10 / 19
笑い神死神
笑い神死神
しおりを挟む
〇大衆娯楽小説 「笑い神と死神」 献残屋藤吉郎書房
〇「笑い神と死神」
人間世界は面白い、、、ついている人間と運の悪い人がいる。
もって生まれた運の良さ、、、何をしてもうまくいかない運の悪い人。
全く不思議だ。。。
なんでだろう。。。
人にはもしかしたら、初めから、、、「笑い神」と「死神」が要るのかもしれない。
「そうだよ、、、いるんだよ、、、笑い神」が、、、
そして、「死神」も口を開けて待っているんだよ。。。あはあはあは、、、と
人は「笑い神」と「死神」につかれると。。。
この物語は「笑い神」と「死神」の話だ。。。。。
(1)笑いの神と幸福の神が聞いた、、、死神に
笑い神が、、、「おい、、、死神、お前はなぜに、、人を不幸にするんじゃあ」と、、、
すると死神は言った。
「おい、笑い神よ、、、よく聞け、、、この世の人間どもが、誰もが誰でも幸せになっていたら
、誰が幸せかわかないだろう、、、人には良きこと悪きことを知らせることが大事なんだよ。
この馬鹿神が、、、うはははは、、、」
そうしたら、、、笑い神が応えた。。。
「あほぬかせ、、、死神よ、誰もが幸せに、笑っていられるのがいいんじゃあよ」
と言い返した。
死神が言うのには、、、、
「この世には笑いがあり、、、悲しみがあり、、人は初めて、喜怒哀楽をするのじゃわい」
と、、、、どちらの言い分もあるような。
この話を聞いてたこの世の番人がいった。
この世にはいろいろな神がいて、、、人の世を面白、おかしくしておるのだと。。。
二人の神が、その他の神が見た人間模様を。。。。それでは「神芝居の始まり」
(2)この世は笑いあれば、悲しい涙り
人の世は生まれたり、死んだりしている。
そのたびに嬉しがって、お祝いをしては笑みを浮かべ、笑っている。
人が死んでは悲しく泣いたりしているような、、、
この世のきまりかもしれない、、、誰が決めたのだ、、人が生まれれば嬉しいと。。
人が死ねば悲しいと涙を流すと。。。
不思議だな、
決めごとならば、、、そん逆でもいいのではないか。
考えてみれば、おかしい、面白いような、、、、笑ってしまうよ。
全てこの世は誰が決めたのか、、、言葉一つで変わるもの。
もしも、死神がいたならば、、、悪い事実は死神がいてもの申しているのか。。。
笑い神が居れば、いいことは笑い神が言っているのか。。。
言葉ひとつで、なんとでも解釈が出来るのである。
従って人は生きることが大事だ。。。
この世にはいるような、、、あるような。
なんと不思議な世の中だ。
(3)笑い神と死神の間に番人が、、、
人間の世界では、、、人は病にかかるような、、、
その時にいろいろな検査がある、、、そして「死神」が出てくる.
そしじゃ山をて、、、死神が言う、、、「どうだ、、検査前のニフレックは旨いだろう、、、あはあはあは」すると、、、笑い神は泣きそうな顔をして、、、、
「まずいよー、まずいよー、飲まな得れば、、、検査ができない、、、頑張れーーがんばれー」
笑い神はこの野郎と思い、、、死神は様あーみろと言いながら。。喜んでいるような。
この世は二つの神の遊、
死神と笑い神の間の番人に弄ばれているような。。。
今回の病は「糞つまり、、便秘」で記念病院へ救急車で運ばれ、、、次の日に小便が出なくなり、出血して救急車でつくば総合病院へ、、、
そして、検査をする、、、「胃カメラ」「超音波検査、」「エムアール」「大腸カメラ」といろいろだ。その結果で治療、、、、検査が終わるまで7日間、何も食べられない、、、、
つらいーーー
(4)笑い神と福の神、、、人の生きる道を邪魔をする「死神」
人の世の道で、、、思うように生きそうでいかないのがこの浮世だ、、、、
絶食が続き、、、検査が終わり、、、そのあとは、まだ食事ができない、、、「情けない、、」
本当にトホ徒歩だーーー涙が出るよ。
これも罰当たりか、、、普段の行いが悪いのか、笑い神が逃げていく、、、福の神に見放されて、、やってきたのが「死神」だ。。。
笑いを込めて死神が言う、、、「まだまだ、お前には幸せはこないぜーーあはあはあは、、」
死神につかれた人間は、、、腹が立ち「この野郎、、俺の道を邪魔するな、、、どこかへいっちまえーーー」と。
しかし、笑い神も福の神も迎えには来てくれない。
(5)だーれのせいでもありゃしない、、、みんな自分が悪いのよ、、、
人とは面白いものだ、、、なんかついていないことがあると、、、なんとなく人のせいに、物のせいにしたくなるような、、、
更には世の中が悪いとか言って、、、自分の努力の無さや力の無さを忘れている。
そして、挙句の果てには「死神」に取り憑かれて、ついていないとおもうようになり、、、
精神的にくさる、
考えてみれば、、、すべて、、、大体が己が悪いのだ。
世の中の、引きこもりや精神的な悩みも、、、自殺もすべて、みんな自分が悪いのよ、、、、
人はこの世に生まれてから、、、死ぬまでは時間がかかる、、、特別な事故や病でなければ、、、ほどほどに生きられる、
そして、「死神」や「笑い神、福の神」に弄ばれていうような。。。
、、、
(6)馬鹿は死んでも治らい、、、、とか、
言われているが、本当にそうなのか、、、人とは生まれついての馬鹿はいるのだろうか、、、しかし、違うような気がする。
その時の、その環境で、、、、この世の「死神」が人の心を弄ぶような。
浮世の人間が、、、すべてが利口で、聡明なものばかりであったなら、、、どこで、悧巧と馬鹿を分けるのだ、、、
始めから、、「死神」が、、、「お前は馬鹿だ、、、、お前はは悧巧だ」と、、、
分けていてくれれば、分かりやすい
番人が言お会えるだ
(7)他力と自力
この世には「他力本願」という、、、宗教言葉がえある、、、その昔、延暦寺に法然という坊主がいた。。。その弟子に親鸞はんという坊主がいた。。。
民衆が唱えるお経では長くて、、、毎日、お経を挙げて「他力」に頼るにはむずかしい、、、
そこで「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで済むようにした。。。
浄土宗の「他力」である。。。
「死神」も「笑いの神」もすべて他力である。。。。
