【完結】残響ー名もなき侍ー

MIA

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その日は姫乃がやって来た。
六郎には姫乃がどこかの姫君にしか見えないのだが、どうも違うらしい。
そもそもこの時代に姫というものはいないのだ。武家そのものが無い。

美味いものが食べられる。
温かい水で体を洗える。
柔らかい床で眠ることができる。

戦が無い。

素晴らしいはずの世界。
それでも六郎は物足りなさを覚えてしまう。
どの場所にいようとも、やはり自分は武士なのだ。



一通り勉強を終え、姫乃に連れられて向かったファミレスという場所。
またしても華やかな所だ。
出迎えたのは、おかしな格好をした巴衣だった。

(な…何という姿じゃっ!肌が見えすぎであろう!!)

巴衣はこの姿を鎧だと言った。
ここは戦場だと。
しかし、六郎にはどうしても納得出来ない。

どうにもこの時代の女たちは肌を晒す。
六郎の生きている時代では到底考えも出来ない思考なのだ。
郷に入っては郷に従え。
だが巴衣のそれは、なぜだか無性に嫌だ。と感じる。

すると突然。
脳裏に浮かぶ巴の姿。

長い髪をなびかせて、甲冑に身を包む。
血に染まり、狂気を貼り付けたその顔で、優しく義仲に微笑みかける。
それは、この世のものとは思えぬ美しさ。

別人のはずの巴衣の笑顔がまたしても。
巴の笑顔と重なった。



それから数日。
六郎はこの時代の言葉を沢山覚えた。
学ぶことが楽しい。
今まで経験したことのなかったものが、何よりも新鮮だ。

明からは、いよいよ外に出ても良い。と許可がおりていた。
六郎は毎日近所を歩き回る。
風景こそだいぶ変わってしまったが、緑はそこそこ残っている。

熱は無いが、静かで穏やかな空気が流れるこの場所は悪くない。
人々も良い人ばかりだ。

六郎はそうして少しずつ、この世界に馴染んでいった。

道行く人は六郎に声をかけてくれる。
明が何やら説明をしてくれたようだ。

この時代で不自由なく生活できるのは、明たちのおかげ。
明が自分を受け入れてくれなかったら、あのまま野垂れ死んでたもの。

六郎の今は明がいて成り立つ。
姫乃に育てられ、巴衣の存在が毎日を楽しくする。

恩義を感じつつも、一方では焦れる心。

不意に視界に入る犬の姿。

(お!『さんぽ』じゃ。)

この世界の不思議な風習のひとつ、それが犬の散歩だった。
犬の首をを紐に括り付け町中を練り歩く。
何とも珍妙である。

犬も嫌がるどころか喜んでいる。
人の言うことを聞くのだ。

これは六郎には理解しがたい。
犬を飼うという発想がまず無い。
牙を剥き出し、山に潜んで人を襲う恐ろしい生き物。
六郎は自分の時代の犬を思い出す。

それがどういうことか。
ここの犬は何ともまぁ可愛い。愛くるしい。

たまに物凄い形相で吠えるものもいるが、大体は尻尾を振って寄ってくる。

(可愛いのう。拙者も『さんぽ』してみたいの。よし、犬を探すか。)

そうして六郎の野犬探しが始まったわけだが、見事にいない。
見かける犬は全て人が連れているのだ。

彷徨っている六郎に突然声がかかる。
いつも挨拶を交わす近所のお婆さんだった。

「ねぇ、侍のあんちゃん。あんた…、猪ってどうにかできんか?」

どうやら庭にある畑に猪が現れたらしい。
側にある山から下りてきたのだろう。
家の中に入れなくて困っていたところ、六郎を発見したと言う。

「ほう、猪がいるのか!任せられい!」

六郎の目が輝く。
先程拾った縄を手に喜び勇んで現場へと向かう。



結果としては。
捕まえた猪を連れ回していたら大騒ぎになり、明に怒られ、姫乃には諭され。
散々であった。

しかし今時分、なかなか骨がある。と、そのお婆さんを筆頭に近所の年配者たちの六郎への評価は高まった。
同時に『少し変な兄ちゃん』といった不名誉な称号も手に入れた訳だが…。

この猪事件をきっかけに困った事があると、何かと六郎に声がかかる。
主に老人が多かったが、彼らは六郎をまるで孫のように可愛がり接してくれた。

高い場所の木が切れない。
どうしても抜けない頑丈な雑草を抜いてほしい。
犬の散歩を一緒にしたりもした。
縁側に座ってお茶を飲んだり、饅頭を食べたり、碁を打ったり。

こうして徐々に周りと出来ていく絆。
六郎はそれが嬉しくもあり、楽しくもあった。

そしてもう一つ。
六郎には楽しみがある。
明が誘ってくれた、剣道。

もう一度剣が振れる。
それは何よりも、今の六郎にとって求めて止まないことであった。
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