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第1話
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十二年後、春。
本条コーポレーションの会長であった本条勇作が死去した。経営に関しては息子の本条健作に任せきりで、死ぬ間際まで研究に没頭していたと言われている。勇作が開発した企業向けの虹彩認証システムが利益の大半を生み出していたため、それに代わる新たなものとの推測もあるが、それがどういうものであったのかは不明である。
***
水原慎平は、閑静な住宅街にある小さな公園にやってきた。ここは桜の名所でもあるが、朝の空気は真冬のように冷たく、蕾もまだ固い。開花にはもう少し時間がかかるだろう。
(おじいちゃんの家の近くに、桜がいっぱいある公園があるの。今度みんなで行きましょうね。おじいちゃん、慎平に会いたがっているから)
両親との思い出の大半は、悪夢にかき消された。だが、母のその言葉と優しい笑顔だけはしっかり覚えている。「みんな」ではなく、ひとりでここに来ることになるとは、思いもしなかったけれど。
「おやおや、約束は三十分前が基本なのかな」
人気のない公園に凛とした声が響く。声の主はこんなことを話しながら近寄ってきた。
「水原慎平君は高校からエスカレーター方式で進学した二十歳の大学生。東大法学部卒で元刑事の家庭教師がついているものの、成績は芳しくない。二十歳にしては幼い印象で、万人から好かれる傾向にあるものの、女性から異性としてみられることはあまりないタイプだね。スポーツは嫌いではないが、特別なことはしていない。祖父は、総理大臣確実といわれていた服部静雄。娘夫婦の惨殺事件によって、政財界を引退する。彼が持つ権力を周囲は放っておかなかったが、利用するつもりで近づいた人間達をうまく転がして支配下に置いている。事件さえなければ、今頃日本の頂点に立って、この国のシステムごと変えていたのかもしれないね」
声の主は帽子を目深に被り、左耳にイヤホンを突っ込んだ若い男、名前は片山奏。慎平が政治家になる際の秘書候補らしく、先日顔合わせしたばかりだった。
「公園で個人情報しゃべりすぎだろ」
「他に誰もいないし、聞かれて困るような話でもないと思うけどな。あ、成績が芳しくないとかはまずかったかな?」
奏が言ったように、服部の孫であるからこそ、慎平は少しばかり窮屈な人生を送っていた。気まぐれに跡継ぎを志すといってしまった手前、仕方のないことかもしれないが。
「そんな報告はいらないんだよ。頼んだのは別の人物だろ」
慎平は奏にある人物の身辺調査を依頼していた。力試しも兼ねてのことである。
「調査能力を理解してもらおうかと思ってね。どこの誰だかわかんない奴って思ってるでしょ」
軽口を叩く奏は二十二歳。身長は慎平と変わりないから一七五センチ位だ。線の細い爽やかな好青年といった印象だが、目つきは異様に鋭い。軽い話し方はそれをカバーする意味合いもあるのだろう。
奏のことは、華麗な学歴を持つ男だということしか知らない。初めて顔を会わせたときから、ずっとこんな調子だったから。
そうこうするうちに、慎平のスマートフォンが震えた。ジーンズのポケットに入れたスマホを取り出して画面に見る。家庭教師の沢木秀一郎からだった。慎平が電話に出ないことを知っている彼は、普段SNSやメールで連絡をしてくる。だとすれば、別の誰かの依頼によって電話をしていることになる。
いや、さすがに早すぎる。何しろまだ行動を起こしていない。情報を得るため、奏と落ち合ったばかりだ。だが、慎平の脳裏にある人物なら尚更、ここで断ち切られるのは困る。
沢木に申し訳なく思いながらも、慎平はスマートフォンの電源を落とすことにした。
「あれ、イケメン家庭教師からのラブコールを無視しちゃっていいの? それとも第一秘書の方かな。坊ちゃまは男にもてるタイプだね」
ちなみに「イケメン家庭教師」とは沢木のことだが、「第一秘書」の方は服部静雄の第一秘書の佐藤一馬だった。
「おまえも男だろ」
「えー、坊ちゃまの頼みだから、大急ぎで調べてあげたのに」
「気にいらないのはわかるけど、坊ちゃまはやめろ」
「だって本当のことだし」
「バカにするのは勝手だけど、ちゃんと調べてくれたんだろうな!」
知り合ってまもない奏だから頼んだ。そうでなければ、止められるから。
「当然、それがお仕事だからね。あ、そうそう。本題の前に面白いことがわかったから、先にそっちを話していいかな」
奏はひとつ咳払いして、語り始めた。
