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第二章 夢への一歩

2-3 困惑と受難、真鍮の彼 後

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 昼食をとった四人は依頼を出してきた村に到着し、リーダーのカインが村長にゴブリンの被害について聞き取りを行っていた。

「お辛いと思いますが、どんな被害がありましたか?」
「そうだな……森の中で娘が襲われて命からがら逃げ帰ったとか、鶏が襲われたとか。それと困ったのが、農具を盗られてしまってなぁ。夜もあいつらの襲撃に怯え、寝ることもままならん」
「それは大変だ。実際に人が攫われたりはしていませんか?」
「この村では聞かん。が……三日前からだ。隣の村の若い娘が一人、森に入ったまま帰らんそうだ」
「! ……なるほど。貴重な情報、ありがとうございます」
「いんや。話すことしかできん老いぼれ、情報くらいはな」

 村の外れへと移動し、四人は作戦を話し合う。あまり村人に聞いてほしくはない。無用なパニックを招く恐れもあった。

「ゴブリンの数は恐らく、元々二〇程度。しかし隣村の女性を攫ったのが三日前だから、今はさらに増えているだろう」

 カインが村長の話から敵の数を推定する。その女性の行方不明の原因はゴブリンだ、と裏付ける目撃談や物的証拠はない。しかし村に実害が出ている状況を考えると、たおやかな女性を攫うくらいはできるはず。今は最悪の可能性を前提に動くべきだ。

「それだけ数を増やしているなら、今度の攻撃は……村そのものが危ないかもしれませんね」
「その通りだ。奴らがもしそのつもりなら、猶予は少ない」

 シェラが図鑑で手に入れた知識を、カインは肯定する。

「ゴ、ゴブリンにそんな力があるんですか?」

 グラシェスが信じられないとばかりに目を見開くと、カインは冷静に解説した。

「確かにゴブリンは、魔物として最弱だ。成体でも、人間で言えば一〇歳程度の筋力しかない。生命力は人間より強いけれど、それでも一対一なら問題ないだろう。だが、こう考えてみてくれ」

 ――三〇人の一〇歳児が武器を持って、一斉に飛びかかってきたら?

「……か、勝てないね……」

 ピジムがぶるぶると肩を震わせる。ゴブリンにたかられる自身を想像してしまったのだろう。ゴブリンの最も厄介たるところは圧倒的な個体数、そして繁殖力だ。一度人間の娘を攫えば、それを苗床にして爆発的に数を増やしてしまう。だからカインは、速攻を提案する。

「だから僕たちがすべきは、奴らが態勢を整えるまでに巣穴へと突撃し、殲滅することだ。平地では奴らの数に飲み込まれる。だが巣穴にいる内なら、こちらが先手を打てば勝てる」
「巣穴の位置は、どうやって調べるの?」
「それに今から巣穴を探すと、突入するときには暗くなってしまうんじゃ……」
「ゴブリンの知能は高くない、恐らく足跡を消したりはしないだろう。それを辿る。でもシェラの言うことももっともだから、今日は巣穴の特定まで。野宿して明日の早朝、眠りこけている奴らを叩くよ」

 ピジムとシェラの疑問にも、カインはぬかりなく答えた。確かに、これ以上無駄に時間を費やすことはできない。

「それじゃ一刻も早く、ゴブリンの痕跡を見つけよう」

 カインの指示で、周辺を探し始める。するとすぐにばらばらと統率のない、小さな足跡が集中している場所が見つかった。果たしてそれは、ゴブリンどもが森へ帰って行った痕跡であった。

「これを辿れば……!」
「待ってください!」

 急いで進もうとするピジムを、シェラが慌てて制止した。

「どうしたんだい?」

 カインに理由を聞かれ、シェラはテレザから教わった知識をもとに理由を説明する。

「こちらは今、風上です。この足跡はまだ新しい……匂いで感づかれちゃうかもしれません」
「そんなこと言ったって、このままじゃ日が暮れちゃうよ」

 まさに森へと入ろうとしていたピジムは勢いを削がれ、唇を尖らせた。

「……でも、ゴブリンの嗅覚は人間より敏感だ。匂いを誤魔化さないとバレるというのも一理ある」

 シェラの考えに理解を示し、カインは顎に手を当てて考え込む。
 バレることを覚悟で最短で足跡を追うのか、到着が遅れても風が変わるのを待つか。

「ひ、一つ提案があります。こ、この足跡の土を僕の水で湿らせて、服に塗れば……匂いを誤魔化せるんじゃないでしょうか」
「ああ、なるほ、ど……うーん……」

 そんな悩みを解決しそうなグラシェスの案に、だがカインも流石に言葉に詰まった。確かに、自分たちに奴らの足跡の匂いを染みつければ匂いでバレる心配はなくなるが……。

「その手がありましたか……! やりましょう」
「本気?」

 シェラの据わった声に、ピジムの顔が引きつる。勿論、シェラとてゴブリンの匂いにまみれるなぞ御免だ。が、時間がない。

「ゴブリンの脅威を払うためなら、手段は選んでいられません」

 彼女たちは幻導士、依頼を遂行するのが最優先である。一時は迷ったカインだが、やはり他にいい案は無いと判断したらしい。

「そうだね。時間がないと言ったのも僕だし……それでいこう」
「じゃあ……いきますよ」

 グラシェスの水が足跡をかき混ぜ、泥を作る。意を決して、全員それを服に塗りたくった。足跡だけなのに臭ってくるゴブリンの体臭が不快だが、泥の冷たさに意識を集中して必死に誤魔化す。

