トイ・チルドレン

鍵谷端哉

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中里修二の影

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 中里なかざと亜衣加あいか
 おそらく沙都希さつきと赤子を入れ替えられた人だろうと看護師長が予想した人だ。
 
「なんでそう思うんすか?」
「気づかれない……というか、騒がれないからよ」
「それは……あ、そっか」
 
 そう。
 亜衣加はオージーモール火災事故の日に亡くなっている。
 もし、赤子を入れ替えられたとしても、気づけないし、言うこともできない。
 まさしく死人に口なしだ。
 
「けど、父親の方が気づいたりしないっすかね?」
「もちろん、その可能性もあるわね。でも、気づけなかったから、こんなことになってんじゃないの?」
 
 確かにそうだ。
 全てはこの取り違え……赤子のすり替えからこの事件が始まったと言える。
 
 17年。
 
 そう、17年の間、霧山きりやまは気づけなかったのだ。
 
「あの、この中里亜衣加さんの結婚相手……旦那さんの名前はわかるっすか?」
「……これはあくまでカルテだからね」
「そうっすよね。名前だけでもわかっただけで十分、進展したっす」
「あくまで、私の予想なんだから条件に当てはまる人の名前は覚えておいた方がいいんじゃない?」
「……そうっすよね」
「あなた、本当に刑事?」
「うっ」
 
 あきらは一度思い込んだら、わき目を振らず突き進んでしまうことがある。
 そのことが良い方向に傾くこともあるが、大抵は失敗することが多い。
 そのことでよく安曇にも注意されるのだ。
 
「ちなみに、中里亜衣加さんの死因はなんだったんすか?」
「……出血多量みたいね」
「出産時に、ってことっすか?」
「いや、カルテを見る限り産後数時間経ってからみたい」
「そうっすか……。まさか、医療ミスとかじゃないっすよね?」
「その台詞をここで言う?」
 
 ギロリと看護師長に睨まられる。
 
「あーいや、何でもないっす。じゃあ、ありがとうございました」
 
 暁は看護師長たちに頭を下げ、足早に病院の出口へと向かう。
 本来であれば、当時のことを知る医師にも話を聞くべきだろうが、早く霧山についての情報が欲しかったのだ。
 
 
 
 暁は署に戻り、さっそく中里亜衣加のデータを調べた。
 結論を言うと、ビンゴだった。
 
「単純っすね」
「まあ、偽名なんてそんなもんだろ」
 
 安曇あずみにも手伝ってもらって、大体1日で調べることができたのだ。
 中里亜衣加の夫の名前は中里修二しゅうじ
 そして、亜衣加の結婚する前の苗字が霧山だった。
 つまり、名前はそのまま使い、苗字は妻の元の苗字を使ったというわけだ。
 
「子供の名前は――亜里沙ありさ
 
 ここで完全に繋がった。
 暁が駅前で由依香ゆいかと霧山修二を見た時、霧山は由依香のことを亜里沙と呼んでいた。
 そして、パート先でも娘である由依香を亜里沙と紹介している。
 
 霧山……いや、中里修二から見れば、由依香こそが本当の亜里沙なのだ。
 だからこそ、由依香のことを亜里沙と呼び、由依香も亜里沙と呼ばれることを受け入れたのだろう。
 
「ってことは、あの死体は――」
「ああ、中里亜里沙だろうな」
 
 DNA鑑定で沙都希の娘だと証明されている。
 
「それにしても、なんで殺す必要があったんすかね?」
「なにがだ?」
「だって、血が繋がっていなくても、17年間、一緒に過ごしたんすよ? それを……」
「血が繋がっていても人は人を殺す。そんなの今まで何度も見てきただろ?」
「そ、そりゃそうっすけど……」
 
 血が繋がる家族を殺す事案は意外と多い。
 それはわかっているが、理解できない。
 
「なにが原因なんすかね? 桐ケ谷きりがやさんへの復讐だとしたら、おかしいっすよ。子供には罪はないじゃないっすか!」
「それは本人に聞くまでわからねーよ。当事者にしかわからない苦しみだってあるだろ」
「……そうっすけど」
「それより、今度は中里修二を調べるぞ。桐ケ谷沙都希に先を越されないためにもな」
「はいっす」
 
 そう。沙都希は血が繋がっていない由依香をあんなに愛していた。
 今も、由依香を探すために中里修二を血眼になって追っているのだろう。
 そして由依香は実の父親である中里修二が必死になって探し当てている。
 これも、深い愛情がなければできないだろう。
 由依香を取り戻すために、2人も殺しているのだ。
 
 対して、中里亜里沙はどうだろうか。
 17年間一緒に暮らしていた、父親だと思っていた相手に殺され、実の母親である沙都希に放置されている。
 
 同じ日に生まれた女の子。
 片方は愛され、片方は愛されなかった。
 なぜ、そうなったのだろう。
  亜里沙から見れば、勝手に入れ替えられ、勝手に育てられ、勝手に殺された。
子供からの視点で考えると、こんなにつらいことはない。
 
「おい、八神やがみ、ボーっとすんな」
「は、はいっす!」
 
 頭のモヤモヤした気持ちを振り払うため、暁は両頬を叩き、気合を入れた。
 
 
 中里修二はIT会社の社長だった。
 大企業というわけではないが、中里自体は金持ちの分類に入るだろう。
 
「おそらく阿比留あびる強請ゆすられたんだろうな」
「依頼後に、報酬を跳ね上げられたんすかね?」
「だろうな。振れば振るほど金が出てくると踏んだんだろ」
「社長の立場で、こんな依頼をしたなんて雑誌にでもタレこまれたら大打撃っすからね」
「それもあるだろうが、おそらく桐ケ谷沙都希に知らせると言ったんだろうな」
「……?」
「桐ケ谷沙都希に伝えたら、どうなると思う?」
「あー、えと、警戒するっすよね?」
「警戒って、具体的にどうするんだ? 娘に気を付けてとでも言うのか?」
「あ、そうっすよね。桐ケ谷さんは由依香さんに事情は話せない」
「なら、どうする?」
「……姿をくらましますよね」
「今度は念入りに消すだろうな。下手をすると他県へ行くことも考えられる」
 
 そうなると中里はまた由依香を探し始めなければならない。
 そして、今度は見つけられない可能性も出てくる。
 
「……あれ? けど、桐ケ谷さんの情報を貰ってしまえば、もう阿比留は用無しっすよね?」
「中里修二の目的はなんだ?」
「え? 由依香さんを取り戻すことっす」
「入れ替えられたから返せと言って、返ってくると思うか?」
「……警戒されて終わりっす」
「中里は時間が必要だったはずだ。桐ケ谷由依香との信頼を得るまでのな」
「その間の口止め料を払えって言ってきたんすかね?」
「ま、何か口論になってやっちまったという線もあるからな。どっちにしても中里を捕まえりゃわかる」
「合理的っすね」
「合理的って言え……って、俺の台詞取るんじゃねーよ」
「じゃあ、俺、中里の会社に行ってきます」
「ま、頑張れや」
「うっす」
 
 勢いよく立ち上がり、走り出す暁だった。
 
 
 
 ヒイラギ探偵事務所。
 沙都希は担当者である小太りで眼鏡の探偵から、書類を渡されていた。
 
「写真に写っていた中里亜衣加の配偶者である中里修二はネバーズという会社を経営しています」
「……娘の方はどうですか?」
「はい。中里亜里沙は中学生の頃から引きこもりをしていたみたいですね」
「そうですか……。その、原因はやっぱり……?」
「ええ。口唇口蓋裂こうしんこうがいれつですね。幼年期に手術したらしいですが、完治しなかったらしいですよ」
「……」
「それが原因で小学校の頃にイジメがあり、自分で傷口を切り裂いたという噂があります。……まあ、イジメでやられた可能性もありますがね」
 
 沙都希はなんとも複雑な気分になった。
 もし、自分が育てていたとしても同じような結果になっただろう。
 いや、中里よりも経済的な余裕がない分、もっと酷いことになっていた可能性が高い。
 
 ふと、出産の際の入院の時のことを思い出す。
 
「親の愛があれば子供はまっすぐ育つはずよ」
 
 亜衣加の言葉である。
 沙都希が娘の口唇口蓋裂に絶望していた時に、ヘラヘラとしながら言ったことを今でも忘れていない。
 
 結局、親の愛なんて関係なかったんだ。
 それか、口唇口蓋裂の娘を愛せなかったのか。
 どちらにしても亜衣加の言葉は間違っていたと証明されたわけだ。
 
「中学がそんな状態だったので、もちろん高校にも行ってないようですね」
「……ということは働いていた、ということですか?」
 
 探偵のいうことに首を傾げる沙都希。
 学校に行くよりも働く方が大変なのではと思ってしまう。
 
「いやいやいや。もちろん、引きこもりですよ。引きこもり」
「引きこもり?」
「外に出ないで、ずっと部屋の中に閉じこもることですよ」
「……一日中、部屋の中で何をするんですか?」
「さあ? 今はインターネットがありますからね。時間を潰すにはことかかないと思いますよ」
「……」
 
 沙都希には理解できなかった。
 学校に行くか、働くか、その2択しかなかった沙都希。
 いや、その2択さえも許されなった。
 
 高校を中退し、夜の店に働きに出た。
 由依香にはあんなことを、絶対にさせないと誓い、17年間必死に働いてきた。
 そして、由依香もそんな沙都希に応えるように、真っすぐに育ってくれた。
 由依香は沙都希にとって誇りそのものだった。
 
 逆に亜里沙は変に金持ちの家に行ったことにより、学校にも行かず働きもせずに過ごすなんて生活が出来たのだろう。
 そう考えると、娘を入れ替えたことは正解だと確信できる。
 間違いなのは、自分の娘を愛せなかった中里の方だ。
 
「あの、住所の方は?」
「こちらになります」
 
 探偵がファイルの中にある紙を取り出して、沙都希に渡す。
 
「ご要望通り、会社と個人で契約している家と倉庫の住所も記載しています」
「……ありがとうございました」
 
 座ったまま深々と頭を下げる沙都希。
 そして、カバンから封筒を出して探偵に渡す。
 
 貯金のほとんどを使ってしまった。
 由依香の大学進学ために貯めていたお金だ。
 だが、そんなことは沙都希にとっては些細なことだった。
 由依香が戻ってくるのなら、安いお金だ。
 
 由依香さえ戻ってくればやり直せる。
 最悪、また夜の店で働けばいい。
 昔ほど稼げないかもしれないが、掛け持ちで昼も働けばなんとかなるだろう。
 
 由依香には自分の歩めなかった道を進んで欲しい。
 沙都希が味わうことができなかった青春も楽しんで欲しい。
 由依香を立派に育てあげることが、沙都希にとっての人生そのものになっている。
 
 絶対に由依香を取り戻す。
 そう決意を固め、沙都希は立ち上がり、探偵事務所を後にした。
 
 
 沙都希は初めに中里の家へと向かうために電車に乗る。
 おそらく、由依香はそこにはいないだろう。
 
 亜里沙の死体を見せつけた。
 それは「俺は気づいたぞ」という警告だろう。
 つまり、沙都希が、由依香が生きていることに気づくというのは想定内のはずだ。
 なのに、悠長に家に由依香を連れて行くとは思えない。
 
 それでも最初に中里の家に向ったのは、この目で家を見たかったのかもしれない。
 無意識に実の娘が17年間過ごした場所を見たかったというのがあったのだろう。
 
 亜里沙に対しての情はない。
 今の娘は由依香だからだ。
 
 ただ、唯一、実の母親として思うことは、「あんな家に置いてきた」ことに対しての自責の念のみである。
 
 この事件が解決したら、お墓くらいは用意してあげよう。
 そう考えた後、沙都希は外を眺めながら由依香の無事を祈り始めた。
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