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記憶編

暁月は舞え

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 やっと終わった、馬に乗りながらはキツイな。

 「ご隠居様、これで最後で?」

 「正直に申そう、まだ五分の一も終わっとらん」

 ウソでしょう?

 そんな顔をすると、隠居がため息をついたように話を始めた。

 「お主が言ったのでは無いか?国人領主どもにどんな相談をも受けると。文で書いたと聞いておるぞ」

 はい、しました。すいませんでした。

 でもそれって社交辞令じゃん、上司が部下に「どんな相談も受けるぞ」って言うアレじゃん。わかんないかね?

 本当にめちゃ質問来るんだよ、しまいには「女房が冷たい」とか愚痴まで書いて来やがる。

 知るか、なんとかしろ。そう言えればどんなに楽なんだろうな。

 「そうして毎回馬鹿正直に手紙を書き続けるから無くならんのだ、先ほども書いていただろう?」

 「確かに、まぁそれをしては元も子もありますまいて」

 「ま、そうだな。」

 戦場でこそ私は文を書くべきだと思う、送り手は主に家臣の妻やその嫡男だ。夕にも勿論書いている、今回は三河の国人領主たちも来てくれたからそれらにも書いているな。

 内容は如何でも良いのだ、亭主殿はこれだけの働きをしている。嫡男にもほぼ同じだな。

 戦に出る男なんか実質単身赴任みたいなものだ、大事にしてやらないと反感を買う。

 それが裏切りに繋がるのだ、それを防ぐのが手紙だ。捨てたものでは無いだろう?

 「一々国人領主どもの、それの家族の機嫌を取る意味なぞあるのか?そう思っていたのだが考えが変わった。お主の様子を見てからよ」

 そう言って隠居は笑う、いや特に何も考えて無いのだが。

 「文はそれそのものに価値は無い、だが気にかけられているという意思は伝わるだろう。嫡男は帰って来た父に戦のことを聞く、その際お前より文が届いたことを言うだろう。国人領主どもは喜ぶだろうな、自分の仕事に興味を持って貰えるのだ」

 まぁ、それは良いことだよな。少なくとも悪い訳では無いだろう?

 「その妻に対してもそうだな、少なくともお前の印象は良くなる筈だ。男の岐路において嫁の助言とは大きな材料となる、お前と三河国人領主どもの絆は更に深まったと言うことだな」

 「・・・・」

 そこまで計算している訳じゃあ無い、だがまぁ喜んでくれているならそれは成功と言えるだろうか?予期してる訳じゃあ無いんだけどなぁ。

 「まぁ、お主が本当に何を考えているかは読めん。今後も楽しみにさせて貰うぞ」

  そんな隠居の言葉に、私は何も言わずに頭を下げる。

 すまんな隠居、私はもう戦場に行かないんだ。つまり私と一緒にいる限り隠居が戦場に行くことは無い。

 兄貴のところに行ってくれないだろうか、と思ったが隠居は立場上あんまり大っぴらに戦場には立てないからなぁ。

 せいぜいこき使ってやろう、戦場では無く小競り合いだろうが我慢だな。

 「そろそろ城が近いのでは無いですか?」

 「あぁ、夕殿の出産には間に合いそうかな?」

  そう言いながら隠居は笑いかけて来た、憂鬱な話題ばかりだからな、雰囲気を変えようとしてくれたか。

 「丁度産気づく時期ではありますが・・・・微妙ですな」

 「楽しみだのぅ、男の子おのこであれば嫡男の誕生だ。今川にとっても大事な子だからな、儂も気になるというものよ」

 ニコニコしてるな、お前の子供か?

