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ハードボイルド物語
ハードボイルド物語
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「ハードボイルド物語」原作者 献残屋藤吉郎
第一話「人生を食らった男」
第二話「野良犬の遠吠え」
第一話「人生を食らった男」
人生を食らった男」 原作者 献残屋藤吉郎
1)人生は食えればいい
この世を好き勝手に、無頼に生涯を生きた男の半生物語。
乾五郎の生まれは誰も知らない、、関東の育ちというだけで何も分からない男であった。そして、何も語らない男でもあったのだ。日本が好景気に浮かれていた頃に、海の綺麗な街に住みついた。
乾五郎は海を見ていると、、洋々と広がる青い海原を船で渡る自分を見るのであった。
いつか自分も、この世の海を堂々と渡ることを夢見ながら、成功の道を歩いてやると、、
「やってやる、、、今に見てろ、、俺の道を創って、大手を振って歩いてやるぞ、、、」と、、何の隔たりもない。大きな海のように、、大波小波を引き連れて、人生航海の旅に出てやるからな、、呑み込んでやるから待ってろよ、、、」と、、胸を弾ませた。
まずは生きなければ、、「わらちゃうよな、、食うことも出来ない俺が、、あはあはっは、、」
しかし、、能天気なところがあって、、「何とか、なるさ、、」の考えから、、建設現場の土方をやることにした。
面接とか、、資格がどうのこうのかと言われずに、すぐに仕事に有りつき、飯が食えるので建設現場の作業員で潜り込んだ。
乾五郎の基本は「飯が食える」から始まるのだった。
建設現場で働く様になった時は乾五郎は27歳で、、働き盛りで、仕事は熱心にやっていた。
彼は建設機械の免許も、、大型トラックや大型クレーンの免許も取得していたが黙って、土木作業員でやとわれていた。
ある日、バックホーンの運転手が休んで、作業が止まったので、乾五郎は初めて、現場監督に話して、運転をしたのであった。その作業の見事な腕前を見ていた、現場監督から気に入られた。
作業が終わってから、乾五郎は現場監督の大山三郎に晩飯を誘われた。
「乾、、お前、何で黙っていたんだ、、建設機械の運転が出来ることを、、免許までもっていれば、、給料も上がるのに、、、」と、、云われた乾五郎は、、、
「いえ、、聞かれないので、、俺は飯が食えるだけ稼げればいいので、、黙っていてすいませんでした、、」謝る乾が頼もしかった。
飯を食いながら、、大山監督は乾五郎に聞いた。
「ほかに何の免許を持ってるんだ、、」と、、、
乾五郎は大山監督に話した、、
「凄いな、、お前、、それだけの免許を持っていたら、どこに行っても食えるぞ、、あはあはあはぅ」
「ところで、お前、なんで俺の所みたいな小さな建設現場に来たんだ、、なんか訳でもあるのか、、」
と、、聞かれた乾五郎は、、
「訳などありません、、、海の見える所で暮らしたかっただけです、、」
「そうか、、明日、、社長に紹介するから、、本社事務所に来てくれ、、いいな、、」
と念を押され、美味しい魚料理をご馳走になって、帰った乾五郎であった。
2)乾五郎、本社採用になる。
乾五郎は次の朝、大山三郎現場監督の指示通りに本社に出勤した。
「おはよう、、社長が会いたいというので、社長室へはいってくれ、、」
と、、云われたので、、
「おはようございます、、、乾です、」と、挨拶をして社長室へ入った。
「おはよう、、、現場監督の三郎から話は聞いた、、、君は建設機械から大型トラックの免許まで取得しているんだってね、、他にはどんな免許を持っているか教えてくれないかな。。」
と、、大山社長に云われた乾五郎は答えた。
「はい、、土木一級施工技師の免許と、、大型クレーンと船舶免許を取得しています、、」と、、
いうと、大山社長は聞いてきた。
「君は今までに、、どんな会社にいたのかね、、差し支えなかったら話してくれないかな、、」
と、、云われたので、隠す必要もないので今までのいきさつを話したのであった。
乾五郎は、、大学を卒業してから、外国船舶関係の運送会社に勤務していたが、その会社が倒産したので、海の見えるこの街に来て、、御社の現場で雇って貰いました。
会社名は言えますが、、倒産の細かい理由は話したくありませんので、勘弁してください。
と、、乾五郎は説明をした。
「ところで、、君は、、うちのような地方の小さな建設会社でも、務める気はあるのかな、、」
「はい、、仕事が出来て、、毎日、ご飯が食べれて、、海が見える所であれば、やる気はあります、、
努めて、その会社が好きになり、、人間関係が楽しい会社なら努めたいです、、」
と、、乾五郎は自分の本音をいった。
「分かった、、もし、君が良かったら、うちの会社で働いてみないかな、、なんか、君を知りたいし、付き合ってみたいよ、、、宜しくな。。」と、、迎え入れてくれた。
「それから、、現場監督の三郎はわしの息子で、出来の悪い三男坊なので、、仲良くな、、」
と、話してくれた。
現場監督でもあり、社長の三男坊とは馬が合いそうでもあった。
二人は年も同じようだった。
そして、二人は現場に向かった、、「乾さんの方が年上かな、、俺は25歳です、、宜しくな。」
と言いながら、現場に着いた。
「これから、、五郎さんて呼んでいいかな、、うちの親父も五郎さんを気にいったみたいだよ、、」
それから、、資格でも技術でも現場監督よりも数段優れていたことがわかり、、
乾五郎は現場助監督になった。
仕事は率先して動くので、仕事仲間からも頼りにされた。そして、奢らず威張らずだったので民からも好かれた。
夕食はいつも、現場監督の三郎から誘われて、いくつかの街の有名料理店にいっていた。
中でも魚料理店「磯の拠り所、海辺」は三郎のお気に入りだった。
乾五郎もすぐに分かった、娘の「さゆみ」を気に云っての通い夕食であった。
二人とも気が合い、、いずれは結婚すると三郎はのろけていた。
乾五郎も二人ならお似合いだと思った。。その店の親父さんが素敵だった、朝早くから自分で船を出して漁をした魚を料理してくれた、、新鮮で旨かった。
海が好きな五郎には堪らなった、、この街で暮らしてみようとおもったのであ3)乾五郎、現場助監督になる
3)乾五郎。現場助監督になる、、、
乾五郎の仕事ぶりは目を見張るものがあった。彼の建設機械の運転は抜群で、段取りがいいので、現場仕事が捗っていった。
一度、大山社長が現場に来て、乾五郎の仕事ぶりを見ていき、、その月の給料日には「三郎の助士として現場助監督に任命された」のだった。
乾五郎の仕事内容を知っているので、苦情や文句を云うものはいなかった。
現場監督の三郎と乾五郎はいつの間にか兄弟のような付き合いになっていき、、大山社長宅へ招かれて、食事をご馳走になる様になった。
「五郎君、、うちの三郎を宜しくな、、お人好しの世間知らずだからな、、、」と、、大山社長から云われたのだった。
大山社長の奥さんからも、、「五郎さん、、宜しくね、、三男坊だけど、、長男と次男が事故で亡くなったので、、大事な跡取り息子なのでね、、頼みましたよ、、、」と、、頼られてしまった。
仕事も出来て、人柄もよく、みんなからも好かれていた。
欠点と言えば無口なだけだった、、それは長所でもあった、余計な無、駄口は叩かなかったのである。。好感の持てる無口であった。
その年の夏祭りに五郎は、、三郎と恋人のさゆみさんと3人で出かけた。祭りは神輿が大きくて壮大であり、五郎は目を見張った、、その町の獅子舞の山車も激しく、勇壮だった。
獅子舞も神輿もその町の中での当番制だったので、今年は三郎達は非番だったので祭り見物ができた。。
神輿を担いだ連中が酔った勢いで、三郎達にぶつかってきたので、さゆみを庇って三郎がよろけたのであった。
その中の威勢のいい男が「ほらほら、、ボヤっとしてるなよ、、色男、、」と、、冷やかしてきたのであった。
三郎も血の気は多かった、、「ふざけるなよ、、気を付けろ、、」と、、さゆみを助けながら怒鳴ってしまった。
「馬鹿野郎、、お祭りの御神輿様のお通りじゃ、、邪魔なんだよ、、」と、、怒鳴り返してきたの。
普段から競争相手の建設会社の二代目だったので、気が合わなかったみたいであった。
神輿の後に付いている仲間の悪ガキどもが、、「おお、、やってくれるな、、うちの二代目に文句があるのかよ、、」と、祭り祝い酒を呑んだ酔っ払いが絡んできた。
その連中が酔っぱらった勢いで、三郎の胸倉を掴んで路地に連れ込んで、、
「この野郎、生意気だな、、」と言いながら殴りかかってきたのであるが、、五郎が間に入って止めた。。「やめなよ、、めでたい、、お祭りだぜ。。」と、云いながら、三郎に殴り掛かった男を投げ飛ばした。。男たちは「嘗めやがって、、この野郎、、」と、残った3人の男達は五郎に立ち向かったが、打ち払われた。
その晩はそれで無事すんだが、、その喧嘩は尾を引いた。
乾五郎は二人を連れて大山社長宅戻った。
そして、謝った、、「余計な喧嘩をしてしまいすいませんでした、、どんな詫びでもしますので行ってください、、、」と、、、
すると、息子の三郎と恋人のさゆみは言い訳をしたのだった、
理由を聞いた大山社長は納得したのだった。
「分かった、、後はわしに任せて、心配しなくていい、、、」と、、乾五郎に言い聞かせた。
そのあと、五郎は三郎と二人でさゆみを送った。
4)お祭りの夜
三郎の恋人さゆみをお店まで送った二人は、、「磯の拠り所、海辺」で美味しい魚料理を食べながら酒を呑んだ。
「五郎さん、、今日はありがとう、、あの会社の連中とは馬が合わずに、入札の時にも、もめるんだよ、、うちが入札を落とすと、なんだかんだと、、いちゃもんつけて来るんだよ、、
と、、云いながら二人は酒を呑んだ。
五郎は少し飲みすぎたかなと思いながら、、お祭りだからいいかとも思っていた。
二人の帰り路は反対方向なので、五郎が送るというのを、、、
「大丈夫だよ、、このくらい酔っぱらってるうちには入らないから、、」と、、一人で帰って行った。
五郎も少し酔ったので、家に借り、すぐに横になった。
どのくらい経ったか、、、「どんどん、、」と、、ドアを叩く音で起こされた。
ドアを開けたら、会社の社員が慌てて、、飛び込んで来た。「大変です、、若社長が川に落ちて、亡くなりました、、」と、、告げてくれたので、五郎は急いで社長宅へ飛んでいった。ついさっきまで、「磯の拠り所海辺」で呑んでいたのに、、、
五郎は後悔した、、「送ればよかった、、」と、、、、
三郎の顔を見て、涙ながらに謝った。
五郎は思った、、三郎のあの足取りで川に落ちるはずがないと、、誰かが突き落としたに違いないと、、「三郎、、悔しかったろう、、必ず、お前の恨みは晴らしてやるからな、、」
と、、五郎は誓った。
五郎は三郎の死に顔を見て、落ちた川の現場に戻っていた。
そして、、落ちた現場の近くを探したのである、、、まだ時間が経っていなかったので、いくつかの争ったような足跡を見つけた、近くの草むらにも形跡があった。。五郎は見つけたのであった、、さゆみさんから貰って、大事にしていた「お守り」があったので、、三郎は誰がなんといおうと殺されたのだと。。。
「三郎、、ごめんな、、送らなかった俺が馬鹿だった、、すまないと」手を合わせて、大山社長宅へ戻った。
五郎は三郎の通夜から葬儀まで付き切りでいた。
そして、現場検証の結果、祭りで呑みすぎて、川へ落ちて死んだという、田舎警察の判断が下された。
地方都市での待ちの有力者とは警察までにも、横槍をいえていたのだった。
五郎は誰にも話さなかった、、落ちいてたお守りのことも、、なにもいわなかったのである。
そして、五郎は調べた、、三郎が亡くなった夜の大場鬼吉社長の会社の社員や息子の大場清太郎の行動を徹底的に。。。
その息子清太郎と3人の現場社員のアリバイを調べて、確証を掴んだのだった。
それから、暫くして、大場建設の息子、清太郎が死んだのであった。三郎が亡くなった川の橋で、交通事故にあったのである、、ひき逃げで、何の証拠も残っていなかったのであった。
そして、、三郎とお祭りに喧嘩した、大場建設の現場社員3人も、次々にその橋の袂か、川に落ちてしんだのであった。
街の人たちは「祟り」だと言って、夜は誰もちかずかなくなった。
全てが事故として、処理されたのであった。
間もなく、乾五郎を大山建設を辞めて、海の見える街から消えた。
大山社長は息子の三郎の墓参りをして、手を合わせて感謝をしたのであった。
「五郎さん、、ありがとう、、本当にありがとう」と、、五郎の無事を祈った。
磯の拠り所海辺の「さゆみ」も、、三郎の墓参りをして、、涙ながらの感謝したのであった。
5)横浜の港で、、、
乾五郎は横浜の港に佇み、、海を眺めていた。今度こそは静かに海の見える街で過ごせると思っていたが、、なかなかできなかった。
自分ではトラブき込まれないように生きて来たつもりであるが、なぜか巻き込まれていた。
横浜の港を歩きながら目に留まった作業現場があった。
大型クレーンが動き、、5トンコンテナと20フィートコンテナが暇なく積み込まれていた。クレーン運転手募集の広告が目に入り、応募してみた。
現場事務所の募集張り紙だったけど、、威勢のいい、ねじり鉢巻きの現場監督が会ってくれて、採用してくれた、、、気さくな海で働く男に見え
「あんた、、クレーンは乗れるか、、すぐに、乗ってみてくれ、、」と、云われた乾五郎は、乗って、コンテナの積み込み作業をしたのであった。
「おう、、合格だ、、今日から働いてくれ、、仕事は見ての通りだ、、ゴミの処理運搬だ、、いいかな」
と、、それでよかったら働いてくれということで話はまとまった。
細かい話は、今は忙しいので、仕事が終わってからということになった。
なんとも簡単な面接であった。
仕事が終わって、現場監督の大畑信二という責任者とゆっくり話が出来た。
「悪かったな、、初めての人間に仕事をさせてな、、しかし、あんた、、クレーンの運転が旨いな、、
今まで、どこで、何してたの、、、云いたくなければ話さなくてもいいから、、」
と、、云ってくれた。
そして、、うちで働きたければそれでいいよ、、友、言ってくれた。
要するに細かい過去の話はいいので、、クレーンの作業をしてくれれば、俺のところはいいのでということになった。
「名前と住所は聞いておくか、、」と、、言うと、、名前は乾五郎といった、、、
「すいませんが、、これからアパートを探しますので、、いいですか、、、それでも、、」
「そうか、、あんた、宿無しか、、よかったら、この事務所の2階が空いているので、、取り合えず、住めばいい、、、いいかな、、それで、、」
と、話は進んだ。
「ところで、、あんた、、腹が減ったろ、、飯でも食いに行くか、、」と、、誘われた五郎であった。
「はい、、いきます、、」と、、云って、大畑現場監督の車に乗せてもらった。
車の中で、、俺は人を見るのが得意で、と、云いながら、「あんたは、いい人だ、、仕事も出来そうだし、、宜しくな。。」と、話しながら、飯屋に付いた。
その飯屋は大衆食堂であって、、港労働者たちの溜まり場的な「酒屋」でもあった。
一日の疲れを、好きな酒を呑んで、旨い飯を食べられる「海の男達」の憩いの場でもあったのである。
大畑現場監督は明るい、滑沢な男であるようだった、、一緒にいる乾五郎も自然に気が晴れた。
「ここの飯は何を食っても旨いぞ、、大盛りで安いしな、、好きなものを食べろヨ。。。。
乾って呼びずらいな、、五郎でいいな。。お前、酒は飲めるか。。」
「はい、、、飲めます。。」と答えると、、
大畑監督は生ビールの大ジョッキを頼んだ、、、「五郎、、ここのビールは冷たくてうまいぞ」
と、、運ばれてきた大ジョッキを一気に飲み干した。豪快であった。
お店の名前は「波止場食堂」で、、ビールを持って来てくれた女の子は「朱美」と呼ばれていた。
五郎は初めて会った男と楽しい酒を呑んだ。しばらくはここで働けそうだと思い、そう、願ったのであった。
6)産業廃棄物処理施設で働く、、、
乾五郎は何処に行っても人に好かれる男だった、横浜の港に有った産業廃棄物処理施設で、正確にいうと「産業廃棄物中間処理施設」であった。
その処理施設の現場監督の大場信二と「波止場食堂」で初めて有ったのであるが、意気投合して、、昨夜から現場宿舎に住み込みで働くことになったのであった。
五郎も朝は早くから起きて、積み込機械である「大型クレーン」の準備をして、横浜事務所の掃除をしていた。。
「おはよう、、、早いな五郎、、朝飯代わりの「おにぎり」用意してきたから、、食べろよ、、」と、、お茶とお握りを渡してくれた。
まだ、、朝の7時だった。秋の朝は肌寒さが残っていたが、、五郎は額にうっすらと汗をかいていた、、、横浜の港に登る朝日がきらきら光って、眩しかった。
大畑監督と五郎の二人で、、仕事の段取りを済ませて、他の社員が出社してくるのを待った。
五郎は大畑監督の用意してくれた「握り飯」を上手そうにたべた。。
「ご馳走様でした、、、明日からは自分で用意しますので、、」と、、礼を言って頭を下げた。
「いや、、気にするな、、うちの上さんが用意してな、、もってけ、、ってな、、そんなもんで良かったら毎日、持ってくるから食べてくれ、、」と、、言ってくれた。
その朝、出社してきた社員を大畑監督は紹介してくれた。
大畑監督を入れても8人だった。建設機械「0,4のバックホーン2台の運転手」と、その詰め込んだコンテナの「玉掛け職人が二人」と、、トラックにコンテナを積み込む仕事に一人が必要であった。そして、積み込んだコンテナをJR貨物横浜貨物ターミナルまでの運搬の大型トラックの
運転者が二人働いていた。
更に、産業廃棄物を九州の処理施設及び処分場へ運搬するための船舶を持っていたので、、船舶の乗組員が7人いた。
この会社は九州に自社の最終処理施設をもっており、、その運搬にはJR貨物と、船舶を使って大量の横浜市内の産業廃棄物処理をしていた。
九州宮田市には「200万リューベの埋め立てを誇る処分場と、再生リサイクル工場を持っていた」そして,九州苅田港と若松港に積み替えの施設を持っていたのである。
その港から処理施設までの運搬に、自社で大型トレーラを15台所有して業務に当たっていた。
その他に九州一円の廃棄物排出事業所から4トンダンプで収集処分を請け負っていたので、4トントラックや2トントラックが20台動いていた、更に施設の場内作業と、、事務系等及び営業担当と合わせて「150名の社員」が働く会社になっていた。
更に福岡市内の営業所を置いての事業だったので、、九州一円でも規模も一番、名前も響き渡った。
それらの九州一の産業廃棄物処理業者にのし上げ、船舶運搬、JR貨物運搬から作り上げて、許可取得会社にしたのは、横浜での監督も兼ねている。「大畑信二」であった。
あらゆる処理が出来る工夫をして、施設を作り上げた会社が「株式会社興和」であった。
従がって、その処理施設を管理するために「大畑信二」は九州福岡と横浜を往復する日常で在り、、家庭に不義理をしてしまったのであった。
そんな横浜事業所に入った、、五郎は大畑信二に気に入られた。仕事は出来る上に、気づかいもあって、大畑信二は安心して任せられるような気がしたのであった。
7)横浜事業所の仕事を任せられた五郎、、、
産業廃棄物の仕事は忙しかった、しかし、反面問題も多かった。そんな中で現場監督の大畑信二は問題解決のために、関係各所を飛んで歩いていた。
横浜の現場を留守にすることが多く、、五郎はその仕事を良くホローしていた。そのために、入社間もない五郎であったが、横浜事業所の責任を担う「現場主任」に任ぜられて、大畑現場監督の信任も厚くなっていった。
横浜の事業所で働く、海の男達「通称ごんぞう」と言われている作業員は気も荒く、気難しいところがあった。人付き合いは余り旨くは無いが、、腹を割って話せばいい男なのだが、なかなか腹の内を見せない流れ者が多かった。
しかし、寡黙でモクモクと働く五郎は、時間が経つうちに現場仲間からは好かれていった。
お昼の食事は「波止場食堂」から弁当が届き、現場仲間で管理事務所で食べていた。「波止場食堂」の弁当は暖かくみそ汁も付いて旨かった、現場監督大畑信二の計らいであった。
疲れた時の「湯気の出るような温かい弁当とみそ汁」は格別であった。
「ありがたいよな、、監督の気遣いは、、ところで、五郎さんは今までになにしてたの、、」と、、現場作業員の中で、一番古株の熊木徳兵衛が聞いた。
彼はバックホーンの運転をしているが、明るい気さくな男だった。
「はい、、あっちこっちの建設現場で働いていました、、、」と、、細かくは語らなかった。
「五郎さん、、あんたのクレーン裁きは見事だな、、今までにいろんな奴が来たけど、あんたは旨いよ、、、安心して見てられるよ、、惟からもよろしくな、、」
と、、熊木徳兵衛は話してくれた。
「ところで、あんたは酒は飲むよな、、たまには付き合えよ、、飲みに行くといっても「波止場食堂」だけどな。。。今夜はひまか、、、」と、聞かれた五郎は、、
「はい、、いつも暇ですから、、付き合いますよ、、」と、、快く返事をしたのだった。
その日の横浜事業所の仕事も終わり、、五郎は後片付けをしてから、、行くことにして、、決められた時間に「波止場食堂」に行った。熊木徳兵衛さんの席に就いたら、横浜現場で働く仲間が5人集まっていた。
「今夜は五郎さん、あんたの歓迎会を兼ねての飲み会だから、うんと飲んでくれよ、、俺たちはあんたを歓迎するからな、、」と、、云って乾杯をしてくれた。
その場の5人は熊木徳兵衛さんを覘いて4人の荒くれ男たちがそれぞれに紹介をしてくれた、バックホーンの運転の中川達夫、玉掛作業員の大口三郎、島田肇、そして、、大型トラックの運転手の一人である久保田和夫であった。
みんな、真っ黒に日焼けした海で働く男たちであった。
「今夜からは、俺たちはあんたを主任と認めて、、主任と呼ばさせてもらうからな、、、試し立て訳ではないが、、俺たちの現場を預かるあんたを信じなかったことも有った、何せ危険だからな、、大袈裟に言えば俺たちの命を預けるようなものだから、、、」
更に熊木徳兵衛さんが言った、、、「五郎さん、あんたの仕事ぶりを見てて分かったよ、、あんたなら任せらられると、、信用してるよ、、よろしくな、、」と、、云いながら乾杯をしてくれた。その話を聞いていた「波止場食堂」の看板娘の絵里がビールの大ジョッキを運びながら、、
「五郎さんとか言ったね、、、おめでとう、、あんたはこの人たちからみたら、合格したんだよ、、よかったね、、がんばってね。。」と言いながら、機敏な動きで店内を動き回っていた。
五郎には看板娘の絵里が眩しく見えた夜だった、。。。
その晩は楽しく、和気あいあいの飲み会になった、五郎は嬉しかった。過去の流れのしみ込んだ心が現れるようだった。
8)港に有ったこの世の色模様。。
横浜現場の仲間たちと楽しい食事をしながら酒を呑んだ、、明日は九州から「興和丸、1000トン船が着く日だった」ので現場の二人横浜宿舎に泊まることになり、五郎と戻った、
他の者は横浜市内で自宅が近かったので帰った。
船が着く日は早く「午前4時」には横浜岸壁に入ってくるので、その時だけは「鞆綱」を岸壁に着けるので、横浜の現場の社員たちが手伝ったのである。
そんなことで、横浜宿舎に戻って、五郎たち3人は早く、寝ようと思い帰り道を急いでいた。
その一人のバックホーンの運転をしている「中川達夫」が、横浜港の宿舎の手前で、数人の男に呼び止められた、、「おい、、、中川、待っていたぜ、、」というなり、、
その男たちが日本刀を振りかざして、襲ってきたのである、、
「兄貴の恨みの刃を受けてみろ、、、」とか、、「死ね、、」とか言って斬りかかってきたのであった。
中川は慌てなかった、、五郎から見たら、、中川は肝が据わったいた。
「おう、、わかった,,俺以外には手を出すなよ、、関係ねえ、、からな。。逃げも隠れもしねぇから心配するな、、相手するぜ、、」と。3人の男達にむかって行った。
多勢に無勢であり、、一人の男に卑怯であった。
五郎は許せなかった、、、理由はどうあれ、、一人相手に刃物を持っての刃傷を黙って見ていられなかった、、つい、五郎はその中に入り、二人の男を投げ飛ばして、、云った、、
「あんたも、男なら一対一でやれや、、」と、、他の二人は投げとして、殴り倒していた。
中川と対当していた、男も捻じ伏せられて、逃げていった。
「主任、ありがとう、、強いね、、怪我はなかったかな」と、、心配してくれた。
横浜現場の仲間のおじさんは隠れていたが喧嘩が済むと出て来て、一緒に横浜宿舎の帰った。
横浜宿舎に着いて、、中川は五郎に頭を下げ礼を云った。
そして、、今夜のことは内密にと五郎に頼んだ、勿論、承諾をして、一緒の玉掛の大口三郎にも口止めをしたのであった。
この事件が有ってからは、五郎に対して中川達夫は横浜現場でのよき理解者になった。
そして、、「波止場食堂」での飲み会以後は、仲間が「主任」と、、立ててくれるように成った。
度々、、「波止場食堂」には仲間同士で、行くようになった。
9)男、五郎の気風の良さ、、
男というものは馬鹿なところがある、、、やらなければよかったと、後で後悔することが多い。
しかし、始まってしまえば、後には引けずにやることもあるようだ、、、
横浜の岸壁に吹く,海風は冬は肌を刺すように痛かった。それでも、船舶が岸壁に着く時には、そんなことは言ってはいられなかった。
夏や春の海は青く、海風はさわやかだが、、秋から冬になると、、海風は恨めしくなる、、まるで肌に針が刺さる様に痛かった。
冬の作業は辛かったが、仕事が終わった後の鍋料理は旨かった、、特に船舶が入港中は、船舶の中で料理専門の船員が居るので、、真冬の鍋料理は最高だった。
横浜港の岸壁の作業は風が冷たく吹く時には、泣きたいほど辛かった。
作業が終ると、、普段は「波止場食堂」へ行くが、興和丸が入港中は、船舶内での食事が多く成り、、船員たちの話も楽しく、面白く聞くことができた。
船員の場合は日本全国から集まってきていた、、そして、、交代ではあるが、、「まるまる一か月は乗船していたのであった」、、、船員の交代は一か月ごとなので、、常に「6人」の船員が必要なので、会社としては「12人の船員」を雇用しなくてはならなかった。
そして、、大変なのは「船長二人、機関長二人、、他に甲板員二人、」を管理しなくてはならなかった。。。その管理も横浜現場監督を兼ねている大畑信二取締役がしていたので、会社の大黒柱であった。
そんなことで、大畑信二現場監督は補佐役がほしかったのであった。
今は、乾五郎を当てにしていた。
そんな訳で、今の仕事ぶりをみて、大畑信二現場監督は、横浜現場の話を聞くと、期待していた。
大畑信二取締役は次回は五郎を、九州の処理施設や波止場施設に連れて行こうと考えていた。
そんなことを考えながら、1か月振りに横浜港に帰って来た。
10)大畑監督が帰ってきたので安心した五郎だった。
横浜の港は大畑信二監督の似合う場所であった、、、真っ黒に日焼けした男が居る港でもあった。とにかく、五郎から見てもかっこがいいのであった。
しばらく、大畑信二監督は横浜にいることになり、、五郎の負担は軽くなったような気がした。
毎日、精一杯汗を流して、働いた後の「波止場食堂」で呑む大ジョッキのビールの味は格別に旨かった。
そして、、大盛りの焼肉定食も旨くて仕方がなかった。
五郎は働く喜びを満悦していた。
その晩、大畑信二監督か次回行く時には「五郎、、お前も一緒だ、、そのつもりでいろよ、、」と、、云われた。まだ見ぬ九州の施設現場や船舶の荷下ろしをする岸壁施設を見るのが
楽しみだった。
「五郎、、今度、うちの会社のオーナーにあわせるからな、、それも楽しみな、、」と言いながら、大畑信二監督と久しぶりに夕飯を食べた。
11)乾五郎が九州施設へ、、
大畑信二取締り役兼横浜監理監督が乾五郎を連れて、九州福岡の産業廃棄物処理施設へ行く日が決まり、、その準備をしていたが、、
本社会長の都合で、急遽延期になったのである。
楽しみしていた五郎であったが、次回に行けるので、今回は諦めた。地元住民との話し合いが急に決まり、会長が出席することになり、、大畑信二取締役が、五郎を連れて、現場廻りが出来なくなったためであった。
そして、大畑信二取締り役が会長と共に、地元住民の話し合いに出かけたのであった、、地元の川筋ものと言われるやくざ社会の連中が,音頭を取り、、産業廃棄物処理施設、追加許可の反対を始めたのであった。
かなり強硬な反対運動であり、、会長が先代の後を継いだ娘もあって、、甘く見てきたのであった。
現場視察までやり、、この廃棄物は違反物では無いのかとか、水質監査が可笑しいとか難癖をつけたきたのであった。
処理施設の延長許可は認めない、、地元住民の同意書は出さないと、、言い出してきたのであった。
今までの住民とは話合いも順調であり、、車両が通行する町内道路を整備したりして、旨くいっていた。
ところが、地元の川筋ものとか言った、早い話がやくざ上がりの、地元市会議員が先頭切って、反対運動をして来たのであった。
そして、膨大な寄付金を要求してきて、、脅しまでした来たのだった。
そこで、初めから交渉に当たっていた、大畑信二取締役が矢面に立っての交渉だったのであるが、、なかなか、まとまらなかった。
大畑信二取締役は、最終的には最終処分が駄目ならと、、リサイクルを兼ねた中間処理施設に切り替えていたのであった。
そんなことで、、「会長、心配しないでください、、どうしても同意書が取得できない場合は、リサイクル工場施設で全て、処理が出来る風にしていますから、、」
と、安心をさせた。
そして、すでに「コンクリート固化施設」「破砕施設」「固形化燃料施設」も「選別施設」も許可を取得済であり、、問題は無いことを告げていた。
更に「固形化燃料で温泉施設」も作っていたのであった。
どんな反対が有ろうが問題はなかったのである。
しかし、全てが九州福岡の人間を使って運営していたので、地元住民との繋がりが有るものもいたのであった。
そんな地元住民の従業員に、地元の川筋ものと言われるやくざとの関りを持つものが居たことも事実で有った。
其の地元同士の付き合いで、義理や金で縛られていたものが居たことには大畑信二取締役も気が付かなかった。
地元の川筋もの組織のやくざたちの本当の狙いは、大畑信二取締役たちが作った施設の乗っ取りであった。
一時、協力はするから、大畑信二たちの会社の役員に彼らは参加して、甘い汁を吸おうとしたことがあった。
それを断わられて、、しゃにむに反対してきたのであった。
彼ら、川筋ものにとって、大畑信二は邪魔だったのだ。
しかし、大畑信二は並外れた男だった、脅しも聞かない、金でも靡かない、、それなら反対して追い出そうとしたのであった。
それも上手く行かず、、焦っていた。
そして、ヤクザはヤクザである、、、最後は暴力しかなかった。
現場宿舎に泊まった晩に、大畑信二取締役は襲撃された。
一人に数十人が襲い、惨殺されたのであった。
会長は福岡のホテルに宿泊していたので命拾いをしたのであった。
横浜現場で、この話を聞いた乾五郎は心から怒った。
そして、横浜の現場は熊木徳兵衛に頼んで、乾五郎は横浜港から消えた。、、、
12)横浜から消えた乾五郎、、、
大畑信二取締役が九州福岡で殺されたという連絡を受けた横浜事業所では大騒ぎであった。その知らせを聞いた乾五郎は、横浜事業所から消えた。
後のことは横浜現場の仲間に頼んで、、五郎は旅にでたのである。
五郎は新幹線に乗り、九州博多に向かっていたのだった。五郎の性格では許せなかったのである、、、世の中の半端者のやくざが、市会議員になり、権力を振りかざして、正当な商いを阻害することを、、、
「ふざけれなよ、、、たかが田舎市会議員が権力者ぶって、、何様の積りだ、、、」
と、、五郎は腹の中で怒りまくった。
後先の事を考えずに、九州福岡に向かい、、その足で、処理施設の有る宮田町まで博多駅から電車に飛び乗った。
宮田町の最終処分施設で、建設機械の運転手を募集しているのを知っていた五郎は、面接に出かけた。。そして、住み込みで雇い入れてもらったのである。
面接をした担当者が「大久保誠一」であり、、今回の反逆者の一人だと知っていたので、「こいつか、、悪人面してやがる、、」と、、しみじみ眺めた。
乾五郎は一度も九州処理施設に来ていなかったので、誰も五郎を知らなかったのだった。
現場宿舎に行き、、泊まり込みの作業員から、現場事情を聴きだした五郎は、、早速、計画の準備をした。。。
勿論、大畑信二取締役を暗殺したした奴を、どう始末するか考えた。
今回のターゲットは「仇討の相手を」順番を決めて、抹殺して行くかを決めたのであった。
田舎ヤクザから、、暴力を盾にのし上った市会議員グループ3人、樋口剛一市会議長、田中勇三郎市会議員、そして、ヤクザ団体「協和会」の大内幸太郎会長たちのへの報復。
そして、株式会社興和の中からの反逆者4人への復讐を五郎は一人思いをめぐらした。
現場作業をしながら、五郎は下調べをしたのだった。
復讐相手の7人の動向を探り、、それぞれの癖を調べ上げて。。仇討の段取りをしたのである。
それぞれに、、恐怖心を植え付けるために、、市会議員グループと会社内部の反逆者を一人づつ始末していったのである。
最初に狙ったのは市会議長の樋口剛一であった。
樋口剛一が自宅の玄関に、吊るされて死んでいたのであったから、、小さな田舎町なので、大騒ぎになった。
続いて、二日目に、興和の現場事務所の入り口に大久保誠一が吊るされていた。
これで、小さな田舎町はパニックになって、、宮田警察署も動いたのであるが、、余りにも連続の殺人なので,事件に慣れていなかったので、、福岡警察署に応援を頼んだのだった。
そして、三日目には興和の最終処分場に興和の大久保誠一の部下であり、今回の反逆者の三人が首だけ出して埋められていた、、、勿論、殺されていた。
この話や、現実を見た、市会議員グループの田中勇三郎と、協和会会長の大内幸太郎は恐ろしく成り、、逃げ出す相談をしていたのだった。
しかし、逃げ出そうと相談していた夜に、、二人はその場で殺されたのだった。
今回は協和会事務所で、残忍な殺され方をしていた。。。
後に残った興和の社員や宮田町住民たちは、、口を揃えて「大畑信二の祟り」だと、、いうようになった。
福岡警察署と宮田警察署が合同で捜査をしたが、、犯人は捕まらなかったので、、なおさら、祟りと言われた。
五郎はその後も施設に残り、大畑信二取締りが残した業務をやり遂げた。
13)乾五郎、義を貫き、、大畑取締役の恩に報いる。
株式会社興和の大江戸祥子会長を迎えて、乾五郎は九州福岡の宮田町処理施設の立て直しを計った。乗っ取りを仕掛けた、悪行社員の4人が亡くなったので、、その代わりの責任者的現場社員が必要で有った。そのために、横浜事業所から古株の熊木徳兵衛と、流れ者で独り身の中川達夫を呼び寄せた。
五郎の考えでは、機械使いも旨く免許も取得していた上に、一人身でも有るので、中川達夫を選び、、現場責任者にと考えていた五郎であった。
ある期間は熊木徳兵衛を定期的に横浜と九州を管理して運営していき、、責任者を養成していく方針を立ててと、熊木徳兵衛と相談していた。
それらのすべては大江戸祥子会長とも相談してのことだった。
乾五郎は全ての段取りと引継ぎを済ませてから、、九州福岡の施設から一人旅立った、、というか消えたのである。彼が居なくなってから噂がたった。
今回の殺人事件は乾五郎が現れてから、全てが起きていたので、、彼の復讐劇ではないかと、、しかし、何一つ証拠はなかったので、噂は出たが疑うことはできなかった。
乾五郎は煩わしいことが嫌いだった、、自分が受け果たしたので、消えただけであった。
彼の人生訓は「食べていければいい、、」なだけであり、、人間同士が信頼しあって、義を分かち合える人間と共に生きて、歩んで行きたいだけであった。
そんな訳で、裏切りなどの行為は彼の心の中には皆無であっ。て、許せない生き方だった。
偏屈と言えば偏屈ではあるが、、助けてくれた人への恩は忘れない男だったのである、、、そんな生き方で、心休まる場所を求めてもいた。
そんなことで、洋々と広がる海が好きだったのであった。
欲望などといった感情はなく、、青い海原のように澄んだ海が好きな男だっただけであった。
そして、福岡岸壁から貨物船に乗り、、再び海への旅にでかけたのであった。
人付き合いが不器用ではあるが、男の道理を弁えた、今の世には珍しい男だった。
考えてみれば可笑しな話であった、、、復讐とか仇討とかいうけれど、、早い話が「人殺し」である。
やはり、「人殺し」に休まるところはなかったのである。
結局は一生、「逃亡者」であった。
因果な「さが」の持ち主であり、、どこまで行っても「人生の逃亡者」でしかなかった、五郎であった。
14)流れ者
五郎は海外の貨物船での旅をして、、再び日本の土を踏んだ。
五郎は所詮は「殺し屋」になっていた、恩義や義理の為とか言っても人殺しに変わりはなかった。どこまで行っても独りであり、孤独であった。
暖かい人のぬくもりを感じる場所などなかったのである。
そんな五郎は生きている限り逃げたのだ、、そして、人生からも逃げ出したのである。
北海道の冬の釧路に降り立った五郎は、港近くの大衆食堂に入った。
港で働く労働者「海の権蔵」であったが、生きるという活気を感じた五郎であった。
地元の刺身の丼飯を食べていたら、声を掛けて来た男が居たのである。
「兄さん、、流れ者だね、、もし、働くところがなかったら、俺の牧場で働かないか、、」と、、云われた五郎は無職だったので誘いに乗った。
そして、五郎はその男の後に付いて行き、北海道の雪原を走るための馬そりに乗った。五郎の他にも三人がの乗っていた、
北海道の冬は寒い、、真っ白な雪原を雪煙を上げ,りんりんと鈴を鳴らしながら走った。
まるで何もない真っ白なキャンパスに、色を塗りながらのような雪模様であった。
今までの真っ赤な色が消えるような、、ある筈がない思いを浮かべながら、、、
雪深い牧場に着いた。
案内してくれた男は「大熊茂雄」と名乗り、、案内された「大熊牧場の持ち主」であった。
然程に、裕福そうな牧場には見えなかったが、、大熊茂雄が純穆な男に見えて五郎で。。
世話に成ることにした。
そして、大熊茂雄が、、、「うちは貧乏牧場ではあるが、、いい馬がいるので夢があるんだ、、
手伝って欲しい、、」と、、頼むのだった。
そして、、「自慢の自家用温泉があるから、、お風呂だけいつでも、目いっぱい入って欲しい」と、、言うところに、大熊茂雄の恋女房「実子」が顔を出して、、
「こんな田舎まで、お疲れ様です、、」と、寒い雪の中で笑顔を見せて、出迎えてくれた。
そして、五郎たち4人は自前の温泉に入った、その暖かい湯煙の中で、五郎はひと時の癒しを覚えた。
しばらく、五郎は雪景色を見ながら、ゆっくりはいれる温泉に体を委ねながら、大熊牧場で働くことに決めたのであった。
16)大熊牧場、詐欺に合う
乾五郎たちが雇われてから1か月が経ち、、給料日が来た。牧場主の「大熊茂雄」が慌てて,馬の市から戻って来た、、そして、妻の実子と話をしていたのを聞いていた五郎であったが、内容については誰にも話すことはしなかったのである。
夢のあるサラブレット5頭の仔馬のうち、今日の馬の市で一頭だけを売却してきたのであったが、仲介に入ったバイヤーに騙されて、売った「1000万円」を持ち逃げされたのであった。
最初に牧場主の大熊茂雄が言った通り、貧乏牧場なので資金に余裕が無くて、今日の給料は払えないので、一日待って欲しいと言ってきたのである。。
五郎や、元の社員は了解したが、新規で入って来た3人の社員たちは、今度、給料を貰ったら辞めると言い出した。仕方のないことではあった。
次の日に3人の新規社員は給料を受け取って、辞めていったのである。
そして、、いろいろ都合があって、借り入れは上手く行かずに、、五郎と元からの社員は給料の一部だけで、、もう少し待って欲しいと言ってきた。
古くからいる社員たちは、何となく、分かっていたようだった、、給料が遅配することは、、、
いつものことと、、、しかし、大熊夫妻の人の好さで、更には、今、育てている仔馬に夢をかけていようだった。
大熊茂雄の馬に対する愛情の深さに、、思いやりに曳かれてもいたのである。
五郎は最終的には「食べれればいい」の考え方と、、この牧場に来て、間もないが、なんとなく人の好さを感じたのであった。
それで、、いいと思ったのである。
そして、大熊牧場主が聞いた、、「乾さん、こんな貧乏牧場だけど、いいですか、、」と、、、
五郎は答えた、、「いや、、いいですよ、、私は仕事が出来て、三度の飯が食えれば、文句はありませんよ、、気にしないで使ってください、、」と、、、
そして、五郎は次の日から、朝4時から起きて、辞めた社員の分まで、夜も遅くまで動いた。
古くからいた社員たちもびっくりしていたのだった。
そして、牧場主の大熊夫妻は食事のたびに、、「五郎さん、ありがとう、、ほんとうにありがとう」と、、頭を下げていた。
兎に角、五郎は朝から晩までよく動き、働いたのである。
17)五郎、雑役から競走馬の飼育まで、
五郎はよく働いた、、、動くことが苦にならない男でもあった。そして、牧場主の大熊茂雄は五郎に馬の飼育を教え始めたのである。憶えの早い五郎は,、はたで見ていると、馬に好かれているようだった。とにかく五郎も馬が好きだったのである。馬と一緒に生活していると、五郎も馬の気持ちが理解できるようになっていった。
懐いてくる馬たちは可愛かったのだ、、特に仔馬たちは可愛くて仕方がなかった。
そして、寒い冬も終わり、、雪解けが始まり、、牧場の草原は緑いっぱいになって行った。
五郎は調教師の大川善次郎に好かれていたというよりいた。今まで4人でしていた雑役を朝早くから夜遅くまで働いて、一人でこなしていたのであった、、、
雪も無くなり、、緑の草原を馬で調教しながら、五郎に、、、「五郎さん、、今度、馬に乗ってみるか、、、」と、、声を掛けられ、、、
「いいんですか、、はい、、乗ってみたいですね、、」五郎は久しぶりに笑顔を見せた。
そして、忙しい雑役の間に調教師の大川善次郎が指導してくれた。また、大川善次郎の孫娘「真澄」からも、善次郎が忙しい時には教えてもらっていた。
雑役の仕事は牧場主の大熊茂雄が朝も4時から、一緒に汗を流してくれていた。
いつも五郎に感謝をしていたのである、、夜も遅くまで仕事が続いたので、温泉は毎晩、一緒だった。
しかし、話はいつも大熊茂雄からであり、、五郎は過去を話したがらなかったのであった。。。また、大熊茂雄も聞かなかったのである。
話題はいつも、馬のことであり、、五郎は乗馬に夢中であり、馬と一緒にいることが楽しいのであった。
夜の北海道の湯けむりの中で、過ぎた時の懐かしい人たちを思い出していたのである。
18)湯けむりの中で、、北の天地のこの場所で
五郎は人生の流旅で、この雪の大地で、馬と一緒に、これから先も居たいと思うように成ってきた。
仕事はどんなに強つくても、忙しくても平気で楽しく過ごせる五郎であった、、、そして、、牧場主の大熊茂雄が良くしてくれた、更に、今働いている仲間が素敵だった。五郎は何よりも馬が好きだった。
懐いてくれる馬たちが可愛いかったんである。
出来れば、五郎はこの北の大地に骨を埋めたかった、そんな気持ちになってきたのであった。
朝早くから牧場主の大熊茂雄と馬の面倒を見て、、午後の許す時間の範囲で馬たちにも乗れる楽しみが五郎の心の癒しであった。
そして、乗馬にも慣れ、、調教師の大川善次郎からも手ほどきを受けて、馬の調教を手伝うようになった。
五郎は馬と一緒の時が一番楽しかったうえにうれしかった。
一日が終わり、大熊牧場の温泉に入るひと時が、なんとも言えない喜びであったのである。
温泉の湯けむりに当たりながら、、沈む夕日が見られるときは心が休めた,、そして、北海道に来て、大熊牧場で働けることに、感謝していたのである。
19)牧場主、大熊茂雄襲われる
大熊牧場は狙われていた。温泉が出て、大草原の夕日が綺麗なところであり、、釧路湿原の近くでもあったために、、観光地に適していた。レジャーホテルを創れば、それだけで温泉保養地になるのであった。
そんな大熊牧場に目を付けた、地元の観光ホテル業者が何度も交渉に来ていたのである。
しかし、大熊茂雄はその申し入れを断ったいた。そのための、嫌がらせというか出来る限りの妨害をされてきたのであった。
その観光ホテルの経営者は地元の権力者であり、、もとはと言えば、地元愚連隊の成り上がりであった。何でも人は「金」で動くと思い、、地元町会議員を「暴力と金」の力にものを言わせて、抑え込んでいたのである。地方の町なので、誰しも「暴力」は嫌であり、、怖かった。
それをいいことにして、、自由奔放に振舞っていたのである。
しかし、大熊茂雄は玩として、言いなりにはならなかったのが、、気に食わず、地元の一行しかない信用金庫にも圧力をかけていた。
その為に、大熊牧場は資金面でも邪魔をされ続けていたが、、大熊茂雄は耐えて、必死に頑張っていた。
その事情を知っている、調教師の大川善次郎は協力をしていたのである。彼も又、偏屈者であるために権力者に屈することは無く、大熊茂雄を助けたいた。
競馬馬の市場にも圧力をかけていたために、仲買人も「暴力」に脅されて、大熊牧場の馬を競り落とさなかったのである、、いい馬であることは分かっていても、悪徳やくざの暴力は怖かったのであった。
その話を聞いた五郎は牧場主の大熊茂雄と相談して、2,3日の休みを取って、、東京へ出かけた。
五郎も大熊茂雄の育てている競走馬はいいことを知っていたので、、、
東京で海運会社を経営している、馬好きな「馬主」を知っていたので、久しぶりに会いにいった。
五郎としては助けた人に、ものを頼むのは自分の生き方に反してはいたが、、大熊茂雄たちを見ていたら、、五郎の性格では動かざるしかなかった。
三峰海運株式会社の三峰会長を訪ねたのであった。連絡は取ってはおいたが、、快く時間を取ってくれた。
「しばらくだね、、元気だったかな、、あなたには世話に成ったままで、お礼も出来ず、すいませんでした、、ところで、私に頼みとは何かな、、」と、、
そして、「あなたが頼みとは余程のことだね、、大概は聞きますよ、、私の命の恩人ですから、、」と言いながら、懐かしく、尋ねてくれたことに感謝したのだった。
五郎が尋ねた理由を話したのである。
三峰会長は五郎の頼みを聞いてくれて、、必要な現金を用意してくれた。
「分かりました、、その牧場の仔馬5頭を買いましょう、、馬は見なくてもいいですよ、私はあなたに投資しますから、、どうぞ、使ってください。」
五郎が指定する銀行に「一頭1000万で5千万、そして、あなたに5千万で合計1億円」を振り込んでくれた。
事情を聴いた三峰会長は地元の信用金庫よりは釧路市内の大手銀行がいいと言ってくれて、紹介もしてくれたのであった。
三峰会長の紹介で、大熊茂雄牧場主に釧路まで行ってもらい、即座に口座が開設されたのであった。
連絡を取った大熊牧場主は泣きじゃくていた、、電話口でも分かったのであった。
そして、五郎はこれから帰ることを告げた。三峰会長に礼を尽くして五郎は別れを告げて、釧路に向かった。
20)地元やくざの権田誠三、、、焦って来たような、、
観光ホテル経営の暴力団、、自称「やくざ」の権田誠三はいくら交渉しても、脅しても、嫌がらせをしても拉致の厭かない「大熊牧場」の買収りが出てきたのであった。
権田誠三は不思議に思っていた、、あれだけ嫌がらせをしたり、銀行の融資を邪魔して上に、競り市まで出来ないようにしているのに、何故,根を挙げないのかと、、、
興信所まで雇い、調べたのであった。
その結果、大熊牧場にいる「乾五郎」という男の知り合いが、資金的な援助をしたり、競馬馬を購入していることが分かった。
ただ、援助をしているらしいという噂で、誰がと云うところまでは分かっていなかったようだった。。それは乾五郎が秘密裏に動いていたので、、
その話を聞いてから、権田誠三は田舎ヤクザの哀しさからか、、情報不足からか、軽挙な行動をしたのであった。
権田誠三は「暴力」に訴えたのである。
ある日、荒くれな男たちを数人連れて、大熊牧場に押しかけて来たのであった。そして、大熊茂雄に暴力を振るい、捻じ伏せて云った。
「おい、、大久保、いつまでも、俺の買収に応じないのなら、、今度はお前だけじゃなく、奥さんやあんたの子供達にも、泣きを見てもらうぞ、、」と、、脅してきたのだった。
「ふざけるな、、誰があんたになんか売るものか、、やれるものならやってみな、、」と、、大熊茂雄も強気だった。
それで、相手は愚連隊上がりの無法者、、大久保茂雄をよってたかって、殴りつけて来たのである。
大川善次郎から調教の教えを受けていた、乾五郎が乗った馬と一緒に権田誠三に襲い掛かってきたので、、彼らは驚いて、怯んだ。
馬から降りた五郎が、、「お前ら、やくざか、、悪なら相手してやるよ、、」と、、馬から降りるなりに、あっという間に二人を投げ飛ばした。そして、残りの男達も捻じ伏せた。
投げ飛ばされた中に、権田誠三もいて、、
「この野郎、、俺を誰だと思っているんだ、、」と、、尻餅付いている男が威勢よく怒鳴った。
「いいえ、、分かりません、、どこの田舎ヤクザですか、、」と、、少々、馬鹿にした言い方をしてしまった五郎であった。
それを見ていた大熊茂雄の奥さんたちが薄笑いを浮かべていた、、大久保茂雄の子供たちも喜んでいたようだった。
「覚えてろよ、、ただで済むと思うなよ、、」と、、言いながら、車に乗って、帰って行った。
そして、乾五郎は大久保茂雄牧場主に謝った。
「すいません、、余計なことをしてしまい、、本当にすいませんでした、、」と、、頭を下げたのである。
「いいよ、、五郎さん、、いつかはぶつかるのだから、、早いか遅いかだよ、、気にしないで下さい、、貴方にはお世話に成るだけで、、何も出来ないけど、、いつまでもいてください、、」
と、、奥さんと一緒に礼を云われた。
「私、すっとしたわ、、五郎さんありがとう、、」と、、感謝してくれた。
子供達も「五郎おじさん、、強いね、、かっこいい、、いつまでも居てね、、」と、、抱き付いて来たのだった。
21)いよいよ、中央競馬への出場
大熊牧場の若馬2棟「シゲホープ」と「ジツホマレ」が、中央競馬での出場が決まった。
三峰海運(株)の三峰会長の紹介で、中央競馬会の大友厩舎の監理でシゲホープとジツホマレを調教することになり、東京府中まで搬送することになったのである。
競走馬を搬送する運送会社は乾五郎が、以前に勤務して知っていた「白根運送」に頼んでいた。
白根運送の白根社長は極道をしていた頃に、乾五郎とは命を張った喧嘩をしていたので、その五郎の男気に惚れての付き合いであった。
連絡をした時に、「おう、、五郎か、、元気だったか、、、そうか、、生きてたか、、」
と、、気さくに応対してくれた。
そして、競走馬の運送を引き受てくれたのであった。
「北海道にいるのか、、会いたいな、、一度、会いに行くよ、、」と、、言いながら、日時が決まったら連絡してくれ、、最初は俺も行くからと、、、
そして、白根雄太社長は来てくれた。
乾五郎は懐かしく、、彼を出迎えて、、大熊牧場主を紹介した。
白根雄太は馬を見て、、「いい馬だ、、これなら走るだろう、、、楽しみだな、、五郎、」
と、、元気に働く五郎を見て、喜び、安心したのだった。
白根雄太が着いた日は、大熊牧場の歓迎を受けて、夜は自慢の温泉で楽しいひと時を過ごした。
「五郎、、心配してたよ、、でも、良かった、、いいところだな、、これからは俺もちょくちょく来るから、、馬と温泉、、そして、お前に会いにな、、あはっあはっ、、」と、、笑いが絶えなかった。
そして、翌朝、白根雄太は大熊茂雄牧場主に「確かに、預かりましたよ、、府中まで無事に届けますから、、安心してください、、、」と、、白根雄太は五郎から聞いていた邪魔者の話も承知していたので、、心配しないで下さいと言いたかったのである。
「雄太さん、、宜しくお願いします、、」五郎は送り出した、
「ああ、、五郎、、任せておけよ、、この馬たちが走る時には出て来いよ、、、じゃあな、、」と、、雄太のトラックは走っていった。
白根雄太なら安心出来た五郎であった。
トラックが出て行った後で、、「五郎さんは凄いですね、、いろいろな知り合いがいて、、本当に助かります、、ありがとうございます、、いつも女房と話をしてるんですよ、、」と、、
感謝しながら話掛けて来た。
北海道の秋は早かった、、早朝だと少し肌寒く成って来て、、送り出した2頭の若馬に思いが行き、楽しみでもあるが、別れが寂しかった。
来年の春には育てた、残る3頭も旅立って行くのであった、、櫻咲くころの別れになるだろう。
今年生まれた仔馬もいつか旅立つが、元気で無事に育って欲しいと願う大熊夫妻であった。
五郎も馬が可愛くて、手放すのが辛かったが、、やはり、馬たちの無事を願ったのである。
22)白根雄太の競走馬、搬送車襲われる。。
大熊牧場を出発した、白根雄太社長から電話が入った。
「もしもし、、五郎か、、お前の言うとりに、田舎ヤクザたちが襲って来たよ、、良かったよ、、準備しておいて、、俺の方も屈強な奴を4人用意していたのでな、、蹴散らしてやったから、、丁度、日高街道に出る前の山道でな、、、これからは俺だけ戻るよ、、」
と、、言って電話を切った。
そうか、、やっぱりな、、と、、五郎も思ったのであった。
五郎は大熊茂雄牧場主に事情を話して、二頭の競走馬は今、府中に向かっていることを伝えた。
そして、白根雄太だけが二人の社員を連れて戻ってくることも話した。
五郎は白根雄太が元は極道だったことを伝えて、権田誠三に今回の襲撃の「脅し前」を付けると戻って来ることも伝えた。
今回の権田誠三に対しての「脅し前」は、大熊牧場としてでは無く、運搬している「白根運送」としてあるから、心配はしないでくれとも言われていると、、
その辺の事情は五郎も良く説明をしておいた。
そして、白根雄太社長たち3人は3時ごろに戻って来たのである。
「大久保社長、、馬は大丈夫ですから、、責任を持って移送していますので、、、今回の襲撃に関しては白根運送としてのケジメですから、、大熊社長には迷惑が掛からないように処理します。心配しないでください、、」と、、言ってくれた。
「これから、権田誠三に会いに行ってきますので、道案内に五郎を連れて行きたいのですが、、
いいですか、、」と、、聞かれた。
五郎が自分から「大熊社長、お願いします、、行かせて下さい、、私にも責任があるので、、お願いします、、」と、、頭を下げた。
「五郎さん、、何を云うですか、、いいも悪いもありませんよ、、私が行くべきなのですから、
宜しくお願いします、、」と、言うことになり、五郎たちは出かけた。
権田誠三の会社に向かう、車の中で「五郎、、この野郎、いい気になってるから、この辺でケリを着けてやろうと思う、、」と、、言いながら。。
「今までのお前なら、、あんな野郎は、とっくに消えてるよ、、良く、辛抱したな、、今回の決着は俺に任せてけよ、、いいな、、」と、、二人で話しているうちに、権田誠三の会社に着いた。
白根雄太が権田ビルの入り口で、、ドアを開けるなり、、用意していたライフルを撃ち込んだ。
勿論、威嚇もあったが、、「おい、、権田は居るか、、出て来い、、田舎ヤクザ、、覚悟しろよ」と、、怒鳴りながら、連れて行った二人もライフルを乱射したのだった、
奥の部屋からひげ面の男が真っ青になって、出て来た、、「てめえが、権田か、、死ねや、」と言って、脚に一発撃ち込んだのだった。
「この野郎,、良くも洒落た真似をしてくれたな、、お前には覚悟があっての事だろうな
この脅し前は高くつくぞ、、いいか、、覚悟を決めて返答しろよ、、」
「権田、お前が相手しているのは、関東連合会辰巳会の本部だからな、、お前のような田舎ヤクザの命が幾つあっても、足りないと覚悟しろよ。。」と、、白根雄太は啖呵を切ったのである。
権田の事務所にいた連中はライフルの乱射で震え挙がり、その上の白根雄太の啖呵で、更に、震え上がってしまった。
五郎は内心思った,、「そこまで脅さなくてもいいのでは無いか」と、、然し、白根雄太も一度切った啖呵は呑み込めなくなっていた。
そこで、五郎が助け舟を出した。
「まあまあ、、少し、待ってください、、話合いをしましょう」と、、
撃たれている、、権田は大人しかった。
「勘弁してください、、何でも聞きますので、、命は助けて下さい」と、、泣きが入っていたのである、後ろ盾のない愚連隊上がりの権田には、効き目があり過ぎたのであった。銃弾を撃ち込まれ、日本有数の暴力団が出て来ては、地方の権田では太刀打ちが出来ないことを、、、
そして、応急処置をした、権田誠三との話し合いがされた、話合いというよりは一方的な条件が白根雄太社長から云われたのである。
23)権田誠三はヤクザは名乗らない、、
権田誠三は脚を撃ち抜かれ、しり込みしてしていたのである、、そして,白根雄太社長に威嚇されて、関東連合会辰巳会から電話が入ったのであった。そして,日を改めて権田誠三を呼び出したのである。
それだけで、権田誠三は白根雄太の言いなりになってしまった。
そして、今後一切、暴力団の肩書は使うな、、大熊牧場には手を出さないと,誓約をさせられたのである。少しでも、権田誠三に暴力沙汰の話が有ったり、起こしたりした時には、、
「権田、、いいな、、お前の命は亡くなるからな、、」とまで、脅かされた。
ライフルを撃つ困れ、脚まで撃ち抜かれた権田は腰を抜かしてたのであるから、、
何も言えなかった。
「いいか、権田、、これ以上は何もしないから、心配するな、、堅気で商売をしろよ、、
見てるからな、、」と、言いながら。。
「ここにいる、、乾五郎を甘く見るなよ、、全国の極道から恐れられている、怖い人だからな、、
お前らが100人束になっても叶わないぞ、、」と、捨て台詞を残して引き上げていた。
その後、権田誠三は静かになり、、人が変わったように、五郎の元を度々、訪ねて来たのである。
乾五郎はやっと、安住の地を見つけた。
第二話「野良犬の遠吠え」
野良犬の遠吠え」。。。。
1.ぼやき探偵登場
東京の下町,王子の駅前路地に事務所を構えている、探偵「大光寺大洋」は35歳で、警視庁捜査一課のエリート刑事だった。
しかし、ある大物政治家の贈収賄事件で誤認捜査の結果責任を取らされて、辞職した。
熱血刑事であったが、余りにも走りすぎて、大きなミスをしたのであった。
余りにも理不尽な警察の対応に呆れて、自分から警察を見限ったような。。。
そして、野に下り、探偵事務所を開いたのであった。
大光寺大洋は世の中の悪事を取り締まり、安心した国民生活を送るために、警察は必要だと信じていた。
しかし、京都大学を卒業してから警視庁に就職して、正義感に燃えていた、大げさに言えば、自分一人で世の中の不正に立ち向かっていたような気がした。
大学を卒業してから、警察官僚の道を歩んでいた。13年間、疑いもしないで不正に、悪時に立ち向かい、犯人検挙、事件解決に努力してきたのであった。
しかし、3年前に起きた贈収賄事件で、談合を見つけ、捜査をしているうちに不信に、不合理に気が付き追及していったら、捜査途中で警視庁上層部から突然「捜査打ち切り」の指示が出た。
大光寺大洋警部補は、捜査を担当していて、最終的責任者の逮捕までたどり着いていたのであった。
第一土木建設株式会社の不正入札を追い詰め、証拠固めをしている最中であった。
それを突然に、捜査中止の命令が出され、特捜班は解散させられた。
その捜査の中心的位置で、指揮を執っていたので、大光寺大洋警部補は上層部に食いついていった。
その結果、責任を押し付けられ、出世コースから遠く外されて、地方警察に転勤命令が出たのであった。しかし、大光寺大洋は意に従わず、退職したのであった。
そして、探偵事務所を開いた。当初は仕事もなかったので、自分が手掛けた談合、贈収賄事件を調べてみた。性格上、納得いくまでやり遂げることを旨としていたのであった。
そして、捜査中止が出た事件であったが、その後に面白い展開を見せた。
2.事件開帳
大光寺大洋は仕事がまだ依頼されていなかったので、自分が最後に担当した贈収賄事件を調べてみた。あと一歩で、大物政治家党幹事長の水野忠助の逮捕までこぎつけながら、捜査中止になった経緯を突き詰めてみた。
何処で、誰が、誰の命令で中止になったか、ひとつひとつ、当時の捜査資料を追ってみた。勿論、正式な捜査資料はなかったが、自分の捜査手帳と自分の知ってる限りの記憶を辿ってみた。
捜査は警視庁特別捜査班の責任者までは、資料がすべて上がつていた。そして、特別捜査班では担当刑事が、もう少しのところまで、証拠を揃えていた。
大光寺大洋、当時警部補たちが贈収賄側の第一土木建設株式会社の担当経理課長を追及して承認を得るまでに至ったが、警視庁特別班に向かう途中で事故に遭い、入院してしまった。
その後、経理担当係長の堤三郎は口を閉じてしまった。二度と証言は取れなかった。
その事件があってから、警視庁刑事部長の鈴木一郎から担当捜査班に捜査中止の命令が出されたのであった。
大光寺大洋は担当上司を通して、警視庁上層部に申し建てをしたが無駄だった。そして、退職したのであった。
退職した後も、大光寺大洋は執拗に、仲間や関係各所を調べて歩いた。そんなある日、彼は暴漢に襲われた。
自宅アパートでの睡眠中のことで、暴漢二人に殴る,蹴るを繰り返して襲われて、大怪我をしたのであった。
肋骨に罅が入り、片足を折られてたのであった。救急車で運ばれて、2か月入院した。
その後は方法手段を考えて行動しようと思った。
しかし、事件を経験してから彼は燃えた。必ず、彼らの悪事を暴いて、世の中に晒してやると。。。。。
半ば、社会悪に対して復讐をしてやると血が燃えたのであった。
3.燃える大光寺大洋
入院生活を終えた大光寺大洋は2か月振りに実家に戻った。
実家は京都府の丹波で、山々に囲まれ、丹波栗の産地で田舎風情の漂う村であった。
久しぶりに会う家族とともに、のんびりと体を癒した。一日中、田舎道を散歩したり、ゆっくりお風呂に入ったり、日当たりがいいので日光欲をしていた。
三度の食事付きで、たっぷり両親の愛情に触れて、このまま田舎暮らしをしようとか思ったが、、、、
身体の調子も良くなり、精神的にも元気を取り戻した大洋は
東京に戻って、やり残したことを仕上げようと考えだした。
大洋の性格では我慢が、辛抱が出来なかつたのであった。
自分なりの独自の捜査をしている途中で、暴漢に襲われ、捜査を諦めることは出来なかった。
復讐ではないが、やられぱっなしでは気が済まなかった上に、暴力で屈服させれば、身を引くと、黙ると思われることに我慢ができなかった。
そして、体調も良くなり、気分も良くなったので、東京へ戻った。
大洋は世の中の反勢力、社会悪を、悪行と思わずに活動している連中と戦うには、自分の住まいを砦化して、寝ていて襲われても助かる方法を考えた。今回の狙撃を考えてのことであった。
これからも、反勢力や権力者と戦っていくには防御態勢も作っておかないと、、、、
東京に戻った大洋は、まず、砦化するにふさわしい住まい探しをした。
そして、大洋の希望条件に合う古いビルを見つけた。以前は鉄工所の工場であったが、2階が事務所兼住まいだった
今は後継者がいなく閉鎖しており、その所有者と会うことができた。
出来れば買い取って欲しいということだったが、資金的に足りずに借りることにした。しかし、所有者の行為により分割で譲ってくれることになった。
そして、大洋は改造に取り掛かった。
初めから砦化するつもりで、堅固に作り、逃げ道も用意して、自分の思うような外見は工場、中身は戦闘可能な要塞に作り上げた。仕上がった自分の住まい、我城に満足した。
4.戦闘開始、、、、大光寺大洋
大光寺大洋は体も元に戻り、社会悪に挑戦するための砦、わが城も用意が出来たので、いよいよ行動開始をした。
手始めにすることは、
警視庁時代に手掛けていた談合贈収賄事件だった。警察時代は上層部から捜査中止が出たが、今度は何の規制ももなく、自分の思う通りの捜査が出来た。
大洋は覚悟していた、必ず、捜査妨害、邪魔が入ると、、、
其のためにも個人生活を知られない方がいいと思い、行動は出来るだけ秘密裏に捜査した。
それでも関係者の捜査になれば、自然に先方、敵方に伝わる筈だった。
今回の贈収賄事件の片割れ、増収側の第一建設土木の係長、堤三郎は自殺してしまったが、その係長周辺から執拗に調査を始めた。
談合贈収賄事件の中心人物であり、影の黒幕でもある、水野忠助を表舞台に引きずり出し、法的制裁をしなければ、大洋は納得しなかった。
世間一般のありきたりの法的判決で済まされては堪らない。会社を巻き込み、関係者を死に追いこみ、社会的な不正をしておきながら、平然と日常を生活していることに我慢が出来なかったのであった。
会社に損害を与え、人の命を奪ってもも、今もって社会的な権力を保ち、次の経済的悪商をやろうといている、悪ともいうべき人物を放置していては、法治国家の恥である。
だから、中途半端な悪行に対する裁きでは許されないのであった。
そのために、大物政治家で世の中の大悪でもある、水野忠助の不正、前からの不正を全て暴かなくてはならなかった。
そのための証拠固めには、大洋はあらゆるコネを使い、危険をともなつた調査もした。
そして、水野忠助のあらゆる人間関係を調べた、追跡をした。
大光寺大洋は警視庁時代の仲間で、今は警視庁資料室の室長大野雅代からも必要に応じて参考資料を入手していた。大野は警視庁時代から、大光寺大洋には行為を寄せていたので、仕事に真摯に当たっていた大洋を尊敬もしていた。
また、大東新聞の警視庁詰めの社会部記者、高田茂とも今だに交友があり、時には情報を得ていた。そして、高田茂に迷惑が掛からない程度の連絡をしていた。
そして、警視庁時代の街の情報ごろとも、付き合いを保ち、情報収集をしていた。
大光寺大洋なりに情報を集め、時には尾行、張り込み踏査もしていた。
いろいろな人々から、場所から情報を得ていたので、時には相手仲間に迷惑をかけていた。また、危険負担をしていたようだ。
しかし、何かあつても大洋に愚痴を零すような奴はいなかつた。逆に、社会悪に立ち向かっている大洋に協力をしていた。
表立っての力貸しは出来なかつたが、陰ひなたで応援してくれていた。
そんなこともあつて、徐々に水野忠助の行状が分かってきて、その中の情報行動には不審な点が多かった。
最近特に金の流れに不審な点が見つかり、その足跡を追跡した。
5.金の流れ、、、女道楽の道が。。。
大光寺大洋はいろいろ情報を集めて、水野忠助に迫っていった。なかでも女好きな水野忠助には隙があるように見えて、なかなかボロを出さなかった。誰が見ても、銀座にあるクラブ「赤いバラ」のオーナーは間違いなく水野忠助なのであるが
金の流れ、資金的な不正が見つからなかった。
巧妙に仕組まれているようだった。水野忠助の経理担当の大槻公認会計士が全てを動かしている。
そして、すべてが会社経営という名目で代表取締役が違い、それぞれに営業活動をしていた。その資金の流れに不正はなく、まったく隙が無かったのである。
しかし、間違いなく金は流れて、動いている。巧みな経理処理をしていた。
そして、その処理を担当しているものが、水野忠助に関わる金庫番が一人いた。他人との付き合いがない。
そのために水野忠助の金の流用の情報が得られなかった。
また、担当している外山計理士は独身で、仕事以外に、数字以外に興味がなく、数字のトリックに付かれていた。
大槻公認会計士も適任者を担当させていた。
そんな訳で経理の不正というか、遊び金の流れは掴めなかった。
調査によれば、その都度、現金祓いをしていたようだった。
従って、個人の財布の中身を調べていくより仕方がなかった。
始末の悪い、遊び上手な、賢い男だった。
水野忠助については別の金の流用を、金の集めかた、使い方を見つけなくてはならなかった。
大光寺大洋は必ず見つけてやる、水野忠助の泣き所をと、、、
あらゆる情報を集めた。仕事に絡んだ談合、贈収賄リベート。利権に絡んだあらゆる謝礼金、コンサルタント料金、パーティーに絡んだ上納金など、あらゆる政治家特典を調べ上げていった。
その調査過程で水野忠助サイドから横槍が入ったり、嫌がらせが横行した。しかし、目げなかった。
水野忠助を失脚させるにはよほどの失態を見つけ、証拠固めをしないと、、、、
そんななかで、大洋は古い事件だけど見つけた。
水野忠助の失態を、、、若い時のことなので、覆い隠せなかったのであった。
水野忠助の地元選挙区でのことであった。
6.地元選挙区での失態
水野忠助の選挙区は栃木県佐野市であった。その地元で選挙運動中に若かりし頃
間違いを起こした。
選挙民と酒宴の時に、地元と安心したのか、車の運転をしてしまったのであった。
自宅の近くの田舎道で、自転車に乗った女性と衝突をして、気が付いたら車の前で倒れていた。
水野忠助は慌てた。そしてしまった.。。とも、思った。
そこへ町内で親戚筋の酒井和男が通りかかり、兎に角、怪我をしているようだから、病院へ連れて行こうということで。。。
病院へ連れていき手当てをしてもらった。足の骨が折れたみたいなので、入院をさせた。
水野忠助は選挙中でもあり、本当に困ってしまった。
親戚筋の酒井和男に頼むことにした。頭を下げ、それ相応の謝礼金を渡すことで身代わりをして貰うことにした。
誰も見ている人は無く、本人も気を失っていたので。。。もみ消しを頼んだ。
若い時から人に責任を押し付け、自分は何でも金で後始末をしていたようだ。
その時の事故も全て金で処理し、自分は身を守っていたのであった。
その後、親戚筋の酒井和男は金に困って、何度か無心していた。
しかし、事故から20年が経ち、水野忠助も大物政治家と言われるようになったら、事故のことや世話になったことなどすっかり忘れてしまっていた。
そして、酒井和男がうるさくなり、煩わしくなってきた。そこで、裏世界の人間との関わりもあることから、その人間たちを使って処理をした。
処理というと、酒井和男もその後、事故を起こして経済的にも困り、さらには体にも支障をきたし、入院したままであった。口が聴けなくなってしまったのであった。
水野忠助の非情な仕打ちに誰も文句を言えなかったのであった。
水野忠助は自分が都合が悪くなると、冷徹にも抹殺してしまうのであった。
その事実を掴んだ大光寺大洋は証拠固めをした。それ以外にも日常茶飯事の出来事で
横暴な言動を集めた。
7.水野忠助の横暴、自分の都合で
大光寺大洋は水野忠助を刑事事件で告発するための事件資料をまとめた。
20年は経過したけど、地元での選挙期間中に交通事故を起こして、身代わり事故届けを出して処理したこと。この件では刑事事件を隠蔽して、虚偽の申告をしたこと。そして、さらにその隠蔽事故を隠すために、身代わりに立てた「地元選挙民の酒井和男」を襲い、不治の体にしてしまい、その事故を有耶無耶にした疑い。
この一連の隠蔽工作は法治国家の立法を冒涜したことに他ならない。
すなわち刑事事件の隠蔽という、法律を無視した行為は、日本の政治に携わるものとして、犯してはならない行為である。速やかに政治家を辞任すところであり、法律を守るべき者がとるべき行動ではない。
その点においても行政を司るものとしての資質を疑い、責任を取るべきである。
以上の点から、政治家として、国会議員として、査問会で尋問をするべきである。
其の他、国民に対しての暴言挙動、選挙民に対し当選してしまえば、お大臣という、国民に対する格差感覚が露骨であり、人間失格であると考えて、大光寺大洋は常識ある報道に訴えたのであった。
この大洋のデモンストレーション的な行動は、一般国民に支えられ、地元選挙民の間でも問題になつた。
そして、良識ある国民によって、水野忠助は失脚していった。
いつもの水野忠助の、大光寺大洋に対する特異な嫌がらせ、報復は無かった。
大衆、世の中の国民の声、民意は通つたのであった。
8.大光寺大洋の正義
大光寺大洋の今回の社会悪に対する戦いは、世の中の弱者に勇気づけたものがあった。
今の世の中、長いものには巻かれろの風習が多いような、、、自分に覆い被さるような災難でなければ、見て見ぬふりのような、、、、
しかし、大光寺大洋のように、何の力もないものが、一人で権力者、金権者に立ち向い「正義」を振りかざし、勝利したことが世間の弱気者に、芯の勇気を見せたようだ。
大光寺大洋の噂はひろまり、不平不安を持っている人々から、地域から相談が寄せられた。
しかし、水野忠助たち、他の権力者、金権者たちは面白くなかった。金を持ち、グループを組織を組んで、世の中を動かしていると思っている人間たち、世の中は自分たちのもののような顔をしている連中が動いた。
冗談言うなよ、、、今回のような事件はあっても、今までは潰してきたと豪語している連中が黙ってはいなかった。
この世は成功者たちが作った道を誰しもが歩き、一般人は力ある者の言いなりに、、、そう信じている連中が反旗を翻したのであった。
そんなことから、世間から英雄視された大光寺大洋に対しての風当たりは強くなった。
彼に味方してくれる人種は世の中の弱気者、、、力を持たない人間だ、、、大にして情報には限りがあり、今までのようには情報が入りづらくなった。
そして、時には邪魔が入り、嫌がらせも、、、また、大光寺大洋を罠に嵌めるような情報も入ってきた。
大洋は考えた、、、、もっともっと、世の中の汚れた渦の中にも入り込んでいかないと、上には上をいかないとと、、、、
人間、狡く、賢くなり、罠にも罹った振りをしていかないとダメなんだと思うようになった。
警視庁仲間の、現在資料室室長をしている、大野雅代と会った時に言われた。
「大洋、、、あなたは正直すぎるから、、、もっともっと、狡賢くなりなよ、、」と。。。
そして、
「人を信用することはいいことだけど、、、信用することもほどほどにと」
そうかも知れないと、反省する大洋だった。
また、大東新聞の大学同級生の高田茂からも、、、
「余計なことを話すな、、、情報を得るためだろうが、もう少し、用心しろ。。」
と注意された。
「お前の情報は洩れる、、、だから、注意しろよ、、敵方に逆手に取られ、利用されているからな。。。」
大洋はいつもながらに二人には感謝していた。
大洋は思った。自惚れるな、、、人は口じゃ上手いこと言って、その實は、腹を探られていると。。。
だから、もっともっと慎重にならないといけない。
まだまだ、世の中の社会悪と戦うには青二才だと思った。
9.道は遠い、、前途苦難、
大光寺大洋は今回の水野忠助との戦いで、考えさせられたことが多かった。人とは持って生まれた器量というものがり、その人の特技というか才能というか、生きてる人生で表現できる人間と出来ない人間がいること。
環境が揃っており、舞台も整ったに人間が必ず、人生と言いう荒波を神風漫歩に渡り切れることのないことを。。。。
今回の水野忠助のように、裸一貫で身を起こし、地域での土木事業で財を成して、徐々に権力を得た人間もいる。
だから一概に悪者扱いにすることとも出来ないような、、、
彼にもいい面があり、地域貢献をしているから、常に選挙でトップ当選もしている。
人とは見える部分と、見えない部分がある。その見える部分が人を威圧したり、権力を見せつけたりして、世の反感を買ってしまうのかもしれない。
だから、人とは見た目だけで「悪」そして「善」と決めつけることはいかがなものかと、思うようになった。
水野忠助が言ったことがある。。。
「大洋君、あなたは人を批判したり、批評したりしているが、、、自分で政治をしてみれば、携わってみれば、少しは政治が分かるものだよ」と。。。
それほど政治とは難しいもの、一筋縄ではいかないもの、、、やってみないと分からないことが多い。
そんなことを言っていた水野忠助を思い出した。
しかし、大光寺大洋は正すものは正す、、、という考えには変わりはなかった。
そんなこと心に刻みながら、人々の相談事を受けるようになった。
そして、大洋が正義に向かって走り出した時に、事件が起きた。
警視庁時代に扱った贈収賄事件が思いがけない方向に向かったのだった。その事実を警視庁仲間の大野雅代から連絡が入った。
「大洋、、、気をつけてよ、、、当時の捜査が強く、追い来みが酷かったので容疑者が自殺をしたという、、、、やりすぎの捜査を疑うものが出て来た、、、そして、内定が始まったから」
大野雅代が言うには、しばらく言動を慎み、目立たないようにと。。。
大洋は分かってはいたが、内定までになるとは思っても見なかかった。そして、本格的な捜査が始まった。
これも水野忠助たち、悪の裏返し制裁行動かも知れない、社会の悪の罠の始まりだった。
10.身に降りかかる火の粉は、、、大きい
大光寺大洋に対する恨み、憎しみを水野忠助は常に抱ていた。機会があれば、思い知らせてやりたいと、大人げなくも考えていた。
そんな折に、水野忠助絡みの贈収賄事件で、責任を追及され、第一土木建設においても、会社からも検察庁からも追い込まれた経理担当の堤三郎が生き詰まり、自殺してしまった事件。誰にも相談できずに,只、避難に晒され、責任だけを取らされてしまった堤三郎が、書き残したメモが後日出て来たのであった。
そして、堤三郎が取り調べが強く、連日に続いてたことへの愚痴が、そのメモには記されていたのであった。
当時の警視庁の担当刑事は大光寺大洋警部補であった。
その取り調べが強引だったと、、、半ば脅しかかった取り調べだと、、、そして、大光寺大洋も若かったこともあって、検挙して手柄を立てようと、、、取り調べ室の中で、堤三郎の頭をどついたりしてた、、、
同室だった刑事、深田光一の証言まで出て来たのだった。
これらの失態を見逃さずに、付いて来たのであった。
水野忠助は政治家では無くなったが、政界に経済界に大きな影響力を持った権力者だった。
そのことから、警察内部に黒い噂のある幹部官僚に圧力をかけて、大光寺大洋に魔の手を伸ばして来たのであった。言いがかり、因縁だった。
そして、その手先の警察官僚幹部からの指示を受けた特捜部が動いたのであった。
大光寺大洋の信頼できる警視庁資料室の大野雅代からも連絡があった。
「大洋、、、本腰を入れて、あなたの取り調べ過剰による、違反事項についての追及をしていく方針だよ、、、行動は慎重に、注意してな、、、なにか、捜査事項に進展があれば、連絡するから、、体には気をつけてよ、、」
、、と、心配の電話が入つた。
大洋も不味いな、、、と、思いながら覚悟を決めた。
警視庁在籍中に不当な取り調べはしてなかったことの証明をしなければと、、、、
11.しつこい、追従
大光寺大洋に対する捜査は執拗にしてきた。しかし、すべてが状況証拠であり、本人も死亡していたので、警察としても確証がなかったので身柄を拘束は出来なかった。
あくまでも水野忠助側としては、大洋の動きを止めるための工作として、苦しまぎれの捜査であっ
しかし、何が起きるか分からない、、、捜査過程で,瓢箪から駒ということもある。また、以前の捜査過程でのミスが有るかも知れない。
そして、贈収賄事件の時の第一土木建設の堤三郎の死にも不自然さが残っており、再度捜査の見直しが決められたのであった。
警察としても、第一土木建設の談合贈収賄事件も、鍵を握る堤三郎の死により、また、警察内部の権力の行使により、事実を捻じ曲げ、証拠不十分として処理されてしまったのであった。
当時の水野忠助の権力は凄かったのであった。政界での圧力、が。。。金権によるものだが。。。
時の権力者というものは、誰も逆らえなかったような、、、
逆らえば、官僚職務者は左遷という恐ろしい仕打ちが待っていたのであった。
日本の裁判では90%が有罪で、無罪はあり得ななかった。
民事裁判においては、無罪に近い「執行猶予」が付き、その身は、堂々、悠々と日常生活が出来るのであった。
裁判で「無罪」の判決を出した場合は、余程のことがない限り、担当裁判官は翌年に左遷が待っている。
日本という法治国家は恐ろしい国だ。。。。
だから、時の権力者になることがどれだけ必要なのか。。。政治家になれば、権力者となりたいのであった。
そんな日本で、大光寺大洋は権力者に逆らったのであった。
大洋も覚悟はしていたはずである。しかし、水野忠助はたかが一介の「野良犬如き」に、その政治家の地位を追い落とされるとは思ってもみなかった。
水野忠助にも甘い姿勢があった。自分は時の権力者、その上に大物政治家としての自負があり、自惚れてもいたような。。。その、甘さゆえに、自惚れが身を滅ぼしたというか、傷を負ってしまったのであった。
そのための悔しさ、怒りから、大光寺大洋を許せなかった。
そして、まだ、権力者の立場にいる限り、大洋を追い込んでいくと豪語していた。
お互いが「追う立場」で攻めあっているのであった。
12.大光寺大洋も贈収賄事件を振り返る、反撃。。
大光寺大洋も水野忠助たちの悪巧みとも云うべき、罠の殺気を感じながら対抗手段を考えた。
もともと、大洋たちが担当して起訴にまで持ち込んだ贈収賄事件であった、当事者の堤三郎について調べ直した。勝訴できる筈だつた事件を捻じ曲げ、不起訴になり、堤三郎までもが自殺に追い込れた。その捜査途中での大光寺大洋の執拗な尋問に屈辱に耐えられずにということだつた。
本人の大洋はそのような捜査も尋問もしていないという自負があったので、難癖にしか思えなかった。
何処が、どのように執拗だつたか、屈辱的な取り調べをしたのかをはっきりさせるためにも、事細かく、細心の注意を払って、自分の取り調べた調書を見直した。
勿論、警察内部の調書を見ることは、今は出来ない。疑いがかかっているので。。。。
大洋が最も信頼している、警視庁資料室の大野雅代に頼んで調べた。そして、自分が当時、記録していた捜査手帳を念入りに確認した。
また、気がおける友人でもある、大東新聞の高田茂の当時の新聞資料を見てもらった。
更に、第一土木建設株式会社の当時の人物たちにも当たった。時が経っているので、気軽に当時の堤三郎について語ってくれた社員も何人かいた。
そして、参考人、証人として当時の調書に記した人物にも会うことが出来た。
大洋が調べた結果では、どこをどう見ても、大洋の捜査や取り調べに違法性はなかった。
水野忠助の権力で捻じ曲げた、ごり押しであったと、大洋は確信をした。
水野忠助の金力で抑えられた官僚警察官たちの難癖捜査に他ならなかった。そう確信した大光寺大洋は進んだ。
まだまだ、攻めて来る水野忠助の強引な罠に立ち向かうことを。。。。
これからも、社会悪、そして、捻じ曲げられた権力者たちにめげることなく、臆することなく、大洋自身の正義を振るって。。。
この先にどんな道が、巨悪な罠が、世の中の権力者によって仕掛けられてくるかも知れない、闇の道に。。。
13.横暴な権力者に立ち向う。。。
大光寺大洋に対する権力側からの圧力は止まることは無く、
続けられた。しかし、権力側も知っていた。
あくまでも大洋を封じ込めるため、動きを止めるためのものであり、権力の嫌がらせであった。
水野忠助は言いたいのだ、、、、「いつまでも、権力者の自分にたてつくのだと、あんたを逮捕するまでに追い込み、刑務所まではいかなくても、拘置所で拘留し、裁判まで持ち込んで自由を束縛するぞと、、、」
水野忠助ぐらいの権力者になれば、最終的は不起訴になるかも知れないが、逮捕、拘留、裁判まで約7か月から1年間は日本の立法である法律を盾にして、警察庁管理のもとに身柄の自由を束縛できるのであった。
裁判までの保釈は認めない、、、証拠隠滅の疑いがあるとし
て、裁判終了まで拘留出来るのである。
日本という法治国家は恐ろしいところである。
警察庁とは怖い、、、力のある拘束力のある国家権力とは本当に怖い。
悪知恵のある権力者が警察、検察官僚と手を組んだ場合は本当に怖いところだ。
これらの権力官僚を管理し、公平な対応をするべき裁判官でさえも人間であり、世の中の巨悪な権力悪には捻じ伏せられている。
裁判でも恐ろしいことがある、法律の是非を判断する裁判所が、刑を求刑する検事側が、、情報手段として年に何回か裁判官と検事担当の交流会があるくらいなのだ。
裁きを求刑するものと、裁きを判断するものとの、交換会とは甚だ可笑しい。。。
日本の法律とは、すべてが被疑者以外のところで、うちうちに相談しているという珍事実を。。。
だから、悪いことはしてはいけないが、、、間違いで、誤認逮捕で捕まると留置所、拘置所と拘留されて、それなりの尋問を受ける。
大光寺大洋はとにかく、警察側の罠に嵌って、逮捕されと不利になることは知っていた。
たとえ、不起訴と分かっていても、拘留されることは避けなければならなかった。
従って、情報収集はしていなけばと、至るところに情報の網を張り巡らしていた。
この世の中は、その時の権力者は怖い。。。
14.時の権力者は怖い、、、
人の世界というか、浮世というか、この世の中、、、
法治国家という日本は恐ろしい世界だ。
国を治める政治というやつは得体の知れない魔物だ。
法律という道具で、規律を作り、人も、物事もすべてを抑え込んでいるような、、、、、
見た目には法律という鎧で身を固め、言葉という便利な道具で形作っているようだ。
そして、それらの道具を、言葉を上手く操って、この世という舞台を踊っている。一つの演劇を演じているような、、、この世という舞台で主役を演じ切る、数少ない人間が人生舞台で光を浴びるような。。。。
その人生の光を見ることができる人間が、政治で、仕事で、あらゆる世界の成功者なのだ。
しかし、成功者にもいろいろな模様を持った形がある。
そして、人から、世の中から「善人」と言われる景色を
広める人間もいる。
また、この世で社会で大物とかやり手とか、権力者と言われる風景を持った人間もいる。
それらの景色や風景を描きながら、「悪人」と言われる人間もいるような、、、、
人が生きる社会で、世の中で、「権力」を、、、、特に勘違いした己のための権力を得たものが「独裁者」と言われるようだ。
その類の人間が現れると悲劇だ、、悲劇が起きるような、、
大光寺大洋は自分に降りかかった人生の大海原で、揺れ動かされ、波に風にさらされた小舟だ。。。
大学を出て、法律を正す警察組織に正義を求めて従事したが、時の権力者に道を閉ざされてしまつた。
この世の中には人生の道半ばで、第三者の力によって捻じ曲げられる人間の多いこと。。。
人の世界ほど「矛盾」の多い、不公平なことの多いことのような。。。。
大光寺大洋は戦った、、、矛盾だらけの世の中に、人間社会に正義を盾に挑んでいった。
しかし、捻じ曲がつた権力者社会では最後まで、権力者には勝てなかった。
まるで、この世をふらつく、さ迷う「野良犬」のようだ。
そして、叫ぶ。。。野良犬の遠吠えみたいに。。。。
15)大光寺大洋は死なず、、、再び、、
大光寺大洋は今回の一連の権力者の圧力を嫌というほど知らされたのである。
しかし、へこたれるような大洋ではなかった、、、気持ちを整理して、再度出直そうと思い,故郷の京都丹波に帰った。
田舎の綺麗な空気に触れて、旨い田舎料理を食べて来ようと秋の夕暮れに戻ったのである。
久しぶりに母親の栗ご飯が食べたくなり、田舎の五右衛門風呂が懐かしくなった。
田舎の甘い空気は何よりも旨かったのである、、、汚れた都会の空気にはうんざりだった。
大洋は10日間ほど田舎道を散歩したり、ガキの頃に遊んだ悪ガキとも時間を過ごした。
丹波に残り「栗栽培」などの農業に従事していた悪ガキの「橋本兵吉」とも、しばらくぶりに酒を呑んだ。
楽しい心温まる日々を過ごせた、、「ありがとう、、兵吉、、また、来るよ」と言って別れた。
「大洋、、、いつでも戻って来いよ、、歓迎するから、、」と、、送られたのである。
東京に戻った大洋は忙しかった。
警視庁記者クラブの高田茂記者から連絡が入っていたので、連絡を取った。
「おう、、、大洋か、、お前が居ない時に、、逮捕状が出たぞ、、、お前の過剰取り調べによる暴行罪だ」
「逮捕状が出たのは昨日のことだよ、、覚悟して対応しないとな、、兎に角、お前を縛っておきたいんだよ、、」
「わかった、、ありがとう、、22日間は諦めるか、、結果は分かってるけどな、、、癪だな、、」
大洋は覚悟をしたのであった。
「茂、、、頼むな、、、不法逮捕のことを流してくれよ、、拘留期間が過ぎるか、面会禁止が取れたならな、、」
面会に来てくれと頼んだ。
大洋は二重にガードしていたので、家宅捜査の件も心配はしていなかった。
取り合えず逮捕されるまではアパート住まいで「隠し砦」には戻らないようにしたのである。
大光寺大洋は権力者「水野忠助」の恨みを買い、とことん追い詰めらたのであった。何とか、無力の一般国民の大洋に国会議員のバッチをもぎ取られたので、その仕返しを計ったのである、、、
そして、あらゆる権力を駆使して、過去の取り調べを強要したことの虚偽の事実を作り上げて警視庁特捜部に逮捕状を出させたのだった。
大洋は結果を分かっていた、、、どんなに過去の取り調べの時の暴行罪で逮捕しようが、起訴出来ないことを知っていたのである、、、、警察の中にも、、検事局の中にも権力者に対して無言の抵抗をする国家役人がいることを、、、
全てが権力者の言いなりになる者ばかりはないのであった。
権力者の言いなりになって、出世ばかりを狙ってる司法役人の方が少ないことを、、、
16)逮捕された大光寺大洋は。。。
逮捕状が出ていることを知った大洋は自分から出頭したのであった。
警視庁特捜部に丹波から帰ってすぐに顔を出した、、、
「なんか、、逮捕状が出ていると聞いたので、、来ました、、」と、昔の上司である黒川課長を訪ねた。
「おう、、大光寺か、、そうなんだよ、、お前に逮捕状が出てな、、悪いけど、今から自首扱いで逮捕するからな、、、担当は、坂口警部補、お前やれよ、、」
指示をしたのであった。
坂口警部補が、、「すいません、、大光寺さん、、仕事なので規定通りにやりますよ、、」と、、言って身柄を拘束したのである。
そう言って、警視庁留置所に拘留する手続きを始めた。
坂口警部補は規定通りに、大光寺大洋に手錠を付けた、、、そして、留置所に連れて行き、、規則通りに持ち物検査をして、留置所の入り口の所定の部屋で身体検査をおこなった。
身体検査は丸裸での検査である、、決まりなので仕方がなかった
そして、大洋が出頭したのが午後3時ごろだったので、、そのまま、留置所に拘留になった。
取り調べは翌日からになって、その日は夕食から始まった。
留置所に入ってから、担当看守が来てくれた。
「大光寺さん、、酷いことになりましたね、、関根です、、私が当番の時はなんか困ったことがあったら言ってくださいね、、」知っていた看守が声を掛けてくれた。
「ありがとう、、何も心配なことはないよ、、ここにいる間は宜しくな、、」と、、短い会話を交わしたのであった。
警視庁の留置所は雑居房であり、、一人の犯罪者が居たので挨拶をした。。
大洋は今日から「22日間」の法律に従っての拘留であった。
17)取り調べ
大洋は一晩、警視庁の留置所に留められて、、次の朝から留置所の規則で「起床6時」で起こされて「点呼」「洗面」が行われて。「7時から朝食が配られる」
留置所の全面の小さな出し入れ口から「お茶」「弁当」と、、まるで豚と一緒だ。
そして、、「9時ごろから取り調べの刑事が迎えに来て」それから取り調べ室に連れていかれて、取り調べが始まる。
取り調べはかっての同僚である、、坂口警部補であった。
「おはようございます、、、これから暴行事件の取り調べを始めます、、」と、、、
始めにお茶が出るのであった。
取調室の広さは畳で言うと2畳半ぐらいで、、取調官と記録係と二人で、一人の被疑者を取り調べる。
最初に名前、住所が確かめられて、事件内容の調書が取られる。
聞くことは分かっていたが、、大洋は全て「NOーやってません」と、認めなかった。
その日はお昼に取り調べは終わり、、留置所に戻り、昼食の弁当を食べる。
午後も取り調べが行われたが、、答えは全て「やっていません」と承認することはなかった。
担当警察官の坂口警部補もやりずらかったと思う、、、
大光寺大洋は「やっていないものはやっていない」と、答えるより仕方がなかった。
12日間の警察取り調べは全て、認めなかった。
その後の検事取り調べも認めなかったので「起訴」しても「状況証拠」だけでは目に見えていることを分かっているので「検察庁」では「不起訴処分」で大洋は釈放になった。
22日間の拘留が終わって「不起訴処分になった大光寺大洋は奮起した。
更に燃えて、、水野忠助を許さないと、、彼の悪行を探して、暴いてやろうと思った。悪事に対しての憤りを覚え、、権力者は何でも出来るという「極悪人」を永久に社会から遮断してやろうと、、動き出した。
極悪人がこの世を自由に歩けないように永久に「塀の中に」閉じ込めてやろうと考えだしたのである。
世の中の名もない一人の日本国民がどれほど怖いか思い知らせてやろうと決心をした日でもあった。
18)不起訴から燃えた大洋だ、、、、
自由の身になった大洋はやられたらやり返すの精神で、社会の巨大悪へ立ち向かったのである。
水野忠助の身上調査を始めた。大洋は切り詰めて質素に生活はすることにした。
興信所のアルバイトをしながらの調査であった。
車も節約のために軽自動車を使い、、水野忠助の過去を徹底的に調べたのである。
昔の交通事故に関しても、再度調べ直した、、、
警視庁記者クラブの高田茂にも警視庁資料室の大野雅代にも頼んだ、、、何でもいいから水野忠助に関する 資料を集めてもらうようにしたのであった。
それと、地元住民でも水野忠助を快く思わない奴がいるのだった、、、坂松十郎という地元の大地主で選挙の時にも反対に回る偏屈者がいた、、、どういう訳か、大洋は気にいられてたのだった、、、遊びに行くたびにご馳走になってくる、、、今回も釈放されてから挨拶に行った。
「おう、、大変だったな、、お疲れ様、、、今日は旨いものでも食べに行こうや、、、寿司がいいかな、、」
と、、言って連れて行ってくれた。
「頑張れよ、、何かあったら連絡するから、、、大洋、、無職じゃア大変だな、、ちょくちょく来いよ、、飯ぐらいご馳走するからな、、」と、、励ましてくれた。
「はい、、、ありがとうございます。わしの方も調べて連絡するよ、、、」と、、、
大洋は自分の足でも情報を集めた。
今は金に余裕がないので、、夜の世界の調査は出来ないでいたら、、、電話が入った。
銀座のクラブ「黒蜥蜴」のナンバーワンであった絵里からであった、、、
「大洋、、、しばらくだね、、、どうしてるの、、たまには顔を出しなよ、、」と、、誘われたが、、
「今はからっけつだよ、、行きたくてもいけない、、情けないけどな、、」
「私がご馳走するから、、おいでよ、、」と、、言われても行けなかった。
「兎に角、一度会おうか、、連絡するから、、いいね、、大洋会いたいの、、」と、、、
そんなことで昼間会うことにした、、、
19)水野忠助を追い込むための情報集め。。。
大洋は銀座クラブ「黒蜥蜴」の絵里に誘われるままに会うことにした。
帝国ホテルのレストラン「土門」へ行き,しばらく振りに絵里にあった、、、「やあ、、ご無沙汰したな、、」
と、言いながら、先に来ていた絵里の席に就いた。
「本当だね、、元気そうでよかった、、いろいろ話は聞いたよ、、大丈夫なの、、」と、、心配してくれた。
「大洋、、少し痩せたみたいね、、栄養をつけようか、、ステーキが美味しいから、、頼んでおいたよ」
「ありがとう、、、久しぶりだな、、肉は、嬉しいよ、、今日はご馳走になるな、、」
と、、大洋は絵里に甘えたのであった。そして、、本当にありがたいと思った。
大洋は久しぶりに食事らしい食事をした。
「良かった、、喜んでくれて、、それから大洋が知りたいと思う情報があるからね、、、」
と、、、水野忠助の近況を教えてくれたのである。
「最近ね、、あいつがご執心の女の子がいるんだよ、、私の妹分で、博美というんだけど、、その博美の話だと、、泡銭が入るみたいで、マンションを買ってくれる見たなの、、」
というか、、買え買えと口説かれているので少々困っているので。
そこで私は買ってもらいなと進めている、、、買って、嫌なら私に相談するように言ってあるから、、
大洋にいい知恵を借りたいと思っているのだった。
あの憎たらしい、傲慢な助平爺いを懲らしめる,いい方法を考えて欲しいと相談をされたのであった。。。
「そうか、、、それなら頼みがあるよ、、水野忠助が誰と呑みに来ているのか調べておいて欲しい、、そして、聞こえたらでいいから、、話の内容が知りたいので、、あくまでもそれとなくでいい、、聞こえる範囲の話を聞いておいて欲しいんだな、、、」
「うん、分かった、、、それ位なら出来るよ、、」と、、引き受けてくれた。
そして絵里に言ったのである、、、「水野忠助もバカじゃあないので、、、そんなには答えをを伸ばすわけにはいかないと思う、、、」ので、、
答えを1か月だけ、なんかの理由をつけて待って貰うことにして、最終的には絵里がマンションを確認して決めるということで話をしたらどうだろう。。。
「買って貰うマンションの住所を調べて、、、俺が安全かどうかを確認しておくから、、、」
そして、、、絵里と相談して、、そのマンションを奪ってやることにしたのである、、、
兎に角、今付き合っている人脈を知りたかった、大洋である。
20)宿敵水野忠助攻め。。。
大洋は水野忠助が政治家を辞めても尚、、陰の力となって、権力を保持していることが許せなかった。。。何かあると、談合とか、脱税とか、贈収賄などの黒幕の様な存在の影をちらつかせては、、甘い汁を吸い上げてる寄生虫の様な悪虫を世の中の正義は、許して、見て見ぬ振りをしているのかが分からなかった。
触らぬ神に祟りなしかの態度に腹がたった。
世の中の弱者にも腹がたったのである、、、世の中の悪に立ち向かえよと言いたい。陰でぶつぶつ文句を言わずに,思い切り本人にぶっけてみろと、、、
しかし、現実には言えないのも道理であった。
大洋は絵里から連絡をもらったので、会うことにした、、、
水野忠助の情報が入ってきた、、絵里の話だと、大手ゼネコンの大日本工業(株)の太田専務取締役と呑む回数が多いとのことであった、、、他に珍しいところでは、関東連合睦会の新三十郎若頭が時たま来るらしいというのである。
大洋には十分な情報であった。
早速調べた、、、
警視庁記者クラブの高田茂記者に調べてもらった、、最近の大日本土木工業(株)に絡んだ国営事業を、、、
あったのである、、大きな建設事業が、、開発事業で残っていたのであった。
北海道縦貫高速道路工事の計画が動き出したのである、、、
関係者なら鵜の目鷹の目で狙っている事業であった。
その利権に水野忠助が絡んでた、、そして、その根回しで手付金の様な形で、金が動くことになり、、水野忠助は甘い汁を吸うことになったのである。
大洋はその金の流れを捕まえてやろうと考えた、、
そして、、絵里に頼んだ、、、水野忠助が妹分に買ってくれるというマンションを見に行って欲しいと、、、場所が知りたかったのである。。
大洋は金の流れと、マンションを購入しようとする金の流れの証拠を見つけてやると動き出した。
断然、大洋は燃えたのである。
「水野の狸爺、、今に見てろよ、化かしてやるからな、、覚悟してまってろよ、、」と、、、大洋は絵里に感謝したのだった。
21)大洋、、証拠固めをする
大洋はゼネコン「大日本工業(株)」と水野忠助の癒着は間違いない、、その関係の金の流れを見つけることが難しいのだった。。探せばどこかに綻びは見つかる筈だった。
金だけは現金で渡さないと証拠が残るので、どこかで、誰かがやらないと現金は渡せないのであった。
それも小切手や証券では証拠が残るので、どんなことがあっても、現金を用意する筈だ。
その他には「覚せい剤」とか「不動産」を仲介しても、最後は「現金」の受け渡しがある、、
その方法を見つけ,その現場か確実な証拠を見つけ出すことであった。
それで、、大日本工業(株)の経理課長の大隅重雄に目を付けて、大洋はしばらく、その人間の動向を見張った、、勿論、経理担当が動くであろうと、その大隅課長の部下の坂本隆係長も見張ったのである。
見張って分かったことがあった、、
関東連合会睦会の新三十郎若頭が時たま、大日本工業(株)の関連会社の「大工興行(株)」を訪ね、大日本工業(株)の坂本隆係長と会っていたのであった。それも定期的であり、毎月第三月曜日であるから,可笑しいと思い調べてみたのである。
会う時には必ず、段ボールが運ばれた、、二箱だった。
大洋は確証した、、、「そうか、、現金はこうして運ばれたのか、、」と、、
大洋は何とか段ボールの中を見たかった。
大洋は刑事時代に扱った中に「反ぐれで集団強盗」をした奴を思い出した。
その男「大室正雄」を訪ねた、、、確か、今は隅田川の近くで、スクラップ屋をやっている筈と聞いたので、、、
「何でも屋」で、法律すれすれの商いをしていた。。
「しばらくだな、、大室、、元気にやっているみたいだな、、金儲けは上手くやっているのか、、ところで薬やチャカの密売もやっている、、」と、、
聞いたら、大室は手真似して「しー」と頷いた。
「そうか、、、頼みがあるんだが、、簡単なひったくりをやるやつはいないかな、、、金は大室、お前が分配していいから、、」
「口の堅い奴がいいな、、、二人で十分だけどな、、1億か2億円位にはなるよ、、、」
大室は話に乗って来た。
「俺が現場まで案内して指示するから、、車一台を襲って、段ボール2箱を奪うだけだよ、、、ひとには危害を与えないでな、、」
そして、やることに決まり、、、日時は指定するからと別れた。
大洋は大室たちに強盗をやらせることにした、、奪われた大日本工業(株)は警察に訴えることが出来ない金なので、、後のトラブルは関東連合睦会との戦いである、、その時はその時で、、大室たちと命がけの闘いをするだけだった。
彼らも命知らずの無法者だったので覚悟は出来ていた
22)強奪、、、、
大洋は大室と打ち合わせをして帰った。
強奪実行の前日に大洋は大室のスクラップ集積場を訪ねた、、、そして、確認をしたのだった。
今回の強奪実行犯はどこから集めたかを、、、、
「大洋さん、心配ないよ、、一人は青森から、、もう一人は熊本からで、、身寄り無しの無頼者だから。。」
と、、保証してくれた。
「そうか、、、分かった、、、くれぐれも慎重にな。。。」
「大丈夫だよ、、、念のためにあんたは会わないほうがいい、、いざという時の為に知らないほうがいいのでな、、」
「そうだな、、車は終わったらスクラップにするように、、頼んだよ、、、明日、錦糸町の会社駐車場でな、、」
打ち合わせを済ませた大洋は大室と別れた。
いよいよ実行である。「水野忠助」の一回目の証拠である「現金回収」を、、、
大洋は心臓の高鳴りを覚えた。
大日本工業(株)のある地下駐車場で大洋は一人車の中で待った。強奪の瞬間を見守るために、、、
大室たち別の車で待機していた。
段ボールを抱えて、車に乗り込んだ。次の瞬間に大室たち3人が催眠スプレーを持って、車のドアを閉める前に大日本工業(株)の大隅課長たちを襲った。
相手が右往左往している間に段ボールを奪い,大室たちは走り去っていった。
大洋も後に続いて駐車場を出たのである。。。大洋は駐車場を出てから、すぐに車のナンバープレートに別の物を付けた、、、用心のために。。。
大室たちも同じようにナンバープレートを別のプレート付けて走っていったのである。。
大洋の考えで、、監視カメラの追跡を避けるためであった。
大洋は自分の隠れ倉庫に戻って、、大室と連絡を取り、、無事にスクラップ集積場に着いたことを知った。
大室は打ち合わせ通りに車を処分して、、強奪犯人二人を逃がした。
二人への支払い配分は大室に任せて、、金の使い方には注意するように指示を出した。
大洋は大室に写真を撮っておくようにも指示を出したのである、、、
強奪された大日本工業(株)では慌てた、、、すぐに、関東連合会睦会にも連絡が行き、、新若頭と、、大隅課長たちは、会社に戻り説明をした。
いかに情報網を持っているといっても、今回の大洋の動きは掴めなかった。。
そして、、水野忠助の元にも連絡がされて、、これからの現金の受け渡しは考えないとならないということになった。
水野忠助のクラブ「黒蜥蜴」の女に買うマンションの下見することは中止にはならなかった。
23)強奪金は2億円あった、、、
大室から大洋に連絡が入った、、、「大光寺さん、、、段ボールを空けてびっくりしたよ、、現金で2億円入ってたよ、、多すぎるから、1億円は戻すから、、なるべく早く来て欲しいよ、、」
と、、大洋は、、いつもより多いのはマンション購入費が含まれていると思ったのであった。
大洋が入手した情報によれば、大日本工業(株)での騒ぎが大きい訳が分かった、奪われた金が2億円では大騒ぎする筈であると、、、
いくら裏金であっても警察へは届けられないだろう、秘密裏に動くだろうと大洋は思った、、、慎重に用心しないと不味いと、、言い聞かせたのである。
大洋は大室を訪ねて、、金の使い方は慎重にするように伝えた。
「大室、、逃がした二人の監視と使い方には用心してな、、、決して派手な、目立つような使い方はしないようにな、、」
と、、念を押して大洋は現金を受け取って、スクラップ集積場を出た。
そして、クラブ「黒蜥蜴」の絵里に連絡を取って会うことにしたのだった。
水野忠助と会って,マンションを下見して、その後の段取りを指示したのである、、、あくまでも、マンションの売買契約書を見せてもらうこと、、そして、契約書を見たらコピーをさせてもらう、、その辺のところは上手く言って、、、次に、
そのマンションの名義が代わったら、、「水野忠助」の女になるという返事をする、、、それが出来なければ女にはならないと、、強気で突っ張ることだ、、と、打ち合わせをした。
大洋は水野忠助への闘いの狼煙を挙げたのである。
その結果を待ってから、、次の行動に移ることにした。
大洋は東京連合会の新若頭の動きを監視していた、、、常に情報網を巡らして、注意深く様子を伺っていたのである。
今のところは目立った動きは無く、、困っているようであった。
それでもやくざ組織の情報網は広いので用心していた。
しばらくして、クラブ「黒蜥蜴」の絵里から連絡があった、、、明日、妹分の女を連れて、マンションの下見に行くとになったと、、、それで、いつでも連絡を取れるようにしておいて欲しい。という連絡であった。
大洋は連絡を待つことにした、、、その日の夜に電話が入った。
絵里の話だと、、マンションは見せてくれて、、売買契約書も見せてくれた、、、
その契約書の写しと言ったら、、、「なんだよ、、ここまでして、コピーだと、、お前ら何を考えてるんだ、、俺を信用しないのか、」と始まったので。
コピーは駄目かと思った、、水野忠助はごちゃごちゃ言ってたが、一緒に来た不動産屋にコピーを頼んで、渡してくれたという報告が来たのであった。
マンションの名義替えは、女になる、その日に同時にしようとなったなったのである。
そして、大洋は絵里とそのことに関しては相談することにした。
まずはマンションの契約書を見て,登記簿謄本を見てからということにして、電話を切った。
24)水野忠助の助兵衛爺を銭なし乞食に、、、
大洋は狙ったというか復習してやろうと日々考えていた、、、まずは権力者の座から引きずり落として、、裏金という入手道を断ち切ってやろうと計画を立てていた。上納金ともいうべき金を誰も納めないような無権力者にするためには、裏金の証拠を押さえて「脱税」を立証してやろうと考え、入手道を探していたのであった。
そして、入手先がわかったら「強奪」をして、、「脱税」で告発する、、その事実を世間に公表して誰も水野忠助を頼らなくなるという構図を仕組んでいたのである。
世の中への公表はマスコミを利用する、、、その手段としては警視庁記者クラブの高田茂記者が引き受けてくれた。
大洋は一回目の強奪は成功したので、、更に大きな収入元を狙ったのである。
その前に今回のクラブの絵里の妹分のマンション購入の件で、水野忠助を罠に嵌めてやろうと考えていた、、そして、購入予定のマンションの登記簿謄本を手に入れたのであった。
これだけで、マンションの購入資金の出処を調べれば、、何とか「脱税行為」を積み上げることが出来るが、、名義をクラブ「黒蜥蜴」の女に変えれば、「贈与」もしく「売買」をしていても「脱税行為」を立証できる。
そして、大洋が狙っている「三紀建設工業(株)」との癒着が噂されている事実を突き止めて、今回の談合贈収賄の証拠を掴めれば、告訴に踏み切ろうと考えたいた。
クラブ「黒蜥蜴」の女への名義を変える方法と時期を考えた大洋であった。
大洋はクラブ「黒蜥蜴」の絵里に連絡を取り、妹分の博美と一緒に会うことにした、、そして、昼飯を食いながら作戦を授けたのである。
それから、絵里と妹分の博美は水野忠助と赤坂にある大野法律事務所にいた。
そして、名義変更の手続きをしていたのである。
その名義変更の手続きが終了する頃に博美に電話が入った、、、「入院中の母親が危篤状態になったので、すぐに来るようにと、、」水野忠助に話して、いったん博美は病院に行くことにしたのであった。
そして、必ず約束の日を決めて、来ることを告げて帰ることにしたのである。
「出来れば、母親を安心させたいので、登記手続きの申請書の写しでも見せたいので、、コピーだけでももらえませんか、、」
と、、博美は涙顔で訴えた。
絵里も「いいじゃないの、、コピーぐらい渡しても、、ねえー、会長、、」と甘えた猫なで声でねだったのである。
「死ぬ前に、、親孝行の真似事をしたいんだから、、可愛もんじゃないの、、、、、」と言われて、、水野忠助もダメとは言えなかった。
それで、二人はマンションの名義変更の申請書の写しを持って、、大野法律事務所を急いで出たのである。。
その足で大洋と会って、不動産登記変更申請書の写しを渡した。
「お疲れ様、、、バレたら、、水野忠助の事だから、関東連合睦会のやくざ連中に連絡を取って、探すだろうから、、すぐに大阪経由で、いったん乗り換えて、福岡まで言ってくれ、、、必ず一人ずつな、、用心していけよ、、
いいな、、金は二人に約束通りに2000万円ずつ振り込んであるからな、、
行った先のことは全て段取りもしてるから心配すなよ。。」
と、、言って「不動産登記変更申請書」の写しを受けとったのである。
大洋は一人微笑んだ、、あと一息だ。
「見てろよ、、、水野忠助、、出られない塀の中に放り込んでやるから」
と、、、次の手段の準備をした。
25)追い詰める、、、大洋
大洋は水野忠助を追い込んだ、、、まずは裏金2億円の証拠品押収、、そして、クラブ「黒蜥蜴」の女へのマンション購入の名義変更申請書の写しの証拠品と揃えた。
そして、「三紀建設工業(株)」との癒着による、、裏金授受に関する情報提供だけで、水野忠助を「脱税容疑」で告訴することにしたのであった。
大洋は「三紀建設工業(株)」との癒着による、裏金献金に関する「脱税」も証拠を揃えてから告訴するつもりだったが、、関東連合睦会の新若頭の動きが怪しくなってきたので、、その前に警察や検察に動いて貰おうと考えたのであった。
警視庁記者クラブの高田茂記者からの情報で、睦会の新若頭が現金強奪の件で慌ただしく動いているようだと、、、、
そんな話を聞いた大洋は、まずいと思い、、関東連合会睦会の新若頭を警察力を利用して、封じ込めようとしたのであった。
大洋の流した情報を、警視庁記者クラブの高田茂記者が、警察と検察庁に流したのである、、、警視庁詰めの記者の情報から動き出した。
そして、関東連合会睦会本部の家宅捜査が実行されたのであった、事務所の「がさ入れ」も急遽だったので、事務所内で見つかったライフルと日本刀で「銃刀法違反」と、、債券取り立てに絡んだ「脅迫教唆の容疑」で新若頭を逮捕したのであった。
同時に検査庁で水野忠助を「脱税容疑」で逮捕した。更に大日本工業(株)にも「脱税容疑」で社長始め担当役員が逮捕された、、また、「三紀建設工業(株)」にも家宅捜査がはいったのである。
大洋の最初の目的は達成したのであった。
水野忠助が二度と浮世に戻れないように、、更に調査をしたのである、、数知れない悪行をしている水野忠助であるから、、大洋は更に悪行があると思っていた。
第一話「人生を食らった男」
第二話「野良犬の遠吠え」
第一話「人生を食らった男」
人生を食らった男」 原作者 献残屋藤吉郎
1)人生は食えればいい
この世を好き勝手に、無頼に生涯を生きた男の半生物語。
乾五郎の生まれは誰も知らない、、関東の育ちというだけで何も分からない男であった。そして、何も語らない男でもあったのだ。日本が好景気に浮かれていた頃に、海の綺麗な街に住みついた。
乾五郎は海を見ていると、、洋々と広がる青い海原を船で渡る自分を見るのであった。
いつか自分も、この世の海を堂々と渡ることを夢見ながら、成功の道を歩いてやると、、
「やってやる、、、今に見てろ、、俺の道を創って、大手を振って歩いてやるぞ、、、」と、、何の隔たりもない。大きな海のように、、大波小波を引き連れて、人生航海の旅に出てやるからな、、呑み込んでやるから待ってろよ、、、」と、、胸を弾ませた。
まずは生きなければ、、「わらちゃうよな、、食うことも出来ない俺が、、あはあはっは、、」
しかし、、能天気なところがあって、、「何とか、なるさ、、」の考えから、、建設現場の土方をやることにした。
面接とか、、資格がどうのこうのかと言われずに、すぐに仕事に有りつき、飯が食えるので建設現場の作業員で潜り込んだ。
乾五郎の基本は「飯が食える」から始まるのだった。
建設現場で働く様になった時は乾五郎は27歳で、、働き盛りで、仕事は熱心にやっていた。
彼は建設機械の免許も、、大型トラックや大型クレーンの免許も取得していたが黙って、土木作業員でやとわれていた。
ある日、バックホーンの運転手が休んで、作業が止まったので、乾五郎は初めて、現場監督に話して、運転をしたのであった。その作業の見事な腕前を見ていた、現場監督から気に入られた。
作業が終わってから、乾五郎は現場監督の大山三郎に晩飯を誘われた。
「乾、、お前、何で黙っていたんだ、、建設機械の運転が出来ることを、、免許までもっていれば、、給料も上がるのに、、、」と、、云われた乾五郎は、、、
「いえ、、聞かれないので、、俺は飯が食えるだけ稼げればいいので、、黙っていてすいませんでした、、」謝る乾が頼もしかった。
飯を食いながら、、大山監督は乾五郎に聞いた。
「ほかに何の免許を持ってるんだ、、」と、、、
乾五郎は大山監督に話した、、
「凄いな、、お前、、それだけの免許を持っていたら、どこに行っても食えるぞ、、あはあはあはぅ」
「ところで、お前、なんで俺の所みたいな小さな建設現場に来たんだ、、なんか訳でもあるのか、、」
と、、聞かれた乾五郎は、、
「訳などありません、、、海の見える所で暮らしたかっただけです、、」
「そうか、、明日、、社長に紹介するから、、本社事務所に来てくれ、、いいな、、」
と念を押され、美味しい魚料理をご馳走になって、帰った乾五郎であった。
2)乾五郎、本社採用になる。
乾五郎は次の朝、大山三郎現場監督の指示通りに本社に出勤した。
「おはよう、、社長が会いたいというので、社長室へはいってくれ、、」
と、、云われたので、、
「おはようございます、、、乾です、」と、挨拶をして社長室へ入った。
「おはよう、、、現場監督の三郎から話は聞いた、、、君は建設機械から大型トラックの免許まで取得しているんだってね、、他にはどんな免許を持っているか教えてくれないかな。。」
と、、大山社長に云われた乾五郎は答えた。
「はい、、土木一級施工技師の免許と、、大型クレーンと船舶免許を取得しています、、」と、、
いうと、大山社長は聞いてきた。
「君は今までに、、どんな会社にいたのかね、、差し支えなかったら話してくれないかな、、」
と、、云われたので、隠す必要もないので今までのいきさつを話したのであった。
乾五郎は、、大学を卒業してから、外国船舶関係の運送会社に勤務していたが、その会社が倒産したので、海の見えるこの街に来て、、御社の現場で雇って貰いました。
会社名は言えますが、、倒産の細かい理由は話したくありませんので、勘弁してください。
と、、乾五郎は説明をした。
「ところで、、君は、、うちのような地方の小さな建設会社でも、務める気はあるのかな、、」
「はい、、仕事が出来て、、毎日、ご飯が食べれて、、海が見える所であれば、やる気はあります、、
努めて、その会社が好きになり、、人間関係が楽しい会社なら努めたいです、、」
と、、乾五郎は自分の本音をいった。
「分かった、、もし、君が良かったら、うちの会社で働いてみないかな、、なんか、君を知りたいし、付き合ってみたいよ、、、宜しくな。。」と、、迎え入れてくれた。
「それから、、現場監督の三郎はわしの息子で、出来の悪い三男坊なので、、仲良くな、、」
と、話してくれた。
現場監督でもあり、社長の三男坊とは馬が合いそうでもあった。
二人は年も同じようだった。
そして、二人は現場に向かった、、「乾さんの方が年上かな、、俺は25歳です、、宜しくな。」
と言いながら、現場に着いた。
「これから、、五郎さんて呼んでいいかな、、うちの親父も五郎さんを気にいったみたいだよ、、」
それから、、資格でも技術でも現場監督よりも数段優れていたことがわかり、、
乾五郎は現場助監督になった。
仕事は率先して動くので、仕事仲間からも頼りにされた。そして、奢らず威張らずだったので民からも好かれた。
夕食はいつも、現場監督の三郎から誘われて、いくつかの街の有名料理店にいっていた。
中でも魚料理店「磯の拠り所、海辺」は三郎のお気に入りだった。
乾五郎もすぐに分かった、娘の「さゆみ」を気に云っての通い夕食であった。
二人とも気が合い、、いずれは結婚すると三郎はのろけていた。
乾五郎も二人ならお似合いだと思った。。その店の親父さんが素敵だった、朝早くから自分で船を出して漁をした魚を料理してくれた、、新鮮で旨かった。
海が好きな五郎には堪らなった、、この街で暮らしてみようとおもったのであ3)乾五郎、現場助監督になる
3)乾五郎。現場助監督になる、、、
乾五郎の仕事ぶりは目を見張るものがあった。彼の建設機械の運転は抜群で、段取りがいいので、現場仕事が捗っていった。
一度、大山社長が現場に来て、乾五郎の仕事ぶりを見ていき、、その月の給料日には「三郎の助士として現場助監督に任命された」のだった。
乾五郎の仕事内容を知っているので、苦情や文句を云うものはいなかった。
現場監督の三郎と乾五郎はいつの間にか兄弟のような付き合いになっていき、、大山社長宅へ招かれて、食事をご馳走になる様になった。
「五郎君、、うちの三郎を宜しくな、、お人好しの世間知らずだからな、、、」と、、大山社長から云われたのだった。
大山社長の奥さんからも、、「五郎さん、、宜しくね、、三男坊だけど、、長男と次男が事故で亡くなったので、、大事な跡取り息子なのでね、、頼みましたよ、、、」と、、頼られてしまった。
仕事も出来て、人柄もよく、みんなからも好かれていた。
欠点と言えば無口なだけだった、、それは長所でもあった、余計な無、駄口は叩かなかったのである。。好感の持てる無口であった。
その年の夏祭りに五郎は、、三郎と恋人のさゆみさんと3人で出かけた。祭りは神輿が大きくて壮大であり、五郎は目を見張った、、その町の獅子舞の山車も激しく、勇壮だった。
獅子舞も神輿もその町の中での当番制だったので、今年は三郎達は非番だったので祭り見物ができた。。
神輿を担いだ連中が酔った勢いで、三郎達にぶつかってきたので、さゆみを庇って三郎がよろけたのであった。
その中の威勢のいい男が「ほらほら、、ボヤっとしてるなよ、、色男、、」と、、冷やかしてきたのであった。
三郎も血の気は多かった、、「ふざけるなよ、、気を付けろ、、」と、、さゆみを助けながら怒鳴ってしまった。
「馬鹿野郎、、お祭りの御神輿様のお通りじゃ、、邪魔なんだよ、、」と、、怒鳴り返してきたの。
普段から競争相手の建設会社の二代目だったので、気が合わなかったみたいであった。
神輿の後に付いている仲間の悪ガキどもが、、「おお、、やってくれるな、、うちの二代目に文句があるのかよ、、」と、祭り祝い酒を呑んだ酔っ払いが絡んできた。
その連中が酔っぱらった勢いで、三郎の胸倉を掴んで路地に連れ込んで、、
「この野郎、生意気だな、、」と言いながら殴りかかってきたのであるが、、五郎が間に入って止めた。。「やめなよ、、めでたい、、お祭りだぜ。。」と、云いながら、三郎に殴り掛かった男を投げ飛ばした。。男たちは「嘗めやがって、、この野郎、、」と、残った3人の男達は五郎に立ち向かったが、打ち払われた。
その晩はそれで無事すんだが、、その喧嘩は尾を引いた。
乾五郎は二人を連れて大山社長宅戻った。
そして、謝った、、「余計な喧嘩をしてしまいすいませんでした、、どんな詫びでもしますので行ってください、、、」と、、、
すると、息子の三郎と恋人のさゆみは言い訳をしたのだった、
理由を聞いた大山社長は納得したのだった。
「分かった、、後はわしに任せて、心配しなくていい、、、」と、、乾五郎に言い聞かせた。
そのあと、五郎は三郎と二人でさゆみを送った。
4)お祭りの夜
三郎の恋人さゆみをお店まで送った二人は、、「磯の拠り所、海辺」で美味しい魚料理を食べながら酒を呑んだ。
「五郎さん、、今日はありがとう、、あの会社の連中とは馬が合わずに、入札の時にも、もめるんだよ、、うちが入札を落とすと、なんだかんだと、、いちゃもんつけて来るんだよ、、
と、、云いながら二人は酒を呑んだ。
五郎は少し飲みすぎたかなと思いながら、、お祭りだからいいかとも思っていた。
二人の帰り路は反対方向なので、五郎が送るというのを、、、
「大丈夫だよ、、このくらい酔っぱらってるうちには入らないから、、」と、、一人で帰って行った。
五郎も少し酔ったので、家に借り、すぐに横になった。
どのくらい経ったか、、、「どんどん、、」と、、ドアを叩く音で起こされた。
ドアを開けたら、会社の社員が慌てて、、飛び込んで来た。「大変です、、若社長が川に落ちて、亡くなりました、、」と、、告げてくれたので、五郎は急いで社長宅へ飛んでいった。ついさっきまで、「磯の拠り所海辺」で呑んでいたのに、、、
五郎は後悔した、、「送ればよかった、、」と、、、、
三郎の顔を見て、涙ながらに謝った。
五郎は思った、、三郎のあの足取りで川に落ちるはずがないと、、誰かが突き落としたに違いないと、、「三郎、、悔しかったろう、、必ず、お前の恨みは晴らしてやるからな、、」
と、、五郎は誓った。
五郎は三郎の死に顔を見て、落ちた川の現場に戻っていた。
そして、、落ちた現場の近くを探したのである、、、まだ時間が経っていなかったので、いくつかの争ったような足跡を見つけた、近くの草むらにも形跡があった。。五郎は見つけたのであった、、さゆみさんから貰って、大事にしていた「お守り」があったので、、三郎は誰がなんといおうと殺されたのだと。。。
「三郎、、ごめんな、、送らなかった俺が馬鹿だった、、すまないと」手を合わせて、大山社長宅へ戻った。
五郎は三郎の通夜から葬儀まで付き切りでいた。
そして、現場検証の結果、祭りで呑みすぎて、川へ落ちて死んだという、田舎警察の判断が下された。
地方都市での待ちの有力者とは警察までにも、横槍をいえていたのだった。
五郎は誰にも話さなかった、、落ちいてたお守りのことも、、なにもいわなかったのである。
そして、五郎は調べた、、三郎が亡くなった夜の大場鬼吉社長の会社の社員や息子の大場清太郎の行動を徹底的に。。。
その息子清太郎と3人の現場社員のアリバイを調べて、確証を掴んだのだった。
それから、暫くして、大場建設の息子、清太郎が死んだのであった。三郎が亡くなった川の橋で、交通事故にあったのである、、ひき逃げで、何の証拠も残っていなかったのであった。
そして、、三郎とお祭りに喧嘩した、大場建設の現場社員3人も、次々にその橋の袂か、川に落ちてしんだのであった。
街の人たちは「祟り」だと言って、夜は誰もちかずかなくなった。
全てが事故として、処理されたのであった。
間もなく、乾五郎を大山建設を辞めて、海の見える街から消えた。
大山社長は息子の三郎の墓参りをして、手を合わせて感謝をしたのであった。
「五郎さん、、ありがとう、、本当にありがとう」と、、五郎の無事を祈った。
磯の拠り所海辺の「さゆみ」も、、三郎の墓参りをして、、涙ながらの感謝したのであった。
5)横浜の港で、、、
乾五郎は横浜の港に佇み、、海を眺めていた。今度こそは静かに海の見える街で過ごせると思っていたが、、なかなかできなかった。
自分ではトラブき込まれないように生きて来たつもりであるが、なぜか巻き込まれていた。
横浜の港を歩きながら目に留まった作業現場があった。
大型クレーンが動き、、5トンコンテナと20フィートコンテナが暇なく積み込まれていた。クレーン運転手募集の広告が目に入り、応募してみた。
現場事務所の募集張り紙だったけど、、威勢のいい、ねじり鉢巻きの現場監督が会ってくれて、採用してくれた、、、気さくな海で働く男に見え
「あんた、、クレーンは乗れるか、、すぐに、乗ってみてくれ、、」と、云われた乾五郎は、乗って、コンテナの積み込み作業をしたのであった。
「おう、、合格だ、、今日から働いてくれ、、仕事は見ての通りだ、、ゴミの処理運搬だ、、いいかな」
と、、それでよかったら働いてくれということで話はまとまった。
細かい話は、今は忙しいので、仕事が終わってからということになった。
なんとも簡単な面接であった。
仕事が終わって、現場監督の大畑信二という責任者とゆっくり話が出来た。
「悪かったな、、初めての人間に仕事をさせてな、、しかし、あんた、、クレーンの運転が旨いな、、
今まで、どこで、何してたの、、、云いたくなければ話さなくてもいいから、、」
と、、云ってくれた。
そして、、うちで働きたければそれでいいよ、、友、言ってくれた。
要するに細かい過去の話はいいので、、クレーンの作業をしてくれれば、俺のところはいいのでということになった。
「名前と住所は聞いておくか、、」と、、言うと、、名前は乾五郎といった、、、
「すいませんが、、これからアパートを探しますので、、いいですか、、、それでも、、」
「そうか、、あんた、宿無しか、、よかったら、この事務所の2階が空いているので、、取り合えず、住めばいい、、、いいかな、、それで、、」
と、話は進んだ。
「ところで、、あんた、、腹が減ったろ、、飯でも食いに行くか、、」と、、誘われた五郎であった。
「はい、、いきます、、」と、、云って、大畑現場監督の車に乗せてもらった。
車の中で、、俺は人を見るのが得意で、と、云いながら、「あんたは、いい人だ、、仕事も出来そうだし、、宜しくな。。」と、話しながら、飯屋に付いた。
その飯屋は大衆食堂であって、、港労働者たちの溜まり場的な「酒屋」でもあった。
一日の疲れを、好きな酒を呑んで、旨い飯を食べられる「海の男達」の憩いの場でもあったのである。
大畑現場監督は明るい、滑沢な男であるようだった、、一緒にいる乾五郎も自然に気が晴れた。
「ここの飯は何を食っても旨いぞ、、大盛りで安いしな、、好きなものを食べろヨ。。。。
乾って呼びずらいな、、五郎でいいな。。お前、酒は飲めるか。。」
「はい、、、飲めます。。」と答えると、、
大畑監督は生ビールの大ジョッキを頼んだ、、、「五郎、、ここのビールは冷たくてうまいぞ」
と、、運ばれてきた大ジョッキを一気に飲み干した。豪快であった。
お店の名前は「波止場食堂」で、、ビールを持って来てくれた女の子は「朱美」と呼ばれていた。
五郎は初めて会った男と楽しい酒を呑んだ。しばらくはここで働けそうだと思い、そう、願ったのであった。
6)産業廃棄物処理施設で働く、、、
乾五郎は何処に行っても人に好かれる男だった、横浜の港に有った産業廃棄物処理施設で、正確にいうと「産業廃棄物中間処理施設」であった。
その処理施設の現場監督の大場信二と「波止場食堂」で初めて有ったのであるが、意気投合して、、昨夜から現場宿舎に住み込みで働くことになったのであった。
五郎も朝は早くから起きて、積み込機械である「大型クレーン」の準備をして、横浜事務所の掃除をしていた。。
「おはよう、、、早いな五郎、、朝飯代わりの「おにぎり」用意してきたから、、食べろよ、、」と、、お茶とお握りを渡してくれた。
まだ、、朝の7時だった。秋の朝は肌寒さが残っていたが、、五郎は額にうっすらと汗をかいていた、、、横浜の港に登る朝日がきらきら光って、眩しかった。
大畑監督と五郎の二人で、、仕事の段取りを済ませて、他の社員が出社してくるのを待った。
五郎は大畑監督の用意してくれた「握り飯」を上手そうにたべた。。
「ご馳走様でした、、、明日からは自分で用意しますので、、」と、、礼を言って頭を下げた。
「いや、、気にするな、、うちの上さんが用意してな、、もってけ、、ってな、、そんなもんで良かったら毎日、持ってくるから食べてくれ、、」と、、言ってくれた。
その朝、出社してきた社員を大畑監督は紹介してくれた。
大畑監督を入れても8人だった。建設機械「0,4のバックホーン2台の運転手」と、その詰め込んだコンテナの「玉掛け職人が二人」と、、トラックにコンテナを積み込む仕事に一人が必要であった。そして、積み込んだコンテナをJR貨物横浜貨物ターミナルまでの運搬の大型トラックの
運転者が二人働いていた。
更に、産業廃棄物を九州の処理施設及び処分場へ運搬するための船舶を持っていたので、、船舶の乗組員が7人いた。
この会社は九州に自社の最終処理施設をもっており、、その運搬にはJR貨物と、船舶を使って大量の横浜市内の産業廃棄物処理をしていた。
九州宮田市には「200万リューベの埋め立てを誇る処分場と、再生リサイクル工場を持っていた」そして,九州苅田港と若松港に積み替えの施設を持っていたのである。
その港から処理施設までの運搬に、自社で大型トレーラを15台所有して業務に当たっていた。
その他に九州一円の廃棄物排出事業所から4トンダンプで収集処分を請け負っていたので、4トントラックや2トントラックが20台動いていた、更に施設の場内作業と、、事務系等及び営業担当と合わせて「150名の社員」が働く会社になっていた。
更に福岡市内の営業所を置いての事業だったので、、九州一円でも規模も一番、名前も響き渡った。
それらの九州一の産業廃棄物処理業者にのし上げ、船舶運搬、JR貨物運搬から作り上げて、許可取得会社にしたのは、横浜での監督も兼ねている。「大畑信二」であった。
あらゆる処理が出来る工夫をして、施設を作り上げた会社が「株式会社興和」であった。
従がって、その処理施設を管理するために「大畑信二」は九州福岡と横浜を往復する日常で在り、、家庭に不義理をしてしまったのであった。
そんな横浜事業所に入った、、五郎は大畑信二に気に入られた。仕事は出来る上に、気づかいもあって、大畑信二は安心して任せられるような気がしたのであった。
7)横浜事業所の仕事を任せられた五郎、、、
産業廃棄物の仕事は忙しかった、しかし、反面問題も多かった。そんな中で現場監督の大畑信二は問題解決のために、関係各所を飛んで歩いていた。
横浜の現場を留守にすることが多く、、五郎はその仕事を良くホローしていた。そのために、入社間もない五郎であったが、横浜事業所の責任を担う「現場主任」に任ぜられて、大畑現場監督の信任も厚くなっていった。
横浜の事業所で働く、海の男達「通称ごんぞう」と言われている作業員は気も荒く、気難しいところがあった。人付き合いは余り旨くは無いが、、腹を割って話せばいい男なのだが、なかなか腹の内を見せない流れ者が多かった。
しかし、寡黙でモクモクと働く五郎は、時間が経つうちに現場仲間からは好かれていった。
お昼の食事は「波止場食堂」から弁当が届き、現場仲間で管理事務所で食べていた。「波止場食堂」の弁当は暖かくみそ汁も付いて旨かった、現場監督大畑信二の計らいであった。
疲れた時の「湯気の出るような温かい弁当とみそ汁」は格別であった。
「ありがたいよな、、監督の気遣いは、、ところで、五郎さんは今までになにしてたの、、」と、、現場作業員の中で、一番古株の熊木徳兵衛が聞いた。
彼はバックホーンの運転をしているが、明るい気さくな男だった。
「はい、、あっちこっちの建設現場で働いていました、、、」と、、細かくは語らなかった。
「五郎さん、、あんたのクレーン裁きは見事だな、、今までにいろんな奴が来たけど、あんたは旨いよ、、、安心して見てられるよ、、惟からもよろしくな、、」
と、、熊木徳兵衛は話してくれた。
「ところで、あんたは酒は飲むよな、、たまには付き合えよ、、飲みに行くといっても「波止場食堂」だけどな。。。今夜はひまか、、、」と、聞かれた五郎は、、
「はい、、いつも暇ですから、、付き合いますよ、、」と、、快く返事をしたのだった。
その日の横浜事業所の仕事も終わり、、五郎は後片付けをしてから、、行くことにして、、決められた時間に「波止場食堂」に行った。熊木徳兵衛さんの席に就いたら、横浜現場で働く仲間が5人集まっていた。
「今夜は五郎さん、あんたの歓迎会を兼ねての飲み会だから、うんと飲んでくれよ、、俺たちはあんたを歓迎するからな、、」と、、云って乾杯をしてくれた。
その場の5人は熊木徳兵衛さんを覘いて4人の荒くれ男たちがそれぞれに紹介をしてくれた、バックホーンの運転の中川達夫、玉掛作業員の大口三郎、島田肇、そして、、大型トラックの運転手の一人である久保田和夫であった。
みんな、真っ黒に日焼けした海で働く男たちであった。
「今夜からは、俺たちはあんたを主任と認めて、、主任と呼ばさせてもらうからな、、、試し立て訳ではないが、、俺たちの現場を預かるあんたを信じなかったことも有った、何せ危険だからな、、大袈裟に言えば俺たちの命を預けるようなものだから、、、」
更に熊木徳兵衛さんが言った、、、「五郎さん、あんたの仕事ぶりを見てて分かったよ、、あんたなら任せらられると、、信用してるよ、、よろしくな、、」と、、云いながら乾杯をしてくれた。その話を聞いていた「波止場食堂」の看板娘の絵里がビールの大ジョッキを運びながら、、
「五郎さんとか言ったね、、、おめでとう、、あんたはこの人たちからみたら、合格したんだよ、、よかったね、、がんばってね。。」と言いながら、機敏な動きで店内を動き回っていた。
五郎には看板娘の絵里が眩しく見えた夜だった、。。。
その晩は楽しく、和気あいあいの飲み会になった、五郎は嬉しかった。過去の流れのしみ込んだ心が現れるようだった。
8)港に有ったこの世の色模様。。
横浜現場の仲間たちと楽しい食事をしながら酒を呑んだ、、明日は九州から「興和丸、1000トン船が着く日だった」ので現場の二人横浜宿舎に泊まることになり、五郎と戻った、
他の者は横浜市内で自宅が近かったので帰った。
船が着く日は早く「午前4時」には横浜岸壁に入ってくるので、その時だけは「鞆綱」を岸壁に着けるので、横浜の現場の社員たちが手伝ったのである。
そんなことで、横浜宿舎に戻って、五郎たち3人は早く、寝ようと思い帰り道を急いでいた。
その一人のバックホーンの運転をしている「中川達夫」が、横浜港の宿舎の手前で、数人の男に呼び止められた、、「おい、、、中川、待っていたぜ、、」というなり、、
その男たちが日本刀を振りかざして、襲ってきたのである、、
「兄貴の恨みの刃を受けてみろ、、、」とか、、「死ね、、」とか言って斬りかかってきたのであった。
中川は慌てなかった、、五郎から見たら、、中川は肝が据わったいた。
「おう、、わかった,,俺以外には手を出すなよ、、関係ねえ、、からな。。逃げも隠れもしねぇから心配するな、、相手するぜ、、」と。3人の男達にむかって行った。
多勢に無勢であり、、一人の男に卑怯であった。
五郎は許せなかった、、、理由はどうあれ、、一人相手に刃物を持っての刃傷を黙って見ていられなかった、、つい、五郎はその中に入り、二人の男を投げ飛ばして、、云った、、
「あんたも、男なら一対一でやれや、、」と、、他の二人は投げとして、殴り倒していた。
中川と対当していた、男も捻じ伏せられて、逃げていった。
「主任、ありがとう、、強いね、、怪我はなかったかな」と、、心配してくれた。
横浜現場の仲間のおじさんは隠れていたが喧嘩が済むと出て来て、一緒に横浜宿舎の帰った。
横浜宿舎に着いて、、中川は五郎に頭を下げ礼を云った。
そして、、今夜のことは内密にと五郎に頼んだ、勿論、承諾をして、一緒の玉掛の大口三郎にも口止めをしたのであった。
この事件が有ってからは、五郎に対して中川達夫は横浜現場でのよき理解者になった。
そして、、「波止場食堂」での飲み会以後は、仲間が「主任」と、、立ててくれるように成った。
度々、、「波止場食堂」には仲間同士で、行くようになった。
9)男、五郎の気風の良さ、、
男というものは馬鹿なところがある、、、やらなければよかったと、後で後悔することが多い。
しかし、始まってしまえば、後には引けずにやることもあるようだ、、、
横浜の岸壁に吹く,海風は冬は肌を刺すように痛かった。それでも、船舶が岸壁に着く時には、そんなことは言ってはいられなかった。
夏や春の海は青く、海風はさわやかだが、、秋から冬になると、、海風は恨めしくなる、、まるで肌に針が刺さる様に痛かった。
冬の作業は辛かったが、仕事が終わった後の鍋料理は旨かった、、特に船舶が入港中は、船舶の中で料理専門の船員が居るので、、真冬の鍋料理は最高だった。
横浜港の岸壁の作業は風が冷たく吹く時には、泣きたいほど辛かった。
作業が終ると、、普段は「波止場食堂」へ行くが、興和丸が入港中は、船舶内での食事が多く成り、、船員たちの話も楽しく、面白く聞くことができた。
船員の場合は日本全国から集まってきていた、、そして、、交代ではあるが、、「まるまる一か月は乗船していたのであった」、、、船員の交代は一か月ごとなので、、常に「6人」の船員が必要なので、会社としては「12人の船員」を雇用しなくてはならなかった。
そして、、大変なのは「船長二人、機関長二人、、他に甲板員二人、」を管理しなくてはならなかった。。。その管理も横浜現場監督を兼ねている大畑信二取締役がしていたので、会社の大黒柱であった。
そんなことで、大畑信二現場監督は補佐役がほしかったのであった。
今は、乾五郎を当てにしていた。
そんな訳で、今の仕事ぶりをみて、大畑信二現場監督は、横浜現場の話を聞くと、期待していた。
大畑信二取締役は次回は五郎を、九州の処理施設や波止場施設に連れて行こうと考えていた。
そんなことを考えながら、1か月振りに横浜港に帰って来た。
10)大畑監督が帰ってきたので安心した五郎だった。
横浜の港は大畑信二監督の似合う場所であった、、、真っ黒に日焼けした男が居る港でもあった。とにかく、五郎から見てもかっこがいいのであった。
しばらく、大畑信二監督は横浜にいることになり、、五郎の負担は軽くなったような気がした。
毎日、精一杯汗を流して、働いた後の「波止場食堂」で呑む大ジョッキのビールの味は格別に旨かった。
そして、、大盛りの焼肉定食も旨くて仕方がなかった。
五郎は働く喜びを満悦していた。
その晩、大畑信二監督か次回行く時には「五郎、、お前も一緒だ、、そのつもりでいろよ、、」と、、云われた。まだ見ぬ九州の施設現場や船舶の荷下ろしをする岸壁施設を見るのが
楽しみだった。
「五郎、、今度、うちの会社のオーナーにあわせるからな、、それも楽しみな、、」と言いながら、大畑信二監督と久しぶりに夕飯を食べた。
11)乾五郎が九州施設へ、、
大畑信二取締り役兼横浜監理監督が乾五郎を連れて、九州福岡の産業廃棄物処理施設へ行く日が決まり、、その準備をしていたが、、
本社会長の都合で、急遽延期になったのである。
楽しみしていた五郎であったが、次回に行けるので、今回は諦めた。地元住民との話し合いが急に決まり、会長が出席することになり、、大畑信二取締役が、五郎を連れて、現場廻りが出来なくなったためであった。
そして、大畑信二取締り役が会長と共に、地元住民の話し合いに出かけたのであった、、地元の川筋ものと言われるやくざ社会の連中が,音頭を取り、、産業廃棄物処理施設、追加許可の反対を始めたのであった。
かなり強硬な反対運動であり、、会長が先代の後を継いだ娘もあって、、甘く見てきたのであった。
現場視察までやり、、この廃棄物は違反物では無いのかとか、水質監査が可笑しいとか難癖をつけたきたのであった。
処理施設の延長許可は認めない、、地元住民の同意書は出さないと、、言い出してきたのであった。
今までの住民とは話合いも順調であり、、車両が通行する町内道路を整備したりして、旨くいっていた。
ところが、地元の川筋ものとか言った、早い話がやくざ上がりの、地元市会議員が先頭切って、反対運動をして来たのであった。
そして、膨大な寄付金を要求してきて、、脅しまでした来たのだった。
そこで、初めから交渉に当たっていた、大畑信二取締役が矢面に立っての交渉だったのであるが、、なかなか、まとまらなかった。
大畑信二取締役は、最終的には最終処分が駄目ならと、、リサイクルを兼ねた中間処理施設に切り替えていたのであった。
そんなことで、、「会長、心配しないでください、、どうしても同意書が取得できない場合は、リサイクル工場施設で全て、処理が出来る風にしていますから、、」
と、安心をさせた。
そして、すでに「コンクリート固化施設」「破砕施設」「固形化燃料施設」も「選別施設」も許可を取得済であり、、問題は無いことを告げていた。
更に「固形化燃料で温泉施設」も作っていたのであった。
どんな反対が有ろうが問題はなかったのである。
しかし、全てが九州福岡の人間を使って運営していたので、地元住民との繋がりが有るものもいたのであった。
そんな地元住民の従業員に、地元の川筋ものと言われるやくざとの関りを持つものが居たことも事実で有った。
其の地元同士の付き合いで、義理や金で縛られていたものが居たことには大畑信二取締役も気が付かなかった。
地元の川筋もの組織のやくざたちの本当の狙いは、大畑信二取締役たちが作った施設の乗っ取りであった。
一時、協力はするから、大畑信二たちの会社の役員に彼らは参加して、甘い汁を吸おうとしたことがあった。
それを断わられて、、しゃにむに反対してきたのであった。
彼ら、川筋ものにとって、大畑信二は邪魔だったのだ。
しかし、大畑信二は並外れた男だった、脅しも聞かない、金でも靡かない、、それなら反対して追い出そうとしたのであった。
それも上手く行かず、、焦っていた。
そして、ヤクザはヤクザである、、、最後は暴力しかなかった。
現場宿舎に泊まった晩に、大畑信二取締役は襲撃された。
一人に数十人が襲い、惨殺されたのであった。
会長は福岡のホテルに宿泊していたので命拾いをしたのであった。
横浜現場で、この話を聞いた乾五郎は心から怒った。
そして、横浜の現場は熊木徳兵衛に頼んで、乾五郎は横浜港から消えた。、、、
12)横浜から消えた乾五郎、、、
大畑信二取締役が九州福岡で殺されたという連絡を受けた横浜事業所では大騒ぎであった。その知らせを聞いた乾五郎は、横浜事業所から消えた。
後のことは横浜現場の仲間に頼んで、、五郎は旅にでたのである。
五郎は新幹線に乗り、九州博多に向かっていたのだった。五郎の性格では許せなかったのである、、、世の中の半端者のやくざが、市会議員になり、権力を振りかざして、正当な商いを阻害することを、、、
「ふざけれなよ、、、たかが田舎市会議員が権力者ぶって、、何様の積りだ、、、」
と、、五郎は腹の中で怒りまくった。
後先の事を考えずに、九州福岡に向かい、、その足で、処理施設の有る宮田町まで博多駅から電車に飛び乗った。
宮田町の最終処分施設で、建設機械の運転手を募集しているのを知っていた五郎は、面接に出かけた。。そして、住み込みで雇い入れてもらったのである。
面接をした担当者が「大久保誠一」であり、、今回の反逆者の一人だと知っていたので、「こいつか、、悪人面してやがる、、」と、、しみじみ眺めた。
乾五郎は一度も九州処理施設に来ていなかったので、誰も五郎を知らなかったのだった。
現場宿舎に行き、、泊まり込みの作業員から、現場事情を聴きだした五郎は、、早速、計画の準備をした。。。
勿論、大畑信二取締役を暗殺したした奴を、どう始末するか考えた。
今回のターゲットは「仇討の相手を」順番を決めて、抹殺して行くかを決めたのであった。
田舎ヤクザから、、暴力を盾にのし上った市会議員グループ3人、樋口剛一市会議長、田中勇三郎市会議員、そして、ヤクザ団体「協和会」の大内幸太郎会長たちのへの報復。
そして、株式会社興和の中からの反逆者4人への復讐を五郎は一人思いをめぐらした。
現場作業をしながら、五郎は下調べをしたのだった。
復讐相手の7人の動向を探り、、それぞれの癖を調べ上げて。。仇討の段取りをしたのである。
それぞれに、、恐怖心を植え付けるために、、市会議員グループと会社内部の反逆者を一人づつ始末していったのである。
最初に狙ったのは市会議長の樋口剛一であった。
樋口剛一が自宅の玄関に、吊るされて死んでいたのであったから、、小さな田舎町なので、大騒ぎになった。
続いて、二日目に、興和の現場事務所の入り口に大久保誠一が吊るされていた。
これで、小さな田舎町はパニックになって、、宮田警察署も動いたのであるが、、余りにも連続の殺人なので,事件に慣れていなかったので、、福岡警察署に応援を頼んだのだった。
そして、三日目には興和の最終処分場に興和の大久保誠一の部下であり、今回の反逆者の三人が首だけ出して埋められていた、、、勿論、殺されていた。
この話や、現実を見た、市会議員グループの田中勇三郎と、協和会会長の大内幸太郎は恐ろしく成り、、逃げ出す相談をしていたのだった。
しかし、逃げ出そうと相談していた夜に、、二人はその場で殺されたのだった。
今回は協和会事務所で、残忍な殺され方をしていた。。。
後に残った興和の社員や宮田町住民たちは、、口を揃えて「大畑信二の祟り」だと、、いうようになった。
福岡警察署と宮田警察署が合同で捜査をしたが、、犯人は捕まらなかったので、、なおさら、祟りと言われた。
五郎はその後も施設に残り、大畑信二取締りが残した業務をやり遂げた。
13)乾五郎、義を貫き、、大畑取締役の恩に報いる。
株式会社興和の大江戸祥子会長を迎えて、乾五郎は九州福岡の宮田町処理施設の立て直しを計った。乗っ取りを仕掛けた、悪行社員の4人が亡くなったので、、その代わりの責任者的現場社員が必要で有った。そのために、横浜事業所から古株の熊木徳兵衛と、流れ者で独り身の中川達夫を呼び寄せた。
五郎の考えでは、機械使いも旨く免許も取得していた上に、一人身でも有るので、中川達夫を選び、、現場責任者にと考えていた五郎であった。
ある期間は熊木徳兵衛を定期的に横浜と九州を管理して運営していき、、責任者を養成していく方針を立ててと、熊木徳兵衛と相談していた。
それらのすべては大江戸祥子会長とも相談してのことだった。
乾五郎は全ての段取りと引継ぎを済ませてから、、九州福岡の施設から一人旅立った、、というか消えたのである。彼が居なくなってから噂がたった。
今回の殺人事件は乾五郎が現れてから、全てが起きていたので、、彼の復讐劇ではないかと、、しかし、何一つ証拠はなかったので、噂は出たが疑うことはできなかった。
乾五郎は煩わしいことが嫌いだった、、自分が受け果たしたので、消えただけであった。
彼の人生訓は「食べていければいい、、」なだけであり、、人間同士が信頼しあって、義を分かち合える人間と共に生きて、歩んで行きたいだけであった。
そんな訳で、裏切りなどの行為は彼の心の中には皆無であっ。て、許せない生き方だった。
偏屈と言えば偏屈ではあるが、、助けてくれた人への恩は忘れない男だったのである、、、そんな生き方で、心休まる場所を求めてもいた。
そんなことで、洋々と広がる海が好きだったのであった。
欲望などといった感情はなく、、青い海原のように澄んだ海が好きな男だっただけであった。
そして、福岡岸壁から貨物船に乗り、、再び海への旅にでかけたのであった。
人付き合いが不器用ではあるが、男の道理を弁えた、今の世には珍しい男だった。
考えてみれば可笑しな話であった、、、復讐とか仇討とかいうけれど、、早い話が「人殺し」である。
やはり、「人殺し」に休まるところはなかったのである。
結局は一生、「逃亡者」であった。
因果な「さが」の持ち主であり、、どこまで行っても「人生の逃亡者」でしかなかった、五郎であった。
14)流れ者
五郎は海外の貨物船での旅をして、、再び日本の土を踏んだ。
五郎は所詮は「殺し屋」になっていた、恩義や義理の為とか言っても人殺しに変わりはなかった。どこまで行っても独りであり、孤独であった。
暖かい人のぬくもりを感じる場所などなかったのである。
そんな五郎は生きている限り逃げたのだ、、そして、人生からも逃げ出したのである。
北海道の冬の釧路に降り立った五郎は、港近くの大衆食堂に入った。
港で働く労働者「海の権蔵」であったが、生きるという活気を感じた五郎であった。
地元の刺身の丼飯を食べていたら、声を掛けて来た男が居たのである。
「兄さん、、流れ者だね、、もし、働くところがなかったら、俺の牧場で働かないか、、」と、、云われた五郎は無職だったので誘いに乗った。
そして、五郎はその男の後に付いて行き、北海道の雪原を走るための馬そりに乗った。五郎の他にも三人がの乗っていた、
北海道の冬は寒い、、真っ白な雪原を雪煙を上げ,りんりんと鈴を鳴らしながら走った。
まるで何もない真っ白なキャンパスに、色を塗りながらのような雪模様であった。
今までの真っ赤な色が消えるような、、ある筈がない思いを浮かべながら、、、
雪深い牧場に着いた。
案内してくれた男は「大熊茂雄」と名乗り、、案内された「大熊牧場の持ち主」であった。
然程に、裕福そうな牧場には見えなかったが、、大熊茂雄が純穆な男に見えて五郎で。。
世話に成ることにした。
そして、大熊茂雄が、、、「うちは貧乏牧場ではあるが、、いい馬がいるので夢があるんだ、、
手伝って欲しい、、」と、、頼むのだった。
そして、、「自慢の自家用温泉があるから、、お風呂だけいつでも、目いっぱい入って欲しい」と、、言うところに、大熊茂雄の恋女房「実子」が顔を出して、、
「こんな田舎まで、お疲れ様です、、」と、寒い雪の中で笑顔を見せて、出迎えてくれた。
そして、五郎たち4人は自前の温泉に入った、その暖かい湯煙の中で、五郎はひと時の癒しを覚えた。
しばらく、五郎は雪景色を見ながら、ゆっくりはいれる温泉に体を委ねながら、大熊牧場で働くことに決めたのであった。
16)大熊牧場、詐欺に合う
乾五郎たちが雇われてから1か月が経ち、、給料日が来た。牧場主の「大熊茂雄」が慌てて,馬の市から戻って来た、、そして、妻の実子と話をしていたのを聞いていた五郎であったが、内容については誰にも話すことはしなかったのである。
夢のあるサラブレット5頭の仔馬のうち、今日の馬の市で一頭だけを売却してきたのであったが、仲介に入ったバイヤーに騙されて、売った「1000万円」を持ち逃げされたのであった。
最初に牧場主の大熊茂雄が言った通り、貧乏牧場なので資金に余裕が無くて、今日の給料は払えないので、一日待って欲しいと言ってきたのである。。
五郎や、元の社員は了解したが、新規で入って来た3人の社員たちは、今度、給料を貰ったら辞めると言い出した。仕方のないことではあった。
次の日に3人の新規社員は給料を受け取って、辞めていったのである。
そして、、いろいろ都合があって、借り入れは上手く行かずに、、五郎と元からの社員は給料の一部だけで、、もう少し待って欲しいと言ってきた。
古くからいる社員たちは、何となく、分かっていたようだった、、給料が遅配することは、、、
いつものことと、、、しかし、大熊夫妻の人の好さで、更には、今、育てている仔馬に夢をかけていようだった。
大熊茂雄の馬に対する愛情の深さに、、思いやりに曳かれてもいたのである。
五郎は最終的には「食べれればいい」の考え方と、、この牧場に来て、間もないが、なんとなく人の好さを感じたのであった。
それで、、いいと思ったのである。
そして、大熊牧場主が聞いた、、「乾さん、こんな貧乏牧場だけど、いいですか、、」と、、、
五郎は答えた、、「いや、、いいですよ、、私は仕事が出来て、三度の飯が食えれば、文句はありませんよ、、気にしないで使ってください、、」と、、、
そして、五郎は次の日から、朝4時から起きて、辞めた社員の分まで、夜も遅くまで動いた。
古くからいた社員たちもびっくりしていたのだった。
そして、牧場主の大熊夫妻は食事のたびに、、「五郎さん、ありがとう、、ほんとうにありがとう」と、、頭を下げていた。
兎に角、五郎は朝から晩までよく動き、働いたのである。
17)五郎、雑役から競走馬の飼育まで、
五郎はよく働いた、、、動くことが苦にならない男でもあった。そして、牧場主の大熊茂雄は五郎に馬の飼育を教え始めたのである。憶えの早い五郎は,、はたで見ていると、馬に好かれているようだった。とにかく五郎も馬が好きだったのである。馬と一緒に生活していると、五郎も馬の気持ちが理解できるようになっていった。
懐いてくる馬たちは可愛かったのだ、、特に仔馬たちは可愛くて仕方がなかった。
そして、寒い冬も終わり、、雪解けが始まり、、牧場の草原は緑いっぱいになって行った。
五郎は調教師の大川善次郎に好かれていたというよりいた。今まで4人でしていた雑役を朝早くから夜遅くまで働いて、一人でこなしていたのであった、、、
雪も無くなり、、緑の草原を馬で調教しながら、五郎に、、、「五郎さん、、今度、馬に乗ってみるか、、、」と、、声を掛けられ、、、
「いいんですか、、はい、、乗ってみたいですね、、」五郎は久しぶりに笑顔を見せた。
そして、忙しい雑役の間に調教師の大川善次郎が指導してくれた。また、大川善次郎の孫娘「真澄」からも、善次郎が忙しい時には教えてもらっていた。
雑役の仕事は牧場主の大熊茂雄が朝も4時から、一緒に汗を流してくれていた。
いつも五郎に感謝をしていたのである、、夜も遅くまで仕事が続いたので、温泉は毎晩、一緒だった。
しかし、話はいつも大熊茂雄からであり、、五郎は過去を話したがらなかったのであった。。。また、大熊茂雄も聞かなかったのである。
話題はいつも、馬のことであり、、五郎は乗馬に夢中であり、馬と一緒にいることが楽しいのであった。
夜の北海道の湯けむりの中で、過ぎた時の懐かしい人たちを思い出していたのである。
18)湯けむりの中で、、北の天地のこの場所で
五郎は人生の流旅で、この雪の大地で、馬と一緒に、これから先も居たいと思うように成ってきた。
仕事はどんなに強つくても、忙しくても平気で楽しく過ごせる五郎であった、、、そして、、牧場主の大熊茂雄が良くしてくれた、更に、今働いている仲間が素敵だった。五郎は何よりも馬が好きだった。
懐いてくれる馬たちが可愛いかったんである。
出来れば、五郎はこの北の大地に骨を埋めたかった、そんな気持ちになってきたのであった。
朝早くから牧場主の大熊茂雄と馬の面倒を見て、、午後の許す時間の範囲で馬たちにも乗れる楽しみが五郎の心の癒しであった。
そして、乗馬にも慣れ、、調教師の大川善次郎からも手ほどきを受けて、馬の調教を手伝うようになった。
五郎は馬と一緒の時が一番楽しかったうえにうれしかった。
一日が終わり、大熊牧場の温泉に入るひと時が、なんとも言えない喜びであったのである。
温泉の湯けむりに当たりながら、、沈む夕日が見られるときは心が休めた,、そして、北海道に来て、大熊牧場で働けることに、感謝していたのである。
19)牧場主、大熊茂雄襲われる
大熊牧場は狙われていた。温泉が出て、大草原の夕日が綺麗なところであり、、釧路湿原の近くでもあったために、、観光地に適していた。レジャーホテルを創れば、それだけで温泉保養地になるのであった。
そんな大熊牧場に目を付けた、地元の観光ホテル業者が何度も交渉に来ていたのである。
しかし、大熊茂雄はその申し入れを断ったいた。そのための、嫌がらせというか出来る限りの妨害をされてきたのであった。
その観光ホテルの経営者は地元の権力者であり、、もとはと言えば、地元愚連隊の成り上がりであった。何でも人は「金」で動くと思い、、地元町会議員を「暴力と金」の力にものを言わせて、抑え込んでいたのである。地方の町なので、誰しも「暴力」は嫌であり、、怖かった。
それをいいことにして、、自由奔放に振舞っていたのである。
しかし、大熊茂雄は玩として、言いなりにはならなかったのが、、気に食わず、地元の一行しかない信用金庫にも圧力をかけていた。
その為に、大熊牧場は資金面でも邪魔をされ続けていたが、、大熊茂雄は耐えて、必死に頑張っていた。
その事情を知っている、調教師の大川善次郎は協力をしていたのである。彼も又、偏屈者であるために権力者に屈することは無く、大熊茂雄を助けたいた。
競馬馬の市場にも圧力をかけていたために、仲買人も「暴力」に脅されて、大熊牧場の馬を競り落とさなかったのである、、いい馬であることは分かっていても、悪徳やくざの暴力は怖かったのであった。
その話を聞いた五郎は牧場主の大熊茂雄と相談して、2,3日の休みを取って、、東京へ出かけた。
五郎も大熊茂雄の育てている競走馬はいいことを知っていたので、、、
東京で海運会社を経営している、馬好きな「馬主」を知っていたので、久しぶりに会いにいった。
五郎としては助けた人に、ものを頼むのは自分の生き方に反してはいたが、、大熊茂雄たちを見ていたら、、五郎の性格では動かざるしかなかった。
三峰海運株式会社の三峰会長を訪ねたのであった。連絡は取ってはおいたが、、快く時間を取ってくれた。
「しばらくだね、、元気だったかな、、あなたには世話に成ったままで、お礼も出来ず、すいませんでした、、ところで、私に頼みとは何かな、、」と、、
そして、「あなたが頼みとは余程のことだね、、大概は聞きますよ、、私の命の恩人ですから、、」と言いながら、懐かしく、尋ねてくれたことに感謝したのだった。
五郎が尋ねた理由を話したのである。
三峰会長は五郎の頼みを聞いてくれて、、必要な現金を用意してくれた。
「分かりました、、その牧場の仔馬5頭を買いましょう、、馬は見なくてもいいですよ、私はあなたに投資しますから、、どうぞ、使ってください。」
五郎が指定する銀行に「一頭1000万で5千万、そして、あなたに5千万で合計1億円」を振り込んでくれた。
事情を聴いた三峰会長は地元の信用金庫よりは釧路市内の大手銀行がいいと言ってくれて、紹介もしてくれたのであった。
三峰会長の紹介で、大熊茂雄牧場主に釧路まで行ってもらい、即座に口座が開設されたのであった。
連絡を取った大熊牧場主は泣きじゃくていた、、電話口でも分かったのであった。
そして、五郎はこれから帰ることを告げた。三峰会長に礼を尽くして五郎は別れを告げて、釧路に向かった。
20)地元やくざの権田誠三、、、焦って来たような、、
観光ホテル経営の暴力団、、自称「やくざ」の権田誠三はいくら交渉しても、脅しても、嫌がらせをしても拉致の厭かない「大熊牧場」の買収りが出てきたのであった。
権田誠三は不思議に思っていた、、あれだけ嫌がらせをしたり、銀行の融資を邪魔して上に、競り市まで出来ないようにしているのに、何故,根を挙げないのかと、、、
興信所まで雇い、調べたのであった。
その結果、大熊牧場にいる「乾五郎」という男の知り合いが、資金的な援助をしたり、競馬馬を購入していることが分かった。
ただ、援助をしているらしいという噂で、誰がと云うところまでは分かっていなかったようだった。。それは乾五郎が秘密裏に動いていたので、、
その話を聞いてから、権田誠三は田舎ヤクザの哀しさからか、、情報不足からか、軽挙な行動をしたのであった。
権田誠三は「暴力」に訴えたのである。
ある日、荒くれな男たちを数人連れて、大熊牧場に押しかけて来たのであった。そして、大熊茂雄に暴力を振るい、捻じ伏せて云った。
「おい、、大久保、いつまでも、俺の買収に応じないのなら、、今度はお前だけじゃなく、奥さんやあんたの子供達にも、泣きを見てもらうぞ、、」と、、脅してきたのだった。
「ふざけるな、、誰があんたになんか売るものか、、やれるものならやってみな、、」と、、大熊茂雄も強気だった。
それで、相手は愚連隊上がりの無法者、、大久保茂雄をよってたかって、殴りつけて来たのである。
大川善次郎から調教の教えを受けていた、乾五郎が乗った馬と一緒に権田誠三に襲い掛かってきたので、、彼らは驚いて、怯んだ。
馬から降りた五郎が、、「お前ら、やくざか、、悪なら相手してやるよ、、」と、、馬から降りるなりに、あっという間に二人を投げ飛ばした。そして、残りの男達も捻じ伏せた。
投げ飛ばされた中に、権田誠三もいて、、
「この野郎、、俺を誰だと思っているんだ、、」と、、尻餅付いている男が威勢よく怒鳴った。
「いいえ、、分かりません、、どこの田舎ヤクザですか、、」と、、少々、馬鹿にした言い方をしてしまった五郎であった。
それを見ていた大熊茂雄の奥さんたちが薄笑いを浮かべていた、、大久保茂雄の子供たちも喜んでいたようだった。
「覚えてろよ、、ただで済むと思うなよ、、」と、、言いながら、車に乗って、帰って行った。
そして、乾五郎は大久保茂雄牧場主に謝った。
「すいません、、余計なことをしてしまい、、本当にすいませんでした、、」と、、頭を下げたのである。
「いいよ、、五郎さん、、いつかはぶつかるのだから、、早いか遅いかだよ、、気にしないで下さい、、貴方にはお世話に成るだけで、、何も出来ないけど、、いつまでもいてください、、」
と、、奥さんと一緒に礼を云われた。
「私、すっとしたわ、、五郎さんありがとう、、」と、、感謝してくれた。
子供達も「五郎おじさん、、強いね、、かっこいい、、いつまでも居てね、、」と、、抱き付いて来たのだった。
21)いよいよ、中央競馬への出場
大熊牧場の若馬2棟「シゲホープ」と「ジツホマレ」が、中央競馬での出場が決まった。
三峰海運(株)の三峰会長の紹介で、中央競馬会の大友厩舎の監理でシゲホープとジツホマレを調教することになり、東京府中まで搬送することになったのである。
競走馬を搬送する運送会社は乾五郎が、以前に勤務して知っていた「白根運送」に頼んでいた。
白根運送の白根社長は極道をしていた頃に、乾五郎とは命を張った喧嘩をしていたので、その五郎の男気に惚れての付き合いであった。
連絡をした時に、「おう、、五郎か、、元気だったか、、、そうか、、生きてたか、、」
と、、気さくに応対してくれた。
そして、競走馬の運送を引き受てくれたのであった。
「北海道にいるのか、、会いたいな、、一度、会いに行くよ、、」と、、言いながら、日時が決まったら連絡してくれ、、最初は俺も行くからと、、、
そして、白根雄太社長は来てくれた。
乾五郎は懐かしく、、彼を出迎えて、、大熊牧場主を紹介した。
白根雄太は馬を見て、、「いい馬だ、、これなら走るだろう、、、楽しみだな、、五郎、」
と、、元気に働く五郎を見て、喜び、安心したのだった。
白根雄太が着いた日は、大熊牧場の歓迎を受けて、夜は自慢の温泉で楽しいひと時を過ごした。
「五郎、、心配してたよ、、でも、良かった、、いいところだな、、これからは俺もちょくちょく来るから、、馬と温泉、、そして、お前に会いにな、、あはっあはっ、、」と、、笑いが絶えなかった。
そして、翌朝、白根雄太は大熊茂雄牧場主に「確かに、預かりましたよ、、府中まで無事に届けますから、、安心してください、、、」と、、白根雄太は五郎から聞いていた邪魔者の話も承知していたので、、心配しないで下さいと言いたかったのである。
「雄太さん、、宜しくお願いします、、」五郎は送り出した、
「ああ、、五郎、、任せておけよ、、この馬たちが走る時には出て来いよ、、、じゃあな、、」と、、雄太のトラックは走っていった。
白根雄太なら安心出来た五郎であった。
トラックが出て行った後で、、「五郎さんは凄いですね、、いろいろな知り合いがいて、、本当に助かります、、ありがとうございます、、いつも女房と話をしてるんですよ、、」と、、
感謝しながら話掛けて来た。
北海道の秋は早かった、、早朝だと少し肌寒く成って来て、、送り出した2頭の若馬に思いが行き、楽しみでもあるが、別れが寂しかった。
来年の春には育てた、残る3頭も旅立って行くのであった、、櫻咲くころの別れになるだろう。
今年生まれた仔馬もいつか旅立つが、元気で無事に育って欲しいと願う大熊夫妻であった。
五郎も馬が可愛くて、手放すのが辛かったが、、やはり、馬たちの無事を願ったのである。
22)白根雄太の競走馬、搬送車襲われる。。
大熊牧場を出発した、白根雄太社長から電話が入った。
「もしもし、、五郎か、、お前の言うとりに、田舎ヤクザたちが襲って来たよ、、良かったよ、、準備しておいて、、俺の方も屈強な奴を4人用意していたのでな、、蹴散らしてやったから、、丁度、日高街道に出る前の山道でな、、、これからは俺だけ戻るよ、、」
と、、言って電話を切った。
そうか、、やっぱりな、、と、、五郎も思ったのであった。
五郎は大熊茂雄牧場主に事情を話して、二頭の競走馬は今、府中に向かっていることを伝えた。
そして、白根雄太だけが二人の社員を連れて戻ってくることも話した。
五郎は白根雄太が元は極道だったことを伝えて、権田誠三に今回の襲撃の「脅し前」を付けると戻って来ることも伝えた。
今回の権田誠三に対しての「脅し前」は、大熊牧場としてでは無く、運搬している「白根運送」としてあるから、心配はしないでくれとも言われていると、、
その辺の事情は五郎も良く説明をしておいた。
そして、白根雄太社長たち3人は3時ごろに戻って来たのである。
「大久保社長、、馬は大丈夫ですから、、責任を持って移送していますので、、、今回の襲撃に関しては白根運送としてのケジメですから、、大熊社長には迷惑が掛からないように処理します。心配しないでください、、」と、、言ってくれた。
「これから、権田誠三に会いに行ってきますので、道案内に五郎を連れて行きたいのですが、、
いいですか、、」と、、聞かれた。
五郎が自分から「大熊社長、お願いします、、行かせて下さい、、私にも責任があるので、、お願いします、、」と、、頭を下げた。
「五郎さん、、何を云うですか、、いいも悪いもありませんよ、、私が行くべきなのですから、
宜しくお願いします、、」と、言うことになり、五郎たちは出かけた。
権田誠三の会社に向かう、車の中で「五郎、、この野郎、いい気になってるから、この辺でケリを着けてやろうと思う、、」と、、言いながら。。
「今までのお前なら、、あんな野郎は、とっくに消えてるよ、、良く、辛抱したな、、今回の決着は俺に任せてけよ、、いいな、、」と、、二人で話しているうちに、権田誠三の会社に着いた。
白根雄太が権田ビルの入り口で、、ドアを開けるなり、、用意していたライフルを撃ち込んだ。
勿論、威嚇もあったが、、「おい、、権田は居るか、、出て来い、、田舎ヤクザ、、覚悟しろよ」と、、怒鳴りながら、連れて行った二人もライフルを乱射したのだった、
奥の部屋からひげ面の男が真っ青になって、出て来た、、「てめえが、権田か、、死ねや、」と言って、脚に一発撃ち込んだのだった。
「この野郎,、良くも洒落た真似をしてくれたな、、お前には覚悟があっての事だろうな
この脅し前は高くつくぞ、、いいか、、覚悟を決めて返答しろよ、、」
「権田、お前が相手しているのは、関東連合会辰巳会の本部だからな、、お前のような田舎ヤクザの命が幾つあっても、足りないと覚悟しろよ。。」と、、白根雄太は啖呵を切ったのである。
権田の事務所にいた連中はライフルの乱射で震え挙がり、その上の白根雄太の啖呵で、更に、震え上がってしまった。
五郎は内心思った,、「そこまで脅さなくてもいいのでは無いか」と、、然し、白根雄太も一度切った啖呵は呑み込めなくなっていた。
そこで、五郎が助け舟を出した。
「まあまあ、、少し、待ってください、、話合いをしましょう」と、、
撃たれている、、権田は大人しかった。
「勘弁してください、、何でも聞きますので、、命は助けて下さい」と、、泣きが入っていたのである、後ろ盾のない愚連隊上がりの権田には、効き目があり過ぎたのであった。銃弾を撃ち込まれ、日本有数の暴力団が出て来ては、地方の権田では太刀打ちが出来ないことを、、、
そして、応急処置をした、権田誠三との話し合いがされた、話合いというよりは一方的な条件が白根雄太社長から云われたのである。
23)権田誠三はヤクザは名乗らない、、
権田誠三は脚を撃ち抜かれ、しり込みしてしていたのである、、そして,白根雄太社長に威嚇されて、関東連合会辰巳会から電話が入ったのであった。そして,日を改めて権田誠三を呼び出したのである。
それだけで、権田誠三は白根雄太の言いなりになってしまった。
そして、今後一切、暴力団の肩書は使うな、、大熊牧場には手を出さないと,誓約をさせられたのである。少しでも、権田誠三に暴力沙汰の話が有ったり、起こしたりした時には、、
「権田、、いいな、、お前の命は亡くなるからな、、」とまで、脅かされた。
ライフルを撃つ困れ、脚まで撃ち抜かれた権田は腰を抜かしてたのであるから、、
何も言えなかった。
「いいか、権田、、これ以上は何もしないから、心配するな、、堅気で商売をしろよ、、
見てるからな、、」と、言いながら。。
「ここにいる、、乾五郎を甘く見るなよ、、全国の極道から恐れられている、怖い人だからな、、
お前らが100人束になっても叶わないぞ、、」と、捨て台詞を残して引き上げていた。
その後、権田誠三は静かになり、、人が変わったように、五郎の元を度々、訪ねて来たのである。
乾五郎はやっと、安住の地を見つけた。
第二話「野良犬の遠吠え」
野良犬の遠吠え」。。。。
1.ぼやき探偵登場
東京の下町,王子の駅前路地に事務所を構えている、探偵「大光寺大洋」は35歳で、警視庁捜査一課のエリート刑事だった。
しかし、ある大物政治家の贈収賄事件で誤認捜査の結果責任を取らされて、辞職した。
熱血刑事であったが、余りにも走りすぎて、大きなミスをしたのであった。
余りにも理不尽な警察の対応に呆れて、自分から警察を見限ったような。。。
そして、野に下り、探偵事務所を開いたのであった。
大光寺大洋は世の中の悪事を取り締まり、安心した国民生活を送るために、警察は必要だと信じていた。
しかし、京都大学を卒業してから警視庁に就職して、正義感に燃えていた、大げさに言えば、自分一人で世の中の不正に立ち向かっていたような気がした。
大学を卒業してから、警察官僚の道を歩んでいた。13年間、疑いもしないで不正に、悪時に立ち向かい、犯人検挙、事件解決に努力してきたのであった。
しかし、3年前に起きた贈収賄事件で、談合を見つけ、捜査をしているうちに不信に、不合理に気が付き追及していったら、捜査途中で警視庁上層部から突然「捜査打ち切り」の指示が出た。
大光寺大洋警部補は、捜査を担当していて、最終的責任者の逮捕までたどり着いていたのであった。
第一土木建設株式会社の不正入札を追い詰め、証拠固めをしている最中であった。
それを突然に、捜査中止の命令が出され、特捜班は解散させられた。
その捜査の中心的位置で、指揮を執っていたので、大光寺大洋警部補は上層部に食いついていった。
その結果、責任を押し付けられ、出世コースから遠く外されて、地方警察に転勤命令が出たのであった。しかし、大光寺大洋は意に従わず、退職したのであった。
そして、探偵事務所を開いた。当初は仕事もなかったので、自分が手掛けた談合、贈収賄事件を調べてみた。性格上、納得いくまでやり遂げることを旨としていたのであった。
そして、捜査中止が出た事件であったが、その後に面白い展開を見せた。
2.事件開帳
大光寺大洋は仕事がまだ依頼されていなかったので、自分が最後に担当した贈収賄事件を調べてみた。あと一歩で、大物政治家党幹事長の水野忠助の逮捕までこぎつけながら、捜査中止になった経緯を突き詰めてみた。
何処で、誰が、誰の命令で中止になったか、ひとつひとつ、当時の捜査資料を追ってみた。勿論、正式な捜査資料はなかったが、自分の捜査手帳と自分の知ってる限りの記憶を辿ってみた。
捜査は警視庁特別捜査班の責任者までは、資料がすべて上がつていた。そして、特別捜査班では担当刑事が、もう少しのところまで、証拠を揃えていた。
大光寺大洋、当時警部補たちが贈収賄側の第一土木建設株式会社の担当経理課長を追及して承認を得るまでに至ったが、警視庁特別班に向かう途中で事故に遭い、入院してしまった。
その後、経理担当係長の堤三郎は口を閉じてしまった。二度と証言は取れなかった。
その事件があってから、警視庁刑事部長の鈴木一郎から担当捜査班に捜査中止の命令が出されたのであった。
大光寺大洋は担当上司を通して、警視庁上層部に申し建てをしたが無駄だった。そして、退職したのであった。
退職した後も、大光寺大洋は執拗に、仲間や関係各所を調べて歩いた。そんなある日、彼は暴漢に襲われた。
自宅アパートでの睡眠中のことで、暴漢二人に殴る,蹴るを繰り返して襲われて、大怪我をしたのであった。
肋骨に罅が入り、片足を折られてたのであった。救急車で運ばれて、2か月入院した。
その後は方法手段を考えて行動しようと思った。
しかし、事件を経験してから彼は燃えた。必ず、彼らの悪事を暴いて、世の中に晒してやると。。。。。
半ば、社会悪に対して復讐をしてやると血が燃えたのであった。
3.燃える大光寺大洋
入院生活を終えた大光寺大洋は2か月振りに実家に戻った。
実家は京都府の丹波で、山々に囲まれ、丹波栗の産地で田舎風情の漂う村であった。
久しぶりに会う家族とともに、のんびりと体を癒した。一日中、田舎道を散歩したり、ゆっくりお風呂に入ったり、日当たりがいいので日光欲をしていた。
三度の食事付きで、たっぷり両親の愛情に触れて、このまま田舎暮らしをしようとか思ったが、、、、
身体の調子も良くなり、精神的にも元気を取り戻した大洋は
東京に戻って、やり残したことを仕上げようと考えだした。
大洋の性格では我慢が、辛抱が出来なかつたのであった。
自分なりの独自の捜査をしている途中で、暴漢に襲われ、捜査を諦めることは出来なかった。
復讐ではないが、やられぱっなしでは気が済まなかった上に、暴力で屈服させれば、身を引くと、黙ると思われることに我慢ができなかった。
そして、体調も良くなり、気分も良くなったので、東京へ戻った。
大洋は世の中の反勢力、社会悪を、悪行と思わずに活動している連中と戦うには、自分の住まいを砦化して、寝ていて襲われても助かる方法を考えた。今回の狙撃を考えてのことであった。
これからも、反勢力や権力者と戦っていくには防御態勢も作っておかないと、、、、
東京に戻った大洋は、まず、砦化するにふさわしい住まい探しをした。
そして、大洋の希望条件に合う古いビルを見つけた。以前は鉄工所の工場であったが、2階が事務所兼住まいだった
今は後継者がいなく閉鎖しており、その所有者と会うことができた。
出来れば買い取って欲しいということだったが、資金的に足りずに借りることにした。しかし、所有者の行為により分割で譲ってくれることになった。
そして、大洋は改造に取り掛かった。
初めから砦化するつもりで、堅固に作り、逃げ道も用意して、自分の思うような外見は工場、中身は戦闘可能な要塞に作り上げた。仕上がった自分の住まい、我城に満足した。
4.戦闘開始、、、、大光寺大洋
大光寺大洋は体も元に戻り、社会悪に挑戦するための砦、わが城も用意が出来たので、いよいよ行動開始をした。
手始めにすることは、
警視庁時代に手掛けていた談合贈収賄事件だった。警察時代は上層部から捜査中止が出たが、今度は何の規制ももなく、自分の思う通りの捜査が出来た。
大洋は覚悟していた、必ず、捜査妨害、邪魔が入ると、、、
其のためにも個人生活を知られない方がいいと思い、行動は出来るだけ秘密裏に捜査した。
それでも関係者の捜査になれば、自然に先方、敵方に伝わる筈だった。
今回の贈収賄事件の片割れ、増収側の第一建設土木の係長、堤三郎は自殺してしまったが、その係長周辺から執拗に調査を始めた。
談合贈収賄事件の中心人物であり、影の黒幕でもある、水野忠助を表舞台に引きずり出し、法的制裁をしなければ、大洋は納得しなかった。
世間一般のありきたりの法的判決で済まされては堪らない。会社を巻き込み、関係者を死に追いこみ、社会的な不正をしておきながら、平然と日常を生活していることに我慢が出来なかったのであった。
会社に損害を与え、人の命を奪ってもも、今もって社会的な権力を保ち、次の経済的悪商をやろうといている、悪ともいうべき人物を放置していては、法治国家の恥である。
だから、中途半端な悪行に対する裁きでは許されないのであった。
そのために、大物政治家で世の中の大悪でもある、水野忠助の不正、前からの不正を全て暴かなくてはならなかった。
そのための証拠固めには、大洋はあらゆるコネを使い、危険をともなつた調査もした。
そして、水野忠助のあらゆる人間関係を調べた、追跡をした。
大光寺大洋は警視庁時代の仲間で、今は警視庁資料室の室長大野雅代からも必要に応じて参考資料を入手していた。大野は警視庁時代から、大光寺大洋には行為を寄せていたので、仕事に真摯に当たっていた大洋を尊敬もしていた。
また、大東新聞の警視庁詰めの社会部記者、高田茂とも今だに交友があり、時には情報を得ていた。そして、高田茂に迷惑が掛からない程度の連絡をしていた。
そして、警視庁時代の街の情報ごろとも、付き合いを保ち、情報収集をしていた。
大光寺大洋なりに情報を集め、時には尾行、張り込み踏査もしていた。
いろいろな人々から、場所から情報を得ていたので、時には相手仲間に迷惑をかけていた。また、危険負担をしていたようだ。
しかし、何かあつても大洋に愚痴を零すような奴はいなかつた。逆に、社会悪に立ち向かっている大洋に協力をしていた。
表立っての力貸しは出来なかつたが、陰ひなたで応援してくれていた。
そんなこともあつて、徐々に水野忠助の行状が分かってきて、その中の情報行動には不審な点が多かった。
最近特に金の流れに不審な点が見つかり、その足跡を追跡した。
5.金の流れ、、、女道楽の道が。。。
大光寺大洋はいろいろ情報を集めて、水野忠助に迫っていった。なかでも女好きな水野忠助には隙があるように見えて、なかなかボロを出さなかった。誰が見ても、銀座にあるクラブ「赤いバラ」のオーナーは間違いなく水野忠助なのであるが
金の流れ、資金的な不正が見つからなかった。
巧妙に仕組まれているようだった。水野忠助の経理担当の大槻公認会計士が全てを動かしている。
そして、すべてが会社経営という名目で代表取締役が違い、それぞれに営業活動をしていた。その資金の流れに不正はなく、まったく隙が無かったのである。
しかし、間違いなく金は流れて、動いている。巧みな経理処理をしていた。
そして、その処理を担当しているものが、水野忠助に関わる金庫番が一人いた。他人との付き合いがない。
そのために水野忠助の金の流用の情報が得られなかった。
また、担当している外山計理士は独身で、仕事以外に、数字以外に興味がなく、数字のトリックに付かれていた。
大槻公認会計士も適任者を担当させていた。
そんな訳で経理の不正というか、遊び金の流れは掴めなかった。
調査によれば、その都度、現金祓いをしていたようだった。
従って、個人の財布の中身を調べていくより仕方がなかった。
始末の悪い、遊び上手な、賢い男だった。
水野忠助については別の金の流用を、金の集めかた、使い方を見つけなくてはならなかった。
大光寺大洋は必ず見つけてやる、水野忠助の泣き所をと、、、
あらゆる情報を集めた。仕事に絡んだ談合、贈収賄リベート。利権に絡んだあらゆる謝礼金、コンサルタント料金、パーティーに絡んだ上納金など、あらゆる政治家特典を調べ上げていった。
その調査過程で水野忠助サイドから横槍が入ったり、嫌がらせが横行した。しかし、目げなかった。
水野忠助を失脚させるにはよほどの失態を見つけ、証拠固めをしないと、、、、
そんななかで、大洋は古い事件だけど見つけた。
水野忠助の失態を、、、若い時のことなので、覆い隠せなかったのであった。
水野忠助の地元選挙区でのことであった。
6.地元選挙区での失態
水野忠助の選挙区は栃木県佐野市であった。その地元で選挙運動中に若かりし頃
間違いを起こした。
選挙民と酒宴の時に、地元と安心したのか、車の運転をしてしまったのであった。
自宅の近くの田舎道で、自転車に乗った女性と衝突をして、気が付いたら車の前で倒れていた。
水野忠助は慌てた。そしてしまった.。。とも、思った。
そこへ町内で親戚筋の酒井和男が通りかかり、兎に角、怪我をしているようだから、病院へ連れて行こうということで。。。
病院へ連れていき手当てをしてもらった。足の骨が折れたみたいなので、入院をさせた。
水野忠助は選挙中でもあり、本当に困ってしまった。
親戚筋の酒井和男に頼むことにした。頭を下げ、それ相応の謝礼金を渡すことで身代わりをして貰うことにした。
誰も見ている人は無く、本人も気を失っていたので。。。もみ消しを頼んだ。
若い時から人に責任を押し付け、自分は何でも金で後始末をしていたようだ。
その時の事故も全て金で処理し、自分は身を守っていたのであった。
その後、親戚筋の酒井和男は金に困って、何度か無心していた。
しかし、事故から20年が経ち、水野忠助も大物政治家と言われるようになったら、事故のことや世話になったことなどすっかり忘れてしまっていた。
そして、酒井和男がうるさくなり、煩わしくなってきた。そこで、裏世界の人間との関わりもあることから、その人間たちを使って処理をした。
処理というと、酒井和男もその後、事故を起こして経済的にも困り、さらには体にも支障をきたし、入院したままであった。口が聴けなくなってしまったのであった。
水野忠助の非情な仕打ちに誰も文句を言えなかったのであった。
水野忠助は自分が都合が悪くなると、冷徹にも抹殺してしまうのであった。
その事実を掴んだ大光寺大洋は証拠固めをした。それ以外にも日常茶飯事の出来事で
横暴な言動を集めた。
7.水野忠助の横暴、自分の都合で
大光寺大洋は水野忠助を刑事事件で告発するための事件資料をまとめた。
20年は経過したけど、地元での選挙期間中に交通事故を起こして、身代わり事故届けを出して処理したこと。この件では刑事事件を隠蔽して、虚偽の申告をしたこと。そして、さらにその隠蔽事故を隠すために、身代わりに立てた「地元選挙民の酒井和男」を襲い、不治の体にしてしまい、その事故を有耶無耶にした疑い。
この一連の隠蔽工作は法治国家の立法を冒涜したことに他ならない。
すなわち刑事事件の隠蔽という、法律を無視した行為は、日本の政治に携わるものとして、犯してはならない行為である。速やかに政治家を辞任すところであり、法律を守るべき者がとるべき行動ではない。
その点においても行政を司るものとしての資質を疑い、責任を取るべきである。
以上の点から、政治家として、国会議員として、査問会で尋問をするべきである。
其の他、国民に対しての暴言挙動、選挙民に対し当選してしまえば、お大臣という、国民に対する格差感覚が露骨であり、人間失格であると考えて、大光寺大洋は常識ある報道に訴えたのであった。
この大洋のデモンストレーション的な行動は、一般国民に支えられ、地元選挙民の間でも問題になつた。
そして、良識ある国民によって、水野忠助は失脚していった。
いつもの水野忠助の、大光寺大洋に対する特異な嫌がらせ、報復は無かった。
大衆、世の中の国民の声、民意は通つたのであった。
8.大光寺大洋の正義
大光寺大洋の今回の社会悪に対する戦いは、世の中の弱者に勇気づけたものがあった。
今の世の中、長いものには巻かれろの風習が多いような、、、自分に覆い被さるような災難でなければ、見て見ぬふりのような、、、、
しかし、大光寺大洋のように、何の力もないものが、一人で権力者、金権者に立ち向い「正義」を振りかざし、勝利したことが世間の弱気者に、芯の勇気を見せたようだ。
大光寺大洋の噂はひろまり、不平不安を持っている人々から、地域から相談が寄せられた。
しかし、水野忠助たち、他の権力者、金権者たちは面白くなかった。金を持ち、グループを組織を組んで、世の中を動かしていると思っている人間たち、世の中は自分たちのもののような顔をしている連中が動いた。
冗談言うなよ、、、今回のような事件はあっても、今までは潰してきたと豪語している連中が黙ってはいなかった。
この世は成功者たちが作った道を誰しもが歩き、一般人は力ある者の言いなりに、、、そう信じている連中が反旗を翻したのであった。
そんなことから、世間から英雄視された大光寺大洋に対しての風当たりは強くなった。
彼に味方してくれる人種は世の中の弱気者、、、力を持たない人間だ、、、大にして情報には限りがあり、今までのようには情報が入りづらくなった。
そして、時には邪魔が入り、嫌がらせも、、、また、大光寺大洋を罠に嵌めるような情報も入ってきた。
大洋は考えた、、、、もっともっと、世の中の汚れた渦の中にも入り込んでいかないと、上には上をいかないとと、、、、
人間、狡く、賢くなり、罠にも罹った振りをしていかないとダメなんだと思うようになった。
警視庁仲間の、現在資料室室長をしている、大野雅代と会った時に言われた。
「大洋、、、あなたは正直すぎるから、、、もっともっと、狡賢くなりなよ、、」と。。。
そして、
「人を信用することはいいことだけど、、、信用することもほどほどにと」
そうかも知れないと、反省する大洋だった。
また、大東新聞の大学同級生の高田茂からも、、、
「余計なことを話すな、、、情報を得るためだろうが、もう少し、用心しろ。。」
と注意された。
「お前の情報は洩れる、、、だから、注意しろよ、、敵方に逆手に取られ、利用されているからな。。。」
大洋はいつもながらに二人には感謝していた。
大洋は思った。自惚れるな、、、人は口じゃ上手いこと言って、その實は、腹を探られていると。。。
だから、もっともっと慎重にならないといけない。
まだまだ、世の中の社会悪と戦うには青二才だと思った。
9.道は遠い、、前途苦難、
大光寺大洋は今回の水野忠助との戦いで、考えさせられたことが多かった。人とは持って生まれた器量というものがり、その人の特技というか才能というか、生きてる人生で表現できる人間と出来ない人間がいること。
環境が揃っており、舞台も整ったに人間が必ず、人生と言いう荒波を神風漫歩に渡り切れることのないことを。。。。
今回の水野忠助のように、裸一貫で身を起こし、地域での土木事業で財を成して、徐々に権力を得た人間もいる。
だから一概に悪者扱いにすることとも出来ないような、、、
彼にもいい面があり、地域貢献をしているから、常に選挙でトップ当選もしている。
人とは見える部分と、見えない部分がある。その見える部分が人を威圧したり、権力を見せつけたりして、世の反感を買ってしまうのかもしれない。
だから、人とは見た目だけで「悪」そして「善」と決めつけることはいかがなものかと、思うようになった。
水野忠助が言ったことがある。。。
「大洋君、あなたは人を批判したり、批評したりしているが、、、自分で政治をしてみれば、携わってみれば、少しは政治が分かるものだよ」と。。。
それほど政治とは難しいもの、一筋縄ではいかないもの、、、やってみないと分からないことが多い。
そんなことを言っていた水野忠助を思い出した。
しかし、大光寺大洋は正すものは正す、、、という考えには変わりはなかった。
そんなこと心に刻みながら、人々の相談事を受けるようになった。
そして、大洋が正義に向かって走り出した時に、事件が起きた。
警視庁時代に扱った贈収賄事件が思いがけない方向に向かったのだった。その事実を警視庁仲間の大野雅代から連絡が入った。
「大洋、、、気をつけてよ、、、当時の捜査が強く、追い来みが酷かったので容疑者が自殺をしたという、、、、やりすぎの捜査を疑うものが出て来た、、、そして、内定が始まったから」
大野雅代が言うには、しばらく言動を慎み、目立たないようにと。。。
大洋は分かってはいたが、内定までになるとは思っても見なかかった。そして、本格的な捜査が始まった。
これも水野忠助たち、悪の裏返し制裁行動かも知れない、社会の悪の罠の始まりだった。
10.身に降りかかる火の粉は、、、大きい
大光寺大洋に対する恨み、憎しみを水野忠助は常に抱ていた。機会があれば、思い知らせてやりたいと、大人げなくも考えていた。
そんな折に、水野忠助絡みの贈収賄事件で、責任を追及され、第一土木建設においても、会社からも検察庁からも追い込まれた経理担当の堤三郎が生き詰まり、自殺してしまった事件。誰にも相談できずに,只、避難に晒され、責任だけを取らされてしまった堤三郎が、書き残したメモが後日出て来たのであった。
そして、堤三郎が取り調べが強く、連日に続いてたことへの愚痴が、そのメモには記されていたのであった。
当時の警視庁の担当刑事は大光寺大洋警部補であった。
その取り調べが強引だったと、、、半ば脅しかかった取り調べだと、、、そして、大光寺大洋も若かったこともあって、検挙して手柄を立てようと、、、取り調べ室の中で、堤三郎の頭をどついたりしてた、、、
同室だった刑事、深田光一の証言まで出て来たのだった。
これらの失態を見逃さずに、付いて来たのであった。
水野忠助は政治家では無くなったが、政界に経済界に大きな影響力を持った権力者だった。
そのことから、警察内部に黒い噂のある幹部官僚に圧力をかけて、大光寺大洋に魔の手を伸ばして来たのであった。言いがかり、因縁だった。
そして、その手先の警察官僚幹部からの指示を受けた特捜部が動いたのであった。
大光寺大洋の信頼できる警視庁資料室の大野雅代からも連絡があった。
「大洋、、、本腰を入れて、あなたの取り調べ過剰による、違反事項についての追及をしていく方針だよ、、、行動は慎重に、注意してな、、、なにか、捜査事項に進展があれば、連絡するから、、体には気をつけてよ、、」
、、と、心配の電話が入つた。
大洋も不味いな、、、と、思いながら覚悟を決めた。
警視庁在籍中に不当な取り調べはしてなかったことの証明をしなければと、、、、
11.しつこい、追従
大光寺大洋に対する捜査は執拗にしてきた。しかし、すべてが状況証拠であり、本人も死亡していたので、警察としても確証がなかったので身柄を拘束は出来なかった。
あくまでも水野忠助側としては、大洋の動きを止めるための工作として、苦しまぎれの捜査であっ
しかし、何が起きるか分からない、、、捜査過程で,瓢箪から駒ということもある。また、以前の捜査過程でのミスが有るかも知れない。
そして、贈収賄事件の時の第一土木建設の堤三郎の死にも不自然さが残っており、再度捜査の見直しが決められたのであった。
警察としても、第一土木建設の談合贈収賄事件も、鍵を握る堤三郎の死により、また、警察内部の権力の行使により、事実を捻じ曲げ、証拠不十分として処理されてしまったのであった。
当時の水野忠助の権力は凄かったのであった。政界での圧力、が。。。金権によるものだが。。。
時の権力者というものは、誰も逆らえなかったような、、、
逆らえば、官僚職務者は左遷という恐ろしい仕打ちが待っていたのであった。
日本の裁判では90%が有罪で、無罪はあり得ななかった。
民事裁判においては、無罪に近い「執行猶予」が付き、その身は、堂々、悠々と日常生活が出来るのであった。
裁判で「無罪」の判決を出した場合は、余程のことがない限り、担当裁判官は翌年に左遷が待っている。
日本という法治国家は恐ろしい国だ。。。。
だから、時の権力者になることがどれだけ必要なのか。。。政治家になれば、権力者となりたいのであった。
そんな日本で、大光寺大洋は権力者に逆らったのであった。
大洋も覚悟はしていたはずである。しかし、水野忠助はたかが一介の「野良犬如き」に、その政治家の地位を追い落とされるとは思ってもみなかった。
水野忠助にも甘い姿勢があった。自分は時の権力者、その上に大物政治家としての自負があり、自惚れてもいたような。。。その、甘さゆえに、自惚れが身を滅ぼしたというか、傷を負ってしまったのであった。
そのための悔しさ、怒りから、大光寺大洋を許せなかった。
そして、まだ、権力者の立場にいる限り、大洋を追い込んでいくと豪語していた。
お互いが「追う立場」で攻めあっているのであった。
12.大光寺大洋も贈収賄事件を振り返る、反撃。。
大光寺大洋も水野忠助たちの悪巧みとも云うべき、罠の殺気を感じながら対抗手段を考えた。
もともと、大洋たちが担当して起訴にまで持ち込んだ贈収賄事件であった、当事者の堤三郎について調べ直した。勝訴できる筈だつた事件を捻じ曲げ、不起訴になり、堤三郎までもが自殺に追い込れた。その捜査途中での大光寺大洋の執拗な尋問に屈辱に耐えられずにということだつた。
本人の大洋はそのような捜査も尋問もしていないという自負があったので、難癖にしか思えなかった。
何処が、どのように執拗だつたか、屈辱的な取り調べをしたのかをはっきりさせるためにも、事細かく、細心の注意を払って、自分の取り調べた調書を見直した。
勿論、警察内部の調書を見ることは、今は出来ない。疑いがかかっているので。。。。
大洋が最も信頼している、警視庁資料室の大野雅代に頼んで調べた。そして、自分が当時、記録していた捜査手帳を念入りに確認した。
また、気がおける友人でもある、大東新聞の高田茂の当時の新聞資料を見てもらった。
更に、第一土木建設株式会社の当時の人物たちにも当たった。時が経っているので、気軽に当時の堤三郎について語ってくれた社員も何人かいた。
そして、参考人、証人として当時の調書に記した人物にも会うことが出来た。
大洋が調べた結果では、どこをどう見ても、大洋の捜査や取り調べに違法性はなかった。
水野忠助の権力で捻じ曲げた、ごり押しであったと、大洋は確信をした。
水野忠助の金力で抑えられた官僚警察官たちの難癖捜査に他ならなかった。そう確信した大光寺大洋は進んだ。
まだまだ、攻めて来る水野忠助の強引な罠に立ち向かうことを。。。。
これからも、社会悪、そして、捻じ曲げられた権力者たちにめげることなく、臆することなく、大洋自身の正義を振るって。。。
この先にどんな道が、巨悪な罠が、世の中の権力者によって仕掛けられてくるかも知れない、闇の道に。。。
13.横暴な権力者に立ち向う。。。
大光寺大洋に対する権力側からの圧力は止まることは無く、
続けられた。しかし、権力側も知っていた。
あくまでも大洋を封じ込めるため、動きを止めるためのものであり、権力の嫌がらせであった。
水野忠助は言いたいのだ、、、、「いつまでも、権力者の自分にたてつくのだと、あんたを逮捕するまでに追い込み、刑務所まではいかなくても、拘置所で拘留し、裁判まで持ち込んで自由を束縛するぞと、、、」
水野忠助ぐらいの権力者になれば、最終的は不起訴になるかも知れないが、逮捕、拘留、裁判まで約7か月から1年間は日本の立法である法律を盾にして、警察庁管理のもとに身柄の自由を束縛できるのであった。
裁判までの保釈は認めない、、、証拠隠滅の疑いがあるとし
て、裁判終了まで拘留出来るのである。
日本という法治国家は恐ろしいところである。
警察庁とは怖い、、、力のある拘束力のある国家権力とは本当に怖い。
悪知恵のある権力者が警察、検察官僚と手を組んだ場合は本当に怖いところだ。
これらの権力官僚を管理し、公平な対応をするべき裁判官でさえも人間であり、世の中の巨悪な権力悪には捻じ伏せられている。
裁判でも恐ろしいことがある、法律の是非を判断する裁判所が、刑を求刑する検事側が、、情報手段として年に何回か裁判官と検事担当の交流会があるくらいなのだ。
裁きを求刑するものと、裁きを判断するものとの、交換会とは甚だ可笑しい。。。
日本の法律とは、すべてが被疑者以外のところで、うちうちに相談しているという珍事実を。。。
だから、悪いことはしてはいけないが、、、間違いで、誤認逮捕で捕まると留置所、拘置所と拘留されて、それなりの尋問を受ける。
大光寺大洋はとにかく、警察側の罠に嵌って、逮捕されと不利になることは知っていた。
たとえ、不起訴と分かっていても、拘留されることは避けなければならなかった。
従って、情報収集はしていなけばと、至るところに情報の網を張り巡らしていた。
この世の中は、その時の権力者は怖い。。。
14.時の権力者は怖い、、、
人の世界というか、浮世というか、この世の中、、、
法治国家という日本は恐ろしい世界だ。
国を治める政治というやつは得体の知れない魔物だ。
法律という道具で、規律を作り、人も、物事もすべてを抑え込んでいるような、、、、、
見た目には法律という鎧で身を固め、言葉という便利な道具で形作っているようだ。
そして、それらの道具を、言葉を上手く操って、この世という舞台を踊っている。一つの演劇を演じているような、、、この世という舞台で主役を演じ切る、数少ない人間が人生舞台で光を浴びるような。。。。
その人生の光を見ることができる人間が、政治で、仕事で、あらゆる世界の成功者なのだ。
しかし、成功者にもいろいろな模様を持った形がある。
そして、人から、世の中から「善人」と言われる景色を
広める人間もいる。
また、この世で社会で大物とかやり手とか、権力者と言われる風景を持った人間もいる。
それらの景色や風景を描きながら、「悪人」と言われる人間もいるような、、、、
人が生きる社会で、世の中で、「権力」を、、、、特に勘違いした己のための権力を得たものが「独裁者」と言われるようだ。
その類の人間が現れると悲劇だ、、悲劇が起きるような、、
大光寺大洋は自分に降りかかった人生の大海原で、揺れ動かされ、波に風にさらされた小舟だ。。。
大学を出て、法律を正す警察組織に正義を求めて従事したが、時の権力者に道を閉ざされてしまつた。
この世の中には人生の道半ばで、第三者の力によって捻じ曲げられる人間の多いこと。。。
人の世界ほど「矛盾」の多い、不公平なことの多いことのような。。。。
大光寺大洋は戦った、、、矛盾だらけの世の中に、人間社会に正義を盾に挑んでいった。
しかし、捻じ曲がつた権力者社会では最後まで、権力者には勝てなかった。
まるで、この世をふらつく、さ迷う「野良犬」のようだ。
そして、叫ぶ。。。野良犬の遠吠えみたいに。。。。
15)大光寺大洋は死なず、、、再び、、
大光寺大洋は今回の一連の権力者の圧力を嫌というほど知らされたのである。
しかし、へこたれるような大洋ではなかった、、、気持ちを整理して、再度出直そうと思い,故郷の京都丹波に帰った。
田舎の綺麗な空気に触れて、旨い田舎料理を食べて来ようと秋の夕暮れに戻ったのである。
久しぶりに母親の栗ご飯が食べたくなり、田舎の五右衛門風呂が懐かしくなった。
田舎の甘い空気は何よりも旨かったのである、、、汚れた都会の空気にはうんざりだった。
大洋は10日間ほど田舎道を散歩したり、ガキの頃に遊んだ悪ガキとも時間を過ごした。
丹波に残り「栗栽培」などの農業に従事していた悪ガキの「橋本兵吉」とも、しばらくぶりに酒を呑んだ。
楽しい心温まる日々を過ごせた、、「ありがとう、、兵吉、、また、来るよ」と言って別れた。
「大洋、、、いつでも戻って来いよ、、歓迎するから、、」と、、送られたのである。
東京に戻った大洋は忙しかった。
警視庁記者クラブの高田茂記者から連絡が入っていたので、連絡を取った。
「おう、、、大洋か、、お前が居ない時に、、逮捕状が出たぞ、、、お前の過剰取り調べによる暴行罪だ」
「逮捕状が出たのは昨日のことだよ、、覚悟して対応しないとな、、兎に角、お前を縛っておきたいんだよ、、」
「わかった、、ありがとう、、22日間は諦めるか、、結果は分かってるけどな、、、癪だな、、」
大洋は覚悟をしたのであった。
「茂、、、頼むな、、、不法逮捕のことを流してくれよ、、拘留期間が過ぎるか、面会禁止が取れたならな、、」
面会に来てくれと頼んだ。
大洋は二重にガードしていたので、家宅捜査の件も心配はしていなかった。
取り合えず逮捕されるまではアパート住まいで「隠し砦」には戻らないようにしたのである。
大光寺大洋は権力者「水野忠助」の恨みを買い、とことん追い詰めらたのであった。何とか、無力の一般国民の大洋に国会議員のバッチをもぎ取られたので、その仕返しを計ったのである、、、
そして、あらゆる権力を駆使して、過去の取り調べを強要したことの虚偽の事実を作り上げて警視庁特捜部に逮捕状を出させたのだった。
大洋は結果を分かっていた、、、どんなに過去の取り調べの時の暴行罪で逮捕しようが、起訴出来ないことを知っていたのである、、、、警察の中にも、、検事局の中にも権力者に対して無言の抵抗をする国家役人がいることを、、、
全てが権力者の言いなりになる者ばかりはないのであった。
権力者の言いなりになって、出世ばかりを狙ってる司法役人の方が少ないことを、、、
16)逮捕された大光寺大洋は。。。
逮捕状が出ていることを知った大洋は自分から出頭したのであった。
警視庁特捜部に丹波から帰ってすぐに顔を出した、、、
「なんか、、逮捕状が出ていると聞いたので、、来ました、、」と、昔の上司である黒川課長を訪ねた。
「おう、、大光寺か、、そうなんだよ、、お前に逮捕状が出てな、、悪いけど、今から自首扱いで逮捕するからな、、、担当は、坂口警部補、お前やれよ、、」
指示をしたのであった。
坂口警部補が、、「すいません、、大光寺さん、、仕事なので規定通りにやりますよ、、」と、、言って身柄を拘束したのである。
そう言って、警視庁留置所に拘留する手続きを始めた。
坂口警部補は規定通りに、大光寺大洋に手錠を付けた、、、そして、留置所に連れて行き、、規則通りに持ち物検査をして、留置所の入り口の所定の部屋で身体検査をおこなった。
身体検査は丸裸での検査である、、決まりなので仕方がなかった
そして、大洋が出頭したのが午後3時ごろだったので、、そのまま、留置所に拘留になった。
取り調べは翌日からになって、その日は夕食から始まった。
留置所に入ってから、担当看守が来てくれた。
「大光寺さん、、酷いことになりましたね、、関根です、、私が当番の時はなんか困ったことがあったら言ってくださいね、、」知っていた看守が声を掛けてくれた。
「ありがとう、、何も心配なことはないよ、、ここにいる間は宜しくな、、」と、、短い会話を交わしたのであった。
警視庁の留置所は雑居房であり、、一人の犯罪者が居たので挨拶をした。。
大洋は今日から「22日間」の法律に従っての拘留であった。
17)取り調べ
大洋は一晩、警視庁の留置所に留められて、、次の朝から留置所の規則で「起床6時」で起こされて「点呼」「洗面」が行われて。「7時から朝食が配られる」
留置所の全面の小さな出し入れ口から「お茶」「弁当」と、、まるで豚と一緒だ。
そして、、「9時ごろから取り調べの刑事が迎えに来て」それから取り調べ室に連れていかれて、取り調べが始まる。
取り調べはかっての同僚である、、坂口警部補であった。
「おはようございます、、、これから暴行事件の取り調べを始めます、、」と、、、
始めにお茶が出るのであった。
取調室の広さは畳で言うと2畳半ぐらいで、、取調官と記録係と二人で、一人の被疑者を取り調べる。
最初に名前、住所が確かめられて、事件内容の調書が取られる。
聞くことは分かっていたが、、大洋は全て「NOーやってません」と、認めなかった。
その日はお昼に取り調べは終わり、、留置所に戻り、昼食の弁当を食べる。
午後も取り調べが行われたが、、答えは全て「やっていません」と承認することはなかった。
担当警察官の坂口警部補もやりずらかったと思う、、、
大光寺大洋は「やっていないものはやっていない」と、答えるより仕方がなかった。
12日間の警察取り調べは全て、認めなかった。
その後の検事取り調べも認めなかったので「起訴」しても「状況証拠」だけでは目に見えていることを分かっているので「検察庁」では「不起訴処分」で大洋は釈放になった。
22日間の拘留が終わって「不起訴処分になった大光寺大洋は奮起した。
更に燃えて、、水野忠助を許さないと、、彼の悪行を探して、暴いてやろうと思った。悪事に対しての憤りを覚え、、権力者は何でも出来るという「極悪人」を永久に社会から遮断してやろうと、、動き出した。
極悪人がこの世を自由に歩けないように永久に「塀の中に」閉じ込めてやろうと考えだしたのである。
世の中の名もない一人の日本国民がどれほど怖いか思い知らせてやろうと決心をした日でもあった。
18)不起訴から燃えた大洋だ、、、、
自由の身になった大洋はやられたらやり返すの精神で、社会の巨大悪へ立ち向かったのである。
水野忠助の身上調査を始めた。大洋は切り詰めて質素に生活はすることにした。
興信所のアルバイトをしながらの調査であった。
車も節約のために軽自動車を使い、、水野忠助の過去を徹底的に調べたのである。
昔の交通事故に関しても、再度調べ直した、、、
警視庁記者クラブの高田茂にも警視庁資料室の大野雅代にも頼んだ、、、何でもいいから水野忠助に関する 資料を集めてもらうようにしたのであった。
それと、地元住民でも水野忠助を快く思わない奴がいるのだった、、、坂松十郎という地元の大地主で選挙の時にも反対に回る偏屈者がいた、、、どういう訳か、大洋は気にいられてたのだった、、、遊びに行くたびにご馳走になってくる、、、今回も釈放されてから挨拶に行った。
「おう、、大変だったな、、お疲れ様、、、今日は旨いものでも食べに行こうや、、、寿司がいいかな、、」
と、、言って連れて行ってくれた。
「頑張れよ、、何かあったら連絡するから、、、大洋、、無職じゃア大変だな、、ちょくちょく来いよ、、飯ぐらいご馳走するからな、、」と、、励ましてくれた。
「はい、、、ありがとうございます。わしの方も調べて連絡するよ、、、」と、、、
大洋は自分の足でも情報を集めた。
今は金に余裕がないので、、夜の世界の調査は出来ないでいたら、、、電話が入った。
銀座のクラブ「黒蜥蜴」のナンバーワンであった絵里からであった、、、
「大洋、、、しばらくだね、、、どうしてるの、、たまには顔を出しなよ、、」と、、誘われたが、、
「今はからっけつだよ、、行きたくてもいけない、、情けないけどな、、」
「私がご馳走するから、、おいでよ、、」と、、言われても行けなかった。
「兎に角、一度会おうか、、連絡するから、、いいね、、大洋会いたいの、、」と、、、
そんなことで昼間会うことにした、、、
19)水野忠助を追い込むための情報集め。。。
大洋は銀座クラブ「黒蜥蜴」の絵里に誘われるままに会うことにした。
帝国ホテルのレストラン「土門」へ行き,しばらく振りに絵里にあった、、、「やあ、、ご無沙汰したな、、」
と、言いながら、先に来ていた絵里の席に就いた。
「本当だね、、元気そうでよかった、、いろいろ話は聞いたよ、、大丈夫なの、、」と、、心配してくれた。
「大洋、、少し痩せたみたいね、、栄養をつけようか、、ステーキが美味しいから、、頼んでおいたよ」
「ありがとう、、、久しぶりだな、、肉は、嬉しいよ、、今日はご馳走になるな、、」
と、、大洋は絵里に甘えたのであった。そして、、本当にありがたいと思った。
大洋は久しぶりに食事らしい食事をした。
「良かった、、喜んでくれて、、それから大洋が知りたいと思う情報があるからね、、、」
と、、、水野忠助の近況を教えてくれたのである。
「最近ね、、あいつがご執心の女の子がいるんだよ、、私の妹分で、博美というんだけど、、その博美の話だと、、泡銭が入るみたいで、マンションを買ってくれる見たなの、、」
というか、、買え買えと口説かれているので少々困っているので。
そこで私は買ってもらいなと進めている、、、買って、嫌なら私に相談するように言ってあるから、、
大洋にいい知恵を借りたいと思っているのだった。
あの憎たらしい、傲慢な助平爺いを懲らしめる,いい方法を考えて欲しいと相談をされたのであった。。。
「そうか、、、それなら頼みがあるよ、、水野忠助が誰と呑みに来ているのか調べておいて欲しい、、そして、聞こえたらでいいから、、話の内容が知りたいので、、あくまでもそれとなくでいい、、聞こえる範囲の話を聞いておいて欲しいんだな、、、」
「うん、分かった、、、それ位なら出来るよ、、」と、、引き受けてくれた。
そして絵里に言ったのである、、、「水野忠助もバカじゃあないので、、、そんなには答えをを伸ばすわけにはいかないと思う、、、」ので、、
答えを1か月だけ、なんかの理由をつけて待って貰うことにして、最終的には絵里がマンションを確認して決めるということで話をしたらどうだろう。。。
「買って貰うマンションの住所を調べて、、、俺が安全かどうかを確認しておくから、、、」
そして、、、絵里と相談して、、そのマンションを奪ってやることにしたのである、、、
兎に角、今付き合っている人脈を知りたかった、大洋である。
20)宿敵水野忠助攻め。。。
大洋は水野忠助が政治家を辞めても尚、、陰の力となって、権力を保持していることが許せなかった。。。何かあると、談合とか、脱税とか、贈収賄などの黒幕の様な存在の影をちらつかせては、、甘い汁を吸い上げてる寄生虫の様な悪虫を世の中の正義は、許して、見て見ぬ振りをしているのかが分からなかった。
触らぬ神に祟りなしかの態度に腹がたった。
世の中の弱者にも腹がたったのである、、、世の中の悪に立ち向かえよと言いたい。陰でぶつぶつ文句を言わずに,思い切り本人にぶっけてみろと、、、
しかし、現実には言えないのも道理であった。
大洋は絵里から連絡をもらったので、会うことにした、、、
水野忠助の情報が入ってきた、、絵里の話だと、大手ゼネコンの大日本工業(株)の太田専務取締役と呑む回数が多いとのことであった、、、他に珍しいところでは、関東連合睦会の新三十郎若頭が時たま来るらしいというのである。
大洋には十分な情報であった。
早速調べた、、、
警視庁記者クラブの高田茂記者に調べてもらった、、最近の大日本土木工業(株)に絡んだ国営事業を、、、
あったのである、、大きな建設事業が、、開発事業で残っていたのであった。
北海道縦貫高速道路工事の計画が動き出したのである、、、
関係者なら鵜の目鷹の目で狙っている事業であった。
その利権に水野忠助が絡んでた、、そして、その根回しで手付金の様な形で、金が動くことになり、、水野忠助は甘い汁を吸うことになったのである。
大洋はその金の流れを捕まえてやろうと考えた、、
そして、、絵里に頼んだ、、、水野忠助が妹分に買ってくれるというマンションを見に行って欲しいと、、、場所が知りたかったのである。。
大洋は金の流れと、マンションを購入しようとする金の流れの証拠を見つけてやると動き出した。
断然、大洋は燃えたのである。
「水野の狸爺、、今に見てろよ、化かしてやるからな、、覚悟してまってろよ、、」と、、、大洋は絵里に感謝したのだった。
21)大洋、、証拠固めをする
大洋はゼネコン「大日本工業(株)」と水野忠助の癒着は間違いない、、その関係の金の流れを見つけることが難しいのだった。。探せばどこかに綻びは見つかる筈だった。
金だけは現金で渡さないと証拠が残るので、どこかで、誰かがやらないと現金は渡せないのであった。
それも小切手や証券では証拠が残るので、どんなことがあっても、現金を用意する筈だ。
その他には「覚せい剤」とか「不動産」を仲介しても、最後は「現金」の受け渡しがある、、
その方法を見つけ,その現場か確実な証拠を見つけ出すことであった。
それで、、大日本工業(株)の経理課長の大隅重雄に目を付けて、大洋はしばらく、その人間の動向を見張った、、勿論、経理担当が動くであろうと、その大隅課長の部下の坂本隆係長も見張ったのである。
見張って分かったことがあった、、
関東連合会睦会の新三十郎若頭が時たま、大日本工業(株)の関連会社の「大工興行(株)」を訪ね、大日本工業(株)の坂本隆係長と会っていたのであった。それも定期的であり、毎月第三月曜日であるから,可笑しいと思い調べてみたのである。
会う時には必ず、段ボールが運ばれた、、二箱だった。
大洋は確証した、、、「そうか、、現金はこうして運ばれたのか、、」と、、
大洋は何とか段ボールの中を見たかった。
大洋は刑事時代に扱った中に「反ぐれで集団強盗」をした奴を思い出した。
その男「大室正雄」を訪ねた、、、確か、今は隅田川の近くで、スクラップ屋をやっている筈と聞いたので、、、
「何でも屋」で、法律すれすれの商いをしていた。。
「しばらくだな、、大室、、元気にやっているみたいだな、、金儲けは上手くやっているのか、、ところで薬やチャカの密売もやっている、、」と、、
聞いたら、大室は手真似して「しー」と頷いた。
「そうか、、、頼みがあるんだが、、簡単なひったくりをやるやつはいないかな、、、金は大室、お前が分配していいから、、」
「口の堅い奴がいいな、、、二人で十分だけどな、、1億か2億円位にはなるよ、、、」
大室は話に乗って来た。
「俺が現場まで案内して指示するから、、車一台を襲って、段ボール2箱を奪うだけだよ、、、ひとには危害を与えないでな、、」
そして、やることに決まり、、、日時は指定するからと別れた。
大洋は大室たちに強盗をやらせることにした、、奪われた大日本工業(株)は警察に訴えることが出来ない金なので、、後のトラブルは関東連合睦会との戦いである、、その時はその時で、、大室たちと命がけの闘いをするだけだった。
彼らも命知らずの無法者だったので覚悟は出来ていた
22)強奪、、、、
大洋は大室と打ち合わせをして帰った。
強奪実行の前日に大洋は大室のスクラップ集積場を訪ねた、、、そして、確認をしたのだった。
今回の強奪実行犯はどこから集めたかを、、、、
「大洋さん、心配ないよ、、一人は青森から、、もう一人は熊本からで、、身寄り無しの無頼者だから。。」
と、、保証してくれた。
「そうか、、、分かった、、、くれぐれも慎重にな。。。」
「大丈夫だよ、、、念のためにあんたは会わないほうがいい、、いざという時の為に知らないほうがいいのでな、、」
「そうだな、、車は終わったらスクラップにするように、、頼んだよ、、、明日、錦糸町の会社駐車場でな、、」
打ち合わせを済ませた大洋は大室と別れた。
いよいよ実行である。「水野忠助」の一回目の証拠である「現金回収」を、、、
大洋は心臓の高鳴りを覚えた。
大日本工業(株)のある地下駐車場で大洋は一人車の中で待った。強奪の瞬間を見守るために、、、
大室たち別の車で待機していた。
段ボールを抱えて、車に乗り込んだ。次の瞬間に大室たち3人が催眠スプレーを持って、車のドアを閉める前に大日本工業(株)の大隅課長たちを襲った。
相手が右往左往している間に段ボールを奪い,大室たちは走り去っていった。
大洋も後に続いて駐車場を出たのである。。。大洋は駐車場を出てから、すぐに車のナンバープレートに別の物を付けた、、、用心のために。。。
大室たちも同じようにナンバープレートを別のプレート付けて走っていったのである。。
大洋の考えで、、監視カメラの追跡を避けるためであった。
大洋は自分の隠れ倉庫に戻って、、大室と連絡を取り、、無事にスクラップ集積場に着いたことを知った。
大室は打ち合わせ通りに車を処分して、、強奪犯人二人を逃がした。
二人への支払い配分は大室に任せて、、金の使い方には注意するように指示を出した。
大洋は大室に写真を撮っておくようにも指示を出したのである、、、
強奪された大日本工業(株)では慌てた、、、すぐに、関東連合会睦会にも連絡が行き、、新若頭と、、大隅課長たちは、会社に戻り説明をした。
いかに情報網を持っているといっても、今回の大洋の動きは掴めなかった。。
そして、、水野忠助の元にも連絡がされて、、これからの現金の受け渡しは考えないとならないということになった。
水野忠助のクラブ「黒蜥蜴」の女に買うマンションの下見することは中止にはならなかった。
23)強奪金は2億円あった、、、
大室から大洋に連絡が入った、、、「大光寺さん、、、段ボールを空けてびっくりしたよ、、現金で2億円入ってたよ、、多すぎるから、1億円は戻すから、、なるべく早く来て欲しいよ、、」
と、、大洋は、、いつもより多いのはマンション購入費が含まれていると思ったのであった。
大洋が入手した情報によれば、大日本工業(株)での騒ぎが大きい訳が分かった、奪われた金が2億円では大騒ぎする筈であると、、、
いくら裏金であっても警察へは届けられないだろう、秘密裏に動くだろうと大洋は思った、、、慎重に用心しないと不味いと、、言い聞かせたのである。
大洋は大室を訪ねて、、金の使い方は慎重にするように伝えた。
「大室、、逃がした二人の監視と使い方には用心してな、、、決して派手な、目立つような使い方はしないようにな、、」
と、、念を押して大洋は現金を受け取って、スクラップ集積場を出た。
そして、クラブ「黒蜥蜴」の絵里に連絡を取って会うことにしたのだった。
水野忠助と会って,マンションを下見して、その後の段取りを指示したのである、、、あくまでも、マンションの売買契約書を見せてもらうこと、、そして、契約書を見たらコピーをさせてもらう、、その辺のところは上手く言って、、、次に、
そのマンションの名義が代わったら、、「水野忠助」の女になるという返事をする、、、それが出来なければ女にはならないと、、強気で突っ張ることだ、、と、打ち合わせをした。
大洋は水野忠助への闘いの狼煙を挙げたのである。
その結果を待ってから、、次の行動に移ることにした。
大洋は東京連合会の新若頭の動きを監視していた、、、常に情報網を巡らして、注意深く様子を伺っていたのである。
今のところは目立った動きは無く、、困っているようであった。
それでもやくざ組織の情報網は広いので用心していた。
しばらくして、クラブ「黒蜥蜴」の絵里から連絡があった、、、明日、妹分の女を連れて、マンションの下見に行くとになったと、、、それで、いつでも連絡を取れるようにしておいて欲しい。という連絡であった。
大洋は連絡を待つことにした、、、その日の夜に電話が入った。
絵里の話だと、、マンションは見せてくれて、、売買契約書も見せてくれた、、、
その契約書の写しと言ったら、、、「なんだよ、、ここまでして、コピーだと、、お前ら何を考えてるんだ、、俺を信用しないのか、」と始まったので。
コピーは駄目かと思った、、水野忠助はごちゃごちゃ言ってたが、一緒に来た不動産屋にコピーを頼んで、渡してくれたという報告が来たのであった。
マンションの名義替えは、女になる、その日に同時にしようとなったなったのである。
そして、大洋は絵里とそのことに関しては相談することにした。
まずはマンションの契約書を見て,登記簿謄本を見てからということにして、電話を切った。
24)水野忠助の助兵衛爺を銭なし乞食に、、、
大洋は狙ったというか復習してやろうと日々考えていた、、、まずは権力者の座から引きずり落として、、裏金という入手道を断ち切ってやろうと計画を立てていた。上納金ともいうべき金を誰も納めないような無権力者にするためには、裏金の証拠を押さえて「脱税」を立証してやろうと考え、入手道を探していたのであった。
そして、入手先がわかったら「強奪」をして、、「脱税」で告発する、、その事実を世間に公表して誰も水野忠助を頼らなくなるという構図を仕組んでいたのである。
世の中への公表はマスコミを利用する、、、その手段としては警視庁記者クラブの高田茂記者が引き受けてくれた。
大洋は一回目の強奪は成功したので、、更に大きな収入元を狙ったのである。
その前に今回のクラブの絵里の妹分のマンション購入の件で、水野忠助を罠に嵌めてやろうと考えていた、、そして、購入予定のマンションの登記簿謄本を手に入れたのであった。
これだけで、マンションの購入資金の出処を調べれば、、何とか「脱税行為」を積み上げることが出来るが、、名義をクラブ「黒蜥蜴」の女に変えれば、「贈与」もしく「売買」をしていても「脱税行為」を立証できる。
そして、大洋が狙っている「三紀建設工業(株)」との癒着が噂されている事実を突き止めて、今回の談合贈収賄の証拠を掴めれば、告訴に踏み切ろうと考えたいた。
クラブ「黒蜥蜴」の女への名義を変える方法と時期を考えた大洋であった。
大洋はクラブ「黒蜥蜴」の絵里に連絡を取り、妹分の博美と一緒に会うことにした、、そして、昼飯を食いながら作戦を授けたのである。
それから、絵里と妹分の博美は水野忠助と赤坂にある大野法律事務所にいた。
そして、名義変更の手続きをしていたのである。
その名義変更の手続きが終了する頃に博美に電話が入った、、、「入院中の母親が危篤状態になったので、すぐに来るようにと、、」水野忠助に話して、いったん博美は病院に行くことにしたのであった。
そして、必ず約束の日を決めて、来ることを告げて帰ることにしたのである。
「出来れば、母親を安心させたいので、登記手続きの申請書の写しでも見せたいので、、コピーだけでももらえませんか、、」
と、、博美は涙顔で訴えた。
絵里も「いいじゃないの、、コピーぐらい渡しても、、ねえー、会長、、」と甘えた猫なで声でねだったのである。
「死ぬ前に、、親孝行の真似事をしたいんだから、、可愛もんじゃないの、、、、、」と言われて、、水野忠助もダメとは言えなかった。
それで、二人はマンションの名義変更の申請書の写しを持って、、大野法律事務所を急いで出たのである。。
その足で大洋と会って、不動産登記変更申請書の写しを渡した。
「お疲れ様、、、バレたら、、水野忠助の事だから、関東連合睦会のやくざ連中に連絡を取って、探すだろうから、、すぐに大阪経由で、いったん乗り換えて、福岡まで言ってくれ、、、必ず一人ずつな、、用心していけよ、、
いいな、、金は二人に約束通りに2000万円ずつ振り込んであるからな、、
行った先のことは全て段取りもしてるから心配すなよ。。」
と、、言って「不動産登記変更申請書」の写しを受けとったのである。
大洋は一人微笑んだ、、あと一息だ。
「見てろよ、、、水野忠助、、出られない塀の中に放り込んでやるから」
と、、、次の手段の準備をした。
25)追い詰める、、、大洋
大洋は水野忠助を追い込んだ、、、まずは裏金2億円の証拠品押収、、そして、クラブ「黒蜥蜴」の女へのマンション購入の名義変更申請書の写しの証拠品と揃えた。
そして、「三紀建設工業(株)」との癒着による、、裏金授受に関する情報提供だけで、水野忠助を「脱税容疑」で告訴することにしたのであった。
大洋は「三紀建設工業(株)」との癒着による、裏金献金に関する「脱税」も証拠を揃えてから告訴するつもりだったが、、関東連合睦会の新若頭の動きが怪しくなってきたので、、その前に警察や検察に動いて貰おうと考えたのであった。
警視庁記者クラブの高田茂記者からの情報で、睦会の新若頭が現金強奪の件で慌ただしく動いているようだと、、、、
そんな話を聞いた大洋は、まずいと思い、、関東連合会睦会の新若頭を警察力を利用して、封じ込めようとしたのであった。
大洋の流した情報を、警視庁記者クラブの高田茂記者が、警察と検察庁に流したのである、、、警視庁詰めの記者の情報から動き出した。
そして、関東連合会睦会本部の家宅捜査が実行されたのであった、事務所の「がさ入れ」も急遽だったので、事務所内で見つかったライフルと日本刀で「銃刀法違反」と、、債券取り立てに絡んだ「脅迫教唆の容疑」で新若頭を逮捕したのであった。
同時に検査庁で水野忠助を「脱税容疑」で逮捕した。更に大日本工業(株)にも「脱税容疑」で社長始め担当役員が逮捕された、、また、「三紀建設工業(株)」にも家宅捜査がはいったのである。
大洋の最初の目的は達成したのであった。
水野忠助が二度と浮世に戻れないように、、更に調査をしたのである、、数知れない悪行をしている水野忠助であるから、、大洋は更に悪行があると思っていた。
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