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越後動乱編
エピローグ②
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春の終わりは目前に迫り、空気はだんだんと照りつけるような日差しと熱気に支配される。
包み込むような暖かな太陽がその牙を剥く季節になってようやく、鬼小島弥太郎はその墓前に花を添えていた。
その下に眠る者の為に弥太郎は祈る、葬いはあの戦で終えた。そう思っていてもきちんとすることこそ大事だろう。
誰もいない、静かな寺に彼は眠っていた。
墓とは言っても簡素な物で小さな墓石が2つ積まれているだけの代物だ、とてもでは無いが上杉の筆頭家老に相応しい墓とは言い難い。
だが、そんな墓前を見ても弥太郎は少しも驚かない。
あの人らしいなとただ思うだけだ。
数分の祈りを経て、彼は踵を返し墓を後にする。
ここまで来るのに時間がかかったのは、戦後処理をする為だ。
昔の彼だったならば、何を置いてでもこの墓前に花を添えに来ただろう。だがそのような身勝手は許されない、弥太郎は己がした失策を挽回しなければならなかった。
それを自ら答えを出せたのは、弥太郎にとっても幸運なことだっただろう。
「石なんて拝んでどうするんだ阿呆、とか言われそうだしな...」
弥太郎は肩にある埃を手で退けながら独り言を言う、それと同時に思い出すのはあの越後での戦の記憶だ。
人に任せるというもどかしい思いを乗り越えようやく手柄を立てたにも関わらず、後から輝宗様に全てを持っていかれた時の滑稽な自分は今でも忘れられない。
まぁ殿からは多大なお褒めの言葉を頂いたのだ、良いでは無いか。
そう思う他無かった。
今、弥太郎には野望がある。
笑ってしまうような野望だ、先程までその極致にいた人物と会話し軍旗の下にいたというのに。
日本一の武将に。
輝宗様の高みに、きっと...
最期に、私にお言葉を下さったあの方の姿を今でも鮮明に覚えているのは私だけでは無いだろう。
言葉こそ取り留めの無い平凡なものであったが、そこには確かな慈愛の心が含まれていた。
故に、弥太郎は強さで高みに立っても意味が無いということを知っている。
そして腕っぷしの強さでもその高みにある者を知っている、輝宗旗下の鬼左近がまさにその1人だ。
東北では伊達家に凄腕の武士がいると言うし、天下を掌握する今川家に至ってはそれこそ豪傑が星のようにいる。
西国では当主でありながら自らも天才の名を欲しいままにする長宗我部、九州に目を向ければ島津もいる。
それでも、弥太郎は諦めかけたその心に火をつけた。
ついてしまったのだ、もう止められる人間は存在しない。
日本一の武士に....!
墓を背にし、弥太郎は一度も振り返らずに歩き始めた。
振り返ることは、もう無い。
◇◇◇◇
島左近が用意した大岩を覚えているだろうか、あの大岩は結局誰にも動かさなかったのでそのままあそこに放置されていた。
側には木々と人の死体が多数あり、未だに戦の残滓を感じさせる。
そんな大岩から、人が出てきた。
美しい、と言うよりは可愛らしいと賞賛されることの多い顔立ちと仕事中に垣間見る凛々しい目は着飾れば極上の女性になることが保証されているだろう。
柔らかに微笑めば大抵の男は籠絡できそうだが、現在の彼女にはそれが無い。
大量の汗と、荒々しい息遣いは彼女が極度の緊張感の中にいたという意味に相違無い。
そんな彼女の前に、1人の男が現れる。
服部半蔵であった。
「輝宗はどうだった?」
そんな質問をする半蔵に、彼女は手を振りながら答える。
「うん、無理だわ。ムリムリ、動け無いし」
「残念ながら、私も同意見だ。それを証拠に私と共に来ていたもう1人は隠居の矢にて死んだ。」
「あ~やっぱりそうなんだ」
「輝宗の暗殺は不可能と言って良いだろう、乱戦ならばもしやと思ったが...」
「無理だね~1人でいる時でさえ隙が無いんだもん。」
そう言いながらも、彼女は体をほぐすように手を振りながら答える。実際彼女は輝宗の様子を視認し続けられた訳では無い。
少ししか見ることは叶わなかったが、それでも異端の力を触れる程度のことはできていた。
「隠密には多少の自信があったんだけどなぁ、あの人絶対気づいてたよ。私のことも。」
「確信あってのことだろうな?」
「逆に聞くけど、それ以外に岩をベタベタ触る理由あった?多分私見つかってたと思うよ」
ふむ、そう半蔵は鼻を鳴らしながら岩へと意識を向ける。
あの大岩は彼女が作った簡易的なもので、パッと見るならばともかく触ったりしてしまえば間違いなく気付くという代物だ。
人は大岩の色などに一々注意を払ったりしないので、あくまで勘の良いものに限られるが....
