5 / 10
5ーイジメと脅しー
しおりを挟む
週末、類は美希を連れ、車で隣のS県に向かっていた。
住宅街が並ぶ道を走り、一軒の広い家の中に車を乗り入れる。
「ここ知り合いに紹介してもらったんだ。土地が広くていいでしょ?」
「本当ね、おうちも大きいわ」
「隣の空き地もここの持ち主さんの物なんだよ。全部買い取って家を建てようと思う。県境だから隣はもう東京だし、交通の便もいい。仕事が忙しいうちは東京から離れることできないから、ギリギリここならのんびり暮らせそうじゃない?美希がよければ決めたいんだけど」
「随分と急ぐのね・・」
(当たり前だろう!お前を守るためだ)
類は美希を家に縛り付けておきたかった。
煩わしい女の嫉妬もそうだが、美希の容姿が昔から男性の目も引くことを、類はよく思っていなかった。
社内で今の課を立ち上げたのも男性社員から美希を隠すため。
社食を使わないのも同じ理由だ。
「ここの環境は全て調べてある。近隣トラブルや事件事故などなかったか、条件が良い土地って見つけるの大変だから決めるなら早い方がいいだろ?決めていい?」
「私まだ家で仕事する気ないよ、だから急がなくていいんじゃない?」
「・・美希が出社したければすればいいよ、でもマンションより一軒家に住みたいんだよ。決めるからね」
「私の意見聞く前から類の中では決まってるんでしょ?なら私は何も言えない」
「どうしたの?そんな言い方して・・引っ越すのが嫌なの?」
(会社から離れたら類が外で何してるかわからなくなる・・)
「別に・・もう決めたならそれでいい!見たから帰ろうよ」
自宅に戻ると美希はヨーロッパの骨董品の写真集を見ていた。
勉強のために開いた本だが、内容が一向に頭に入ってこない。
何度となく溜息をつく美希を気にしながら、ノートパソコンを操作していた類は美希に近づき。
美希の首筋に唇を這わす。
「あん!」
いきなり感じる場所を刺激され甘い声が出てしまった。
「類、やめて。私まだそういうのは・・」
「ずっと様子がおかしい、何かあるの?」
「何も・ない・・」
「次の休み旅行行かない?近場で星空が綺麗な場所、ブライダルの方も六月過ぎれば暇になる、美希仕事し過ぎ」
類は嫌がる美希の首筋から顔を離そうとしない。
「はぁ・・思いつきで旅行って言われても」
「思いつきじゃないよ、そこで美希と愛し合いたい」
美希の動きが止まる。
「私がそれはまだ無理って言ってるじゃない!それが条件で結婚を継続するって」
「んーそうだけど、美希は僕のこと好きでしょ?酷く嫉妬深いのも僕を取られたくないから。違う?」
類の唇は鎖骨を擽り始める。
「嫉妬なんかしてない!」
「してるよ泣くほど悔しがって、だったら僕を自分のものにすればいいんだよ。君の身体に溺れるように仕向けて、そしたら僕は君を抱き続ける。他の女なんかに嫉妬する余裕もないくらい君を求めるだろう、そうしたら?」
「い、や・・あぁ」
「頑固だね、ここで奪ってもいいんだよ?契約書はもう無い。事実上僕は君の夫だ。妻を抱くのに遠慮はいらないからね、初めてでも気持ちよくさせてあげるよ?」
「そんなことしたらここを出て行くわ」
「この前もそんなこと言ってたけど、結局出て行けなかった。諦めなよ」
「類!もう離して、そうやって私を追い詰めないで」
類は美希の首筋から顔を上げると。
「僕が離れていってもいいの?」
類は面倒くさそうに言う。
「・・そうなったら離婚する、類はそうゆう人なんだって思う」
「全く頑固だね君は・・」
類は身体を離すとキッチンに行きコーヒーを入れ、飲みながら。
「美希は僕を試してるでしょ?自分からは身体を差し出さない、裏切られて傷つきたくないから。その割には嫉妬すると泣いて、すぐに甘えだす。自分のことが好きだと僕に言わせるために。僕は君以外の女性なんかいらないのに、なんでそんなことするの?真希さんのようになりたくないから?信じてもらえず一緒に生活するのがどれだけ苦しいかわかる?僕が一度でも君を傷つけるようなことした?僕はもう十分傷ついてるよ・・」
類はわかっていたのだ。試されていることも、美希が考えていること何もかも。
美希は全てが当たっているので言葉が出なかった。
「待っていたけど、無理そうだよ」
美希は俯いてしばらく考えた。
「来週行かないって言ったら類はどうするの?」
「離れたくはないけど一緒には暮らせない、きっと美希を傷つけるから」
「離婚するってことね・・」
「美希は離婚してもいいの?全てをなくすよ」
「だって、どうしたらいいのよ!一緒に暮らせないって言われたら私は離婚して実家に帰るしかないじゃない・・」
「だから僕たちが本当の夫婦になればいいことでしょ?もう試されるのも嫉妬されるのも疲れるんだよ。恋人以下の夫婦ってなに?意味あるの?だったら契約結婚の方がよっぽど楽でよかった」
「わかった。もう全部やめよう」
美希は立ち上がると寝室に入っていった。
「どうせ荷物まとめて出て行くって騒ぎ出すんだ。甘ったれのお嬢さんのやることくらい想像つくし」
(それでも引き止めないと、行く当てのない女性を家から出すことはできない)
寝室に行くと、美希はベッドの下に座って泣いている。
類は隣に座ると。
「出て行くとか言わないで、女性を追い出すようなことはしたくない、時間が欲しいなら僕が出て行くよ、このままじゃいつまで経っても恋人にもなれない」
「どこに行くの?」
「会社の近くにマンスリーマンションがあるから、俺は男だからどこでもいい」
美希が類の腕を掴んで。
「考える、だからここにいて」
「あ~本当に我儘だね~君は、それが僕をどれだけ苦しめてるのかわかって言ってるの?」
「・・・・」
類は美希を抱き上げ、乱暴にベッドに寝かせると両手を掴んで覆いかぶさる。
美希はされるまま、類から視線を逸らさない。
「いつまで待てば?」
「わからない・・」
「悪魔だね君は・・僕の選択肢は『待て』しかないのか・・地獄だ」
チュッとキスをすると美希の身体を起こし。
「今日は美希が料理して『あなた~あ~ん』って食べさせてよ、新妻プレイだけで我慢する。わかった?」
「料理はするけど、それは嫌かも」
「ダメだよ、さあキッチンに行こう、裸にエプロンでもいいけど僕は、痛っ!」
美希は類の腕を思い切り叩いた。
「セクハラ」
昼休み可奈が弁当を持って美希たちの部屋にやってきた。
「六月は忙しくてなかなかサボれなかったから、お昼ここにも来るのも何日振り?美希の方は?仕事暇なんでしょ?」
「そうだね、今は急ぎの仕事が一件もないから退屈で仕方ないよ、出社してもこの部屋から出ないから、息が詰まるし」
「あれから秘書課と受付嬢たちの情報探ってるけど、動きは無いようよ。美希に感する噂もないし、どうやら脅しだったみたいね」
「そう、色々ありがとう。今度食事ご馳走するわ」
「だったら週末どっか行かない?日帰り温泉エステコースとか?美希そうゆうの好きじゃない」
美希は小声で。
「ゴメン、予定だと明日あたりに来ちゃうのよ。きっと週末は寝込みそう、今から腰痛いし眠いしで・・」
「おっとそうだったか、そしたらまたお互い行けそうな時にどっか遊びに行こう、私もう行くわ、お大事にね」
「うん、またね」
二人の話を聞いていた類は、デスクの上にあるカレンダーを見ていた。
先月、美希の生理があった日から数えて、明日の金曜はちょうど28日目になる。
生理が重い美希は毎月具合が悪くなるので類もチェックしていたのだ。
(なんで今週末は来るって言わなかったんだ?そしたら旅行に行こうとは言わなかったのに・・)
「美希、具合悪いのか?」
「んー大丈夫」
「怠いならベッドで寝てこい、今は暇だし起きてても辛いだけだろ?」
類は隣の部屋へ行き窓を開け換気をしてやる。
ベッドのシーツは使っていなくても毎週月曜と水曜に美希が交換しているのですぐに使える。
タオルケットをクローゼットから出しベッドに置くと。
「美希、眠いんだろ?無理しないで寝ろ」
類は美希のデスクまで行くと首に手を当てる。体温が上がっているのか体は熱い。
「熱いよ、行こう」
「うん」
美希が怠そうにベッドに横になると。
「先週旅行に行こうって行ったとき、何で今週は無理って言わなかった?来るって知ってたら誘わなかったし、あそこまでお前を責めなかったよ」
美希の髪を撫でながら、手を握り様子を伺う。
「ずっと避けてて、逃げてるって思われそうだったから。今週になって生理来たら言おうと思った」
「このぶんじゃ週末は寝込みそうだな・・明日は自宅で仕事ってことにして出社しなくてもいいんだぞ」
「いい、類と一緒に出社する・・」
