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余命2年

38.シフォンケーキのような

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 従者達の礼を合図に馬車が動き出した。向かう先は王城。目的は国王との謁見だ。

 エレノアの帰還と婚姻の報告を予定している。

「晴れてきた」

「ええ。良かった」

 陽の光がエレノアとユーリの姿を照らしていく。

 今日のエレノアもドレス姿だ。浅緑色のローブに、クリーム色のペティコートを合わせている。

 ミルキーブロンドの髪は編み込んでアップスタイルに。輪郭の横に伸びる後れ毛は、軽やかでいて美しいウェーブを描いていた。

 一方のユーリはと言えば馴染みの白い軍服姿だ。

 詰襟タイプで、ブーツに至るまで白と金の糸で統一されている。勇者の在るべき姿――清廉潔白を体現する意図だ。

 かなりの重責が伴うであろうその軍服を、ユーリはわずかも臆することなく着こなしている。

(頼もしい限りね)

「何か?」

 エレノアは首を左右に振りかけて――止めた。良い機会だと、温めていた話題を口にする。

「セオ兄様に師事して『祈り』を習得なさったそうですね」

 ユーリは罰が悪そうに、それでいて何処か照れ臭そうに目を伏せた。

 甘くやわらかなシフォンケーキのような予感が膨らんでいく。

「貴方と同じ景色を見てみたくて」

『職を辞する必要はありません。俺は貴方の生き様も含めて愛する覚悟でいますから。だから……遠慮は要りません』

 あの言葉はその上で――同じ景色を見た上で紡がれた言葉だったのだろう。

「わたくしは果報者ね」

「そんなことないですよ」

「大変だったでしょう? 『祈り』を扱える勇者だなんて聞いたことがないもの」

「扱えるだなんて……自称するのも烏滸おこがましいレベルですよ」

 そうしてユーリはゆっくりと種を明かし始める。

「ポイントは魔力密度のコントロールです。俺の場合、密度を落として祈りのをしています」

「ちょっと待って。それってつまり……『勇者の光』の魔力密度を落とすと『聖光』になるということ……?」

「ビックリですよね」

 あいた口が塞がらない。両者は共に『光属性』でありながら、狭義の上では別物であると考えていたから。

「極端な話、聖者は勇者に。勇者は聖者にもなり得るということよね?」

「不可能ではないとは思いますが……少なくとも俺には難しいですね。持続力・精度の高さ共に本職の方々には遠く及びません」

 ユーリは言いながら『祈り』を発動させた。霧がかかった虹色の光が、エレノアの体を包み込んでいく。

「ありがとう」

「気休めにもなりませんが」

「いいえ。とっても嬉しい。幸せよ」

 ユーリの頬が強張る。不甲斐なく思っているのだろう。ただ終わりを待つことしか出来ない、そんな自分自身を。

「ユーリ、貴方はわたくしの心も癒したのです。これは文字通りとても凄いことなのよ」

「そんな……」

「至高の才を持つお兄様でさえ、多くの現場に立ってきたわたくしですら、両手で数えられる程度にしか達成出来ていないことなのだから」

 体の傷は癒せても、心の傷は癒せない。

 そんな苦い経験を幾度となく重ねてきた。メンタルケアは領分ではないと割り切ることも考えたが、やはりどうにも悔しくて。

「それは貴方と俺が思い合ってるから――」

「貴方は立派な癒し手よ。誰が何と言おうとも」

「エラ……」

 ユーリの口角が上がった。その笑顔は変わらず硬いままだったが、心なしか緩んだ気がしないでもない。

「……ありがとうございます」

「ふふっ、素直でよろしい」

 ひづめの音が鼓膜を揺する。心地よさに目を閉じかけるが。

「因みにですが」

 ユーリが切り出してきた。気まずさ故だろう。エレノアは咳払いで笑みを散らしつつ先を促す。

「これは師匠の発明です」

「っ! そう。だから、レイは治癒魔法を扱えるのね」

 一般的に『攻撃型』とされる勇者・騎士・武闘家・魔術師の魔力密度は高く、『支援型』とされる聖者/聖女・治癒術師・付与術師・錬金術師などの魔力密度は低いとされている。

