アナザー・リバース ~未来への逆襲~

峪房四季

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SceneN 七緒の懺悔

sceneN-4 あったかもしれない過去

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「……ゴミ箱」

「え? ――ぐぶッ!?」

 そう一言呟き、司は常人が「痛い」で済む程度に加減した膝蹴りを過去の自分に見舞い振り解くと、クルリと踵を返してゆったりとした足取りで店を出て行ってしまった。

「ゲホッ! ぐッ、エホッ! ゲホッ!?」

「司ぁぁッッ!!」

 床に膝を付いて蹲る司に円が駆け寄りその身を抱く。

「なにやってんのよ司ッ!? 馬鹿じゃないのッ!? あいつ完全に目がおかしかったッ! 狂ってた! 殺されてたかもしれないわよッ!?」

「ハァ……ハァ……わ、分かってたよ。あいつ……うぐッ! ぜ、絶対……まともじゃなかった。うぇッ!? で、でも……ほっといたらこの子が……」

「ど、どど……どうしよう……警察呼ぶ?」

「あ、あぁ……ねぇ、君? 大丈……ん?」



「い…………いやぁ……い、いい……いやぁ…………いやぁぁ…………」



 司と円の表情が固まる。
 椅子から転げ落ちた七緖は、何故かこちらを心配している眼差しの司と円に真っ青な顔で泣きながら怯え、手と足で必死に床を掻きながら後ずさっていた。

「……円」

「うん……その方がいい。私すぐ警察呼ぶよ」

 円がカウンターの奥にある電話機へ走り、司はゆっくりと七緖に近付く。

「君、大丈夫だよ。とにかく、まずは奥に行こう? ビショビショで寒いだろ? タオルを用意するよ」

「ハ――ッ、ハ――ッ! いやぁ……いやぁぁ……こ、来ないでぇ……」

 何も事情を知らない者から見れば明らかに異常な怯え方。
 よほどこの女の子はあの異常者に酷い思いをさせられて来たのだろうと考えてしまうのは自然な流れだ。

「大丈夫……お、俺……全然強くないけどさ、今この瞬間から君の味方になる。あいつ、事情がどうとか言って、俺はその事情なんて知らないけど……だからって、あんなの絶対おかしい! ちゃんと警察に事情を説明して、保護してもらおう……な?」

「――ッッ!?」

 司に頭を撫でられ七緖の震えが止まった。
 だが、それは安堵では無く硬直だった。

「司ッ! 警察の人、来てくれるって!」

「よし、店閉めるぞ! 俺は全部鍵掛けておじさんとおばさんに連絡する。円はこの子の傍にいてやってくれ」

「うん!」

 司は慌しく駆けてゆき、今度は七緒に円が近付くと有無を言わせずその身体を抱き寄せた。

「あ……ぁ……あ、ぁ……」

「大丈夫……大丈夫だよ。あいつ、弱っちいけどさ……あれで結構頼りになるよ? なんていうか……まぁ、あいつも色々あってね、困ってる人見捨てれない奴だから。彼女の私としては、もうちょっと自重してよって感じなんだけど、まぁ性分なんでしょうね。立てる? とりあえず身体拭こ?」

 七緖の身体を抱える円。
 そこで七緖は円の腕に手で制して問いを投げかける。


「貴女……彼のこと、好き? 彼に……大事にされているって、思えてる?」


「え?」

 不自然な質問。
 この状況下で、何故そんな質問が出て来る?
 困惑する円。
 だが、寧ろこんな時こそ明るく返答してやれば、彼女の恐怖心を和らげれるかもしれないと思った円は、七緖のその手に優しく手を重ねてやりながらはっきりと口にする。

「うん、大好きよ。実はね……あいつとはすっごい変な出会い方したの。もうホント捨て犬拾うみたいな? 全然意味分かんないでしょ? くふふ♪ でもなんか不思議と馬が合うのよね…………? あいつとずっとこの店続けられたら、私は絶対幸せだと思う♪ てへへ~! なんちゃって♪」

 真っ直ぐな……真っ直ぐで綺麗な……言葉の剣。
 こんなにも温かく優しいトドメが他にあるだろうか?