「……全員、いいね?」

 やや疲れたカインの声に三人が揃って頷きを返し、いよいよ森へと入っていく。
 連中、帰りによほどはしゃいでいたのか。道中には女性のものと思しき長い髪や、白い歯も落ちていた。もはや例の女性は、ゴブリンによって拉致されたと断定して良いだろう。足跡は途切れることなく、一つの洞穴の入り口まで続いていた。木陰からそこを見つめ、ピジムが怒りを湛えた声で伝えた。

「見張りは一匹。装備は……盗んだ鎌みたい。ムカつく奴、今すぐぶちのめしたいわ」
「まあまあ。無事に巣穴も特定できたし、休む準備をしよう。明日の作戦も細かいところまで、詰めないとね」

 もうすぐ日も暮れる。そうなれば夜目の効くゴブリンが圧倒的に有利な時間帯だ。カインの指示で洞穴から離れる。四人は平らな場所で横になり、小声で最後の作戦会議を始めた。カインがまず、作戦の骨子を示す。

「良いかい。最初の突撃で数を減らしたら、反撃される前に松明を置いて巣穴の外に逃げるんだ。そして巣穴を煙で燻ってやろうと思う」
「待ってください!それじゃ――」

 シェラの抗議の声を、カインは申し訳なさそうに遮った。

「残念だけど、攫われてから時間が経ちすぎている。女性が生きている可能性は、ゼロだ」
「そんな……」
「僕だって、救ってあげたい。でもそれ以上に、僕らが新たな犠牲者になってしまうことは、避けなければならないんだ。……分かってくれ」

 カイン自身、やりきれない気持ちはある。しかしこの状況でシェラとピジムまで苗床になろうものなら、いよいよゴブリンの繁殖を止めることは不可能だろう。被害者がもう助からないのなら、こちらが確実に勝利できる方法を取る。シェラはカインの口調からそんな決意を感じ取り、引き下がった。

「で、でも。中の構造は分からないですよ。煙が広がるかどうか……」

 グラシェスがもっともな指摘をする。確かに、洞穴の中に煙が充満するかは不透明だ。が、これにもカインは明確な答えを持っていた。

「大丈夫、煙は囮だ。仲間がやられ、巣穴の中に妙な物を置いて行かれた連中は怒って、どのみち巣穴から出てくるだろう。だが巣穴の入り口を土で狭めてやれば……一匹ずつしか出てこられない」
「簡単なモグラたたきってわけね」
「その通り、頼りにしてるよ」

 ピジムが笑顔を見せる。カインは大きく頷き、最後に夜間の予定を指示した。

「それじゃ、交代で見張りを立てて寝よう。最初は僕から、右に行く順だ。ピジム、グラシェス、シェラ、そして僕に戻る」
「はーい。じゃ、とりあえずおやすみー」
「み、見張りになったら、起こしてください……」
「……一人は、起きる気あるのかな?」

 ピジムとグラシェス、二人のそれぞれらしい答えにカインは苦笑いしつつ、初の野宿で全く寝付けないシェラの方を向く。

「シェラも、おやすみ。目を瞑るだけでも休まる」
「はい。……おやすみなさい」





 翌朝。辺りはほんのりと明るくなったが、太陽は薄雲に潜って二度寝を決め込んだらしい。近くにいる人間が誰かは何とか見当がつく程度のまま、時間が過ぎようとしている。

「……皆、起きてるね」
「もちろんよ」
「い、いつでも行けます」
「準備完了です」

 緊張からか、ぱっちりと目の覚めた四人はゴブリンの巣穴へと近づいた。やはり見張りは一匹だけ、それも寝ている。
 ゴブリンに、社会性というものはない。この見張りも単純に、巣穴で寝床の無かった者が押し付けられたのだろう。当然、真剣にこなすはずもない。

「それじゃ騒がれないうちに……頼む」
「はーい」

 カインの囁きで、ピジムが足音を忍ばせつつも軽快にゴブリンに走り寄り……
 ゴシャッ
 いっそ小気味良く籠手の一撃で頭蓋を粉砕し、永遠の眠りへと導く。衝撃で眼窩に収まっていた大きな目玉が飛び出し、断末魔すら許さず絶命させた。

「ナイス。それじゃ――」

 自らが生み出した松に火を起こして松明とし、カインが目配せをする。

「行くよ。くれぐれも、大声は出さないように」

 ピジムを先頭に、間にグラシェスとシェラ、殿をカインが務め、ゴブリンの巣穴へと踊り込む。
 奇襲作戦、決行の時。
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