トイ・チルドレン

鍵谷端哉

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始まりを告げる着信

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 八神やがみあきらは薄暗い資料室で、ジッとテレビを見ている。
 映し出されているのはアニメだ。
 
 内容は、10年前の自分に精神だけがタイムスリップしてしまった少年探偵の話だ。
 なんでも、国民的アニメと言われるほど大ヒットしているらしい。
 そのアニメをかれこれ、8時間近く見ている。
 
「真実は爺さんの名に懸けて、俺が解く! 犯人は、お前だ!」
 
 アニメから主人公の台詞が流れてくる。
 
「おおー! 格好いい」
 
 そう呟いた瞬間、パッと部屋の明かりがついた。
 
「八神、なにやってんだ?」
 
 呆れた顔でため息交じりにそう言ったのは暁と同じ刑事課の安曇あずみいわおだ。
 直属の上司というわけではないが、暁は何かと安曇に世話をしてもらっている。
 暁は25歳の新任刑事なので、安曇が教育係を押し付けられているといった方が正しいのかもしれない。
 
「うわっ! いわさん! ……お疲れっす」
「アニメなんか見て、暇なのか? 他の奴らは必死に仕事してるみたいだぞ?」
 
 白髪交じりの角刈り頭と強面は威厳に満ちている。
 今年で53歳になる。
 この年で平の刑事という時点で、この先も昇進は見込めないだろう。
 というより本人がその気がない。
 
「いや、だから、仕事してるんっすよ。俺も」
「ほう……?」
「あ、疑ってるんすか? これ、上代が持ってたやつっす」
 
 そう言って、暁はテレビの横に積み上げられているDVDを指差す。
 
「上代って……上代かみしろ雄也ゆうやか?」
「はい。あの母親殺しの上代っす」
「あいつは隣の県の管轄じゃねーか」
「いわさん、聞いてないんすか? 合同捜査っすよ」
「なるほど。で、検証作業を押し付けられた、と」
「そうっす。アニメの中に犯行の動機になりそうなものがないか、全部見ろって」
「くだらねえ」
 
 吐き捨てるように安曇が言う。
 
「ですよねー」
 
 暁は元々緩んでいるネクタイをさらに緩めながら、唇を尖らせた。
 
「大体、アニメを見て、犯罪する奴は、アニメを見なくても犯罪をする奴っす」
「上代は自白してねーのか?」
「アニメを見ているときに邪魔されたから、つい、カッとなって、らしいっす」
「世も末だな……」
「中学からずっと引きこもりしてたみたいっすね。結構、精神的に負担がかかってたんじゃないかって話もあるみたいっすよ」
「引きこもりってやつか……。まあ、原因は顔の火傷の痕ってとこだろ?」
「そのせいで大分、イジメられたみたいっすね。まあ、その点は同情の余地はあるっすけど」
 
 安曇が歩き出し、近くの椅子にドカリと座る。
 
「ショッピングモールの火災でだろ、あの火傷」
「はい。17年前のオージーモールのっすね」
「あの大災害から、もう17年か」
  
 そう呟いて、内ポケットから煙草を取り出す安曇。
 
「……禁煙すよ、ここ」
「わーってるよ」
 
 顔をしかめて煙草を元に戻す。
 
「当時、上代は3歳で、母親とオージーモールに行ってたみたいっすね。だから、母親の方も責任を感じて、上代のことはやりたいようにやらせてたみたいっす」
「そんなのは責任を取ってるんじゃなくて、単なる逃げだろ」
「考え方は人それぞれっすよ」
「……ふん。ま、俺には関係ね―ことだな」
 
 立ち上がって、手を軽く振る安曇。
 
「じゃあ、頑張れよ」

 そんな安曇に間髪入れずに質問を入れる暁。
 
「そう言えば、いわさんの方のあの件はどうなったんっすか?」
「ああ、子供の取り違えの件か。山城《やましろ》病院でって話だから、隣の県の管轄だって言ってやったよ」
「この時代で、子供の取り違えなんて、起こるもんすかね? しっかり管理してそうっすけどね。他の赤ちゃんと間違えるなんて大問題っすよ?」
「俺に言われても知らねーよ」
「その相談者はなんて言ってたんっすか?」
「さあな」
「さあなって……話聞かなかったんっすか?」
「管轄が違うからな」
 
 そんな安曇の言葉にわざとらしくため息をつく暁。
 
「いわさん、相変わらずっすね。管轄外だと途端にやる気失くすの」
「合理的って言え」
 
 そう口を尖らせた後、安曇は今度こそとばかりに暁に背を向け、歩き出す。
 
「じゃ、俺は帰るわ。頑張れよ」
 
 だが、暁はにんまりと笑みを浮かべる。
 
「いわさん、今、受け持ってる事件ないってことっすよね?」
 
 ピタリと足を止める安曇。
 
「手伝ってくれません?」
「アニメなんて、わからん」
「別にわからなくたっていいんっすよ。見たって事実さえあれば」
 
 ガシガシと頭を掻いた後、観念したようにため息をついた安曇は踵を貸して、テレビの横に積んであるDVDを見下ろす。
 
「どれから見りゃいいんだ?」
「あざっす。ここからっす!」
 
 そう言って暁は積んであるDVDの一番上を手に取り、安曇に渡した。
 
 
 
 数時間後。
 それぞれ別のテレビでアニメを流し見している暁と安曇。
 
「ねえ、いわさん……」
「あん?」
「……これって、刑事の仕事っすかね?」
 
 テレビの画面から目を離さず、呟くように言う。
 
「命令されたなら、そうなるだろ」
「ドライっすね……」
「合理的って言え」
「俺……デカい事件やりたいっす」
「所轄にいる間は無理だな」
「本庁に行く方法ってないっすかね?」
「あるぞ」
「マジっすか!? どんな方法っすか?」
 
 暁がテレビから視線を外し、安曇の方を見る。
 
「大学を入り直せ」
「……」
 
 口を尖らせて、再びテレビの画面に視線を戻す暁。
 
『真実は爺さんの名に懸けて、俺が解く! 犯人は、お前だ!』
 
 テレビから主人公の決め台詞が流れてくる。
 
「……俺も、こんな台詞、言ってみたいっす」
「今、言えばいいじゃねーか。他の奴らには黙っておいてやるぞ」
「……そういう意味じゃないっす」
 
 大きくため息を履いて、テレビの画面をジッと見つめる暁だった。
 
 
 
 数日後の夕方。
 駅の近くにあるコンビニの前で、深々と頭を下げる40代の女性。
 その横には10歳にも満たない男の子が母親の服の裾を掴んでいる。
 
「本当に申し訳ありませんでした。ほら、あんたも謝りなさい」
「……すみませんでした」
 
 母親に促されてぺこりと頭を下げる男の子。
 
「家で、十分、叱ってあげてください。それと、普段から少しでも話をするように」
 
 そう言ったのは安曇だ。
 その横では暁が口を尖らせてムスッとした顔をしている。
 
「わ、わかりました」
「それじゃ、帰っていいですよ」
「失礼します」
 
 何度も頭を下げながら、男の子の腕を引っ張るように歩いていく母親。
 その母親と男の子の背中を見ながら、暁は不満を口にする。
 
「万引きは犯罪っすよ」
「店長がいいって言ってんだからいいだろ」
「いわさんが説得したんじゃないっすか」
「いいじゃねーか。初犯みたいだし、親に構ってほしくてやったみたいだからな。親がしっかり叱ってやれば、もうやらないだろ」
 
 確かに10歳にも満たない男の子の万引きに、そこまで目くじらを立てるのは大人気がないかもしれない。
 だが、暁は年齢で対応を変えるのは違うんじゃないかという考えの持ち主だ。
 万引きは万引き。罪は罪。
 たとえ、親に構ってもらいたかったとしても、店側としては商品を盗られるところだったのだ。
 逆にこんな子供の頃から犯罪を犯すような人間だからこそ、今のうちにしっかりと罰を与えるべきなのではないかとさえ思える。
 
「とか言って、単に取り調べが面倒くさいだけじゃないんっすか?」
「……」
 
 安曇はガシガシと頭を掻き、不満そうな顔をする。
 どうやら図星だったようだ。
 
「相変わらずっすね」
「合理的って言え」
 
 安曇の口癖。
 面倒くさいときや反論できなくなったときに出す、伝家の宝刀だ。
 この台詞が出たら、もうこの話題は終わりだということを意味する。
 
「亜里沙《ありさ》」
 
 そのとき、後ろから男の声がした。
 なぜだろうか、暁の耳に妙に響く。
 振り向くと、40代の背広を着た男性が制服を着た女子高生らしき女の子に声をかけていた。
 一見すると女の子の方は中学生に見えるくらい幼い雰囲気だったが、暁は女の子が着ている制服が美流渡高校のものだと知っていた。
 
「あれ? どうしたの? こんなところで。今日、会う予定じゃなかったよね?」
 
 男の声に反応した女の子が首をかしげている。
 
「おい、何してんだ。行くぞ」
「はいっす!」
 
 声をかけられ、既に歩き出している安曇を慌てて追いかける暁だった。
 
 
 
 そして、その日の夜11時。
 自分の机で書類の処理をしていた暁が、ペンを置いて伸びをする。
 
「あー、やっと、報告書、書き終わったー」
 
 チラリと横を見ると、安曇の方はまだ書き終わっていないようだった。
 
「じゃあ、俺、帰るっす」
 
 こういうとき、上司というか教育係の仕事が終わっていない場合、待つ人間が多いが暁はそんなタイプではなかった。
 なので、暁のことを好きな人間と嫌いな人間がはっきり分かれている。
 嫌われている人にはとことん嫌われるが、可愛がってくれる人間にはとことん可愛がられる。
 
「おう、お疲れさん」
 
 安曇は後者の人間だ。
 気を使わないところ、物怖じしないでなんでも思ったことを口にする暁のことを何かと可愛がっている。
 
 そのとき、部署の電話が鳴り始める。
 この時間の、部署内には今、暁と安曇しかいない。
 
「……俺、もう帰るっす」
「はいはい」
 
 こういう場合でも気を遣おうとしない暁に、苦笑する安曇。
 そして、受話器を取る。
 
「おう、刑事課。……おう。おう。わかった、すぐ向かう」
 
 すごく嫌な予感がして、暁はソロソロと後ろに下がる。
 
「じゃあ、お疲れっすー」
 
 そそくさと帰ろうとする暁の後ろで、ガチャンと受話器が置かれる音がする。
 そして――。
 
「おい、八神。行くぞ、事件だ」
「……酔っ払いが暴れてるとかだと嫌っすよ」
「……誘拐だ」
 
 その言葉を聞いて、暁の顔色が変わる。
 大きな事件。
 今まで殺人事件の捜査に加わることはあったが、どれも雑用ばかりだった。
 でも、今回は自分が担当になれるかもしれない。
 そう考えると一気にテンションが上がった。
 
「行く! 行くっす! うおー! 誘拐事件だー!」
「おい、八神」
「はい?」
「通報者の前で、そんな顔したら、顎割るからな」
「わ、わかってるっす」
「よし、行くぞ」
「はいっす!」
 
 安曇に続く暁。
 この電話が、この後、暁の人生観を変える事件になるとは思ってもみなかったのだった。
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