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家無し、金無し、旅の空
家無し、金無し、旅の空
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「家無し、金無し、コソ泥、空の下」原作献残屋藤吉郎
我輩の職業は「コソ泥」である。。。
1)家無し、、金無し、、旅の空、、、
我輩は独り者、、何故か家族も居ない、、、高校までは両親と住んでいたが、ある日二人は交通事故で亡くなった。そして、運悪く轢き逃げであるために、何の保証も無かった。
両親は日々、一生懸命に働いたが貧乏だった、、、更に借家であるために、家を出て、「名無しの権兵衛」になった。親無し、家無しでは高校中退の「名無しの権兵衛」には仕事も無かった。
路頭に迷った、、寝る所も無く、金もない17歳の男は、真冬の寒空で震えった、、、何故か空腹を抱えて歩いているうちに、ホームレスのブルシートの幾つか点在する、ガード下にたどり着いた。
その中で燃える焚火に誘われて、手をかざした、、、
「兄ちゃん、、寒いから、もっと、火の傍に来いよ、、」と、、呼んでくれた。
そして、「腹、減ってるだろう、、この余り物ではあるがパンを食べな、、それに、飲み物もある、、」と、言って飲ませてくれた。
名無しの権兵衛は「うん、、ありがとう、、、旨い、旨い」と余り物のパンを貪り食った。
「兄ちゃん、、どうしたんだ、、家は無いのか、、、家族は、、」と、聞いてきたが、
只、黙って。パンを食べていた。。
聞いているうちに、まだ。子供だつたのか、、ポロリと光るものを落とした、冬空の寒さに震えながら、、焚火にあたっていた。
ホームレスの長老格の男が、、「もう、、いい、、今夜は俺の小屋で寝ろ、、、話は明日にしよう、、」と、迷い込んで来た子羊の男を諭した。
これが、我輩の金無し、家無し人生の始まりであった。
2)ホームレスから「コソ泥」への道
名無しの権兵衛さんは、ホームレス村に迷い込んでも、、親から貰った名前は名乗らなかった。
名前はと聞かれると「名無しの権兵衛」と云うので、、迷い込んだホームレス村では「権兵衛さん」で通る様になった。
彼は17歳と若かったので、ホームレス仲間からは「権兵衛」とか「ゴンちゃん」と、呼ばれるようになった。
ホームレス村の仲間たちは朝早くから、自転車リヤカーを引いて、雑踏の中に消えていった。
名無しの権兵衛は何か、不思議に見えた、、、
そのホームエス村の長老のような人が、、、「おい、、坊主、、俺に附いて来い、、」と言って、リヤカーを引く老人の後から付いて行った。
朝早く、、、午前3時ごろから、リヤカーを引いて、権兵衛に話しかけて来た。
「お前、、やることが無いなら、、暫く、ホームレスをするか、、、昔は乞食とか、お貰さんとか言っていたが、、今の時代では、俺たちのことをホームレスと、、呼んでいるよ、、、アはあは、、はだよ、、気楽なもんだぜ、、」
「それにな、、世間の人たちは、俺たちのことを無視しているから、、見向きもしないよ、、だから、、ゴミ集積場で物を漁っても、、泥棒ともいわないので、、いろいろなものを物色出来るんだから、、、面白い、、、」と、、云いながら、住宅街のごみ集積場に向かった。
そして、金属類や段ボールなどを集めた、、、時には家具類などもあるのだった。
それらの物を集めて、スクラップ業者や紙リサイクル工場に売って、小銭を稼いでいたのである、、、
家具類や調理台などのものはストックして、修理したり、手を加えて、リサイクル専門店に売却していた、、、ホームレスがやることで、リヤカー商なので、、取り締まる行政や警察も、鑑賞はして来なかった。場所の立ち退きがあれば、、別の場所を探して移動する、、「放牧民」と同じで、テント事に異動するのだから、、気楽な生活であった。
日本にはどんな規制が出来ても、、ホームレスは考えて移動するのであった。
「税金を払わない」「家賃や地代はタダで、、」いくらでも、探せばあるものだった。
日本の国は考えてみれば、、「贅沢」なのだ、、、空き家はいくらでもあるから、、、
雨、露、寒さを防ぐことには、少々、辛抱すればいくらでも、只の家があるのだった。
名無しの権兵衛はホームレス村の長老から、、いろいろ学んだ。
そして、少しづつではあるが「小銭」を貯めるようになった。
また、、住宅街を歩きながら、、留守にしている家もあり、、時には黙って侵入して、寝どまりすることも有った、、、コソ泥である。
住宅街の家が留守かどうかを調べるというか、確認する方法も、ホームレス村の長老から学んだ、、、その家の住所から電話を調て、留守を確認して、夜中に無断侵入をして、一晩だけ,その家で寝どまりして、入浴して、冷蔵庫の中身を食べて、次の朝には出るのであった。
早い話が「泥棒」であった。
しかし、金物は盗まない、、暖かい布団に寝て、、あれば「少しの現金」を貰って、帰るのである、、、
又、工場や事務所荒らしもしたのであった。昼間、下見をしてからの「コソ泥」であった。
ホームレスをしながら、、3年が経ち、、名無しの権兵衛は独り立ちをして、、本腰を入れて
「空き巣泥棒」に専念していった。
楽して金を稼ぎ、、昼間は「その金」でパチンコをしたり、、余計な臨時収入あがると、、「ソープランド」に行ったりして、、一人気楽に全国を旅した。
悪いことには違いないが、、ある時、覚悟をしたのである、、、人の力を借りて、生きようと、、
警察に捕まったら、それも仕方がない、、警察に捕まれば、、留置場、拘置所、刑務所と、、
三度の飯は食える、、そして、、今は冷暖房の部屋で、、暖かい布団にも寝れ、、風呂もあるのだから、、、と、、コソ泥人生に委ねたのである。
そんな無賃、宿無し人生をする中で、、名無しの権兵衛さんは人間模様を覘いてきたのであった。
3)親子心中の家に侵入した権兵衛さん、、、
いつものように、留守を確認した「名無しの権兵衛さん」は、住宅街の一軒家に裏口から侵入したのであった。
ドアを開けた途端に、ガス漏れの匂いがしたので、急いで中に入り、、リビングから始まって、窓を全て開けて、ガスを逃がす行動をした、、、
「名無しの権兵衛さん」は豪い家に入ってしまい、後悔したが、、全ての窓やドアを開けて、電気を点けようとした、、、然し、電気は付かず、切れていたのである。
「名無しの権兵衛」は参った、、、「なんだよ、、電気が止まっているのか、、これは不味いぞ、、」と、、思いながら暗闇の中の部屋を見回した。
寝室と思われる部屋に,三人が横になっていたので、、、「まさか、、心中では無いのか、、」
と、、慌てた。
しかし、根っからの悪人では無いので、、つい三人に近付き、声を掛けたしまったのである、、、自分が泥棒であることを忘れてしまい、、、