法然や親鸞の前は「日蓮」だ。。。
日蓮大聖人は天台宗の坊主で、鎌倉時代に「南妙法蓮経」を唱えた、、、「般若心経」を唱える代わりに「南妙法蓮経」と唱えるだけで、安らぎを得られるという
他力本願である。。。。
この世の中で、己の力ではどうしようもない、不幸、幸せを他力に頼る。。。。
そんな死神がいるような、、、笑いの神がいるような、、、
(8)達磨禅師
1600年前、平安時代から鎌倉時代に活躍した禅宗坊主である。
宗派は臨済宗黄壁宗であり、達磨禅師は中国禅宗の開祖で、、、宗派の呼び名を仏心宗または
達磨宗という。
その偉い禅師が修行を積んできたのであるが、、、死ぬ間際に、弟子に言ったことが、、、
一言「死にたくない」であった。
他力の教えを施す、偉い坊主でもそうなのである、、、この世の「死神」につかれた、凡人には何をかいわんやである、、、、
この世の俗世間で生きる人間には、、、せいぜい、、、「死神」や「笑い神」で、生きる人間空間をさまようほかはないような、、、
人間世界とは不思議なものだ。。。。
修行を積んだ高僧たちには、死んだのちも住む世界が、、、生きる霊界があるのかもしれない。
しかし、俗世界の人間には「他力」に頼り、、、念仏を唱えて、生きるよりほかには無いのかもしれない。。。
そして、俗世界の「死神」や「笑い神」に言われるままに、、、生きていくような、、、あはあははーーーだ。
(9)最澄と空海
最澄は天台宗を延暦寺に、、、空海は真言宗を高野山に、、開祖した坊主である。
最澄は平安時代の宗教界の若きリーダであり、、、、最澄と空海は遣唐使節に従う留学僧であった。最澄は国費で渡り、、1年で帰国したが、空海は私費であり20年を要した。
二人は延暦23年(804年)に唐に渡った。
仏教の開祖は釈迦であり、、、苦しみの世界は愛欲があるからであると、、、そして、釈迦は涅槃の世界に入った、
天台宗も真言宗も、、、宗教は全て念仏を唱えての、、、他力本願である。。。
今の世の中の出来事、、、憑いているということや、ついていないことなどの
「死神」「笑い神」も宗教で言う、、、他力だ。
いつの時代になっても、、、心の持ち方、、、人間では判断できない、、、
未知の空間の力は「他力」なのかも知れない。
(10)陰陽師
平安時代の有名な陰陽師で、阿倍晴明がいる。。。源氏物語にも登場する、陰陽師で、、、
延喜21年(921年)に生まれた、、、村上天皇に占いを命じられる。
陰陽師は官職で、彼は天文学者でもあった。
もともと、、、占いなので、、、今の時代なら「当たるも八卦、、」と言われるが、、、陰陽師は天文学者でもあり、、天皇から命じられて官職なので、、、平安時代には信じられていた。
現代風に言えば「占い」も「お経」も、、、他力本願だ。
日本社会では古くから、、、人間の力では何もできない、、宇宙空間の願い事が多い、、、
いろいろな宗教があって、、、修行を積んだ高僧が宗派を作るような、、、
すべて、、、つまるところは「他力」だ。。。。
その他力の一つでもある、、、、「死神」「笑い神」があるような。。。
「おい、、、、死神、お前の都合で、、人は死んだり、、、怪我をしたり、、、物事につまずいて、
失敗しているようだが、、、どうなんだよ、、、」
「おい、、、死神、、、、お前にはそんな力があるのかよ、、、」
と笑い神が尋ねた。
「馬鹿をいうなよ、、、、そんな力はないよ、、、偶然だ。。。昔からそうだ、、、たまたまだよ」
笑い神も頷いた、、、
「そうか、、、あのそうだったのか、、、」
しかし、、昔から「他力本願」、願うものは救われる、、、、
(11)家訓
人が集まり、、、集団で生活をして、家族が出来上がる。。。数人の家族が生きる上えで、生きるために決まりが出来る、、、「掟」だ。
そして、家族の中でその掟にしたがって、生きていく。
その家族の掟は、家々によって違ってくる、、、その決まりが「家訓」となり、、、家族はまとまる。
それらの家族が集団で部落をつくり、、、それ等の部落に「規則」が出来る。。。そして、、幸せになるために、部落の人々の安全を守るために、、、
「祈願」をするようになる。
それが部落に存在する「大木」であったり、「大きな岩」だったりする。。。
それが部落の守り神となる、、、いわゆる「森の鎮守様」だ。。。
そして、各家族の家には「神棚」のようなものが出来る。
それが「祈願」の始まりのような、、、、
人々は家で神棚に家族の安全祈願をして、、、部落の「森の鎮守様」に祈願をする
のであった。
これがすべての「他力」の源のような。。。。
そして、、いろいろな修行層が学んで、、、「他力」の教えを広めていくのであった。
(12)家内安全
日本には「神道」があるような、、、古来より家には「神棚」があって、その家の家長が
家族の安全を願って、祈願しているような、、、
神棚には「榊」を飾り、、お米と水を備えて、、、一日の家族の無事を願って、家長が毎朝、柏を合わせているような、、、
神に手を合わせて祈願する、、、これは「他力」であり、、、この世の、宇宙世界の何者かに頼るこtである、、、そして、、日本に「仏教」が伝来してからは、、、その他力が仏にすがるようになった、、、、
飛鳥時代に日本では初めてであり、、、最後の宗教戦争があった、、、それは聖徳太子の時で、、、仏教と神道の戦いであった。。。しかし、聖徳太子の力でというか、功績で、、「仏教」も「神道」も並び残ったのである、、、
聖徳太子の偉業とは、、、日本での最初の「宗教戦争」を収めたことであった。
世界では宗教戦争が今なお、続いているのに,日本にはそれ以後、起きなかったことである。。
「仏教」は聖徳太子により、、、奈良に「法隆寺」が建立されて、布教された。
「神道」は聖徳太子により、、、伊勢神宮が祭られ、初代宮司に聖徳太子の妹が任じられて、布教された、、、それ以後、伊勢神宮の宮司は女性が務めている。
以上の結果、日本には「神道」と「仏教」が並び立ったのであった。
それから、家々には「神棚」があり、先祖を祭る「仏壇」があるのあった。
日本の「他力」は。「神」と「仏」があるのであった。
(13)笑い神あり、、、死神あり、、、
日本人の世界には、、、おとぎ話から、、伝説、、、昔話からいろいろあるよような、、、
面白い話だ、、、
そして、、、変な言い伝えもあるような、、、
「夜、夢の中に亡くなった人が出てきて、、、話をしない死に人が声をかけてくる」という話がある、、、
そうすると、死出の旅に引き込まれるという、、、そんな話がある。
出来るだけ、、、夢の中に出てきた死に人とは話をしない、、、、
怖い話もある、、、夜中に目は覚めていないが、、、数本の手が伸びてきて、体中を抑えられ、、、手足を引っ張られるという
金縛りもあるような、、、
こんな話はどうして、、、起きるのだろう、、、不思議だ。。。
寝ている間の話なのに、、、目が覚めると、、、汗びっしょりだ、、、不思議な夢だ、、、本当に夢だつたのだろうか、、、正夢なのか、、、不思議な現象だ。。。
こんな夢を見ると思う、、、、
よく世の中には、、、、「こんなことをすると、、、罰が当たるとか」
とか言われるが、、、これは何だろうか、、、そんな迷信のような言葉も不思議だ。。。
良いことにめぐり会えると、、、「福の神」に巡り合えたと。。。
そして、、、不幸にめぐり会えると「死神」に祟られたという。。。
人の世は、、、まったく面白い、、、、あはあはあーーーだ。
(14)人の世界には「夢見がいい」とか「夢見が悪い」とか言われる。。。
昔より、、、夢見が悪いから、、、例えば「朝から転んでけがをしたとか、、、朝から今日は忘れ物が多いとか、、、朝から好かん奴とであったとか、、、」くだらないような、、、ことを気にすることが多い。
人生の一生では、、とるに足らぬことではあるが、、、その日の明暗を分けてしまうようなことをいうやつがいるような、、、、、
そんなことはない、、、朝に嫌なことがあったならば、、、気を付けることだ、、、もしかしたら、、、
福の神が注意をしてくれているのかも知れない、、、、人の世は、」福の神が、、、死神がという時には、、、逆を考える。。。そのくらいの余裕があってもいいような、、、
その日の初めに「嫌なことがあった時には、、、その日は注意をして行動をする、、、逆にいい夢やいいことがあった場合には、、、さらに気を付けるとか、、、」
しかし、、、どっちにしても、、、用心用心と、、桑原と桑原と、、気を占めて生きることがいいような。。。
人の世の「占い」とか「吉兆」はその人間が注意して、用心して、、こそに起きることであるような。。。
結局は人は、世の規則を守り、、、人の仁義を守ってこそ、、、報われるような。。
「真面目真面目、、、真剣に与えられた道を進むことこそ、、、誠のような」
己の私生活こそが、、、見ているような「死神」も「笑い神」も。。。
(15)神と仏の他力
日本の家には昔から、、、家には神棚があって、、それぞれの家の神様が宿っているような、、、
そして、「神道」がある、、、日本にはお寺があって、、、死んだらお墓に入る、、、仏様になるような、、
また、日本の家には神棚があり、、、地域地域には神社がある、、、そして、その神社のお祭りがそれぞれにあるような、、、神社のお祭りには「夏祭り」「秋祭り」とかがあって、、、村中で、町中でお祝いをするようだ、、、特に日本の祭りにはいろいろなものがある、、、
「青森のねぶた祭」「秋田の灯籠祭り」「山形の花笠音頭」とか、、、「秩父の火祭り」とか、、、れさせて
関東浅草の「三社祭り」などが。。。
そして、京都の「祇園祭」「大文字やき」とか、、、九州博多の「山笠」 や、、、長崎の「蛇おどり」などさまざまであるような、、、、四国の「阿波踊り」などがあり、、、神様の祭りを作り上げているような。。。
「他力」から遠ざかり、、、、遊びに呈しているような、、、
人とは面白い、、、願う心が弾むと踊りだすのかも知れない。。。
昔から、、、織田信長の時代から、、、時代が変わる時に、、、権力者が変わる時に、、、流行りすのが民衆の踊りだ。。。
人は他力を通り過ぎると、、、「あほー」になって踊るような。。。
阿波踊りもそうだ、、、「踊る阿保に、みるあほー、、、同じ阿呆なら、踊らに屋ソンソン」という風に。。。
人とは元来が馬鹿なのかもしれない、、、、そうだよ、、馬鹿な群衆あほーな虚像へのんだよ、、
(16)仏と他力
仏の道にはいろいろな名僧も出てくるような、、、、日本の歴史上にもいろいろな宗教がある。
禅宗をはじめ、、、浄土宗、、、日蓮宗、、、真言宗といろいろだ、、、
そして、、坊主にもいろいろなやつがいるような、、、、
考え見れば、すべてが坊主という世界の人間が考えたことだ、、、、
始めから形あるものが居るわけではなく、、、修行僧たちの考えた「虚像」のような、、、
仏教は「仏陀」と言われる「釈迦」が辻説法を唱え、、、それを「舎利氏」という弟子たちが「経本」にまとめたもののような、、、そして、、、「般若心経」とか、、、他の仏事話にまとめて、、、後々の坊主どもが唱えてているような、、、
更に、、、時が移り、、、「般若心経」では経文がながすぎるとういうことで、、、
日蓮上人が「南妙法連華経」と纏め、、、繰り返し唱えることが最も需要な修行・信仰だとしている。。。。繰り返すことで死後「霊山浄土」で釈迦牟尼仏にお会いして、成することが出来るとされている。。。
また、のちの法然や親鸞は「般若心経」を、、、「南無阿弥陀仏」と唱えて、、、人々を極楽浄土へと導く、阿弥陀如来への感謝を表す。。
すべて、、、宗教には「他力本願」の願いがある。。。
人はこの世の空間の教えというか、、、修行した坊主どもの作られた「虚像」があって。。。それらを崇め、、、唱えているような気がする。
だから、、死んだら極楽とか、、、別の世界に浄土するということはないような、、、
すべてが作られた「虚像」への「他力本願」のような、、、、
人の世のまやかしかもしれない、、、人間の長い歴史の中で作られた、、、精神的な陽炎のような気がしてならない。。。。
(17)虚像への他力本願
人とは不思議なものだ、、、、死んだ後のことを心配しているような、、、死んでいまえば「皆同じ」のはずだ、、、
三途の川も金次第とかいうけれど、、、本当にそうなのかな。
どんな偉い修業した坊主でも、三途の川の先は空想でしかないのだ、、、、
どんなに学問を積んでも、、、体業を重ねても、、、死んだ先の世界を覗くこと不可能なはずだ、、、
もし、、、黄泉の世界を、、、死んだ先の世界を見たというものが居たなら、、、それは「嘘」と言わざるを得ない、、、
それでなければ、、、「夢」を見たのか、、、、
だから、、、不思議なのだ、、、死んだ先の世界を見たといっては、、、「極楽』とか「地獄」」とか言って、、、
その様子を絵にするということが不思議なのだ、、、、
全く思議なのだ、、、まったく、考えられないのだ、、、、
その考えられない事実を、、、「言葉」にしたり「絵画」にしたりすることが魔訶不思議なのだ、、、
人の世界で不思議なことがある、、、絵画にするときに地獄を描くときに、、、人を鬼畜に描き、、、いかにも恐ろしいもののように描いている、、、
人が人を導くときに、、、心の行いがまっすぐな道を目指しているとときには「日々の行いが報われる」とか、、、
毎日、善行を施し、、、人のために尽くす生き方が、、、「極楽浄土」とかいうけれど、、、本当だろうか、、、、
それも分からないはずだ、、、善行をしてしmしたものが死んだ先のことはどうなったか知ることはできない、、、また、悪行を重ねたものの行く先も分からないはずだ、、、、
この世の命あるものの行く先は誰も知らない、、、、知らないはずだ。
分からいはずだから、、、人は死んだ先のことを誰もが知りたがるような、、、、
永遠の謎だ、、、謎だから、、、人は知りたがり、、、永遠に追いかけていくような、、、
それが「他力本願」なのでは、、、、、
(18)まじないも「他力」なのか。。。。
人の世界にはおもしろいこともある、、、例えば「こんなことをすると、いいことがある」とか、
朝の目覚めによっては、、、すっきり目が覚めた、、、いつものように眠くないとか、、、
人によっては、縁起を担ぐような、、、
もしかしたら、、、「何かのためにする呪いも、、、」「今日はこんなことがあったから、、、きっといいことがあるような」とか、、、人は勝手に自分の都合よく考える。
人とは結果が良ければ、、、「そうだったんだ」とか、、、結果が悪ければやっぱりだめか、、、」そのダメな理由をいろいろとこじつける様な、、、時には人のせいにすることもある。
また、、、自分の人生は、自分が努力もしないで、、、環境やひとのせいにすることが多い。
本当は全て、己の責任のはずが、、、都合が悪いと何かの責任、、、悪良いことは責任転嫁をしてしまうような、、、
この世のことは、、、自分が絡んだことは、すべて自分に責任があることを忘れているのだ。
人とはどうして、、、自分が悪いんだと認めないのか、、、そもそもが、すべてがそこから始まるような。。
自分で認めれば、、、己の不甲斐なさも分かるような、、、
能力もないのに、高望みをして、、そうできることと信じているのだ。
それには「努力」「努力」が必要なのだ。
行動を起こして、、、体を使い、、、気力を惜しまず前進することが形となって表れるのだと思う。
ただ、、、祈るだけでは成就しなのだ、、、
人は誰も力を貸してはくれないのだ。
「他力」だけでは、、所詮「他力」で終わるような、、、、
(19)己が生きていることは先祖がいるということだ、、、両親が、、、父が母が、、
人は生きているということ、、、それは己一人ではない、、、生まれてきたということは親がいる、、、
だから、人を無理して敬わないことは無いが、、、両親は生きている時は尊敬して、せめて尊厳しないと、、、死んだらお参りしないと、、、
せめて「両手を合わせて、、、合掌ぐらいは」しないとな、、、
人は死ぬとお墓に入る、、、そして、人はお経などを唱えるような、、、
そのお経は日本にはいろいろな宗教がある。、、、
禅宗、、、日蓮宗、、、浄土真宗、、、真言宗などがあるような
宗教は家によって、、、その地域によって違うような、、、しかし、人は人が亡くなると、、「念仏」や「経文」を唱える。
人が念仏やだだ経を唱えて、、、死んだ人の安寧をねがうような、、、合掌だ、、、
「念仏」や「経文」を唱える。。。
すなわち、、、願うこと、、、「他力本願」だ、、、
人は知らず知らずのうちに「お祈しおは合掌して、、、経文を唱えるような、、、
これぞ「他力本貫」だ、、、、
仏教での経文だ、、、、
開 経 偈
無上甚深微妙法 百千萬劫難遭遇
我今見聞得受持 願解如来真實義
〇お経を挙げる時に、一番最初に唱える「経文}。。。。。
こ
「魔訶般若波羅蜜多心経」
観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五温皆空。度一切厄。舎利子
色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識。亦復如是。舎利子
是諸法空相。。不生不滅。不垢不浄。不増不減。是故空中。無色無受想行識。
無眼耳鼻舌身意。無色聲香味触法。無眼界乃至無意識界。無無明亦無無明塵
乃至無老死亦無老死塵。無垢集滅道。無智亦無得。以無所得故。菩提薩た。
所業無常、、、、無常道、、、、ひとは日々、経文を唱えて活きていくような、、、
〇「笑い神と死神」
人間世界は面白い、、、ついている人間と運の悪い人がいる。
もって生まれた運の良さ、、、何をしてもうまくいかない運の悪い人。
全く不思議だ。。。
なんでだろう。。。
人にはもしかしたら、初めから、、、「笑い神」と「死神」が要るのかもしれない。
「そうだよ、、、いるんだよ、、、笑い神」が、、、
そして、「死神」も口を開けて待っているんだよ。。。あはあはあは、、、と
人は「笑い神」と「死神」につかれると。。。
この物語は「笑い神」と「死神」の話だ。。。。。
(1)笑いの神と幸福の神が聞いた、、、死神に
笑い神が、、、「おい、、、死神、お前はなぜに、、人を不幸にするんじゃあ」と、、、
すると死神は言った。
「おい、笑い神よ、、、よく聞け、、、この世の人間どもが、誰もが誰でも幸せになっていたら
、誰が幸せかわかないだろう、、、人には良きこと悪きことを知らせることが大事なんだよ。
この馬鹿神が、、、うはははは、、、」
そうしたら、、、笑い神が応えた。。。
「あほぬかせ、、、死神よ、誰もが幸せに、笑っていられるのがいいんじゃあよ」
と言い返した。
死神が言うのには、、、、
「この世には笑いがあり、、、悲しみがあり、、人は初めて、喜怒哀楽をするのじゃわい」
と、、、、どちらの言い分もあるような。
この話を聞いてたこの世の番人がいった。
この世にはいろいろな神がいて、、、人の世を面白、おかしくしておるのだと。。。
二人の神が、その他の神が見た人間模様を。。。。それでは「神芝居の始まり」
(2)この世は笑いあれば、悲しい涙り
人の世は生まれたり、死んだりしている。
そのたびに嬉しがって、お祝いをしては笑みを浮かべ、笑っている。
人が死んでは悲しく泣いたりしているような、、、
この世のきまりかもしれない、、、誰が決めたのだ、、人が生まれれば嬉しいと。。
人が死ねば悲しいと涙を流すと。。。
不思議だな、
決めごとならば、、、そん逆でもいいのではないか。
考えてみれば、おかしい、面白いような、、、、笑ってしまうよ。
全てこの世は誰が決めたのか、、、言葉一つで変わるもの。
もしも、死神がいたならば、、、悪い事実は死神がいてもの申しているのか。。。
笑い神が居れば、いいことは笑い神が言っているのか。。。
言葉ひとつで、なんとでも解釈が出来るのである。
従って人は生きることが大事だ。。。
この世にはいるような、、、あるような。
なんと不思議な世の中だ。
(3)笑い神と死神の間に番人が、、、
人間の世界では、、、人は病にかかるような、、、
その時にいろいろな検査がある、、、そして「死神」が出てくる.
そしじゃ山をて、、、死神が言う、、、「どうだ、、検査前のニフレックは旨いだろう、、、あはあはあは」すると、、、笑い神は泣きそうな顔をして、、、、
「まずいよー、まずいよー、飲まな得れば、、、検査ができない、、、頑張れーーがんばれー」
笑い神はこの野郎と思い、、、死神は様あーみろと言いながら。。喜んでいるような。
この世は二つの神の遊、
死神と笑い神の間の番人に弄ばれているような。。。
今回の病は「糞つまり、、便秘」で記念病院へ救急車で運ばれ、、、次の日に小便が出なくなり、出血して救急車でつくば総合病院へ、、、
そして、検査をする、、、「胃カメラ」「超音波検査、」「エムアール」「大腸カメラ」といろいろだ。その結果で治療、、、、検査が終わるまで7日間、何も食べられない、、、、
つらいーーー
(4)笑い神と福の神、、、人の生きる道を邪魔をする「死神」
人の世の道で、、、思うように生きそうでいかないのがこの浮世だ、、、、
絶食が続き、、、検査が終わり、、、そのあとは、まだ食事ができない、、、「情けない、、」
本当にトホ徒歩だーーー涙が出るよ。
これも罰当たりか、、、普段の行いが悪いのか、笑い神が逃げていく、、、福の神に見放されて、、やってきたのが「死神」だ。。。
笑いを込めて死神が言う、、、「まだまだ、お前には幸せはこないぜーーあはあはあは、、」
死神につかれた人間は、、、腹が立ち「この野郎、、俺の道を邪魔するな、、、どこかへいっちまえーーー」と。
しかし、笑い神も福の神も迎えには来てくれない。
(5)だーれのせいでもありゃしない、、、みんな自分が悪いのよ、、、
人とは面白いものだ、、、なんかついていないことがあると、、、なんとなく人のせいに、物のせいにしたくなるような、、、
更には世の中が悪いとか言って、、、自分の努力の無さや力の無さを忘れている。
そして、挙句の果てには「死神」に取り憑かれて、ついていないとおもうようになり、、、
精神的にくさる、
考えてみれば、、、すべて、、、大体が己が悪いのだ。
世の中の、引きこもりや精神的な悩みも、、、自殺もすべて、みんな自分が悪いのよ、、、、
人はこの世に生まれてから、、、死ぬまでは時間がかかる、、、特別な事故や病でなければ、、、ほどほどに生きられる、
そして、「死神」や「笑い神、福の神」に弄ばれていうような。。。
、、、
(6)馬鹿は死んでも治らい、、、、とか、
言われているが、本当にそうなのか、、、人とは生まれついての馬鹿はいるのだろうか、、、しかし、違うような気がする。
その時の、その環境で、、、、この世の「死神」が人の心を弄ぶような。
浮世の人間が、、、すべてが利口で、聡明なものばかりであったなら、、、どこで、悧巧と馬鹿を分けるのだ、、、
始めから、、「死神」が、、、「お前は馬鹿だ、、、、お前はは悧巧だ」と、、、
分けていてくれれば、分かりやすい
番人が言お会えるだ
(7)他力と自力
この世には「他力本願」という、、、宗教言葉がえある、、、その昔、延暦寺に法然という坊主がいた。。。その弟子に親鸞はんという坊主がいた。。。
民衆が唱えるお経では長くて、、、毎日、お経を挙げて「他力」に頼るにはむずかしい、、、
そこで「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで済むようにした。。。
浄土宗の「他力」である。。。
「死神」も「笑いの神」もすべて他力である。。。。
法然や親鸞の前は「日蓮」だ。。。
日蓮大聖人は天台宗の坊主で、鎌倉時代に「南妙法蓮経」を唱えた、、、「般若心経」を唱える代わりに「南妙法蓮経」と唱えるだけで、安らぎを得られるという
他力本願である。。。。
この世の中で、己の力ではどうしようもない、不幸、幸せを他力に頼る。。。。
そんな死神がいるような、、、笑いの神がいるような、、、
(8)達磨禅師
1600年前、平安時代から鎌倉時代に活躍した禅宗坊主である。
宗派は臨済宗黄壁宗であり、達磨禅師は中国禅宗の開祖で、、、宗派の呼び名を仏心宗または
達磨宗という。
その偉い禅師が修行を積んできたのであるが、、、死ぬ間際に、弟子に言ったことが、、、
一言「死にたくない」であった。
他力の教えを施す、偉い坊主でもそうなのである、、、この世の「死神」につかれた、凡人には何をかいわんやである、、、、
この世の俗世間で生きる人間には、、、せいぜい、、、「死神」や「笑い神」で、生きる人間空間をさまようほかはないような、、、
人間世界とは不思議なものだ。。。。
修行を積んだ高僧たちには、死んだのちも住む世界が、、、生きる霊界があるのかもしれない。
しかし、俗世界の人間には「他力」に頼り、、、念仏を唱えて、生きるよりほかには無いのかもしれない。。。
そして、俗世界の「死神」や「笑い神」に言われるままに、、、生きていくような、、、あはあははーーーだ。
(9)最澄と空海
最澄は天台宗を延暦寺に、、、空海は真言宗を高野山に、、開祖した坊主である。
最澄は平安時代の宗教界の若きリーダであり、、、、最澄と空海は遣唐使節に従う留学僧であった。最澄は国費で渡り、、1年で帰国したが、空海は私費であり20年を要した。
二人は延暦23年(804年)に唐に渡った。
仏教の開祖は釈迦であり、、、苦しみの世界は愛欲があるからであると、、、そして、釈迦は涅槃の世界に入った、
天台宗も真言宗も、、、宗教は全て念仏を唱えての、、、他力本願である。。。
今の世の中の出来事、、、憑いているということや、ついていないことなどの
「死神」「笑い神」も宗教で言う、、、他力だ。
いつの時代になっても、、、心の持ち方、、、人間では判断できない、、、
未知の空間の力は「他力」なのかも知れない。
(10)陰陽師
平安時代の有名な陰陽師で、阿倍晴明がいる。。。源氏物語にも登場する、陰陽師で、、、
延喜21年(921年)に生まれた、、、村上天皇に占いを命じられる。
陰陽師は官職で、彼は天文学者でもあった。
もともと、、、占いなので、、、今の時代なら「当たるも八卦、、」と言われるが、、、陰陽師は天文学者でもあり、、天皇から命じられて官職なので、、、平安時代には信じられていた。
現代風に言えば「占い」も「お経」も、、、他力本願だ。
日本社会では古くから、、、人間の力では何もできない、、宇宙空間の願い事が多い、、、
いろいろな宗教があって、、、修行を積んだ高僧が宗派を作るような、、、
すべて、、、つまるところは「他力」だ。。。。
その他力の一つでもある、、、、「死神」「笑い神」があるような。。。
「おい、、、、死神、お前の都合で、、人は死んだり、、、怪我をしたり、、、物事につまずいて、
失敗しているようだが、、、どうなんだよ、、、」
「おい、、、死神、、、、お前にはそんな力があるのかよ、、、」
と笑い神が尋ねた。
「馬鹿をいうなよ、、、、そんな力はないよ、、、偶然だ。。。昔からそうだ、、、たまたまだよ」
笑い神も頷いた、、、
「そうか、、、あのそうだったのか、、、」
しかし、、昔から「他力本願」、願うものは救われる、、、、
(11)家訓
人が集まり、、、集団で生活をして、家族が出来上がる。。。数人の家族が生きる上えで、生きるために決まりが出来る、、、「掟」だ。
そして、家族の中でその掟にしたがって、生きていく。
その家族の掟は、家々によって違ってくる、、、その決まりが「家訓」となり、、、家族はまとまる。
それらの家族が集団で部落をつくり、、、それ等の部落に「規則」が出来る。。。そして、、幸せになるために、部落の人々の安全を守るために、、、
「祈願」をするようになる。
それが部落に存在する「大木」であったり、「大きな岩」だったりする。。。
それが部落の守り神となる、、、いわゆる「森の鎮守様」だ。。。
そして、各家族の家には「神棚」のようなものが出来る。
それが「祈願」の始まりのような、、、、
人々は家で神棚に家族の安全祈願をして、、、部落の「森の鎮守様」に祈願をする
のであった。
これがすべての「他力」の源のような。。。。
そして、、いろいろな修行層が学んで、、、「他力」の教えを広めていくのであった。
(12)家内安全
日本には「神道」があるような、、、古来より家には「神棚」があって、その家の家長が
家族の安全を願って、祈願しているような、、、
神棚には「榊」を飾り、、お米と水を備えて、、、一日の家族の無事を願って、家長が毎朝、柏を合わせているような、、、
神に手を合わせて祈願する、、、これは「他力」であり、、、この世の、宇宙世界の何者かに頼るこtである、、、そして、、日本に「仏教」が伝来してからは、、、その他力が仏にすがるようになった、、、、
飛鳥時代に日本では初めてであり、、、最後の宗教戦争があった、、、それは聖徳太子の時で、、、仏教と神道の戦いであった。。。しかし、聖徳太子の力でというか、功績で、、「仏教」も「神道」も並び残ったのである、、、
聖徳太子の偉業とは、、、日本での最初の「宗教戦争」を収めたことであった。
世界では宗教戦争が今なお、続いているのに,日本にはそれ以後、起きなかったことである。。
「仏教」は聖徳太子により、、、奈良に「法隆寺」が建立されて、布教された。
「神道」は聖徳太子により、、、伊勢神宮が祭られ、初代宮司に聖徳太子の妹が任じられて、布教された、、、それ以後、伊勢神宮の宮司は女性が務めている。
以上の結果、日本には「神道」と「仏教」が並び立ったのであった。
それから、家々には「神棚」があり、先祖を祭る「仏壇」があるのあった。
日本の「他力」は。「神」と「仏」があるのであった。
(13)笑い神あり、、、死神あり、、、
日本人の世界には、、、おとぎ話から、、伝説、、、昔話からいろいろあるよような、、、
面白い話だ、、、
そして、、、変な言い伝えもあるような、、、
「夜、夢の中に亡くなった人が出てきて、、、話をしない死に人が声をかけてくる」という話がある、、、
そうすると、死出の旅に引き込まれるという、、、そんな話がある。
出来るだけ、、、夢の中に出てきた死に人とは話をしない、、、、
怖い話もある、、、夜中に目は覚めていないが、、、数本の手が伸びてきて、体中を抑えられ、、、手足を引っ張られるという
金縛りもあるような、、、
こんな話はどうして、、、起きるのだろう、、、不思議だ。。。
寝ている間の話なのに、、、目が覚めると、、、汗びっしょりだ、、、不思議な夢だ、、、本当に夢だつたのだろうか、、、正夢なのか、、、不思議な現象だ。。。
こんな夢を見ると思う、、、、
よく世の中には、、、、「こんなことをすると、、、罰が当たるとか」
とか言われるが、、、これは何だろうか、、、そんな迷信のような言葉も不思議だ。。。
良いことにめぐり会えると、、、「福の神」に巡り合えたと。。。
そして、、、不幸にめぐり会えると「死神」に祟られたという。。。
人の世は、、、まったく面白い、、、、あはあはあーーーだ。
(14)人の世界には「夢見がいい」とか「夢見が悪い」とか言われる。。。
昔より、、、夢見が悪いから、、、例えば「朝から転んでけがをしたとか、、、朝から今日は忘れ物が多いとか、、、朝から好かん奴とであったとか、、、」くだらないような、、、ことを気にすることが多い。
人生の一生では、、とるに足らぬことではあるが、、、その日の明暗を分けてしまうようなことをいうやつがいるような、、、、、
そんなことはない、、、朝に嫌なことがあったならば、、、気を付けることだ、、、もしかしたら、、、
福の神が注意をしてくれているのかも知れない、、、、人の世は、」福の神が、、、死神がという時には、、、逆を考える。。。そのくらいの余裕があってもいいような、、、
その日の初めに「嫌なことがあった時には、、、その日は注意をして行動をする、、、逆にいい夢やいいことがあった場合には、、、さらに気を付けるとか、、、」
しかし、、、どっちにしても、、、用心用心と、、桑原と桑原と、、気を占めて生きることがいいような。。。
人の世の「占い」とか「吉兆」はその人間が注意して、用心して、、こそに起きることであるような。。。
結局は人は、世の規則を守り、、、人の仁義を守ってこそ、、、報われるような。。
「真面目真面目、、、真剣に与えられた道を進むことこそ、、、誠のような」
己の私生活こそが、、、見ているような「死神」も「笑い神」も。。。
(15)神と仏の他力
日本の家には昔から、、、家には神棚があって、、それぞれの家の神様が宿っているような、、、
そして、「神道」がある、、、日本にはお寺があって、、、死んだらお墓に入る、、、仏様になるような、、
また、日本の家には神棚があり、、、地域地域には神社がある、、、そして、その神社のお祭りがそれぞれにあるような、、、神社のお祭りには「夏祭り」「秋祭り」とかがあって、、、村中で、町中でお祝いをするようだ、、、特に日本の祭りにはいろいろなものがある、、、
「青森のねぶた祭」「秋田の灯籠祭り」「山形の花笠音頭」とか、、、「秩父の火祭り」とか、、、れさせて
関東浅草の「三社祭り」などが。。。
そして、京都の「祇園祭」「大文字やき」とか、、、九州博多の「山笠」 や、、、長崎の「蛇おどり」などさまざまであるような、、、、四国の「阿波踊り」などがあり、、、神様の祭りを作り上げているような。。。
「他力」から遠ざかり、、、、遊びに呈しているような、、、
人とは面白い、、、願う心が弾むと踊りだすのかも知れない。。。
昔から、、、織田信長の時代から、、、時代が変わる時に、、、権力者が変わる時に、、、流行りすのが民衆の踊りだ。。。
人は他力を通り過ぎると、、、「あほー」になって踊るような。。。
阿波踊りもそうだ、、、「踊る阿保に、みるあほー、、、同じ阿呆なら、踊らに屋ソンソン」という風に。。。
人とは元来が馬鹿なのかもしれない、、、、そうだよ、、馬鹿な群衆あほーな虚像へのんだよ、、
(16)仏と他力
仏の道にはいろいろな名僧も出てくるような、、、、日本の歴史上にもいろいろな宗教がある。
禅宗をはじめ、、、浄土宗、、、日蓮宗、、、真言宗といろいろだ、、、
そして、、坊主にもいろいろなやつがいるような、、、、
考え見れば、すべてが坊主という世界の人間が考えたことだ、、、、
始めから形あるものが居るわけではなく、、、修行僧たちの考えた「虚像」のような、、、
仏教は「仏陀」と言われる「釈迦」が辻説法を唱え、、、それを「舎利氏」という弟子たちが「経本」にまとめたもののような、、、そして、、、「般若心経」とか、、、他の仏事話にまとめて、、、後々の坊主どもが唱えてているような、、、
更に、、、時が移り、、、「般若心経」では経文がながすぎるとういうことで、、、
日蓮上人が「南妙法連華経」と纏め、、、繰り返し唱えることが最も需要な修行・信仰だとしている。。。。繰り返すことで死後「霊山浄土」で釈迦牟尼仏にお会いして、成することが出来るとされている。。。
また、のちの法然や親鸞は「般若心経」を、、、「南無阿弥陀仏」と唱えて、、、人々を極楽浄土へと導く、阿弥陀如来への感謝を表す。。
すべて、、、宗教には「他力本願」の願いがある。。。
人はこの世の空間の教えというか、、、修行した坊主どもの作られた「虚像」があって。。。それらを崇め、、、唱えているような気がする。
だから、、死んだら極楽とか、、、別の世界に浄土するということはないような、、、
すべてが作られた「虚像」への「他力本願」のような、、、、
人の世のまやかしかもしれない、、、人間の長い歴史の中で作られた、、、精神的な陽炎のような気がしてならない。。。。
(17)虚像への他力本願
人とは不思議なものだ、、、、死んだ後のことを心配しているような、、、死んでいまえば「皆同じ」のはずだ、、、
三途の川も金次第とかいうけれど、、、本当にそうなのかな。
どんな偉い修業した坊主でも、三途の川の先は空想でしかないのだ、、、、
どんなに学問を積んでも、、、体業を重ねても、、、死んだ先の世界を覗くこと不可能なはずだ、、、
もし、、、黄泉の世界を、、、死んだ先の世界を見たというものが居たなら、、、それは「嘘」と言わざるを得ない、、、
それでなければ、、、「夢」を見たのか、、、、
だから、、、不思議なのだ、、、死んだ先の世界を見たといっては、、、「極楽』とか「地獄」」とか言って、、、
その様子を絵にするということが不思議なのだ、、、、
全く思議なのだ、、、まったく、考えられないのだ、、、、
その考えられない事実を、、、「言葉」にしたり「絵画」にしたりすることが魔訶不思議なのだ、、、
人の世界で不思議なことがある、、、絵画にするときに地獄を描くときに、、、人を鬼畜に描き、、、いかにも恐ろしいもののように描いている、、、
人が人を導くときに、、、心の行いがまっすぐな道を目指しているとときには「日々の行いが報われる」とか、、、
毎日、善行を施し、、、人のために尽くす生き方が、、、「極楽浄土」とかいうけれど、、、本当だろうか、、、、
それも分からないはずだ、、、善行をしてしmしたものが死んだ先のことはどうなったか知ることはできない、、、また、悪行を重ねたものの行く先も分からないはずだ、、、、
この世の命あるものの行く先は誰も知らない、、、、知らないはずだ。
分からいはずだから、、、人は死んだ先のことを誰もが知りたがるような、、、、
永遠の謎だ、、、謎だから、、、人は知りたがり、、、永遠に追いかけていくような、、、
それが「他力本願」なのでは、、、、、
(18)まじないも「他力」なのか。。。。
人の世界にはおもしろいこともある、、、例えば「こんなことをすると、いいことがある」とか、
朝の目覚めによっては、、、すっきり目が覚めた、、、いつものように眠くないとか、、、
人によっては、縁起を担ぐような、、、
もしかしたら、、、「何かのためにする呪いも、、、」「今日はこんなことがあったから、、、きっといいことがあるような」とか、、、人は勝手に自分の都合よく考える。
人とは結果が良ければ、、、「そうだったんだ」とか、、、結果が悪ければやっぱりだめか、、、」そのダメな理由をいろいろとこじつける様な、、、時には人のせいにすることもある。
また、、、自分の人生は、自分が努力もしないで、、、環境やひとのせいにすることが多い。
本当は全て、己の責任のはずが、、、都合が悪いと何かの責任、、、悪良いことは責任転嫁をしてしまうような、、、
この世のことは、、、自分が絡んだことは、すべて自分に責任があることを忘れているのだ。
人とはどうして、、、自分が悪いんだと認めないのか、、、そもそもが、すべてがそこから始まるような。。
自分で認めれば、、、己の不甲斐なさも分かるような、、、
能力もないのに、高望みをして、、そうできることと信じているのだ。
それには「努力」「努力」が必要なのだ。
行動を起こして、、、体を使い、、、気力を惜しまず前進することが形となって表れるのだと思う。
ただ、、、祈るだけでは成就しなのだ、、、
人は誰も力を貸してはくれないのだ。
「他力」だけでは、、所詮「他力」で終わるような、、、、
(19)己が生きていることは先祖がいるということだ、、、両親が、、、父が母が、、
人は生きているということ、、、それは己一人ではない、、、生まれてきたということは親がいる、、、
だから、人を無理して敬わないことは無いが、、、両親は生きている時は尊敬して、せめて尊厳しないと、、、死んだらお参りしないと、、、
せめて「両手を合わせて、、、合掌ぐらいは」しないとな、、、
人は死ぬとお墓に入る、、、そして、人はお経などを唱えるような、、、
そのお経は日本にはいろいろな宗教がある。、、、
禅宗、、、日蓮宗、、、浄土真宗、、、真言宗などがあるような
宗教は家によって、、、その地域によって違うような、、、しかし、人は人が亡くなると、、「念仏」や「経文」を唱える。
人が念仏やだだ経を唱えて、、、死んだ人の安寧をねがうような、、、合掌だ、、、
「念仏」や「経文」を唱える。。。
すなわち、、、願うこと、、、「他力本願」だ、、、
人は知らず知らずのうちに「お祈しおは合掌して、、、経文を唱えるような、、、
これぞ「他力本貫」だ、、、、
仏教での経文だ、、、、
開 経 偈
無上甚深微妙法 百千萬劫難遭遇
我今見聞得受持 願解如来真實義
〇お経を挙げる時に、一番最初に唱える「経文}。。。。。
こ
「魔訶般若波羅蜜多心経」
観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五温皆空。度一切厄。舎利子
色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識。亦復如是。舎利子
是諸法空相。。不生不滅。不垢不浄。不増不減。是故空中。無色無受想行識。
無眼耳鼻舌身意。無色聲香味触法。無眼界乃至無意識界。無無明亦無無明塵
乃至無老死亦無老死塵。無垢集滅道。無智亦無得。以無所得故。菩提薩た。
所業無常、、、、無常道、、、、ひとは日々、経文を唱えて活きていくような、、、
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
赤毛の行商人
ひぐらしゆうき
大衆娯楽
赤茶の髪をした散切り頭、珍品を集めて回る行商人カミノマ。かつて父の持ち帰った幻の一品「虚空の器」を求めて国中を巡り回る。
現実とは少し異なる19世紀末の日本を舞台とした冒険物語。


アレンジ可シチュボ等のフリー台本集77選
上津英
大衆娯楽
シチュエーションボイス等のフリー台本集です。女性向けで書いていますが、男性向けでの使用も可です。
一人用の短い恋愛系中心。
【利用規約】
・一人称・語尾・方言・男女逆転などのアレンジはご自由に。
・シチュボ以外にもASMR・ボイスドラマ・朗読・配信・声劇にどうぞお使いください。
・個人の使用報告は不要ですが、クレジットの表記はお願い致します。
【Vtuberさん向け】1人用フリー台本置き場《ネタ系/5分以内》
小熊井つん
大衆娯楽
Vtuberさん向けフリー台本置き場です
◆使用報告等不要ですのでどなたでもご自由にどうぞ
◆コメントで利用報告していただけた場合は聞きに行きます!
◆クレジット表記は任意です
※クレジット表記しない場合はフリー台本であることを明記してください
【ご利用にあたっての注意事項】
⭕️OK
・収益化済みのチャンネルまたは配信での使用
※ファンボックスや有料会員限定配信等『金銭の支払いをしないと視聴できないコンテンツ』での使用は不可
✖️禁止事項
・二次配布
・自作発言
・大幅なセリフ改変
・こちらの台本を使用したボイスデータの販売
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

一人用声劇台本
ふゎ
恋愛
一人用声劇台本です。
男性向け女性用シチュエーションです。
私自身声の仕事をしており、
自分の好きな台本を書いてみようという気持ちで書いたものなので自己満のものになります。
ご使用したい方がいましたらお気軽にどうぞ
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる