処刑官キリエ

中田ムータ

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第一部

Act.12 クイーンベスプ

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「さ、”授香室”だよ❤︎」

そう言うとキリエは、胸に抱いたムータロをそっと絨毯に下ろした。

キリエとの準密着状態が解けたことで彼女の香りが弱まる。
それによって若干正気が戻ってきたムータロは深呼吸を繰り返す。

「スゥーーーッ、ハァーーーッ、スゥーーーッ、ハァーーーッ⋯⋯」

(う⋯⋯こ、この部屋は⋯⋯?)

やがて十分にクリアな意識状態が戻ったムータロは、状況を探るべく室内を観察した。

広さは5メートル四方ほど。こじんまりとしている。
床は暗い赤の長毛絨毯。同じく暗い赤地の壁には、古代文字によると思しき呪術的文様。天井のシャンデリアと壁掛けの燭台が、暗く室内を照らしている。
静謐さと不気味さ。ゴシック的アトモスフィア。

そして部屋の中央には、椅子的形状の物体が床から生えていた。
そう、「生えていた」と形容したくなるような、奇妙な曲線的デザインと有機的質感。
座部の高さからするとエリニュス専用に設計されたものだろう。
奇妙なのは、座部が「円弧の下4分の1状」の形をしており、そのまま座っては尻がずり落ちそうに見える。
さらに、座部前方から中央にかけた股間のあたりに丸くスペースが空いており、球体状の何かをそこに嵌め込んで締め付けるような作りになっている。そして座部下方は、「カーブした脊椎とそれを囲む肋骨」もしくはある種の食虫植物──獲物が止まると葉が閉じられるタイプの──を連想させる捕獲拘束装置のような作りになっていた。

ムータロは推測する。
これが椅子だとするならば、座るのは当然キリエであろう。
そして座部下方のあれが捕獲拘束装置であるならば、拘束されるのは当然自分であろう!
それに拘束されたならば、装置の作り的に見て、自分の顔は座部の股間の丸いスペースから”こんにちわ”することになるだろう!
そしてそこにキリエが座るのならば、自分の顔面はキリエのスカートに覆われ、彼女の股間にタイトに埋め込まれてしまうことになるだろう⋯⋯!

(な、なんだ、この椅子は⋯⋯! くそ、一体何をするつもりなんだ!)

と、そこで、背後にそびえるキリエの気配がやけに静かなことに気づいてハッとするムータロ。
振り返って見上げると、にやけた瞳がこちらを見下ろしていた。
勘だが、おそらくキリエはわざとムータロに部屋を観察する時間を与えたのだろう。
あの椅子の用途をムータロに自分で気づかせるために。
そして、用途に気づいた時のムータロの様子を見るために。

「ねえムータロくん。私が昨日、キミが寝る前に言ったこと覚えてる?」

寝る前?
ムータロは記憶を辿る。そうだ、あの時キリエは確か⋯⋯

「あひたは、ごほうびで、い⋯いいことひてあげる⋯⋯って」

「お、ちゃんと覚えてたね。偉い子だ❤︎」

キリエは幼い子供に対して感心するような口調で言った。
そして続けてこう問う。

「私の匂い、好き?」

「……は、はい、ふきれふ」

質問の文脈は測りかねたが、ムータロはとりあえず素直に答えた。ここで反抗しても意味はないし、確かに彼女の匂いはとてつもなくよい香りだと感じていた。

「そっか⋯⋯ありがと、うれしいよ」

キリエはなぜかうつむいて目を逸らし、少し恥ずかしそうに感謝を口にした。
その頬は、わずかに朱に染まっているようにも見えた。
だがやがて顔を上げると、またしても唐突にこんなことを問うた。

「ムータロくんは”クイーンベスプ”って虫を知ってるかな?」

知っていた。レジスタンスとして屋外サバイバルの訓練もおこなってきたから、一通りの虫の知識はある。
クイーンベスプ。大型で希少な、足長蜂の一種だ。その生態は確か⋯⋯

「広い意味では、いわゆる乗っ取り蜂。でも普通の乗っ取り蜂とはずいぶん違っててね。普通の乗っ取り蜂は、乗っ取り対象コロニーに集団で侵入して、まず現住蜂の女王を殺す。そして、そのコロニーの匂いを体に染み込ませ、気づかれないうちにいつのまにか女王蜂に成り替わる。程なく現住蜂は全滅し、コロニー乗っ取りが完了する。クイーンベスプは違う。彼女は単騎で他種族の蜂のコロニーに侵入すると、自分の体から特殊な香り、学者達が”フェロモン”と呼ぶものを分泌してコロニー中に充満させる。フェロモンを摂取した現住蜂は、脳が変質してしまい、みんな奴隷のようになってしまって彼女に逆らえなくなる。そして自分たちの本来の女王を殺し、クイーンベスプを新しい女王様として受け入れる⋯⋯」

