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プロローグ(序章)
序2.エンド・オブ・ザ・バケーション
しおりを挟む暗い夜の道。
「ヴーン」
甲高いバイクのエンジン音。
道の片側にせり出した壁が黒い断崖のように見え、その底まで一定の間隔に配置された電灯が黒い地面を白く、丸く照らしている。
光から光へ、塊が闇を潜り抜けていくように進んでいく。
「俺、夏休みの最後の日っていったら、いっつもこう。終わりようのない宿題を前に半ベソをかきながら机に向かってた。なんで先に終わらせなかったんだって自分を責めてさ」
「それから、高熱が出てくれないかとか、この世の終わりが来てくれればいいのにとか、そんな勝手なこと考えて。前日までこの楽しい夏休みがずっと続くことを願ってたくせに」
「そうやって毎年同じこと繰り返しでここまできちゃった。あんなに長い夏休みなんてもうない。今はいくらバイトだってやることはきちんとやらないと許されないよね」
「でもやっぱりだめ。仕事以外はやっぱりだめ。もっと早く動いていればよかったのにって。こんなシチュエーション山ほどある」
「…慌てるのって何一ついいことないよね。なのに何にも学んでない。」
「ああ、またギリギリなんてもうウザ過ぎる…ってこれだよ、いつもこれ…ははっ」
「じゃ、いくわ。サンキュ!」
カズヤは夜を進みながら、バイト仲間との会話をなぞっていた。
光流れるヘルメットのシールド越し、遠くの空に浮かぶ街明かりが目に入ると、その主である構造物群全体が城であるかのように現実世界を浮き上がらせた。
カズヤがアクセルを戻すと、エンジン音が低く力を抜いていく。
「ふぅ」
ヘルメットを脱ぎ至近に目をやると、金網越しに黒光りする電車のレールが幾重にも並んで鈍い光を放って何かを待っているかのようだった。
その金網に寄りかけるようにバイクを停めると、背後からくる光を感じ、目をやった。
「ダダンダダン、ダダンダダン……」
カズヤは動かずに過ぎていく列車を見るでもなく、見ないでもなく、ただ目を向けてじっと待った。
最後尾の赤い目が遠くに、小さくなっていくのを見届けると、ヘルメットをハンドルにかけて歩き出した。
くねくねと伸びるゆるい坂道をあがっていく。
「ふふっ」
「はははっ」
人の声を聴いて視線を上げるカズヤ。
そしてようやくあの遠くの街の光と自分とのつながりを保てた気がして安心した。
だが、瞬時に沸き起こるもやもやとした感情に支配された。
坂道を下りてくる人々の顔はみな笑顔でいくらか紅潮して見える。
その連なりの中を歩くサンタ帽を被った男が叫んだ。
「メリクリ、イェーイ!」
「メリー・クリスマス!」
呼応した者たちはそれぞれ手に物を抱えており、輪を拡縮させながらそのまま坂を滑り降りていった。
カズヤはいつもなら嫌悪感を抱くそのような光景にも、どこかうらやましさを感じていた。
今日はそんな夜だ。
なにしろこの自分が、この夜のために、愛する彼女のためにプレゼントを探し求めに行くのだから。
カズヤは足を速めると横に逸れ、急な登り階段の狭い道をトントンと上がっていく。
路地が横切る踊り場へたどり着くと、街灯の光に遮られていた建物が、たった今突然現れたかの如く目に飛び込んできた。
カズヤはそれを見上げると同時に、くすんだビルのコンクリートが寄りかかって来たかと一瞬身構えた。歩みを進めて玄関に回ると、そこにこの建物のエネルギー源が露出しているかのように暖かい光が煌々と路面を照らしていた。
カズヤは安心した。
今感じたそのすべてもこの夜独特のバランスなのかと思えると、カズヤは敢えて「動く」ということを意識しないままに、既に光の中にいた。
暖かい。
雑貨店の大きなガラスのショー・ウインドウから放たれる光はやさしいオレンジ色。
ガラスの中央に、かすれたゴールドのペイントで「Tiny World ~Selected~」と書かれている。
