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序章 目覚めた意志

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「宇宙に存在するすべての生命に進化を拒むことはできない」

歪曲された意味を含んだその発言は、彼の心の内を激しく煮えたぎらせた。だが、それでも拡張生体が残り僅かなパワーを保つことしかできない事態がその奮起した心を痛めつける。そんな状況下で苦戦する彼をさらに罵倒して戦意を削ごうとする敵。

「我々の発展による生命の跳躍が事を成し遂げられないのは、貴様たちの部族が存在していることそのものに原因がある。故に、我がダークビーノイドたちによる生命進化を促す正当性を主張することはもはや不可避なのだ。貴様たちの部族では生命進化は促せないのだ。たとえ、我々が同じ起源を持つ種族であったとしても」

敵に痛めつけられて機能が低下している拡張生体のバッテリー残量を、接続された感覚神経で確認しながら自身がグリッターのリーダーであることをかすかな意識の中で再認し、必死に言葉で反撃できる要素を探した。とりわけ種族という言葉を敵が使うことにことさらに太刀打ちできない激昂が内側から燃え上がってくるのを感じた。
跪いていた両足に力を込めてゆっくりと立ち上がっていく。

「お前の言う進化は本来あるべき進化とは似ても似つかないものだ。真の進化を知らないお前ごときが進化をのたまうな!」

「はっ、力で圧倒的な差がついている時点でお前に進化の何が分かる?生命と同調などとほざく連中にこそ進化の意味を説く理由は存在しない。まあ、いい。一体どちらが本物の進化を遂げることになるのか、しかと見ていろ」

敵との会話の途中、途端に頭上で鋭い風切り音が聞こえた。ゆっくりと顔を持ち上げると小型戦闘機の群れが宇宙へと広がる漆黒の空を裂くようにして滑空しているのが見えた。それらは次第に上昇していき弧を描く形で宇宙の彼方へと飛翔していく。
そして、その後に続く巨大なエンジンの轟音が上空を大きく震わせた。
戦闘機群の後に続いて見えてきたのは、ひときわ大きな船体を持った戦闘用貨物船だった。
前方の群れを追うようにしてゆっくりと上昇を続けていく。
それを目にした彼の頭に一つの不安がよぎった。
あれは、恐らく………。
そうだ、間違いない。
もし、この船が意味することを敵が知っていたら………。
いや、もしかすると………。

「おおっっっ!お待ちかねの標的がお見えになったぞ!ダークビーノイドたちよ!」

眼前の敵………ダークビーノイドと自称するハチ型種族の中で反旗を翻した中心的人物―マフィデス―は空に向かって大きく声を張り上げた。恐らくビーコンも送信したはずだ。数秒ののちにマフィデスの部下であろうスズメバチ型部族の軍隊がどこからともなく突如として上空に出現し、上昇していく貨物船を途轍もない速度で追尾し始めた。
やはり知っていたのか!
一番恐れていたこの事態だけは何としてでも回避しなければならない。

「やめろ………」

声が小さくて届かないことを認識し、声を絞り出して繰り返す。

「やめろっっっ!!!」

大音量で吠えたつもりだったが、たとえ届いていたとしても敵たちが追尾をやめるはずもなかった。
そうと知っていても思わず叫ばずにはいられなかったが、実際に叫んだ後の失望感がじわじわと彼の心を蝕んできた。
あれには………あの船には全種族の貴重な資源が積載されている。
我がメルディギガーの存続の命運を分ける、究極の力を持つ最後の希望となる資源が。
それが敵の手に渡ることになってしまったら………我々の種族だけでなく、「地球」と呼ばれていたこの惑星、そして全ての銀河の懐で温もる全生命がその灯火を跡形もなく消されることになる。
全宇宙から生命と呼ばれるものが消滅するのだ。
そんな悲惨な末路を実現させるわけにはいかない。

彼は、残った力を振り絞って羽にエネルギーを流入し、低い振動音を轟かせて上空へと飛翔した。
もちろん、マフィデスが追ってくることも分かっていた。
それでもやらなければならなかった。
自身の右腕に位置する電磁パルス砲を構え、照準を合わせてエネルギー弾を発射しようとしたその直前、予測通りというべきかマフィデスが彼の真後ろを追行してきた。彼は腕内部のエネルギーを破壊を伴う周波数に変換し、肘の排気口から衝撃波を放った。

「ぐっ!」

バチバチと電気が迸り、無数の火花が直撃した奴の体から空中へと離散していく。敵が怯んだその隙に一気に速度を上げて軍隊の群れに接近していく。

(後方に敵の存在を確認)

軍隊の一人が彼の存在に気づき、貨物船に背を向け、エネルギー弾を一発、続いて三発を連続して発砲してきた。
華麗な動きとまではいかないものの、左右に体を振って全ての砲弾を避けきった。
だが、それに気づいた二人目が十発以上の連弾を放つ。
最初の二発は回避したものの、次の砲弾を避けきれずに右の羽に直撃させてしまう。その次に一発、二発、三発と受けてしまう。

(飛翔エネルギー変換装置に支障あり)

(バッテリー残量四十二パーセント低下。残り二十三パーセント)

(視覚の多角密度層のうち、二層が損壊)

次々にエラー表示が顔面ディスプレイに展開されていく。壊滅的状況に陥っていることは明白であり、自身の生命存続が危ぶまれる事態に直面していた。拡張生体を通じて様々な痛覚が「もう無理だ」と訴えかけている。
彼はその悲鳴を無理やり無視し、渾身の力を振り絞って片手で空を裂く。
裂けた空間が歪曲して時空連続体が生み出された。その不可視の引力に引き寄せられるかのように軍隊のうち何人かが上昇速度を鈍らせた。追いついた彼は、彼らを片腕から放った衝撃波で次々と撃破していく。
このまま打開できそうな希望が僅かながらに湧き上がってきた。
だが、そう簡単に事は成し遂げられなかった。

貨物船を追尾する先頭集団のうち、一番先頭に位置する者が片腕の側面からミサイルを表出させた。
鋭い発射音と共にそれは船に瞬く間に追いついた。
彼がこの世界で一番見たくない光景だったが、それでもその行く末を直視せずにはいられなかった。
凄まじい爆発音が上空で鳴り響いた後、船の側部に直撃した打撃から生じた揺れを制御できず、船は速度を失って回転しながら、大きな宇宙の大海原へと放り出されていく。
いくつもの破片を飛散させながら、船はゆっくりと宇宙空間の中に消えていった。
全種族の希望を完膚なきまでに殲滅させるには十分な光景だった。
敵たちの高笑い嘲笑がこれでもかとばかりに虚空に反響する。

終わってしまった。

彼の中からこみ上げてきた深い絶望感が体全体を一気に侵食していく。全ての力を失って弧を描くようにしてそのまま瓦礫で埋もれた大地に向かって落下していく。
ひしゃげた音を立てて墜落した彼の意識はもうすでに遠のいていた。彼の周りに降り立ったマフィデスをはじめとするダークビーノイドたちが集団で最後の仕留めにかかろうと寄ってきた時も、彼の全身は深く強い絶望感と悲しみに蹂躙されていた。
あまりにも非業な彼らに対する怒りすらも湧き上がることなく、彼はただひたすらに死を待つだけだった。
邪悪な笑いを浮かべたマフィデスが彼の頭上で叫んだ。

「見たか?銀河戦争の行く末も我が圧倒的な勝利をもってこれで終結を迎えるのだ」

しぼんだ目で敵の赤い瞳をぼんやりと見上げる。
意識の中にあった最後の希望の灯火が消える時、わずかながらに彼の信号受信機が作動した。
ビーコンを受信したらしい。
そこからメッセージが聞こえてくる。
低い声が彼に何かを告げている。
それは、言った。

―攻撃は受けつつも、無事に何とか脱出した―

―我々は、未知なる領域に隠された系外惑星を探知した………我々のもう一つの故郷だ―

それが生存した味方の声だと認識する前に、マフィデスが手から表出させた長い針のようなものが彼の胸部を刺し貫いた。

完全に意識が潰える直前、彼の中に響いたその声が言っていた意味が分かったような気がした。
我々のもう一つの故郷。
それは………。
彼の息が絶えた時、その声が言った。

―我々はそこへ向かう………種族の最後の希望となる星、もう一つの「地球」へと―





二〇〇一年七月八日 午後十三時五十分 アメリカ フロリダ州

レイナレス・マッケンジーは小さい頃から宇宙飛行士になることが夢だった。
この星から遠く離れた世界を訪れ、その地を探検した業績が全人類から讃えられる。
そんな名誉ある天職に就けたら、どんなに幸福感で満たされることだろう。
その彼の夢は現実となった。
ただし、宇宙飛行士ではなく、宇宙探検家として。
それでも実現できた揺るぎない事実がもたらす恩恵を噛み締めながら、彼は今はまだ閉じているポータルの前に立った。

―俺は、これから前人未踏の地へ足を踏み入れるんだ………それは全人類にとって偉大なる飛躍となる―

そんな高揚感が胸中を占める中、かの有名なアームストロングが月面着陸に成功した名言を思い出した。

―一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大なる飛躍である―

彼は確かに「偉大なる飛躍」を踏み出した経歴がある。だが、レイナレスの行く先は遥かに超大なスケールで人類を圧倒するものだった。故にレイナレスにとっての「小さな一歩」が踏み出された時の台詞は既に用意してある。そのフレーズに含まれる文脈は、全人類にとってまさに正真正銘の「飛躍」を意味するものとなりえるだろう。そう、この「飛躍」が意味するもの、それは………。

「準備はいいか、レイナレス」

後ろから低い声が聞こえた。振り返ると、この国家プロジェクトを推進した現任者の一人、クラウス・レッドダースが含み笑いを隠せない様子で両手を後ろで組んで立っている。
物理学者であり、またコンピュータ工学者でもある彼が開発した超時空移動ポータル「スターゲート」の完成から試運転、そして実行段階に至るまで大方の指揮はほぼ全て彼が取ってきたと言っても過言ではない。このプロジェクトの責任者の一人としても請け負ってきたクラウスの表情の奥にはそれらを完遂した深い達成感と充実感、その中にレイナレスが実現するであろうある偉業に対する静かな期待が込められていた。ただ………少しばかり何か取り繕っているようにも見えなくはない。だがその表情は目立つことなく期待の眼差しの奥に沈められていた。
そんなクラウスの声掛けがこの日を待ちわびてきた夢に浸ってきた余韻を遮られたかのような感覚はあまり感じなかった。というよりも、同じ志を共にしながら日々のプロジェクト遂行に邁進してきた一仲間として、心地良い親近感を抱いていた。それでも、夢の空想に浸らせて欲しい気持ちもまた大きく彼を占めていた。

「俺の夢の空想を邪魔しないでおくれよ、クラウス」

感情を素直に吐露した彼の返答に、クラウスは機嫌を損ねることなくたしなめた。

「"お前だけの"、じゃない、このプロジェクトに参加する全メンバー、ひいてはこの星に住む全人類にとっての夢だ。大勢の世界市民がお前の行く末を我がプロジェクトの功業として大きな関心を抱いている以上、この夢は全人類共通のものだ」

「分かっているさ。だが、それでも当事者となった人にこれから自分が成すことの偉大さを考えるなら、誰でも高揚せずにはいられないはずだ。そういうものだろう、人の心理というものは?」

「その反面、プロジェクトを完了する責務を負わされているということでもある。その対価はしっかりと認識すべきだ。お前は少しばかり独りよがりに事柄を美化する癖があるからな。その心得は必要だ」

「それも理解している。なに、よっぽどの問題でも起こらない限り、プロジェクト成功は確実さ」

「そこなんだ、お前が最も注意を払うべきところは」

段々と真剣な表情に移り変わっていくクラウスに少しばかり苦い表情を見せるレイナレス。それまで取り繕っていたものが次第に表層化していく様子が見受けられるのを、今更ながらにレイナレスは理解した。

「もう一度念を押して忠告しておくがな、向こうの世界の安全度に関しては、人工衛星からの軌道スキャンデータによる無人調査ですでに実証済みだ。表面上はな。だが、実際においては何が待ち受けているのか、その真の実態までは完全に把握できていないのが実状だ。どこからともなくエイリアンロボットが襲撃してくるかもわからん。その注意だけは常に構えていろ。何があってもこのプロジェクトには完遂させなければならない大いなる期待がたった一人のお前にかかっているんだからな。その意味一つとっても今回の任務のことは隅々まで熟知しているはずだ。その大義を決して忘れるなよ」

「極秘任務『コード・リターン』のことだな?任務に関しては十分な訓練と準備を受けている。未踏領域への備えは万端だ。今になって不安を煽るのはお門違いじゃないか?」

「実に、『今更ながら』の話ではあるのだが………実はある情報を施設管理センター責任者である上司の口から聞いた話なんだが」

「………何か発覚したのか?」

突如として不安を隠せなくなるレイナレスだった。機密情報に段階があるように、任務にも特定の段階が存在する。その最上の意図というものはその組織の上層部でもない限り、外部に漏洩されることは断じてない。だが、もし仮にそれを知る者が何らかの形でリークする手段を取ったとしたら………あるいは下部の部署の連中に密告することを決めたとしたら………そのあとの結末が意味するところはレイナレスもよく認識している。それはすなわち暗殺と隠蔽だ。今までの歴史がそれを証明してきた。特に世界規模の巨大な計画にまつわる情報には、少なからずそれを管理する者がいる。
レイナレスの催促を受けて、クラウスは周りに人がいないか確認してから耳打ちする。

「実は、つい今朝の話なのだが………試運転調整を行ったプロトタイプ版ポータルの近くにある研究室の中に入室しようとした上司が、中にいる人たちの会話を聞きつけたらしい。その内容を聞いた後、彼は入室することなくその場を後にした。声の主から推測してその内部の人たちの正体をおおむね特定はしたが、甚だ定かではないそうだ。それにそれを聞いてしまった自分に身の危険が降りかかることを恐れたのだろう、彼はそれ以後誰とも口を聞いていないそうだ。ただ一人、お前と直接的に連絡を取り合える私のところだけに来て、その内容を打ち明けてくれたのだ」

そこまで聞いてレイナレスは急激にうろたえるような表情でクラウスの顔を見た。もしかしたら自分に知らされていない情報があるとしてそれを内密に隠されているとしたら、これから到達することになる未踏の領域への危険性も決してゼロとは言えなくなる。だが、知らなければいつどんな危険に直面するかも分からない。
少しの間、レイナレスは目を瞑って再び開き、そして、言った。

「構わない。教えてくれ」

意を決して促したレイナレスに、クラウスも同様の緊張した面持ちで静かな口調で話し始める。

「お前の遂行する任務の主要な目的は………最も世間一般から見れば『前人未踏の世界に"単に"足を踏み入れること』ではあるが、実質上の目的は『時空を超えることができる鉱物の採取』だろう?彼が聞いた話では、その鉱物の存在を予め知っていた連中がいるらしく、その者が言っていたそうなんだ。人類文明はもうすぐ終焉を迎えることになる、と」

……ッッッ!!!

「一体全体どういうことだ?」

仰天するレイナレスをクラウスが静かにするようなだめる。
彼が続ける。

「その者が言っていた決定的な言葉がある」

「………それは?」

「そう遠くない時代に地球は侵略される。何らかの地球外生命体と称される存在が持つテクノロジーの圧倒によって、と」

「………それが今回採取する鉱物と何の関連性が?」

「話が前後してしまったな。つまりは、お前が未知なる領域に存在するあの星………『アナザーアース』に眠る鉱物にはこの地球世界を滅ぼすほどの力が秘められているそうだ。そして、かつてその力を駆使したある宇宙種族、すなわち地球外生命体の存在もまた眠っていると」

「………その地球外生命体とやらは今も向こうの世界で生きているのか?」

「分からん。だが、その地球外生命体がいずれ蘇る時、その鉱物もまた威力を発揮してそのテクノロジーが持つ力に加担し、その時この地球は消滅する、とそう言っていたらしいんだ」

この手の話に対してあながち虚実として一蹴することがないレイナレスにとって、この話の内容はかなり重みを増すものであるように感じ取れた。息を吞んだ後にクラウスに問いかける。

「………この情報を聞いたその上司の名前は?」

「ジョシュア・フリビクソン。この国家プロジェクトの立案者の一人であり、そしてれっきとした空間構造学者だ」

空間構造学者と聞いて彼は思い出した。空間構造学とは、何も存在しないとされる虚空に何らかのエネルギーを伝播させることで、空間そのものに形而上的な不可視の「形」を構築する学問のことであったはずだ。この学問こそは現代に浸透している次世代空間コンピュータ「アーシング」の開発に一役買った有名な分野であり、この仕組みを理解できる人は世界でも有数の超トップサイエンティストであり、さらにそれを完全に熟知した者となると指折りの学者の中でもさらに稀少な存在となる。その一人でもある彼は、これを提唱した一大科学権威、世間を驚愕させた最高の頭脳を持ったあのエルバース・エレデンクトンの直の弟子でもあると、そう聞いている。その彼が自身の専門からかけ離れた情報を知ったということは、明晰な知能を持つ彼からしても脅威に映る何かを感じたということだ。だいたい、なぜ当日になって、それもポータル開放まで数時間を切ったという時に―その連中が誰なのかは特定はできなくとも―彼らがこのタイミングでその話をしたのか?なぜ、知っておいて俺をアナザーアースに向かわせるのか?そもそも「地球の消滅」とは?一体どのようなことを意味するのか?
次々と拭いきれない疑問が浮上してくる。
レイナレスがさり気なく腕時計に目をやると、ポータル開放の予定時間まであと三十分を切っていた。ほぼ直前状態の時間にそんな情報を耳にすると、さすがに不安を覚えずにはいられなかった。
その不安を押し隠すようにして、クラウスに疑問をぶつける。

「世界を滅ぼす力を持った鉱物を俺が持ち帰ることで、地球全体の表層環境をアナザーアースに転送させるとされているこのプロジェクトの真の目的は、つまりは虚実ということなのか?仮にその話が事実だとしたら、俺は世界の滅亡に加担するということじゃないか?それに………そのことを知っている連中がいてもなお鉱物を採取に俺を向かわせるということは、彼らは自ら進んで滅亡を画策している、と考えてもおかしくないんじゃないか?」

「彼は話を聞いていて恐怖を覚え、会話を最後まで聞くことなくその場から去ってしまったらしいのだ。故にその全貌までは分からなかったと聞いている。真相は分からないままだ。だがな」

そこで瞳に僅かな希望を込めてクラウスがレイナレスを直視する。

「その鉱物採取を予定している地点には、それとは別のあるものもまた眠っているらしい。それは間違いなくこの地球世界を救済してくれる何かであることは決定的であるらしい。それが具体的に何なのかまでは分からない。だが、地下にある鉱床の周りを捜索すれば、何かがあるはずだ。だから任務の最中にひそかにそれを遂行するんだ。彼からそう伝えるように私は頼まれた」

そこまで告げると、クラウスはレイナレスの手にそっと何かを押し付けて握らせた。見ると、六角形の銀色のメダルがきらりと光反射していた。

「それが持つ特殊な磁気エネルギーでその『何か』を探すんだ。それが持ち帰ることが可能なサイズであればサンプルとして私のところへ持ってきてほしい。フリビクソン博士と共同でその仕組みを研究してみる」

甚だ不安ではあった。組織から命じられた任務の他に認可されていない、それも個人的な採取を試みることに引け目を感じてはいた。だが、話を聞いた以上、自分にできる最大限のことを実行することがこの世界にとっての最優先課題であるとするなら、やる必要がある。

「分かった」

「健闘を祈る」

それ以上は無用だとばかりに、クラウスはそそくさとその場を去っていった。






ポータルが大きな唸りを上げて振動した。あたりの空気がびりびり震えているのがわかる。円形に縁どられた鋼鉄のワイヤーが電流を迸らせてパルスを放つ。その火花が円の中で互いに接触して電流の綱が横状にいくつも生じては消えてと点滅を繰り返す。数秒も経たないうちにポータルから見える向こう側の景色が歪み始め、やがて真っ暗な空間が姿を現した。その向こうには予め建設しておいた宇宙基地があると聞いている。そこで必要な装備を済ませて、行くのだ………大いなる冒険の旅へと。だが………。

「偉大なる人類の代表者、レイナレス・マッケンジーが未知なる惑星へと向かいます。皆さま、大きな拍手を!」

会場が歓声で満たされることに気づいて、レイナレスは後ろを振り返って手を振ってみせた。それぞれの顔が期待に満ちた表情でにこやかに送り出してくれている。その光景が彼にはなんだか悲しく思えた。今となってはさっきまで膨らんでいた高揚感が泡が弾けたように消えてしまっていた。
確かに系外惑星へと旅をし、その中継を流す手はずにはなっている。しかし、新たに秘密の任務をクラウスから託されたことで妙な圧力がかかっているような気もする。
ただ、俺は純粋に楽しみたかっただけなのに。この光景がもたらす大きな飛躍に一人酔いしれることを。
この星の命運がかかっているとでも思えるようなその任務さえなければ………。だが、やらなければならないことでもある。そうとなれば………。
振り向いていた顔を前方に戻した時にはレイナレスは決意を固めていた。
歪んだ景色の向こうにある未踏の地へ向かって、彼は一歩を歩み出した。



「………こちら管制センター、到着を確認」

レイナレスが基地へと足を踏み入れたことを宇宙服の側頭部にあるカメラを使って、オペレーションルームが確認したらしい。続いて「防衛用ステッキを取り出してスイッチをオンに」との指令が下される。右手には地面にあるハッチから垂直に表出してきた棒状の白いものがある。それをゆっくりと手にし、緊張と期待、そしてわずかに湧き上がる使命感を噛み締める。

「これより、第一ゲートを開放する。レイ、準備はいいか?」

オペレーターの声にも若干の緊張が伺えた。その緊張が伝播してしまいそうな気がして、それを避けようとあえて「平気さ」と返事で意気込んだ。

「それでは、いくぞ。健闘を祈る」

一旦途絶えた通信ののちに、アナウンスが頭上に響いた。

「アウターベース第一ゲート、開放を開始。五、四、三………」

ゲートが開く瞬間、彼は妙な感覚を覚えた。
突如として脳裏の中にもやもやした概念がどこからともなく忍び込んできた。
それが一体何を意味するのかさえ理解できないがゆえに、極度の不安が湧き上がる。

「二、一………ゲートを開放」

電子音が一時的に鳴って、金属が動き出すような重々しく鈍い音と共に眼前のゲートが開いた。
緊張のあまり、頭がくらくらしてきたが、それでも彼は前を向いてその先にある光景を見据えた。
向こう側の大気がゲートの内側に入り込んできた。
最初に感じたのは、凄まじい熱気だった。続いて物体を焼き尽くすような強い光と、奈落の底にでも落ちていくような、空気を振動させる鈍く低い音がその世界を蹂躙しているのを感じ取り、聞き取った。
彼の眼前に見えたのは、大きな谷だった。
谷の向こうは山脈が連なっており、その背後からこの景観に似つかわしくない日光が差し込んでいる。
目の前にある谷を見下ろす装甲板は金属の匂いで立ち込める、鉄でできた細長い構造物がところせましと連立している。その表面には謎の象形文字が無秩序な配列でいくつも刻まれ、そのくぼみが日光を反射して不気味な光沢を帯びている。あたり一面に金属の瓦礫や石片が無数に散らばっており、その随所には何か細長い形状のものがたくさん横たわっていた。
目を凝らしてそれらが何なのかを確認した瞬間、ぞっとした。
それは金属でできた人の遺骸だった。
腕がもげているものもあれば、腹から真っ二つに裂けて下半身がなくなっているものもある。ただし、それら全ての人の頭部はヒトの顔をしてはいなかった。
オレンジか黄土色のような不可思議な色のヘルメットのようなものの真ん中に、二つの裂け目があった。
恐らくはそれはこの存在たちの目を意味するものなのだろうが、それと認識するまでに多少の時間を要した。
その目や頭部の形状の構成から察するに、地球に存在するある生物の頭に見えなくもない。
これは………地球外生命体?
それが意味するものをはっきりと認識する前に、彼は期待とは裏腹な光景を見たことに対する恐怖が脳裏を独占しそうになった。それでも前に進む気概だけは少しばかり持ち合わせていたのだろう。一歩を踏み出した。
その一歩は、決して飛躍的な一歩とはほど遠いものだった。
震えながら踏み出したその足は、単なる炭素型知的生命体の片足一つが物理的に動いた結果の表れ程度の認識でしかなかった。地球というちっぽけな惑星一つに混在している人間という種族の感情一つがもたらすものなど、いかに矮小で稚拙な産物に過ぎないものなのか、それをまざまざと思い知らされた瞬間だった。
一歩を踏み出した時に用意していた台詞などとうに忘れ去っていた。そんなことを呟く気にもなれなかった。
ただ、この凄惨な光景が一個の知的生命体としての個体が抱く感情をいとも簡単に抹消する結果を生み出しただけに過ぎなかった。

「こちら管制塔。レイ………?聞こえるか?台詞は………どうした?」

気が付くと彼は側頭部から漏れるオペレーターの声を、耳の近くにあるボタンで消していた。
その行為は国家に対する背信や、国民への信頼の欠落などという概念すらものちに生み出すことはなかった。
ただ一つ、確実に理解できることがあった。
眼前にあるいくつもの遺骸が本当に知的生命体の名残であるとするのならば………。
クラウスの言っていたことは的中した。

―地球外生命体は実在した―

それだけが脳裏を支配するような感覚に陥った。
だが………。

「探すんだろう………クラウス?ここで………この場所で」

圧巻させられた光景の隅々を観察しながら、レイナレスは独白する。
こんなに広い土地で、一体どうやって目的のものを探すというのか。目星となるものさえ皆無だというのに………。
その時、ゲートが開放される前に頭に浮かんでいたもやもやした感覚が具体的な意味を表した。
それは「声」を意味していた。
「こっちへ来い」と。
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