キリエは淡々とした口調だったが、どこか楽しそうだった。
この女は生き物が好きなのかもしれないな、とムータロは思った。

「他にも、とっても面白い生態があってね⋯⋯」

昆虫少女キリエの授業は続く。

クイーンベスプは子供を産めないの。
そもそも生殖器官すらないのよ。
ふふ、じゃあどうやってその種を存続しているのか?
それはね、乗っ取られたコロニーの現住蜂の幼虫の中から、次のクイーンベスプが生まれるの。クイーンベスプは、自分のフェロモンを混ぜた餌を作り、それを現住蜂の幼虫たちに食べさせる。すると、その幼虫たちの中から、ただ一匹だけクイーンベスプの成虫が生まれてくる。これってすごくない? 全く違う種族の蜂の幼虫が、フェロモンの影響で、突然変異的にクイーンベスプになるのよ!? でね、さっきも言ったとおり、たくさんいる幼虫たちの中で、ただ一人だけがクイーンになるのだけど、じゃあ、クイーンになれなかった他の子たちはどうなると思う?
彼らはね、本来なるべき元の種族の姿とはかけ離れた姿で成虫になるわ。小さくて、ちんちくりんで、羽は潰れて飛ぶことはできず、頭は大きいのに足は弱くて短い。そしてその全てが雄蜂。彼らの存在理由はたった一つ。新しいクイーンベスプの餌になること。
本当に、グロテスクで、残酷で、フェティッシュな話よね。
コロニーを乗っ取るどころじゃない、もはや命自体を乗っ取っていると言ってもいいと思うわ⋯⋯。

問わず語りで言い終えると、蘊蓄を語りすぎた自分に照れたように少しにやけるキリエ。
ムータロは彼女の言わんとすることを察していた。

(つまり⋯こいつが言いたいのは、俺がこいつの香りを近距離で嗅ぐとあんな状態になっていたのは⋯⋯)

「ピンときてるって顔だね。そうよ、さっきキミが好きだって言ってくれた匂いは、私の”フェロモン”よ」

そう言うと、キリエはムータロに歩み寄り、彼をほぼ跨いで立ち止まり、後ろ手を組んで見下ろした。
圧に押されたムータロは、それまでの四つん這いから尻もちをついた座姿勢へと体勢を変え、ほぼ垂直の急角度上空に位置するキリエの顔を見上げる。

「さあてここで問題。いったいクイーンベスプは体のどこからフェロモンを出すでしょう? 三十秒あげるから、当ててごらん❤︎」

いきなりのクイズ。
どこだろう。適当に答えてもいいが、それをキリエに悟られたらまずい。
ムータロは考える。
訊いてくるということは、これまでの会話や状況の中に既にヒントがあったはずだ。キリエはそういう話し方をする。

ムータロは答えを探す。だが、どうにも思考に集中できない。その理由は彼の視界に映るものにあった。ムータロの視線はあくまでキリエの顔に向いているのだが、この見上げる角度だとどうしても彼女のスカートの中も見えてしまうのだ。プリーツマイクロミニスカートの下、黒の下着とガーターストッキングに映えるキリエの白肌、下から見上げる絶対領域⋯⋯。
気にしないようにすればするほど気になってしまう。かと言って目をそらしたら、キリエに新たな”ムータロいじりネタ”を提供してしまうだろう。

刻々と秒が過ぎて行く。
だがある瞬間、ムータロは次のように思い至った。

(まてよ、ひょっとして今こうしてスカートの中が見えているという状況も、無意味なものではないとすれば⋯⋯)

そういうことか。灯台下暗し。ヒントは文字通りムータロの目の前にあったのだ。
だとすれば例の椅子の作りと用途にも合点がいく。
しかし、大きなヒントではあったが、決定的ではなかった。
スカートの中にはまだ、三つの正解候補があるからだ。お尻の箇所、小水の箇所、そして女性の、つまり生殖器官の箇所⋯⋯ん、生殖器官?

