落ちこぼれ花

献残屋藤吉郎

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愛犬物語

愛犬物語

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〇家族の絆物語「愛犬物語」献残屋藤吉郎書房


 「愛と絆の物語」、、「愛犬物語」 

1)愛犬が雲に乗った

夕焼雲に乗った愛犬「ろれとチャッピー」の姿が雲の上に大きく浮かんでいた。
「さようなら、、、いつまでもみんなでなかよくね、、、」
と、、言っているような。
そんな「ろれとチャッピー」が先日亡くなった、、、日にちをたがえずに旅たっていった。毎日、一緒に遊んで、昼寝をしていた子犬たちだった。
朝な夕なに出迎え送ってくれていた「ろれ」とチャッピー」が、今はもういない。
不思議だった、、、
「ろれ」は亡くなる2年ぐらい前から「後ろ足」を引きずって歩いていた。そして、18年も生きてくれて、可愛い目をぐるぐる回して愛嬌を振舞ってくれていたのである。人間で言えば老後生活であり、、汚い話であるがおしっこも便もやりパなしであった。。
それでも動かない後ろ足を引きずって必死に生きていたのである。
人間なら大変だよ、、、
「足が痛いよ、、、腰が痛いよ」と、、きっと、文句ばかり言ってたような気がする。それを何も言わずに生きていたのである。
ときたま、怒る時もあった、、そんな時には小さいからだで大きな目に、涙をいっぱい浮かべて、、俺たちの顔を見上げていた。
黙ってみていたのである、、、
今、思うと人間とは勝手ものだ、、、可愛い盛りの時には「ろれ、、ろれ、、」と言って、頬ずりして抱き上げる。
病気になった「ろれ」はついつい、、、寝かしぱなしにする、、なんて酷いことをしたものだと反省している、、そんな時でも一言も文句を言わずに、黙って寝ていた。
そして、、、おむつを取り替えてきれいにしてやると、、苦しいのに、、笑いを浮かべて、嬉しい表情を見せてくれるのであった。
「ろれ」は嬉しいときの涙を浮かべていたのである。亡くなる間際には苦しかったと思うのに手を差し伸べて、一緒にベットで寝ると甘えて、俺の腕枕で寝た。
不思議なことに「ろれ」の最後の頃には、大人ばっかりの味気ない会話しかない家で家族が協力して看護していたのである。。
何故か「ろれ」が結び付けてくれているようなきがした。
「ろれ」を中心に家族が集まって話をして、なんかほのぼのとした家族がそこにはいたのである。
「ろれ」がなくなった日には長女の櫻と次女の桃が「ろれ」を連れて火葬場に行ってくれた。
また、いつも不愛想な長男の光が亡くなる前日は抱いていてくれたのである。
そして、「チャッピー」はまだ元気だったので飛び跳ねていた、、、しかし、本当は「ガン」を患っていたので辛かったはずである。
長女の櫻と次女の桃が目をはらして帰ってきた、、、今はもういない、「ろれ」の思い出を話しながら「チャッピー」抱いていた。
何故か大人ばかりの殺風景な家に,ポツリと灯りがともったような夜だった。
「ありがとう、、、ろれ」と心から感謝した夜でもあったのである。


