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雲集する事件のピース
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暁は中里修二が経営している会社に訪れていた。
「……そうっすか」
「元々、社長は会社に来ることはほとんどありませんからね。ここ2、3日は電話にも出てくれませんよ」
そう言って苦笑いをしたのは、暁くらいの若い男だった。
修二が会社にいるとは思えなかったので、今、会社の中で一番偉い人に話を聞きたいと言ったら、この男が出てきたのだ。
高そうなスーツを着て、髪もしっかりとセットされている。
髭も無精ひげはもちろん、剃り残しさえ一切ない。
物腰も丁寧だが、しっかりと自分の意思は通すというような自信と意思を感じる。
この男の話ぶりだと、今は修二ではなく自分が会社を動かしているようだ。
暁は同じような年齢なのに、正反対の男に対して嫉妬のような感情が湧きつつも、こうなりたいかと言われると嫌だと思う、ある種矛盾した感覚を覚えていた。
この男も色々と修羅場をくぐってきただろう。
だが、暁自身も、くぐってきた修羅場の数は負けないという自負があった。
と、ここで自分が事件に全く関係ないことを考えていることに気づき、慌てて頭を切り替える。
「中里修二さんがどこにいるか、わからないっすかね?」
「はは。私が聞きたいくらいですよ」
最近、同じような台詞を聞いたような既視感がある。
「それより、社長、何かしたんですか?」
「詳しくは言えないっすけど、ある事件の容疑者として挙げられてるっす」
「……やっぱり」
「最近、なにか気になることでもあったんすか?」
「……最近というより、最初からと言った方が正しいでしょうね」
その男の話では、修二はどこか危うい雰囲気があったのだという。
仕事が熱心というと聞こえはいいが、何かから逃げている印象を受けたらしい。
そこまで忙しくないのに、会社に泊まり込み、雑用のような仕事も自分でこなす。
家に帰らず、ホテル暮らしをしていた。
どこか、家には寄り付きたくないような雰囲気だった。
ただ、会社設立時にいた社員の話では、最初は家庭を大事にしていたのだという。
変わってしまったのは奥さんが死んでしまってかららしい。
暁はその人たちに話を聞けないかと聞いたが、みんな辞めてしまったようだ。
奥さんが死んでしまい、男手一つで娘を育てているということで、その頃は社員が一丸になって助けていこうということになったらしい。
だが、修二は家政婦に押し付け、子供から目を背けた。
周りはそんな修二を説得しようとしたが、聞く耳を持たず対立するようになる。
また、その頃から、経営方針もリスクを取る様な方向になり、みんなついていけず、辞めてしまったとのことだった。
「あの、中里修二の自宅の住所がわかる資料とかあるっすかね?」
「ええ。ありますけど、たぶん、そこには社長はいないと思いますよ。いるのは娘さんだけですかね」
中里修二の娘は既に死んでいる。
なので、家には誰もいないだろう。
だが、場所さえわかれば、家の周りで聞き込みができる。
暁は修二の家の住所を教えてもらい、すぐに向かった。
修二の家のチャイムを押すが、反応はない。
……やっぱり。
沙都希は修二の家を見上げる。
豪邸というほどではないが、立派で大きな2階建ての家だ。
広さ的には、沙都希が住んでいるアパートの5倍はあるだろう。
2階が子供の部屋だったのだろうか。
この家を見るだけで、修二が裕福だということがわかる。
だが、修二は亜里沙の育て方を間違えた。
男手一つでということで、育児から逃げたのだろう。
探偵からの資料では、亜里沙は何度も自殺未遂をしている。
沙都希は思わず笑みを浮かべてしまう。
幸せになれるかどうかは、裕福さで決まるものではない。
