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余命2年
35.歪なキャラメル
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「お前、今オレのことをバカにしただろう」
「そんな~、滅相もございませんわ~」
兄・セオドアのこめかみに面白いぐらいハッキリと青筋が立った。対するエレノアはまるで動じない。
これが彼らなりのコミュニケーションの在り方であるからだ。
セオドアは横柄に見えてその実は大層な照れ屋。半ば乗せるような形で交流を図るのはある種の配慮であるのだ。
エレノアはそんなセオドアの人柄を愛おしく思っている。一方で従者達は彼のことを快く思っていない。
未熟とも取れるその人柄は導き手として、神に仕える者としてあまりにも不適切であると考えているからだ。
「お兄様、よろしければお外に参りませんか」
「……別にここでも――っ!? こっ、こら! 離せっ!」
セオドアの腕を引いて歩き出す。向かう先はバルコニーだ。
ユーリとは違い、兄の腕は細くやわらかかった。
「……もういいだろ。離せ」
「つれないですわね」
解放されるなりセオドアは忌々し気に手を振った。
薔薇が香る甘やかな風が、兄妹の揃いのミルキーブロンドの髪を撫でていく。
二人の従者が窓辺に控え出した。話は聞かれてしまうだろう。ただ、視界には入らない。これだけでも大分マシになるのではないかと思う。
兄の方に目を向けると罰が悪そうに顔を逸らした。
「……お前は変わらないな」
「褒め言葉と受け取っても?」
「バカ。皮肉だ」
「まぁ? ふふっ」
和やかな時が流れていく。
エレノアは手すりに腕を置いて庭を眺めた。
馬車道を避けるようにして芝が敷かれている。薔薇はここからは見えない。花園が広がっているのは邸の東側だ。
「葬儀は俺が取り仕切る」
配慮も何もあったものではないが、それでも怒りを感じることはなかった。
最大限の厚意と受け取ることが出来たから。
「その場ですべての罪を赦すよう神に直訴してやる。だから……もう好きに生きろ」
「具体的には?」
「思う存分飲み食いをして、昼まで寝て、好きなところに好きなだけ行って、それから……そうだな、髪も切るといい。思いっきり。バッサリと」
いずれも戒律で厳しく禁止されている事柄。セオドアには一生涯赦されることのない事柄だ。
エレノアは笑顔を浮かべつつ唇を引き結ぶ。
「お気持ちはありがたいのですが、今後も神に仕える所存でございますので」
「物好きな奴だ」
「お兄様……」
「いつものことだ。奴らの顔色など気にする必要はない」
従者達がセオドアを嫌う理由。その最たるものがこれだ。
至高の才を持つ『神の愛し子』セオドア・カーライルには信仰心がない。内内では神を否定する立場を取っているのだ。
そんな彼が王都大司教で在り続ける理由。それは偏に民を守るため。守護職にやりがいを見出してのことだ。
きっかけを与えてくれたのは幼い頃に知り合った友人達を始めとした城下の人々。
会えずとも変わらず彼らのことを想っているのだろうと思う。
「とにかく後のことは俺に任せておけ」
「神はお聞き入れくださるでしょうか?」
「大丈夫だ。俺は神の愛し子らしいからな」
セオドアは口角を上げてニヒルに嗤った。エレノアは苦笑を浮かべて首を左右に振る。
「どうだ? 頼もしいことこの上ないだろう?」
「ええ」
「ならば言え。司婚役もこの兄が良いと」
「それはそれは名誉なことではございますが……」
「だ、そうだぞ?」
ニタニタと笑いながら投げかけてきた。口ぶりからして相手はエレノアではないように思う。
「っ! アルお兄様!」
振り返るとそこには三兄アルバートの姿があった。
現在31歳。顔立ちは母親似。切れ長で涼やかな目元をしている。瞳は濃紺。黒く真っ直ぐな髪を後ろで一つに結び、父やセオドア同様に白いカソックに身を包んでいる。
首からは紺色のストラと呼ばれる帯のようなものを下げているが、あれは彼が特異な立場にあることを示している。