声を掛けたら、子供の方が「苦しい、、気持ち悪い、、ごほんごほん、、」と、言いながら目あを覚ました。
名無しの権兵衛はコップに水を入れて、持って来て、まず、目が覚めた男の子に飲ませた、
「大丈夫か、、しっかり、しろよ、、」と、、起こしながら、次に目が覚めた女の子を抱き起こ
して、背中を摩りながら、、咳き込んでいたので水を飲ませた。
もう一人の大人の女は母親だったが、、暫く、咳き込みながら苦しんだ、、、
しかし、名無しの権兵衛さんが、タイミングよく、侵入してきたので、運がいいのか悪いのか、命拾いしたのであった。
子供二人は泣き乍ら、、、母親に縋りついていた、、「お母さん、、お母さん、、」と、、
そして、、「お母さん、死なないで、、」と、、自分たちも苦しい筈なのに、母親の体をゆすりながら、泣きじゃくった。
名無しの権兵衛さんは、、「馬鹿野郎、、死ぬなよ、、死ぬほど苦しいかも知れないが、、子供を道連れにはするな、、死ぬなら、自分だけで死ねよ、、、子供は強いから、、、
でもよ、、死ななくてよかったよ、、、本当に良かった、、、」
権兵衛さんは三人が助かったことを喜んだ。
「良かった、、良かった、、なあ、、お母さんが生きてて、良かったな、、、」
名無しの権兵衛は親無しがどれほど、辛く、寂しいか、悲しいかをしているので、、、
自分がコソ泥に入ったことを忘れていたのであった。
気が付いた母親は、、「死なせてくれば良かったのに、、生きてても仕方がないのですから、、」
と、、恨みこそすれ、感謝はしないような、、言い方であった。
「馬鹿野郎、、子供は違うよ、、なあ、、死にたくないよな、、」と、、権兵衛がいうと、、
二人の子供たちは、涙をぬぐいながら、、小さく懐いた「うん、、、」と、、権兵衛は人ごとで
あるが、、涙が零れた。。
そして、、「お母さん、私も聡も新聞配達でも何でもするから、、貧乏でもいい、、お母さんと一緒がいい、、ねえ、、生きて、、」と、、姉の方が母親にすがる様に泣いていた、、権兵衛さんから見て、:姉の方はまだ、、小学校6年生くらいにしか見えなかった。
「それみな、、大人の勝手で殺すなよ、、子供は一人前なんだから、、生きろよ、、」
と、、」名無しの権兵衛は、ほとんど、、立派なことは言える立場ではないが、、強い子供たちが居るから安心したのであった。
自分が泥棒稼業の人間とは言えないが、、名無しの権兵衛さんは「なけ無しの金、80万円」を、その心中未遂の母親に渡して、、「親子三人で、、行政の福祉課で相談すれば、、必ず、相談に
乘って呉れるから、、」と、、消えたのであった。
4)自転車旅で日本全国行脚、、、野宿旅
名無しの権兵衛さんは小銭が溜まったので、中古のサイクルリング車と自転車で引く小型キャン
ピグを買い、、タダで拝借した布団、毛布を乗せて、、旅を始めた。
簡単な野営テントを用意し、、キャンプ用の炊事セットを積んで、野宿旅に出かけた。
東京から南に向かい、、最初の夜は箱根峠を超える途中の市営駐車場でキャンプをした、、、
夏前の涼しい季節なので、夜風も冷たく、清々しい夜を過ごした。
夜中に車やオートバイの音で目が覚めた、、、暴走苦族の集団がやって来て、、轟々と音を立て、やかましかった。。
「こんな駐車場で、、キャンプしてる奴がいるのか、、、おい、、少し、音を小さくしろや」
と、気づかってくれていたら、、、
「馬鹿野郎、、、暴走族から音をとったら、、何ものこらないよ、、ふざけるな、、煩かったら、、キャンプやめて、、出て行けや、、」とか、、勝手なことを言ってた。
名無しの権兵衛さんは、、口には出さなかったが「どっちが、、ふざけてんだよ、、勝手な自分
よがりな言い方しやがって、、」と、、思いながら、、自分も勝手に駐車場でキャンプしているので、なにも、、いいだせなかった。
しばらくすると、音が遠ざかっていった。
、、、これで、寝れると思ったら、、2台の乗用車が入って来た。権兵衛さんは寝たふりをしていたら。。。ごそごそと、、声は小さいが、嫌な話が聞こえて来た。
「この先の峠を降りたところの、、門構えの家を襲うぞ、、、良いな、、情報が入って、老夫婦
だけだと、、言うから、、準備をしていけよ、、」と云いながら、、車を吹かして走り去った。
名無しの権兵衛さんは、、不味い話を聞いたと思いながら、、「あいつら、、今はやりの押し込み強盗
か、、いやだな、、」と、、言いながら、、
少しばかり、お人好しの権兵衛さんは駐車場の中で、、休憩所になっているところの公衆電話を探して、電話をしたのであった。
自分がコソ泥でありながら、、押し込み強盗、、特に老夫婦を狙う、、無差別暴力を振るう、奴らを嫌いだった。
「110番」して、、情報を流してやった。
次の朝、、キャンプをたたんで、、自転車旅に出発した、、権兵衛さんは朝飯を食堂で食べながら、、御用となった強盗団のニュースを聞いて,、ほっと、したのであった。
5)名無しの権兵衛さん、、大雨に降られて、、
箱根峠を超えて、静岡に入り、大雨に降られた、、、昔では無いが「大井川が大雨で渡れなくなった話が有るが、、、」それと同じで、権兵衛さんは自転車で走れなくなり、、「湯センター」に宿泊していた。
入浴するだけで、仮眠施設があり、、簡単に寝どまり出来るのであった、、その施設には併設して、食事処がいろいろあり、、便利で、、権兵衛さんは良く利用していた。
大きな湯センターには映画館やゲームセンターなどもあって、一人旅の権兵衛さんには都合がよかった。
雨の間はゆっくり、滞在が出来て、有意義でもあった。
今回の静岡の「湯センター」では、よく見かける二人組のおっさんと、、知り合いになった。
温泉に入り、、湯上りで食事をしているところへ、、その、おっさんが話しかけて来た。
「また、、会いましたね、、混んでいるんで、相席、いいですか、、」と、、言いながら座って来た。
一人で4人席を使っているので、、ダメだとも言えず、、「はい、、どうぞ、、」と、言うと、、髭面の強面するような、おっさんが座って、生ビールを頼んでいた。
「すいませんね、、、旅行中ですか、、、」と、、話しかけてきたので、、、
「ええ、、そうです、、」と、、言いながら、権兵衛は頼んだ定食を食べていた。
権兵衛さんは、、「面倒くせえーな、、俺には構うなよ、、」と、、腹の中で思いながら。飯を食べながら、、迷惑そうな顔をしたのだった。
権兵衛さんは飯は、黙って、食うから旨いんだよ、、とも、言いたかった。
二人の男はビールを飲んでいるので、声もでかく,、話したかったのか、、一人旅の権兵衛さんに話しかけて来た、、
腹の中では面倒臭い奴らだと思いながら、、相槌程度の返事をしていた、、、
2人は酔いが少し回って来たのか、、、「お客さんは、、ずっと、旅しているんですか、、」と、聞くから、、「ええ、、そうですよ、、写真を撮っているんすけど、、、」と、、説明すると、、、