沙都希は貧乏ながらも、由依香を立派に育て上げた自負がある。
こう考えてみると、17年前に自分がやったことは正しかったと思える。
由依香を引き取ってよかった。
もし、由依香が修二のところで育ったとしたらゾッとする。
あんな素直で可愛い子が自殺未遂を何度もするなんて考えると、気が狂いそうになる。
自分が子育てに失敗したから、いい子に育った由依香を狙った。
そんなのは身勝手な考えでしかない。
絶対に由依香は取り返す。
たとえ、血が繋がってなくても由依香は私の子供だ、という思いに微塵も後ろめたさはない。
由依香の幸せこそが沙都希の幸せなのだ。
沙都希は改めて、修二の家を見上げる。
大きくて立派だが、どこか陰湿に見える。
幸せな家族が住んでいるようには思えない。
来てよかった。
沙都希は改めて由依香を取り返す決意が強く湧いてくる。
少なくとも、修二なんかには絶対に渡さない。
沙都希は踵を返し、探偵の資料の中にある、修二が賃貸契約をしている家へと向かう。
その家は、由依香が行方不明になる前日に借りられている。
おそらく、ここに由依香と一緒に修二がいるはずだ。
沙都希は事前に用意した、カバンの中のナイフを握り締め、書かれている住所へと向かうのだった。
「この辺なんだけどな……」
書かれた住所を見ながら住宅街を車でウロウロとする暁。
携帯のアプリを使っているのに、一向に辿り着かない。
ここまで、迷うのは呪いなんじゃないかとさえ思える。
かといって、近くの交番に駆け込むわけにもいかない。
どうしようか、と考えているとふとある店が目に入った。
不動産屋。
そこで暁はある予感が走った。
おそらく、今向かっている住所の家には修二はいないだろう。
となれば、修二は今、どこにいるか。
もちろん、ホテルということも考えられる。
だが、修二は金を持っている。
ホテル住まいではなく、家を借りているのではないか。
暁は不動産屋の方へハンドルを切った。
そして、この選択は正解だったとすぐにわかることになる。
朝一番にやってきて、速攻で物件を決め、初期費用を2倍払った修二は明らかに不自然で怪しかった。
なので、店員も修二のことは覚えていた。
暁は店員に修二が借りた物件の住所を聞くことに成功したのだった。
チャイムが鳴った瞬間、修二は来たか、と悟った。
正直な話、修二はもう疲れ切っていた。
というよりは、ここからどうするかの案が全く思い浮かんでいない。
考えてすらいなかったのかもしれない。
なにかいい手を考えようとしても、思い浮かぶのは亜衣加との思い出や、由依香との幸せなひと時の時間だけだった。
由依香のことを考えれば、この生活も限界だ。
いつまでもこの家に閉じ込めておくこともできない。
これ以上は単に由依香を苦しめるだけだ。
今になって思えば、さっさと警察に自首すればよかったのかもしれない。
だが、そうなったとき、由依香はどうなるのだろうか?
沙都希の元へと帰ることになるのだけは許せなかった。
全ての元凶である沙都希の元に、最愛の人の忘れ形見である由依香が戻ると考えると気が狂いそうになる。
17年間、修二は苦しみ抜いた。
そんな中、沙都希は由依香と幸せな時間を過ごしていたのだ。
――許せるものか。
修二はキッチンに行き、包丁を手に取り、腰のベルトで止める。
前から見れば、包丁を仕込んでいるのは見えないはずだ。
そのとき、もう一度、チャイムが鳴る。
修二はゆっくりと玄関へと向かった。
ドアを開けた瞬間、沙都希が襲い掛かってくる――。
なんてことはなかった。
「由依香を返してください」
落ち着いた声だった。
その表情には修二への怒りは見えない。
「久しぶりですね、桐ケ谷さん」
「……え? ああ、霧山さんですか。どうりで見覚えがあったと思ったんです」
まさか、由依香を浚った人間が、同じ職場で働いていたとは思いもよらなかったみたいで、沙都希は霧山が中里修二だと気づいていなかったようだ。
「偶然、というわけではなさそうですね」
「ええ。あなたを間近で見てみたくなりましてね。ただ、自分でも大胆で、無謀なことをしたなって思いましたよ」
「……そんなことより、由依香は、いますよね?」
「それよりも、教えてくれませんか? なんで、こんなことをしたのか?」
修二の言葉に眉をひそめる沙都希。
どう考えても、こんなこと、をしたのは修二の方だとでも思っているのだろうか。
だが、すぐに入れ替えのことを指していることに気づいたのか、大きく息を吐いて、真っすぐと修二のことを見てきた。
「最初はちょっとした怒りと嫉妬です」
「……どういうことです?」
「亜衣加さんが言ったんです。親の愛があれば子供はまっすぐ育つはずよ、って。私が生んだ、口が裂けた赤ちゃんを見て、したり顔でそう言ったんですよ」
「……たった、それだけ?」
「それだけ? ……ふふ。あなたたちからしたら、それだけなんでしょうね。幸せの中での出産、夫は起業家で未来は明るい。なんの心配もなく毎日を過ごせることが当然と思っているあなたたちならね」
「……」
「だから、私は証明してもらおうと思っただけよ。あんな子供でも、親の愛っていうのを注げるのかを」
「注げるさ。たとえ、どんな容姿だったとしても、亜衣加なら子供を愛したはずだ」
修二がそういうと、沙都希は噴き出したように笑った。
「どうだか。しょせん、他人事だから綺麗ごとを言っただけじゃないの? あんな子供みたいな母親が子供を育てられるとは思えないわ」
沙都希の言葉に修二はカッと頭の奥が熱くなるのを感じた。
「ふざけるな! お前があいつの何を知ってるって言うんだ! 確かにあいつは子供っぽいところがあった。けど、あいつの懐の深さは誰にも負けない!」
笑みを浮かべていた沙都希の顔が呆れへと移り、ため息をつく。
「どうでもいいけど、早く由依香を返してくれないかしら?」
「あの子は亜里沙だ」
「……はいはい。どうでもいいから。早くして」
「お前なんかには絶対に亜里沙は渡さない。あの子は俺の子だ」
「違うわ。由依香は私の子供よ」
「ふざけるな! 血も繋がってないくせに!」
「血が繋がってなくても、あの子は私の子供、私はあの子の親よ!」
「見た目で自分の子供を捨てた奴が、親を語るな!」
沙都希が顔をしかめて、修二を侮蔑した目で見る。
「あんたがそれを言うの? 子供を殺したあんたが?」
沙都希の言葉に言葉を詰まらせる修二。
「結局、あんたたちは親の愛を注げなかったのよ。唇が裂けた、あの子にね。そんなあんたが、私に文句を言う筋合いはないんじゃない?」
「ち、違う……。亜里沙……あいつは自殺だ」
「同じよ。追い込んだんでしょ?」
「……」
「私は生活ギリギリで、いつも由依香には苦労をかけっぱなしだった。でも、あの子が自殺をしようとなんて1度もしなかったわ!」
「違う……。あいつは俺の子供じゃないから……。だから……」
「知る前からそうだった?」
「え?」
「あの子が自分の子じゃないって気づいたのはこの1、2年の間でしょ? その前は? 自分の子だと思っていたときは、愛を注げたの?」
「……っ!」
何も言えなかった。
考えてみれば、あの子には一度も父親として接したことがなかったのかもしれない。
修二は体の力が抜け、ふらふらと壁にもたれ掛かる。
「由依香! 由依香、いるんでしょ!? 顔を見せてちょうだい!」
すると、トントントンと階段を降りてくる音がする。
「お母さん……」
「由依香……」
由依香は沙都希の顔を見た瞬間、目から涙が溢れる。
「……ごめんなさい」
「ううん。謝るのはお母さんの方」
「でも……私……」
由依香がチラリと修二を見る。
だが、沙都希はニコリと笑顔を浮かべる。
「帰ろう、由依香」
「……お母さん」
ポロポロと由依香の目から涙が流れ落ちる。
――嫌だ。
その光景を見て修二の中で感情が渦巻く。
また、俺は失うのか?