中に誰かが入っているのに気づくのは良い、だがそれを見逃したというのはあまりに解せない話だ。
もし半蔵なら捕らえて情報を聞き出そうとするだろうし、最低でも殺すという手段を取るだろう。
「左近とかいう奴は絶対気づいてたね、私が入ってる岩を落とそうって輝宗と話してたもん!」
彼女の作る隠れ岩は見事なものだが、その代償として衝撃に中の人間が耐えられない。
もしこの傾斜から転がされれば、突っかかりなどで止まらなければ彼女は間違いなく死んでいただろう。
と言うことはーーーー
「慈悲と言うことか、それともお前から出る情報など大したことが無いと侮っていたかだな。」
「ひどーい!これでも私、関東でも三指に入る忍びなのにぃ!」
悔しそうに頬を膨らませるが、まるで怖く無いな。
そう半蔵が思っていると彼女が徐に荷物を持ち立ち上がった。
「どこへ行くつもりだ?」
「いや、逃げるでしょ普通。」
「慈悲を与えられたのに、か?」
「与えられたからだよ、あの一行に私の技は通用しなかったってことでしょ?西国でも行ってそこで身を隠すや。」
半蔵はそれもありだなと納得したように頷く、彼女はもう1人の草と共にたまたま雇った女で金の関係だ。
私怨で動く自分と一緒にされても迷惑に違いないだろう。
そも、彼女の仕事は既に終了しており輝宗を見に来たのはついでだ。
十分付き合ってもらったと言えるだろう。
「達者でな。」
「半蔵もね、先に言っておくけど貴方じゃあの人の暗殺は無理だよ?多分島左近や明智光秀がいなくても無理だと思う」
「知っている」
「一対一で負けてるんだよね?」
「ああ」
「それでもやるんだ、半蔵も凄いな~」
確認のようにそう言った彼女の声には、引き止めようとしている優しさがあった。
しかしそれも限界か、彼女は身を翻し音も無く消えていく。それを見送りながらも半蔵は、己の決意が些かも衰えていないことに安堵した。
私は、あの男を殺す。
包み込むような暖かな太陽がその牙を剥く季節になってようやく、鬼小島弥太郎はその墓前に花を添えていた。
その下に眠る者の為に弥太郎は祈る、葬いはあの戦で終えた。そう思っていてもきちんとすることこそ大事だろう。
誰もいない、静かな寺に彼は眠っていた。
墓とは言っても簡素な物で小さな墓石が2つ積まれているだけの代物だ、とてもでは無いが上杉の筆頭家老に相応しい墓とは言い難い。
だが、そんな墓前を見ても弥太郎は少しも驚かない。
あの人らしいなとただ思うだけだ。
数分の祈りを経て、彼は踵を返し墓を後にする。
ここまで来るのに時間がかかったのは、戦後処理をする為だ。
昔の彼だったならば、何を置いてでもこの墓前に花を添えに来ただろう。だがそのような身勝手は許されない、弥太郎は己がした失策を挽回しなければならなかった。
それを自ら答えを出せたのは、弥太郎にとっても幸運なことだっただろう。
「石なんて拝んでどうするんだ阿呆、とか言われそうだしな...」
弥太郎は肩にある埃を手で退けながら独り言を言う、それと同時に思い出すのはあの越後での戦の記憶だ。
人に任せるというもどかしい思いを乗り越えようやく手柄を立てたにも関わらず、後から輝宗様に全てを持っていかれた時の滑稽な自分は今でも忘れられない。
まぁ殿からは多大なお褒めの言葉を頂いたのだ、良いでは無いか。
そう思う他無かった。
今、弥太郎には野望がある。
笑ってしまうような野望だ、先程までその極致にいた人物と会話し軍旗の下にいたというのに。
日本一の武将に。
輝宗様の高みに、きっと...
最期に、私にお言葉を下さったあの方の姿を今でも鮮明に覚えているのは私だけでは無いだろう。
言葉こそ取り留めの無い平凡なものであったが、そこには確かな慈愛の心が含まれていた。
故に、弥太郎は強さで高みに立っても意味が無いということを知っている。
そして腕っぷしの強さでもその高みにある者を知っている、輝宗旗下の鬼左近がまさにその1人だ。
東北では伊達家に凄腕の武士がいると言うし、天下を掌握する今川家に至ってはそれこそ豪傑が星のようにいる。
西国では当主でありながら自らも天才の名を欲しいままにする長宗我部、九州に目を向ければ島津もいる。
それでも、弥太郎は諦めかけたその心に火をつけた。
ついてしまったのだ、もう止められる人間は存在しない。
日本一の武士に....!