美希は類が握ってる手を自分の頬に擦り寄せる。
「明日は午後に会議があるから、朝から資料作ったり、営業へミーティングに行く、ずっと側にいてやれないぞ」
「うん、それでもいい」
(具合が悪くても俺を監視しないと、信じられないのか・・どうしたもんか)
美希は明け方、腹痛で目が覚め、トイレに行くとやはり始まっていた。
トイレから出て薬を飲むか悩んだが、一日三回しか飲めないので、今は諦め、重い腰をさすりながらまたベッドに潜り込む。
「大丈夫か?」
「うん」
「まだ5時だ眠りな」
そう言って抱き寄せ腰を優しくさすってくれる。
それが心地よく、また眠りにつく。
朝、類は美希を起こそうと思ったが、顔色が悪い。
「多分、貧血だな」
一人にするのも心配だが、会社に連れて行っても付いててやれる時間もない、薬と置き手紙をして類は家を出た。
美希が目覚めたのは9時を回ったところだった。
キッチンカウンターには薬と類からの置き手紙。
冷蔵庫からミルクを取り出しグラスに注ぎ。
空腹なのでミルクで薬を飲み下して、重い体でソファーに座る。
「やっぱり今日は行けそうにない・・」
類に近づく女性のことが気になり、出社して側に居たかったが、さすがに今日は辛く諦めるしかなかった。
「本当ね、こんなに嫉妬深かったら男の人は嫌がるよね」
美希は、自分がしている愚かな行為が、類を遠ざけているとわかっていたが、どうしても止めることができなかった。
気がつかないうちに類を愛し過ぎていたのだ。
11時半になったので類は美希に電話をかけた。
コールしたらすぐに出たので、少しホッとし。
「朝、顔色が悪かったから起こさなかった。具合どお?」
『良いとは言えない、やっぱり今日は家にいる』
「それがいい、この後すぐにランチミーティングなんだ。13時には会議が始まる。終わればもう帰れるから、食べたいものとかある?買って帰るよ」
『何でもいい、辛くて食べ物のことまで考えられないの』
「ああー可哀想に、16時には帰れると思うから、また連絡するよ。愛してる」
「うん」
美希との電話を終え、類は部屋を出て営業部へ行く。
会議に出るメンバーで大きなテーブルを囲み、ランチをしながら資料の説明を聞き、打ち合わせをする。
類の隣に座った、女性スタッフの田中から。
「それってカップルリングですか?相葉さんって彼女いたんですね~」
営業部はオープンルームになっているので、そこでした会話は近くにいる人間なら当然耳に入る。
ブライダルを前に出している会社なので、営業部のスタッフの半数は女性社員だ。
類がミーティングに来ているということで、女性スタッフの意識は類に注がれていた。
一瞬静かになったと思ったら、急にガヤガヤとざわめきだし。
類が返事に困っていると、男性スタッフの一人が。
「相葉さんに彼女がいれば、少しは僕たちの方にも女性が流れてくるかもしれない、今日のミーティングで一番重要な話題だ」
と冗談めかし喋るので、類は仕方なく認める。
「そうですね、これ彼女とペアのリングです」
営業部からは悲鳴すら聞こえてくる始末で、類はこれが美希のことだとバレないよう心の中で祈っていた。
「あら~これ今の時点で社内中に広まってますよ。イケメンにはプライバシーないから可哀想、ふふ」
(あんたのせいだろうが!)
類は黙々と食事をし、返事をしなかった。それでも話をやめない田中は。
「彼女さんてまさか社内の人間じゃないですよね?」
二人だけの部署だ、遠回しに美希のことを言ってるのはわかっていた。
「いや、違います。外部の方ですよ。もうこのくらいで勘弁して下さい。ミーティング続けませんか?」
類は隣にいる田中の目をジッと見つめる。
(うるさいその口を早く塞げよ)
田中は、類に見つめられ顔を真っ赤にし、慌てて目をそらす。
綺麗な顔の類から見つめられ、視線を逸らさずにいられる女はいないだろう。
「あ、あら、ごめんなさい。続きしましょうか・・」
「お願いします。今は仕事中ですから、皆さん集中しましょう」
社長の息子に、こう言われてはそれ以上周りも逆らえず、ミーティングが再開された。
会議室でも、お茶汲みや資料の配布の手伝いに来ていた事務員たちも、類をチラチラ見ながら、ヒソヒソと話をしている。
(噂話をしている暇があったら働けよ!)
類は心の中で悪態をついていた。
そんな類を遠くから見ていた人物がいる。可奈だ!
(相葉さん自分からバラしちゃったのね、さてどうしようかな・・)
可奈は今出回っている噂の出所が営業からで、ミーティングに出席している類の画像までが、社内メールで拡散されていることを知っていた。
それもご丁寧に左手薬指にはめたリングの拡大画像付きだ。
指輪がどこのブランドなのかと話題になっていた。
可奈は、美希もリングを着けているので、バレるのは時間の問題だと思っていた。
(美希に教えてあげようか?それとも今は様子を見る?)
考えた末、類にメールを送る。
[噂になってますよリングの件、美希も着けてるからいずれバレます]
コメントと一緒に画像を添付して送信した。
類はすぐにメールに気がつき、顔を上げ。
部屋の隅にいた可奈に気がつくと笑顔を返す。
可奈も少し頭を下げ、またスマホを操作してメールを送る。
[力になれることはありますか?言ってくれたら協力します]
送信して類を見る。
[可奈さんありがとう、週明けにはリングを外して出社します。今は周りに知られたくないので]
送信して、類も可奈に向かって少し頭を下げる。
それを見た可奈は類に笑顔を向け、お茶を配り始めた。
会議が終わり、類は早々に会社を後にした。
「食べ物はデリバリーでいいな、早く帰ってやらないと」
玄関のドアを勢いよく開け、類はドラッグストアで買ってきた鉄剤のサプリや栄養ドリンクなどが入った袋をテーブルに置き。
リビングのソファーに寝ていた美希の顔を覗き込む。
「寝てるのか・・」
規則正しい寝息を確認すると、ベッドルームから毛布を持ってきて美希に掛けてやる。
一人がけのソファーに座るとノートパソコンを操作し始めた。
「もう限界だな・・早く家を建てて美希にはそこで仕事をさせよう」
類はもう建築士に、数パターン家の図面を書かせていた。
それを急がせるメールを送り、次に家具のカタログを見始める。
寝室、美希のアトリエと類の書斎にはかなりお金をかけるつもりだったので、家具選びも慎重になる。
「類・・」
「目が覚めたか?朝から何か食べた?」
「ずっと寝てたからミルクしか飲んでない」
「そうか、何か頼むから少しは食べて。鉄剤のサプリ買ってきた、今水持ってくる」
美希を起こしサプリを飲ませ、膝に毛布をかけ体を温めてやる。
電話をかけ美希が食べられそうな物を注文し。
「美希、今日ランチミーティングの時、俺のリングの画像が撮られて、社内に出回った。美希も着けてるとバレるから週明けから外していくよ」
「そんなことがあったんだ。凄いね盗撮とか、私にはよくわからないや」
朝から何も食べていない美希は考えることも面倒で、他人事のように話していた。
「ねえ、しばらくここで仕事するの嫌?」
「・・ん~ひとりで家にいるのは・・類もいないし・・」
「そうか、じゃあ当分一人で社内を歩き回るなよ」
何も食べていない美希に早めの食事を摂らせ、貧血状態なので風呂はシャワーだけで長居はするなとキツく言いきかせる。
美希の長風呂は病的なのだ。倒れられたら心配な類は、浴室の外でもう出てこいとうるさく監視をする。
ブツブツ文句を言いながらも出てきた頃には、食事をして赤みが差していた頬は白くなっていた。
まだ早いが寝室に連れて行き、ベッドに座らせる。
「風呂入ってくるから待ってて」
類はそう言って入れ替わりにバスルームに行く。
夜9時には二人はベッドの上で、類はパソコン、美希はタブレットで宝石の写真を眺めていた。
「ティアラ作ろうかな・・」
「そんな依頼ないでしょ?」
「うん、私の依頼で」
「金に糸目はつけるなよ、自分が納得する作品を作れ。それは価値があるものだから子孫に残せる」
類は美希の額にキスを落とすと。
「億の金がかかってもいいよ、本当だからな」
美希はたくさんのクッションの山に埋もれるように寝かされていた。
タブレットを枕元に置くと類に向かって両手を差し出した。
類はニコッと笑うと美希を抱きしめる。
「女は本当に大変、真希も私も生理が重い方で、私が愚痴を言うと『これがあるから赤ちゃんが産める』んだって思えって。毎月三日間は寝込んで悪態つきたくなるけど、その言葉思い出して乗り切ってる・・」
「ねえ、旅行週末の二日間に有給プラスしてのんびりしない?次の生理が終わる35日後くらいになるけど、1ヶ月は長い?でも私にも時間が欲しいの」
類は体を起こし美希を見下ろすと、顔中にキスの雨を降らせる。
「そんな嬉しいこと言ってくれるの?まるまる一週間取っちゃう?そのためなら明日から休日出勤でもなんでもするよ」
「そんな、体壊すから休みはちゃんと取って、じゃないと中止にするからね」
類は美希の唇を指でなぞりながら。
「今度こそ君を愛せる・・夢みたいだ」
「私は少し怖い・・」
「何も心配はいらない。心も身体も僕を信じて、全て委ねて欲しい、優しく大切に愛すから」
類は唇を重ねるだけのキスをすると。
「唇まで白くなってる・・少し何か口に入れてから痛み止め飲もう」
「そんなに酷い?抹茶ムースが冷蔵庫に入ってるの、それなら食べたい」
「わかった持ってくる」
(お腹も腰も酷く痛い、薬飲んだらトイレ行かないと)
薬を飲みトイレに行って、昼も散々寝たが美希は目を瞑るとすぐに眠りの世界に引き込まれていった。
週明けピークの三日間を自宅で寝て過ごしたので、なんとか出勤してきた美希は。
休み中に届いた新品のノートパソコンを操作しながら、3Dで自分のデザイン画を動かしていた。
類が徳さんの使っているソフトと同じがいいだろうと購入し、インストールまでしてくれていた。
徳さんは自身でもデザインはするが『どうも苦手で』と言って、もっぱら加工を主に手がけている。
デザインから図面を起こし、材料選び、加工まで一連の作業ができる優秀な職人さんだ。
「美希、まだ無理するな、今朝『漏れた!』って叫んでトイレ駆け込んでただろ?まだ顔色悪いし、うちの会社は女性が多いから生理休暇もちゃんとある、利用しろよ」
「うん辛かったらベッドで寝るから」
そう言ってまたパソコンに向かって作業を始める。
類のリングの噂は相変わらず女性社員の間で話題にはなっていたが、時間と共に以前ほど騒がれてはいなかった。
類の指からリングが消え、女性たちも色々憶測をするが、誰も情報を聞き出せないので諦めるしかなかった。
二人はチェーンに指輪を通してネックレスとして身に付けていた。
それを知っているのは可奈だけだ。
今日も加奈はお昼休み美希たちの部屋に遊びに来ていた。
「もう夏よね~美希は遊びに行かないの?」
「ちょっと涼しくて静かなところに行きたいって思ってるんだけど、良いところ探してる」
「そうか~私なんか相手がいないから寂しいもんよ」
「可奈は片思いの彼と会ったりしてるの?思い切って誘ってみたら?」
「この前もメールでやり取りしたんだけど、私に対して良いイメージはあるみたいなんだけど、そこから先はね・・どうやら聞くところによると女の影があるんだよね~私としては祝福したいけど、微妙~!とりあえず今は様子を見てる」
「可奈なら好きになってもらえそうなのに・・上手くいかないもんだね」
「あっと!私そろそろ戻らなきゃまた来るよ、相葉さんお邪魔しました」
類は顔を上げて会釈をする。
「可奈バイバイ」
可奈は手を振って部屋を出て行く。
類はこの時の会話の中で、何かが引っかかる気がしていた。だがそれが何なのかが分からなくて、気を引き締めないといけないと漠然と思った。
(気にし過ぎかな・・)
何事もなく数日が過ぎ、美希の引きこもりにも限界が近づいてきた。
「もう社内以外なら出てもいいんじゃない?限界なんだけど・・」
「僕は今日、営業でプレゼンの打ち合わせ行くから一緒に行けない」
「ダメだよ!類と一緒なんて逆に悪目立ちしちゃう。一人で公園散歩に行く。どっかでお昼買ってベンチでご飯食べて帰ってくる」
「大丈夫なの?何かあったらメール入れて」
さすがに類も、このまま美希を閉じ込めておくこともできず外出を許した。
美希は奥の部屋に入ると服を着替え変装し始める。
屋上で囲まれたことがいまだに恐怖で、会社を出るまで人に見られたくなかったのだ。
「考えたな!」
「でしょ?」
「その制服で眼鏡女子姿、萌えるな~今すぐ四つん這いにして、制服破いて淫らな格好、う!痛いです。すいません」
美希はヒールの踵で類の靴を踏みつけていた。
「じゃあ私行くから、公園行って写真撮ってご飯食べたら帰ってくる」
類は美希にキスをして。
「行ってらっしゃい、本当に気をつけろ」
小さな手提げを持って美希は部屋を出て行く。
会社から車で15分ほど行くと大きな公園がある。
道路を挟んで片側に球技場やテニスコート、反対側はお花見広場や大きな池があり、今の時間帯は子供達が母親に連れられて遊びに来ている。
美希は子供を見ると、甥や姪のことを思い出し頬が緩む、大学一年の時には叔母になっていたので、帰省の度にまだ小さい甥に会うのがとても楽しみだった。
「康太ももう大きくなったよな~小学生だもんね私も年取るわけだ・・」
今の時期は木が緑で覆われとても気持ちがいい。
一通り散策し、スマホで写真を撮りすぐにクラウドにアップする。
お昼近くになったので、池の近くにある東屋のベンチテーブルに座り、しばらく景色を眺めていた。
その時バッグに入れていたスマホが鳴り出す。類だと思って見たら加奈からで。
「加奈?もしかして今うちの課に来てる?」
『うん鍵がかかってたから美希どうしたのかと思って電話したの、今どこ?』
「公園散歩してた。私今日はこっちでお昼食べるから、来てくれたのにゴメンね」
『あ~いいって気使わないで、でもよく一人で外出ようと思ったね』
「事務服着て眼鏡かけて、変装して部屋出た。地下の駐車場までだからエレベーターさえクリアしたら誰にも気が付かれずに外に出れたよ。ふふ」
『やるじゃん!そしたら私は社食でお昼するわ、じゃあまたね』
「うんまたね」
電話を切ると美希は買ってきたサンドイッチとラテでお昼を食べ始める。
久しぶりの外の空気なので美希は気分が良かった。
「このままここに居たいけど類も心配するだろうし、そろそろ帰らないと」
美希は駐車場に停めてあった車に乗り込むと会社へと向かう。
地下の駐車場に着き車から降りた途端、頭から何か袋のようなものを被せられ肩と両腕を掴まれてコンクリートの上に座らされる。
「キャ!」
何人いるのかは分からないが、恐怖で凍りついた美希は
ガタガタと震え、自分の身に何が起こったのか分からず怯えていた。
『忠告したはずだ!相葉類に近づくなと、お前なんかには不釣り合いなんだ身の程を知れ、分かったら今日にでも相葉類と別れて会社も辞めろ、でないと次は何をするか分からない』
男なのか女なの分からないくぐもった声の主が美希に忠告する。
『分かったなら返事をしろ、でないとその綺麗な顔がどうなるか』
「・・・・」
『返事だ!』
美希は声が出せず。首を縦に何度も振った。
『今日は許してやる。だが警察に通報したら次はもっと酷いことになると覚えておけ。解放してやる今から5分間はここに座っているんだ。頭の布も取るんじゃない、いいな』
美希は頷くしかなかった。
その時制服のブラウスの襟元を掴まれ、首にかけたチェーンを引き千切るように取られ、指輪ごと持っていかれた。
『この指輪はお前には必要ない』
数人の足音が美希の周りから遠ざかって行くのが聞こえた。
しばらくコンクリートの上に座っていたが、ゆっくりと頭に被せられた袋を取る。
それはどこにでもあるエコバックの袋だった。
美希は震える身体を抱きしめ、しばらく動けずにいた。
なんとか車の中に戻り、すぐにロックをかけ後部座席に移動し、隠れるようにうずくまった。
どのくらいそうしていただろうか、突然スマホの着信が鳴り響き、美希は死ぬほどビックリした。
画面を見ると類からだったが、手が震えてスマホをうまく操作できない。
シートに置いてスピーカーにし、ようやく通話をする。
『おい!どこにいる?部屋に戻ったらいなかったから心配したんだぞ』
「・・駐車場・・」
『まだ駐車場にいるのか?30分前には着いてただろ?何やってる、サッサと戻って来い』
「いや、戻れない」
『何かあったのか?』
「頭に袋被せられて、ふ、う、ぅ」
通話がいきなり切れた。
類が駐車場に到着したのは電話を切って3分もかからなかった。
階段を一気に地下まで駆け下りてきたのだ。
外から見ると運転席にも助手席にも美希の姿が見えない。
後部座席のドアを開けるとシートの下に隠れるように座っている美希の姿を見た瞬間。
類は美希の状態が普通じゃないことに気がつき・・強張った声で。
「どうした?話してみろ」
美希を抱き上げながらシートに座らせ、涙を流して震える美希の顔を両手で挟み視線を合わせる。
「・・車を降りて、この袋を頭から被せられて、類に近づくなって、最後に指輪のネックレス引き千切って持っていかれて・・」
美希の目からは恐怖と涙しかなかった。
「少しだけここにいられるか?通話状態にしておくから」
美希は頷く。
「美希の荷物持ってくる。それと警備室に寄ってカメラのデータを確認させる、警察を呼ぶから今すぐには美希は帰れないけど、ちゃんと話できるよな?」
美希は頭を抱え怯えだした。
「いや、それはダメ、怖い!私その人たちに傷つけられなかった。脅されたけど痛いこともされなかった。だから警察は嫌」
美希は類に縋って泣いていた。
「なら病院へ連れて行く、そこで警察を呼ぶかどうか話そう、会社の中で起こった問題だ、親父にも報告しないとまずい・・わかるな?」
そう言って類は車にロックを掛け美希にイヤフォンで話しかける。
『話しながら行くから、相手は何人くらいだかわかるか?』
「分からない、でも3人以上はいた。私の両腕を掴んでる二人、話しかけていた人。多分あと二人はいたと思う・・私の周りを囲む何人かの靴音が聞こえたから」
『そうか、少なくとも5人か、各部署に問い合わせて、その時間に席を外していた人間を探す』
「類、やめて私もういいから、なんなら会社辞めたっていい」
『なんで?やられっ放しでいいの?俺は悔しいよ』
類は美希の荷物をまとめ、自分のデスクから父親に電話をかけた。
ことの一部始終を話して聞かせ、美希はどうしても警察には届けたくないと怯えていること、父親は美希に会いに行くと言ってくれたので、自宅に戻ることにした。
自宅に戻り少し落ち着いてきたのか、美希はソファーに座って類が入れた紅茶を飲んでいた。
一時間後、類の両親がマンションに訪ねて来て、特に義母は美希を心配し隣に座ってずっと手を握っていた。
美希はただぼんやりと三人が話すことを聞き、聞かれたことに答えていた。
質問の内容に少し興奮し泣き始めた美希を類が、寝室に連れて行き休ませ、両親のいるリビングに戻って二人と話し始める。
「見ただろ?警察に届けるっていうと興奮してなだめるのが大変なんだ」
「確かに警察に届けた方がいいと思うんだが、うちのスキャンダルとも言える内容だ。お前に近づくなと言って脅したことを週刊誌が放っては置かないだろう・・幸、美希さんは怪我もしていなかったし、あの子がマスコミに追いかけられる事態にでもなったら、美希さんは耐えられるか?父さんはそっちの方が心配だよ『真白』の親方の大事な孫娘を嫁にいただいたんだ。うちとしても今回の件を警察に届けるかどうかは、美希さん本人とあちらのご両親を抜きに勝手に動けない。結婚とはな、類そうゆうものだよ」
「類、お母さんも、今は美希ちゃんの身体と気持ちを一番に考えるべきだと思うのよ、あちらのご実家のことは私とお父さんに任せなさい。あなたは少し美希ちゃんの側にいてあげたらどう?新婚旅行にも行ってないし、お式もまだ。若い娘さんだもの華やかなことに憧れるものなの、あなたどれだけ甲斐性ないの?昨日メールで自分のティアラをデザインしてるって、美希ちゃんが連絡くれたの、ああ!やっぱり憧れてるんだわってお母さん情けなくて仕方なかったわ、ねえアナタ?」
「そうだな、翔太が8月から本格的に営業に参加する、類はひと月くらい休みを取って美希さんの側にいた方がいいだろう。お前がやってる仕事は翔太に任せることにする。二人で旅行に行くも良し、夏だから避暑で別荘に行って二人だけで過ごしてもいいだろう、うまくいって子供でも身籠もればうちとしても、あちらとしても、喜ばしいことだ。今回の件はお前が原因で起きた問題だぞ、夫婦仲が良いことをアピールしないと向こうも心配する。なんなら身籠もるまで休みをやってもいい。類、お前は家庭を持ったんだ、しっかりしろ!」
「・・父さん母さん迷惑かけてゴメン・・じゃあ父さんたちから美希の実家に連絡してくれるんだね?僕は美希の側について、あいつの精神状態が落ち着くまで守る」
「類、しっかりね、困ったことがあったら母さんに連絡しなさい。今は美希ちゃんを大事にして側に寄り添ってあげることよ・・ところであんた!本当に浮気とか女性関係大丈夫なんでしょうね?」
「え?何いってんだよ息子を信じろよ!親が信じなくてどうすんだよ」
「あんたのことを見てきた私だから一番信じられないのよ!あれだけ女の子泣かせてきたあんたを信じられるわけがないわよ」
三人でワイワイと話しながら、結局は親に尻拭いをさせている自分が不甲斐なく、両親には帰り際何度も頭を下げた。
美希の一件はお互いの家族間で話し合い、警察への届けは出さないことにした。
これはマスコミ対策もあり、お互い商売をやっているためスキャンダル性の高い内容なので警察を嫌った結果だ。
なので会社独自で探偵事務所に依頼し調査を始めていた。
その報告が休暇中の類の元に定期的に届くようになっていた。
会社での美希はスリアン工房に研修中ということにしてある。
類もデザイン課での業務がないので、九州支社の長男の元で研修に行くという設定にしておいた。
美希はまだ不安定なところはあるが、だいぶ落ち着いてきたので旅行に誘ったが、人がいるところを嫌がったので類の父親が持っている別荘に行くことにした。
釣り好きの父の趣味で別荘は何ヶ所かある、それと社員のための保養所、それを巡っているだけでもひと月などすぐに過ぎる。
最初は湖が近くにある別荘を選んだ。
ここはペンションを買い取ったもので、いかにも美希が好きそうだったからだ。
タブレットの画像で見せて誘うと、美希は目を輝かせ別荘巡りを承諾した。
住宅街が並ぶ道を走り、一軒の広い家の中に車を乗り入れる。
「ここ知り合いに紹介してもらったんだ。土地が広くていいでしょ?」
「本当ね、おうちも大きいわ」
「隣の空き地もここの持ち主さんの物なんだよ。全部買い取って家を建てようと思う。県境だから隣はもう東京だし、交通の便もいい。仕事が忙しいうちは東京から離れることできないから、ギリギリここならのんびり暮らせそうじゃない?美希がよければ決めたいんだけど」
「随分と急ぐのね・・」
(当たり前だろう!お前を守るためだ)
類は美希を家に縛り付けておきたかった。
煩わしい女の嫉妬もそうだが、美希の容姿が昔から男性の目も引くことを、類はよく思っていなかった。
社内で今の課を立ち上げたのも男性社員から美希を隠すため。
社食を使わないのも同じ理由だ。
「ここの環境は全て調べてある。近隣トラブルや事件事故などなかったか、条件が良い土地って見つけるの大変だから決めるなら早い方がいいだろ?決めていい?」
「私まだ家で仕事する気ないよ、だから急がなくていいんじゃない?」
「・・美希が出社したければすればいいよ、でもマンションより一軒家に住みたいんだよ。決めるからね」
「私の意見聞く前から類の中では決まってるんでしょ?なら私は何も言えない」
「どうしたの?そんな言い方して・・引っ越すのが嫌なの?」
(会社から離れたら類が外で何してるかわからなくなる・・)
「別に・・もう決めたならそれでいい!見たから帰ろうよ」
自宅に戻ると美希はヨーロッパの骨董品の写真集を見ていた。
勉強のために開いた本だが、内容が一向に頭に入ってこない。
何度となく溜息をつく美希を気にしながら、ノートパソコンを操作していた類は美希に近づき。
美希の首筋に唇を這わす。
「あん!」
いきなり感じる場所を刺激され甘い声が出てしまった。
「類、やめて。私まだそういうのは・・」
「ずっと様子がおかしい、何かあるの?」
「何も・ない・・」
「次の休み旅行行かない?近場で星空が綺麗な場所、ブライダルの方も六月過ぎれば暇になる、美希仕事し過ぎ」
類は嫌がる美希の首筋から顔を離そうとしない。
「はぁ・・思いつきで旅行って言われても」
「思いつきじゃないよ、そこで美希と愛し合いたい」
美希の動きが止まる。
「私がそれはまだ無理って言ってるじゃない!それが条件で結婚を継続するって」
「んーそうだけど、美希は僕のこと好きでしょ?酷く嫉妬深いのも僕を取られたくないから。違う?」
類の唇は鎖骨を擽り始める。
「嫉妬なんかしてない!」
「してるよ泣くほど悔しがって、だったら僕を自分のものにすればいいんだよ。君の身体に溺れるように仕向けて、そしたら僕は君を抱き続ける。他の女なんかに嫉妬する余裕もないくらい君を求めるだろう、そうしたら?」
「い、や・・あぁ」
「頑固だね、ここで奪ってもいいんだよ?契約書はもう無い。事実上僕は君の夫だ。妻を抱くのに遠慮はいらないからね、初めてでも気持ちよくさせてあげるよ?」
「そんなことしたらここを出て行くわ」
「この前もそんなこと言ってたけど、結局出て行けなかった。諦めなよ」
「類!もう離して、そうやって私を追い詰めないで」
