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第九章 大敵の行方

9-4 違和の鏡、異国への導き

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 宝物庫の扉が、重々しい音を立てて開いた。中から漏れていた光は一息に外へと放たれ、思わず一同は目を庇う。
 その光に危険がないことを確認し、ゲーゲンスを先頭にジークフリートとテレザでハイクツェルペを挟んで宝物庫の中へと踏み入る。王宮に長くいる国王ハイクツェルペ忠臣ゲーゲンス、そして歴史的遺物に敬意も関心もないジークフリートはさっさと宝物ほうもつの間を縫って歩くが、テレザは流石におっかなびっくりにならざるを得ない。

「テレザ殿。そんなに怖がらずとも」
「そ、そう言われましても……」

 実際壊したらメチャクチャ怒られますよね? とは、口が裂けても言えなかった。
 宝物庫の中は外よりもずっと涼しかったのに、歩くうち、テレザは首筋にじっとりと汗をかいていた。宝物壊しちゃダメなものはテレザにとり、魔物や猛獣などとは別の意味で大いなる強敵である。

「これ、は」

 やがて光のみなもとへとたどり着き、最初にハイクツェルペが呆然と呟く。四人が見ているのは、ジークフリートの背丈をも上回る巨大な楕円形の鏡。鏡面の材質はただの硝子ガラスではなく、しかしてテレザの知るどれにも当てはまらない物。
 古い時代の遺物とは思えぬツヤを放つその表面は、前に立つ四人の姿を曇りなく映し出すはずだ。
 はずだ、というのは……今この鏡は現在、全く違う光景を見せているから。
 まず鏡の中に結ばれた像は、屋内ですらない。そして薄雲の広がる空が見えていることから、本日快晴の王都近辺でないのも確かだ。王都から離れた、どこかの森──ということしかハイクツェルペには分からなかった。

「どこ、なのだろうな。分かるか、ゲーゲンス?」
「私も、王宮に籠って長いですからなあ……しかし、このような葉を持つ樹木は寡聞にして存じませぬ。私のよく知る地では、ないのでしょうな」

 そう言ったゲーゲンスの目は、鏡から見える植物からテレザとジークフリートへと向けられる。

「二人は?」
「え、っと……」

 そう聞かれても、テレザは困り顔で顎に手を当てた。テレザは年月を才覚で補ってきた早熟。国外の地理など、把握しているわけもない。
 しかしジークフリートは何となく覚えがあるようで、目をすがめた。

「──エールイングか」

 エールイング帝国。王国から鉄血都市を挟んでさらに西。僅か二十年ほどの間に、武力によって周辺の有力者を次々と飲み込んだ。ジークフリートの口から吐き出されたその名に、ハイクツェルペの表情が硬くなる。

「この鏡は幻龍大戦の末期、討伐した魔竜の甲殻を磨き上げて作られたと聞く。このタイミングでこの異常、原因は魔竜の影響としか考えられん……厄介な場所に、逃げ込まれたな」
「厄介な場所、とは?」

 政治に疎い少女の素直な疑問に、ゲーゲンスは髭を撫で伸ばす。

「かの帝国と我が国は鉄血都市を挟み、決して友好的な関係ではございませぬゆえ……いきなり国として大きく動けば、戦争行為と受け取られかねませぬ」
「あっ。なるほど……」

 厄介さにかけては、人同士の諍いも魔物に引けを取らない。千年以上前──幻龍大戦の頃は、まだ力ある存在だった龍の号令によって協調もできた。が、今や人は良くも悪くも知恵をつけた。

「いかに緊急事態とはいえ、王国の軍をいきなり向かわせるのは危険、ということですか」
「そういうことですな。うーむ、……」

 しばし考え込んだゲーゲンスは、テレザをチラッと見て一つの考えを提示する。

「こういう時にこそ少数精鋭。自由に歩き回れる者の力を借りるべき、でしょうか」

 その案に、王が感心したように顎を撫でる。

「なるほど。幻導士エレメンターとは元来、国家や権威に縛られぬ存在。テレザのような在野の幻導士なら、帝国にも堂々と入国できる。そういうことか」
「ご賢察にございます、陛下」
「ちょっと待っ……お待ちください」

 二人の会話に、テレザは思わず口を挟んでしまう。十八の娘に帝国でのコネや人脈があるわけもない。いくら一大事とはいえ、向かわされても困る。

「ご心配なく。何も、一人で行けとは申しませぬ。ギルドの仲間はもちろん、頼りになる案内人もそこにおります」
「……それは、俺のことを言っているのか?」

 ジークフリートが露骨に嫌そうな顔をする。これまでテレザの見てきた無愛想で超然とした態度とは打って変わって人間臭い反応。それを面白がるようにゲーゲンスは肯定する。

「他に誰がいると思う? 貴様なら帝国に顔も利くだろう」
「俺の仕事は魔竜の討伐だ。子守を請け負った覚えはない」

 この野郎……といよいよテレザが半目で睨む。流石にここで喧嘩をする気はないものの、流れ出した不穏な空気を察し、ゲーゲンスはあくまで笑顔のまま場を取りなす。

「その討伐に貴様が失敗しなければ、こうはなっておらんだろう。今度は在野の幻導士と協力し、事に当たれということ」
「ゲーゲンスの言う通りだ、ジークフリート。一度目は好きにやらせたが、二度もわがままを聞いてやるわけにはいかん」
「……確かに。元はと言えば、俺が仕留めきれなかったのが原因だったな」

 王にまでそう言われ、ジークフリートも大人しくなる。一方テレザは心の中で密かに拳を握った。

「決まったな。ジークフリート・レイワンス、そしてテレザ・ナハトイェン。準備が整い次第エールイング帝国へと向かい、王国と帝国の橋渡しを頼む」
「御意」
「全力を尽くします」

 返事だけは実に騎士っぽいジークフリートにやや気後れしつつも、テレザも精一杯の返事をして王宮を後にした。
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