 仮に『攻撃型』の人間に治癒魔法の適性――魔方陣を展開させるだけの力があったとしても、治療には至れない。

 魔力密度が高過ぎるが故に、治療対象者の体を傷付けてしまうのだ。

 そのため、『攻撃型』の使い手が『支援型』の魔法を扱うのは不可能とされてきた。逆もまた然りだ。

 魔力密度の調節など夢のまた夢とされていたから。

「レイったら、どうして教えてくれなかったのかしら?」

「性能的に成功とは言い難かったのと……それから、いえ……何よりも不要であると判断されたからだと思います」

「不要……?」

「実を言うとこの手法は、貴方を『賢者』ないし『勇者』にするために編み出したものなんです」

「っ! そんな……」

 幼い頃のエレノアは賢者になることを夢見ていた。

 きっかけを与えてくれたのはレイであり、挫いたのもまたレイということになってしまっている。

 運動が不得手な自分では勇者パーティーに加わることは出来ない。

 そう言って悲嘆していたエレノアをレイが励ましたのだ。「賢者になればあるいは……」と。

 エレノアは喜びはしゃいだ。そしてその直後に覚醒してしまう。戦闘行為全般を禁じられた『聖女』に。

 無論、レイに悪意はない。それだけに深い自責の念に駆られているようだったが、まさか『賢者』ないし『勇者』になり得る手法まで編み出してくれていたとは。

 エレノアの瑠璃るり色の瞳に涙が浮かぶ。人差し指でそれとなく拭いつつ深く頷いた。

「レイに感謝しなくては」

「師匠のことだ。きっと惚けるでしょうね」

「それでも」

「分かりました。応援します」

「ふふっ、ありがとう」

 照れ臭そうに顔を背ける。そんなレイの姿を想像して胸を温めた。

「その手法は秘術であったりするのかしら?」

 秘伝の技であるのだとしたら、感謝を伝える際にも用心しなければならないが――杞憂きゆうであったようだ。

「いえ、一応公表されています。ただ、あまりにも……言ってしまえば燃費が悪いので、余程のことでもない限り習得する人はいないでしょうね」

「そうかしら?」

「現に俺と師匠以外は誰も――」

「貴方とわたくしの子は?」

「は……?」

「その子が聖光を宿していたとしたら? 貴方のような立派な勇者になりたいと、励むこともあるかもしれないわ」

「させませんよ。そんなこと」

(あらあら……?)

 軽口のつもりが意外な返答が返って来た。エレノアは戸惑いながらも問いかける。

「重責を負うことになるから?」

「それもありますけど……何よりも危険なので」

「10年前の貴方を思うとつい耳を疑ってしまうわね」

ですから」

「ユーリ……」

「両親の気持ちを、同じ立場になってようやく理解することが出来ました」

 そう言ってユーリは爽やかに笑う。

 しかしながら、エレノアは――続くことが出来なかった。

(ユーリは本当に……一生涯わたくしのことを……?)

 本音を言えば嬉しい。けれど、ユーリの人生はこの先も長く続いていく。生まれてくる子も同様だ。

 真に彼らのことを思うのなら、背中を押すべきだろう。後妻を得るように。新しい家庭を築くように。それは決して罪ではないのだと。

 だが、その訴えは『疑念』に等しい。が聞き入れるのには少々困難であるように思う。

(思いは遺書にしたためます)

 しっかりと彼の背を押せるように。

(なので……せめて今だけは、愛し愛されることをお赦しください)

 神に赦しを乞う。ユーリに気付かれないようこっそりと。

「名付けはエラに一任してもいいですか?」

「いいの?」

「場合によってはセオドア様の後釜に、もっとすると教皇様になるかもしれない子ですよ? 俺にはとても」

(でも、その子は望まないかもしれない)

 父に――勇者に憧れるかもしれない。或いは別の道を志したり、『聖光』を授かることが出来ず自己否定に走ることもあるかもしれない。聖女・エレノアの子として生を受けたのにと。

(わたくしは貴方の味方よ。どんな選択をしようとも、どんな苦境に追い込まれようとも)

 共に寄り添い痛みを分かち合うことは出来ない。ならばせめて、この思いを伝えたい。

(その名に込めるとしましょう)

 エレノアは密かな企みを胸に、窓の外に目を向けた。

 王城が視界に入る。到着し次第謁見の間へ。現国王・フレデリック3世と謁見することになる。

(姿形が変わらないわたくしを見て、陛下や側近の方々はどう思われるかしら? やはり不気味に、気味悪がられてしまう……わよね?)

 10年前、醜聞に塗れていた頃のことを思い出す。臆病風に吹かれそうになるが。

「エラ? どうかしましたか?」

(ああ……問題ないわね)

 あっさりと持ち直す。愛の力は偉大だ。

「いいえ。何でもないわ」

(この出会いに改めて感謝を)

 エレノアは両手を組んで祈りを捧げた。

 ユーリの背を押す。

 の言葉をしたためる。

 そんな重たい責務から必死に目を背けるように。


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