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六。
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「ギター、捨てちまうのかい」
大家が間延びした声でそう言うと、青木は一瞬肩を揺らしギターケースから手を引っ込めた。男子高校生にしては華奢な背中が、今日はより一層小さく見える。
アパートの住人専用ゴミ捨て場に棒立ちして振り向きもしない青木のすぐ後ろまでのそのそと近寄り、その視線の先へと目をやると、黒い合皮に黄色のステッチが入ったギターケースが異様な存在感を放って佇んでいた。
「うん、資源回収で持って行ってもらえるのかな」
あどけない顔が大家を見つめる。今までギターをゴミ捨て場に捨てた住人なんていなかったため、少し考えてから無理だろうと結論を出したが、それをそのまま伝えるのも悪いような気がして「どうだかねぇ」と曖昧に返事をした。
強い風が吹いて、羽織っていた毛皮のコートの前ボタンを留める。まだ日が出ているとはいえ、十二月の気温は老体を芯から冷やしていく。こすり合わせた両手に息を吐きかけながら、ワイシャツ一枚でも飄々としている青木の姿を見て若さは恐ろしいと思った。しかし、いくら十代だからといっても軽装すぎるのではないか。
無数のゴミ袋と段ボールの束に囲まれるギターケースを見ていると、数ヶ月前に聞いた話が頭をよぎる。青木とその友人が出会ったいきさつだ。あまり感情を表に出さない青木が、友人である諏訪の話をする時は年相応な顔をするので、その度に大家は子の成長を喜ぶ親のような気持ちになったのだ。確か、二人が仲良くなったきっかけもギターだったはずだ。一緒に演奏したこともある、と話す青木が薄い唇を嬉しそうに歪ませていたことを覚えている。
大家は時折、上の階から聞こえる六弦の音色に耳を傾けていた。しかし、ここ最近はそれが聞こえてこなくなり、少し残念に思っていたのだ。
「大切なものじゃあないの、これ」
「うん、そうだったんだけど、もう必要がなくなったから」
青木はキッパリと言う。
もう飽きてしまったのだろうか。そういえば、死んだ旦那もギターに手を出して、ろくに弾きもせずにやめてしまったことがあった。男は、一度はギターに惹き寄せられるものの、長くは続かない生き物なのだろうか。もったいないとも思ったが、来年は受験があると言っていたし、勉強に集中したいのかもしれない。そう考えて、しかし妙に腑に落ちないのは、青木の表情が奇妙なほどに柔らかかったからだ。
「諏訪くんも寂しがるんじゃないかい?青木くんのギターが好きだったようだし」
思わず諏訪の名前を出すと、青木は口を結んで押し黙り、手のひらを握ったり開いたりした。それから、「諏訪はもう来ないから」とポツリと呟いた。
大家は驚いて「喧嘩でもしたのかい?」と聞いたが、青木は静かに首を振る。
「別のところに行ったから、もう会えないんだ。僕は長島のところにも諏訪のところにも行けないだろうから」
なだらかな声だった。長島という名前に心当たりは無かったが、きっともう一人心を許している友人がいたのだろう。そして何らかの理由で彼らは別々の道を選んだ。若者の決別なんて、よくある話といえばそうだが、無邪気に笑い合っていた少年達がそんな寂しい決断を迫られた背景に思いを馳せ、胸が痛んだ。
「生きてさえいれば、いつでも会えるさ」
慰めにもならないとわかっていながらもそう声をかければ、青木は何も言わずに笑った。寒さからか鼻の頭が赤くなっていて、唇も血の気を感じさせない色をしている。剥き出しの手が可哀想で自分の手を重ねると、氷みたいに冷たくて度肝を抜かれた。青木も驚いたようで、その手をしばらく見つめてから、やがて、小さく鼻をすすった。
灰色だった空には日が昇り始め、うっすらとオレンジの光が混ざり出していた。
大家が間延びした声でそう言うと、青木は一瞬肩を揺らしギターケースから手を引っ込めた。男子高校生にしては華奢な背中が、今日はより一層小さく見える。
アパートの住人専用ゴミ捨て場に棒立ちして振り向きもしない青木のすぐ後ろまでのそのそと近寄り、その視線の先へと目をやると、黒い合皮に黄色のステッチが入ったギターケースが異様な存在感を放って佇んでいた。
「うん、資源回収で持って行ってもらえるのかな」
あどけない顔が大家を見つめる。今までギターをゴミ捨て場に捨てた住人なんていなかったため、少し考えてから無理だろうと結論を出したが、それをそのまま伝えるのも悪いような気がして「どうだかねぇ」と曖昧に返事をした。
強い風が吹いて、羽織っていた毛皮のコートの前ボタンを留める。まだ日が出ているとはいえ、十二月の気温は老体を芯から冷やしていく。こすり合わせた両手に息を吐きかけながら、ワイシャツ一枚でも飄々としている青木の姿を見て若さは恐ろしいと思った。しかし、いくら十代だからといっても軽装すぎるのではないか。
無数のゴミ袋と段ボールの束に囲まれるギターケースを見ていると、数ヶ月前に聞いた話が頭をよぎる。青木とその友人が出会ったいきさつだ。あまり感情を表に出さない青木が、友人である諏訪の話をする時は年相応な顔をするので、その度に大家は子の成長を喜ぶ親のような気持ちになったのだ。確か、二人が仲良くなったきっかけもギターだったはずだ。一緒に演奏したこともある、と話す青木が薄い唇を嬉しそうに歪ませていたことを覚えている。
大家は時折、上の階から聞こえる六弦の音色に耳を傾けていた。しかし、ここ最近はそれが聞こえてこなくなり、少し残念に思っていたのだ。
「大切なものじゃあないの、これ」
「うん、そうだったんだけど、もう必要がなくなったから」
青木はキッパリと言う。
もう飽きてしまったのだろうか。そういえば、死んだ旦那もギターに手を出して、ろくに弾きもせずにやめてしまったことがあった。男は、一度はギターに惹き寄せられるものの、長くは続かない生き物なのだろうか。もったいないとも思ったが、来年は受験があると言っていたし、勉強に集中したいのかもしれない。そう考えて、しかし妙に腑に落ちないのは、青木の表情が奇妙なほどに柔らかかったからだ。
「諏訪くんも寂しがるんじゃないかい?青木くんのギターが好きだったようだし」
思わず諏訪の名前を出すと、青木は口を結んで押し黙り、手のひらを握ったり開いたりした。それから、「諏訪はもう来ないから」とポツリと呟いた。
大家は驚いて「喧嘩でもしたのかい?」と聞いたが、青木は静かに首を振る。
「別のところに行ったから、もう会えないんだ。僕は長島のところにも諏訪のところにも行けないだろうから」
なだらかな声だった。長島という名前に心当たりは無かったが、きっともう一人心を許している友人がいたのだろう。そして何らかの理由で彼らは別々の道を選んだ。若者の決別なんて、よくある話といえばそうだが、無邪気に笑い合っていた少年達がそんな寂しい決断を迫られた背景に思いを馳せ、胸が痛んだ。
「生きてさえいれば、いつでも会えるさ」
慰めにもならないとわかっていながらもそう声をかければ、青木は何も言わずに笑った。寒さからか鼻の頭が赤くなっていて、唇も血の気を感じさせない色をしている。剥き出しの手が可哀想で自分の手を重ねると、氷みたいに冷たくて度肝を抜かれた。青木も驚いたようで、その手をしばらく見つめてから、やがて、小さく鼻をすすった。
灰色だった空には日が昇り始め、うっすらとオレンジの光が混ざり出していた。
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