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エピローグ(1)
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誰かにベッドを揺らされることはなかった。
仕事だなんて言って起こされるようなこともない。
目覚まし時計が鳴るよりも早く開いた瞳が、真っ白な天井をうつす。頭を起こすために視線を動かすと、カーテンの隙間から漏れた光に、ポスターやカレンダーが照らされていた。
「朝だ……」
ぽつりと呟かれた言葉の持ち主は、私、七瀬こよみに間違いない。
ベッドから体を起こしてカーテンを開く。青い空に光る太陽。正真正銘の朝だった。
「よく寝たなあ」
うんと伸びをすると、寝ている間に凝り固まったからだが柔らかくなるのを感じた。
何か、大事なことを忘れているような気がする。なんだっけ。
今日は学校で、一時間目は確か国語。予習はしていないけれど、漢字の宿題は終わらせている。
「まあいいか……」
大事な事なら、きっとそのうち思い出すはずだもんね。
パジャマから着替えて、鏡の前でおかしいところがないかをチェックする。部屋から出る前に赤いランドセルの中身を確かめると、今日の時間割の教科書がしっかりと詰まっていた。私の家では、ランドセルの中身と次の日の服を前日に用意する決まりなの。だから、忘れ物とかもしたことないんだけど、どうしてか今日は不安だ。
まあいいか、なんてつぶやいてみせたけど、内心全然良くない。自分を納得させるために、思ったことは口に出したほうがいいなんて言うけれど、今の場合は逆効果だったみたい。
頭の中で正体のわからないものがぐるぐる飛び回ってる。
「こよみ、起きてるのー?」
「あ、うん! 今降りる!」
そんな思考を無理やり断ち切ったのはお母さんの声だった。私の脳内を飛ぶ何かを的確に打ち落とす。
慌てて部屋から出て、階段を降りると良い匂いが鼻に飛び込んでくる。
パンの焼ける匂いと、優しいシチューの匂い。それから、テレビの音。
「おはよう!」
「あら、おはよう。ちゃんと起きてたのね」
「おはよう、こよみ。お父さんも今起きたところなんだ」
「お姉ちゃん、おはよ」
お母さんがキッチンに立っていて、お父さんは眠たそうに目をこすっている。私と同じで早起きな弟の康太は、パンを口に詰め込みながらそう言ってひらひらと手を振った。
いつもの光景だ。いつもの光景なのに。
「え、ちょっとやだ、こよみどうしたの?」
「こ、こよみっ? 泣いてるのか?」
あれ、私、どうしちゃったんだろう。
ほっぺたがどんどん濡れていくのを感じる。鼻水まで出てきて、息を吸い込むとズッと汚い音がした。
「どこか痛い? 体調悪いの?」
キッチンからでてきたお母さんが、私のおでこに手をあてる。冷たい掌を感じて、ますます涙が止まらなくなった。
お父さんはおろおろしているし、康太は心配そうに眉を寄せている。
止めなきゃダメって思えば思うほど、どんどん溢れてくる。まったくもう、涙ってば天邪鬼なんだから。って、そんなこと言ってる場合じゃないよ。何か悲しいことがあったわけじゃないし、どこかが痛いわけでもないのに、胸の奥をぎゅっと何回も握られている感じがする。
「お、かあさ、あの、朝ごはん食べるよ」
「朝ごはんって、そんなに泣いてるのに……」
「だ、いじょうぶ……」
大丈夫には見えないよね。でもなんでかもわからないんじゃどうしようもないもん。
「それなら、顔を洗っておいで。用意してるわね」
私の様子を見て首を傾げたお母さんがそう言った。
洗面所の鏡は大人の人でもちゃんと見られるように、大きくなっている。私の身長だと、ちょうど鏡の半分くらいだ。
ひっどい顔。泣いたのは一瞬なのに、目の周りが真っ赤です。
前はこうやって顔を洗っていると、はやく用意しろなんて言われてたっけ。
……誰に?