ショー・ウインドウ越しに見えるクリスマス・ツリーは、頭に星をつけたよく見る既製品であるのはすぐにわかった。
ただ、それを包む小さなイルミネーション・ライトがオレンジ色に弱くぼんやりと点滅しており、それぞれが不規則に、まるで独立した意識を持って思いのままに光っているかのようで、カズヤはしばし目を留めた。
そう、この小さな木に妖精がたくさんとまっていて、バラバラと共鳴を楽しんでいる、そんな演出に思えた。
この日の街の姿、人々のそれぞれがなんだかわからないが浮ついた、光らなきゃいけない、みたいな感情が表現されているのかもしれない、ともカズヤは考えてみた。
カズヤは、普段わざわざこんなに想いめぐらせながら店のこだわりを読み取ってみるようなことはないのに、と不思議に思った。
ただ、仕事で店の前を通り過ぎる人の気持ちになりきってディスプレイする商品の選択や見せ方を工夫するようにしていることを考えれば、こんな自分でもちょっとした「技」を持っているのかもしれない。でもそれってただの職業病とも言うよな、と、いつものように一瞬のうちに自分に照れ隠しをするのだった。
誰かのこだわりだろうとそうでなかろうと、このツリーを見て感じたこと、そうやってこの夜を俯瞰して見ることができたと思うと、いつもの自分を取り戻したような、ジワジワと大きくなっていたこの数週間の気持ちの揺らぎも馬鹿らしく思えて、しっかりと両足を地について体全体を伸ばしたい気持ちになった。
この店のドアを開けて中に入ること。
カズヤはこれまで探してきたこの日のためのプレゼントの答えがきっとある、という期待に胸が膨らむ、というだけでなく、それでニュートラルに、より素な自分で再び夜の街に出かけて行けるであろうことを想像することができた。
目の前にはダークブラウンの木枠に囲われたガラス扉があって、その中央には鈍くゴールドに光る太い金属……これまで何人もの手に掴まれ、擦られ、風格の出た取っ手が存在感を放っている。
カズヤの頭にNYのグリニッジビレッジあたりの風景が頭をよぎる。
カズヤは親の仕事の都合でアメリカに住んでいたことがある。
アメリカかぶれはしていないつもりだが、東京にいてもアメリカの良い部分、良い雰囲気の感覚に触れられるような場所や物には惹きつけられる。
ただ、やはりホームタウンの東京の存在は大きく、大好きだ。
カズヤは思いのほか軽いドアを引き店内に入った。
「カラン」
すると、一瞬にしてその店を満たす恍惚に刺された。
少し見回しただけでも、その形からして一目では使い道のわからないものや、英語の箱書きが美しくて中身が何であっても持ち帰りたいようなもの、一組として同じ形、似た形さえないサングラスが実際はきちんと等間隔で並んでいるにもかかわらずむしろ雑然として見えるのがおかしく思えるし、セルロイド感のある材質の四角いレトロ調のめがねケースもそれがタワーのように高く積まれているとお洒落な柱にも思えたりと、目に入るものそれぞれが渦を巻いてカズヤ取り囲むのだった。
ここならきっと、ある。
そう思えたと同時にその空気に同化した。
そうして店に飲み込まれたカズヤだったが、店の中心に据えられたレジ・カウンターの女性店員と目が合うとはたと我に返った。
「いらっしゃいませ」
カズヤは「あっ」と声を上げそうになったのを堪えると、目を伏せ笑みを作って見せた。
その小さなコミュニケーションが成立したことで、意識して深呼吸をした後のように再び店内をよりクリアに見回すことができた。
そしてカズヤはパズルの1ピースを探している時ような感覚で、目を忙しく動かしながらもむしろ視覚ではなく身体で答えを感じ、見つけようと神経質に歩みを進めた。
カズヤを惹きつけるもの…。
細いステンレスのフレームの先端に本当に小さいハロゲンランプのついた電気スタンド。
木製のシーソーをかたどったインセンス用の受け皿。
濃いブラウンの厚い牛革に鉄色の金属が打ち込まれたリング。
ウツボカズラを模したつくりのシーリング・ライト。
それから……と、視線を浮遊させているとカズヤは気づいた。
いつの間にか自分の欲しいものに目が行っていたのだ。
「違う、違う。ルイコじゃない」
カズヤは呟くと、またそうしてこの店の渦の中で飲まれている自分を再確認した。
「ふふっ」
店の端を回り込み、初めて店内にいる客は自分だけではないことに気づいた。
ガラスのショーケースに身を寄せ、背伸びをして手を伸ばす少年が目に入ったかと思うと、小さなダウンを抱えた女性が流れるように両脇を支えて手助けをする。
その少年の小さく開いた手の先には『クリスマスキャロルのオルゴールはいかが?』のポップと共に、小さくてカラフルな木箱が並んでいる。
少年はおぼつかない様子で白いの箱を開けると『きよしこの夜』のメロディが流れた。
「わぁ~!」
店内に響くオルゴール音。
カズヤはその音色の前に一瞬店中の動きが止まったかのように感じた。
それはこの空間にあるすべてのものがこの箱を取り囲み、目を閉じてこのメロディに耳をそばだてて聴いている、そういう風に思えたからだ。
カズヤもしばし目を閉じた。
そして演奏がおわり目を開けるとすでに親子の姿はなく、カズヤはおもむろにショーケースに近づいた。
木箱はそれぞれ手彫りで花や動物、格子模様が刻まれ、全体的にどれも抑えた、主張しすぎない絶妙な色使いで塗装されている。
「オルゴールか…」
カズヤは、そうつぶやきながらやけに一般的で地味に感じられるその名前を恨みながらも、頭にそのメロディがくるくると回っているのを心地よく感じていた。
その、大きすぎもしない、小さすぎもしない、その箱たちを眺めていると、手にとってみないわけにはいかなかった。
「なんか俺、やられたのかも」
レジでは先ほどの店員が紙袋を差出し、少年が嬉しそうに受取ると母親とにこやかな顔を合わせて店を出て行く。
カズヤは並んだ木箱から緑色の箱を手に取り、それを手にする笑顔の彼女、ルイコの姿を想像した。
そしてまた、ルイコに成り代わっている気持ちで蓋を開けてみた。
「あれ?」
カズヤは聴き慣れないメロディに戸惑った。
初めて聴くメロディだからというわけではなく、そのイメージがあまりにも想像と離れていたのだ。
頭の中のルイコの笑顔のイメージが悪い方向に変わりそうなのを察知してすぐに蓋を閉めた。
少し胸が騒いだ。
ただ、カズヤの頭の中にはまだ「きよしこの夜」のメロディがリピートしている。
すると視界の端にほほ笑みを携えた店員が入ってきた。
その表情はさして上辺のものというわけでもなく、フワフワと浮いてしまいそうだった自分を地に引き戻してくれるように思える優しいものだった。
━━カズヤは応じるような笑みを作ると、ショーケース上を指しながら店員に何か話しかけている。
━━店員は首を横に振り、親子に買われて空いた商品スペースの『曲・きよしこの夜』の立札を取り除き、隣の箱を指し示す。
━━白い花が一輪彫られた赤い木箱の前には『曲・神の御子は今宵しも』の立札がある。
━━カズヤはそれを手に取り、蓋を開けると、目を見開いてからゆっくりと瞼を閉じ、頭を傾ける。
━━間もなく目を開け、笑顔を店員に向け頷き、控えめに親指を立てて見せる。
カズヤはこの空間に立ち昇り広がって消えてしまうものを止めるかのように蓋を閉めた。
それを長く聴く必要はかった。
すでに想いの中のルイコは赤い箱を手に、素敵な笑顔を見せていたからだ。
小さな紙袋を提げ、店のガラス扉を軽々と開け出るカズヤ。
下る坂道が明るく見えた。
そして走るでもなく、でも車道を下る人たちを追い越しながら歩いた。
なにしろ、心強いものを手にしているという感触が、足を、手を、身体を前に前にと進めるのだ。
もう受け身ではない。
今は意識しなくとも自ら強く光っているのだ。
この夜に負けないくらいのそれで。
ーーー本編へ続く
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