類は美希の首筋から顔を上げると。
「僕が離れていってもいいの?」
類は面倒くさそうに言う。
「・・そうなったら離婚する、類はそうゆう人なんだって思う」
「全く頑固だね君は・・」
類は身体を離すとキッチンに行きコーヒーを入れ、飲みながら。
「美希は僕を試してるでしょ?自分からは身体を差し出さない、裏切られて傷つきたくないから。その割には嫉妬すると泣いて、すぐに甘えだす。自分のことが好きだと僕に言わせるために。僕は君以外の女性なんかいらないのに、なんでそんなことするの?真希さんのようになりたくないから?信じてもらえず一緒に生活するのがどれだけ苦しいかわかる?僕が一度でも君を傷つけるようなことした?僕はもう十分傷ついてるよ・・」
類はわかっていたのだ。試されていることも、美希が考えていること何もかも。
美希は全てが当たっているので言葉が出なかった。
「待っていたけど、無理そうだよ」
美希は俯いてしばらく考えた。
「来週行かないって言ったら類はどうするの?」
「離れたくはないけど一緒には暮らせない、きっと美希を傷つけるから」
「離婚するってことね・・」
「美希は離婚してもいいの?全てをなくすよ」
「だって、どうしたらいいのよ!一緒に暮らせないって言われたら私は離婚して実家に帰るしかないじゃない・・」
「だから僕たちが本当の夫婦になればいいことでしょ?もう試されるのも嫉妬されるのも疲れるんだよ。恋人以下の夫婦ってなに?意味あるの?だったら契約結婚の方がよっぽど楽でよかった」
「わかった。もう全部やめよう」
美希は立ち上がると寝室に入っていった。
「どうせ荷物まとめて出て行くって騒ぎ出すんだ。甘ったれのお嬢さんのやることくらい想像つくし」
(それでも引き止めないと、行く当てのない女性を家から出すことはできない)
寝室に行くと、美希はベッドの下に座って泣いている。
類は隣に座ると。
「出て行くとか言わないで、女性を追い出すようなことはしたくない、時間が欲しいなら僕が出て行くよ、このままじゃいつまで経っても恋人にもなれない」
「どこに行くの?」
「会社の近くにマンスリーマンションがあるから、俺は男だからどこでもいい」
美希が類の腕を掴んで。
「考える、だからここにいて」
「あ~本当に我儘だね~君は、それが僕をどれだけ苦しめてるのかわかって言ってるの?」
「・・・・」
類は美希を抱き上げ、乱暴にベッドに寝かせると両手を掴んで覆いかぶさる。
美希はされるまま、類から視線を逸らさない。
「いつまで待てば?」
「わからない・・」
「悪魔だね君は・・僕の選択肢は『待て』しかないのか・・地獄だ」
チュッとキスをすると美希の身体を起こし。
「今日は美希が料理して『あなた~あ~ん』って食べさせてよ、新妻プレイだけで我慢する。わかった?」
「料理はするけど、それは嫌かも」
「ダメだよ、さあキッチンに行こう、裸にエプロンでもいいけど僕は、痛っ!」
美希は類の腕を思い切り叩いた。
「セクハラ」
昼休み可奈が弁当を持って美希たちの部屋にやってきた。
「六月は忙しくてなかなかサボれなかったから、お昼ここにも来るのも何日振り?美希の方は?仕事暇なんでしょ?」
「そうだね、今は急ぎの仕事が一件もないから退屈で仕方ないよ、出社してもこの部屋から出ないから、息が詰まるし」
「あれから秘書課と受付嬢たちの情報探ってるけど、動きは無いようよ。美希に感する噂もないし、どうやら脅しだったみたいね」
「そう、色々ありがとう。今度食事ご馳走するわ」
「だったら週末どっか行かない?日帰り温泉エステコースとか?美希そうゆうの好きじゃない」
美希は小声で。
「ゴメン、予定だと明日あたりに来ちゃうのよ。きっと週末は寝込みそう、今から腰痛いし眠いしで・・」
「おっとそうだったか、そしたらまたお互い行けそうな時にどっか遊びに行こう、私もう行くわ、お大事にね」
「うん、またね」
二人の話を聞いていた類は、デスクの上にあるカレンダーを見ていた。
先月、美希の生理があった日から数えて、明日の金曜はちょうど28日目になる。
生理が重い美希は毎月具合が悪くなるので類もチェックしていたのだ。
(なんで今週末は来るって言わなかったんだ?そしたら旅行に行こうとは言わなかったのに・・)
「美希、具合悪いのか?」
「んー大丈夫」
「怠いならベッドで寝てこい、今は暇だし起きてても辛いだけだろ?」
類は隣の部屋へ行き窓を開け換気をしてやる。
ベッドのシーツは使っていなくても毎週月曜と水曜に美希が交換しているのですぐに使える。
タオルケットをクローゼットから出しベッドに置くと。
「美希、眠いんだろ?無理しないで寝ろ」
類は美希のデスクまで行くと首に手を当てる。体温が上がっているのか体は熱い。
「熱いよ、行こう」
「うん」
美希が怠そうにベッドに横になると。
「先週旅行に行こうって行ったとき、何で今週は無理って言わなかった?来るって知ってたら誘わなかったし、あそこまでお前を責めなかったよ」
美希の髪を撫でながら、手を握り様子を伺う。
「ずっと避けてて、逃げてるって思われそうだったから。今週になって生理来たら言おうと思った」
「このぶんじゃ週末は寝込みそうだな・・明日は自宅で仕事ってことにして出社しなくてもいいんだぞ」
「いい、類と一緒に出社する・・」
美希は類が握ってる手を自分の頬に擦り寄せる。
「明日は午後に会議があるから、朝から資料作ったり、営業へミーティングに行く、ずっと側にいてやれないぞ」
「うん、それでもいい」
(具合が悪くても俺を監視しないと、信じられないのか・・どうしたもんか)
美希は明け方、腹痛で目が覚め、トイレに行くとやはり始まっていた。
トイレから出て薬を飲むか悩んだが、一日三回しか飲めないので、今は諦め、重い腰をさすりながらまたベッドに潜り込む。
「大丈夫か?」
「うん」
「まだ5時だ眠りな」
そう言って抱き寄せ腰を優しくさすってくれる。
それが心地よく、また眠りにつく。
朝、類は美希を起こそうと思ったが、顔色が悪い。
「多分、貧血だな」
一人にするのも心配だが、会社に連れて行っても付いててやれる時間もない、薬と置き手紙をして類は家を出た。
美希が目覚めたのは9時を回ったところだった。
キッチンカウンターには薬と類からの置き手紙。
冷蔵庫からミルクを取り出しグラスに注ぎ。
空腹なのでミルクで薬を飲み下して、重い体でソファーに座る。
「やっぱり今日は行けそうにない・・」
類に近づく女性のことが気になり、出社して側に居たかったが、さすがに今日は辛く諦めるしかなかった。
「本当ね、こんなに嫉妬深かったら男の人は嫌がるよね」
美希は、自分がしている愚かな行為が、類を遠ざけているとわかっていたが、どうしても止めることができなかった。
気がつかないうちに類を愛し過ぎていたのだ。
11時半になったので類は美希に電話をかけた。
コールしたらすぐに出たので、少しホッとし。
「朝、顔色が悪かったから起こさなかった。具合どお?」
『良いとは言えない、やっぱり今日は家にいる』
「それがいい、この後すぐにランチミーティングなんだ。13時には会議が始まる。終わればもう帰れるから、食べたいものとかある?買って帰るよ」
『何でもいい、辛くて食べ物のことまで考えられないの』
「ああー可哀想に、16時には帰れると思うから、また連絡するよ。愛してる」
「うん」
美希との電話を終え、類は部屋を出て営業部へ行く。
会議に出るメンバーで大きなテーブルを囲み、ランチをしながら資料の説明を聞き、打ち合わせをする。
類の隣に座った、女性スタッフの田中から。
「それってカップルリングですか?相葉さんって彼女いたんですね~」
営業部はオープンルームになっているので、そこでした会話は近くにいる人間なら当然耳に入る。
ブライダルを前に出している会社なので、営業部のスタッフの半数は女性社員だ。
類がミーティングに来ているということで、女性スタッフの意識は類に注がれていた。
一瞬静かになったと思ったら、急にガヤガヤとざわめきだし。
類が返事に困っていると、男性スタッフの一人が。
「相葉さんに彼女がいれば、少しは僕たちの方にも女性が流れてくるかもしれない、今日のミーティングで一番重要な話題だ」
と冗談めかし喋るので、類は仕方なく認める。
「そうですね、これ彼女とペアのリングです」
営業部からは悲鳴すら聞こえてくる始末で、類はこれが美希のことだとバレないよう心の中で祈っていた。
「あら~これ今の時点で社内中に広まってますよ。イケメンにはプライバシーないから可哀想、ふふ」
(あんたのせいだろうが!)
