トイ・チルドレン

鍵谷端哉

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事件当日

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 亜里沙ありさの首吊り死体を前に、修二しゅうじは必死に考える。
 
 一瞬、阿比留あびるのように放置しようかと思う。
 亜里沙は全く家から出ない。
 だから、亜里沙が死んでいることは、阿比留のときのようにバレにくいだろう。
 
 だが、本当にそれでいいのだろうか。
 今週の週末には由依香ゆいかと、誕生日のお祝いをする予定だった。
 これだけは絶対に外したくない。
 
 そう考えると、やはり家の中に死体を隠すのが一番だろう。
 心配なのは、死臭が体につかないかということだ。
 もちろん、香水はつけていくつもりだが、それよりも死体の臭いの方が強い可能性もある。
 しかも、本人は臭いに慣れてしまい、気づかないパターンもあり得るだろう。
 
 由依香に嫌われることは絶対にしたくない。
 たとえ、臭いが出たとしても死体の臭いだとはバレないだろうが、臭いと思われること自体、避けたい。
 
 由依香との誕生会が、今の修二にとって一番重要だった。
 
 修二は舌打ちをする。
 なんで、このタイミングでやるんだ、と。
 
 最後の最後に盛大な嫌がらせをしやがって。
 
 修二の中には亜里沙が死んだことによる悲しみは全くない。
 あるのは恨み言だけだった。
 
 どうせなら沙都希さつきのところに行ってから、死ねばよかったのに。
 
 一時は沙都希への恨みも薄れていた修二だったが、亜里沙への怒りが沙都希へと向かっていく。
 由依香の高校卒業なんて待つんじゃなかった。
 さっさと、由依香の前で沙都希に自分がやったことを突き付け、後悔させてやれば、今頃はこんなことにはなっていなかったのに。
 
 そもそも、沙都希が入れ替えなんてしなければ、17年間の苦しみはなかったはずだ。
 由依香と一緒なら、亜衣加あいかの死も受け入れられたかもしれない。
 この17年間は幸せな生活を送れたかもしれなかったのだ。
 
 そんなことを考えていた時、修二の頭に、ふと一つの案が浮かぶ。
 沙都希に復讐も果たせ、上手くいけば、警察を煙に巻けるかもしれない。
 
 修二は思わず笑みを浮かべてしまう。
 まるで、悪戯する前の少年のように。
 
 だが、修二はこのとき、絶対に忘れていけないことを忘れていた。
 
 それは――由依香の気持ちだ。
 
 
 
「今までお世話になりました」
 
 それだけ言って、修二は電話を切った。
 律儀にパート先に電話することはなかったのだが、半年近く世話になった場所だ。
 無断欠勤をするよりは、先に電話しておく方がよいだろう。
 
 本当は朝一番に連絡するべきだったが、下準備に時間がかかってしまい、夕方になってしまった。
 朝、不動産が開くと同時に飛び込み、家を借りる。
 そこに由依香を連れて行き、一緒に過ごすためだ。
 
 さすがにこの家に連れてくるわけにはいかない。
 
 敷金礼金を倍出すとこで、即決で借りることができた。
 そして、最低限の家具を購入し、すぐに家に運んでもらう。
 
 食べ物を用意しておきたかったが、まずは由依香の確保が先だ。
 そろそろ、学校が終わるころだ。
 修二はすぐに、いつも待ち合わせする駅へと向かった。
 
 
「亜里沙」
 
 修二は亜里沙……由依香の後姿を見つけて声を掛けた。
 由依香が振り返ると、不思議そうな顔をする。
 
「あれ? どうしたの? こんなところで。今日、会う予定じゃなかったよね?」
「ああ、そのことなんだが……」
 
 そう。由依香には週末に会うと言っていた。
 戸惑うのは当然だろう。
 
「ケーキがさ。間違えて今日、頼んじゃったんだよ」
「ケーキ?」
「そう。誕生日ケーキ」
 
 もちろん、嘘だ。
 だが、なんとかして由依香を家に連れて行かなければならない。
 
「ごめん、亜里沙。ケーキだけ食べに来てくれないか? 生ものだから、時間を置きたくないんだ」
「……うーん。でも……」
「1時間だけでいいんだ。あのケーキは人気でなかなか予約が取れないやつなんだ……」
「うん。わかった。じゃあ、1時間だけね」
 
 修二はホッと胸を撫で下ろす。
 頼めば、由依香ならそう言ってくれるだろうと思っていた。
 だが、今日は沙都希と誕生日を祝うと言っていたから、断られる可能性もあったのだ。
 
「考えてみれば、うちに来てもらうのは初めてだな」
「うん、そうだね。……ちゃんと、掃除してる?」
「ははは。さっき、慌ててやったよ」
 
 駅の駐車場に停めていた車に由依香を乗せ、走り出す。
 そして、今日、借りた家へと向かった。
 
 
 ソファーの上では由依香が眠っている。
 修二は以前、処方してもらった睡眠薬をジュースに入れて由依香に飲ませた。
 
 これで6時間くらいは眠るだろう。
 とにかく、時間を潰す必要がある。
 
 修二は由依香のスマホをカバンから出して、電源を切った。
 
 由依香の寝顔を見ながら、修二は優しく微笑む。
 やはり、亜衣加の面影がある。
 
 由依香の顔を見ていると、亜衣加との思い出が蘇る。
 貧乏で、毎日が生きるのに必死だった。
 でも、そのときが幸せの絶頂だった。
 
 自然と修二の目から涙が流れる。

「う、うう……」
 
 このとき、修二は亜衣加が死んで始めて泣いた。
 
 
「え? あれ? 私……」
 
 由依香が起きたのは、深夜の1時頃だった。
 青い顔をして、必死にスマホを探している。
 
「あれ? ない? どうして?」
「由依香、落ち着いて。沙都希さんには連絡しておいた」
「……え? お父さんが?」
「先生経由でね。友達の家で急な誕生会をやるって言ってもらったんだ」
「そっか……。でも、お母さん、怒ってるよね」
「そのことなんだけど……明日、沙都希と話そうと思うんだ」
「え?」
「今まで、ずっと逃げてたけど、今日、亜里沙の寝顔を見て決心がついたんだ」
「……もう、寝顔見られるなんて恥ずかしいよ」
「ははは、ごめんごめん」
 
 安心したのか、由依香は欠伸をする。
 
「もう少し寝てなさい。きっと疲れてるんだよ」
「う、うん……」
「ああ、そうだ。いいビタミン剤があるんだ。これ飲むと疲れがとれるよ」
 
 そう言って、修二はもう一度、由依香に睡眠薬を飲ませた。


 由依香が眠りについた後、修二は家に戻り亜里沙の死体を車に積み込み、山奥へと向かう。
 
 昼間に買ったガソリンとハンマーを使って亜里沙の死体を『加工』する。
 まずは顔を歯の部分を中心に潰す。
 
 歯型から身元がわかるという話を聞いたからである。
 亜里沙が歯科に通ったことがあるかはわからないが、念のためだ。
 それに唇の裂けた部分を見つけられると、警察にこの死体が由依香ではないとバレる可能性がある。
 
 徹底的に顔を潰した後、修二は亜里沙の死体にガソリンを掛け、火を付けた。
 燃え過ぎないように、ガソリンは少しずつつぎ足すように、皮膚の部分を、特に手の指紋が消えるように燃やす。
 
 そして、亜里沙が首を吊った、阿比留を絞殺したロープで死体を吊るす。
 
 最初はこの死体を由依香だと思い、沙都希は絶望するだろう。
 その顔が見てみたいと思うが、それは叶わない。
 この近くに潜んでいて、見つかったら目も当てられない。
 
 最後に修二は由依香のスマホを死体の下に置こうとする。
 が、もう少し沙都希を追い詰めることと、ここに誘導することを考えると、まだ持っておいた方がよさそうだ。
 
 準備が終わるころには空が明るくなり始めている。
 下手をすると由依香が起きてしまっている可能性がある。
 
 修二は慌てて由依香が待つ家へと戻っていった。
 
 
「お父さん、ちょっと起きてくれる?」
「……ん?」
「ごめんね、起こしちゃって」
「いや、大丈夫だけど……」
 
 チラリと時計を見ると、朝の7時前だ。
 亜里沙の死体の処理が終わって、戻ってきたとき、由依香はまだ眠っていた。
 その寝顔を座って見ているうちに、つい寝てしまったようだ。
 
「そろそろ、学校に行かないと……」
「ああ、そうか。ごめん。その前にバスタオルを用意するな」
「え?」
「シャワー、浴びたいだろ?」
「う、うん。そうだね。できれば浴びたいな」
「ちょっと待っててくれ」
 
 修二は買ってあったバスタオルを袋から出し、由依香のところへ持っていく。

「車で送っていくから、ゆっくり浴びていいからな」
「ありがとう」
 
 由依香がバスルームへと向かっていく。
 その後、不意に修二のお腹が鳴った。
 
 そういえば、昨日から何も食べていない。
 それは由依香も同じだ。
 
 コンビニで弁当くらい買えばよかったと思ったが、後の祭りだろう。
 出前でも取ろうかと思ったが、この時間ではお店が開いているところがなかった。
 
 今からコンビニにでも行こうかとともっていたら、由依香がシャワーから出てきた。
 
「早かったな」
「うん。あんまり時間ないし。もう出ないと遅刻しちゃう」
「あー、そのことなんだがな」
「なに?」
「沙都希さんにバレた」
「え?」
「友達のところに泊まるって先生経由で知らせたって言っただろ?」
「うん……」
「沙都希さん、朝一で確認を取ったらしいんだ。友達にね」
 
 由依香の顔が青くなる。
 少々可哀そうだが、由依香をここに留めるには仕方がない。
 
「で、今、学校に沙都希さんが駆け込んできて、激怒しているらしい」
「大変っ! お父さん、すぐに学校に連れてって! 私、ちゃんと謝るから」
「亜里沙、お願いがあるんだ」
 
 修二は由依香の両肩を掴み、真っすぐ由依香の目を見る。
 
「俺に任せてくれないか?」
「そ、それってどういう……?」
「全部説明してくる」
「ええ? でも……」
「いい機会だと思うんだ。友達の家にいなかったとなれば、いったいどこにいたんだって話になるだろ?」
「う、うん。そうだね……」
「ってなれば、俺の存在を話すのが一石二鳥なんだ」
「わ、わかった。そうしてくれた方が、私もお母さんを説得しやすいかも」
「亜里沙はここで待っていて欲しい」
「え?」
「亜里沙が近くにいれば、沙都希さんは感情的になる。そうなれば、話がこじれるだろ。だから、亜里沙にはここにいて欲しいんだ」
「でも……」
「大丈夫。先生にも根回しはしてある。ちゃんと説得してくるさ」
「……わかった」
 
 由依香は不安そうな表情をしながらも頷いた。
 無理やり納得するしかないだろう。
 
 話を聞く限り、由依香は沙都希に対して反抗期はなかったようだ。
 こんなことをしてしまった今、沙都希を説得する自信はないだろう。
 
 由依香に見送られ、修二は車に乗り込んだ。
 
 
 もちろん、修二は学校には向かわなかった。
 そもそも、沙都希が学校に乗り込んできたこと自体が嘘なのだ。
 
 今頃、沙都希は由依香が帰って来ないことに慌てているだろう。
 だが、修二は自分が17年間続いていた絶望を考えると、この程度は軽いものだと思う。
 
 本当は、あの陰湿で面倒くさい亜里沙を突き返すことで、苦労させたかった。
 何度も自殺未遂をして、病院に呼び出されるわずらわしさを感じて欲しかったのだ。
 
 だが、亜里沙は死んでしまった。
 そう考えれば、沙都希は幸運だと言えるだろう。
 
 そう考えながら車で向かったのは、亜里沙を吊るした山奥だ。
 そして、山に入る前に、由依香のスマホの電源を入れ、沙都希に電話を掛ける。
 
「由衣香! 今、どこにいるの!?」
 
 電話の向こうから沙都希の声が聞こえてくる。
 そこで、修二はあらかじめ収録し、加工した音声を流す。
 
「娘は預かった」
「……え? だ、誰? 預かったって、どういうこと!?」
「悔い改めろ」
「待って! 由衣香は無事なの!? 声を聞かせて!」
 
 電話を切る修二。
 
 これで警察が動き出すはずだ。
 再び、修二は由依香のスマホの電源を落とし、山の中へと入っていった。
 
 
 スマホの電源を入れ、亜里沙の死体の下に置く。
 これでGPSを辿って、ここにやってくるだろう。
 
 山を降りる際に、修二は軽く血を流すくらいの強さで、木に頭を打ち付ける。
そして、誰にも見られないように注意しながら家へと戻った。
  
「……どうだった?」
「ごめん……」
 
 修二は沙都希の説得に失敗したと説明した。
 沙都希が逆上して、殴りかかって来て、「殺す」と脅されたと話す。
 
「だから、もう少し時間が欲しい。絶対に沙都希さんを説得してみせるから」
 
 こうして修二は苦し紛れだが、時間の猶予を手に入れた。
 少しでも由依香と長くいられるように。
 そして、少しでも沙都希を苦しめるために。
 
 随分と破綻と無駄が多かったが、一晩で考えたにしては上出来だと思う。
 
 ただ、この後、どうなるのかは予想がつかないし、どうすればいいのかもわからない。
 なるようになれ。
 
 修二はヤケクソのような感覚になっていた。
 今はただ、由依香と一緒にいよう。
 
 それだけを考えていた。
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