ムータロは先ほどのクイーンベスプの話を思い出す。
キリエは、クイーンベスプには生殖器官が無いと言っていたが、それは”初めから無い”のだろうか、それとも”無くなった”ということなのだろうか?後者の場合、”別の何かに変化”したということもあり得る。確か、多くの種類の蜂が持つ毒針は、産卵管が変化したものだったはずだ。そうか、つまり⋯⋯

ムータロは結論した。
今の状況とこれまでの会話において、最も必然性のある答えは、

「せ、せいひょくきかん⋯⋯?」

「ピンポーン! さすがムータロくん、賢い子」

キリエが嬉しそうに微笑んでパチパチ手を叩く。

「でね、これは不思議な偶然なんだけど⋯⋯」

キリエは、左手の人差し指を股下のムータロの額に向けた。
催眠術の被験者めいてその人差し指を注視するムータロ。
人差し指が残像的滑らかさで動き、ムータロの視線をスカート内のある一点に導いた。

「ここを見ててね⋯⋯」

キリエが指したのは、黒い下着に包まれた柔らかな丘、漆黒のシルクロードの中心地点であった。
唾を飲み込んで注視するムータロ。
ほどなくそこに、桃色に輝く魔力粒子が発生しはじめる!
そしてそれはキリエのスカートの中に濃霧のように充満すると、やがて産まれて来た場所、すなわちキリエのクロッチの中心に渦を巻いて吸い込まれるように消え去った。

「ね? 偶然にも、私のフェロモンもクイーンベスプと同じところで生成されるの⋯⋯」

頬を朱に染め、恥じらう乙女の顔で言う。

「私がつけてるこのプリーツマイクロスカートには、フェロモンをスカート内に閉じ込める結界魔術バリアーが込められているわ。だからさっき見せた時、フェロモンがスカート内にとどまっていたでしょう?」

スカートを指でつまんでひらひらさせながらキリエが言う。

「そして⋯⋯この黒の下着にはね⋯フェロモンの強さを私の任意にコントロールするための増幅魔術アンプリチュードが込められているの。特注オーダーメイドの一品よ。今日はキミのために着けてあげてるんだからね⋯⋯❤︎」

そして、乙女はさらに説明を続ける。

私が自分のこの魔術に気づいたのはまだ少女だった頃。
最初はただ香りを発するだけのダメ魔術だと思っていたわ。
みんなにさりげなく嗅がせてみても、「なんか甘い香りがするなぁ」って感じだったから。
そんな感じでどうでもよくなって、それからしばらくは放っておいたの。
でも数年後のある時、地下室でピッグスの子で遊んでいた時に、ふとこの魔術のことを思い出して、試しにその子に嗅がせてみたわ。そしたらどうなったと思う?
その子は、それまですごく反抗的だったのに、香りを嗅いだ後はまるで魂が抜けたように従順になったわ。
性的欲情を促す効果もあった。フェロモンを嗅がせると、おちんちんをすごく大きくして、ちょっと体に触ってあげただけでも身をよじらせて悦んだ。
知能の低下も見られたわね。そこそこ賢い子だったのだけど、フェロモンを嗅がせるたびにどんどんおバカになっていった。
そんな感じでその子はフェロモン中毒になっていき、次第に、嗅がせてあげないと禁断症状を起こすようになった。
でね、そのまま嗅がせずに観察していたら、最後には痙攣して泡を吹いて射精して死んだわ。

私は気になってその子の脳を調べてみた。
すると、知能を司る部分が萎縮し、嗅覚を司る部分と性欲を司る部分が肥大化していることがわかった。

その後、何人かの別のピッグスの子で試してみても同じ結果だった。
私はこう結論した。
この魔術の真の効果、それは端的に言えば、”ピッグスの脳に作用して彼らを私の下僕にする”というもの。つまり⋯⋯


「くいーんべふぷと、おなじ⋯⋯」

説明されたフェロモンの効果の恐ろしさに冷や汗を流しながら、震える声で言葉を引き取ったムータロ。

キリエはムータロの理解力に満足し、優しく微笑む。

「ふふ、そういうこと。そうそう、言い忘れてたけど、今までキミが私と密着したとき嗅いでいた匂い、実はね、あれはフェロモンを微量配合しただけの市販の香水なの。だから少し精神状態がおかしくなる程度で済んでいたでしょう?」

(そ、そんな⋯⋯! 微量配合しただけであの効果なのか!)
驚愕するムータロ。
微量であれなのに、もしそれを直に嗅いだりしたら一体⋯⋯!

「だけど今日はね、キミをあの”授香椅子”に拘束して、私のスカートの中で、増幅魔術アンプリチュードで超高濃度にした生フェロモンをたっぷりと嗅がせてあげる。そう、何時間もかけて、たっぷりとね⋯⋯❤︎」

蕩けた瞳で見下ろしながら、淫虐の女神はそう宣告した。
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