交通事故、

献残屋藤吉郎

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統合失調症と共に、、妻への

統合失調症と共に、、妻への愛

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  長編小説「統合失調症と共に、妻への愛」家族も一緒に


1)喘息が始まる、、、、



好きで一緒になった妻が「喘息」の持病があると知ったのは、、子供が3人生まれた後だった。知っていれば、妻に3人の子供をと、、、無理をさせなかった。
更に悲劇だったのは、、最初は喘息だけで苦しんでいると思った、、そして、季節の変わり目に「喘息」が起きて苦しいと思い、、、部屋を綺麗に掃除して、、空気の入れ変え「換気」をしたりしていた。
妻が結婚する前には「タバコ」を吸っていたが子供が生まれてからはやめていた。
本人が子供のことを考えてのことだった。
俺は煙草を吸っていたので、、家で煙草を吸う時には「換気扇」の前で吸うことにしたいた。
お粗末ではあったが、、気配りをしていたのである。
子供たちが3歳から5歳になると言われる、、「はい、、パパ、、タバコはここでね、、」と、台所の
換気扇の所を指で刺されるのであった。
「そうだね、、、ごめん、ごめん」と、謝ったものだった、、懐かしい思い出だ。
そんな季節の変わり目の発作でも妻は苦しそうだったが、、我慢してくれていた、、今から考えると
済まなかったの一言で、片付けて居た自分が浅はかだった。
小さな子供たちが、、「ママ、、、大丈夫、、」と、、云いながら小さな手で妻の背中を指すっていた、
そんな時に自分は何をしていたのだ、、、
恥ずかしいことばかりであった。普段は元気なので、、喘息の咳ぐらい、、薬を飲めば大丈夫と、、
勝手に思い、妻に3人の子供たちを預けて、、仕事と称して「酒」を呑んで歩いていたのだ、、
そのころから妻には心労をかけていたのだったと、、後で気が付いた馬鹿な、阿呆な夫であり、子いるころに供たちからすればダメな父親だった。
妻が喘息で苦しんでるときに、子供たちはそばにいて、、必死に小さな手で看病していてくれたのだった。。
その時に何故、、出来なかったのか、、子供たちまで辛い、、可愛そうなことをした自分が愚かだった。
そんなことの積み重ねで、、妻の喘息は発作期間が少しづつ、、永くなっていった。
妻の喘息が悪化していったのは自分の責任であった。
東京に住んでいる頃に「かかりつけの医者」に云われたことがあった。
「奥さんの喘息の発作は全て,、あんたが悪い、、考え方行動を変えて、、奥さんのことを愛しなさい」
と、、、その時は「何をいってやがる。。」と、、思ったが、今はまったくその通りと反省しているのだった。。
俺は妻を「愛している。。」と、云いながら、、逆なことをしていたようだった。
全てが「後の祭り」であった。


2)病と闘いながら、、子供を愛した妻

何度の何度も愚行を繰り返す俺に尽くしてくれた妻も、、時には爆発するのだった。何度か小さな家出を繰り返していた。大きな家出は長女が中学1年生の時に起きた。
それまでの家出は俺に対する警告であったようだ。
妻は春夏秋冬の季節の変わり目に、、必ずと言っていいほど「喘息の発作」を起こしていた、、
今思うと苦しかっただろう、、しかし、それを耐えていた。その上に馬鹿亭主のご乱行だ。。なんということを繰り返していたんだろうと反省する俺であったが、、取り返しはつかなかなかった。
今は気が付いてが犯した罪は消えない、、、どうしてとか、何でとか言っても追いつかない罪であった。
その時に気が付けば良かったのだ、、「どうすればよかったのか、、妻を救えることは無かったのかと、、」
そんな懺悔ばかりが残る。
そして、最初の家出の時にも、、空っぽになった家に帰って、、「しまった、、なんて俺は馬鹿なんだろう」
と、、涙が一人零れた。こうなる前に、どうして気が付かなかったんだろうと、、
空っぽになった家で呆然と立ち尽くしていたら、、電話がなった。
「お父さん、、僕だよ、、」と、声が聞こえた時には嬉しかった。。「お父さん、、何々ホテルにいるから、、迎えに来て、、」と、、長男からであった。
俺は急いで迎えに行った。
ホテルの部屋で妻と3人の子供たちの顔を見た時にはひとりでに涙が頬を伝わっていた。
「良かった、、みんな無事で、、」
と、、思いながら3人の子供たちを抱きしめて,、優しい妻の顔を見た俺だった。
そして、、家族5人で家に帰った。
その帰りの車の中で馬鹿な男は心に言い聞かせた。「二度と、、家族に辛い、嫌な思いはさせまいと、、」
妻が喘息の発作が起きた時には看病しようとおもったのである。
何度も医者に言われている通りに、、「喘息は夫の優しさが、、思いやりが大事だと」と、、それさえあれば治る病だと、、、発作が起きるのは全て「亭主である俺が悪い」と言われて、、家族を大事にしない罰であると思った。
妻に心配を掛けない、、子供たちに安心な家庭を、、、其の心掛けが男に「夫に、、父親に」あれば喘息の発作などは起こらないと言っていた医者の言葉を思い出していた。
しかし、、人間は忘れる、、特に俺は忘れることが多い、、そんな馬鹿な男であるから何度も何度も、馬鹿な行為を繰り返すのだった。
男はいつも心の中で妻を子供たちを愛していた、、ただ、、その愛し方を間違っていたのである。。
そのことに気が付くのはあとのことであった。

