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死体の謎
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警察署の検死室の前。
ソファーに座りながら、祈るように手を合わせて震えている沙都希。
「由依香……由依香……」
その様子を少し離れた場所で立って見ている暁と安曇。
焼死体を発見後、すぐに署に連絡を取り、死体を回収した。
そして、そのまま検死に回されたというわけだ。
今は、その結果を待っている。
「いわさん、どう思います? あの死体」
「胡散臭いな」
「っすよね」
「手がかかり過ぎてる」
「顔を潰した上に、火を付けてるっすからね」
死体は首を吊った状態で吊るされていた。
手足はダラリと下がり、首もまっすぐ下を向いてた。
ということは、おそらく犯人は殺した後に火をつけているということだ。
もし、火をつけて殺した後、吊るしたのであれば、悶えた形跡が少なからず残っているはずだ。
つまり、まずは首を絞めて殺した後に火をつけて肌を焼き、あそこの木に吊るしたということになる。
安曇の言うように手がかかり過ぎているというわけだ。
「あれじゃ、パッと見、誰だかわからん」
そう考えると、死体を焼いた理由は『誰かわからなくする』ためだろう。
「ここまでやる理由は一つっすよね?」
「死体のすり替えだろうな」
あの焼死体を見た時、暁も同じ印象を持っていた。
「あの死体は由衣香さんじゃない……」
「十中八九な」
「誰なんすかね?」
「さあな。それを今、調べてるんだ。俺達は検死結果を待てばいい」
推理するには、現時点は情報が少なすぎる。
ここは安曇の言うように検死の結果を待つしかない。
今考えるべきは、他にある。
暁は今までの経緯を頭の中で追ってみる。
「犯人は、あの死体を俺達に見つけさせるために連絡してきたってことっすよね?」
「そうなるな。娘を誘拐した後、あの死体を用意し、あそこに吊るす。そう考えれば、連絡が来たのが、あのタイミングになったのも、時間的に頷ける」
由依香のスマホのGPSに繋がる前、安曇と話した内容のことだ。
なぜ、犯人はすぐに連絡して来なかったのか。
死体に細工していたと考えれば、辻褄が合う。
「けど、これで犯人の手掛かりはなくなった……。振り出しっすね」
ため息をつく暁。
GPSを辿ってあの場所に辿り着いた。
当然だが、あの焼死体があった場所に由依香のスマホが置いてあった。
今まで犯人との唯一と言っていい繋がりは由依香のスマホだけだった。
しかし、そのスマホを回収してしまった今、犯人と連絡を取る方法が無くなったわけだ。
それは逆もしかりだ。
「もう、あっちの出方を待つって手は使えないっすよね」
「逆に、これで犯人がある程度絞れたがな」
「え? マジっすか?」
「あの死体が娘じゃないってことは、母親への怨恨って線は消えた」
暁には一瞬、安曇が何のことを言っているのかわからなかった。
なぜ、死体が由依香じゃない場合、怨恨ではなくなるのか。
数秒、頭を働かせてすぐに正解へとたどり着く。
「あっ! 確かに。恨んでるなら、由衣香さんを実際に殺害するはずっすからね」
そう。犯人はわざわざ、他の死体を用意して、あんな手の込んだことをしたのだ。
「それと、わざわざ、ああして、手間をかけて、偽の死体を用意した。この意味がわかるか?」
「えーっと……。犯人は、由衣香さんが死んだと思わせたかったんすよね?」
「ああ」
「けど、あの死体が偽物ってことは、由衣香さんは生きている……」
「犯人は娘を殺せない、生かしておきたいという人物だ」
安曇の言葉で、ピンとくる。
「あっ! パパ活の相手!」
「そうだ。そう考えれば辻褄が合う」
改めて、暁は犯人の行動を整理、推測してみる。
「まず、由衣香さんを誘拐し、桐ケ谷さんに恨みがあることを仄めかす」
「で、偽の死体を見せて、娘が死んだと思わせる」
「警察は怨恨の方向で捜査するから……」
「パパ活の相手は、一旦、捜査線上から外れるわけだな」
「で、捜査が行き詰っている間に、由衣香さんを、用意した場所に監禁するってわけっすね」
「あとは、事件が迷宮入りするのを待つだけだな」
ピッタリとピースが合ったような感覚がした。
辻褄は合っている。
「事件の全貌が見えてきたっすね」
「あとは、あの死体が誰かってところだな。それも大きな手掛かりになるはずだ」
結局は検死の結果を待つしかない。
ちらりと検死室のドアを見るが、まだ開きそうにない。
「それにしても、犯人は、あんな方法で警察を騙せると思ったんすかね? 今の科学捜査を舐めすぎっす」
「一般人なら、その辺はわからんだろ」
「そうっすかね? 今の、この手の作品って、結構、リアルに描かれてるっすよ。科学捜査がどの辺まで進んでるとか」
以前、暁はドラマを見て、そうだったのかと感心した覚えがある。
そのくらい、今は色々と情報がオープンになっている。
もちろん、嘘の情報も多いのだが。
「全員が全員、お前みたいに創作物が好きってわけじゃねーだろ。俺だって、この仕事してなきゃ、あれで誤魔化せると思うはずだ」
「パパ活の相手は40代らしいっすからね。そういうことを知らない可能性はありそうっす」
40代は日々、仕事に追われてドラマとかあまり見ていない気がするというのが、暁のイメージだ。
「ここまでわかってるなら、すぐに捕まえられそうだな」
あまりそういう情報を知らないのであれば、逆に手がかりをたくさん残している可能性がある。
そして、手がかりを多く残しているのであれば、捕まえるのもそう難しくはないはずだ。
「これで、阿比留の方に集中できそうだ」
「そういえば、そっちの方の捜査は進んでるんっすか?」
「今は聞き込みが中心だな。なんせ、容疑者が山ほどいる」
何でも屋をやっていた阿比留は多くの人間から恨みを買っていたという話だ。
山ほどいる容疑者のアリバイを洗うだけでもかなり時間がかかるだろう。
「阿比留の方がよっぽど、難儀しそうだ」
「ご愁傷さまっす」
「……まだ、こっちの方が解決してねーからな。俺も、しばらくはこっちにつくか」
「いわさん、それ、楽したいからっすよね? ズルいっすよ」
「合理的って言え」
「とはいえ、一刻も早く、由衣香さんを見つけてあげないといけないっすね」
「ああ。……そう考えると、どっちもどっちか」
阿比留の方は犯人を見つけるのが大変だが、こちらは由依香を探すのが大変そうだ。
逆に言うと由依香の方は生きている分、急がなければならない。
時間との勝負というわけだ。
そんな気の抜けたやり取りをしていると、ふと、沙都希の声が聞こえてくる。
「……由依香。……由依香」
暁たちはあの死体が由依香のものではないだろうとわかっている。
だが、沙都希の方は結果が出るまでは安心できないはずだ。
娘の生死がかかっている今、その恐怖は計り知れないものだろう。
暁は沙都希の隣に座り、微笑む。
「大丈夫っすよ。あれは由衣香さんじゃないっす」
「……は、はい。そう……信じてます」
「由衣香さんは、必ず、俺が見つけてみせるっすから」
「ありがとうございます……」
今はこれくらいしか言えない。
あとは、あの死体が由依香ではないという結果を待つしかないのだ。
そのとき、検死室のドアが開く。
中から検死官が出てくる。
「よお、結果が出たぞ」
ぼさぼさ頭に、着崩れた白衣。
寝不足なのか目の下にクマが出来ている。
「お疲れ。……で? どこの誰だったんだ? やっこさんは?」
安曇が検死官に訪ねる。
確か、2人は同期だったと言っていたのを、暁は思い出す。
検死官は面倒くさそうに顔をしかめて、口ごもる。
「どうした?」
「あの死体を、桐ケ谷由衣香だと断定した」
その検死官の言葉に、一瞬、その場の時間が止まったような感覚がした。
そして、すぐに 沙都希の体から力が抜けフラリと倒れそうになる。
「桐ケ谷さん!」
慌てて両肩を抑えて、支える暁。
そんな暁を横目で見ながら、安積は検死官に詰め寄る。
「……どういうことだ?」
「どうもこうもねぇ。言ったままの意味だ」
「疑うわけじゃないが、決め手はなんだ? 顔を潰されてるから、歯からの鑑定も難しいだろ」
安曇の疑問をあらかじめ予想していたかのように、情報を付け加える検死官。
「死体も燃やされているから、指紋も取れねーしな」
「なのに、断定した理由はなんだ?」
「疑ってるじゃねーか。けど、まあ、お前の気持ちもわかる。状況を見る限り、最初は俺も桐ケ谷由依香じゃないだろうと思ったからな」
「……」
無言で、さっさと先を言えと促す安曇。
そんな安曇の圧を受け、検死官はポリポリと頭を掻く。
「よく考えろ。もっと簡単な判別方法があるだろーが」
「あん?」
「この場には母親がいるんだぞ?」
そう言って検死官は沙都希を指差す。
安曇も眉をひそめて沙都希を見た時に、ハッとする。
「DNA鑑定か」
「ああ。ほぼ間違いなく、あの死体は、桐ケ谷沙都希の娘だ」
「……え?」
小さく声を上げたのは沙都希だった。
そして、しばらく呆然としたと思うと、急に頭を抱えてしゃがみこんでしまう。
「……そんな……まさか」
「桐ケ谷さん?」
暁が沙都希の顔を覗き込むと、沙都希は目を見開いた。
「ああああああああああああああ!」
「桐ケ谷さん、落ち着いてくださいっす!」
「八神! 医務室に連れて行ってやれ」
「うっす。……桐ケ谷さん、立てるっすか? 医務室で休みましょう」
だが沙都希はすくっと立ち上がって、安曇の方へ向いてこう言った。
「帰っていいでしょうか?」
「え?」
突然の帰宅の要望に困惑する暁。
沙都希からは表情が消え、何を考えているかわからない。
「帰って、家でゆっくり休みたいんです」
「何人かで、家の周りを見張らせますので、安心して休んでください」
安曇がそう提案すると、沙都希は首を小さく横に振る。
「結構です。誰も、家に近づけないでください」
「……そうですか」
暁の方を見ることなく、スタスタと出口の方へと歩いていく沙都希。
そして、結局、一度も振り替えることなく、出て行ってしまった。
なにが起こったのかわからず、呆然とする暁。
安曇の方といえば、面倒くさそうにガシガシと頭を掻いている。
「ちょ、いいんすか? いわさん、桐ケ谷さん帰しちゃって」
「しゃーねーだろ。あの人は被疑者でも容疑者でもねーんだ。強制できねえ」
「けど……」
「下手すりゃ、後を追うなんてことも考えられるな」
安曇の言葉を聞いて、目を丸くする暁。
後を追うという意味がよくわからなかった。
「現に、あれだけ可愛がっていた娘の死体を放置して帰ったくらいだからな」
考えてみれば、娘の死をいきなり突き付けられたのだ。
精神的に壊れてしまってもおかしくない。
あの無表情はその結果だと考えるとしっくりくる。
「俺、桐ケ谷さん家に行ってきます!」
「やめろ! 本人が拒否したんだぞ」
確かに行ったところで帰れと言わる可能性が高い。
それどころか出て来ないことだって考えられる。
かといって家の外で待機していても意味がないだろう。
「俺達にできることは、犯人を見つけることだけだ」
安曇の言葉で暁は頭を切り替える。
由依香の死亡が確認された今、安曇の言う通り犯人を追うことしか暁にはできない。
「俺、聞き込み行ってきます」
暁にはずっと気にかかっていることがある。
それを確かめに行きたかったのだ。
「お前は、少し休め。どうせ、昨日だって、ほとんど寝てねーんだろ?」
「けど……」
「これから、この事件は誘拐事件から殺人事件に切り替わる。明日からはもっと人員も増える。焦って無理するより、今はしっかり休んで、明日から本格的に捜査しろ」
確かに体が重い。頭も上手く働かない。
何より、時刻は既に22時を過ぎている。
ここから聞き込みなんてほとんど無理だろう。
「仮眠室に行ってきます」
スタスタと歩き出す暁の背中を見て、「ったく」と安曇がため息交じりで呟いた。
次の日の11時。
バタンと仮眠室のドアが開いた。
「八神、起きろ」
安曇の声にパッと目を開ける暁。
「もう朝っすか?」
「昼に近ぇよ」
「マジっすか!?」
スマホを見る暁。
7時にアラームをセットしていたはずだが、どうやら起きれなかったらしい。
「それより八神」
「なんすか?」
「桐ケ谷沙都希が失踪した」
「……は?」
暁は思わず、間の抜けた声を出してしまったのだった。
ソファーに座りながら、祈るように手を合わせて震えている沙都希。
「由依香……由依香……」
その様子を少し離れた場所で立って見ている暁と安曇。
焼死体を発見後、すぐに署に連絡を取り、死体を回収した。
そして、そのまま検死に回されたというわけだ。
今は、その結果を待っている。
「いわさん、どう思います? あの死体」
「胡散臭いな」
「っすよね」
「手がかかり過ぎてる」
「顔を潰した上に、火を付けてるっすからね」
死体は首を吊った状態で吊るされていた。
手足はダラリと下がり、首もまっすぐ下を向いてた。
ということは、おそらく犯人は殺した後に火をつけているということだ。
もし、火をつけて殺した後、吊るしたのであれば、悶えた形跡が少なからず残っているはずだ。
つまり、まずは首を絞めて殺した後に火をつけて肌を焼き、あそこの木に吊るしたということになる。
安曇の言うように手がかかり過ぎているというわけだ。
「あれじゃ、パッと見、誰だかわからん」
そう考えると、死体を焼いた理由は『誰かわからなくする』ためだろう。
「ここまでやる理由は一つっすよね?」
「死体のすり替えだろうな」
あの焼死体を見た時、暁も同じ印象を持っていた。
「あの死体は由衣香さんじゃない……」
「十中八九な」
「誰なんすかね?」
「さあな。それを今、調べてるんだ。俺達は検死結果を待てばいい」
推理するには、現時点は情報が少なすぎる。
ここは安曇の言うように検死の結果を待つしかない。
今考えるべきは、他にある。
暁は今までの経緯を頭の中で追ってみる。
「犯人は、あの死体を俺達に見つけさせるために連絡してきたってことっすよね?」
「そうなるな。娘を誘拐した後、あの死体を用意し、あそこに吊るす。そう考えれば、連絡が来たのが、あのタイミングになったのも、時間的に頷ける」
由依香のスマホのGPSに繋がる前、安曇と話した内容のことだ。
なぜ、犯人はすぐに連絡して来なかったのか。
死体に細工していたと考えれば、辻褄が合う。
「けど、これで犯人の手掛かりはなくなった……。振り出しっすね」
ため息をつく暁。
GPSを辿ってあの場所に辿り着いた。
当然だが、あの焼死体があった場所に由依香のスマホが置いてあった。
今まで犯人との唯一と言っていい繋がりは由依香のスマホだけだった。
しかし、そのスマホを回収してしまった今、犯人と連絡を取る方法が無くなったわけだ。
それは逆もしかりだ。
「もう、あっちの出方を待つって手は使えないっすよね」
「逆に、これで犯人がある程度絞れたがな」
「え? マジっすか?」
「あの死体が娘じゃないってことは、母親への怨恨って線は消えた」
暁には一瞬、安曇が何のことを言っているのかわからなかった。
なぜ、死体が由依香じゃない場合、怨恨ではなくなるのか。
数秒、頭を働かせてすぐに正解へとたどり着く。
「あっ! 確かに。恨んでるなら、由衣香さんを実際に殺害するはずっすからね」
そう。犯人はわざわざ、他の死体を用意して、あんな手の込んだことをしたのだ。
「それと、わざわざ、ああして、手間をかけて、偽の死体を用意した。この意味がわかるか?」
「えーっと……。犯人は、由衣香さんが死んだと思わせたかったんすよね?」
「ああ」
「けど、あの死体が偽物ってことは、由衣香さんは生きている……」
「犯人は娘を殺せない、生かしておきたいという人物だ」
安曇の言葉で、ピンとくる。
「あっ! パパ活の相手!」
「そうだ。そう考えれば辻褄が合う」
改めて、暁は犯人の行動を整理、推測してみる。
「まず、由衣香さんを誘拐し、桐ケ谷さんに恨みがあることを仄めかす」
「で、偽の死体を見せて、娘が死んだと思わせる」
「警察は怨恨の方向で捜査するから……」
「パパ活の相手は、一旦、捜査線上から外れるわけだな」
「で、捜査が行き詰っている間に、由衣香さんを、用意した場所に監禁するってわけっすね」
「あとは、事件が迷宮入りするのを待つだけだな」
ピッタリとピースが合ったような感覚がした。
辻褄は合っている。
「事件の全貌が見えてきたっすね」
「あとは、あの死体が誰かってところだな。それも大きな手掛かりになるはずだ」
結局は検死の結果を待つしかない。
ちらりと検死室のドアを見るが、まだ開きそうにない。
「それにしても、犯人は、あんな方法で警察を騙せると思ったんすかね? 今の科学捜査を舐めすぎっす」
「一般人なら、その辺はわからんだろ」
「そうっすかね? 今の、この手の作品って、結構、リアルに描かれてるっすよ。科学捜査がどの辺まで進んでるとか」
以前、暁はドラマを見て、そうだったのかと感心した覚えがある。
そのくらい、今は色々と情報がオープンになっている。
もちろん、嘘の情報も多いのだが。
「全員が全員、お前みたいに創作物が好きってわけじゃねーだろ。俺だって、この仕事してなきゃ、あれで誤魔化せると思うはずだ」
「パパ活の相手は40代らしいっすからね。そういうことを知らない可能性はありそうっす」
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「ここまでわかってるなら、すぐに捕まえられそうだな」
あまりそういう情報を知らないのであれば、逆に手がかりをたくさん残している可能性がある。
そして、手がかりを多く残しているのであれば、捕まえるのもそう難しくはないはずだ。
「これで、阿比留の方に集中できそうだ」
「そういえば、そっちの方の捜査は進んでるんっすか?」
「今は聞き込みが中心だな。なんせ、容疑者が山ほどいる」
何でも屋をやっていた阿比留は多くの人間から恨みを買っていたという話だ。
山ほどいる容疑者のアリバイを洗うだけでもかなり時間がかかるだろう。
「阿比留の方がよっぽど、難儀しそうだ」
「ご愁傷さまっす」
「……まだ、こっちの方が解決してねーからな。俺も、しばらくはこっちにつくか」
「いわさん、それ、楽したいからっすよね? ズルいっすよ」
「合理的って言え」
「とはいえ、一刻も早く、由衣香さんを見つけてあげないといけないっすね」
「ああ。……そう考えると、どっちもどっちか」
阿比留の方は犯人を見つけるのが大変だが、こちらは由依香を探すのが大変そうだ。
逆に言うと由依香の方は生きている分、急がなければならない。
時間との勝負というわけだ。
そんな気の抜けたやり取りをしていると、ふと、沙都希の声が聞こえてくる。
「……由依香。……由依香」
暁たちはあの死体が由依香のものではないだろうとわかっている。
だが、沙都希の方は結果が出るまでは安心できないはずだ。
娘の生死がかかっている今、その恐怖は計り知れないものだろう。
暁は沙都希の隣に座り、微笑む。
「大丈夫っすよ。あれは由衣香さんじゃないっす」
「……は、はい。そう……信じてます」
「由衣香さんは、必ず、俺が見つけてみせるっすから」
「ありがとうございます……」
今はこれくらいしか言えない。
あとは、あの死体が由依香ではないという結果を待つしかないのだ。
そのとき、検死室のドアが開く。
中から検死官が出てくる。
「よお、結果が出たぞ」
ぼさぼさ頭に、着崩れた白衣。
寝不足なのか目の下にクマが出来ている。
「お疲れ。……で? どこの誰だったんだ? やっこさんは?」
安曇が検死官に訪ねる。
確か、2人は同期だったと言っていたのを、暁は思い出す。
検死官は面倒くさそうに顔をしかめて、口ごもる。
「どうした?」
「あの死体を、桐ケ谷由衣香だと断定した」
その検死官の言葉に、一瞬、その場の時間が止まったような感覚がした。
そして、すぐに 沙都希の体から力が抜けフラリと倒れそうになる。
「桐ケ谷さん!」
慌てて両肩を抑えて、支える暁。
そんな暁を横目で見ながら、安積は検死官に詰め寄る。
「……どういうことだ?」
「どうもこうもねぇ。言ったままの意味だ」
「疑うわけじゃないが、決め手はなんだ? 顔を潰されてるから、歯からの鑑定も難しいだろ」
安曇の疑問をあらかじめ予想していたかのように、情報を付け加える検死官。
「死体も燃やされているから、指紋も取れねーしな」
「なのに、断定した理由はなんだ?」
「疑ってるじゃねーか。けど、まあ、お前の気持ちもわかる。状況を見る限り、最初は俺も桐ケ谷由依香じゃないだろうと思ったからな」
「……」
無言で、さっさと先を言えと促す安曇。
そんな安曇の圧を受け、検死官はポリポリと頭を掻く。
「よく考えろ。もっと簡単な判別方法があるだろーが」
「あん?」
「この場には母親がいるんだぞ?」
そう言って検死官は沙都希を指差す。
安曇も眉をひそめて沙都希を見た時に、ハッとする。
「DNA鑑定か」
「ああ。ほぼ間違いなく、あの死体は、桐ケ谷沙都希の娘だ」
「……え?」
小さく声を上げたのは沙都希だった。
そして、しばらく呆然としたと思うと、急に頭を抱えてしゃがみこんでしまう。
「……そんな……まさか」
「桐ケ谷さん?」
暁が沙都希の顔を覗き込むと、沙都希は目を見開いた。
「ああああああああああああああ!」
「桐ケ谷さん、落ち着いてくださいっす!」
「八神! 医務室に連れて行ってやれ」
「うっす。……桐ケ谷さん、立てるっすか? 医務室で休みましょう」
だが沙都希はすくっと立ち上がって、安曇の方へ向いてこう言った。
「帰っていいでしょうか?」
「え?」
突然の帰宅の要望に困惑する暁。
沙都希からは表情が消え、何を考えているかわからない。
「帰って、家でゆっくり休みたいんです」
「何人かで、家の周りを見張らせますので、安心して休んでください」
安曇がそう提案すると、沙都希は首を小さく横に振る。
「結構です。誰も、家に近づけないでください」
「……そうですか」
暁の方を見ることなく、スタスタと出口の方へと歩いていく沙都希。
そして、結局、一度も振り替えることなく、出て行ってしまった。
なにが起こったのかわからず、呆然とする暁。
安曇の方といえば、面倒くさそうにガシガシと頭を掻いている。
「ちょ、いいんすか? いわさん、桐ケ谷さん帰しちゃって」
「しゃーねーだろ。あの人は被疑者でも容疑者でもねーんだ。強制できねえ」
「けど……」
「下手すりゃ、後を追うなんてことも考えられるな」
安曇の言葉を聞いて、目を丸くする暁。
後を追うという意味がよくわからなかった。
「現に、あれだけ可愛がっていた娘の死体を放置して帰ったくらいだからな」
考えてみれば、娘の死をいきなり突き付けられたのだ。
精神的に壊れてしまってもおかしくない。
あの無表情はその結果だと考えるとしっくりくる。
「俺、桐ケ谷さん家に行ってきます!」
「やめろ! 本人が拒否したんだぞ」
確かに行ったところで帰れと言わる可能性が高い。
それどころか出て来ないことだって考えられる。
かといって家の外で待機していても意味がないだろう。
「俺達にできることは、犯人を見つけることだけだ」
安曇の言葉で暁は頭を切り替える。
由依香の死亡が確認された今、安曇の言う通り犯人を追うことしか暁にはできない。
「俺、聞き込み行ってきます」
暁にはずっと気にかかっていることがある。
それを確かめに行きたかったのだ。
「お前は、少し休め。どうせ、昨日だって、ほとんど寝てねーんだろ?」
「けど……」
「これから、この事件は誘拐事件から殺人事件に切り替わる。明日からはもっと人員も増える。焦って無理するより、今はしっかり休んで、明日から本格的に捜査しろ」
確かに体が重い。頭も上手く働かない。
何より、時刻は既に22時を過ぎている。
ここから聞き込みなんてほとんど無理だろう。
「仮眠室に行ってきます」
スタスタと歩き出す暁の背中を見て、「ったく」と安曇がため息交じりで呟いた。
次の日の11時。
バタンと仮眠室のドアが開いた。
「八神、起きろ」
安曇の声にパッと目を開ける暁。
「もう朝っすか?」
「昼に近ぇよ」
「マジっすか!?」
スマホを見る暁。
7時にアラームをセットしていたはずだが、どうやら起きれなかったらしい。
「それより八神」
「なんすか?」
「桐ケ谷沙都希が失踪した」
「……は?」
暁は思わず、間の抜けた声を出してしまったのだった。
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楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
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