「へえー、、写真家さんですか、、」とも訪ねて来たので、、面倒う臭いなと、思いながら、食事も終ったので、席を立った。
まったく、酒癖の悪い奴らだな、、と、思いながら温泉に入った。
風呂に入っていたら、、運転手風の男が、、湯舟の中で、隣にきて、、、「さっき、あんたの席にいた男たちは、、刑事だってよ、、なんか、箱根で事件が有ったみたいだよ、、」と、、教えてくれた。
世の中にはいろいろな人間がいるものだと、、権兵衛は思った。
そして、少しだけ「ひやっと、」したのだった。
6)雨が降ると、、、休養日になる権兵衛さん、、、
名無しの権兵衛さんは雨が降ると、、湯センターなどを見つけて、お風呂に入り、のんびり過ごすことが多かった、、、コソ泥なりに、余裕を持って、少ない予算の中での「泥棒稼業」を続けていた。
泥棒が計画的な生活と言ってはおこがましいが、、、ちびちび生きている、、、だから「コソ泥」では無いのか、、、
今回も静岡の湯センターでは3日目にもなる、、秋の長雨なのか、、土砂降りが続いた、、そして、アチコとで川の氾濫、土佐崩れが起きている、、、まったく、嫌な世の中になったものだ、、
俗にいう「嫌な渡世だな、、」である、、、
そんなことを思いながら、温泉につかっていたら、、、
「また、会いましたな、、、あんたも、随分、ゆっくりな旅してますね、、、」と,湯けむりの中から、しゃがれた声がした、、「ああ、、どうも、、雨でしてね、、動けないんエスよ、、」と、、相槌をうちながら、権兵衛さんは洗い場に逃げた。
刑事と知ってから、、傍には寄りたくなく、、出来るだけ話をしたくなかった。
しかし、偶然というか、、権兵衛さんの隣が空いていたので、、その刑事が座って来たから、、いやだと思い、そそくさと洗いながして、、温泉に入った。
権兵衛さんは腹の中では「近づくな、、、俺に構うな、、」と、、怒鳴りたかった。
しかし、どういう訳か,、寄ってくるのであった、、、
権兵衛さんは「なんだよ、、泥棒の匂いでもするのかよ、、しーしー、、」と、、追い払いたかった。
その刑事は執拗に権兵衛さんに近付き、、
「兄さん、、あんたの撮影旅も、天気任せで、のんびりといいね、、、ところで、、旅をしていると、いろいろな人間と会と、思うが、、兄さんもニュースで知ってると思うが、、可笑しな人間や、不審に思う人間が居たら、、知らせて欲しい。。。」と、、言いながら、、着替え室であった時に、頼まれた。
その時、初めて名乗られた、、よれよれの背広のポケットから名刺を出したのであった。
「俺な、、刑事で、御手洗千治という、、万年平刑事の強硬犯係だから、、宜しくな。。それに、いつも一緒の刑事が、連川千之助と云うのでよろしく、、、なんか、兄さんとは縁がありそうなのでな、、」
と云いながら、、東京からずっと、連続強盗犯を追っている話をしていた。
人の噂では「すっぽんの千治」と云われて、狙った獲物は逃がさないと豪語していたので、、
名無しの権兵衛さんは、偉い奴に好かれてしまったらしい、、、
その晩も、その「湯センター」で夕食が一緒だったので、、その、トイレデカのあ御手洗千治」が、、
「偶然と云えども、、よくよく、縁があるようだな、、、あはあはあは、、」と笑っていた。
7)名無しの権兵衛さん、、捨て子に巡り合う。。。
名無しの権兵衛さんの雨宿りも終わり、、自転車旅が始まった。静岡を超えて、浜松湖のほとりのサイクリング道を走っていた、、、雨も上がり、さわやかに晴れ渡った秋空の下、、丁度、浜名湖に面した公園があったので、権兵衛さんは昼飯を兼ねて、休憩しようと立ちよった。
そして、、途中の売店で買った、「おにぎり弁当」を広げていたら、、一人の女の子が近づき、権兵衛さんが食べている握り飯を、じっと見つめていた。。。
権兵衛さんは「不味いな、、、見つめられては、、」と、思い、、
じっと見つめてる女の子に、、「食べる、、」と云いながら、握り飯を差し出したら、、、
「うん、、」と、、頷き、小さな手を出した。。
どう見ても、、、2,3歳ぐらいなので、、その女の子の親がいないかと、、周りをみたが、、誰も居なかった。。。
「ねえ、、お母さんはいないの、、」と、聞いたら、、、
その女の子は小さく、「頷いて、、」大きなお握りを頬張りながら、、「いないの、、」と、返事をして来た。
権兵衛さんは、更に「これは不味い、、」と、、思いながら話しかけた。
心配な権兵衛さんは、お握りを旨そうに食べている、女の子にゆっくり、、聞き出した。
結局、、聞きだした答えは「捨て子」だった。。捨てられた女の子だった。。
困った権兵衛さんは、、兎に角、、腹が空いているみたいなので、握り飯と卵焼きを食べさせた。。
そして、、ジュースも渡したら、旨そうに飲んで、、小さな頭を下げた。
なんとも可愛い仕草であった。
権兵衛さんは腹が立った、、「こんな可愛い子供捨てるとは、、まったく、ふざけている、、
馬鹿野郎、、」と、怒鳴りたかった。
その女の子は、、「ねえ、、おじちゃん、、あたいね、いつも一人なの、、一緒にいてくれる、、」
と、、権兵衛さんの足元に擦り寄って来た。。。
秋とはいえ、、半袖姿の女の子は寒そうだった。。
このままに、置いてく訳にはいかないので、、自転車で引いている、サイドカー的な車を引いているので、その女の子を乗せて、、近くの行政役所へ相談に行くことにした、、権兵衛さんであった。
女の子を乗せて走り出したが、、役所らしい建物は見つからず、、日が暮れて来た、、、
その小さな女の子が「おじちゃん、、夕焼けが綺麗、、お母さんは何処へ、いっちゃんだったんだろうね、、」と、、寂しげに呟きながら、、小さな声で鳴いていた、、一生懸命、小さな心で堪えながら、、
権兵衛さんは「馬鹿野郎、、」を呟きながら、ペタルを踏んだ。
「ところで、、名前は何ていうの、、、」と、、聞くと、、
「あたいね、、さくら、、、お母さんがつけてくれたんだって、、優しい、お母さんだよ、、」
「お母さん、、言ってたよ、、必ず、迎えに来るからと、、」と、言いながら、、
「早く、来てくれないかな、、、」、、「それまで、おじさんと一緒にいるようにって、、」
そんな話を聞かされた権兵衛さんは、困ってしまった。
何を見込まれたのか、、この「さくら」と言う、、捨て子の女の子と、、「もしかしたら、、旅をしないといけないのか、、」と、、錯覚を起こし、思うようになった。
夕暮れになり、、腹も空いただろうから、、と、、思いながら、湯センターが目に入ったので、今夜は立寄ることにした。
8)名無しの権兵衛さんは,さくらに洋服を買う、、、
権兵衛さんは「湯センター」に入る前に、、併設してあるスーパーで子供服を買った。。
「さくら、、、お風呂入る前に、、着替えの洋服を買おうか、、、」と、、いうと、、、にこにこしながら「うん、、嬉しいな、、」と、いいながら、女の子らしい、、可愛い洋服を選び、はしゃいでいた、、
そんな時、本当に可愛いと思った、、、
何でこんな可愛い子を捨てたんだろうと、、腹も立ち、その母親を恨んだ。
しかし、権兵衛さんはさくらと温泉に入ったら、、さくらだけしか見えなかった、、、年を聞いたら「3歳、、」と、指を立てて、教えてくれた。
自分ではまだ、、良く、洗えなかったので、慣れない手つきで、権兵衛さんは「さくら」を洗い、、湯舟に入った、、、
「うわぁーー、気持ちいい、、暖かくて、、お風呂っていいね、、」と、、湯舟の中でお湯と遊んでいた、、、「あたいね、、お風呂に入ったのは、、ずっと前みたいだな、、気持ちいい、、」
さくらに話を聞くと、、お金が無くて、、お風呂も入らないで、、「お貰い」をしながら、歩いていたという、、、早い話が「乞食」をしていたのだと、権兵衛さんは理解して、、、
此の捨て子を母親が見つかるまで、、自分が面倒を見ようと考えたのだった。
湯上りに勝ったばかりの洋服を着て、、嬉しそうに、飛び跳ねている「さくら」が純で無垢らしく、、可愛かった、、、我が子を捨てるには、理由もあり、、覚悟も有ったろうが、、余りにも残酷であった。
自分が身寄りも無く、一人ぽっちでもあるので、こんな[ちび」で、生きる方法も知らない「さくら」を放り投げることは出来なかった。
ましてや、、小さな「さくら」は、、権兵衛さんに見てもらいなさいと、、見放された母親にいわれたのであった。。見込まれた権兵衛さんは、必ず、「さくら」の母親を見つけてやると、、死が無い泥棒稼業の男ではあるが、、心に云い聞かせた。
新しい洋服に着替えた「さくら」は、、「ありがとう、、」と、言って、小さな頭を下げた。
「さくら、、、ご飯を食べに行こうか、、、好きなものをたべていいよ、、」と、言いながら、いつの間にか、「さくら」は小さな手で、権兵衛さんの手を握っていた。
「そうだ、、さくら、、言えたらで良いけど、、おじさんは辞めよう、、、」と、、言うと、、、
さくらは「なんて、呼ぶの、、」と、、言うから、、、
権兵衛さんは取り合えずは「ゴン兄(ごんにい)がいいかな、、」と、、話したら、、、
さくらは、、、「ふふふっ、、キツネさんみたい、、、可笑しい、、よ、、ねえ、、パパって言っていい、、」と、言い出したので慌てた権兵衛さんだった。
そうか、、パパか、、、いいか、、暫くは「代理パパで、、」と、、権兵衛さんとさくらで決めたのだった。
ここから、「親娘旅」が始まった。
その日は夕食を済ませて、疲れも出たせいか、、権兵衛さんとさくらは仮眠室で、早めに寝てしまった。
9)交通事故に出会う、、、、
権兵衛さんとさくらが「湯センタ」を出発してから、愛知県に入り、、朝日を浴びながら海岸線を走っていた、、、権兵衛さんのペタルの踏む脚も軽やかに、、晩秋の風を受けて、心も軽やかだった。
何となく「さくら」との向きい方も決まり、覚悟を決めて、彼女の母親の行方を捜すことにしたのだった。
さくらの話を信じながら、、権兵衛さんと知り合う前の住んでいたところを聞き出しながら、、愛知県岡崎の町を訪ねた、、、その途中の交差点で、年老いた老婆が車に接触して、転んだのに、車は走り去ってしまった、、、
「あ、、危ない、、大丈夫かな、おばあちゃんは、、」と、、さくらが叫んだ。
権兵衛さんも自転車を止めて、、転んだ老婆の傍に駆け寄り、手を差し伸べ起こして、、、
「大丈夫ですか、、、怪我はありませんか、、、お祖母ちゃん、、」と、、声を掛けたら、、、
「いてて、、脚が少し痛いな、、、年よりなので、、尻餅をついて、、腰が痛い、、」と、、言いながら、立とうとしたが立てなかった。。。
「お祖母ちゃん、、朝もはやいから、、誰も歩いていないので、、逃げたな、、あの車は、
丁度、なんか病院が見えるので、、一緒に行きますから、、診て貰いましょう、、」と、、言いながら、、サイドカー部分に載せようとしたが、、さくらが居るのでそれは出来なかった。
「よし、、さくら、、降りて、、お前を背負うから、、」と、、紐を出して、さくらを負ぶった。
そして、転んだ老婆をそのサイドカー部分に載せて、病院に駆け込んだ。
「パパ、、凄い、、凄い、、」と、、言いながら、手を叩いていた、、、
病院に着いて、、看護婦さんたちが出て来て、其の老婆を処理室まで運び、治療をしてくれた、、、
その結果は「脚を骨折」していて、、腰も打撲しているので、動かない方が良いとなった。
権兵衛さんは事故の詳細を話して、看護を頼んで、帰ろうと思ったら、、その病院の医師に引き留められた、、
「あの、、すいません、、怪我をしたおばあさんから、、貴方にはお礼が言いたいので、返さないでください」と頼まれましたので、、、「待ってください、、、それに、交通事故なので警察の方にも、状況を説明した貰いたいので、、控室で待ってください、、、」と、、云われて、権兵衛さんは引き上げることが出来なかった。
負ぶってた「さくら」も降りて、、「お祖母ちゃん、、大丈夫だった、、」と、、心配そうに代理パパに聞いてきた。。。「さくら、、大丈夫だよ、、良かったね。」と、、二人で笑顔見せながら笑った。
権兵衛さんは、、さくらは優しい子だな、、本当にいい子だ、、なんで、こんな可愛い子供を捨てたんだと、、母親を恨めしく思った。
暫くして、交通事故担当の警察官が来たので、権兵衛さんは状況事情を説明した、、其の聴衆が終わって、権兵衛さんは担当医師が来て、、病室に案内された。
そして、手当てがすんだ、其の老婆から、権兵衛さんは丁寧なお礼を言われた、、、
「本当にありがとうございました、、命拾いしましたよ、、本当にありがとう、、私は岡崎に住んでいる、榊原りくと言います、、ここにきているのは私の息子の浩一郎と言います、、お礼と言っては何ですが、、どうか、、私の気持ちを受け取って欲しいのです、、少しだけ、時間を割いていただけませんか、、」と、、腰が痛いのに、ベットの上に座って、頭を下げられたのである。。。
そして、、大したお礼は出来ないが、、是非、お礼をさせて欲しいと頼まれた、、、
「パパ、、お祖母ちゃんが可哀そうだから、、痛いのが治るまで、いてあげようよ、、」と、、分かっているのか、知らないのか、、さくらに引き込まれてしまった。
権兵衛さんは「さくらは不思議な子」だと思った。
さくらの優しさが、権兵衛さんにも伝わり、、榊原りくのお礼を受けることになった。
取り合えず、、息子の境原浩一郎に連れられて、榊原家の門を潜った。。。そして、怪我した榊原りくも一緒にもどったのである。
さくらは大きな家を見て、部屋に通されて、、、「うわぁ、、凄いな、、まるでお城みたいだな、、
」と、、まるで、我が家の様に跳ね回った。
権兵衛さんが「さくら、、走っては駄目だよ、、、」と、、言いながら、止めたが、、さくらは余りにも凄く、嬉しかったので。止まらなかった。
