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Scene11 〝正しい〟が持つ魔力
scene11-2 はっきり言って……どうでもいい
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「あの……君達、少しいいかな?」
唐突に話しかけて来たのは、一見人当たりの良さそうな笑みを浮かべた二人の制服警官。
道端で呆然と立ち尽くしてはいたものの、職質を受けるほど怪しい見た目ではなかったはずの司達だが、もうこの世界に自分達の常識は通用しない。
「司様……」
「どうする? ピューッて逃げちゃう?」
「いや、俺達が逃げる理由なんてねぇよ。丁度いいじゃん、探りを入れてみよう」
手元の勤務用スマホらしきモノをチラチラと見ながら真弥と千紗の横を素通りし、美紗都と七緒を背後に立たせた司の元に近付いて来る警官達。
司は逃げも隠れもしないという体で両手をポケットに入れて『何ですか?』と首を傾げて警官達が近付いて来るのを待つ。
だが……。
「……間違いないな」
「あぁ、後ろの二人もだ。ここでやっちまおう」
「え?」
「ちょ、待ッ!?」
スマホを確認していた警官達は何かを確信する様に頷き合って、驚くほど自然な動きで腰元から拳銃を引き抜くとその銃口を司に向けて躊躇わずそのトリガーを引く。
日本の街の風景には馴染まない銃声が響く中、美紗都と七緒が目を見開き固まる前で司の左胸付近に二発の弾丸が命中して、司の身体がゆっくりと……警官達へ歩み寄っていく。
「「なッ!?」」
驚愕する警官達。
当然の反応ではあるが、司達側からしてみれば『はぁ?』と言ったところだろうか。
(今更拳銃なんかで撃たれてもだよな……まぁ、おかしいのは絶対こっちなんだけどさ)
今の司にとって人が生身で扱える程度の銃器など、幼児でも扱えるスポンジ弾を放つ玩具銃と大差無い。
美紗都と七緒が驚いていたのも『警告も無く発砲した』というその警官達の行動にであって、司の身に関しては全く気にもしていなかったし、ルーツィア、紗々羅、曉燕達に関しても、あんなモノを向けたところで守ろうと飛び出すまでにも値しないと姿を潜めたままだった。
「はは……容赦ねぇ。全然躊躇い無く撃って来るじゃん。でも別にいいよ。あんた達、俺を悪党だと思って撃ったんだろ? それ正解! 間違ってないから何もおかしいことじゃない……――よッ!」
「――かへッ!?」
薄ら笑いを浮かべている司。
そして、服の隙間から滑る落ちる歪な円盤状に潰れた弾丸の成れの果て。
警官達が顔面蒼白で一歩後ろへたじろいだその刹那、司は一瞬で間合いを詰めて二人の内一人の顎先へ拳を掠らせて意識を刈り取り、隣にいたもう一人はその顔面を片手で鷲掴みにして持ち上げた。
「ぐぶッ!? ひぃッッ!! た、助けッ! あああぁぁ――ッ! あああぁぁ――ッ! あああぁぁ――ッ!」
司の腕を殴り両足をバタ付かせ全力で暴れる警官。
警官という職業に見合う逞しい身体付きはしているが、司のアイアンクローはまるで微動だにせず先に仕留めた警官が倒れる落ちる前にその手から掠め取ったスマホを確認する顔には、成人一人を片手で掴み上げているなど思えぬ力みの無い涼しい表情をしていた。
「悪党人権剥奪法・特別第一級即刻射殺推奨対象者ぁ? なんか語呂悪いとこも馬鹿っぽいな……」
画面には司の顔写真と共にこの側流世界での彼の扱いが長々しく羅列されていた。
公的な記録とは思えぬほど作成者の私的な感覚が盛りに盛られたそこには『人の形をした汚物』だの『悪性の病原菌保有の可能性大』だの、まるで子どものイジメ言葉の様な文言が書き連ねられていた。
「アホくさ……他のメンバーも色々好き勝手に……――チッ!」
画面をスクロールするとルーツィア、紗々羅、曉燕の顔写真も並んでいて、そのさらに下には美紗都と七緒の写真もあったが、この二人の文言は司より多少トーンダウンしているがそれでも明らかに侮蔑寄り。
とにかくこの情報を見た者がこの二人に対して不快感や嫌悪感を抱く様に促す文言はデリカシーの欠片も無く虫唾が走った。
「間違いない……こんな姑息で吐き気がする言葉が浮かぶクソ野郎なんてあいつ以外いるかよ。……おい、あんた、この馬鹿丸出しの法律を作った奴らはどこに……――うッッ!?」
掴み上げていた警官の方へ顔を向けた司。
その瞬間、頬骨の辺りに拳銃を撃たれて司の顔が跳ねる、が……。
「ハァ……ハァ……――ひぃッ!?」
「痛ぁ……。流石にこの距離で顔面だと小石がぶつかるくらいの衝撃はあるな……おい、あんまりはしゃぐなよ」
スマホを投げ捨て弾丸が当たった所を指先で撫でる司。
痣にすらならないそれは怒るにも値しないのか、司の表情は冷めていてその冷静さが余計に警官の恐怖を煽る。
「ば、化け……物……」
「今更? その分だと俺達の詳しい説明はされてない感じか。まぁ、あんた達の場合は上から言われたらお仕事だから知らなくても従わないといけないんだろうし仕方ないよな。あともう一発は許してあげてもいいんだけど……いい大人なんだしさ、余裕を持って察してくれないかな?」
震える警官の手から拳銃を掴み取りクシャクシャに握り潰す微笑の司。
途中で数回掌の中で残弾が暴発するがその衝撃ごと握り込み、指の隙間から硝煙が上がるその手を開くと奪われた拳銃はピンポン玉ほどの大きさまで握り潰された鉄の玉に成り果てて地面に落ちた。
「もう一回聞くぜ? この馬鹿丸出しの法律を作った奴らは今どこにいる? ……さっさと答えろ」
血色の眼で射抜くまでも無く、軽く犬歯が覗く獰猛な笑みだけで、警官は掴み吊り上げられたまま人目も憚らず失禁してしまった…………。
時間は少し遡り、司達が本流世界へ帰還した頃。
〝ロータス〟の時元艦隊は【アクエケス】からの脱出艇を回収し、どうにか〝Answers,Twelve〟から逃げ切ってようやく張り詰めていた緊張を少し緩めていた。
そんな中、艦隊内の最内で守られている救護艦では、奏が1人の看護官の手を掴み捲し立てていた。
「ねぇ! 本当に和君は大丈夫なの!? あんなにボロボロなのに軽症用簡易治療カプセルでだなんて……集中治療カプセルは空いていないの!?」
「お、落ち着いて下さい、天沢副隊長! 本当に大丈夫です! 聖・アヤメ様のご子息の身体はここへ運び込まれて来た時にはほぼ自己治癒が進んでいました! ハァ……小一時間もすれば全快なさいますからッ!」
言葉の後半には少し苛立ちさえ滲んでいた看護官。
それもそのはず、今この救護艦内は戦場も同然なのだ。
いくらデーヴァの強靭な肉体でも不死という訳ではない。
体内のナノマシンが持つ自己修復や細胞増殖機能を越える傷を負えば、当然その先には死が待っていて、脱出艇から移送されて来た大勢の負傷者達は女医官達の懸命な治療を受けている最中なのである。
そんな中で同じくこの救護艦に移送された和成は、確かに脱出艇に運び込まれる際には司から受けた一方的なリンチでズタボロの肉塊状態だったが、他のデーヴァ達より遥かに性能が向上した〝D・E〟によって、ほぼ傷は塞がり命に係わる負傷などもうどこにも残っていないところまで回復していた。
しかし、そんな治りかけの傷をまるで身体に穴でも開いたかの様に痛い痛いと喚き暴れていた和成。
本当なら優先順位的にも後回しにするべき軽傷者だが、仕方なくただでさえ手が足りていない女医官が一人付いて処置をしたのだが、その後も和成は『今すぐ完全に痛みを消してくれ!』とさらに泣き喚き、付き合ってられないと判断したその女医官は貴重な治療カプセルの一つを宛がったのだ。
自分からいそいそとカプセルに入り、鎮痛効果もある治療用液に浸かってまるで湯船にでも入るかの様に痛みから解放され呑気に吐息を吐く和成の腑抜け顔に他の女医や補佐をする看護官達の顔はまさに怒り心頭だったが、もうそんなことにも構ってられない。
奏が引き留めていた看護官もそんな怒れる内の一人であり、少し荒めに奏の手を振り払って足早に掛けて行き〝重症処置室〟と札が掲げられた部屋と向かう。
「あッ! ま、待ってッ!!」
度越した和成への過保護で、この期に及んでまだ食い下がろうと手を伸ばしかけた奏。
だが、その看護官が処置室の扉を開いた瞬間……。
「ああああああああああぁぁぁッッ!! 腕ぇぇぇッ! 腕がぁッ! 私の腕が無いぃぃぃッッ!!!」
「痛いぃッッ!! 痛い痛い痛い痛いぃぃぃッッ!! 助けてぇぇッッ!!!」
「――ッ!?」
布を切り裂く様な悲鳴。
漂う血臭に奏の身体が凍り付く。
「細胞活性化液槽の浄化急いでッ! まだ何十人も待っている子がいるのよッ!」
「不味い! 三十五番、三十七番心停止ッ! 誰かこっちに電気ショックパットを持って来てッ!」
「くッ! 一人も殺すんじゃないわよッ!? 救護部隊の威信に賭けて腕が無かろうが腹が抉れていようが必ず全快させるッ!! この子達は普通の女の子に戻るのッ! デーヴァのまま、【修正者】のまま、こんな所で死なせてはダメなのよッ!!」
「「「はいッッ!!!」」」
扉が開いていたほんの少しの時間で響き渡る痛々しい悲鳴と救護部隊の鬼気迫る声。
そして、扉が閉まり静寂が戻った廊下で奏は俯き震え立ち尽くした。
「…………私、何やってるの?」
氷水を頭から掛けられた様に冷静さを取り戻した奏。
そしてすぐさま脳裏に浮かぶ呑気にカプセルの中でくつろぐ和成の顔とつい今し方の自分の言動にゾッとして、奏は両手で顔を覆い震えながらフラフラと壁に寄り掛かる。
「私……おかしい……どうしたの? 和君のことが心配で……で、でも……こんな状況で、あんなに軽症な和君を優先しろだなんて……私、何を考えて……」
たった数秒前の自分の言動に唖然とする。
精々数日程度で引くであろう処置後の痛みすら嫌がり貴重な治療カプセルの一つ占領している和成があまりに身勝手で失望するが、ならば先程の自分の和成を全肯定する言動は一体なんだ?
「あ、あれ? 変……変だよ、私……どうし……――あ」
さっきまで和成のことで一杯だった頭に堰き止められていたかの様に記憶が溢れ返って来る。
側流世界での戦闘……司との三度の対峙……そして……。
「ま、真弥……ちゃん? ち、違……違うッ! 私、そんなつもりじゃッ! あ、あぁぁぁッッ!!」
血の繋がった姉妹よりも固い絆を信じ合っていたはずの親友に向けて放つ一方的な暴言の数々。
真弥が司に痛め付けられる和成を傍観していたというのが怒りの着火点であったことは間違いないが、そのあとの真弥の言い分は奏が知らない所での出来事に関する話であり、今の自分ならまずその点に関する確認をしようと思える。
だが、あの時の自分は真弥の話など全く聞く耳を持たず、ただ目の前で見たことだけを判断材料に真弥を貶し、退避する仲間達を蔑んだ。
「どう……して? わ、わた……私ぃッ! なん、で……ッ!?」
ボロボロと溢れる涙、止まらない身体の震え。
自分の意識と価値観が自分の行動に合致しない。
しかも、つい先ほど死の淵を彷徨う仲間達の悲鳴を聞いて強いショックを受けるまで、自分はその齟齬をあまりに都合良く認識していなかった。
どう考えても作為的だ。
まるで人格にONOFFのスイッチが設けられてしまっている様な不自然さ。一体自分の中で内が起きている?
得体の知れないモノの影響を受けるのは間違いないはず。
そしてそれは、かつてデーヴァが味わって来た恐怖を想起させる。
「あぁぁッッ!! ああああぁぁぁッッ!! あああああああああぁぁぁぁ――――」
「奏……落ち着きなさい」
壁に背中を擦りしゃがみ込んでいた奏の身体がふと優しく抱き包まれて、ホッとするいい香りした。
涙濡れの顔を上げる。そこにいたのは今の自分の直属の上司――菖蒲だった。
「あ、菖蒲さ……」
「だから言ったでしょ? あなたの身体は御縁司からサンプリングした〝D・E〟と極めて相性が悪い。精神に異常を来して、それでもウチの和成を助けようとする方向性だけは定まっていたからまだよかったものの、場合によっては目に付いた者を敵味方関係なく襲うほどに発狂していたかもしれない」
「あぁぁッ! ああああぁぁッッ!! 菖蒲さんッッ!!!」
怖かった……自分が何者なのかさえ疑いかけた一瞬。
奏はそのズレを整え直すかの様に菖蒲の胸に顔を埋め、菖蒲も優しく奏の頭を撫でて落ち着かせる。
そして、しばらくそのまま時間が過ぎ、徐々に落ち着きを取り戻した奏は、しゃくり上げながらもゆっくりと顔を上げた。
「う、くぅ……す、すみません……菖蒲さん……――あッ! し、失礼しました! 聖・菖蒲様ッ! ……え? そ、そのお顔は一体……」
今の菖蒲はデーヴァの最上位格。
【修正者】の一小隊副隊長の身分である奏にとっては本来泣き抱き付いて服の胸元を濡らすなど恐れ多い存在。
慌てて立ち上がり敬礼する奏だったが、脱出艇に乗り込んだ時には自分と同じくほぼ無傷だったはずの菖蒲の右頬はまるで誰からに力一杯叩かれたかの様に赤くなっていた。
「フッ……さっきまで艦隊旗艦【キャミニ】の会議室で聖官会議に出ていたの。私は聖の中で一番新参者だからね。側流世界の崩壊……時元艦【アクエケス】の喪失……貴重なハーベストの研究者である悠佳が消息不明……まだロクに功績も上げていないくせにこんなに失態を重ねるだなんてと罵声を浴びせられながら【キャミニ】の艦長である聖・雛菊に叩き倒されたわ」
〝ロータス〟所属・アルテミス級時元航行艦・五番艦【キャミ二】
その艦長を務める聖官の一人――小波雛菊は〝Answers,Twelve〟の支配下にあった当時、人体実験で身体を弄られ成長が止まった見た目には千紗よりも年下に見える黒髪のツインテールを垂らした少女。
ただ、実際には菖蒲とそれほど歳は変わらず〝ロータス〟発足当初は短刀の二刀流で〝Answers,Twelve〟の残党を斬り殺して回っていたという強者。
ただ、その出生には少々曰くがあり、実は『デーヴァではないんじゃないか?』という噂がまことしやかに囁かれている。ただ、聖官でも随一の武闘派であるその少女の機嫌を損ねるのは自殺行為であり、誰もその真意を確認出来ていない。
「そ、そんな……そもそも艦隊砲撃はこちらの要請ではなかったと聞きました。聖・雛菊様の判断なのでは……」
「フッ……聞かれたら殺されるわよ? 仕方ないわ。〝ロータス〟の中で聖官はマリア様に次ぐ存在。マリア様のご意思の代弁者である聖官が口にしたことは全て正しくてそれ以外は全て間違い。私も一応その末席にいるのだけど、出戻りの私ではまだ同じ立場とは見て貰えていないのでしょうね。だから、こんな状況でももう次の任務を言い渡されてしまったわ」
「えッ!? そ、そんなの無理ですッ! もう私達の部隊でまともに動けるのは私と他十数人程度しか……」
「そのことに関しても先程の会議で決められた。私はこのあと一度未来へ戻り訓練生達から新たな戦闘部隊の構築を命じられている。そして、あなたには現刻を持ってその任務の専任隊長に就いて貰います。……本当にごめんなさい。私の力が足りないばかりに……」
菖蒲の拳が軋む。
歯痒い思いをしたのは間違いなく、それでもきっと必死に自分達のために食い下がってはくれたのだと感じ、奏ももうこれ以上菖蒲に負担を掛ける訳にはいかないと思った。
「分かりました……でも、本当に私が隊長でいいんでしょうか?」
「あら、その点だけは心配しなくてもいいわよ。何せ私があなたを隊長にすると言ったことに聖官達は誰も反対しなかったもの。あなたの万能性は思いの他御上の覚えも良い様だわ。あなたなら十分にやれる……自信を持ちなさい」
「せ、聖官様達が私をご存じで……光栄です。は、はいッ! 全力を尽くします!」
「お願いするわ。それで任務の内容だけど、とりあえずこの艦隊は一度未来へ帰還します。しかし、艦隊規模で動けば間違いなく〝Answers,Twelve〟に補足される。そこで奏には作戦実行可能な子で小隊を編成し、側流世界陽動を仕掛けて貰います。丁度近い所にその媒体とするのに最適な側流世界があって、すでに聖・雛菊配下の部隊が下準備は済ませている。あとはあなたの小隊がそこへ向かい〝Answers,Twelve〟の注意を引き付けるアピールを仕掛けて時間を稼いで欲しい。ただし、戦闘を行う必要は無いわ。折を見て高速艇で脱出して頂戴」
「了解しました。ただ……そ、その前に……一つだけ私事を済ませてもよろしいでしょうか?」
シュンと肩を落として声が小さくなる奏。
菖蒲が首を傾げていると奏は恐る恐る口を開く。
「真弥ちゃんに……謝りたいことがあって……。そ、その……私が乗った脱出艇の中にはいなかったので、まだ会えてなくて……そ、それに千紗ちゃんもどこにいるのか……任務に出る前に顔を見ておきたくて……」
「え? か、奏……あなた…………」
「え?」
呆然とする菖蒲の顔を見上げて固まる奏。
自分より戦闘勘に長けた真弥なら問題なく脱出していると思っていたし、千紗に至っては戦場で見なかったのでてっきりまだ治療中で当然優先して脱出させられていると思っていた。
しかし、菖蒲のその表情に奏の中で身の毛もよだつ恐ろしい憶測が鎌首をもたげる。
「ま、待っ……待って、下さ……い……。え? う、嘘ですよね? あ、あの……あの二人もちゃんと脱出し……ました…………よね?」
「…………」
途切れ途切れに震えながら訪ねる奏。
その目に再び涙が溜まり始め、菖蒲は耐えかねて視線を逸らした。
それが答えだった。
奏はもう声も出ずに首を横に振り、両手で顔を覆い…………。
「あ、ここにいたのか奏! ねぇ、お腹が空いたんだけど、どこか御飯が食べられる場所は……あッ! か、母さん!?」
廊下に響くもはや虫唾が走るほど当事者意識に欠けた声に、もはや自分の息子でも嫌気を隠さない表情を向ける菖蒲。
そんな母の視線に流石にバツが悪く狼狽える和成。
だが……。
「あッ! 和君ッッ!! よかった! もう傷は大丈夫ッ!? 本当に本当に心配したよッ!!」
和成の声にハッと顔を上げてまるで人が変わったかの様な歓喜の声を上げて和成に駆け寄り抱き付く奏。その姿に今度は菖蒲が驚愕して目を見開き固まってしまう。
「あ、あぁ……うん、大丈夫だよ。というか僕が出て来るまでカプセルの外で待っててくれよ? この艦のことよく分かんないんだからさぁ……」
「あぅ……ご、ごめんね? 本当は和君のためにもっと質の良い治療用カプセルを宛がって貰おうと思ったんだけど、なんかこの艦の子達ってあんまり……その……仕事出来る子達じゃないみたいで、こっちの話もロクに聞かずにバタバタ走り回ってて全然話が出来なかったのぉ……」
真弥の安否は? 千紗の居場所はもういいのか?
人が変わったというよりまるで記憶を挿げ替えた様に切り替わる奏は、もう和成のことしか見ておらず、この緊急時に自分達だけの雰囲気を醸し出してイチャ付き始める。
これも〝D・E〟の影響か?
奏の中では一体何が起きてしまったのか?
それとも和成が自覚の無いまま何らかの能力を開花させたのだろうか?
それはもう菖蒲にも読めない。
しかし、その詳細を追及している時間も無かった。
「…………奏、そろそろ任務へ向かいなさい。それと和成、あなたも奏を手伝う様に。傷が治ったのならあなたもこの状況では一戦力として使わなくてはいけませんし、そろそろいい加減何か一角の戦果を挙げて貰わないと私の立つ瀬が無いわ」
「えッ!? あ、いやぁ……じ、実は……まだ、本調子じゃ……」
「そ、そうです菖蒲さんッ! 和君に無理をさせる訳には行きません! そうだ! 菖蒲さんの補佐官にして一旦一緒に未来へ向かってはどうでしょうか? 和君と離れるのは寂しいけど、やっぱりここは和君の身の安全を最優先に――――」
「いいから二人とも任務へ向かいなさい。……これは命令です」
低く唸る様な菖蒲の怒気が廊下を満たし、奏と和成を竦み上がらせる。
〝ロータス〟の上位格である聖官は、最低でも元は大隊長クラスの実力を誇る。
おまけに菖蒲世代……〝ロータス〟最初期の大隊長は、曉燕や絵里の世代よりもより苛烈な戦場を戦っていた者達。
当然、菖蒲の本気もそれ相応のモノがあった。
「ひぃッ!? わ、分かった! 行く! 行くよ! 行けばいいんだろ! おい、行くぞ奏!」
「あッ! う、うん……――くッ!」
母親の怒相に怯え足早にその場を立ち去る和成。
そして、そんな和成に手を引かれ付いて行く奏は、去り際に『息子を危険に晒すなんて!』と、つい先ほど慰めてくれた恩もすっかり忘れて菖蒲に辛辣な視線を投げ捨てて行った。
「……どうしてこうも思った通りに働かないのかしら? 頑張って育てたつもりなのに……これなら産まなければよかったわ」
デークゥを大量に消費して用意した最大限安定させた〝D・E〟まで与えた息子。
正直、もっと圧倒的な力を発揮して名を上げてくれるモノだとばかり思っていたが、蓋を開けてみれば期待外れもいいところ。
その上、ただ弱いだけならまだ可愛げがあるが、まだ何の功績も上げずしてまるで百人力かの様な傲慢な振舞い。
自分ですら己の不甲斐なさを恥じて上役の嘲笑を甘んじて受け入れたのに、一体どういう思考回路を通せば、あんなにも厚顔無恥でいられるのか。
もはや腹を痛めて産んだ絆も冷め切り、たとえこの任務で死んでも泣けるか怪しくなって来た。
ただ、それよりも問題なのは明らかに正常ではない奏。
側流世界からの脱出前、あの博士の薫陶を受けているであろう御縁司との戦闘もかなり優位に進めていたことを考えれば、戦闘力が損なわれているという心配はないだろう。
(いや、むしろ和成が傍にいて適当に痛め付けられた方がより闘志が燃えるかもと知れないわね……フッ、バフ要員くらいにはなれるかしら、あの子……)
奏はこんなところで失うのは惜しい逸材だ。正直、あの二人を天秤に掛ければ帰って来て欲しいのはもう若干奏の方が比率が高い。
ただ、一応今回の陽動作戦はちゃんと聖官達の間でもフォローがあり捨て石作戦にはなっていないので、どちらも無事に帰って来る望みは十分にある。
「それにしてもあの異様な執着は明らかに奏本来の意識ではないわね。和成、あなた……もう多分誰からも本当の意味で愛されていないんじゃないの?」
踵を返しその場を歩き去る菖蒲。
等々最後に一人のお嫁さん候補の前でもメッキが剥がれた息子の無様さに鬱屈とした気持ちを抱きながらも、後ろ髪を引かれる感覚は無くあっさりと自分の任務の準備へと向かった…………。
唐突に話しかけて来たのは、一見人当たりの良さそうな笑みを浮かべた二人の制服警官。
道端で呆然と立ち尽くしてはいたものの、職質を受けるほど怪しい見た目ではなかったはずの司達だが、もうこの世界に自分達の常識は通用しない。
「司様……」
「どうする? ピューッて逃げちゃう?」
「いや、俺達が逃げる理由なんてねぇよ。丁度いいじゃん、探りを入れてみよう」
手元の勤務用スマホらしきモノをチラチラと見ながら真弥と千紗の横を素通りし、美紗都と七緒を背後に立たせた司の元に近付いて来る警官達。
司は逃げも隠れもしないという体で両手をポケットに入れて『何ですか?』と首を傾げて警官達が近付いて来るのを待つ。
だが……。
「……間違いないな」
「あぁ、後ろの二人もだ。ここでやっちまおう」
「え?」
「ちょ、待ッ!?」
スマホを確認していた警官達は何かを確信する様に頷き合って、驚くほど自然な動きで腰元から拳銃を引き抜くとその銃口を司に向けて躊躇わずそのトリガーを引く。
日本の街の風景には馴染まない銃声が響く中、美紗都と七緒が目を見開き固まる前で司の左胸付近に二発の弾丸が命中して、司の身体がゆっくりと……警官達へ歩み寄っていく。
「「なッ!?」」
驚愕する警官達。
当然の反応ではあるが、司達側からしてみれば『はぁ?』と言ったところだろうか。
(今更拳銃なんかで撃たれてもだよな……まぁ、おかしいのは絶対こっちなんだけどさ)
今の司にとって人が生身で扱える程度の銃器など、幼児でも扱えるスポンジ弾を放つ玩具銃と大差無い。
美紗都と七緒が驚いていたのも『警告も無く発砲した』というその警官達の行動にであって、司の身に関しては全く気にもしていなかったし、ルーツィア、紗々羅、曉燕達に関しても、あんなモノを向けたところで守ろうと飛び出すまでにも値しないと姿を潜めたままだった。
「はは……容赦ねぇ。全然躊躇い無く撃って来るじゃん。でも別にいいよ。あんた達、俺を悪党だと思って撃ったんだろ? それ正解! 間違ってないから何もおかしいことじゃない……――よッ!」
「――かへッ!?」
薄ら笑いを浮かべている司。
そして、服の隙間から滑る落ちる歪な円盤状に潰れた弾丸の成れの果て。
警官達が顔面蒼白で一歩後ろへたじろいだその刹那、司は一瞬で間合いを詰めて二人の内一人の顎先へ拳を掠らせて意識を刈り取り、隣にいたもう一人はその顔面を片手で鷲掴みにして持ち上げた。
「ぐぶッ!? ひぃッッ!! た、助けッ! あああぁぁ――ッ! あああぁぁ――ッ! あああぁぁ――ッ!」
司の腕を殴り両足をバタ付かせ全力で暴れる警官。
警官という職業に見合う逞しい身体付きはしているが、司のアイアンクローはまるで微動だにせず先に仕留めた警官が倒れる落ちる前にその手から掠め取ったスマホを確認する顔には、成人一人を片手で掴み上げているなど思えぬ力みの無い涼しい表情をしていた。
「悪党人権剥奪法・特別第一級即刻射殺推奨対象者ぁ? なんか語呂悪いとこも馬鹿っぽいな……」
画面には司の顔写真と共にこの側流世界での彼の扱いが長々しく羅列されていた。
公的な記録とは思えぬほど作成者の私的な感覚が盛りに盛られたそこには『人の形をした汚物』だの『悪性の病原菌保有の可能性大』だの、まるで子どものイジメ言葉の様な文言が書き連ねられていた。
「アホくさ……他のメンバーも色々好き勝手に……――チッ!」
画面をスクロールするとルーツィア、紗々羅、曉燕の顔写真も並んでいて、そのさらに下には美紗都と七緒の写真もあったが、この二人の文言は司より多少トーンダウンしているがそれでも明らかに侮蔑寄り。
とにかくこの情報を見た者がこの二人に対して不快感や嫌悪感を抱く様に促す文言はデリカシーの欠片も無く虫唾が走った。
「間違いない……こんな姑息で吐き気がする言葉が浮かぶクソ野郎なんてあいつ以外いるかよ。……おい、あんた、この馬鹿丸出しの法律を作った奴らはどこに……――うッッ!?」
掴み上げていた警官の方へ顔を向けた司。
その瞬間、頬骨の辺りに拳銃を撃たれて司の顔が跳ねる、が……。
「ハァ……ハァ……――ひぃッ!?」
「痛ぁ……。流石にこの距離で顔面だと小石がぶつかるくらいの衝撃はあるな……おい、あんまりはしゃぐなよ」
スマホを投げ捨て弾丸が当たった所を指先で撫でる司。
痣にすらならないそれは怒るにも値しないのか、司の表情は冷めていてその冷静さが余計に警官の恐怖を煽る。
「ば、化け……物……」
「今更? その分だと俺達の詳しい説明はされてない感じか。まぁ、あんた達の場合は上から言われたらお仕事だから知らなくても従わないといけないんだろうし仕方ないよな。あともう一発は許してあげてもいいんだけど……いい大人なんだしさ、余裕を持って察してくれないかな?」
震える警官の手から拳銃を掴み取りクシャクシャに握り潰す微笑の司。
途中で数回掌の中で残弾が暴発するがその衝撃ごと握り込み、指の隙間から硝煙が上がるその手を開くと奪われた拳銃はピンポン玉ほどの大きさまで握り潰された鉄の玉に成り果てて地面に落ちた。
「もう一回聞くぜ? この馬鹿丸出しの法律を作った奴らは今どこにいる? ……さっさと答えろ」
血色の眼で射抜くまでも無く、軽く犬歯が覗く獰猛な笑みだけで、警官は掴み吊り上げられたまま人目も憚らず失禁してしまった…………。
時間は少し遡り、司達が本流世界へ帰還した頃。
〝ロータス〟の時元艦隊は【アクエケス】からの脱出艇を回収し、どうにか〝Answers,Twelve〟から逃げ切ってようやく張り詰めていた緊張を少し緩めていた。
そんな中、艦隊内の最内で守られている救護艦では、奏が1人の看護官の手を掴み捲し立てていた。
「ねぇ! 本当に和君は大丈夫なの!? あんなにボロボロなのに軽症用簡易治療カプセルでだなんて……集中治療カプセルは空いていないの!?」
「お、落ち着いて下さい、天沢副隊長! 本当に大丈夫です! 聖・アヤメ様のご子息の身体はここへ運び込まれて来た時にはほぼ自己治癒が進んでいました! ハァ……小一時間もすれば全快なさいますからッ!」
言葉の後半には少し苛立ちさえ滲んでいた看護官。
それもそのはず、今この救護艦内は戦場も同然なのだ。
いくらデーヴァの強靭な肉体でも不死という訳ではない。
体内のナノマシンが持つ自己修復や細胞増殖機能を越える傷を負えば、当然その先には死が待っていて、脱出艇から移送されて来た大勢の負傷者達は女医官達の懸命な治療を受けている最中なのである。
そんな中で同じくこの救護艦に移送された和成は、確かに脱出艇に運び込まれる際には司から受けた一方的なリンチでズタボロの肉塊状態だったが、他のデーヴァ達より遥かに性能が向上した〝D・E〟によって、ほぼ傷は塞がり命に係わる負傷などもうどこにも残っていないところまで回復していた。
しかし、そんな治りかけの傷をまるで身体に穴でも開いたかの様に痛い痛いと喚き暴れていた和成。
本当なら優先順位的にも後回しにするべき軽傷者だが、仕方なくただでさえ手が足りていない女医官が一人付いて処置をしたのだが、その後も和成は『今すぐ完全に痛みを消してくれ!』とさらに泣き喚き、付き合ってられないと判断したその女医官は貴重な治療カプセルの一つを宛がったのだ。
自分からいそいそとカプセルに入り、鎮痛効果もある治療用液に浸かってまるで湯船にでも入るかの様に痛みから解放され呑気に吐息を吐く和成の腑抜け顔に他の女医や補佐をする看護官達の顔はまさに怒り心頭だったが、もうそんなことにも構ってられない。
奏が引き留めていた看護官もそんな怒れる内の一人であり、少し荒めに奏の手を振り払って足早に掛けて行き〝重症処置室〟と札が掲げられた部屋と向かう。
「あッ! ま、待ってッ!!」
度越した和成への過保護で、この期に及んでまだ食い下がろうと手を伸ばしかけた奏。
だが、その看護官が処置室の扉を開いた瞬間……。
「ああああああああああぁぁぁッッ!! 腕ぇぇぇッ! 腕がぁッ! 私の腕が無いぃぃぃッッ!!!」
「痛いぃッッ!! 痛い痛い痛い痛いぃぃぃッッ!! 助けてぇぇッッ!!!」
「――ッ!?」
布を切り裂く様な悲鳴。
漂う血臭に奏の身体が凍り付く。
「細胞活性化液槽の浄化急いでッ! まだ何十人も待っている子がいるのよッ!」
「不味い! 三十五番、三十七番心停止ッ! 誰かこっちに電気ショックパットを持って来てッ!」
「くッ! 一人も殺すんじゃないわよッ!? 救護部隊の威信に賭けて腕が無かろうが腹が抉れていようが必ず全快させるッ!! この子達は普通の女の子に戻るのッ! デーヴァのまま、【修正者】のまま、こんな所で死なせてはダメなのよッ!!」
「「「はいッッ!!!」」」
扉が開いていたほんの少しの時間で響き渡る痛々しい悲鳴と救護部隊の鬼気迫る声。
そして、扉が閉まり静寂が戻った廊下で奏は俯き震え立ち尽くした。
「…………私、何やってるの?」
氷水を頭から掛けられた様に冷静さを取り戻した奏。
そしてすぐさま脳裏に浮かぶ呑気にカプセルの中でくつろぐ和成の顔とつい今し方の自分の言動にゾッとして、奏は両手で顔を覆い震えながらフラフラと壁に寄り掛かる。
「私……おかしい……どうしたの? 和君のことが心配で……で、でも……こんな状況で、あんなに軽症な和君を優先しろだなんて……私、何を考えて……」
たった数秒前の自分の言動に唖然とする。
精々数日程度で引くであろう処置後の痛みすら嫌がり貴重な治療カプセルの一つ占領している和成があまりに身勝手で失望するが、ならば先程の自分の和成を全肯定する言動は一体なんだ?
「あ、あれ? 変……変だよ、私……どうし……――あ」
さっきまで和成のことで一杯だった頭に堰き止められていたかの様に記憶が溢れ返って来る。
側流世界での戦闘……司との三度の対峙……そして……。
「ま、真弥……ちゃん? ち、違……違うッ! 私、そんなつもりじゃッ! あ、あぁぁぁッッ!!」
血の繋がった姉妹よりも固い絆を信じ合っていたはずの親友に向けて放つ一方的な暴言の数々。
真弥が司に痛め付けられる和成を傍観していたというのが怒りの着火点であったことは間違いないが、そのあとの真弥の言い分は奏が知らない所での出来事に関する話であり、今の自分ならまずその点に関する確認をしようと思える。
だが、あの時の自分は真弥の話など全く聞く耳を持たず、ただ目の前で見たことだけを判断材料に真弥を貶し、退避する仲間達を蔑んだ。
「どう……して? わ、わた……私ぃッ! なん、で……ッ!?」
ボロボロと溢れる涙、止まらない身体の震え。
自分の意識と価値観が自分の行動に合致しない。
しかも、つい先ほど死の淵を彷徨う仲間達の悲鳴を聞いて強いショックを受けるまで、自分はその齟齬をあまりに都合良く認識していなかった。
どう考えても作為的だ。
まるで人格にONOFFのスイッチが設けられてしまっている様な不自然さ。一体自分の中で内が起きている?
得体の知れないモノの影響を受けるのは間違いないはず。
そしてそれは、かつてデーヴァが味わって来た恐怖を想起させる。
「あぁぁッッ!! ああああぁぁぁッッ!! あああああああああぁぁぁぁ――――」
「奏……落ち着きなさい」
壁に背中を擦りしゃがみ込んでいた奏の身体がふと優しく抱き包まれて、ホッとするいい香りした。
涙濡れの顔を上げる。そこにいたのは今の自分の直属の上司――菖蒲だった。
「あ、菖蒲さ……」
「だから言ったでしょ? あなたの身体は御縁司からサンプリングした〝D・E〟と極めて相性が悪い。精神に異常を来して、それでもウチの和成を助けようとする方向性だけは定まっていたからまだよかったものの、場合によっては目に付いた者を敵味方関係なく襲うほどに発狂していたかもしれない」
「あぁぁッ! ああああぁぁッッ!! 菖蒲さんッッ!!!」
怖かった……自分が何者なのかさえ疑いかけた一瞬。
奏はそのズレを整え直すかの様に菖蒲の胸に顔を埋め、菖蒲も優しく奏の頭を撫でて落ち着かせる。
そして、しばらくそのまま時間が過ぎ、徐々に落ち着きを取り戻した奏は、しゃくり上げながらもゆっくりと顔を上げた。
「う、くぅ……す、すみません……菖蒲さん……――あッ! し、失礼しました! 聖・菖蒲様ッ! ……え? そ、そのお顔は一体……」
今の菖蒲はデーヴァの最上位格。
【修正者】の一小隊副隊長の身分である奏にとっては本来泣き抱き付いて服の胸元を濡らすなど恐れ多い存在。
慌てて立ち上がり敬礼する奏だったが、脱出艇に乗り込んだ時には自分と同じくほぼ無傷だったはずの菖蒲の右頬はまるで誰からに力一杯叩かれたかの様に赤くなっていた。
「フッ……さっきまで艦隊旗艦【キャミニ】の会議室で聖官会議に出ていたの。私は聖の中で一番新参者だからね。側流世界の崩壊……時元艦【アクエケス】の喪失……貴重なハーベストの研究者である悠佳が消息不明……まだロクに功績も上げていないくせにこんなに失態を重ねるだなんてと罵声を浴びせられながら【キャミニ】の艦長である聖・雛菊に叩き倒されたわ」
〝ロータス〟所属・アルテミス級時元航行艦・五番艦【キャミ二】
その艦長を務める聖官の一人――小波雛菊は〝Answers,Twelve〟の支配下にあった当時、人体実験で身体を弄られ成長が止まった見た目には千紗よりも年下に見える黒髪のツインテールを垂らした少女。
ただ、実際には菖蒲とそれほど歳は変わらず〝ロータス〟発足当初は短刀の二刀流で〝Answers,Twelve〟の残党を斬り殺して回っていたという強者。
ただ、その出生には少々曰くがあり、実は『デーヴァではないんじゃないか?』という噂がまことしやかに囁かれている。ただ、聖官でも随一の武闘派であるその少女の機嫌を損ねるのは自殺行為であり、誰もその真意を確認出来ていない。
「そ、そんな……そもそも艦隊砲撃はこちらの要請ではなかったと聞きました。聖・雛菊様の判断なのでは……」
「フッ……聞かれたら殺されるわよ? 仕方ないわ。〝ロータス〟の中で聖官はマリア様に次ぐ存在。マリア様のご意思の代弁者である聖官が口にしたことは全て正しくてそれ以外は全て間違い。私も一応その末席にいるのだけど、出戻りの私ではまだ同じ立場とは見て貰えていないのでしょうね。だから、こんな状況でももう次の任務を言い渡されてしまったわ」
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菖蒲の拳が軋む。
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「分かりました……でも、本当に私が隊長でいいんでしょうか?」
「あら、その点だけは心配しなくてもいいわよ。何せ私があなたを隊長にすると言ったことに聖官達は誰も反対しなかったもの。あなたの万能性は思いの他御上の覚えも良い様だわ。あなたなら十分にやれる……自信を持ちなさい」
「せ、聖官様達が私をご存じで……光栄です。は、はいッ! 全力を尽くします!」
「お願いするわ。それで任務の内容だけど、とりあえずこの艦隊は一度未来へ帰還します。しかし、艦隊規模で動けば間違いなく〝Answers,Twelve〟に補足される。そこで奏には作戦実行可能な子で小隊を編成し、側流世界陽動を仕掛けて貰います。丁度近い所にその媒体とするのに最適な側流世界があって、すでに聖・雛菊配下の部隊が下準備は済ませている。あとはあなたの小隊がそこへ向かい〝Answers,Twelve〟の注意を引き付けるアピールを仕掛けて時間を稼いで欲しい。ただし、戦闘を行う必要は無いわ。折を見て高速艇で脱出して頂戴」
「了解しました。ただ……そ、その前に……一つだけ私事を済ませてもよろしいでしょうか?」
シュンと肩を落として声が小さくなる奏。
菖蒲が首を傾げていると奏は恐る恐る口を開く。
「真弥ちゃんに……謝りたいことがあって……。そ、その……私が乗った脱出艇の中にはいなかったので、まだ会えてなくて……そ、それに千紗ちゃんもどこにいるのか……任務に出る前に顔を見ておきたくて……」
「え? か、奏……あなた…………」
「え?」
呆然とする菖蒲の顔を見上げて固まる奏。
自分より戦闘勘に長けた真弥なら問題なく脱出していると思っていたし、千紗に至っては戦場で見なかったのでてっきりまだ治療中で当然優先して脱出させられていると思っていた。
しかし、菖蒲のその表情に奏の中で身の毛もよだつ恐ろしい憶測が鎌首をもたげる。
「ま、待っ……待って、下さ……い……。え? う、嘘ですよね? あ、あの……あの二人もちゃんと脱出し……ました…………よね?」
「…………」
途切れ途切れに震えながら訪ねる奏。
その目に再び涙が溜まり始め、菖蒲は耐えかねて視線を逸らした。
それが答えだった。
奏はもう声も出ずに首を横に振り、両手で顔を覆い…………。
「あ、ここにいたのか奏! ねぇ、お腹が空いたんだけど、どこか御飯が食べられる場所は……あッ! か、母さん!?」
廊下に響くもはや虫唾が走るほど当事者意識に欠けた声に、もはや自分の息子でも嫌気を隠さない表情を向ける菖蒲。
そんな母の視線に流石にバツが悪く狼狽える和成。
だが……。
「あッ! 和君ッッ!! よかった! もう傷は大丈夫ッ!? 本当に本当に心配したよッ!!」
和成の声にハッと顔を上げてまるで人が変わったかの様な歓喜の声を上げて和成に駆け寄り抱き付く奏。その姿に今度は菖蒲が驚愕して目を見開き固まってしまう。
「あ、あぁ……うん、大丈夫だよ。というか僕が出て来るまでカプセルの外で待っててくれよ? この艦のことよく分かんないんだからさぁ……」
「あぅ……ご、ごめんね? 本当は和君のためにもっと質の良い治療用カプセルを宛がって貰おうと思ったんだけど、なんかこの艦の子達ってあんまり……その……仕事出来る子達じゃないみたいで、こっちの話もロクに聞かずにバタバタ走り回ってて全然話が出来なかったのぉ……」
真弥の安否は? 千紗の居場所はもういいのか?
人が変わったというよりまるで記憶を挿げ替えた様に切り替わる奏は、もう和成のことしか見ておらず、この緊急時に自分達だけの雰囲気を醸し出してイチャ付き始める。
これも〝D・E〟の影響か?
奏の中では一体何が起きてしまったのか?
それとも和成が自覚の無いまま何らかの能力を開花させたのだろうか?
それはもう菖蒲にも読めない。
しかし、その詳細を追及している時間も無かった。
「…………奏、そろそろ任務へ向かいなさい。それと和成、あなたも奏を手伝う様に。傷が治ったのならあなたもこの状況では一戦力として使わなくてはいけませんし、そろそろいい加減何か一角の戦果を挙げて貰わないと私の立つ瀬が無いわ」
「えッ!? あ、いやぁ……じ、実は……まだ、本調子じゃ……」
「そ、そうです菖蒲さんッ! 和君に無理をさせる訳には行きません! そうだ! 菖蒲さんの補佐官にして一旦一緒に未来へ向かってはどうでしょうか? 和君と離れるのは寂しいけど、やっぱりここは和君の身の安全を最優先に――――」
「いいから二人とも任務へ向かいなさい。……これは命令です」
低く唸る様な菖蒲の怒気が廊下を満たし、奏と和成を竦み上がらせる。
〝ロータス〟の上位格である聖官は、最低でも元は大隊長クラスの実力を誇る。
おまけに菖蒲世代……〝ロータス〟最初期の大隊長は、曉燕や絵里の世代よりもより苛烈な戦場を戦っていた者達。
当然、菖蒲の本気もそれ相応のモノがあった。
「ひぃッ!? わ、分かった! 行く! 行くよ! 行けばいいんだろ! おい、行くぞ奏!」
「あッ! う、うん……――くッ!」
母親の怒相に怯え足早にその場を立ち去る和成。
そして、そんな和成に手を引かれ付いて行く奏は、去り際に『息子を危険に晒すなんて!』と、つい先ほど慰めてくれた恩もすっかり忘れて菖蒲に辛辣な視線を投げ捨てて行った。
「……どうしてこうも思った通りに働かないのかしら? 頑張って育てたつもりなのに……これなら産まなければよかったわ」
デークゥを大量に消費して用意した最大限安定させた〝D・E〟まで与えた息子。
正直、もっと圧倒的な力を発揮して名を上げてくれるモノだとばかり思っていたが、蓋を開けてみれば期待外れもいいところ。
その上、ただ弱いだけならまだ可愛げがあるが、まだ何の功績も上げずしてまるで百人力かの様な傲慢な振舞い。
自分ですら己の不甲斐なさを恥じて上役の嘲笑を甘んじて受け入れたのに、一体どういう思考回路を通せば、あんなにも厚顔無恥でいられるのか。
もはや腹を痛めて産んだ絆も冷め切り、たとえこの任務で死んでも泣けるか怪しくなって来た。
ただ、それよりも問題なのは明らかに正常ではない奏。
側流世界からの脱出前、あの博士の薫陶を受けているであろう御縁司との戦闘もかなり優位に進めていたことを考えれば、戦闘力が損なわれているという心配はないだろう。
(いや、むしろ和成が傍にいて適当に痛め付けられた方がより闘志が燃えるかもと知れないわね……フッ、バフ要員くらいにはなれるかしら、あの子……)
奏はこんなところで失うのは惜しい逸材だ。正直、あの二人を天秤に掛ければ帰って来て欲しいのはもう若干奏の方が比率が高い。
ただ、一応今回の陽動作戦はちゃんと聖官達の間でもフォローがあり捨て石作戦にはなっていないので、どちらも無事に帰って来る望みは十分にある。
「それにしてもあの異様な執着は明らかに奏本来の意識ではないわね。和成、あなた……もう多分誰からも本当の意味で愛されていないんじゃないの?」
踵を返しその場を歩き去る菖蒲。
等々最後に一人のお嫁さん候補の前でもメッキが剥がれた息子の無様さに鬱屈とした気持ちを抱きながらも、後ろ髪を引かれる感覚は無くあっさりと自分の任務の準備へと向かった…………。
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