2)小さな体でガンと戦う

いま俺の家には、小さな体でガンと戦ったパピヨンの「チャッピー」がいた。ろれと一緒に我が家に喜びをふりまいてくれた愛犬である。16年間の間、長い脚で飛びはねてきた「チャッピー」もいつのころからガンを患っていた。
亡くなる前は次女の桃がお腹の具合が悪いと言っては病院へ行っていたが最終的には治らなかったのである。
チャッピーはずっと痛みを堪えて活きていた。よく頑張っていたと思う。
亡、くなるころには食欲もなくなり、、みんなで交代に食事を「チャッピー」の口にい」いれていた。
人も同じで高齢者になり、自分では何にも出来ない時が来ることを知らされたのである。
「チャッピー」が亡くなった朝、長女の櫻と次女の桃が送ってくれた。帰っt来た二人の娘の目には涙があふえていたのでる。
「ありがとう、、、チャッピー、我が家にくれた愛の喜びをいつまでも忘れないよ。。」
あの夕焼雲まで走って行って「ろれ」と仲良くして欲しいと願う。
「チャッピー」も俺たちに教えてくれたような、家族の愛を,絆が大事なことを、、、。
我が家には「ゴンとチピー」が居なくなり、、、寂しさが訪れた。
朝になると元気なころの「ろれ」と「チャッピー」は俺のベットの上に飛び乗ってきたのである。
そんな小さな、ささやかな家族が暮らす家にも過去には荒れた荒んだ時があった。
それが「ろれとチャッピー」は和らいでくれたのであるから、、、感謝しかない。
あの夕焼雲に乗って、ゆったりとゆっくりと安らかに過ごしてくださいと祈るばかりであった。


3)ろれが来てくれた日に

俺の家族がごたごたがあって、東京北区に住んでいた頃だった。北区に住んだのも俺が馬鹿をやって家族に迷惑をかけて、、かみさんが子供を連れて実家に帰ってしまったことが原因であった。
子供たちが小学4年生、6年生で長女が中学1年生の時の頃は、俺は仕事にかこつけて毎晩「酒」を飲んで遊んで歩いていたのだ。
今から考えると酷かった、、仕事はしていたので生活費は入れていたが、夜の帰りはいつも午前様であったのである。。。「酷い父親であり、酷い亭主であった」親不孝ではないが「子供不幸、女房不幸」を尽くしていたのだった。愛想をつかしたかみさんが子供たちを連れて実家に帰り、、誰もいない空き家の家で一人憮然としたのである。
後で言われたのであるが、、、長男の光がしみじみと話してくれた。
「親父は何でも金で解決をしていたと、、金を渡して金で済ませようとしていたと」
それが堪らなく嫌であり、親として、父親としての信頼感が無くなったのだと。。。
そうだと思う、、、
今は反省ばかりだ、、何故、早く正さなかったこと後悔している。
その積み重ねが今に蓄積しているようだ。
東京での生活で反省して、、やり直したはずであったが、、生来の「遊び癖」は治らなかったのである。
何度か立ち直り、生活を安定させたが、、、今度は仕事で何度か失敗して旨く行かなかった、、、それでもやり直しては前進し、後退してはやり直して生きてきた。
その間、家族にはつらい思いをさせてしまったようだった。
自分では家族を大事にしてたつもりだったが、そうではなかったのである。
東京での生活もマンション3LDKを2つ買ったりしたのであったが、いずれも失敗してしまった。
子供たちはどんどん成長していった、、俺は焦ってもいたのであるが、空回りをしていたのである。
東京での生活にはいいことは一つもなかったような、、、嫌な思い出ばかり作ってしまった。そんなある日「ろれ」がやってきたのである。
始めて「ろれ」を見た時に小さいと思った、、、こんな小さな犬がいたのかと、、、
でも、可愛かったのである。
抱こうとするとマンションの部屋の隅に逃げて行った。その小さな「ろれ」が何年か後に精神的な救いの手を差し伸べてくれたのである。
俺の心に灯りをくれたのだった。
家族には嫌な思い出ばかりの父親で、どうしようもない悪い手本のような親父だと、、今も反省している。


4)親子関係は日ごろの積み重ね

最近、俺は思う、、、親子関係とは俺の子供に生まれたから「親子」と思うのは間違っているような、、、
ただ、親だから子供だからでは違う、、、血統が同じだからでは済まない、、、親と子供、一緒に生活して、お互い理解して、分かりあって、思いやりが通じ合って初めて親子を名乗り上げることができる。
俺は無謀だった、、、「俺は父親だ、、、だから言うことを聴けとか、、、俺が言ったらだめはダメと命令する、、」
そして、話し合いが通じなくなると、、怒鳴る。
そんな時にいつも家に帰ってくると傍に来て、、、「うーーうーー」と言いながらすり寄ってくる。
怒っても怒鳴っても近寄ってくる「ろれ」は可愛い。
そうだな、、、人間とはそんな時に、ちょっと気になり、、口答えをしたり、、注意したことも文句になってしまう。。。口が利けるということは始末が悪い。
いつも家族に注文や小言を言ってから反省していることが多い。
どうして、親子とはもっと、ゆっくり、分かりあえるまで話し合いができないのかと思う。
何かあると、、、「忙しい、、、後にしてくれ」と、、、先延ばしすることが多いのである。
ところが「ろれ」は違う、、、その時その時を分かりあっているようだった。
怒れば涙を浮かべて謝るような、、、その素振りを見ていると、なんとなく許している。
俺はどうして、、、もっともっと、話があるという子供たちと、かみさんと話を聞くことが出来なかったのか。と、、反省して後悔している。
余りにも自分勝手なことに、、、今は嫌気がさしている。
親子関係は日頃の付き合いの積み重ねが無いと、、、その関係は薄れていくようだった。
今更、親子関係を強調しても遅いのであった。
そのことをつくづく思うのである。それでも取り戻したい気持ちがいっぱいなので、これから日々、努力をしていきたい。


5)親の勝手な思惑

親子の関係とは不思議なものだ、、、時代とともにその関係は変わっていくようだ。
当たり前と言えば当然の理かも知れない。時代により時により、人により変わっていくものだ。
それを分からずに、理解することなく親子関係を続けていくとに間違いが起こる、」
俺の場合もそうだった、愛犬を育てるようにはいかないのである。
愛犬はどちらかと言えば、飼い主に絶対服従のような、、、逆らえば大変だよ、、、ご飯がもらえない、食べれないということがあるからだ。
ところが人は違う、、家族は違う、、、成長した大人になった人間は「自分の意見、自分の主張」があるからだ。
それを捻じ伏せて、無理やり「親だから、言うことを聴けは無い」、、、
それを擦れば親子の間に溝が出来て、、、深い傷が残る、、、その積み重ねで気持ちが通じなく
なって、親子が、本来のおや子で無くなるような。
俺はこれをやってきたかも知れない。「俺の言うことを聞いていろ、、子供なんだからと」と、、
子供も主張するのだから、、その時は前を向いて聞いてやらないと、、、
愛犬「ろれ」のようにはいかない。「ろれ」は怒られると眼に涙を一杯ためて我慢している。
こんなことがあった、、、長男の光が高校三年性の時だった、、「俺は生まれたくて生まれて来たんじゃない、、、勝手に生んどいて、ふざけれな」と啖呵をきった。
その時にきちんと話をきけばよかったのに、、、俺も若かったので喧嘩を買ってしまったのである。
「おう、、上等だ、、勝手に生んだんだから、、勝手に殺してやるよ」と言って、金属バットを振りかざして向かっていた、、、
しかし、その時にいた長女の櫻が二人の間に入って、その喧嘩を止めたのである。
その時の姉弟の愛は凄いと思った、、、長男の光は身を引いて「ごめん」と言って部屋から出て行った。
あの時の「ごめん」は二人のどっちに言ったのか。。。その時の俺は勘違いをしたのである。
そんな親子の会話を理解も出来ず、、、「親父面」してた自分が、今は恥ずかしい。
今の親子関係がずれて、うまくいかないのも、すべて「親父面」のせいだと反省している。
時間をかけた溝は、なかなか修復が出来ない。でも、しないといけないことだと思っている。


6)姉、弟、妹のチームワーク

東京から田舎暮らしがいいと、筑波山ろくの山里に引っ越したのであった。
かみさんが「喘息持ち」で、都会にいると喘息も治らないということもあって、空気のいい、自然の中での生活がいいのではないかと、、、
しかし、、、なかなか治らず,いい方向には向かなかった。冬などは3か月も発作を起こして苦しんでいた。
家の中に病人がいるとなんとなく、暗くなるようだった。少しでも生活の雰囲気を変えようと思い、、愛犬「ろれ」のほかに、、
パピヨンの「チャッピー」が来たのであった。
愛犬が増えて、、、家の中が賑やかになり、、あかるくなったようである。
小さな犬であるが、、、家族を和ましてくれるのであった。
そして、家族が「ろれ、ろれと、、チャッピーと呼ぶと」尾っぽを振って体を摺り寄せてくるのである、、、
その人と気が家族にとっての救いえある。
そんなある日、、、突然に長男の光が俺に文句を、、、苦情を言ってきたのであった。
そして、喧嘩になったのである、、
その時も父親風を吹かずに、身をひておけばよかったのに、虫の居所が悪かったのか逆らってむかっていってしまったのである。
長女の櫻も次女の桃もいたのであったが、、、長男の光とは喧嘩になり、、「殺してやるーー」と言って、包丁を持って殴りかかってきたのであった。
俺も昔取ったつもりで「やれるものならやってみな、、」と向かってしまったのである。
長女の桜が「やめなよ、、、やめなよ」と言って中に入ってくれたのだが、、、長男の光は襲まらに襲ってきた。
その時に次女の桃が俺の上に覆いかぶさり、俺を体を呈して守ってくれた。
そして、長女の桜が喧嘩を収めたんである。。。
俺は二人の娘に助けられた。
姉と妹が必死に止めてくれたので、殺人事件にならずに済んだのである。
「馬鹿なダメ親父」ではあるが、、娘二人ん守られ、、今、こうして生きていらることを感謝したい。
「ダメな父親』はどこまで行っても「ダメ親父」であった。



7)ダメ親父はダメ亭主でもあった。

俺のかみさんは子供の頃から「喘息」を持っており、、それが大人までひきずっていたのである。。。冬などは3か月間位「発作」を連続して起こしていた。
苦しいはずであるが「気が強い女」なので、我慢をしてしまう。そのために「喘息」の症状を長引かしてしまうのであった。
そんな時、やさしく気づかってやればいいものを、、、かみさんが気が強いので、これまた我慢というか、突っ張ってくるのである。
本当はやさしく扱って欲しいと思っているとだとは思うのであるが、、、かみさんの強気が「思いやり、やさしさ」を吹き飛ばしてしまう、、、
そして、俺も「すまなかった、、、もっと、やさしくすればよかった」と、、思うのであるが、言葉と行動は逆な方向へと進んでしまう。。。
後で、反省と後悔がのこるのであった。
分かってはいるのだが、、、本人は苦しいので「薬」を飲んでも整理来ないことが多い、、、、そして、次に飲むときに困るのである。
そんな時に「なんで、、、整理が出来ない」と怒ってしまう、、、本人は発作が起きて苦しいのだから、、、飲むのが精いっぱいであった。
そんな思いやりが出来ずに怒る自分が行けないと思いながら繰り返す、馬鹿なダメ亭主がいたのである。
喘息で発作が起きると苦しいのが一番で、、他のことには気が行かないのが現実であった、、、そのことを分かっているのに、部屋が散らかっていると怒ってしまう。。。
まったくの反省である。
また,時計などのものが無くなる、、、本人は分からないうちに無くなるので、家族を疑う、、、正気に戻ると「ない、、、誰がとったと」
と、、、家族同士での喧嘩もおきる。
家庭の中に病人がいると、、、それも重病人がいるだけで家庭争議になるのであった。
其のたびに怒るのではなく、、注意するのではなく,親身になって行動を起こすことが大事だと思うことが多かった。
すべてが後で振り返ると反省であった。
もっともっと、、、家族を「かみさん」を大事にすればよかったと、、「どうして、もっと、やさしく出来なかったと。。」そんな家族人生であった。


8)謝っても取りかえしの出来ない「かみさん不幸」

夫婦とは不思議なものだ、、、一緒になる時は「必ず、幸せにするぞ」と、思いながら家庭をもつものえあるが、、、時間が経つと、なぜか甘えが出てしまう。
このくらいはいいかという甘えである。
子供も3歳,2歳とか小さいときは可愛い、、、そのあとも子供が生まれて、、、4歳、3歳、1歳となるとかみさんも大変だと思い、、、仕事が終わると家に帰り、、、お風呂などへ入れることをやっていたのである。
ずっと、、家庭を大事にしていたら、、、いつもやっていたはずであった。
子供たち3人と入るお風呂は大変だけど楽しい、、、そして、湯上りはかみさんが子供たちをタオルで拭いて、パジャマを着せるのであった。
そんな日々が続いていたのであるが、、、ある時に、子供たちをお風呂に入れてから、付き合いで「酒」を飲みに行ったのである。。。
男とは馬鹿であるのかもしれない。。。その「酒のみ」「夜遊び」が面白くなり、、ついつい、仕事だ、付き合いだと託けて呑む回数が増えていった。
いつも子供たちはお風呂には入れたのであるが、、、そのあとに飲みに行く、、、そして、、
「何時には帰る、、、」と言いながら、午前様になってしまう。
そんな亭主の酒のみを、午前様帰りを面白いとは喜べないはずだった、、、馬鹿な亭主の甘えというか、、、馬鹿行状に呆れたかみさんが、いろいろ、危険信号を出してくれていたのも分からずに、、、
何度もかみさんが爆発を起こした。
馬鹿亭主がける時間を守らないと、、、玄関先に「細切れになった背広の山」があったり、、、玄関ホールに「俺の好きなカレーの具」がまき散らしてあったのである。
ある時には、朝支度を仕様と思い、タンスを開けたら背広が一枚もなかったので、、かみさんを見ると指を指していたお風呂の湯の中にびしょぬれになっていた。
最悪は出かけようと思ったら車がなくなっていたのである、、、すべて、かみさんの危険信号であった。
「気が付けよ、、、馬鹿亭主」と、、、言ってるのだった。
馬鹿な亭主は気が付くのが遅かったのである、、、何年、馬鹿をやったか、、、子供たちが小学4年、6年、中学1年の時に愛想を付かされた。
本当にかみさんには不幸をし過ぎたのである。謝っても謝れ切れないことをしてしまった。
そんな不始末、不行幸をしたことが「かみさんの喘息」を悪化させてと思っている。
反省と後悔がいっぱい残るのであった。


9)意気洋々と、、、

ダメ親父も商売繁盛、毎日が意気盛んであった。平成15年の初めに「太陽光発電施設」の設置販売をしていた頃である。。そのころは、まだ、太陽光発電の販売事業をしているものが少なかったからであった。東京電力の買い上げ価格が「1kw42円」のときだったのである。
50kを設置すると「21万円」の収入になり、、、設置土地を借地であっても「利益」が出たのであった、、、
材料を仕入れて「パネルやパワコン」そして「鉄鋼材」「電線(銅線)「生コン」などを用意して、設置するための労働力を準備して、、販売しても「利益」は相当出たにである。
更に土地を売買したり、賃貸しての手数料が収入となるので、、、すべてをダメ親父は自社でやるkとにしたので儲かった。
太陽光発電を1施設を「2500万円」で販売、、、現金で購入してくれたお客には割引をするのであるから、、、売れた。
営業社員に土地を探させ、、、「売買でも賃貸でも」土地をよういさせたのである。
そして、販売した、、、
太陽光発電施設が数多くあって、他社より安いのであるから、、、自分で持っていない、販売営業会社にまとめて売れたのである。。
一社に「5000万円」「2億円」と現金で売れたのである。。
工事も自社で賄うシステムを作りあげて「社員」も増えた、、、営業、事務よりも現場作業員が増えたのである。
少しばかり、資金も回るようになり、、本社ビルを「競売」で安く手に入れた。
なんとなく、見てくれは会社らしくなっていったのである。そして、現場事務所兼営業所を借地でてにいれたのである、、、「3600坪あり」事務所にはプレハブを用意した。
仕事が増え、現場作業員も100人を超えていた、、、そのための設備、建設機械やダンプなどの車両も中古ではあるが増やして、、、すべて、自社で行うシステムを作りあげたのである。
本社業務も事務員を4人にしての業務体制であった、、営業面、すなわち販売はダメ親父一人でやっていた、、、其の売り上げは目をみはったものである。
急成長ではあったが、、、売り上げがあったのでやる気がおきていたのである、、、
つくれば売れるという、、、
反省だけど、、、「茨城県内」だけを市場としてやっていればよかったものとおもうのである、、、
すこし、、いい気になって「手を伸ばしすぎた」ような、、、今では後悔している。


10)仕事が伸びると、人は「いい気になる、、うぬぼれを生む」

人とは面白いものだ、、、時には忘れてしまう自分を、、、自分の能力を過信してしまうのである。
そして、仕事が自分で考える以上に伸びてしまう時もあるのだ、、、その時に「うぬぼれ」が生まれて、「いい気になって」、、出来もしない仕事を増やしてしまう、、、「金が入り」出すと人とは我を忘れてしまうのかも知れない。
今までに入ってこない金が手元に入るのだ、、、勘違いをしてしまう。
「入ってくる金が」すべて儲けのような錯覚を起こすのだった。
確かに儲かったのである、、、太陽光発電施設を材料を自分でメーカーから直接に仕入れて、工事もすべて自社で施工するのだから、、
正直言って売り上げの半分とはいかなくても「4割」は儲かったのである。。。
一番大きな取引では10億円ということもあった、、、5000万円から1億円という取引はに日常茶飯事であるから、、凡人なら錯覚を起こすはずである、、、、そうなんだな、、、ダメ親父は「凡人」だったのだ。
それが一番の「誤算」だったのである。
現金が動くから、、、ダメ親父はいい気になって「長女桜に8000万円を出してやり」筑波学園都市にマンションを二つ、、、そして「次女も5000万円現金を用意して」筑波学園都市にマンションを一つを購入したのであった。
長女桜に買ったマンションひとつは長男光に分けて、、、それぞれに住まわせて、、、中に入れる家具類もすべて用意したのであったが、、、「不動産取得税金」を払うために,策を弄したが、結果的には騙されてうしなったのである、、、子供たちには済まないと思っている。。。心から反省している、後悔している、、「残念無念」である。
結果的には「1億3千万円を3000万円の目先の金」に騙されたことになったのである。
このことは「悔しい」本当に「悔しい」事であった、、、しかし、、人を騙していいことは無いのだ、、、この人たちには「京都の太陽光発電施設80施設」金額にして「20億円」も騙されたのである、、、騙されたダメ親父が馬鹿野郎なのだが「悔しかった」
その人間たちの先頭に立って「旨い口車」で人を陥れた罰は受けたのであった。
人の金を騙して儲けた罰は「死」だった、、、山谷でのモーターバイクによるモトクロスで谷に落ちて死亡したのである。
ダメ親父の馬鹿野郎が騙された結末であった。
しかし、子供たちには2年ぐらいは毎月「70万円」を、かみさんには「100万円」を渡していたのが、せめてもの救いであった。
ダメ親父の子供は甘かったような、、、現在は貯蓄ゼロであった。
結果的には「かみさんに1億円の3階立ての家」をプレゼントしただけであった。
今,住んでいる家である、、、ダメ親父が精いっぱい仕事をした結果としては「家」が残っただけである、、、
九州地区での事業投資での失敗は、、不動産資産だけで「3億円」、大阪地区で「1億円」、京都地区で「20億円」であった。
そのほかに営業経費として14年間で「10億円」であった。。。
馬鹿なダメ親父のばか投資である、、、無駄な人世、、、無駄な時間を使ったものだった。
そのほかに最終的に始めた「シイタケ栽培」「その施設の販売」での損失があった。
この「シイタケ栽培」では長男の光に迷惑をかけてしまっている、、、謝っても償いきれないことであった。
すべての事業失敗は自分の「アホー」のしでかしたことであった、
自分では考えて慎重にやってたつもりであったが、、「己の愚かさ」に尽きるようだ、、、
一言と言えば、、、坂本龍馬ではないが「残念無念」である。



11)失敗の後にくる「後始末」

ダメ親父の直接の失敗は「国税の監査」が突然に入ったためである。
ある朝、、ダメ親父が「ピーンポーン」となったので、取り憑けた有る「監視カメラ」を覗いた。
門の前に「黒背広の男たち」が立っていたのである、、、門のシャッターを開けると数台の車が入ってきのである。「おはようございます、、、国税ですので玄関を開けてください、、」と言って、ずかずかと部屋な中に入ってきた、、、入ってきたというより,勢いよく乗り込んできたという感じだった。
猟師が獲物を狙うような、鋭い目をして、、部屋中を歩き回っていたのである、、、そして、、何物も触りるなという風な口調で、ダメ親父に張り付いた、、、
「今から、、、脱税容疑で家宅捜査を始めますので、社長は動かないでください」と、、指示を出した。」
国税は初めから「脱税」を疑っており、、、家族のかみさんの部屋までいき、、「じっとしてください」と、、かみさんにも見張りが付いたのである。
なにも仕事のことを知らないかみさんはびっくりしていた、、ダメ親父が国税の担当の一人に言ったのである。。。「すまないけど、、、かみさんは重度の喘息患者なので、、考えてください」
国税の人も人間であるから、、て病人のことは分かってくれた、、、誰が見ても分かるので。
分からなかったら、傑をまくったやろうかと思ったダメ親父であった。
余りにも、20人からの国税の人間たちが勢いが良かったのであったためである。
かみさんのことは分かってくれて、彼女専用の2階部分の部屋にはこだわらなかった、、、誰が見えても
病院の部屋と分かるからであった。
ダメ親父の家は3階建てなので,3階も隅から隅まで見て回ったのであるが、、、何一つ出てこなかったので、1階のダメ親父の部屋に集まった、、、。
ダメ親父は言った、、、「仕事は家に持ち込まないんで、、、何もないよ、、、すべて会社にあるから」と、、、国税が調査して調べたがダメ親父の言うとりになったのである。
そして、、国税の人間が20人で探したが、紙一枚の関係書類がでてこなかった。
家にある金庫も4つあったかな、、、すべて、中身は空だった、、、仕事関係のものはなかったのである。。
最終的には国税の人間がダメ親父の本社にも50人ぐらい来たので、、会社にすべたがあることがわかり、「脱税捜査」は本社でということになった。
我が家の愛犬「ろれとチャッピー」は珍しい人がたちがたくさん入ってきたので、おろおろしながらうろついていたのである。。
それでも愛犬である「心配そうに」ダメ親父を見あげていた、、、ダメ親父は心の中で、、それを知り「ありがとう、ろれ、チャッピー」とつぶやいたのである、、、それを知ってか、知らないのか、かみさんの部屋に入って行った。
国税の凄さは、同時の捜査で、娘二人のマンションを訪ね、権利証、預金通帳を没収していった、、、、捜査完了時には戻ったけれど、、、
そんなことで娘たちは驚いていたが,さすが、ダメ親父の娘たちであり、、驚きはしたが毅然としていた.
長男は東京在住であり捜査は行ったのであるが、、、まだ、、その時には仕事を一緒にしていなかったので、、、息子は
「俺は関係ないと、、突っ張り」、、国税を跳ね返したいたのである。
一日の「国税来日」はそんなことでおわった。
そして、本社や九州福岡へ来た国税とは日を改めて話合いをしたのである。


12)ダメ親父の本社での後始末

国税の「脱税監査」の調査は本社の経理上の取り調べとなった。国税はダメ親父の会社が脱税をしたということで来ているので、、、初日は自宅の調査がとらっ行われた。
何ひとつ会社関係のものが「紙一枚、」」勿論「金も」出てこなかったので本社に集中したのである。
ダメ親父は「脱税」」などしていなかったので安心して会社内の調査をさせた。
会社には経理上の書類は全て、、、4階の諸庫室に整理して保管してあるのでそれらをオープンでみせたのである。書庫室の広さは66平方メ無かったートル(20坪)の中に書棚を作って保管してあるのでわかりやすかったのである。
国税は2トントラック一台に人係で積み込んで持っていった、、、経理上の書類をすべて、持ち出したので書庫は空っぽになった。
ダメ親父は尋ねたのである、、、「仕事で必要になったら、どうするんだよ、、、」と、、、
そしたらすべて面倒くさい、、、時間がかかったので」仕事にならなかったのである。
完全にダメ親父の会社の仕事は止まった状態になった。
しかし、相手が国税である、何を言っても無駄だったのである。
そして、、今度は定期的に調査の終わった帳簿を持ってきて、まる一日質問攻めであった。
本社事務所で「かんずめ状態」であり、自分の仕事はできなかったのである、、、これが一回や弐回ならいいよ、、なんと「一年間」かかったのであるから堪らないよ、、、月に3回くらい調査に来てからだから、、壱日6時間ぐらいだからきつかった。
しかし、其のおかげですっかり顔なじみ成りというか、、「お友達」な成ったようだったのである。役人とは不思議だ「お茶」は飲むけど、、食事の接待は絶対に受けなかったから、、、
それは凄い。
そして、、一年間ダメ親父を束縛して、業務をほとんど休止させたのだから、、要求をだしたのである。
それから面白い結果が出た、、、ダメ親父は「脱税はしていなかった」のである、、、さらに「還付金が1000万円出たから笑うよ」ふざけた話だった。
その代わりといって、業務を一年間も止めたのだから、「その年の決算」もやらせ、、決算書をつくらせたのである、、、そのくらいは当然と、、、ダメ親父は「そうだよな、、、作って、、、税務署へ申告までやってくれ、、」と、、やらせたのである。
しかし、国税の脱税騒ぎの代償は大きかった。
事実上の倒産であったのである。現場社員を100名ほど解雇しての縮小であったのである。 早い話が「国税に倒産をさせられた」ようなものだった。
相手が国税であり、、国のやることなので責めはできなかったのである。と、、、せめても救いであった。
仕事をやめるより仕方がなかった、、、一年間束縛されていたのだから、、、
ダメ親父は思った、、、「世間でいう国税の企業潰しだな」と、、、
考えてみたら「頭にくるぜー」だった、、
まだ。」と取りあった調べは、管轄違いの「福岡」が残っていたのである。



13)ダメ親父の福岡の後始末

ダメ親父は事業拡張で九州福岡に事務所を構えた、、、その事務所も「4000万円をかけて」購入したのであった。ダメ親父は本社での取り調べが終わったので、、、同じ会社だから福岡も終了したと、ダメ親父は思っていた。
国税が要求した書類関を提出しなかったために時間がかかったのである。
時間はかかったが解決はしたのである。下請け会社が独自で脱税をしていたのであった。
しかし、、福岡国税の調査が時間がかかったので、福岡営業所の責任者の購入マンションでの「不動産取得税」のからくりがあぶりだされてしまったのである。
その結果、国税にわかり、、「がっぽり」とられた。
ダメ親父として踏んだり蹴ったりであった






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