家族は誰も、私の用意を急かしたことなんてないよね。たまに康太が、交代してとは言ってくるけど。
うーん、夢でも見ていたかな。
リビングに戻ると、お母さんも食卓に座っていた。もちろん、私のぶんのご飯が用意されている。当たり前なんだけど、大事にしなきゃいけない風景な気がして、またしても立ち止まってしまう。
「ねえ、今日は学校辞めとく?」
「ううん、行くよ。ごめんね、シチューがすごく美味しそうで……」
「変な子ねえ」
そうです。今日はどうしてか変な子です。自分でもわからないんだもん、何かを言って心配させたくない。
もう泣くものかと気合を入れてご飯を食べたんだけど、今度は全然泣きたくなんてならなくて、ちょっぴり拍子抜け。さっきのは何だったんだろう。
先に食べ終えた康太は友達と約束があるからとはやめに家を出て行った。なんでも学校の前に公園でキャッチボールをするんだって。どこにそんな元気があるのかわからない私は、ご飯を食べてから部屋に戻る。
仕事だなんて言って起こされるようなこともない。
目覚まし時計が鳴るよりも早く開いた瞳が、真っ白な天井をうつす。頭を起こすために視線を動かすと、カーテンの隙間から漏れた光に、ポスターやカレンダーが照らされていた。
「朝だ……」
ぽつりと呟かれた言葉の持ち主は、私、七瀬こよみに間違いない。
ベッドから体を起こしてカーテンを開く。青い空に光る太陽。正真正銘の朝だった。
「よく寝たなあ」
うんと伸びをすると、寝ている間に凝り固まったからだが柔らかくなるのを感じた。
何か、大事なことを忘れているような気がする。なんだっけ。
今日は学校で、一時間目は確か国語。予習はしていないけれど、漢字の宿題は終わらせている。
「まあいいか……」
大事な事なら、きっとそのうち思い出すはずだもんね。
パジャマから着替えて、鏡の前でおかしいところがないかをチェックする。部屋から出る前に赤いランドセルの中身を確かめると、今日の時間割の教科書がしっかりと詰まっていた。私の家では、ランドセルの中身と次の日の服を前日に用意する決まりなの。だから、忘れ物とかもしたことないんだけど、どうしてか今日は不安だ。
まあいいか、なんてつぶやいてみせたけど、内心全然良くない。自分を納得させるために、思ったことは口に出したほうがいいなんて言うけれど、今の場合は逆効果だったみたい。
頭の中で正体のわからないものがぐるぐる飛び回ってる。
「こよみ、起きてるのー?」
「あ、うん! 今降りる!」
そんな思考を無理やり断ち切ったのはお母さんの声だった。私の脳内を飛ぶ何かを的確に打ち落とす。
慌てて部屋から出て、階段を降りると良い匂いが鼻に飛び込んでくる。
パンの焼ける匂いと、優しいシチューの匂い。それから、テレビの音。
「おはよう!」
「あら、おはよう。ちゃんと起きてたのね」
「おはよう、こよみ。お父さんも今起きたところなんだ」
「お姉ちゃん、おはよ」
お母さんがキッチンに立っていて、お父さんは眠たそうに目をこすっている。私と同じで早起きな弟の康太は、パンを口に詰め込みながらそう言ってひらひらと手を振った。
いつもの光景だ。いつもの光景なのに。
「え、ちょっとやだ、こよみどうしたの?」
「こ、こよみっ? 泣いてるのか?」
あれ、私、どうしちゃったんだろう。
ほっぺたがどんどん濡れていくのを感じる。鼻水まで出てきて、息を吸い込むとズッと汚い音がした。
「どこか痛い? 体調悪いの?」
キッチンからでてきたお母さんが、私のおでこに手をあてる。冷たい掌を感じて、ますます涙が止まらなくなった。
お父さんはおろおろしているし、康太は心配そうに眉を寄せている。
止めなきゃダメって思えば思うほど、どんどん溢れてくる。まったくもう、涙ってば天邪鬼なんだから。って、そんなこと言ってる場合じゃないよ。何か悲しいことがあったわけじゃないし、どこかが痛いわけでもないのに、胸の奥をぎゅっと何回も握られている感じがする。
「お、かあさ、あの、朝ごはん食べるよ」
「朝ごはんって、そんなに泣いてるのに……」
「だ、いじょうぶ……」
大丈夫には見えないよね。でもなんでかもわからないんじゃどうしようもないもん。
「それなら、顔を洗っておいで。用意してるわね」
私の様子を見て首を傾げたお母さんがそう言った。
洗面所の鏡は大人の人でもちゃんと見られるように、大きくなっている。私の身長だと、ちょうど鏡の半分くらいだ。
ひっどい顔。泣いたのは一瞬なのに、目の周りが真っ赤です。
前はこうやって顔を洗っていると、はやく用意しろなんて言われてたっけ。
……誰に?
家族は誰も、私の用意を急かしたことなんてないよね。たまに康太が、交代してとは言ってくるけど。
うーん、夢でも見ていたかな。
リビングに戻ると、お母さんも食卓に座っていた。もちろん、私のぶんのご飯が用意されている。当たり前なんだけど、大事にしなきゃいけない風景な気がして、またしても立ち止まってしまう。
「ねえ、今日は学校辞めとく?」
「ううん、行くよ。ごめんね、シチューがすごく美味しそうで……」
「変な子ねえ」
そうです。今日はどうしてか変な子です。自分でもわからないんだもん、何かを言って心配させたくない。
もう泣くものかと気合を入れてご飯を食べたんだけど、今度は全然泣きたくなんてならなくて、ちょっぴり拍子抜け。さっきのは何だったんだろう。
先に食べ終えた康太は友達と約束があるからとはやめに家を出て行った。なんでも学校の前に公園でキャッチボールをするんだって。どこにそんな元気があるのかわからない私は、ご飯を食べてから部屋に戻る。
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