類は黙々と食事をし、返事をしなかった。それでも話をやめない田中は。
「彼女さんてまさか社内の人間じゃないですよね?」
二人だけの部署だ、遠回しに美希のことを言ってるのはわかっていた。
「いや、違います。外部の方ですよ。もうこのくらいで勘弁して下さい。ミーティング続けませんか?」
類は隣にいる田中の目をジッと見つめる。
(うるさいその口を早く塞げよ)
田中は、類に見つめられ顔を真っ赤にし、慌てて目をそらす。
綺麗な顔の類から見つめられ、視線を逸らさずにいられる女はいないだろう。
「あ、あら、ごめんなさい。続きしましょうか・・」
「お願いします。今は仕事中ですから、皆さん集中しましょう」
社長の息子に、こう言われてはそれ以上周りも逆らえず、ミーティングが再開された。
会議室でも、お茶汲みや資料の配布の手伝いに来ていた事務員たちも、類をチラチラ見ながら、ヒソヒソと話をしている。
(噂話をしている暇があったら働けよ!)
類は心の中で悪態をついていた。
そんな類を遠くから見ていた人物がいる。可奈だ!
(相葉さん自分からバラしちゃったのね、さてどうしようかな・・)
可奈は今出回っている噂の出所が営業からで、ミーティングに出席している類の画像までが、社内メールで拡散されていることを知っていた。
それもご丁寧に左手薬指にはめたリングの拡大画像付きだ。
指輪がどこのブランドなのかと話題になっていた。
可奈は、美希もリングを着けているので、バレるのは時間の問題だと思っていた。
(美希に教えてあげようか?それとも今は様子を見る?)
考えた末、類にメールを送る。
[噂になってますよリングの件、美希も着けてるからいずれバレます]
コメントと一緒に画像を添付して送信した。
類はすぐにメールに気がつき、顔を上げ。
部屋の隅にいた可奈に気がつくと笑顔を返す。
可奈も少し頭を下げ、またスマホを操作してメールを送る。
[力になれることはありますか?言ってくれたら協力します]
送信して類を見る。
[可奈さんありがとう、週明けにはリングを外して出社します。今は周りに知られたくないので]
送信して、類も可奈に向かって少し頭を下げる。
それを見た可奈は類に笑顔を向け、お茶を配り始めた。
会議が終わり、類は早々に会社を後にした。
「食べ物はデリバリーでいいな、早く帰ってやらないと」
玄関のドアを勢いよく開け、類はドラッグストアで買ってきた鉄剤のサプリや栄養ドリンクなどが入った袋をテーブルに置き。
リビングのソファーに寝ていた美希の顔を覗き込む。
「寝てるのか・・」
規則正しい寝息を確認すると、ベッドルームから毛布を持ってきて美希に掛けてやる。
一人がけのソファーに座るとノートパソコンを操作し始めた。
「もう限界だな・・早く家を建てて美希にはそこで仕事をさせよう」
類はもう建築士に、数パターン家の図面を書かせていた。
それを急がせるメールを送り、次に家具のカタログを見始める。
寝室、美希のアトリエと類の書斎にはかなりお金をかけるつもりだったので、家具選びも慎重になる。
「類・・」
「目が覚めたか?朝から何か食べた?」
「ずっと寝てたからミルクしか飲んでない」
「そうか、何か頼むから少しは食べて。鉄剤のサプリ買ってきた、今水持ってくる」
美希を起こしサプリを飲ませ、膝に毛布をかけ体を温めてやる。
電話をかけ美希が食べられそうな物を注文し。
「美希、今日ランチミーティングの時、俺のリングの画像が撮られて、社内に出回った。美希も着けてるとバレるから週明けから外していくよ」
「そんなことがあったんだ。凄いね盗撮とか、私にはよくわからないや」
朝から何も食べていない美希は考えることも面倒で、他人事のように話していた。
「ねえ、しばらくここで仕事するの嫌?」
「・・ん~ひとりで家にいるのは・・類もいないし・・」
「そうか、じゃあ当分一人で社内を歩き回るなよ」
何も食べていない美希に早めの食事を摂らせ、貧血状態なので風呂はシャワーだけで長居はするなとキツく言いきかせる。
美希の長風呂は病的なのだ。倒れられたら心配な類は、浴室の外でもう出てこいとうるさく監視をする。
ブツブツ文句を言いながらも出てきた頃には、食事をして赤みが差していた頬は白くなっていた。
まだ早いが寝室に連れて行き、ベッドに座らせる。
「風呂入ってくるから待ってて」
類はそう言って入れ替わりにバスルームに行く。
夜9時には二人はベッドの上で、類はパソコン、美希はタブレットで宝石の写真を眺めていた。
「ティアラ作ろうかな・・」
「そんな依頼ないでしょ?」
「うん、私の依頼で」
「金に糸目はつけるなよ、自分が納得する作品を作れ。それは価値があるものだから子孫に残せる」
類は美希の額にキスを落とすと。
「億の金がかかってもいいよ、本当だからな」
美希はたくさんのクッションの山に埋もれるように寝かされていた。
タブレットを枕元に置くと類に向かって両手を差し出した。
類はニコッと笑うと美希を抱きしめる。
「女は本当に大変、真希も私も生理が重い方で、私が愚痴を言うと『これがあるから赤ちゃんが産める』んだって思えって。毎月三日間は寝込んで悪態つきたくなるけど、その言葉思い出して乗り切ってる・・」
「ねえ、旅行週末の二日間に有給プラスしてのんびりしない?次の生理が終わる35日後くらいになるけど、1ヶ月は長い?でも私にも時間が欲しいの」
類は体を起こし美希を見下ろすと、顔中にキスの雨を降らせる。
「そんな嬉しいこと言ってくれるの?まるまる一週間取っちゃう?そのためなら明日から休日出勤でもなんでもするよ」
「そんな、体壊すから休みはちゃんと取って、じゃないと中止にするからね」
類は美希の唇を指でなぞりながら。
「今度こそ君を愛せる・・夢みたいだ」
「私は少し怖い・・」
「何も心配はいらない。心も身体も僕を信じて、全て委ねて欲しい、優しく大切に愛すから」
類は唇を重ねるだけのキスをすると。
「唇まで白くなってる・・少し何か口に入れてから痛み止め飲もう」
「そんなに酷い?抹茶ムースが冷蔵庫に入ってるの、それなら食べたい」
「わかった持ってくる」
(お腹も腰も酷く痛い、薬飲んだらトイレ行かないと)
薬を飲みトイレに行って、昼も散々寝たが美希は目を瞑るとすぐに眠りの世界に引き込まれていった。
週明けピークの三日間を自宅で寝て過ごしたので、なんとか出勤してきた美希は。
休み中に届いた新品のノートパソコンを操作しながら、3Dで自分のデザイン画を動かしていた。
類が徳さんの使っているソフトと同じがいいだろうと購入し、インストールまでしてくれていた。
徳さんは自身でもデザインはするが『どうも苦手で』と言って、もっぱら加工を主に手がけている。
デザインから図面を起こし、材料選び、加工まで一連の作業ができる優秀な職人さんだ。
「美希、まだ無理するな、今朝『漏れた!』って叫んでトイレ駆け込んでただろ?まだ顔色悪いし、うちの会社は女性が多いから生理休暇もちゃんとある、利用しろよ」
「うん辛かったらベッドで寝るから」
そう言ってまたパソコンに向かって作業を始める。
類のリングの噂は相変わらず女性社員の間で話題にはなっていたが、時間と共に以前ほど騒がれてはいなかった。
類の指からリングが消え、女性たちも色々憶測をするが、誰も情報を聞き出せないので諦めるしかなかった。
二人はチェーンに指輪を通してネックレスとして身に付けていた。
それを知っているのは可奈だけだ。
今日も加奈はお昼休み美希たちの部屋に遊びに来ていた。
「もう夏よね~美希は遊びに行かないの?」
「ちょっと涼しくて静かなところに行きたいって思ってるんだけど、良いところ探してる」
「そうか~私なんか相手がいないから寂しいもんよ」
「可奈は片思いの彼と会ったりしてるの?思い切って誘ってみたら?」
「この前もメールでやり取りしたんだけど、私に対して良いイメージはあるみたいなんだけど、そこから先はね・・どうやら聞くところによると女の影があるんだよね~私としては祝福したいけど、微妙~!とりあえず今は様子を見てる」