その様子を見てた、榊原りくは、、「いいよ、、思いっきり、飛んでいいから、、」と、、にこにこしながら、、さくらを眺めていた。
我輩の職業は「コソ泥」である。。。
1)家無し、、金無し、、旅の空、、、
我輩は独り者、、何故か家族も居ない、、、高校までは両親と住んでいたが、ある日二人は交通事故で亡くなった。そして、運悪く轢き逃げであるために、何の保証も無かった。
両親は日々、一生懸命に働いたが貧乏だった、、、更に借家であるために、家を出て、「名無しの権兵衛」になった。親無し、家無しでは高校中退の「名無しの権兵衛」には仕事も無かった。
路頭に迷った、、寝る所も無く、金もない17歳の男は、真冬の寒空で震えった、、、何故か空腹を抱えて歩いているうちに、ホームレスのブルシートの幾つか点在する、ガード下にたどり着いた。
その中で燃える焚火に誘われて、手をかざした、、、
「兄ちゃん、、寒いから、もっと、火の傍に来いよ、、」と、、呼んでくれた。
そして、「腹、減ってるだろう、、この余り物ではあるがパンを食べな、、それに、飲み物もある、、」と、言って飲ませてくれた。
名無しの権兵衛は「うん、、ありがとう、、、旨い、旨い」と余り物のパンを貪り食った。
「兄ちゃん、、どうしたんだ、、家は無いのか、、、家族は、、」と、聞いてきたが、
只、黙って。パンを食べていた。。
聞いているうちに、まだ。子供だつたのか、、ポロリと光るものを落とした、冬空の寒さに震えながら、、焚火にあたっていた。
ホームレスの長老格の男が、、「もう、、いい、、今夜は俺の小屋で寝ろ、、、話は明日にしよう、、」と、迷い込んで来た子羊の男を諭した。
これが、我輩の金無し、家無し人生の始まりであった。
2)ホームレスから「コソ泥」への道
名無しの権兵衛さんは、ホームレス村に迷い込んでも、、親から貰った名前は名乗らなかった。
名前はと聞かれると「名無しの権兵衛」と云うので、、迷い込んだホームレス村では「権兵衛さん」で通る様になった。
彼は17歳と若かったので、ホームレス仲間からは「権兵衛」とか「ゴンちゃん」と、呼ばれるようになった。
ホームレス村の仲間たちは朝早くから、自転車リヤカーを引いて、雑踏の中に消えていった。
名無しの権兵衛は何か、不思議に見えた、、、
そのホームエス村の長老のような人が、、、「おい、、坊主、、俺に附いて来い、、」と言って、リヤカーを引く老人の後から付いて行った。
朝早く、、、午前3時ごろから、リヤカーを引いて、権兵衛に話しかけて来た。
「お前、、やることが無いなら、、暫く、ホームレスをするか、、、昔は乞食とか、お貰さんとか言っていたが、、今の時代では、俺たちのことをホームレスと、、呼んでいるよ、、、アはあは、、はだよ、、気楽なもんだぜ、、」
「それにな、、世間の人たちは、俺たちのことを無視しているから、、見向きもしないよ、、だから、、ゴミ集積場で物を漁っても、、泥棒ともいわないので、、いろいろなものを物色出来るんだから、、、面白い、、、」と、、云いながら、住宅街のごみ集積場に向かった。
そして、金属類や段ボールなどを集めた、、、時には家具類などもあるのだった。
それらの物を集めて、スクラップ業者や紙リサイクル工場に売って、小銭を稼いでいたのである、、、
家具類や調理台などのものはストックして、修理したり、手を加えて、リサイクル専門店に売却していた、、、ホームレスがやることで、リヤカー商なので、、取り締まる行政や警察も、鑑賞はして来なかった。場所の立ち退きがあれば、、別の場所を探して移動する、、「放牧民」と同じで、テント事に異動するのだから、、気楽な生活であった。
日本にはどんな規制が出来ても、、ホームレスは考えて移動するのであった。
「税金を払わない」「家賃や地代はタダで、、」いくらでも、探せばあるものだった。
日本の国は考えてみれば、、「贅沢」なのだ、、、空き家はいくらでもあるから、、、
雨、露、寒さを防ぐことには、少々、辛抱すればいくらでも、只の家があるのだった。
名無しの権兵衛はホームレス村の長老から、、いろいろ学んだ。
そして、少しづつではあるが「小銭」を貯めるようになった。
また、、住宅街を歩きながら、、留守にしている家もあり、、時には黙って侵入して、寝どまりすることも有った、、、コソ泥である。
住宅街の家が留守かどうかを調べるというか、確認する方法も、ホームレス村の長老から学んだ、、、その家の住所から電話を調て、留守を確認して、夜中に無断侵入をして、一晩だけ,その家で寝どまりして、入浴して、冷蔵庫の中身を食べて、次の朝には出るのであった。
早い話が「泥棒」であった。
しかし、金物は盗まない、、暖かい布団に寝て、、あれば「少しの現金」を貰って、帰るのである、、、
又、工場や事務所荒らしもしたのであった。昼間、下見をしてからの「コソ泥」であった。
ホームレスをしながら、、3年が経ち、、名無しの権兵衛は独り立ちをして、、本腰を入れて
「空き巣泥棒」に専念していった。
楽して金を稼ぎ、、昼間は「その金」でパチンコをしたり、、余計な臨時収入あがると、、「ソープランド」に行ったりして、、一人気楽に全国を旅した。
悪いことには違いないが、、ある時、覚悟をしたのである、、、人の力を借りて、生きようと、、
警察に捕まったら、それも仕方がない、、警察に捕まれば、、留置場、拘置所、刑務所と、、
三度の飯は食える、、そして、、今は冷暖房の部屋で、、暖かい布団にも寝れ、、風呂もあるのだから、、、と、、コソ泥人生に委ねたのである。
そんな無賃、宿無し人生をする中で、、名無しの権兵衛さんは人間模様を覘いてきたのであった。
3)親子心中の家に侵入した権兵衛さん、、、
いつものように、留守を確認した「名無しの権兵衛さん」は、住宅街の一軒家に裏口から侵入したのであった。
ドアを開けた途端に、ガス漏れの匂いがしたので、急いで中に入り、、リビングから始まって、窓を全て開けて、ガスを逃がす行動をした、、、
「名無しの権兵衛さん」は豪い家に入ってしまい、後悔したが、、全ての窓やドアを開けて、電気を点けようとした、、、然し、電気は付かず、切れていたのである。
「名無しの権兵衛」は参った、、、「なんだよ、、電気が止まっているのか、、これは不味いぞ、、」と、、思いながら暗闇の中の部屋を見回した。
寝室と思われる部屋に,三人が横になっていたので、、、「まさか、、心中では無いのか、、」
と、、慌てた。
しかし、根っからの悪人では無いので、、つい三人に近付き、声を掛けたしまったのである、、、自分が泥棒であることを忘れてしまい、、、
声を掛けたら、子供の方が「苦しい、、気持ち悪い、、ごほんごほん、、」と、言いながら目あを覚ました。
名無しの権兵衛はコップに水を入れて、持って来て、まず、目が覚めた男の子に飲ませた、
「大丈夫か、、しっかり、しろよ、、」と、、起こしながら、次に目が覚めた女の子を抱き起こ
して、背中を摩りながら、、咳き込んでいたので水を飲ませた。
もう一人の大人の女は母親だったが、、暫く、咳き込みながら苦しんだ、、、
しかし、名無しの権兵衛さんが、タイミングよく、侵入してきたので、運がいいのか悪いのか、命拾いしたのであった。
子供二人は泣き乍ら、、、母親に縋りついていた、、「お母さん、、お母さん、、」と、、
そして、、「お母さん、死なないで、、」と、、自分たちも苦しい筈なのに、母親の体をゆすりながら、泣きじゃくった。
名無しの権兵衛さんは、、「馬鹿野郎、、死ぬなよ、、死ぬほど苦しいかも知れないが、、子供を道連れにはするな、、死ぬなら、自分だけで死ねよ、、、子供は強いから、、、
でもよ、、死ななくてよかったよ、、、本当に良かった、、、」
権兵衛さんは三人が助かったことを喜んだ。
「良かった、、良かった、、なあ、、お母さんが生きてて、良かったな、、、」
名無しの権兵衛は親無しがどれほど、辛く、寂しいか、悲しいかをしているので、、、
自分がコソ泥に入ったことを忘れていたのであった。
気が付いた母親は、、「死なせてくれば良かったのに、、生きてても仕方がないのですから、、」
と、、恨みこそすれ、感謝はしないような、、言い方であった。
「馬鹿野郎、、子供は違うよ、、なあ、、死にたくないよな、、」と、、権兵衛がいうと、、
二人の子供たちは、涙をぬぐいながら、、小さく懐いた「うん、、、」と、、権兵衛は人ごとで
あるが、、涙が零れた。。
そして、、「お母さん、私も聡も新聞配達でも何でもするから、、貧乏でもいい、、お母さんと一緒がいい、、ねえ、、生きて、、」と、、姉の方が母親にすがる様に泣いていた、、権兵衛さんから見て、:姉の方はまだ、、小学校6年生くらいにしか見えなかった。
「それみな、、大人の勝手で殺すなよ、、子供は一人前なんだから、、生きろよ、、」
と、、」名無しの権兵衛は、ほとんど、、立派なことは言える立場ではないが、、強い子供たちが居るから安心したのであった。
自分が泥棒稼業の人間とは言えないが、、名無しの権兵衛さんは「なけ無しの金、80万円」を、その心中未遂の母親に渡して、、「親子三人で、、行政の福祉課で相談すれば、、必ず、相談に
乘って呉れるから、、」と、、消えたのであった。
4)自転車旅で日本全国行脚、、、野宿旅
名無しの権兵衛さんは小銭が溜まったので、中古のサイクルリング車と自転車で引く小型キャン
ピグを買い、、タダで拝借した布団、毛布を乗せて、、旅を始めた。
簡単な野営テントを用意し、、キャンプ用の炊事セットを積んで、野宿旅に出かけた。
東京から南に向かい、、最初の夜は箱根峠を超える途中の市営駐車場でキャンプをした、、、
夏前の涼しい季節なので、夜風も冷たく、清々しい夜を過ごした。
夜中に車やオートバイの音で目が覚めた、、、暴走苦族の集団がやって来て、、轟々と音を立て、やかましかった。。
「こんな駐車場で、、キャンプしてる奴がいるのか、、、おい、、少し、音を小さくしろや」
と、気づかってくれていたら、、、
「馬鹿野郎、、、暴走族から音をとったら、、何ものこらないよ、、ふざけるな、、煩かったら、、キャンプやめて、、出て行けや、、」とか、、勝手なことを言ってた。
名無しの権兵衛さんは、、口には出さなかったが「どっちが、、ふざけてんだよ、、勝手な自分
よがりな言い方しやがって、、」と、、思いながら、、自分も勝手に駐車場でキャンプしているので、なにも、、いいだせなかった。
しばらくすると、音が遠ざかっていった。
、、、これで、寝れると思ったら、、2台の乗用車が入って来た。権兵衛さんは寝たふりをしていたら。。。ごそごそと、、声は小さいが、嫌な話が聞こえて来た。
「この先の峠を降りたところの、、門構えの家を襲うぞ、、、良いな、、情報が入って、老夫婦
だけだと、、言うから、、準備をしていけよ、、」と云いながら、、車を吹かして走り去った。
名無しの権兵衛さんは、、不味い話を聞いたと思いながら、、「あいつら、、今はやりの押し込み強盗
か、、いやだな、、」と、、言いながら、、
少しばかり、お人好しの権兵衛さんは駐車場の中で、、休憩所になっているところの公衆電話を探して、電話をしたのであった。
自分がコソ泥でありながら、、押し込み強盗、、特に老夫婦を狙う、、無差別暴力を振るう、奴らを嫌いだった。
「110番」して、、情報を流してやった。
次の朝、、キャンプをたたんで、、自転車旅に出発した、、権兵衛さんは朝飯を食堂で食べながら、、御用となった強盗団のニュースを聞いて,、ほっと、したのであった。
5)名無しの権兵衛さん、、大雨に降られて、、
箱根峠を超えて、静岡に入り、大雨に降られた、、、昔では無いが「大井川が大雨で渡れなくなった話が有るが、、、」それと同じで、権兵衛さんは自転車で走れなくなり、、「湯センター」に宿泊していた。
入浴するだけで、仮眠施設があり、、簡単に寝どまり出来るのであった、、その施設には併設して、食事処がいろいろあり、、便利で、、権兵衛さんは良く利用していた。
大きな湯センターには映画館やゲームセンターなどもあって、一人旅の権兵衛さんには都合がよかった。
雨の間はゆっくり、滞在が出来て、有意義でもあった。
今回の静岡の「湯センター」では、よく見かける二人組のおっさんと、、知り合いになった。
温泉に入り、、湯上りで食事をしているところへ、、その、おっさんが話しかけて来た。
「また、、会いましたね、、混んでいるんで、相席、いいですか、、」と、、言いながら座って来た。
一人で4人席を使っているので、、ダメだとも言えず、、「はい、、どうぞ、、」と、言うと、、髭面の強面するような、おっさんが座って、生ビールを頼んでいた。
「すいませんね、、、旅行中ですか、、、」と、、話しかけてきたので、、、
「ええ、、そうです、、」と、、言いながら、権兵衛は頼んだ定食を食べていた。
権兵衛さんは、、「面倒くせえーな、、俺には構うなよ、、」と、、腹の中で思いながら。飯を食べながら、、迷惑そうな顔をしたのだった。
権兵衛さんは飯は、黙って、食うから旨いんだよ、、とも、言いたかった。
二人の男はビールを飲んでいるので、声もでかく,、話したかったのか、、一人旅の権兵衛さんに話しかけて来た、、
腹の中では面倒臭い奴らだと思いながら、、相槌程度の返事をしていた、、、
2人は酔いが少し回って来たのか、、、「お客さんは、、ずっと、旅しているんですか、、」と、聞くから、、「ええ、、そうですよ、、写真を撮っているんすけど、、、」と、、説明すると、、、
「へえー、、写真家さんですか、、」とも訪ねて来たので、、面倒う臭いなと、思いながら、食事も終ったので、席を立った。
まったく、酒癖の悪い奴らだな、、と、思いながら温泉に入った。
風呂に入っていたら、、運転手風の男が、、湯舟の中で、隣にきて、、、「さっき、あんたの席にいた男たちは、、刑事だってよ、、なんか、箱根で事件が有ったみたいだよ、、」と、、教えてくれた。
世の中にはいろいろな人間がいるものだと、、権兵衛は思った。
そして、少しだけ「ひやっと、」したのだった。
6)雨が降ると、、、休養日になる権兵衛さん、、、
名無しの権兵衛さんは雨が降ると、、湯センターなどを見つけて、お風呂に入り、のんびり過ごすことが多かった、、、コソ泥なりに、余裕を持って、少ない予算の中での「泥棒稼業」を続けていた。
泥棒が計画的な生活と言ってはおこがましいが、、、ちびちび生きている、、、だから「コソ泥」では無いのか、、、
今回も静岡の湯センターでは3日目にもなる、、秋の長雨なのか、、土砂降りが続いた、、そして、アチコとで川の氾濫、土佐崩れが起きている、、、まったく、嫌な世の中になったものだ、、
俗にいう「嫌な渡世だな、、」である、、、
そんなことを思いながら、温泉につかっていたら、、、
「また、会いましたな、、、あんたも、随分、ゆっくりな旅してますね、、、」と,湯けむりの中から、しゃがれた声がした、、「ああ、、どうも、、雨でしてね、、動けないんエスよ、、」と、、相槌をうちながら、権兵衛さんは洗い場に逃げた。
刑事と知ってから、、傍には寄りたくなく、、出来るだけ話をしたくなかった。
しかし、偶然というか、、権兵衛さんの隣が空いていたので、、その刑事が座って来たから、、いやだと思い、そそくさと洗いながして、、温泉に入った。
権兵衛さんは腹の中では「近づくな、、、俺に構うな、、」と、、怒鳴りたかった。
しかし、どういう訳か,、寄ってくるのであった、、、
権兵衛さんは「なんだよ、、泥棒の匂いでもするのかよ、、しーしー、、」と、、追い払いたかった。
その刑事は執拗に権兵衛さんに近付き、、
「兄さん、、あんたの撮影旅も、天気任せで、のんびりといいね、、、ところで、、旅をしていると、いろいろな人間と会と、思うが、、兄さんもニュースで知ってると思うが、、可笑しな人間や、不審に思う人間が居たら、、知らせて欲しい。。。」と、、言いながら、、着替え室であった時に、頼まれた。
その時、初めて名乗られた、、よれよれの背広のポケットから名刺を出したのであった。
「俺な、、刑事で、御手洗千治という、、万年平刑事の強硬犯係だから、、宜しくな。。それに、いつも一緒の刑事が、連川千之助と云うのでよろしく、、、なんか、兄さんとは縁がありそうなのでな、、」
と云いながら、、東京からずっと、連続強盗犯を追っている話をしていた。
人の噂では「すっぽんの千治」と云われて、狙った獲物は逃がさないと豪語していたので、、
名無しの権兵衛さんは、偉い奴に好かれてしまったらしい、、、
その晩も、その「湯センター」で夕食が一緒だったので、、その、トイレデカのあ御手洗千治」が、、
「偶然と云えども、、よくよく、縁があるようだな、、、あはあはあは、、」と笑っていた。
7)名無しの権兵衛さん、、捨て子に巡り合う。。。
名無しの権兵衛さんの雨宿りも終わり、、自転車旅が始まった。静岡を超えて、浜松湖のほとりのサイクリング道を走っていた、、、雨も上がり、さわやかに晴れ渡った秋空の下、、丁度、浜名湖に面した公園があったので、権兵衛さんは昼飯を兼ねて、休憩しようと立ちよった。
そして、、途中の売店で買った、「おにぎり弁当」を広げていたら、、一人の女の子が近づき、権兵衛さんが食べている握り飯を、じっと見つめていた。。。
権兵衛さんは「不味いな、、、見つめられては、、」と、思い、、
じっと見つめてる女の子に、、「食べる、、」と云いながら、握り飯を差し出したら、、、
「うん、、」と、、頷き、小さな手を出した。。
どう見ても、、、2,3歳ぐらいなので、、その女の子の親がいないかと、、周りをみたが、、誰も居なかった。。。
「ねえ、、お母さんはいないの、、」と、聞いたら、、、
その女の子は小さく、「頷いて、、」大きなお握りを頬張りながら、、「いないの、、」と、返事をして来た。
権兵衛さんは、更に「これは不味い、、」と、、思いながら話しかけた。
心配な権兵衛さんは、お握りを旨そうに食べている、女の子にゆっくり、、聞き出した。
結局、、聞きだした答えは「捨て子」だった。。捨てられた女の子だった。。
困った権兵衛さんは、、兎に角、、腹が空いているみたいなので、握り飯と卵焼きを食べさせた。。
そして、、ジュースも渡したら、旨そうに飲んで、、小さな頭を下げた。
なんとも可愛い仕草であった。
権兵衛さんは腹が立った、、「こんな可愛い子供捨てるとは、、まったく、ふざけている、、
馬鹿野郎、、」と、怒鳴りたかった。
その女の子は、、「ねえ、、おじちゃん、、あたいね、いつも一人なの、、一緒にいてくれる、、」
と、、権兵衛さんの足元に擦り寄って来た。。。
秋とはいえ、、半袖姿の女の子は寒そうだった。。
このままに、置いてく訳にはいかないので、、自転車で引いている、サイドカー的な車を引いているので、その女の子を乗せて、、近くの行政役所へ相談に行くことにした、、権兵衛さんであった。
女の子を乗せて走り出したが、、役所らしい建物は見つからず、、日が暮れて来た、、、
その小さな女の子が「おじちゃん、、夕焼けが綺麗、、お母さんは何処へ、いっちゃんだったんだろうね、、」と、、寂しげに呟きながら、、小さな声で鳴いていた、、一生懸命、小さな心で堪えながら、、
権兵衛さんは「馬鹿野郎、、」を呟きながら、ペタルを踏んだ。
「ところで、、名前は何ていうの、、、」と、、聞くと、、
「あたいね、、さくら、、、お母さんがつけてくれたんだって、、優しい、お母さんだよ、、」
「お母さん、、言ってたよ、、必ず、迎えに来るからと、、」と、言いながら、、
「早く、来てくれないかな、、、」、、「それまで、おじさんと一緒にいるようにって、、」
そんな話を聞かされた権兵衛さんは、困ってしまった。
何を見込まれたのか、、この「さくら」と言う、、捨て子の女の子と、、「もしかしたら、、旅をしないといけないのか、、」と、、錯覚を起こし、思うようになった。
夕暮れになり、、腹も空いただろうから、、と、、思いながら、湯センターが目に入ったので、今夜は立寄ることにした。
8)名無しの権兵衛さんは,さくらに洋服を買う、、、
権兵衛さんは「湯センター」に入る前に、、併設してあるスーパーで子供服を買った。。
「さくら、、、お風呂入る前に、、着替えの洋服を買おうか、、、」と、、いうと、、、にこにこしながら「うん、、嬉しいな、、」と、いいながら、女の子らしい、、可愛い洋服を選び、はしゃいでいた、、
そんな時、本当に可愛いと思った、、、
何でこんな可愛い子を捨てたんだろうと、、腹も立ち、その母親を恨んだ。
しかし、権兵衛さんはさくらと温泉に入ったら、、さくらだけしか見えなかった、、、年を聞いたら「3歳、、」と、指を立てて、教えてくれた。
自分ではまだ、、良く、洗えなかったので、慣れない手つきで、権兵衛さんは「さくら」を洗い、、湯舟に入った、、、
「うわぁーー、気持ちいい、、暖かくて、、お風呂っていいね、、」と、、湯舟の中でお湯と遊んでいた、、、「あたいね、、お風呂に入ったのは、、ずっと前みたいだな、、気持ちいい、、」
さくらに話を聞くと、、お金が無くて、、お風呂も入らないで、、「お貰い」をしながら、歩いていたという、、、早い話が「乞食」をしていたのだと、権兵衛さんは理解して、、、
此の捨て子を母親が見つかるまで、、自分が面倒を見ようと考えたのだった。
湯上りに勝ったばかりの洋服を着て、、嬉しそうに、飛び跳ねている「さくら」が純で無垢らしく、、可愛かった、、、我が子を捨てるには、理由もあり、、覚悟も有ったろうが、、余りにも残酷であった。
自分が身寄りも無く、一人ぽっちでもあるので、こんな[ちび」で、生きる方法も知らない「さくら」を放り投げることは出来なかった。
ましてや、、小さな「さくら」は、、権兵衛さんに見てもらいなさいと、、見放された母親にいわれたのであった。。見込まれた権兵衛さんは、必ず、「さくら」の母親を見つけてやると、、死が無い泥棒稼業の男ではあるが、、心に云い聞かせた。
新しい洋服に着替えた「さくら」は、、「ありがとう、、」と、言って、小さな頭を下げた。
「さくら、、、ご飯を食べに行こうか、、、好きなものをたべていいよ、、」と、言いながら、いつの間にか、「さくら」は小さな手で、権兵衛さんの手を握っていた。
「そうだ、、さくら、、言えたらで良いけど、、おじさんは辞めよう、、、」と、、言うと、、、
さくらは「なんて、呼ぶの、、」と、、言うから、、、
権兵衛さんは取り合えずは「ゴン兄(ごんにい)がいいかな、、」と、、話したら、、、
さくらは、、、「ふふふっ、、キツネさんみたい、、、可笑しい、、よ、、ねえ、、パパって言っていい、、」と、言い出したので慌てた権兵衛さんだった。
そうか、、パパか、、、いいか、、暫くは「代理パパで、、」と、、権兵衛さんとさくらで決めたのだった。
ここから、「親娘旅」が始まった。
その日は夕食を済ませて、疲れも出たせいか、、権兵衛さんとさくらは仮眠室で、早めに寝てしまった。
9)交通事故に出会う、、、、
権兵衛さんとさくらが「湯センタ」を出発してから、愛知県に入り、、朝日を浴びながら海岸線を走っていた、、、権兵衛さんのペタルの踏む脚も軽やかに、、晩秋の風を受けて、心も軽やかだった。
何となく「さくら」との向きい方も決まり、覚悟を決めて、彼女の母親の行方を捜すことにしたのだった。
さくらの話を信じながら、、権兵衛さんと知り合う前の住んでいたところを聞き出しながら、、愛知県岡崎の町を訪ねた、、、その途中の交差点で、年老いた老婆が車に接触して、転んだのに、車は走り去ってしまった、、、
「あ、、危ない、、大丈夫かな、おばあちゃんは、、」と、、さくらが叫んだ。
権兵衛さんも自転車を止めて、、転んだ老婆の傍に駆け寄り、手を差し伸べ起こして、、、
「大丈夫ですか、、、怪我はありませんか、、、お祖母ちゃん、、」と、、声を掛けたら、、、
「いてて、、脚が少し痛いな、、、年よりなので、、尻餅をついて、、腰が痛い、、」と、、言いながら、立とうとしたが立てなかった。。。
「お祖母ちゃん、、朝もはやいから、、誰も歩いていないので、、逃げたな、、あの車は、
丁度、なんか病院が見えるので、、一緒に行きますから、、診て貰いましょう、、」と、、言いながら、、サイドカー部分に載せようとしたが、、さくらが居るのでそれは出来なかった。
「よし、、さくら、、降りて、、お前を背負うから、、」と、、紐を出して、さくらを負ぶった。
そして、転んだ老婆をそのサイドカー部分に載せて、病院に駆け込んだ。
「パパ、、凄い、、凄い、、」と、、言いながら、手を叩いていた、、、
病院に着いて、、看護婦さんたちが出て来て、其の老婆を処理室まで運び、治療をしてくれた、、、
その結果は「脚を骨折」していて、、腰も打撲しているので、動かない方が良いとなった。
権兵衛さんは事故の詳細を話して、看護を頼んで、帰ろうと思ったら、、その病院の医師に引き留められた、、
「あの、、すいません、、怪我をしたおばあさんから、、貴方にはお礼が言いたいので、返さないでください」と頼まれましたので、、、「待ってください、、、それに、交通事故なので警察の方にも、状況を説明した貰いたいので、、控室で待ってください、、、」と、、云われて、権兵衛さんは引き上げることが出来なかった。
負ぶってた「さくら」も降りて、、「お祖母ちゃん、、大丈夫だった、、」と、、心配そうに代理パパに聞いてきた。。。「さくら、、大丈夫だよ、、良かったね。」と、、二人で笑顔見せながら笑った。
権兵衛さんは、、さくらは優しい子だな、、本当にいい子だ、、なんで、こんな可愛い子供を捨てたんだと、、母親を恨めしく思った。
暫くして、交通事故担当の警察官が来たので、権兵衛さんは状況事情を説明した、、其の聴衆が終わって、権兵衛さんは担当医師が来て、、病室に案内された。
そして、手当てがすんだ、其の老婆から、権兵衛さんは丁寧なお礼を言われた、、、
「本当にありがとうございました、、命拾いしましたよ、、本当にありがとう、、私は岡崎に住んでいる、榊原りくと言います、、ここにきているのは私の息子の浩一郎と言います、、お礼と言っては何ですが、、どうか、、私の気持ちを受け取って欲しいのです、、少しだけ、時間を割いていただけませんか、、」と、、腰が痛いのに、ベットの上に座って、頭を下げられたのである。。。
そして、、大したお礼は出来ないが、、是非、お礼をさせて欲しいと頼まれた、、、
「パパ、、お祖母ちゃんが可哀そうだから、、痛いのが治るまで、いてあげようよ、、」と、、分かっているのか、知らないのか、、さくらに引き込まれてしまった。
権兵衛さんは「さくらは不思議な子」だと思った。
さくらの優しさが、権兵衛さんにも伝わり、、榊原りくのお礼を受けることになった。
取り合えず、、息子の境原浩一郎に連れられて、榊原家の門を潜った。。。そして、怪我した榊原りくも一緒にもどったのである。
さくらは大きな家を見て、部屋に通されて、、、「うわぁ、、凄いな、、まるでお城みたいだな、、
」と、、まるで、我が家の様に跳ね回った。
権兵衛さんが「さくら、、走っては駄目だよ、、、」と、、言いながら、止めたが、、さくらは余りにも凄く、嬉しかったので。止まらなかった。
その様子を見てた、榊原りくは、、「いいよ、、思いっきり、飛んでいいから、、」と、、にこにこしながら、、さくらを眺めていた。
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