亜衣加を失ったように。
せっかく見つけた、亜衣加の忘れ形見。
絶対にもう手放さないと誓った。
そして、ある感情に辿り着く。
――奪われるくらいなら、自分の手で。
修二は包丁を出して構え、由依香に向って走り出した。
「……そうっすか」
「元々、社長は会社に来ることはほとんどありませんからね。ここ2、3日は電話にも出てくれませんよ」
そう言って苦笑いをしたのは、暁くらいの若い男だった。
修二が会社にいるとは思えなかったので、今、会社の中で一番偉い人に話を聞きたいと言ったら、この男が出てきたのだ。
高そうなスーツを着て、髪もしっかりとセットされている。
髭も無精ひげはもちろん、剃り残しさえ一切ない。
物腰も丁寧だが、しっかりと自分の意思は通すというような自信と意思を感じる。
この男の話ぶりだと、今は修二ではなく自分が会社を動かしているようだ。
暁は同じような年齢なのに、正反対の男に対して嫉妬のような感情が湧きつつも、こうなりたいかと言われると嫌だと思う、ある種矛盾した感覚を覚えていた。
この男も色々と修羅場をくぐってきただろう。
だが、暁自身も、くぐってきた修羅場の数は負けないという自負があった。
と、ここで自分が事件に全く関係ないことを考えていることに気づき、慌てて頭を切り替える。
「中里修二さんがどこにいるか、わからないっすかね?」
「はは。私が聞きたいくらいですよ」
最近、同じような台詞を聞いたような既視感がある。
「それより、社長、何かしたんですか?」
「詳しくは言えないっすけど、ある事件の容疑者として挙げられてるっす」
「……やっぱり」
「最近、なにか気になることでもあったんすか?」
「……最近というより、最初からと言った方が正しいでしょうね」
その男の話では、修二はどこか危うい雰囲気があったのだという。
仕事が熱心というと聞こえはいいが、何かから逃げている印象を受けたらしい。
そこまで忙しくないのに、会社に泊まり込み、雑用のような仕事も自分でこなす。
家に帰らず、ホテル暮らしをしていた。
どこか、家には寄り付きたくないような雰囲気だった。
ただ、会社設立時にいた社員の話では、最初は家庭を大事にしていたのだという。
変わってしまったのは奥さんが死んでしまってかららしい。
暁はその人たちに話を聞けないかと聞いたが、みんな辞めてしまったようだ。
奥さんが死んでしまい、男手一つで娘を育てているということで、その頃は社員が一丸になって助けていこうということになったらしい。
だが、修二は家政婦に押し付け、子供から目を背けた。
周りはそんな修二を説得しようとしたが、聞く耳を持たず対立するようになる。
また、その頃から、経営方針もリスクを取る様な方向になり、みんなついていけず、辞めてしまったとのことだった。
「あの、中里修二の自宅の住所がわかる資料とかあるっすかね?」
「ええ。ありますけど、たぶん、そこには社長はいないと思いますよ。いるのは娘さんだけですかね」
中里修二の娘は既に死んでいる。
なので、家には誰もいないだろう。
だが、場所さえわかれば、家の周りで聞き込みができる。
暁は修二の家の住所を教えてもらい、すぐに向かった。
修二の家のチャイムを押すが、反応はない。
……やっぱり。
沙都希は修二の家を見上げる。
豪邸というほどではないが、立派で大きな2階建ての家だ。
広さ的には、沙都希が住んでいるアパートの5倍はあるだろう。
2階が子供の部屋だったのだろうか。
この家を見るだけで、修二が裕福だということがわかる。
だが、修二は亜里沙の育て方を間違えた。
男手一つでということで、育児から逃げたのだろう。
探偵からの資料では、亜里沙は何度も自殺未遂をしている。
沙都希は思わず笑みを浮かべてしまう。
幸せになれるかどうかは、裕福さで決まるものではない。
沙都希は貧乏ながらも、由依香を立派に育て上げた自負がある。
こう考えてみると、17年前に自分がやったことは正しかったと思える。
由依香を引き取ってよかった。