アルバートは聖職者でありながら戦闘を許可されているのだ。
その実力は15万の魔術師を差し置いて『賢者』のライセンスをいただく程。専門は水と氷の攻撃魔法で、三大賢者一族ロベールの系譜を継ぐ唯一の賢者となっている。
加えて聖教を中心とした宗教学にも精通していることから、それらの技術・知識を活かして次兄セオドアの秘書官 兼 護衛役を務めている。
「司婚役を? 兄上が? っは、無理に決まっているでしょう」
「可能だ」
「喜びと照れの感情を御さねばならぬのですよ?」
「……問題ない」
返すセオドアの声は少々硬かった。エレノアは目を伏せ、アルバートはやれやれと肩を竦める。
「予定通り司婚役は私が担います」
「エラは俺がいいと――」
「兄上の大司教らしからぬ言動が表に出ては事ですから」
そう。セオドアが好き勝手に振る舞うのは身内や、親しい間柄の人間の前でだけ。表に立つ際にはきちんと聖職者らしい振る舞いをするのだ。
秘書官・アルバートから全面的な支援を受けながら。
そのため、セオドアはアルバートに頭が上がらない。
兄-弟、王都大司教-秘書官、要人-護衛役と立場の上では圧倒的な差があるのにもかかわらず。
「……可愛げのない奴」
「軟弱なままではお役目を果たせませんので――」
「にぃさまぁ~、おいてかないでぇ~。ぼくを一人にしないでぇ~」
「……は?」
セオドアの奇行にエレノアまでもが困惑する。
目の前の兄は小さな子供のようだ。瞳いっぱいに涙を溜めて、右手をぐっと引き伸ばしている。その先にいるのはアルバートだ。
「……何の真似ですか?」
「お前に決まっているだろう! ははははっ! どうだ、エラ! お前にも覚えがあるだろう?」
セオドアは嬉々として感想を求めてくる。
言われて初めて気付いたが、エレノアにもこの姿のアルバートには覚えがあった。
セオドアはアルバートを街歩きに連れていかなかった。足手まといと判断してのことだ。当時のアルバートはまだ7歳で、健脚でもなければ機転も利かなかったから。
(セオ兄様は無邪気だけど、いえ……無邪気だからこそ、少々酷なところがあるのよね)
エレノアは曖昧に笑って誤魔化した。するとセオドアの機嫌が一層良くなる。都合よく解釈してのことだろう。
対するアルバートはというと――ご立腹だ。こめかみに青筋を立てて、薄く広い肩をわなわなと震わせている。
「昔のお前は鬱陶しくはあったが可愛げがあった。それが今では……」
「言わせておけば――」
「っ! そうだ。エラ、楽にしろ」
「~~っ、兄上!!! 私……は……?」
不意に霧がかかった虹色の光に包まれた。これは『祈り』だ。セオドアの手によって生み出された活力がエレノアの体に流れ込んでいく。
温かくて心地がいい。けれど、エレノアの顔に笑みが浮かぶことはなかった。
「お気持ちはありがたいのですが――」
「分かっている。命に干渉出来るのは神のみ。この俺の力を以てしてもこのふざけた理を曲げることは出来ない」
「お言葉が過ぎますわ」
言葉とは裏腹にエレノアの表情が綻ぶ。
お目付け役であるアルバートでさえ苦言を呈することはなかった。眉を寄せながらも口元に笑みを浮かべている。
「礼拝終わりには必ず俺の部屋に来い。……アル、話を通しておけ」
「畏まりました」
光が静かに霧散した。体がとても軽い。
だがやはり気休めの域を出ないようだ。命の灯は依然頼りなさげに揺れている。
「週に一度は俺が。それ以外はユーリに祈らせる」
「っ! そういえば……」
「ご存知ですか? ユーリは勇者の身でありながら祈りを施すことが出来るのですよ」
アルバートが補足してくれる。加えて指導者はセオドアであるとも。
「なぜです? なぜユーリは――」
「奴に聞け」
「ええ。ぜひ聞いてあげてください。とても素敵な理由ですよ」
促されるままユーリに目を向ける。今度は二人の姉と母に囲まれているようだ。変わらず対応に追われてあくせくとしている。
(『祈り』を習得した理由……ちゃんと教えてくれるわよね?)
甘くやわらかなシフォンケーキのような予感を胸に、エレノアは小さく息をついた。
――結局、あの後もユーリと話すことは出来なかった。
ちょっとしたヤキモチを焼きながらもほっとする。自分がいなくなった後も彼は変わらず輪の中心に。笑顔の絶えない日々を送れる。そんな確信を得ることが出来たから。
「そんな~、滅相もございませんわ~」
兄・セオドアのこめかみに面白いぐらいハッキリと青筋が立った。対するエレノアはまるで動じない。
これが彼らなりのコミュニケーションの在り方であるからだ。
セオドアは横柄に見えてその実は大層な照れ屋。半ば乗せるような形で交流を図るのはある種の配慮であるのだ。
エレノアはそんなセオドアの人柄を愛おしく思っている。一方で従者達は彼のことを快く思っていない。
未熟とも取れるその人柄は導き手として、神に仕える者としてあまりにも不適切であると考えているからだ。
「お兄様、よろしければお外に参りませんか」
「……別にここでも――っ!? こっ、こら! 離せっ!」
セオドアの腕を引いて歩き出す。向かう先はバルコニーだ。
ユーリとは違い、兄の腕は細くやわらかかった。
「……もういいだろ。離せ」
「つれないですわね」
解放されるなりセオドアは忌々し気に手を振った。
薔薇が香る甘やかな風が、兄妹の揃いのミルキーブロンドの髪を撫でていく。
二人の従者が窓辺に控え出した。話は聞かれてしまうだろう。ただ、視界には入らない。これだけでも大分マシになるのではないかと思う。
兄の方に目を向けると罰が悪そうに顔を逸らした。
「……お前は変わらないな」
「褒め言葉と受け取っても?」
「バカ。皮肉だ」
「まぁ? ふふっ」
和やかな時が流れていく。
エレノアは手すりに腕を置いて庭を眺めた。
馬車道を避けるようにして芝が敷かれている。薔薇はここからは見えない。花園が広がっているのは邸の東側だ。
「葬儀は俺が取り仕切る」
配慮も何もあったものではないが、それでも怒りを感じることはなかった。
最大限の厚意と受け取ることが出来たから。
「その場ですべての罪を赦すよう神に直訴してやる。だから……もう好きに生きろ」
「具体的には?」
「思う存分飲み食いをして、昼まで寝て、好きなところに好きなだけ行って、それから……そうだな、髪も切るといい。思いっきり。バッサリと」
いずれも戒律で厳しく禁止されている事柄。セオドアには一生涯赦されることのない事柄だ。
エレノアは笑顔を浮かべつつ唇を引き結ぶ。
「お気持ちはありがたいのですが、今後も神に仕える所存でございますので」
「物好きな奴だ」
「お兄様……」
「いつものことだ。奴らの顔色など気にする必要はない」
従者達がセオドアを嫌う理由。その最たるものがこれだ。
至高の才を持つ『神の愛し子』セオドア・カーライルには信仰心がない。内内では神を否定する立場を取っているのだ。
そんな彼が王都大司教で在り続ける理由。それは偏に民を守るため。守護職にやりがいを見出してのことだ。
きっかけを与えてくれたのは幼い頃に知り合った友人達を始めとした城下の人々。
会えずとも変わらず彼らのことを想っているのだろうと思う。
「とにかく後のことは俺に任せておけ」
「神はお聞き入れくださるでしょうか?」
「大丈夫だ。俺は神の愛し子らしいからな」
セオドアは口角を上げてニヒルに嗤った。エレノアは苦笑を浮かべて首を左右に振る。
「どうだ? 頼もしいことこの上ないだろう?」
「ええ」
「ならば言え。司婚役もこの兄が良いと」
「それはそれは名誉なことではございますが……」
「だ、そうだぞ?」
ニタニタと笑いながら投げかけてきた。口ぶりからして相手はエレノアではないように思う。
「っ! アルお兄様!」
振り返るとそこには三兄アルバートの姿があった。
現在31歳。顔立ちは母親似。切れ長で涼やかな目元をしている。瞳は濃紺。黒く真っ直ぐな髪を後ろで一つに結び、父やセオドア同様に白いカソックに身を包んでいる。
首からは紺色のストラと呼ばれる帯のようなものを下げているが、あれは彼が特異な立場にあることを示している。
アルバートは聖職者でありながら戦闘を許可されているのだ。
その実力は15万の魔術師を差し置いて『賢者』のライセンスをいただく程。専門は水と氷の攻撃魔法で、三大賢者一族ロベールの系譜を継ぐ唯一の賢者となっている。
