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第十章 公爵夫妻のゆくさき

1 宰相の訪問

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 ベルティーユがオリヴィエールとともにダンビエール公爵邸に戻ると、すでに明け方を迎えていた。
 朝日を浴びた庭に積もる白銀の雪が眩しい。
 屋敷に到着すると、オリヴィエールは侍従に抱えられるようにして馬車から下り、そのまま部屋へと運ばれていった。
 昨日の夕刻には体調がかなり良くなっていたが、執事たちが止めるのも聞かずに深夜に冷え切った王宮内を歩き回ったのがかなり身体に負担となったらしい。熱がぶり返す羽目になり、またしても寝付くことになった。
 ベルティーユは使用人たちから「ご両親がご病気だという知らせが届いても出かけないでください」と懇願されたほどだ。

「本当にごめんなさい」

 オリヴィエールの寝台の横に椅子を置くと、ベルティーユは侍従たちに世話をされているオリヴィエールに謝った。

「貴女が謝ることはなにもないよ。それよりも、貴女は昨日から寝ていないのだから、ゆっくり部屋で休んだらどう?」
「ここにいるわ」
「貴女まで体調を崩したら大変だ」
「わたし、子供の頃からほとんど風邪も引いたことがないくらい丈夫なの。それより、オリヴィエールの方こそ早く寝てちょうだいな」
「そばにいてくれるなら、貴女の話を聞きたいのだけど」
「あなたの病気が治ったらいくらでも話すわ」

 王宮での出来事を聞きたがるオリヴィエールに、侍従は薬を飲ませ、女中が布団をかぶせ、執事は「こちらが旦那様の朝食です。こちらは奥様の朝食です。ここに薬を置いておきます」と周囲が騒がしいこともあり、ベルティーユは詳しい話をすることは拒否した。

 よほど疲れていたのか、オリヴィエールは食事は口にせずに眠ってしまった。
 ベルティーユも空腹ではあったけれど食欲はなく、紅茶を飲んだだけで椅子に座ったままぼうっと眠るオリヴィエールを眺めているうちに、瞼が重くなるのを感じた。

 しばらく椅子に座ったまま眠っていたらしいベルティーユは、執事の「奥様、お客様がいらしていますがいかがいたしましょうか」という声かけで目を覚ました。

「お客様?」
「宰相閣下がいらしています」
「伯父様が? 突然ね」
「到着される直前に、お手紙が到着したところでした」

 伯父がダンビエール公爵邸を訪ねてきたのは、結婚式のとき以来だ。
 昨夕の出来事が一端が耳に入り、事情の詳細を確認しに来たのだろう。

(それにしても、伯父様がわざわざいらっしゃるなんて、珍しいこと)

 王宮と自宅の往復が基本である宰相は、実家であるカルサティ侯爵邸でさえ年に一度も足を運ぶことがない仕事人間だ。自宅にも二日にいっぺん帰れば良い方で、妻の誕生日と結婚記念日だけはあらゆる仕事の日程を調整して帰宅するが、あとは王宮で寝泊まりしていることの方が多いくらいだ。
 ベルティーユも、伯父に用事があるときは王宮に行くようにしている。

「応接室にお通しして」
「かしこまりました」

 帰ってきてから着替えをしていないことを思いだし、ベルティーユはミネットを呼んで日常着に着替えた。

「お待たせいたしました、伯父様」

 ベルティーユが応接室に向かうと、長椅子に座った宰相と、その背後に控える宰相秘書の姿があった。

「昨日はなにやら大事件があったそうだな、公爵夫人」
「大事件、ですか? あぁ、わたしが王宮内で迷子になってしまった件ですか」
「迷子、かね?」
「迷子になったんです。伯父様のところのどなたかに馬車まで送ってもらえば良かったと大層後悔しましたわ」

 渋い顔をしている宰相に、ベルティーユは疲れた表情を浮かべて答える。

「わたしがいつまで経っても帰らないので、心配した夫が探しにきてくれましたが、調子が悪いのに寒い中をわたしを探して王宮内を駆け回ったせいで、夫は熱をぶり返してしまいましたの」
「それは大変だ。後で、滋養に良いものを見舞いに届けさせよう」

 宰相が背後の秘書に目配せすると、心得たといった様子で秘書は頷いた。

「ところで、昨夕、王宮内で王太后様に会ったか?」
「えぇ」
「陛下には?」
「はい」
「王女殿下から妙な言づてを預かっているのだが……女官にはしない、と」
「まぁ、残念」

 まったく落胆する様子を見せず、ベルティーユは楽しげに呟いた。

「昨夕、儂の執務室を出てからなにがあった?」
「伯父様なら、ほとんどご存じでしょうから、わたしの口から改めて申し上げることなどありませんでしょう」
「ダンビエール公爵が謀反を起こしかねない事件が起きたとしか報告を受けていない」
「あら、そんな恐ろしいことがありましたの?」
「身内に謀反を起こされては困るからな。公爵が本気を出せば、王座を奪うこともたやすかろう」
「夫はそんなことはしませんわ」
「どうだかな――」

 ベルティーユの曖昧な返事をどう判断したのか、宰相はため息をついた。

「公爵の本心はどうであれ、謀反を起こすきっかけを与えた者が王宮内にいるのであれば、儂の責任にもなりかねない。まったく、近頃はなにかと細々とした面倒ごとが多くて困る」
「伯父様の気苦労が絶えないことは存じておりますわ」
「それは心強いな。それはそうと、昨日公爵に手紙を出した件だがな」
「え? あぁ、はい」

 そういえば、伯父からの手紙が一通は間違いなく届いていたのだということをベルティーユは思い出した。

「ロザージュ王国の大使として、公爵に赴任して欲しいのだ」
「大使?」
「部下には儂の愚息を付ける。好きにこき使ってかまわない」
「ルイを? それとも、ジャンを?」

 宰相には三人の息子がいるが、成人しているのは上のふたりだ。

「ルイだ。遊学させていたが、呼び戻した。最初があれを大使という名の人質としてロザージュ王国に送り込むこと考えたが、政治経験がなさすぎてさすがに無理だと判断した。ダンビエール公爵なら若いが適任だ」
「……人質?」
「いざとなればルイにすべて押しつけて帰ってくれば良い」
「逃げ足の速さはルイの方が上だと思いますけど」
「あれが先に戻ってきたら、国境で追い返す」

 きっぱりと宰相の顔で断言した。

「つまり、伯父様は夫に謀反を起こされると困るので、大使という名目で国外追放したいということですか?」
「他に適任がいないだけだ」
「そうでしょうか……。で、もしこの話を夫が受けた場合、いつ頃の赴任になるのですか? 来年?」
「できるだけ早く。数日中にこちらを発ってくれてもかまわない」
「数日中!? この時期に?」
「いろいろと微妙な問題が山積しているのだよ。陛下がおっしゃるには、近日中に多少は改善が見られそうだとかなんとかはっきりしないことをおっしゃっていたが、ロザージュ王国との関係は良いとは言いがたい」

 宰相が告げると、秘書官は手にしていた封筒を机の上に置いた。
 封蝋で王家の紋章が押されたものは、国からの正式な書類にのみ使われるものだ。

「公爵には、この話を受けてくれることを期待していると伝えてくれ」
「――わかりました」

 封筒を手に取ると、ベルティーユは困惑した表情を浮かべながら頷いた。
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