだ。

 これから此処で一儲けしようとした矢先に、夢を抱いて故郷くにから出た矢先に、夢半ばに、死ぬのか?
 嗚呼、そうだ、あの時冷静に上を取り続けていれば。あのまま上空で待機し続けて、昇って来たところに得意の急降下攻撃を加えようとしていたのならば。状況は良かったのかもしれない。
 こんな無残な最期なのか。
 嫌だ、死にたくない。
 嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ、嫌だ‼︎

「フライング・シャーク号」は翼を上下に振った。
 決闘上これは、降参を意味する。




 飛行場に戻った二機を、野次馬の大歓声が迎えた。
 野次馬の九割九分以上は、漆黒の戦闘機の方に群がり、操縦士の小柄な男に、口々に賞賛の声を掛けた。
 対して、「フライング・シャーク号」の操縦士のヒゲ男に群がる者は少数で、そのほとんどが「よく戦った」と労いの言葉を掛けるのみだった。
 訳も判らぬまま死にかけたヒゲ男は、顔面蒼白、疲労困憊といった様子で、呆然と立ち尽くしていた。そこに、先ほど、決闘前に声を掛けてきた男がやって来た。
 ヒゲ男は「とっとと出て行く」といった趣旨のことを言おうとしたが、それよりも早く男が声を掛けた。

「アンタ、これからここで空賊稼業やるつもりなんだっけ?」

「…あぁ……そうだ……」

「それなら頑張んな。アレッサンドロの空は厳しいぜ?」

 ヒゲ男は、この陽気な男が何を言いたいのか、全く見当がつかなかった。労いか? それとも、何もないのか?
 男は続けた。

「ただ、あの黒い戦闘機、確か………〈一式戦闘機〉だったっけか? あの戦闘機を見掛けたら、例え襲撃中でも、直ぐに退散した方が良いぜ」

「何故だ?」

「あの小柄な黄色人種の男、ファルコ・ネーロ黒い隼が、この空の頂点に立つ賞金稼ぎだからさ。俺ァ、今までに、あの男に飛行機を殺られて、ローン塗れになった空賊の連中を、何人も見て来た」

 ヒゲ男の顔から、完全に血の気が引いた。その顔はまるで、将来に絶望した悲観主義者、相手の圧倒的な力を見せつけられたスポーツ選手のようだったという。

 この日以降、このヒゲ男とその仲間の姿を、アレッサンドロ海周辺で見た者はなかった。噂によると、ファルコ・ネーロにビビって、旗揚げ前に大人しく故郷くにに帰り、親の農場経営の手伝いをしているとか、していないとか……

 美しき、アレッサンドロ海。
 その上空を、今日も黒い隼ファルコ・ネーロは飛び続ける。



 to be continued……
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