トイ・チルドレン

鍵谷端哉

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中里修二の回想③

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 修二しゅうじが呼び出されたのは、阿比留あびるが住むアパートだった。
  
 もっと他の、人がいないような場所だとダメなのかを聞いてみる。
 すると。
 
「わかるよ。こんなこと依頼してるんだもんな。誰にも知られたくないよな?」
「……」
「けど、心配するなよ。ここは逆に人目につかないんだよ」
「……どうしてですか?」
「俺もさ、そういうのに気を使うんだよ。実はこのアパートは俺以外には誰も住んでないんだ」
「え? アパートなのに、ですか?」
「ここって、俺が依頼者から取り上げた……あー、いや、譲ってもらったところなんだよ。だから実際、誰も住んでない。けど、周りからは人が出入りしても気にされないんだ。アパートだからさ」
「……わかりました。30分後に行きます」
「ああ、じゃあ、待ってるぜ。社長さん」
 
 電話がプツリと電話が切れる。
 
 修二は依頼の前に阿比留の情報はある程度調べていた。
 金に汚いこと。
そして、多くの人間に恨まれていること。
 
 今回のような法に触れることを平然とやってくれることには都合が良かったが、所詮は犯罪者だ。
 だから、修二は自分の素性は教えていない。
 だが、阿比留は「社長」と言っていた。
 
 こちらの情報は調べられている。
 
 考えてみれば、相手は曲がりなりにも探偵だ。
 修二のことを調べることなんか、たやすいだろう。
 
 嫌な予感がする。
 
 修二は阿比留の家に行く前に、なんとなくコンビニに寄り、手袋を買っていった。
 
 
「ほい。これがご希望のデータだ」
 
 阿比留はファイルを手に持っている。
 修二はてっきり、データで貰えると思っていたので、少し驚いた。
 この時代、まさか紙媒体とは。
 
「まあ、17年前のことだからなぁ」
 
 修二が何を考えているのかを読んだのか、阿比留はファイルを手遊びのように振り回しながら言う。
 
「ありがとうございました」
 
 修二がファイルに手を伸ばすと、阿比留はファイルを持つ手を上げた。
 
「先に金だ」
「……わかりました」
 
 修二は用意しておいた100万円が入った封筒を阿比留に手渡す。
 阿比留はニヤリと笑い、封筒を受け取って中の金を見て、満足そうに頷く。
 
 今度こそ、修二はファイルを受け取ろうとファイルに手を伸ばす。
 だが、阿比留はファイルを渡そうとしない。
 
「先に言っておくが、この金はこのデータを手に入れるための金だ」
「……何が言いたいんですか?」
「口止め料は別ってことだよ」
「口止め料?」
「俺さ、口が軽いから。色々とすぐしゃべっちゃうんだよね」
 
 やっぱり。
 修二はそう思った。
 どうせ、こんなことだろうとは予想していた。
 
 だが、修二は本物の亜里沙を見つけ、相手に復讐できれば、あとは何もいらないと思っていた。
 金も今の地位も、捨ててもかまわないと思っている。
 だから、阿比留が誰かにこのことをしゃべり、今の会社を手放すことになっても、かまわなかった。
 
 今になって思えば、修二は単に仕事に逃げていただけっだことに気づく。
 何かに打ち込んでいなければ、亜衣加を失ったことに耐えることはできなかった。
 仕事に集中することで、亜衣加のことを考えないようにしていただけだ。
 
 修二には会社があったから、仕事に集中していたが、もし、それがなければとっくに自ら命を絶っていたのだろうと思う。
 
 なので、阿比留のこの脅しは修二には全く意味がなかった。
 
「別に、誰に何を話しても構いませんよ」
「あ、そう」
 
 阿比留はようやく手に持っていたファイルを修二に渡す。
 
「けど、ビックリするだろうな。17年前に同室だった人間が、自分のことを探してるなんて知ったらさ。俺だったら、逃げちゃうね。誰も探せないようなところに」
 
 修二は頭が真っ白になった。
 阿比留の言うように、先に相手に言われてしまえば、十中八九、逃げるだろう。
 そして、今度は阿比留でも探し出せるかわからないように消息を絶つ可能性がある。
 
 それは本物の亜里沙と一生会えないことを意味する。
 
 阿比留よりも先に、接触して、復讐すればいいと考えたが本物の亜里沙と信頼を深めてからじゃないと、復讐は果たせない。
 17年間育ててくれた親は、本当の親ではなく、自分こそが本当の親と認識してもらうには時間がかかる。
 その間は絶対に、相手に知られてはならないのだ。
 
「……口止め料はいくらですか?」
「1ヶ月、100」
「……わかりました」
 
 復讐するまでの我慢だ。
 
 その後、修二は追加で阿比留に100万を渡したのだった。
 
 
 
「言った通りだっただろ?」
 
 ファミリーレストランのボックス席で、修二はDNA鑑定の紙を由依香ゆいかに見せた。
 
「……そっか。私、お母さんの子供じゃなかったんだ」
 
 由依香はショックを受けているようだ。
 それも仕方ないだろう。
 17年間も女手一つで自分を育ててくれた母親が、本当の親ではなかったのだ。
 
「でも、これだけは覚えていておいて欲しい。17年間、君をずっと守り育ててきた沙都希さつきさんは血の繋がりがなかったとしても、母親なんだよ」
「……うん。そうだよね」
 
 阿比留の資料から、すぐに由依香に行きついた。
 由依香に接触してから約1ヶ月が経過している。
 
 最初は死んだ娘に瓜二つということで声を掛け、少しずつ信頼を深めていった。
 由依香は父親という存在に憧れていたということもあり、最初は修二のことを警戒していたが、それもすぐに解けた。
 
 修二は、本当の血の繋がりを無意識の中で感じ取ったのではないかと思っている。
そして、頃合いを見て、本当のことを話したわけだ。
 
その話を聞いたときは、まったく信じてないようだったが、DNA鑑定という証拠を突きつければ、さすがに認めざるを得ないだろう。
 
 また、最初から気を付けていたのは絶対に沙都希のことは悪く言わないことだ。
 17年間、ずっと沙都希と暮らしている由依香はたとえ、沙都希が犯罪を起こしていたとしても、悪く言われることに抵抗があるだろう。
 
「由依香。もう一つ。これだけはわかってほしい。俺は何も、沙都希さんから、君を奪いたいわけじゃないんだ。ただ単に、俺も君に会いたいというだけなんだ。17年間、会えなかったからね。その空白の時間を埋めたいんだ」
「……うん」
「沙都希さんには感謝してる。女手一つで、君をここまで立派に育ててくれたんだ。感謝してもしきれない」
「……」
「だけど、やっぱり、経済的にも厳しいと思うんだ。だからさ、俺にも手助けをさせてほしい。大学に通うのだって、決して安くはないだろ」
「でも……」
「由依香。君は俺の娘だ。親が子供のためにお金を出すのは当たり前のことだろ?」
「……」
「……17年間、何もできなかったんだ。俺に親らしいことをさせてくれないか?」
「……ありがとう。お父さん」
 
 この日、初めて由依香は修二のことをお父さんと呼んでくれた。
 由依香への信頼が高まっている。
 だが、まだまだ沙都希に復讐するには足りない。
 
 できれば、由依香の方から沙都希に対して決別して欲しい。
 ただ、そこまでに持っていくのは、まだまだ時間がかかりそうだった。
 
 ゆっくり行こう。
 焦って、由依香に警戒心を持たれてしまったら全てが台無しになってしまう。
 そう思っていたときに、再び阿比留から連絡がきた。
 
 
「もう100万もらえねーかな?」
「……」
 
 まるで子供が親に小遣いをねだる様な、そんなノリで金の追加を言い出してきた阿比留。
 こうなることは薄々感づいていた修二。
 だが、ここまで早いとは思っていなかった。
 
「あ、追加の100万はボディーガード代だよ」
「……ボディーガード代?」
 
 突然、斜め上のことを言われ、困惑する修二。
 すると阿比留はニヤニヤと笑みを浮かべた。
 その顔を見た瞬間、なぜか修二の背筋が寒くなった。
 
 だが、その理由はすぐにわかることになる。
 
「由依香ちゃん、可愛いよな」
「……」
「あんなに可愛いとさー、変な男に狙われると思うんだよ」
「……それをあんたが守るっていうのか?」
「いやいやいや。違う違う。そんな面倒なことするわけねーじゃん」
「じゃあ、どういう……?」
「俺から守るための100万ってこと! 金くれれば由依香ちゃんは襲わないよ。どう? 100万で娘の純潔守れるなら安くないか?」
 
 気づけば、阿比留は泡を吹き、白目を剥いて倒れていた。
 修二の手には、阿比留の部屋にあったロープが握られている。
 
 小さく痙攣する阿比留を見下ろしながら、修二は自分のしたことに恐怖を覚えながら、由依香を守れたことを誇りに思う感覚も感じていた。
 金を渡したからと言って、阿比留が由依香を襲わないとは限らない。
 そのくらい、この男には信用がおけなかった。
 
 やってしまったことに後悔はない。
 だが――。
 
 どうする?
 
 それだけが頭の中を巡っていた。
 
 幸い、いつ、こんなことになってもいいように、阿比留と会うときはいつも手袋をつけるようにしていた。
 だから、この部屋には修二の指紋はついてないはずだ。
 
 どうする? どうする? どうする?
 
 頭が真っ白になり、何も考えられない。
 それでも必死に頭を働かせようとした。
 
 だが、結局、修二は何もせずに阿比留の部屋を出た。
 
 小説やドラマなどでは何か仕掛けをして死体を隠したり、自分に容疑がかからないようなことをしたりするのだろうが、修二には何の案も浮かばなかった。
 できることと言えば、一刻も早く部屋を出ること。
 変に部屋に残ることで、逆に自分の痕跡を残してしまう気がした。
 
 だが、それは単なる言い訳だったのかもしれない。
 ただ、その場から逃げたいだけだと言われても、否定はしないだろう。
 
 そして、帰る途中だった。
 ふと、警察署が目に付いた。
 
 修二はすぐに車を停車させる。
 普通は、人を殺した後、警察がいるところからは避けるだろう。
 だが、修二の頭の中は、由依香のことばかりだった。
 
 もし、今、警察に捕まってしまったら、沙都希から由依香を取り返すことはできない。
 まだ、由依香の信頼を完璧に得ていない。
 この状態で由依香を誘拐したとしても、逆効果になるだけだろう。
  
 それなら、先に沙都希が取り違えをしたと、警察に相談するのはどうだろうか?
 自分が捕まるよりも先に、沙都希を逮捕させれば、由依香は自分のところに来るはず。
  
 修二は車を警察署に向かわせた。 
 
 
「要件はなんっすか?」
 
 刑事課の人を呼んで欲しいと言うと、若く、何とも軽そうな人間が出てきた。

「あー、いや……」
 
 修二はこの頼りなさそうな刑事に、話すのを躊躇った。
 もっと、信頼のおける人間に相談したい。
 相談する人を変えれないかと考えていた時だった。
 40歳くらいの貫禄がある男が、奥から歩いてくる。
 
「おい、八神やがみ。駅でひったくりだ」
「いわさんが、行ってくださいっす! 俺、今、相談受けてるんで」
「相談は俺が変わる」
「えー? それ、駅の方が面倒くさいから、俺に押し付けようとしてるだけっすよね?」
「わかってるじゃねーか。ほれ、行ってこい」
「……相変わらずっすね」
「合理的って言え」
「……はあ。じゃあ、あっちの人が相談に乗ってくれるそうなんで」
 
 不満そうにそう言って、若い刑事は出口へと走って行った。
 修二的にはこれでよかったと安堵する。
 
「で? 要件はなんです?」
「はい。実は、その、取り違えのことなんです」
「取り違え?」
「いえ、この場合は誘拐と言った方が正しいと思います」
「……誘拐ねぇ」
 
 面倒くさそうに頭をガリガリと掻いている。
 
「証拠ならあるんです!」
「……なるほど。経緯を聞いていいですか?」
「は、はい。えっと、山城やましろ病院で……」
「山城病院?」
「え? あ、はい」
「県境近くにある?」
「……そうです」
 
 すると、さっきまで面倒くさそうに話を聞いていたのが、一気に笑顔に変わる。
 
「うちの管轄外ですね。すいませんが、県の向こうの警察署に行ってください」
「……わ、わかりました」
 
 修二は絶望した。
 警察なんて、しょせんそんなものだ。
 
 修二の中で警察への侮蔑の思いが膨れ上がる。
 こんな無能な警察なら、阿比留を見つけられないのでは?
 見つけられても、自分にはたどり着けないのでないのだろうか、という思いが広がる。
 
 そのとき、修二の中で何かが吹っ切れた。
 というより、既に修二の心は壊れかけていたのかもしれない。
 亜衣加が死んだ、あの日に。
 
 
 それから修二は、自分の計画を推し進める。
 とにかく、由依香の信頼を得ることに全力を注ぐのであった。
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