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幕が上がる

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 楽屋に着くと、そこは本番前とは思えないほど暗く沈んだ空気が漂っていた。
 中にはイライラして地団駄を踏んでる人や涙ぐんでいる人もいる。
 
 どう見てもこれから本番を迎えるような雰囲気じゃない。
 かなり異常だ。
 こんな雰囲気になっているのは、練習でも見たことがなかった。
 
「……これは?」
「あー、実は……」
 
 高尾さんが顔に手を当てて、大きくため息を吐いた。
 
「ミーナがドタキャンした」
 
 そう、怒りを滲ませて言ったのは皆川さんだった。
 
「……ドタキャン? いやいや! だって、今日は本番ですよ!?」
「今、事務所に連絡とって、探してもらってる」
「探してもらってるって……。時間は……?」
 
 言った高尾さん自身、わかってるだろう。
 もう、客入りをして、あと15分後には開演だ。
 絶対に間に合わない。
 
「さっき、電話が来たんだよ。なんか、私、邪魔みたいだから行かないことしたから、って」
「そんな……」
「ったく、子供かよっ!」
 
 皆川さんがイライラして床に置いてあった段ボールを蹴る。
 
「今、運営の人が中止にするかを話し合ってる……」
 
 高尾さんの表情を見ると、どこか諦めたような印象を受ける。
 それはどうだろう。
 ソフィアは端役じゃなく、サブヒロインと言っていいくらいの重要なポジションの役だ。
 
「だから、君を呼んだんだ」
 
 そう言ったのは、部屋の端で椅子に座っていた鏑木監督だった。
 監督は立ち上がって、私の前まで歩いてくる。
 
「君に代役をお願いしたい」
「……」
 
 一瞬で頭の中が真っ白になった。
 確かに監督の言うことはわかる。
 今までずっとミーナさんの……ソフィアの代役をやってきていた。
 ストーリーの流れ、台詞や立ち回り方は全部頭に入っている。
 
 私ならできるって思ってるはず。
 逆の立場なら、私だって代役を立てる。
 
 でも……。
 
 ガクガクと体が震える。
 奥歯がカチカチとなり、目に涙が浮かんでくる。
まるで今が夢の中にいるような、現実味のないような感覚になっていく。
 
「む、無理……です」
「え?」
 
 監督は心底、不思議そうな顔をする。
 普通なら大チャンスが来たと喜ぶところだろう。
 
 でも。でも。
 
「私は……人前で……演技をしたことないんです……」
「……」
 
 練習だからできていた。
 失敗してももう一回やり直せる。
 そんな状態だったからこそ、演技に集中できた。
 
 それをいきなり、1000人近くの観客の前でやれなんて無理だ。
 
 そもそも、私はみんなと違って人前に出ることはない。
 ただのマネージャーだ。
 
 それはきっと、監督以外のみんながわかっている。
 だからこそ、みんなは中止になることを覚悟しているのだと思う。
 
「そう……か。それなら仕方ないな」
「あの、その……ごめんなさい」
「いや、今までずっと放置していたんだ。今更監督らしいことを言っても響かないことはわかっている。今回、私は信頼関係を築くことを拒否したのだからな」
 
 鏑木監督は私に背を向け楽屋のドアの方へ歩き出す。
 
「う、うう……」
 
 今までみんなが頑張って、この舞台をいいものにしようとしてきたのはわかってる。
 私だって、この舞台が成功して欲しい。
 
 でも。でも。
 
 体の震えが止まらない。
 顔から血の気が引いていくのがわかる。
 
 意識がスーッと遠くなっていくよう感覚がしたときだった。
 
 ふと後ろから抱きしめられる。
 
「大丈夫だよ」
 
 圭吾の声だった。
 優しく、包み込むような温かい声。
 
「舞台の上には俺たちしかいないんだ」
「みんなしか……いない?」
「いつも通り、楽しめばいいんだよ」
「……楽しむ」
「ねえ、思い出してみて。今までの練習を」
 
 私は圭吾の言うように、目を瞑って練習の時のことを思い出す。
 色々と悩んだ。
 上手くいかなかったことばかりだった。
 
 でも。それでも。
 
「……楽しかった」
「うん。そうだね」
 
 そのとき、目の前にひめめちゃんがパッと現れた。
 
「てかさー、レッセプの世界に、観客なんかいないよ?」
「……」
「そうでしょ? ソフィア」
「……うん」
 
 私は大きく頷く。
 そのときには、体の震えは止まっていた。
 
 
 
 そこからはまさに時間との勝負だった。
 まず、問題に上がったのはミーナさんと私の体型の差。
 
 ミーナさんの衣装をそのまま着ることはできない。
 すぐに衣装の調整に入る。
 
 幸い、ミーナの衣装には鎧などの特殊なものはなく、全て布系のものばかりだ。
 
 そして、露出の高い服にローブを羽織るという格好なので調整はしやすいのだとか。
 それでも急ピッチで調整されていく。
 
 ……ソフィアはボンキュッボンな体型だから、ミーナさんが選ばれたんだよね。
 それを私が着るなんて。
 ソフィアファンはガッカリしちゃうよね。
 
「うん。すっごく可愛いよ」
 
 圭吾が私の格好を見て微笑む。
 
 急に顔に血が集まってくるのを感じる。
 
 ……恥ずかしい。
 言ってしまえば、ビキニくらいの布面積しかない格好だ。
 こんなの家の中でさえも見せたことはない。
 
「み、見ないで~」
 
 慌てて上に羽織ったローブで体を隠す。
 が、すぐにひめめちゃんに剥ぎ取られる。
 
「んー。赤井ちゃんの肌はスベスベだー」
 
 ひめめちゃんがさわさわと体を触ってくる。
 
「きゃー! 止めてください―!」
 
 なんとかひめめちゃんからローブを取り返し、羽織り直す。
 
 まったく、ひめめちゃんは相変わらずだなぁ。
 
 気づくと緊張は完全に解けていた。
 少し胸はドキドキしているけど、これくらいならいい緊張感だ。
 
 開演を知らせるブザーが鳴り、拍手が巻き起こる。
 
 少しだけ心臓の鼓動が高鳴る。
 
 大丈夫。
 いつも通りにやればいいだけだ。
 いつも通りにソフィアになりきるだけ。
 
「……戦場で会おう、ソフィア」
 
 皆川さん……いや、ビリーがそう言って、私の肩にポンと手を置き、逆側の舞台袖へと向かっていく。
 
 ゆっくりと幕が上がる。
 
 こうして、私の……ソフィアの物語が始まった。
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