「可奈なら好きになってもらえそうなのに・・上手くいかないもんだね」
「あっと!私そろそろ戻らなきゃまた来るよ、相葉さんお邪魔しました」
類は顔を上げて会釈をする。
「可奈バイバイ」
可奈は手を振って部屋を出て行く。
類はこの時の会話の中で、何かが引っかかる気がしていた。だがそれが何なのかが分からなくて、気を引き締めないといけないと漠然と思った。
(気にし過ぎかな・・)
何事もなく数日が過ぎ、美希の引きこもりにも限界が近づいてきた。
「もう社内以外なら出てもいいんじゃない?限界なんだけど・・」
「僕は今日、営業でプレゼンの打ち合わせ行くから一緒に行けない」
「ダメだよ!類と一緒なんて逆に悪目立ちしちゃう。一人で公園散歩に行く。どっかでお昼買ってベンチでご飯食べて帰ってくる」
「大丈夫なの?何かあったらメール入れて」
さすがに類も、このまま美希を閉じ込めておくこともできず外出を許した。
美希は奥の部屋に入ると服を着替え変装し始める。
屋上で囲まれたことがいまだに恐怖で、会社を出るまで人に見られたくなかったのだ。
「考えたな!」
「でしょ?」
「その制服で眼鏡女子姿、萌えるな~今すぐ四つん這いにして、制服破いて淫らな格好、う!痛いです。すいません」
美希はヒールの踵で類の靴を踏みつけていた。
「じゃあ私行くから、公園行って写真撮ってご飯食べたら帰ってくる」
類は美希にキスをして。
「行ってらっしゃい、本当に気をつけろ」
小さな手提げを持って美希は部屋を出て行く。
会社から車で15分ほど行くと大きな公園がある。
道路を挟んで片側に球技場やテニスコート、反対側はお花見広場や大きな池があり、今の時間帯は子供達が母親に連れられて遊びに来ている。
美希は子供を見ると、甥や姪のことを思い出し頬が緩む、大学一年の時には叔母になっていたので、帰省の度にまだ小さい甥に会うのがとても楽しみだった。
「康太ももう大きくなったよな~小学生だもんね私も年取るわけだ・・」
今の時期は木が緑で覆われとても気持ちがいい。
一通り散策し、スマホで写真を撮りすぐにクラウドにアップする。
お昼近くになったので、池の近くにある東屋のベンチテーブルに座り、しばらく景色を眺めていた。
その時バッグに入れていたスマホが鳴り出す。類だと思って見たら加奈からで。
「加奈?もしかして今うちの課に来てる?」
『うん鍵がかかってたから美希どうしたのかと思って電話したの、今どこ?』
「公園散歩してた。私今日はこっちでお昼食べるから、来てくれたのにゴメンね」
『あ~いいって気使わないで、でもよく一人で外出ようと思ったね』
「事務服着て眼鏡かけて、変装して部屋出た。地下の駐車場までだからエレベーターさえクリアしたら誰にも気が付かれずに外に出れたよ。ふふ」
『やるじゃん!そしたら私は社食でお昼するわ、じゃあまたね』
「うんまたね」
電話を切ると美希は買ってきたサンドイッチとラテでお昼を食べ始める。
久しぶりの外の空気なので美希は気分が良かった。
「このままここに居たいけど類も心配するだろうし、そろそろ帰らないと」
美希は駐車場に停めてあった車に乗り込むと会社へと向かう。
地下の駐車場に着き車から降りた途端、頭から何か袋のようなものを被せられ肩と両腕を掴まれてコンクリートの上に座らされる。
「キャ!」
何人いるのかは分からないが、恐怖で凍りついた美希は
ガタガタと震え、自分の身に何が起こったのか分からず怯えていた。
『忠告したはずだ!相葉類に近づくなと、お前なんかには不釣り合いなんだ身の程を知れ、分かったら今日にでも相葉類と別れて会社も辞めろ、でないと次は何をするか分からない』
男なのか女なの分からないくぐもった声の主が美希に忠告する。
『分かったなら返事をしろ、でないとその綺麗な顔がどうなるか』
「・・・・」
『返事だ!』
美希は声が出せず。首を縦に何度も振った。
『今日は許してやる。だが警察に通報したら次はもっと酷いことになると覚えておけ。解放してやる今から5分間はここに座っているんだ。頭の布も取るんじゃない、いいな』
美希は頷くしかなかった。
その時制服のブラウスの襟元を掴まれ、首にかけたチェーンを引き千切るように取られ、指輪ごと持っていかれた。
『この指輪はお前には必要ない』
数人の足音が美希の周りから遠ざかって行くのが聞こえた。
しばらくコンクリートの上に座っていたが、ゆっくりと頭に被せられた袋を取る。
それはどこにでもあるエコバックの袋だった。
美希は震える身体を抱きしめ、しばらく動けずにいた。
なんとか車の中に戻り、すぐにロックをかけ後部座席に移動し、隠れるようにうずくまった。
どのくらいそうしていただろうか、突然スマホの着信が鳴り響き、美希は死ぬほどビックリした。
画面を見ると類からだったが、手が震えてスマホをうまく操作できない。
シートに置いてスピーカーにし、ようやく通話をする。
『おい!どこにいる?部屋に戻ったらいなかったから心配したんだぞ』
「・・駐車場・・」
『まだ駐車場にいるのか?30分前には着いてただろ?何やってる、サッサと戻って来い』
「いや、戻れない」
『何かあったのか?』
「頭に袋被せられて、ふ、う、ぅ」
通話がいきなり切れた。
類が駐車場に到着したのは電話を切って3分もかからなかった。
階段を一気に地下まで駆け下りてきたのだ。
外から見ると運転席にも助手席にも美希の姿が見えない。
後部座席のドアを開けるとシートの下に隠れるように座っている美希の姿を見た瞬間。
類は美希の状態が普通じゃないことに気がつき・・強張った声で。
「どうした?話してみろ」
美希を抱き上げながらシートに座らせ、涙を流して震える美希の顔を両手で挟み視線を合わせる。
「・・車を降りて、この袋を頭から被せられて、類に近づくなって、最後に指輪のネックレス引き千切って持っていかれて・・」
美希の目からは恐怖と涙しかなかった。
「少しだけここにいられるか?通話状態にしておくから」
美希は頷く。
「美希の荷物持ってくる。それと警備室に寄ってカメラのデータを確認させる、警察を呼ぶから今すぐには美希は帰れないけど、ちゃんと話できるよな?」
美希は頭を抱え怯えだした。
「いや、それはダメ、怖い!私その人たちに傷つけられなかった。脅されたけど痛いこともされなかった。だから警察は嫌」
美希は類に縋って泣いていた。
「なら病院へ連れて行く、そこで警察を呼ぶかどうか話そう、会社の中で起こった問題だ、親父にも報告しないとまずい・・わかるな?」
そう言って類は車にロックを掛け美希にイヤフォンで話しかける。
『話しながら行くから、相手は何人くらいだかわかるか?』
「分からない、でも3人以上はいた。私の両腕を掴んでる二人、話しかけていた人。多分あと二人はいたと思う・・私の周りを囲む何人かの靴音が聞こえたから」
『そうか、少なくとも5人か、各部署に問い合わせて、その時間に席を外していた人間を探す』
「類、やめて私もういいから、なんなら会社辞めたっていい」
『なんで?やられっ放しでいいの?俺は悔しいよ』
類は美希の荷物をまとめ、自分のデスクから父親に電話をかけた。
ことの一部始終を話して聞かせ、美希はどうしても警察には届けたくないと怯えていること、父親は美希に会いに行くと言ってくれたので、自宅に戻ることにした。
自宅に戻り少し落ち着いてきたのか、美希はソファーに座って類が入れた紅茶を飲んでいた。
一時間後、類の両親がマンションに訪ねて来て、特に義母は美希を心配し隣に座ってずっと手を握っていた。
美希はただぼんやりと三人が話すことを聞き、聞かれたことに答えていた。
質問の内容に少し興奮し泣き始めた美希を類が、寝室に連れて行き休ませ、両親のいるリビングに戻って二人と話し始める。
「見ただろ?警察に届けるっていうと興奮してなだめるのが大変なんだ」