本条コーポレーションの会長であった本条勇作が死去した。経営に関しては息子の本条健作に任せきりで、死ぬ間際まで研究に没頭していたと言われている。勇作が開発した企業向けの虹彩認証システムが利益の大半を生み出していたため、それに代わる新たなものとの推測もあるが、それがどういうものであったのかは不明である。
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水原慎平は、閑静な住宅街にある小さな公園にやってきた。ここは桜の名所でもあるが、朝の空気は真冬のように冷たく、蕾もまだ固い。開花にはもう少し時間がかかるだろう。
(おじいちゃんの家の近くに、桜がいっぱいある公園があるの。今度みんなで行きましょうね。おじいちゃん、慎平に会いたがっているから)
両親との思い出の大半は、悪夢にかき消された。だが、母のその言葉と優しい笑顔だけはしっかり覚えている。「みんな」ではなく、ひとりでここに来ることになるとは、思いもしなかったけれど。
「おやおや、約束は三十分前が基本なのかな」
人気のない公園に凛とした声が響く。声の主はこんなことを話しながら近寄ってきた。
「水原慎平君は高校からエスカレーター方式で進学した二十歳の大学生。東大法学部卒で元刑事の家庭教師がついているものの、成績は芳しくない。二十歳にしては幼い印象で、万人から好かれる傾向にあるものの、女性から異性としてみられることはあまりないタイプだね。スポーツは嫌いではないが、特別なことはしていない。祖父は、総理大臣確実といわれていた服部静雄。娘夫婦の惨殺事件によって、政財界を引退する。彼が持つ権力を周囲は放っておかなかったが、利用するつもりで近づいた人間達をうまく転がして支配下に置いている。事件さえなければ、今頃日本の頂点に立って、この国のシステムごと変えていたのかもしれないね」
声の主は帽子を目深に被り、左耳にイヤホンを突っ込んだ若い男、名前は片山奏。慎平が政治家になる際の秘書候補らしく、先日顔合わせしたばかりだった。
「公園で個人情報しゃべりすぎだろ」
「他に誰もいないし、聞かれて困るような話でもないと思うけどな。あ、成績が芳しくないとかはまずかったかな?」
奏が言ったように、服部の孫であるからこそ、慎平は少しばかり窮屈な人生を送っていた。気まぐれに跡継ぎを志すといってしまった手前、仕方のないことかもしれないが。
「そんな報告はいらないんだよ。頼んだのは別の人物だろ」
慎平は奏にある人物の身辺調査を依頼していた。力試しも兼ねてのことである。
「調査能力を理解してもらおうかと思ってね。どこの誰だかわかんない奴って思ってるでしょ」
軽口を叩く奏は二十二歳。身長は慎平と変わりないから一七五センチ位だ。線の細い爽やかな好青年といった印象だが、目つきは異様に鋭い。軽い話し方はそれをカバーする意味合いもあるのだろう。
奏のことは、華麗な学歴を持つ男だということしか知らない。初めて顔を会わせたときから、ずっとこんな調子だったから。
そうこうするうちに、慎平のスマートフォンが震えた。ジーンズのポケットに入れたスマホを取り出して画面に見る。家庭教師の沢木秀一郎からだった。慎平が電話に出ないことを知っている彼は、普段SNSやメールで連絡をしてくる。だとすれば、別の誰かの依頼によって電話をしていることになる。
いや、さすがに早すぎる。何しろまだ行動を起こしていない。情報を得るため、奏と落ち合ったばかりだ。だが、慎平の脳裏にある人物なら尚更、ここで断ち切られるのは困る。
沢木に申し訳なく思いながらも、慎平はスマートフォンの電源を落とすことにした。
「あれ、イケメン家庭教師からのラブコールを無視しちゃっていいの? それとも第一秘書の方かな。坊ちゃまは男にもてるタイプだね」
ちなみに「イケメン家庭教師」とは沢木のことだが、「第一秘書」の方は服部静雄の第一秘書の佐藤一馬だった。
「おまえも男だろ」
「えー、坊ちゃまの頼みだから、大急ぎで調べてあげたのに」
「気にいらないのはわかるけど、坊ちゃまはやめろ」
「だって本当のことだし」
「バカにするのは勝手だけど、ちゃんと調べてくれたんだろうな!」
知り合ってまもない奏だから頼んだ。そうでなければ、止められるから。
「当然、それがお仕事だからね。あ、そうそう。本題の前に面白いことがわかったから、先にそっちを話していいかな」
奏はひとつ咳払いして、語り始めた。
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