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Scene8 反転攻勢の狼煙
scene8-1 別格 前編
しおりを挟む「お帰り、司」
〝側流世界〟で午後八時を迎えた司と七緒は、時間と共に〝ルーラーズ・ビル〟の談話室に立っていて、目の前には席に座す良善がコーヒーカップを片手に微笑んでいた。
幾何学的な模様が浮かぶワープ空間を飛んでいる様なこともなく、周囲に光が沸き上がり身体を包む様なこともない。
瞬き一回の間に周囲の全てが変わり世界を飛び越えたという実感も沸かず、正直つまらなかった。
「あぁ……はい、戻りました。あの、良善さん? 行きの時もそうだったんですが、現代人としてはもう少しこういうワープ的なモノには摩訶不思議な空間を移動する的なのを期待してたんですが、流石にあっさり過ぎて情緒の欠片も感じないんですけど?」
自分の足元においてある砂時計を拾い上げて不満を零す司。
対する良善はクスクスと肩で笑いコーヒーを啜る。
「君がどんなスペクタクルを期待していたかは知らないが、そんなモノは最初の数回だけであとは面倒だったり煩わしく感じるモノさ」
「いや、その最初の一回を味わってみたかったんですけど……」
そういう技術に慣れ親しんだ未来人には現代人の期待は感じ取って貰えないのかと少々ガッカリしてしまう司。
しかし、そんなことはどうでもいい良善はカップをテーブルにおいて少し真面目な顔で司……そして、その背後に立つ七緒を見る。
「それで? 調査はどうだったかな? あと後ろの子に関してもどういう結果になったのか教えてくれるかい?」
尋ねてはいるが大体予想は付いている様子の良善。
司は自分の席に腰を下ろしてその問いに答える。
「調査……って言うほどでもなかったですけどね。まぁ、自分の〝幸せに暮らせる可能性〟っていうのを知れたのはよかったです。おかげで色々踏ん切りが付きました。それと、もう一つに関しては……七緒」
「はい、司様」
視線も向けて来ない司の一言に、まだ少し目元が赤い七緒は胸に手を当て恭しくその場に跪く。
その顔は柔らかな微笑を浮かべていて、司の傍に居られることを喜んでいる様に見受けられるが……。
「ん? おい……どうした? ちゃんと良善さんに挨拶しろよ?」
「あッ……う、ぅ……は、はい」
司が椅子に座る際、わざわざ良善から遠い方へ回り込んでいた七緒。
それもそのはず、司に服従を誓ったとはいえ良善は彼女にとって自分を地獄へ落とした張本人だ。
しかし、司の命令であれば致し方ない。
七緒は少し表情を曇らせながらも良善の方を向き挨拶をしようとしたが……。
「構わん。心中は察してあげようじゃないか。それに彼女はあくまで君の従僕なのだろう? ならばわざわざ私にまで忠義立てする必要はない。その代わりしっかり手綱は握っておいてくれよ?」
苦笑を浮かべて肩を竦める良善。
その二人の様子から、流石に少々自分が意地の悪いことを言ったと気付く司。
「あ、そうか……はい、その辺は大丈夫ですよ。だろ? 七緒」
椅子に座ったまま七緒の頭へ手を置き撫でる司。
すると、すぐに七緒は頬を赤らめ心地良さそうに目を細める。
「あぅ……あぁん、司様ぁ♡」
頭から頬へと手を流し、司に撫でられるがままになる七緒。
そのトロけ顔からして、良善には一線引いたものの従僕として主が属する組織に手を出すことは無いだろう。
「それより、他のメンバーはどうしたんですか? 一応今後の為に顔合わせだけはしておいた方がいいと思って――」
――ドサッ!!
「えッ!?」
突如背後から聞こえる音。
司が慌てて振り返ると、そこには……。
「ハァ……ハァ……――ぐはぁッ!?」
「うぐッ!? う、ぅぅ……がはッ!?」
「ハァ――ッ! ハァ――ッ! げほッ!?」
つい先ほど司が七緒と共に帰って来て降り立った場所。
そこには、全身ボロボロになるまで痛め付けられた紗々羅とルーツィア、そして曉燕が立つことさえままならないほどに疲弊して床に倒れ伏していた。
「なッ!? お、おい! どうしたんだ三人とも! 大丈――」
「よぅ……その黒髪ちゃんが新しい僕か? じいちゃん」
「ぐッ!?」
「ひぃッ!?」
振り向いた司は思わず口を手で押さえ、椅子を挟んで反対側にいた七緒はその場に尻餅を付く。
不意に聞こえて来た若い男性の声。
ただ、その姿を見る前に何故か司は肺が押し潰される様な圧迫感を感じた。
視界では広々として窓もあり開放的な談話室なのに、まるで透明な何十何百という人を無理矢理詰め込んだ様な耐え難いほどの窮屈さが唐突に襲い掛かって来る。
「あぁ、そういうことか。初めましてだな……子孫」
こめかみに冷や汗を掻きながらも口元から手を離し身体を起こす司。
その視線は良善の対面……赤い蛇が描かれたペナントを背にするこの談話室のトップが座す№Ⅰの席へと向く。
そこにはつい数秒前まで空席だったはずの場所でテーブルに足を掛けて横柄に座る一人の男性がいた。
「お? これくらいの圧には耐えられるか。上出来上出来♪ 流石は先生が気に入った逸材じゃん」
目には見えずとも、動物的本能で感じるたった一人で室内を占領してしまう存在感。
〝Answers,Twelve〟の首領にして№Ⅰである司の子孫――御縁達真が、丸縁のサングラスを外して自分以外のこの世の全てを見下す様な嘲笑を司に向けてきた。
ただ、司はその顔を見た瞬間、達真が放つ理解不能な存在感とはまた別の意味でさらに驚いてしまう。
「え? お、お前が……達真、なのか?」
日常の中で鏡や窓ガラスの反射などで何気なく目にする自分の顔。
そういう意味で、達真の顔はまさに司の生き写しの様にそっくりだった。
細かく見ていけば、多少目が吊り気味であったり、髪型もボサボサだったりするが、基本的に司の顔立ちや背丈はほぼほぼ同じだった。
「おうよ! あんたの意志を継いで一回は世界を征服した子孫だ。顔が似てるのに驚いたか? ははッ、分かる分かる。俺も実は結構驚いてる。まぁ、そりゃそうだろ……血が繋がってんだしな」
クルクルとサングラスを回してニヤ付く達真。
目が合ってまだ僅か数秒。
しかし、司はもう良善達が彼の存在の話をする時にげんなりしていた理由が分かった。
たった数秒だが、司はもう彼の事が嫌いになっていた。
(なんだ? ただ見てるだけなのに物凄く癪に触るというか……なんか滅茶苦茶ウザく感じる。なんでこんな第一印象だけで人をここまで不快な気分に出来るんだよ。それにこの異様な存在感……こいつ、本当に人間か?)
「あ、あの……司様」
否応なく刺激される警戒感に司が気を張っていると、七緒がサッと腕に抱き付いて来た。
その手は震えからして、七緒は完全に達真の圧に気圧されて怯え竦んでいる。
「かはッ! おいおいネエちゃん!? いきなりビビってどうすんだよ? 今は違うのかもしれないけど、お前ついこの前まで俺を殺そうとしていたんだろ?」
七緒の怯え具合にケラケラと笑い、椅子から立ち上がり両手を広げて歩み寄って来る達真。
確かに達真の言う通り、こんな体たらくでは流石に笑われても仕方ない気がする。
だが……。
「先輩……意地の悪いことを言ってやるな。君の存在圧は〝D・E〟によって以前とは桁が違う。元々旧式でも圧倒していたところにさらにパワーアップしているのだから無理もない話だよ」
「あ? あぁ……それもそうか。いや、にしてもよ~~♪」
良善の説明に納得する達真。
しかし、それでもなお七緒の怯えっぷりが笑えて仕方ない様で、歩み寄って来た達真が七緒に手を伸ばし……。
――パンッ!
「気安く触ろうとしてんじゃねぇ」
「…………あ?」
達真の手を払い、七緒を自分の背後に下がらせて前へ出る司。
その司の態度に達真の雰囲気がガラリと一変する。
「おいおいおいおい……なんだ? まさか、この俺に調子乗って牙向けてくる馬鹿がいるとはな……〝D・E〟を手に入れてようやく第二階層に上がった程度のひよっこがイキるじゃねぇか? 実力もねぇのに気だけでかくするのはみっともないぞ?」
「うるせぇ……この状況で牙剥かずにいつ剥くんだよ?」
達真の目を真っすぐに睨みながら、司は親指を立てて横を差す。
そこにはボロボロになった三人がまだ立てずにうずくまっていた。
「その三人をボコしたのはお前だろ?」
「あぁ、そうだが? それが何か?」
「だったら理由は十分だろ。まぁ、紗々羅さんとルーツィアさんは俺がどうこう言う立場じゃねぇが……曉燕は俺のだ。てめぇ、何を断りも無く人のモノに手ぇ出してんだよ?」
額に青筋を浮かべる司。
七緒に触れようとするのも許せない上、自分が居ぬ間に曉燕に手を出されたのなら、もうそれはイキがるではなく当然の激昂だった。
「ん? あぁ……なるほど、そういう理由ね。でもそれで首領である俺に喧嘩売るのはちょっと身の程知らずなんじゃねぇか? №Ⅻ?」
「てめぇこそ底が知れるぞ、№Ⅰ。自分の持ち物に手を出されてもニコニコ笑顔の腰抜け部下がお望みか? だったらそこら辺のチンピラでも囲ってお山の大将でも気取ってろよ」
目に血色を滲ませ真っ向から達真を睨み付け詰め寄る司。
かつて反吐が出るほど嫌いだった不良同士の〝ガンのくれ合い〟の様な構図。
だが、これは決してそんな生半可なものではない。
少なくとも、今背後にいる七緒が腰を抜かしてへたり込み、意識を失いかけさせる程度には人外級の睨み合いだった。
「おい……もうその辺で終わっておきたまえ、二人とも」
コーヒーカップを口元に当てその縁から第三の圧を割り込ませて来る良善。
押し潰されそうな存在圧がまた一つ現れてついに七緒が気を失い床に倒れ込む。
そして、達真も副首領の言葉は無碍に出来ないのかフッと力を抜く。
だが……。
「――うぐッ!?」
口を押えて膝を付く司。
その指の間からは血の雫が滴り落ちていた。
「キヒヒッ! 緩んだ途端反動が来たか? てめぇから喧嘩売っておいてそのザマかよ? だらしねぇなぁおい?」
震える司を見下ろしてこれ見よがしに嘲笑顔で見下ろして来る達真。
だが、そこでふと隣から別の失笑が漏れる。
「やめておけ、先輩。君が言うたかが第二階層に達したひよっこに喧嘩を売られてそこそこ睨み合いに耐えられただけでも醜態極まる無様だというのに、その上ヘラヘラと軽薄に笑うのは単なる恥の上塗りでしかない」
「……はぁ?」
「なんだい?」
――ドンッ!!
「「「「――うぐッ!?」」」」
今度は良善と達真の威圧合い。
先ほどまでとはまるで次元が違い、再び吐血する司の横で今度は紗々羅・ルーツィア・曉燕の三人も口を押えて身を丸めて苦しみ出す。
(くそッ! なんだよ……これ!?)
まるで談話室内の重力が何倍にも増えたかの様に床にうずくまらせられる司。
達真の目の前で土下座をする様な体勢になどなりたくないと片手を床に付けて耐えようとするが、それでも堪え切れずに身体が押し潰されて行く。
「あぐ、ぁ……――うぶッ!? う、ぐぅ……――ぐぶッ!?」
「うぐッ!? お、お願い……り、良善……さ……やめ、てぇ……――ぐぶッ!?」
「ラ、博士様……無比……様……お、お許し……を――がはッ!?」
両手で口を押さえ弱々しく丸まる曉燕に加え、あの紗々羅とルーツィアでさえ血を吐き苦しんでいる。
それほどまでに別格な№Ⅰと№Ⅱ。
ただ、幸いなことに片方は周りへの影響を鑑みれる冷静さを持ち合わせていた。
「やれやれ……そろそろやめておこうか? 部下達が全員死んでしまう」
「は? てめぇから喧嘩売って来たんだろうが?」
「今回は君に非があるからだ。彼も言っていた通り、紗々羅とルーツィアに模擬戦を仕掛けるのは君の自由だったが、司のモノである曉燕に勝手をしたのは明らかに礼を失しているぞ?」
意味深な一言を残し良善が圧を解く。
その瞬間、良善が羽織っていたコートの襟がスパッとまるで刃物で切り付け様に切れ込みが走ったが、達真もすぐに圧を解いてようやく談話室内の超重力が止んだ。
「――ぶはッ!? ハァ……ハァ……ハァ……」
血混じりの荒い息を吐く司。
掠れた視界の端でガクリと首を倒す曉燕と紗々羅とルーツィア。
認めたくはないが司は痛感させられた。
(良善さんは薄々分かってたけど……達真も、今の俺が太刀打ち出来る次元じゃない)
結局触れもせず跪かされてしまった相手を見上げ、司は薄れかける意識を保つので精一杯だった…………。
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