もし、由依香が修二のところで育ったとしたらゾッとする。
あんな素直で可愛い子が自殺未遂を何度もするなんて考えると、気が狂いそうになる。
自分が子育てに失敗したから、いい子に育った由依香を狙った。
そんなのは身勝手な考えでしかない。
絶対に由依香は取り返す。
たとえ、血が繋がってなくても由依香は私の子供だ、という思いに微塵も後ろめたさはない。
由依香の幸せこそが沙都希の幸せなのだ。
沙都希は改めて、修二の家を見上げる。
大きくて立派だが、どこか陰湿に見える。
幸せな家族が住んでいるようには思えない。
来てよかった。
沙都希は改めて由依香を取り返す決意が強く湧いてくる。
少なくとも、修二なんかには絶対に渡さない。
沙都希は踵を返し、探偵の資料の中にある、修二が賃貸契約をしている家へと向かう。
その家は、由依香が行方不明になる前日に借りられている。
おそらく、ここに由依香と一緒に修二がいるはずだ。
沙都希は事前に用意した、カバンの中のナイフを握り締め、書かれている住所へと向かうのだった。
「この辺なんだけどな……」
書かれた住所を見ながら住宅街を車でウロウロとする暁。
携帯のアプリを使っているのに、一向に辿り着かない。
ここまで、迷うのは呪いなんじゃないかとさえ思える。
かといって、近くの交番に駆け込むわけにもいかない。
どうしようか、と考えているとふとある店が目に入った。
不動産屋。
そこで暁はある予感が走った。
おそらく、今向かっている住所の家には修二はいないだろう。
となれば、修二は今、どこにいるか。
もちろん、ホテルということも考えられる。
だが、修二は金を持っている。
ホテル住まいではなく、家を借りているのではないか。
暁は不動産屋の方へハンドルを切った。
そして、この選択は正解だったとすぐにわかることになる。
朝一番にやってきて、速攻で物件を決め、初期費用を2倍払った修二は明らかに不自然で怪しかった。
なので、店員も修二のことは覚えていた。
暁は店員に修二が借りた物件の住所を聞くことに成功したのだった。
チャイムが鳴った瞬間、修二は来たか、と悟った。
正直な話、修二はもう疲れ切っていた。
というよりは、ここからどうするかの案が全く思い浮かんでいない。
考えてすらいなかったのかもしれない。
なにかいい手を考えようとしても、思い浮かぶのは亜衣加との思い出や、由依香との幸せなひと時の時間だけだった。
由依香のことを考えれば、この生活も限界だ。
いつまでもこの家に閉じ込めておくこともできない。
これ以上は単に由依香を苦しめるだけだ。
今になって思えば、さっさと警察に自首すればよかったのかもしれない。
だが、そうなったとき、由依香はどうなるのだろうか?
沙都希の元へと帰ることになるのだけは許せなかった。
全ての元凶である沙都希の元に、最愛の人の忘れ形見である由依香が戻ると考えると気が狂いそうになる。
17年間、修二は苦しみ抜いた。
そんな中、沙都希は由依香と幸せな時間を過ごしていたのだ。
――許せるものか。
修二はキッチンに行き、包丁を手に取り、腰のベルトで止める。
前から見れば、包丁を仕込んでいるのは見えないはずだ。
そのとき、もう一度、チャイムが鳴る。
修二はゆっくりと玄関へと向かった。
ドアを開けた瞬間、沙都希が襲い掛かってくる――。
なんてことはなかった。
「由依香を返してください」
落ち着いた声だった。
その表情には修二への怒りは見えない。
「久しぶりですね、桐ケ谷さん」
「……え? ああ、霧山さんですか。どうりで見覚えがあったと思ったんです」
まさか、由依香を浚った人間が、同じ職場で働いていたとは思いもよらなかったみたいで、沙都希は霧山が中里修二だと気づいていなかったようだ。
「偶然、というわけではなさそうですね」
「ええ。あなたを間近で見てみたくなりましてね。ただ、自分でも大胆で、無謀なことをしたなって思いましたよ」
「……そんなことより、由依香は、いますよね?」