3)喘息と馬鹿な夫のご乱行

妻は季節の変わり目になると、、「喘息の発作」を起こしていた。季節の変わり目とは分かっているが、、発作が起きる時はわかないだ、、突然の起きることもある。
時間的にもまちまちであった、、、朝方だったり、夜中だったりするので、、馬鹿な男が居ない時が多く、、発作を起こした時には3人の子供たちが必死に見ていたのであった。
「お母さん、、大丈夫、、」と言って、背中を摩りながら、、見守るだけだった。
本当に愚かな亭主であり、、父親であった。
父親が留守の時に、、どれだけ、、心配しながら妻を見てくれたか、、、妻にもすまないと謝り、、子供たちにも手を合わせた、、「ごめんな、、」と、、、
そして、、妻の発作が収まるとともに、、馬鹿な男は忘れるようだった。
繰り返えしてはまた繰り返すひびであった。今から考えると「なんて馬鹿なことをしたものだと、、」後悔している。
そのうちに妻の発作の期間が長くなっていった。そして、少しづつではあるが、、物に当たるようなっていき、何にも悪くない子供たちにまで当たる様になっていった。
そんな時は俺が一番悪いのに、、子供たちに八つ当たりする妻を窘めたり、、時には怒ったりしていた。
今から考えると、とんでもない間違いをしていたのであった。
そんな時こそ優しく,いたわりの心を持って、妻に接しなければいけないのに、、まったく,逆な行動をしていたのであった。
無知な愚かな男の行動であった、、、もう少し、勉強をして、妻の病を理解してやればよかったと。。
今になって思うと、、俺に忠告してくれた医者の言葉を、もっともっと、、深く噛みしめて聞いて、日々、行動していれば、、妻に喘息で苦労させなかったのであった。
それを喘息だからと言って、甘く軽くかんがえていたようだった、
馬鹿な夫の考えで、、発作が起きたら「薬を飲んで」安静に休んでいれば、、発作は収まるとみていたのであった。。
そして,どこかに、、たかが喘息の発作ではないかと思っていたような、、、
その考えがいけなかった、、、季節が変わるごとに発作の期間が長くなっていった。

妻の喘息は子供の頃から始まり、、一時は東京大学付属病院に長期入院していたのであった。そして、手術までした重症な喘息であったのである、、小学校も低学年はほとんど休学状態ですごした。
そんな妻は両親に大事に育てられた、、後で聞いた話ではあるが、、結婚は無理だと、、ましてや子供を産むなどは禁物と、、、そんな状況の体で「子供を3人」まで産んでくれた妻であった。
俺はなんと感謝すればいいんだと、、感謝しながら家族を大事にして来た。
積りであった、、しかし、、元気な妻を見ていると忘れてしまうのであった。
俺の甘えであり、、自分勝手な考えであった。
そんな妻をいつの間にか「地獄」へ引きづり込んでしまったいたのである。。
苦しかった妻の心のうちを分かってやれずに、今は後悔している、、何にも出来ない俺は恥い、、、と思うより、命を投げ出しても助けたい、、


