アナザー・リバース ~未来への逆襲~

峪房四季

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Scene10 被告:綴真弥

scene10-8 良善正志を怒らせた場合

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 「だ、第三……階層? あれが?」

 能力の規模が違い過ぎる。
 良善が口にした『同格』という言葉も、もはや嫌味に聞こえてしまう。
 そして、そのことに憤りを感じるのは烏滸がましいだろうと思わせるほどに彼我の差は歴然。
 司はただただ呆然としていた。
 しかし……。

「見た目に惑わされるな、本質を掴みなさい。確かに君の能力では戦艦を吹き飛ばすことは出来ないだろう。だが、逆も然り。達真のあの能力では他人を魅了して従わせることは出来ない。もし私が雇用主として〝第三階層〟に限定し、君と達真のどちらか片方しか味方に出来ないとなれば、私は迷わず君を採用するよ?」

「え? あ……そ、それは……どうも、です」

 良善が言葉にしてくれると確かにそうかも知れないとは思えたが、どうにも贔屓目は感じる。
 それにあれほどの力なら、能力とは関係なく恐怖で従わせることは出来る気がするので、やはりどこか劣等感は拭い切れなかった。

「フフッ、腑に落ちていない顔だ……若いね。まぁ、それも決して悪いことでは無い。他人の才を羨む気持ちは向上の種だ。腐らせればただ他人を妬むだけのゴミに成り下がるが、健やかに育てればいずれその種は金の林檎を実らせる大樹となるだろう。精進しなさい」

 良善の手が司の頭に置かれる。
 すると、戦艦と接触事故を起こした達真が何事も無かった様に二人の元へ帰って来た。

「ふぅ……久し振りに力使ったぁ~~! うん、ちょっとスッキリ!」

 肩を回して晴れ晴れとした顔の達真。
 まるでバッティングセンターで日頃の鬱憤でも晴らしたかの様なノリは、よりこの男の規格外感を強調して来る。

「さて、じゃあここからは各々自由行動としようか。達真、君はどうするね? まだ暴れ足りないかい?」

「うん~~いや、もういいや。実はさっきちょっと見えたんだが、あの極太レーザーのはクソ詰まらなかった。もうこの戦場に興味はねぇわ」

「はぁ、だから言っただろう……君が出る足る舞台ではないとね」

 本当に自分の気分次第で行動している達真。
 良善は最初から分かり切っていた感じにため息を漏らし、それを意に介さず欠伸をする達真はふと司の方を見る。

「おい、司……ここはお前のレベルくらいで丁度いい。下っ端らしくキリキリ働いてさっさと片付けとけ」

「あ゛ッ!?」

「じゃ~~なぁ~~」

 言いたいだけ言い散らかし、消え去ってしまう達真。
 司は歯を食い縛り苛立たしげに髪を掻く。

「く、そがぁ~~ッッ!! あの野郎ぉッッ!!」

「はっはっはッ! 相変わらず上に立つ者としての素質が皆無だな、あの男は。しかし、そう言われても仕方のない実力差だ。悔しかったら早くより〝D・E〟を使いこなすことだ」

「くッ! 分かってますよ! で、良善さんはこれからどうするんです? 俺はとりあえずあの戦艦の所へ向かってみようと思いますが?」

「う~~ん……そうだな……」

 司の問いに良善は中折れ帽の唾を上げ、ゆっくりと周囲を見渡す。
 すると、森に落ちた【アクエケス】から左へ少し逸れた森に視線を止めた。

「うむ、戦艦の方は君に任せて、私は別行動を取らせて貰う。ただし、あまり深入りはするんじゃないよ? 窮鼠猫を嚙むと言う。もしかすると敵はこの窮地にも耳障りの良い理想論を掲げて捨て身になってくるかもしれない。私の見立てではまだ君には万が一はあり得るからね」

「うッ……はい、分かりました」

「うむ、良い返事だ」

 一応、司の身を案じた助言を残し、良善も司の前から掻き消えた。
 そして、一人残された司はなんだか情けない気持ちになる。

(良善さんや達真が現れた途端、完全にただのモブだな……俺)

 歴然の実力差。
 別に自分の方が勝っているなどと驕ってはいないが、直に目の当たりにすると自分を卑下する昔の癖がぶり返しそうになる。

「くそッ……そういうのはもう無しだってのッ!」

 頬を叩き気合を入れ直す司。
 一つ乗り越えてもまた新たな見上げるほどの壁がある。
 そして、この壁を越えてもきっとまたさらに大きな壁がどうせ待っているのだろう。

「毎回毎回打ちのめされてたら身が保たねぇよ……今は出来る位置で出来ること積み重ねるだけだ!」

 気持ちを切り替えた司は、機体のあちこちから黒煙が上がり、もはや完全に撃墜と言っていい【アクエケス】の元へ向かう。そして、ある程度近付きその地表付近に目を向けると、木々を薙ぎ払い地面の土が捲れ上がった開けた空間に艦から這い出て来る【修正者】達が見えた。

 戦艦が空き缶でも蹴る様なノリで吹き飛んだのだ。艦内にいた者達が無事であるはずもなく、殆どが負傷している感じ。

「チッ……これじゃあ本当にただの後片付けだな」

 敵の現状は戦闘の経験値が積める状態では無さそう。
 だが、だからといって自分の戦果でも無いくせに情けを掛けて見逃してやるのも違うので、手当たり次第にさっさとトドメを差そうとしたが……。

「ん? …………はぁ、くそが。またいるのかよ、ッ!」

 ボロボロの【修正者】達の中、妙に悪運が強いのかピンピンしているくせに傷付いた周りの者に手を貸す様子も無くキョロキョロと手持ち無沙汰になっている男が一人。

 見ているだけで不快だ。
 まずはあいつを始末してやる。
 司は真っすぐにその男の元へと向かって行った…………。







 吹き飛ばされて森に落ちた【アクエケス】
 その機体から数百m離れた地点で、へし折れた大木に腰掛ける悠佳の姿があった。

「いたたッ……やれやれ全く、本当にデタラメだわ。冗談じゃない」

 普段は艦内の研究室か治療区間にいる悠佳だが、折悪く達真が突撃して来た瞬間、たまたまで【アクエケス】の甲板にいた悠佳は、突然機体がウイリーでもする様な衝撃に巻き込まれて森へと吹き飛ばされてしまったのだが、幸い太い木の幹を数本背中でへし折りそれがクッションになってくれたおかげで大した怪我は無かった。
 無論、常人なら即死だろうが、研究職の身であるとはいえ一応彼女もデーヴァ、受けたダメージは精々軽い打ち身くらいのモノだった。

「しかし、参ったわね……これはもう艦長の意地に付き合ってはいられないわ。軍属でも無いんだし、ここはさっさと退散させて頂くとしますか」

 白衣の汚れを払い、平然と敵前逃亡を企てる悠佳。
 別に彼女は【修正者】ではないので、逃げることが懲罰対処では無いが、不退転の敵である〝Answers,Twelve〟を前におめおめと未来に逃げ帰っても、普通は居場所が無くなるはず。
 だが、彼女には丁度いい〝手土産〟があった。

「ほら、起きなさい。こんな所にいては命がいくつあっても足りない。戦略的撤退をするわよ」

 悠佳は、地面に落ちていた鎖を拾い上げてその先へ声を掛ける。
 その鎖の先は地面に倒れた一人の女性の首へと繋がっていた。
 地面に広がる長い亜麻色の髪はまるでシルクの様に艶やかで、スラリと長い手足に加え、グラビア雑誌に特集を組まれてもさぞ映えるであろうプロポーション。

 まさに美女。
 ただ、その顔は……。

「あ、ぁ……あ゛ぁッ! ぐぶぅッ!? がッ! ぐぁ、あ゛……ッ!」

 まるで焦点が定まっていない濁った虚ろ目。
 さらに口端には唾液が泡になっていて、まるで薬物中毒者の様な、明らかに命の危機ギリギリにいる様子が誰の目から見ても明らか。
 しかし、そんな瀕死の美女にあろうことか犬の様に首輪を嵌めている悠佳は、ぞんざいにその繋がった鎖を引き寄せる。

「ほら、早く! 菖蒲とは長い付き合いだけで一緒に心中は流石に御免だわ。この混乱に乗じてこっそり逃げさせて貰いましょう。この先に緊急用脱出ポットがある。その中になら鎮静剤があるから、そこまで頑張りましょうね――

 悠佳に名前を呼ばれる美女。
 すると、瀕死の美女は辛うじて悠佳の方へ顔を向けて絞り出す様な掠れた声を漏らす。

「ぜぇ……ぜぇ……ゆ、悠佳……さん……く、苦し……いよぉ……。た、助け……てぇ。ち、千紗ぁ……し、死んじゃう……よぉ……」

 大人びた美女らしからぬ幼げな口振り。
 そう、この美女は悠佳によって司の〝D・E〟で無理矢理強化された曽我屋千紗だった。
 身体だけ数年分成長した風なその見た目は、あの達真すらもその気にさせる超巨大砲撃を可能にするため、本来身体の外へと展開するナノマシンの外骨格を本人の本来の骨格に作用させた結果。

 しかし、その反動からか、千紗自身も言う通りその現状は今まさにこと切れてもおかしくない有様だった。

「えぇ、分かっているわ。だから……さっさと立てって言ってるのよッ!」


 ――ギシッ!!


「うくッ!?」

 悠佳の手が鎖を張り、千紗の身体を地面に引き摺る。

「千紗……これはとても意義がある撤退よ? あなたの今の身体はかなり時限的。でも、ちゃんとした設備で調整すれば身体も安定するするはず。桁外れの強化……この技術を完全確立出来れば、〝ロータス〟対〝Answers,Twelve〟の戦況を変える可能性も秘めている。確立者である私と被検体であるあなた、私達2人は今、菖蒲達全員を見捨ててでも生き延びる価値があるの! だからさっさと立ちなさい!」

 頬を高揚させ、何度も何度も千紗の首輪を引く悠佳。
 技術分野の者として、悠佳は今一刻も早く千紗を連れ安全圏に退避したかった。
 自分の研究が世界を変える……その確信に普段の飄々とした雰囲気から様変わりする悠佳は、もはや埒が明かないと立てない千紗を無理矢理引き摺り歩き始める。

「は、ははッ! なんて巡り合わせなの!? やはり私は世界を変える存在として生まれたのよ! この強化施術を完成させれば、私は人類史を書き換える大天才! 絶対に生き残る! どうせ菖蒲達は名誉に殉じるとか言って最後まで戦うんでしょうね……冗談じゃないわ! あんた達の命と私の命では価値が違い過ぎるのよ! 精々私が逃げるまでの時間を稼ぎなさい! そうすれば、多少はその下らない命にも価値が――――」


「おやおや……他人の研究結果を盗んでおいて大天才とは、随分と安い陶酔だな?」


「――ッッ!?」

 千紗を引き摺る悠佳の足が止まる。
 何時からだ? 一体いつから歩み進むに立つ男の姿を認識していなかった?

「やぁ、デーヴァ。白衣姿で女の子を引き擦り森の中を進むとは、随分と突飛な状況だ」

「り、良善……正志?」

 足を止めて立ち尽くす悠佳。
 まさか……よりにもよって……考え得る限りでほぼ最悪の状況。
 何故こうもピンポイントで敵の№2が自分の前に現れる?
 悠佳はどうにかこの状況で、最悪背後のサンプルを失ってもどうにか自分だけでも逃げ果せる方法が無いかを模索する。
 だが……。

「諦めたまえ。今回私は、私の研究結果を無様に改悪した君を殺すつもりでここへ来た。そして、そんな私が今君の目の前に立ってる。もはや如何なる計算式を用いても君の死は不変の解として証明されている」

「まッ! 待ってッ!!」

 悠佳は妙案が浮かんだ。
 確かに、今目の前にいるのは人類史に類を見ない稀代の狂研究者。
 しかし、その飽く無き探究心は、場合によっては善悪の基準さえ度外視することは有名な話。
 七緒が持ち買って来た〝D・E〟のデータも、本人は隙を見てと言っていたが、実際は良善が戯れて寄越して来たのだろうと悠佳は最初から見抜いていた。

 要するに、この男は自身の探究心を最大の指標にしている。
 悠佳はここで自分が良善の発明した〝D・E〟を活用してデーヴァを飛躍的に強化出来る理論を確立したことを伝えれば、最低限殺されることだけは避けれるかもしれないと思った。

 その後のことは一旦保留。
 まずは話も聞いて貰えず殺されるのは避けようと、鎖を持っていない右手を突き出し良善を制止しようとした。
 しかし……。


「…………あれ?」


 おかしい。
 何時まで経っても自分の視界に自分の右腕が入って来ない。
 確かに自分はもうすでに目の前の良善に向かって掌を突き出す様にして腕を伸ばしているはずだ。
 しかし、それにも拘らず自分の腕が見えない。
 一体どういうことだ? 悠佳は視線を自分の肩口へと向ける。
 すると、自分の右腕が肩の辺りから完全に無くなり、白衣の袖がフラフラと微風に揺れていた。

「え? え……え?」

 悠佳は千紗に繋がる鎖を握ったまま、左手で自分の肩口に触れる。
 そこにはもはや腕があった形跡はなく、まるで産まれた時からそうだった様にスルリと滑らかな肩から脇へと流れる何も無い肌だけがあった。

「な、な……何? え? ど、どうしてッ!?」

「そんなに狼狽える必要は無い。ただ。心配せずとも血管や神経は全て適切に縁切りしてある。傷口も綺麗に縫合し、傷跡修正もしておいたから見た目には分からないはずさ。しかし……あと、五秒くらいかな?」

 おおよそ四~五mは離れた距離で意味の分からないことを言い出す良善。
 腕を切除? 馬鹿な……。確かに良善がいつ現れたか気付くことは出来なかったが、それでも身体に触れた触れないも感じ取れず、あまつさえ腕を切り落とされても気付かないなんてことはあり得ない。

 しかし、現に悠佳の身体にもう右腕は無い。
 だが、良善はそんな戸惑う悠佳に目もくれず、コートの内から古風な懐中時計を取り出してその文字盤に目を向ける。
 そして、つい先ほど彼が口にした通り秒針が五度動いた瞬間……。


「――うぐぅッ!? う゛、ぁあッ! あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッッ!!!!」


 突然肩口を押さえてその場に倒れ込み、絶叫を上げて泣きじゃくりながらのたうち回る悠佳。

「い、痛いッ!! 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いぃぃぃッッ!!! ああああぁぁ――ッッ!!! ああああぁぁ――ッッ!!! ああああぁぁ――ッッ!!! あああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁッッッ!!!!」

 人間の四肢には当然多くの血管や神経が通っている。
 交通事故や病気によりその四肢を切除した場合、麻酔が効いている内は何ともないが、太い神経が断線すると、そこには大人であろうが耐えかねるどう言葉に表現したらいいかも分からない激痛がしばらく走り続ける。

「普段の私ならちゃんと局部麻酔を掛けてあげるんだがね……生憎今日は麻酔無しで手術をしたい気分なんだ」

 それは執刀側の気分で決めることではない。
 だが、目の前で人が藻掻き暴れて苦しんでいるというのに、まるで雑草が風に揺れているのを眺めているかの様に何一つ思うことが無さそうな平然とした顔の良善は、まるで意趣返しをする様に時計を仕舞い悠佳に右腕をかざす。

「じゃあ……次だ」

「――ひぐッッ!? おッ!? おぇぇッ!?」

 悠佳の身体がビクリと跳ね、目を見開いて激しく嘔吐く。
 そして、良善がかざした手を握り自分の方へ引く様な動きを見せると……。


 ――ブチブチブチッッ!!


「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッッ!!!!!!」

 残っている左手で腹部を掴み、先ほどよりも激しく地面を転げまわる悠佳。
 彼女の鼓膜のから響いた何かを引き千切る様な音。
 その音と同時に彼女の腹部には、まるで内側で火が燃えている様な信じ難い激痛が走っていた。
 そして、その痛みのきっかけと思わしき何かを引く様な動作をした良善の右手には……。

「左肺と右腎臓、それと小腸をまず半分……おや? 少々血色が悪いね? 食生活の乱れが見受けられる」

 まるでスプラッター映画のワンシーン。
 良善の右手には、血抜きがされて少し青白くなった人間の内臓がぞんざいに鷲掴みにされていた。

「安心したまえ、今回もちゃんと切除部分は縫合してある。無駄に血が飛び散ると地面が汚れるからね。それと普通ならすでにショック死していると思うが、脳の意識を司る部分にだけはちゃんと麻酔をしておいたから気絶することは無い。あとほんの数秒だが、存分に『自分は生きていたんだ』と実感したまえ」

 良善の足下にガラスのビンが忽然と現れる。
 その中には無色透明な液体が注がれており、良善は手にした内蔵を一つ一つそのビンに仕舞い蓋を閉じると、付箋の様なモノを取り出してその一枚一枚に〝肺(左)〟〝腎臓(右)〟〝小腸(胃側)〟と書き込みビンに張り付けて行く。

 ちなみに今蓋を閉めた三つのビンの他にもう一つすでに付箋が張られたビンがあり、その中には悠佳の右腕が液付けにされていた。

「さて、次は……眼球を取ろうか。右と左、どっちを先に取られたいかな?」

「ハァッ! ハァッ! ハァッ! ハァッ! ハァッ!」

 一体これはなんだ?
 まさかこれがこの男の能力なのか?
 離れた場所から他人の腕や内臓を毟り取る能力?
 全く持って意味が分からない。
 だが、その詳細を今問うている場合でもない。
 このままでは自分は人体標本にされてしまう。
 悠佳は決死の思いでまだ無事な左腕を良善に向けて……。

「おっと」

 ――ブラン……。

 まるで飛んで来た虫でも払う様な動作をする良善。
 だが、その手にはやはりいつの間にか白い肌の腕が掴まれていて、悠佳の白衣の左袖がパサッと地面に落ちる。

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッッ!!!!」

 右と同じく襲い掛かってる左腕消失の激痛。
 もういっそ殺してくれ。
 そう願わずにはいられない痛みに、悠佳は喉が切れて血混じりの咳をする。

「悲しいね……君、今何か能力を使おうとしたね? でも、もうその能力を使う手が無くなってしまった。一体君はどんな能力を持っていたんだろうか? もしかしたら、その能力はこの私に対してとても有効だったかもしれない。しかし残念ながら、私は君がどんな固有能力を持っていたかなど全く興味が無い。君が己の有用性を示す間もなく死のうがどうでもいい。君は私の人生に何一つ事象を起こすことは叶わない」

 目の前の生物に心底興味がない。
 良善の表情は全くの〝無〟
 ただ、それでもどうにか意識を向け続けようとまた右手を悠佳に向けてかざし、その指をまるで何かを掴むかの様にじんわりと曲げる。
 すると……。

「ぴぃぎゃあッ!?」

 いっそ間抜けですらある声を上げ、両手を失った悠佳の身体がフワリと膝立ちになる。

「私が今……君の握っているか、分かるかい?」

「ぷぎぃッ!? あげッ! ぎぎぎぎッ!? あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁッッ!!! あ゛ぎゃッ!! あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁッッ!!! あ゛びゃあ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁッッ!!!」

 良善がかざした手の指をニギニギと動かすと、悠佳の目、耳、鼻、口から一斉に血が滴り出始める。
 眼球は壊れた方位磁石の様にグルグルと回り、口や鼻には血泡が膨らむ。

「ふぅ……とても答えれそうに無いね。まぁいい……答えは〝脳〟だ。そして、あぁ……掴んでいるだけで分かる。これはサンプリングする価値も無いゴミの様な脳だ」


 ――ブチュッ!


 思いっ切り豆腐を握り潰した時の様な微かな音と共に悠佳の頭が一瞬グニュッと波打つ。
 そして、その両目が上を向き、開いた口から舌が垂れ、沢崎悠佳は呆気無く……何の意味もこの世に残せず絶命した。


 ――カシャン! カシャン! カシャン!


 良善の足下に新たに大小様々なガラスビンが現れる。


 ――ビリビリビリッッ!!


 悠佳の白衣が勝手に引き千切れ、さらに残る両足と首から上が胴体から切り離されて大きめのビンに自分から入る。さらに残された胴体が真っ直ぐ切開され、その切れ間から中に残る内臓が次々に取り出されて一つ一つビンに収まっていく。

 そうして全ての臓物が摘出されると、残る骨は念入りに潰され皮はクルクルと反物の様に丸められ、それぞれ大きめのビンに収まる。

 人一人が完全に分別され切り、良善の足下に並ぶ。
 そして、遅れて現れた戸棚が開き、その中の棚へ浮き上がった標本ビンがガチャガチャと音を立てて収納され、全部のビンが収まると戸が閉まり取っ手の部分に白紙の掛け札が揺れた。

「あぁ、しまった……名前を忘れたのに、それを聞いておくことさえも忘れてしまっていた。まぁ、いいか、脳は握り潰してしまったことだし、標本名は…………〝脳無し〟としておこう」

 札にこの棚に収まるモノが何であるかを書き込み取っ手に掛け直す良善。
 するとその棚はズブズブと地面に沈み消え、あまりにも悍ましくこの世から人が一人消えてしまった…………。
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