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第一章

第二十一話 『狂気を向けられるのははじめてでした』

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 淡く輝く魔法の盾越しに、目を血走らせているリンドールと、抱えられ青ざめた表情のエセル様が見える。

「なんで騎士団が……、そうか、てめぇのせいか女!!」

 目が合ったと思った瞬間、リンドールは悲鳴に似た叫び声をあげた。全身に狂気をはらませた男は、それでも正常に判断できる部分がまだ残っているらしい。
 そんな男からエセル様をどう奪還すればいいのか。
 唇を噛み締めた瞬間、リンドールの視線から庇うようにバーノン様がわたしの前へ進み出た。

「隊長、全部隊配置につきました」
「わかった。以降、合図があるまで待機」
「了解」

 部下との短いやり取りの間も、さり気なくわたしを気遣ってくれている。王国の剣はこれほど素晴らしい騎士なのかと、状況も忘れて感嘆した。

「賊への刺激は最小限にとどめろ。令嬢に傷などを負わせるな」
「この状況で難しいことを言いますね、隊長」
「最悪、賊の生死は問わん。だがあくまで最悪の場合だ」
「善処します」

 淡々と告げるバーノン様に対し、部下の騎士様が明るい口調で答える。こんな状況だからこそ、気安いやり取りに少し心が軽くなった。

「バーノン様、わたしにもできることはありますか」
「君は下がっていてくれ。我々が――――」

 意を決してバーノン様に声をかける。小さく首を振って手を上げかけたバーノン様は、正面を見据えて言葉を途切れさせた。
 深紅のマント越しに見えるリンドールが、歯をむき出しにしながら荒い息を吐いている。

「なぁおい、てめぇ……」

 獣の唸りにも似た声が男の喉奥から発せられた。捕らえられているエセル様のお身体が、恐怖でだろう、更に震えだす。

「どうやって魔力を吸い取った? そもそも何故半端な見習いごときが成功した!?」

 とても正気には見えない目が、わたしを睨みつけている。

「クソ親父ですら失敗したモンを、なんでてめぇみたいな小娘が成功してやがるんだよ!!」

 怒り、驚愕、殺意、様々な感情が入り混じった声音は、咄嗟に庇ってくれたバーノン様越しでも、突き刺さるように届いた。
 わたしが魔力を吸収したことに対し、最初からリンドールは不可解なほど強い反応を示していた。男にとっては重大なことなのかもしれない。
 そう考え、わたしは左袖を軽く引き上げた。袖下に隠れていた腕輪が、魔法カンテラの光を反射しきらりと輝く。

「この腕輪は、我が師ルディが造ったものよ。魔力の器としても利用できる」
「グランツ嬢、いけない」

 一歩前へ踏み出したわたしを、バーノン様が半身を使って盾になってくれる。流れるような動きで手が剣の柄にかかった。。
 気遣いに申し訳なく思いつつも、彼の腕へそっと手を置き、緑の瞳を見上げた。
 エセル様を解放するための取引材料が見つかったのだ。これを利用した方がいい。
 わたしの考えを理解してくれたのか、バーノン様はひとつ息を吐くと、柄に手をかけたまま僅かに下がってくれた。
 リンドールからもこちらの姿がよく見えるようになる。腕輪へと強烈な視線が注がれた。

「それか! よこせ! このガキと交換だ!」
「貴方に扱えるとは思えないけれど」
「早くしろ! 死にてぇのか!!」
「先にエセル様を無傷のままこちらへ。それが条件よ」
「この……!」

 努めて静かに答えるわたしに比べ、リンドールは徐々に興奮が抑えられなくなっている。
 何故そこまで固執するのかわからないが、その理由を明かすのは騎士団の仕事だろう。今わたしがやるべきことは、エセル様を無事にお救いすることだ。

「わたしは半端な見習いだもの。腕輪を手渡す前に、貴方がエセル様を害したとしても防ぐ手段がない。だからこれは備え」
「一端の口をきく女だな!」
「お褒めいただき光栄だわ。貴方は腕輪が欲しい、わたしはエセル様をお助けしたい。騎士団の方々にも手出しはさせない。悪くない取引でしょう?」

 言葉を紡ぐたび、心臓が破裂しそうなほど高鳴っていく。だけど動揺を顔に出すわけにはいかない。平静を装い左手を掲げて見せた。動きにあわせて腕輪が袖口へ落ちる。

「かわいくねぇ女だ。だがいいぜ、交換条件といこうじゃねぇか! ヒヒヒヒ!!」

 顔を歪ませて笑ったリンドールは、エセル様の顎から手を放し、代わりに細い腕を掴んだ。
 視界の端、大階段の上で、一瞬影が動いた。騎士たちに動きがないということは、味方が潜んでいるのだろう。確保する隙を伺っているのかもしれない。ならば尚更、どうにかしてエセル様をリンドールから引き離さなければ。

「エセル様を解放してこちらへ歩ませて。中間地点までいらしたら、腕輪を貴方へ放り投げるわ」
「騎士団は絶対に手ぇ出すんじゃねぇぞ! 出した瞬間にガキが死ぬからなぁ!」
「わかっている、エセル様の命が最優先だもの」

 言質は取ったとばかりに、隣のバーノン様を見上げる。

「バーノン様、よろしいでしょう?」
「わかった。我々は手出しをしない。君に任せよう」

 柄に手をかけ、動かない表情のままバーノン様が頷いた。
 笑みなのか怒りなのかわからないほど、リンドールの顔が更に歪む。とても正気には見えない。

「だが少し待て、グランツ嬢」
「バーノン様……?」

 一歩踏み出そうとしたわたしを、バーノン様が腕を掴んで引き止める。振り返れば気遣う視線が注がれていた。
 同時に、冷たいものが手の中へ落とされる。わたしは笑みを深くし、小さく頷いた。

「さあ、エセル様を離して」

 再びリンドールへ向かい、腕輪を右手に掴んで掲げる。きらりと反射した光が視界の隅に見えた。
 リンドールは手を放し、エセル様の背をぞんざいに押し出した。僅かに前のめりになったエセル様は、それでも体勢を立て直し、小走りでこちらへと駆けてくる。

「エセル様こちらへ!」
「……っ!」

 力一杯、手の中のものを投げ飛ばし、そのままエセル様を抱きとめた。
 非力なわたしが投げたものは途中で落下し、カランと音を立てて見当違いの方向へ転がっていく。リンドールが必死の形相でそれを追いかけていった。

「ヒッハハハ! こいつが! こいつがあれば……、なんだこいつは」

 腕輪を拾い上げたリンドールの目が、驚愕に見開かれた。勢いよくこちらを振り返る。

「残念ね、正気だったら気づいていたでしょうに。それに、腕輪だけで吸収できると言っていないわ!」

 わたしは腕輪をはめ直し、エセル様の周囲へ風の盾を張り巡らせた。
 リンドールが持っているのは金属の輪。さきほどバーノン様がこっそりと手渡してくれたもの。元は剣帯についていたのだろう。似た大きさと形だが、よく見れば少々潰れた楕円で幅も違う。

「騙しやがったなこの女ァァアアァアァアァァアアァ!!」

 目を極限まで開き、獣のような咆哮を上げたリンドールの身体から、魔力が一気に溢れだした。空中で小さな雷が弾ける。
 盾を構えた騎士たちが、見えない圧に押され半歩後退した。たったひとりから出ているとは思えない魔力の量に、騎士団も手出しができない。わたしもエセル様をお守りするだけで精一杯だ。
 放出された魔力は吸収できない。体内を流れている状態とは違い、外へ出た瞬間から魔法に変換されるからだ。肉体に作用する補助魔法でさえ、『魔法』という形を成したときから魔力とは別のものとなる。打ち消すことはできるが、吸収はほぼ不可能だろう。

「魔法盾、五段展開! 賊の力を抑え込め!」

 激しい魔力の奔流の中でも、バーノン様の声がホール全体にとおっていく。
 淡い光を放つ魔法の壁が更に増やされた。全方向から傾いていき、放出されている力を抑え込もうとしているが、何故かリンドールの暴走は抑え込めるどころか、僅かな隙間をぬって壁や天井を破壊し始めた。
 魔力が暴走しているだけではない、生命力をも削り、魔法に使われている状態になっているのだ。
 このままでは西棟が崩れてしまう。
 ただでさえ上階は、わたしが石壁を変化させ床が抜けている状態なのだ。もし崩壊が始まったら、あっという間に潰れてしまうだろう。この大人数が避難する時間すらない。

 このままではダメだ……!

 わたしは咄嗟にエセル様を後方にいた騎士様に預け、腕輪の魔力を解放した。
 風魔法で天井を支え、石壁を変化させながら亀裂を修復していく。崩落を最小限に抑えるべく空間を確保し、複数の魔法を操った。
 腕輪の中の魔力だけでは、この建物を守るためには足りない。自分の力を加えたとしても難しい。
 でも、こんなところで諦めたくはない。折角エセル様を助け出せたのに。

 私のすべてを使ってでも阻止しなければ――――
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