「確かに警察に届けた方がいいと思うんだが、うちのスキャンダルとも言える内容だ。お前に近づくなと言って脅したことを週刊誌が放っては置かないだろう・・幸、美希さんは怪我もしていなかったし、あの子がマスコミに追いかけられる事態にでもなったら、美希さんは耐えられるか?父さんはそっちの方が心配だよ『真白』の親方の大事な孫娘を嫁にいただいたんだ。うちとしても今回の件を警察に届けるかどうかは、美希さん本人とあちらのご両親を抜きに勝手に動けない。結婚とはな、類そうゆうものだよ」
「類、お母さんも、今は美希ちゃんの身体と気持ちを一番に考えるべきだと思うのよ、あちらのご実家のことは私とお父さんに任せなさい。あなたは少し美希ちゃんの側にいてあげたらどう?新婚旅行にも行ってないし、お式もまだ。若い娘さんだもの華やかなことに憧れるものなの、あなたどれだけ甲斐性ないの?昨日メールで自分のティアラをデザインしてるって、美希ちゃんが連絡くれたの、ああ!やっぱり憧れてるんだわってお母さん情けなくて仕方なかったわ、ねえアナタ?」
「そうだな、翔太が8月から本格的に営業に参加する、類はひと月くらい休みを取って美希さんの側にいた方がいいだろう。お前がやってる仕事は翔太に任せることにする。二人で旅行に行くも良し、夏だから避暑で別荘に行って二人だけで過ごしてもいいだろう、うまくいって子供でも身籠もればうちとしても、あちらとしても、喜ばしいことだ。今回の件はお前が原因で起きた問題だぞ、夫婦仲が良いことをアピールしないと向こうも心配する。なんなら身籠もるまで休みをやってもいい。類、お前は家庭を持ったんだ、しっかりしろ!」
「・・父さん母さん迷惑かけてゴメン・・じゃあ父さんたちから美希の実家に連絡してくれるんだね?僕は美希の側について、あいつの精神状態が落ち着くまで守る」
「類、しっかりね、困ったことがあったら母さんに連絡しなさい。今は美希ちゃんを大事にして側に寄り添ってあげることよ・・ところであんた!本当に浮気とか女性関係大丈夫なんでしょうね?」
「え?何いってんだよ息子を信じろよ!親が信じなくてどうすんだよ」
「あんたのことを見てきた私だから一番信じられないのよ!あれだけ女の子泣かせてきたあんたを信じられるわけがないわよ」
三人でワイワイと話しながら、結局は親に尻拭いをさせている自分が不甲斐なく、両親には帰り際何度も頭を下げた。
美希の一件はお互いの家族間で話し合い、警察への届けは出さないことにした。
これはマスコミ対策もあり、お互い商売をやっているためスキャンダル性の高い内容なので警察を嫌った結果だ。
なので会社独自で探偵事務所に依頼し調査を始めていた。
その報告が休暇中の類の元に定期的に届くようになっていた。
会社での美希はスリアン工房に研修中ということにしてある。
類もデザイン課での業務がないので、九州支社の長男の元で研修に行くという設定にしておいた。
美希はまだ不安定なところはあるが、だいぶ落ち着いてきたので旅行に誘ったが、人がいるところを嫌がったので類の父親が持っている別荘に行くことにした。
釣り好きの父の趣味で別荘は何ヶ所かある、それと社員のための保養所、それを巡っているだけでもひと月などすぐに過ぎる。
最初は湖が近くにある別荘を選んだ。
ここはペンションを買い取ったもので、いかにも美希が好きそうだったからだ。
タブレットの画像で見せて誘うと、美希は目を輝かせ別荘巡りを承諾した。
0
お気に入りに追加
409
あなたにおすすめの小説
歪んだ契約の果てに
dep basic
恋愛
運命に翻弄される二人の男女が、欲望と愛情の狭間で織りなす、危険で官能的な物語――。
23歳の佐藤美咲は、父親の巨額の借金返済に追われ、絶望的な状況に陥っていた。最後の手段として自らの身体を売ることさえ考えていた彼女の前に、突如として現れたのは、冷酷で有名な大企業「帝国グループ」の若き CEO、鷹見翔太(28歳)だった。
翔太は美咲に、驚くべき提案をする。それは、彼との「契約結婚」。条件は「完全な服従」。美咲は家族を救うため、屈辱的な契約にサインをする。こうして、二人の歪んだ関係が幕を開ける。
表向きは理想の夫婦を演じる二人。しかし、その裏には支配と隷属という危うい関係が潜んでいた。冷淡な態度とは裏腹に、時に垣間見せる優しさに戸惑う美咲。一方の翔太も、美咲の純粋さと強さに、少しずつ心を動かされていく。
社交界でのしとやかな振る舞いとは対照的に、邸宅での二人の関係は過激さを増していく。翔太の命令で様々な衣装を着せられる美咲。嫌悪感と快感が入り混じる中、彼女の中に芽生える複雑な感情。そして翔太もまた、美咲への執着を強めていく。
ある日、美咲は翔太の悲惨な幼少期と、愛されなかった過去を知る。彼の行動の理由を理解し始めた美咲は、翔太への見方を少しずつ変えていく。一方、美咲の元彼との偶然の再会に激しく嫉妬する翔太。感情の高ぶりは、二人の関係をさらに複雑なものへと変えていく。
契約に耐えられなくなった美咲は家出を試みるが、借金取りに追われる彼女を翔太が救出する。互いの気持ちを告白するものの、歪んだ関係性から抜け出せない二人。愛と支配の狭間で、新たな関係を模索し始める。
そんな中、美咲の父親が突如として姿を消す。問題解決のため、二人で父の行方を追う過程で、互いへの理解を深めていく。全てを受け入れ合った二人は、ついに契約書を破棄し、純粋な愛を誓い合う。しかし、その愛はなお、普通の関係とは異なる独特の形を持っていた。
「歪んだ契約の果てに」は、現代社会の闇と人間の欲望、そして真実の愛を鋭く描き出す。読者は、美咲と翔太の複雑な心理と関係性の変化に引き込まれ、予測不可能な展開に息をのむことだろう。
歪んだ契約から始まった二人の関係は、果たしてどのような結末を迎えるのか?
支配と服従、そして純粋な愛が交錯する、衝撃の純愛ストーリーがいま、幕を開ける――。
【短編版】神獣連れの契約妃※連載版は作品一覧をご覧ください※
宵
ファンタジー
*連載版を始めております。作品一覧をご覧ください。続きをと多くお声かけいただきありがとうございました。
神獣ヴァレンの守護を受けるロザリアは、幼い頃にその加護を期待され、王家に買い取られて王子の婚約者となった。しかし、やがて王子の従妹である公爵令嬢から嫌がらせが始まる。主の資質がないとメイドを取り上げられ、将来の王妃だからと仕事を押し付けられ、一方で公爵令嬢がまるで婚約者であるかのようにふるまう、そんな日々をヴァレンと共にたくましく耐え抜いてきた。
そんなロザリアに王子が告げたのは、「君との婚約では加護を感じなかったが、公爵令嬢が神獣の守護を受けると判明したので、彼女と結婚する」という無情な宣告だった。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
隣の人妻としているいけないこと
ヘロディア
恋愛
主人公は、隣人である人妻と浮気している。単なる隣人に過ぎなかったのが、いつからか惹かれ、見事に関係を築いてしまったのだ。
そして、人妻と付き合うスリル、その妖艶な容姿を自分のものにした優越感を得て、彼が自惚れるには十分だった。
しかし、そんな日々もいつかは終わる。ある日、ホテルで彼女と二人きりで行為を進める中、主人公は彼女の着物にGPSを発見する。
彼女の夫がしかけたものと思われ…
【完結】絶対別れる!やっと理由ができました。武功を立てたので、離縁を希望します!
BBやっこ
恋愛
階級社会において、高位の者同士の契約結婚など珍しくもない。私もその口だ。
だけど、そのままでいたいと思わないので有れば、その未来を変えるべく行動に移す。
私の信念でもある。
そして、国の脅威となる魔物の軍団を一騎当千した。
その功績で、離縁してもらう!皇帝の妻の席など惜しくないのだよ!
先生!放課後の隣の教室から女子の喘ぎ声が聴こえました…
ヘロディア
恋愛
居残りを余儀なくされた高校生の主人公。
しかし、隣の部屋からかすかに女子の喘ぎ声が聴こえてくるのであった。
気になって覗いてみた主人公は、衝撃的な光景を目の当たりにする…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる