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エーデルシュタインの秘密

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 傷が癒えるのと日本語を話せるようになるまでに、一ヶ月の時間を費やした。
 Kは偽造パスポートを使ってドイツを出て、日本へとやってきた。空港内だからまだ外国人がいるが、目も髪も黒い者がほとんどだった。

 ここが、日本か。

 ハナムラは先に帰国していて、別の人間が迎えに来るという話になっていたが、それらしき人物は見当たらない。

 誰も来ないなら、このままどこかに行ってしまおうか。

 Kが日本にやってきたのは、父からもらった唯一の贈り物である左手用の拳銃を返してもらうためだった。人を殺すことをしか知らない自分には生きる価値などない。ドイツに居場所がないのなら、日本で朽ち果てればいいだけ。

「ごめんなさい、遅くなって……!」
 ぼんやりとしていると、見知らぬ女に腕を掴まれた。Kはすぐその手を振り解いた。
「余裕を持って早く出たはずなのに、途中で事故渋滞に巻き込まれるなんて。初対面で遅刻なんて印象最悪よね!」
「あんた、誰だ?」
 誰かと間違えているのか、それともKのことをわかってのことなのか、女はやたら早口の日本語を話した。
「やだ、自己紹介もまだだった、私はシラサカアカネ。日本での生活のサポート全般と身の回りの世話をするの。今日から一緒に住むからよろしくね!」
 黒い髪のショートヘア、黒い瞳。全体的に幼い印象を受けた。身長も一六〇センチのKとさほど変わらない。日本が初めてのKにサポート役が必要になるのは理解出来るが、見知らぬ女と一緒に住むのはどうだろう。
「あんた、何歳だよ」
「女性に年を聞くのは失礼だって知らないの?」
「そうなのか?」
「まあ子供だから仕方ないか。特別に教えてあげる、三十八よ」
 日本人は若く見られると聞いていたが、本当だった。
「それから、私のことはあんたじゃなく、お姉さんって呼びなさい」
「アネって、血の繋がりのある年上の女のことだろ」
 覚えたばかりの日本語の知識では、これが精一杯である。
「そうじゃない場合もあるの。とにかく、オバサンって呼ぶのだけはやめてね」
「オバって、父か母の姉か妹だったような……」
「そうだったわね。だったら、アカネでいいわよ」
 そう言うとアカネは笑い、右手を差し出した。
「ドイツでは握手はしないの? ハグが普通なの?」
「いや、そうじゃないけど」
 戸惑いながら出したKの右手を、アカネは力強く握った。ドイツでは初対面の相手としっかり握手するのは普通のことである。
「Kって素敵な響きよね。でも、ここは日本だから、あなたのことはケイって呼ぶわ」
「ケイ?」
「そうよ、それがあなたの名前よ」
 日本に来て、Kは「ケイ」という名前に変わった。
「ところで、荷物はまだなの?」
「荷物? そんなものはない」
「だってドイツから来たんでしょ? 着替えとか持ち物は?」
「最低限にしろと言われたから、その通りにした」
 偽造パスポートでの出入国になるため、怪しまれないように持ち物は最低限にしろと言われていた。空港まではハナムラの通訳だった女に送ってもらい、チケットは勿論のこと、諸経費も全てその女が出した。そのため、ケイは着の身着のまま(渡された服も通訳の女が揃えたもの)で日本へやってきたのだ。
「ちょっとまさか、この格好でドイツから来たっていうの!?」
 そんなにおかしな格好だろうか。通訳の女は黒いジャケットとシャツ、ジーンズという当たり障りのない服装を選んでくれたというのに。
「そうだ。アカネ、ハナムラのところに連れて行け」
「あの人は日本にいないわ。帰ってくるのは二週間後って話だったから、ふたりで迎えに行きましょうね」
「あんた、あいつの女か?」
 ケイの日本語が理解出来なかったのか、アカネはきょとんとした表情になった。
「えっと、だから、あんたがハナムラの恋人なのかって」
「やだもう子供のくせに、何言ってんの!?」
 意味を理解した途端、アカネはKの背中を遠慮なく叩いた。
「痛い、やめろよ」
「あなたが思っているような関係じゃないわ。むしろ、ハナムラさんには感謝しているの。あなたみたいな素敵な子供を預けてくれて」
 アカネは笑い、Kの頭を撫でた。まるで父がしてくれるように。
「やめろ!」
「ふふ、もっと甘えていいのに。さあ、行きましょうか」
 アカネはケイの手を取ると、軽やかに歩き出した。
「おい、なぜ手を繋ぐ?」
「ひとりにしたら、どこかに行ってしまいそうだから」
 こんな風に女性から手を握られることは無かった。愛情というよりは母性を感じた。何よりケイは母の愛を知らずに育っていたから。
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