墓を背にし、弥太郎は一度も振り返らずに歩き始めた。
振り返ることは、もう無い。
◇◇◇◇
島左近が用意した大岩を覚えているだろうか、あの大岩は結局誰にも動かさなかったのでそのままあそこに放置されていた。
側には木々と人の死体が多数あり、未だに戦の残滓を感じさせる。
そんな大岩から、人が出てきた。
美しい、と言うよりは可愛らしいと賞賛されることの多い顔立ちと仕事中に垣間見る凛々しい目は着飾れば極上の女性になることが保証されているだろう。
柔らかに微笑めば大抵の男は籠絡できそうだが、現在の彼女にはそれが無い。
大量の汗と、荒々しい息遣いは彼女が極度の緊張感の中にいたという意味に相違無い。
そんな彼女の前に、1人の男が現れる。
服部半蔵であった。
「輝宗はどうだった?」
そんな質問をする半蔵に、彼女は手を振りながら答える。
「うん、無理だわ。ムリムリ、動け無いし」
「残念ながら、私も同意見だ。それを証拠に私と共に来ていたもう1人は隠居の矢にて死んだ。」
「あ~やっぱりそうなんだ」
「輝宗の暗殺は不可能と言って良いだろう、乱戦ならばもしやと思ったが...」
「無理だね~1人でいる時でさえ隙が無いんだもん。」
そう言いながらも、彼女は体をほぐすように手を振りながら答える。実際彼女は輝宗の様子を視認し続けられた訳では無い。
少ししか見ることは叶わなかったが、それでも異端の力を触れる程度のことはできていた。
「隠密には多少の自信があったんだけどなぁ、あの人絶対気づいてたよ。私のことも。」
「確信あってのことだろうな?」
「逆に聞くけど、それ以外に岩をベタベタ触る理由あった?多分私見つかってたと思うよ」
ふむ、そう半蔵は鼻を鳴らしながら岩へと意識を向ける。
あの大岩は彼女が作った簡易的なもので、パッと見るならばともかく触ったりしてしまえば間違いなく気付くという代物だ。
人は大岩の色などに一々注意を払ったりしないので、あくまで勘の良いものに限られるが....
中に誰かが入っているのに気づくのは良い、だがそれを見逃したというのはあまりに解せない話だ。
もし半蔵なら捕らえて情報を聞き出そうとするだろうし、最低でも殺すという手段を取るだろう。
「左近とかいう奴は絶対気づいてたね、私が入ってる岩を落とそうって輝宗と話してたもん!」
彼女の作る隠れ岩は見事なものだが、その代償として衝撃に中の人間が耐えられない。
もしこの傾斜から転がされれば、突っかかりなどで止まらなければ彼女は間違いなく死んでいただろう。
と言うことはーーーー
「慈悲と言うことか、それともお前から出る情報など大したことが無いと侮っていたかだな。」
「ひどーい!これでも私、関東でも三指に入る忍びなのにぃ!」
悔しそうに頬を膨らませるが、まるで怖く無いな。
そう半蔵が思っていると彼女が徐に荷物を持ち立ち上がった。
「どこへ行くつもりだ?」
「いや、逃げるでしょ普通。」
「慈悲を与えられたのに、か?」
「与えられたからだよ、あの一行に私の技は通用しなかったってことでしょ?西国でも行ってそこで身を隠すや。」
半蔵はそれもありだなと納得したように頷く、彼女はもう1人の草と共にたまたま雇った女で金の関係だ。
私怨で動く自分と一緒にされても迷惑に違いないだろう。
そも、彼女の仕事は既に終了しており輝宗を見に来たのはついでだ。
十分付き合ってもらったと言えるだろう。
「達者でな。」
「半蔵もね、先に言っておくけど貴方じゃあの人の暗殺は無理だよ?多分島左近や明智光秀がいなくても無理だと思う」
「知っている」
「一対一で負けてるんだよね?」
「ああ」
「それでもやるんだ、半蔵も凄いな~」
確認のようにそう言った彼女の声には、引き止めようとしている優しさがあった。
しかしそれも限界か、彼女は身を翻し音も無く消えていく。それを見送りながらも半蔵は、己の決意が些かも衰えていないことに安堵した。
私は、あの男を殺す。
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