加えて聖教を中心とした宗教学にも精通していることから、それらの技術・知識を活かして次兄セオドアの秘書官 兼 護衛役を務めている。
「司婚役を? 兄上が? っは、無理に決まっているでしょう」
「可能だ」
「喜びと照れの感情を御さねばならぬのですよ?」
「……問題ない」
返すセオドアの声は少々硬かった。エレノアは目を伏せ、アルバートはやれやれと肩を竦める。
「予定通り司婚役は私が担います」
「エラは俺がいいと――」
「兄上の大司教らしからぬ言動が表に出ては事ですから」
そう。セオドアが好き勝手に振る舞うのは身内や、親しい間柄の人間の前でだけ。表に立つ際にはきちんと聖職者らしい振る舞いをするのだ。
秘書官・アルバートから全面的な支援を受けながら。
そのため、セオドアはアルバートに頭が上がらない。
兄-弟、王都大司教-秘書官、要人-護衛役と立場の上では圧倒的な差があるのにもかかわらず。
「……可愛げのない奴」
「軟弱なままではお役目を果たせませんので――」
「にぃさまぁ~、おいてかないでぇ~。ぼくを一人にしないでぇ~」
「……は?」
セオドアの奇行にエレノアまでもが困惑する。
目の前の兄は小さな子供のようだ。瞳いっぱいに涙を溜めて、右手をぐっと引き伸ばしている。その先にいるのはアルバートだ。
「……何の真似ですか?」
「お前に決まっているだろう! ははははっ! どうだ、エラ! お前にも覚えがあるだろう?」
セオドアは嬉々として感想を求めてくる。
言われて初めて気付いたが、エレノアにもこの姿のアルバートには覚えがあった。
セオドアはアルバートを街歩きに連れていかなかった。足手まといと判断してのことだ。当時のアルバートはまだ7歳で、健脚でもなければ機転も利かなかったから。
(セオ兄様は無邪気だけど、いえ……無邪気だからこそ、少々酷なところがあるのよね)
エレノアは曖昧に笑って誤魔化した。するとセオドアの機嫌が一層良くなる。都合よく解釈してのことだろう。
対するアルバートはというと――ご立腹だ。こめかみに青筋を立てて、薄く広い肩をわなわなと震わせている。
「昔のお前は鬱陶しくはあったが可愛げがあった。それが今では……」
「言わせておけば――」
「っ! そうだ。エラ、楽にしろ」
「~~っ、兄上!!! 私……は……?」
不意に霧がかかった虹色の光に包まれた。これは『祈り』だ。セオドアの手によって生み出された活力がエレノアの体に流れ込んでいく。
温かくて心地がいい。けれど、エレノアの顔に笑みが浮かぶことはなかった。
「お気持ちはありがたいのですが――」
「分かっている。命に干渉出来るのは神のみ。この俺の力を以てしてもこのふざけた理を曲げることは出来ない」
「お言葉が過ぎますわ」
言葉とは裏腹にエレノアの表情が綻ぶ。
お目付け役であるアルバートでさえ苦言を呈することはなかった。眉を寄せながらも口元に笑みを浮かべている。
「礼拝終わりには必ず俺の部屋に来い。……アル、話を通しておけ」
「畏まりました」
光が静かに霧散した。体がとても軽い。
だがやはり気休めの域を出ないようだ。命の灯は依然頼りなさげに揺れている。
「週に一度は俺が。それ以外はユーリに祈らせる」
「っ! そういえば……」
「ご存知ですか? ユーリは勇者の身でありながら祈りを施すことが出来るのですよ」
アルバートが補足してくれる。加えて指導者はセオドアであるとも。
「なぜです? なぜユーリは――」
「奴に聞け」
「ええ。ぜひ聞いてあげてください。とても素敵な理由ですよ」
促されるままユーリに目を向ける。今度は二人の姉と母に囲まれているようだ。変わらず対応に追われてあくせくとしている。
(『祈り』を習得した理由……ちゃんと教えてくれるわよね?)
甘くやわらかなシフォンケーキのような予感を胸に、エレノアは小さく息をついた。
――結局、あの後もユーリと話すことは出来なかった。
ちょっとしたヤキモチを焼きながらもほっとする。自分がいなくなった後も彼は変わらず輪の中心に。笑顔の絶えない日々を送れる。そんな確信を得ることが出来たから。
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