4)喘息を起こしながらも「いい思い出も、、妻と子供たちと」

馬鹿な男は自分で独立して「不動産の自由業」をしていた。。上手く行っていると時もあれば、まずい時もある、、収入が変わってくるのだった。
其のたびに「引っ越し」も多かった。田舎で建設業をしていたが、、妻との結婚をするために、全てを捨てて、、東京へ出てからは一時は港区青山の賃貸不動産の営業をしていた。
実績と力を付けたので独立をして、、同じ不動産の賃貸専門の会社を作り、事務所を構えた。
いい時もあり、、旨くない時もあったが、、29歳で5人の社員の会社経営者になった。
始めの住まいは東京調布市の賃貸マンションに住んだ、、管理人室に入居して家賃をタダにしたのであった。。そなまま堅実に進めばよかったのだが、、人とは変わるものだ。
仕事が軌道に乗り、収入が増えると、、欲が出たのである。
小田急線の沿線の「百合丘に一戸建ての住宅」を借りて最初は妻と長女の3人で住んだが、、すぐに次女が生まれて楽しい日々を送っていた。
休みには近くの「よみうりランド」へお弁当を作って4人で、出かけたいた。
いい父親や亭主をしていたのであった。。買い物などは妻の代わりに出かけたが、、いつも長女が俺の運転席の膝に乗っていた。
「パパ、、お利口にしているから、私の好きなお菓子、買ってね」と、、付いてきていた。
そのころは長女が3歳、次女も2歳の可愛ころだった。
考えてみたら、、夫婦喧嘩をしても、、家族仲良く過ごして、、妻は喘息の発作を起こすことはなかった。
俺が酒を呑んで帰った時には喧嘩もしたが、、、それは「かくれんぼ」程度であった。
馬鹿な亭主が約束の時間に帰宅しなったので、、妻は隠れて、俺を脅かす程度であった。
あの頃の子供たちも、めちゃくちゃ可愛かった。
長女は俺と寝るといったころで、、俺が帰ると「俺の布団で、寝ていた、、」帰りが遅かったので待っていられずに寝てしまっていた、、
そんな日々を送っていたが、、商いが旨く行かずに、会社を閉めることにしたのであった。
家出同然で飛び出した俺ではあったが。。田舎に帰って来いと、両親が優しく呼んでくれた。
妻とも話して田舎に帰ることにしたのであった。
「江戸っ子」である妻には大変な決断だったはずである。妻のお仲の中には3人目が居たので、、一緒に帰ってくれたのであった。


5)田舎に帰り父の仕事を手伝う、、

俺は以前は父親の家業を継ぐつもりでいたので、その仕事はある程度はできた、、ましてや家業を継ぐつもりで「製パン業の専門技術者」の資格を持っていたので、、
父親の会社は「製パン業の工場とお店を」やっていた、、特に學校給食と高校の三か所にパン販売店を出して、、社員も30人程の規模であった。
父親の会社で働くには条件があった、、すでに男の弟が社長になっているので、、その辺を理解してやれということであった。そんなことは当たり前なので了解した。
パン屋は朝が早い、、俺も4時出勤で働いた。。妻も早くから起きて弁当を作ってくれた。
ありがたかった。。。夜はその分早く、6時には家に帰った。
田舎に帰ってから三人目が生まれた、「長男」だった。
両親も長男の誕生を祝ってくれた。。
俺の帰宅は早く成り、、毎日、3人の子供たちと「お風呂」に入り、、楽しい、平穏な日々を送った。
男が子供たちを風呂に入れ、、妻が風呂から上がった子供たちをタオルで拭いて、パジャマを着せる。。
そんな日々を送っている時には、、確かに妻の「喘息発作」は起きなかった。
ずっと、、平穏に日々を送れば良かったものを。。。
男は両親の薦めで「筑波学園都市」に出来たショッピングセンターの中に「ファストフード」の店を始めた。。男はいつもそうだが、、最初はいいいのだった。
そのファーストフードの店の初めに、、実験的に移動販売の車での「夜食販売」を筑波大学の学生寮の前で始めた。。。それが旨くいったのだった、、、勿論、筑波大学の許可をもらって始めた。
男の夜食販売の車の脇には、、いつの間にか「クリーニング屋」「八百屋」の出店が並んだ、、
ファーストフードの出店までの1年間、車での夜食販売をやった。。正直言って、冬は答えた。
しかし、、妻も調理パンを作るのを手伝ってくれた。。このころは夫婦間も仲良く、、子供たちも元気に育った。、、、特に次女は明るく、外交的だったが、、高校生の頃から、性格が変わったようだった。
今から考えると、妻の看病をたのんでからだった。
その時には男の仕事の都合があったためであった、、次女を犠牲にしてしまった。
田舎での夜食販売、、、そして、ファーストフード店経営の頃には、男の日常生活も定期てきであった。
その時にも「喘息の発作」は起きていない。。
そんなことを考えると、、男の不規則な生活が全てのようだった。
今だから分かるのだが、、当時は理解していなかった。考えてみれば馬鹿な男だ。
夫婦生活での病は、、夫の「やさしさ、、おもやり、、気づかい」が大事なのだ、、、それが出来なかった男は亭主失格である。。。あったのであった。

















































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