 まぁ孫みたいなもんなのだろうな、戦場にその名を轟かせた爺が家に帰ればただの好好爺とは笑い話にもならない。

 いや、笑い話になるだろう。きっとそうだ。

 城が少しずつ見えて来た。

 「相変わらずのボロい城だな」

 「先代、私のお祖父様よりある由緒ある城にございます」
 
 目の前にある城は、見れば見るほど古風の城であった。良く言えば趣ある、悪く言えば旧式だ。

 大きさ的にはそれなりのものだがそれでも軍勢を防ぐことなど恐らくできないだろう、まるで私みたいな城だな。

 そう言うと、隠居に変な顔をされた。何か変なこと言ったかな?変なことしか言ってないか。

 「成る程、そうやも知れぬな。確かに今川輝宗の名には少しだけ不足やも知れぬ、輝宗、お主の言うことは大まかには間違っておらぬが一点だけ間違えていると確信するところがある」

 「なんでございましょう」

 「この城が簡単に落とせるという点よ、お主は主人である義元に遠慮して言っているのだろうがそれは違う。この城ほど堅固な城もあるまいよ」

 買い被りだ、そんな顔をすると隠居はニヤリとこちらを見て笑いかけた。
 
 「人は石垣、人は城、人は堀」

 「如何言う事でしょう?」

 「そのままよ、城を守るのは城で無く人よ。故に人が優秀ならばその城は堅く、人が愚昧ならばその城はどんな堅い城壁に囲まれてようが脆い」

 成る程、どこかで聞いたことがあるような・・・・

 「お主、人を集めると聞いているぞ?文を各地へ送っているとか」

 「はっ」

 そうだ、せっかく戦国時代に来たのだから名のある武将を見てみたい。そう思うのは普通のことな筈だ。

 それにしても隠居の言葉、どこかで聞いたことがあるような気がするな。

 「人は賑やかになりましょう、城を少し大きくしても良いかも知れませぬ」

 「全く、その通りだな。これではあまりに酷すぎる、さて着いたぞ」

 そうだな、城を少し大きくしよう。

 リフォームだ、家臣も増える。息子も産まれるのだ、むしろ今まで思いつかなかった方が不思議だな。

 扉が重々しい音をたてて空く、そこにはいつも通り夕がーーーー

 「おらんな」

 「ありませんな?」

  と言うか、お産前に城の門前でお迎えなんて無理だろ冷静に考えて。

 「馬を任せる、御隠居様戻りましょう」

  馬を小性に任せて私は城に入ろうとする、出迎えはあった。今川に古くから仕える老人、計算の上手い秀才、武に秀でた城の留守居を任せた将。

 その全員が城へと戻る道中で、涙を流しながら私を待っていた。

 「は?」

 何の冗談かとは思った、視線を少しだけずらすと、夕と共に来た老侍女の腕に1人の赤ん坊が抱えられているのが見える。

 「男の子おのこでございます」

 その老女は、涙を流しながら一言だけそう言った。

 私は、訳がわからなかった。

 「夕はどこだ?」

  誰も答えない。

 「夕はどこにいる!!!!」

  今度は叫んだ、誰も答えない。

 誰も、答えなかった。


















 城を歩く、家臣から言われた言葉で頭が一杯で視界が白黒と暗転し続けている。

 床がいつもより冷たい、陽は沈みかけ夕陽が少しだけ私たちを照らす。

 小性が気を利かせて灯りを灯してくれた。

 隠居は何も言わない、背後でヒタヒタと言う足音だけが聞こえていた。

 いつもは慣れたように生意気な口を叩く家臣たちも今日ばかりは何も言わなかった、この時の私がどんな表情をしていたのかさえ今では思い出せない。

 襖をゆっくりと空ける、音が無い、空気が重い。

 こんなに城は閑散としていたか?こんなに皆の顔は暗かったか?

 原因は分かっている、理由は知っている。

 ただ、私自身がそれを認められなかっただけだ。

 目の前が真っ白で何も見えない、いや見ようとしていないだけだ。脳の全てが、目の前にある現実を拒否しようとしている。

 小さな部屋だった、そこにいる、いやいた人のせいでいつも思っていたよりも少し大きく感じるその部屋には布団が敷かれていた。

 「は?」

 声が出た。

 それは慟哭の声だった。

 それは驚愕の声だった。

 それは悲哀の声だった。

 自分の身体が傾く気がする、誰かが身体を必死で支えてくれていた。

 夕が、死んでいた。

 
 


 

 
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