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第4話
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「じゃあ、話を元に戻すよ。高岡篤志は厚生労働省の職員だが、薬物犯罪の捜査や正規麻薬の不正、盗難や監視を行う麻薬取締官だ。マトリってテレビドラマとかで聞いたことない? 麻薬取締官は特別司法警察職員っていう権限が与えられているから、拳銃の所持もオッケーだったりするわけよ」
「やけに詳しいな。おまえ、東大卒か? 沢木さんの後輩だったりして」
なんとなく奏に沢木が重なる。彼は東大法学部卒の元エリートだったのだから。
「いーや。ハーバード」
勉強嫌いの慎平でも、名前くらいは知っている。とてつもなく頭のよい人達が通っている、アメリカの大学だということは。
「俺って天才なの」
自らを天才と呼ぶ輩は怪しい。慎平は呆れていたが、それを知ってか知らずか、奏は話を続けた。
「高岡篤志は一ヶ月前から行方不明だ。潜入捜査中だったという話もあるが、本当のところはわからない。勇作はお嬢さんのこともあって、父親の所在をはっきりさせたかったんだろう。友人である服部のじいさまを頼った。だから第一秘書が動いてる」
佐藤がユリカの父親がらみで動いていることは理解したものの、鋭い彼のことだから、見抜かれているのかもしれない。さっき着信拒否した沢木の電話も、佐藤から連絡がいってのことだろう。
「ちゃんと報告したからさ、そろそろ説明してくれるかな?」
奏が三倍増しの笑顔を向けてきた。
「ユリカちゃんとどういう関係? 身辺調べてどうするの? ストーカーってわけじゃないよね。今は第一秘書がじいさま公認のストーカーだからね」
信号待ちで車が停車したこともあり、奏は目を輝かせながら体を寄せてきた。パーソナルスペースが狭いのだろうか。
「関わってくるから、俺も」
あからさまに離れてから、慎平は言った。
「なにが?」
「本条のじいちゃんに頼まれたから」
「なにを?」
矢継ぎ早の奏の質問になんと答えるべきかと考えるうちに、信号は青に変わった。車が動き出すと、慎平は窓から流れる景色を見つめながら思い出していた、十二年前の本条勇作との出会いを。
***
失声症。ストレスや心的外傷などによる心因性の原因から、声を発することが出来なくなった状態のことをいう。両親の惨殺現場から無傷で発見され、意識を取り戻して以来、慎平は声を発することが出来なくなっていた。毎日部屋に閉じこもり、水分も食事も寝ることもしなかった。今より子供だったこともあり、限界がくれば脱水症状や貧血になるし、自然と瞼は閉じるものの、服部や佐藤、他の誰の言葉も聞こうとせず、生きることを放棄していた。
やがて、みかねた服部が佐藤に命じ、友人だという本条勇作の元へ、日中だけ連れ出すようになった。
「死ぬのは簡単じゃないよ」
服部から聞いていたのだろう。初対面のとき、勇作は慎平にストレートに語りかけた。
「人間は、生まれたときから死ぬことが決まっている。そんなに急がなくてもいいと思うがね」
研究者と聞いていたので気難しい人間かと身構えていたが、勇作はとても優しかった。それからは朝起きて、佐藤に連れられて彼の研究室にいき、窓から空を眺めたり、本を読んだりし、夕方佐藤と共に家に戻るようになった。
なにかを手伝うわけでもない、ただ穏やかな時間が流れていくだけ。その流れに身を委ねるうちに、慎平は少しずつ自分を取り戻していった。あの時間がなければ、とっくに死んでいたと思う。
声を取り戻してからも、勇作の元に何度も顔を出したが、話らしい話はしなかった。勇作とは会話しなくても通じ合うものがあったから。やがて慎平は中学、高校へと進学。自然と交流もなくなっていく。
ところが一ヶ月前、突然呼び出された。勇作は病院のベッドの上にいた。痩せこけた身体は、命の灯火が少なくなっていることを告げていた。
「ユリカのこと、覚えているかい?」
勇作の孫娘である本条ユリカ。研究室に出入りしていた際に出会った。笑顔が眩しい少女だった。
「君達に万華鏡をみせたことがあったね。あのとき、ふたりの虹彩を読み取らせてもらった。それを私の研究室の、最後の砦にさせてもらったよ」
ユリカはともかく、どうして俺なのかと慎平は問いかけた。最後の砦という意味もわからない。
「君達になら、任せられると思ったんだよ」
声を取り戻し、勇作の元へ通わなくなってから、ユリカとは一度も会っていない。慎平は困惑した。
「研究は失敗に終わった。私の代わりに止めてほしい。老人の、最後のわがままを聞いてもらえないだろうか」
勇作は枕元に置いてあった白い封筒を慎平に差し出した。その目はいつもと違って悲しげだった。
「私の研究室を、ふたりの虹彩で開けてくれ」
「やけに詳しいな。おまえ、東大卒か? 沢木さんの後輩だったりして」
なんとなく奏に沢木が重なる。彼は東大法学部卒の元エリートだったのだから。
「いーや。ハーバード」
勉強嫌いの慎平でも、名前くらいは知っている。とてつもなく頭のよい人達が通っている、アメリカの大学だということは。
「俺って天才なの」
自らを天才と呼ぶ輩は怪しい。慎平は呆れていたが、それを知ってか知らずか、奏は話を続けた。
「高岡篤志は一ヶ月前から行方不明だ。潜入捜査中だったという話もあるが、本当のところはわからない。勇作はお嬢さんのこともあって、父親の所在をはっきりさせたかったんだろう。友人である服部のじいさまを頼った。だから第一秘書が動いてる」
佐藤がユリカの父親がらみで動いていることは理解したものの、鋭い彼のことだから、見抜かれているのかもしれない。さっき着信拒否した沢木の電話も、佐藤から連絡がいってのことだろう。
「ちゃんと報告したからさ、そろそろ説明してくれるかな?」
奏が三倍増しの笑顔を向けてきた。
「ユリカちゃんとどういう関係? 身辺調べてどうするの? ストーカーってわけじゃないよね。今は第一秘書がじいさま公認のストーカーだからね」
信号待ちで車が停車したこともあり、奏は目を輝かせながら体を寄せてきた。パーソナルスペースが狭いのだろうか。
「関わってくるから、俺も」
あからさまに離れてから、慎平は言った。
「なにが?」
「本条のじいちゃんに頼まれたから」
「なにを?」
矢継ぎ早の奏の質問になんと答えるべきかと考えるうちに、信号は青に変わった。車が動き出すと、慎平は窓から流れる景色を見つめながら思い出していた、十二年前の本条勇作との出会いを。
***
失声症。ストレスや心的外傷などによる心因性の原因から、声を発することが出来なくなった状態のことをいう。両親の惨殺現場から無傷で発見され、意識を取り戻して以来、慎平は声を発することが出来なくなっていた。毎日部屋に閉じこもり、水分も食事も寝ることもしなかった。今より子供だったこともあり、限界がくれば脱水症状や貧血になるし、自然と瞼は閉じるものの、服部や佐藤、他の誰の言葉も聞こうとせず、生きることを放棄していた。
やがて、みかねた服部が佐藤に命じ、友人だという本条勇作の元へ、日中だけ連れ出すようになった。
「死ぬのは簡単じゃないよ」
服部から聞いていたのだろう。初対面のとき、勇作は慎平にストレートに語りかけた。
「人間は、生まれたときから死ぬことが決まっている。そんなに急がなくてもいいと思うがね」
研究者と聞いていたので気難しい人間かと身構えていたが、勇作はとても優しかった。それからは朝起きて、佐藤に連れられて彼の研究室にいき、窓から空を眺めたり、本を読んだりし、夕方佐藤と共に家に戻るようになった。
なにかを手伝うわけでもない、ただ穏やかな時間が流れていくだけ。その流れに身を委ねるうちに、慎平は少しずつ自分を取り戻していった。あの時間がなければ、とっくに死んでいたと思う。
声を取り戻してからも、勇作の元に何度も顔を出したが、話らしい話はしなかった。勇作とは会話しなくても通じ合うものがあったから。やがて慎平は中学、高校へと進学。自然と交流もなくなっていく。
ところが一ヶ月前、突然呼び出された。勇作は病院のベッドの上にいた。痩せこけた身体は、命の灯火が少なくなっていることを告げていた。
「ユリカのこと、覚えているかい?」
勇作の孫娘である本条ユリカ。研究室に出入りしていた際に出会った。笑顔が眩しい少女だった。
「君達に万華鏡をみせたことがあったね。あのとき、ふたりの虹彩を読み取らせてもらった。それを私の研究室の、最後の砦にさせてもらったよ」
ユリカはともかく、どうして俺なのかと慎平は問いかけた。最後の砦という意味もわからない。
「君達になら、任せられると思ったんだよ」
声を取り戻し、勇作の元へ通わなくなってから、ユリカとは一度も会っていない。慎平は困惑した。
「研究は失敗に終わった。私の代わりに止めてほしい。老人の、最後のわがままを聞いてもらえないだろうか」
勇作は枕元に置いてあった白い封筒を慎平に差し出した。その目はいつもと違って悲しげだった。
「私の研究室を、ふたりの虹彩で開けてくれ」
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