「それよりも、教えてくれませんか? なんで、こんなことをしたのか?」
修二の言葉に眉をひそめる沙都希。
どう考えても、こんなこと、をしたのは修二の方だとでも思っているのだろうか。
だが、すぐに入れ替えのことを指していることに気づいたのか、大きく息を吐いて、真っすぐと修二のことを見てきた。
「最初はちょっとした怒りと嫉妬です」
「……どういうことです?」
「亜衣加さんが言ったんです。親の愛があれば子供はまっすぐ育つはずよ、って。私が生んだ、口が裂けた赤ちゃんを見て、したり顔でそう言ったんですよ」
「……たった、それだけ?」
「それだけ? ……ふふ。あなたたちからしたら、それだけなんでしょうね。幸せの中での出産、夫は起業家で未来は明るい。なんの心配もなく毎日を過ごせることが当然と思っているあなたたちならね」
「……」
「だから、私は証明してもらおうと思っただけよ。あんな子供でも、親の愛っていうのを注げるのかを」
「注げるさ。たとえ、どんな容姿だったとしても、亜衣加なら子供を愛したはずだ」
修二がそういうと、沙都希は噴き出したように笑った。
「どうだか。しょせん、他人事だから綺麗ごとを言っただけじゃないの? あんな子供みたいな母親が子供を育てられるとは思えないわ」
沙都希の言葉に修二はカッと頭の奥が熱くなるのを感じた。
「ふざけるな! お前があいつの何を知ってるって言うんだ! 確かにあいつは子供っぽいところがあった。けど、あいつの懐の深さは誰にも負けない!」
笑みを浮かべていた沙都希の顔が呆れへと移り、ため息をつく。
「どうでもいいけど、早く由依香を返してくれないかしら?」
「あの子は亜里沙だ」
「……はいはい。どうでもいいから。早くして」
「お前なんかには絶対に亜里沙は渡さない。あの子は俺の子だ」
「違うわ。由依香は私の子供よ」
「ふざけるな! 血も繋がってないくせに!」
「血が繋がってなくても、あの子は私の子供、私はあの子の親よ!」
「見た目で自分の子供を捨てた奴が、親を語るな!」
沙都希が顔をしかめて、修二を侮蔑した目で見る。
「あんたがそれを言うの? 子供を殺したあんたが?」
沙都希の言葉に言葉を詰まらせる修二。
「結局、あんたたちは親の愛を注げなかったのよ。唇が裂けた、あの子にね。そんなあんたが、私に文句を言う筋合いはないんじゃない?」
「ち、違う……。亜里沙……あいつは自殺だ」
「同じよ。追い込んだんでしょ?」
「……」
「私は生活ギリギリで、いつも由依香には苦労をかけっぱなしだった。でも、あの子が自殺をしようとなんて1度もしなかったわ!」
「違う……。あいつは俺の子供じゃないから……。だから……」
「知る前からそうだった?」
「え?」
「あの子が自分の子じゃないって気づいたのはこの1、2年の間でしょ? その前は? 自分の子だと思っていたときは、愛を注げたの?」
「……っ!」
何も言えなかった。
考えてみれば、あの子には一度も父親として接したことがなかったのかもしれない。
修二は体の力が抜け、ふらふらと壁にもたれ掛かる。
「由依香! 由依香、いるんでしょ!? 顔を見せてちょうだい!」
すると、トントントンと階段を降りてくる音がする。
「お母さん……」
「由依香……」
由依香は沙都希の顔を見た瞬間、目から涙が溢れる。
「……ごめんなさい」
「ううん。謝るのはお母さんの方」
「でも……私……」
由依香がチラリと修二を見る。
だが、沙都希はニコリと笑顔を浮かべる。
「帰ろう、由依香」
「……お母さん」
ポロポロと由依香の目から涙が流れ落ちる。
――嫌だ。
その光景を見て修二の中で感情が渦巻く。
また、俺は失うのか?
亜衣加を失ったように。
せっかく見つけた、亜衣加の忘れ形見。
絶対にもう手放さないと誓った。
そして、ある感情に辿り着く。
――奪われるくらいなら、自分の手で。
修二は包丁を出して構え、由依香に向って走り出した。
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