「あぁ……あぁぁ…………あ…………」

 はっきり言いつつも、少し恥ずかしくなっておどけるその顔は混じり気無く幸せそうだった。
 互いの出会いに裏で糸が引かれていたことなど当然知る由も無い。
 でも、だからこそこの笑みは本物だ。
 両親を殺されて孤独と絶望の中で彷徨っていた司が辿り着いた安息の地。
 そこで彼はこの少女にこんなにも眩しい笑みを浮かべさせるほどの幸せを育んだ。


『あ~あ~ウザッ! なんなのよあいつッ! 起源体の癖に幸せそうに生きちゃってッ! マジでムカつくんだけどッ!』

『ホントだよ。あんな生活をあと一年も続けさせるなんて許せない……もっと苦しむべきなのに…………』


 店に入る前にすれ違ったこの世界の奏と真弥の言葉がフラッシュバックする。
 一体何を言っているんだ? あんまりだ。このささやかな幸せを少なくても享受していいはずだ。
 何十……何百……何千通りの内、その大半が悪に通ずる結果だったとしても、幸せになっていいはずだ。

 しかし、同時に確信する。
 この世界の自分もきっと、今この幸せを潰そうと画策しているはずだ。

「あぁ……あぁぁ……あ……ああああぁぁ……ああぁああぁぁ…………」

 七緖の心に……もう差し込む隙間も無いほど剣が突き刺さる。
 そして、去り際に見せた司の邪悪な笑み。
 あれを生み出してしまったのは自分達だ。
 そう確信した瞬間、七緖の心はパキッという音を立て…………。


「あああああああああぁあぁぁあああああああぁああああぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッッッ!!!」


 ガラスが砕けた音に似た悲鳴と共に、自分なんかが触れてはいけないと思い、七緒は円の腕を振り払い店を飛び出して行った…………。







 一年やそこらでそうそう街は変わりはしない。
 一目見ただけでここが〝過去だ〟ということを認識するのはなかなか難しいが、例えば何度か来たことがあるはずの服屋や小物店が改装中だったり、テナント募集中の張り紙などされていたりすると「あぁ、過去なんだ」と思えたりする。

「………………」

 フラフラと覚束無い足取り。
 頭から浴びせられた水は夏の日差しですっかり乾いたが、服には変なシワが寄ってしまった。
 しかし、七緖の顔はまるで氷付けにでもされたのかと思えるほど、真っ白に血の気が引いてその目にはまるで生気が感じられなかった。

「ねぇママ、オバケが歩いてるよ!」

「こ、こら! すみません、娘が失礼なことを……あ、あの……あなた、大丈夫?」

 前から手を繋いで歩いて来た母娘。
 幼い娘は七緒の顔を見て指を差して声を上げ、慌てて詫びる母もその顔を見てゾッとした様に眉をひそめていた。

「……はい、すみません」

 目も合わせようとせず、サッと母娘を除けて再び歩き出す七緖。
 幼い娘は母にしがみつき怯えていた。

 死んでいるのではないか?

 歩いているのだからそんな訳は無いのだが、母は娘を抱き寄せながら七緒の背中にそう感じずにはいられなかった。

 そして、その後も七緒は亡者の様に街を彷徨う。
 何気ない日常……平穏な日々を生きる人々はまるで「何か面白いことはないだろうか?」と誰も彼もがスマホを片手に映えや娯楽を探し求めている。
 七緒はかつて、そんな者達に内心眉をひそめていた。

 平凡に生きている者ほど平凡であることが如何に恵まれているか分かっていない。
 七緒は自分の辛い過去があるからこそ、どこか達観して世の中を上から目線で見ていた。
 しかし……。

(私が……私なんかが……何を……偉そうに……)

 他者からの言葉を鵜呑みにして、まるで自分が積み上げて来た見識の様に正義を語っていたことを知った七緒。
 だが、実際はその学んだ常識も都合よく改変された物だった。

(あんな……あんなにも幸せそうな……二人を……私は……)

 可能性はあったのだ。
 御縁司には、愛する人を大切にして困った人を見過ごせない心優しい青年になれる可能性があった。

 未来で定められた〝あの日曜日〟司が犯罪者になる日まであと一年ある?
 その間に豹変する恐れもある?
 もはやそれは、自分達の意見を是が非でも押し通したい利己主義者エゴイストの発想だ。
 少なくとも生殺しにする日々よりは、よっぽど事態の好転が見込める。

(いや、あの御縁司は……きっと大丈夫よ……」

 印象論でしかない。
 だが、恐怖で震えながらも自分を勇気付けようとしていたあの引き攣った笑みには、それこそ奴隷として生きて来た七緒達がその骨身に染み込ませた優しさに満ちていた。

(何が……【修正者ミショナリー】よ)

 御縁司を全うに……それこそ本来の目的である〝Answers,Twelve〟の№Ⅰ・御縁達真を生み出さなく出来る可能性を自ら潰して、自分達が憂さ晴らしも出来る一石二鳥の展開への誘導。
 その結果、事態はより深刻になった上、鷺峰円という本当に無関係な一人の少女の幸せも奪ってしまった。

 元々〝ロータス〟の横暴と浅考さは徐々に感じつつあった七緒。
 それをまさに裏付け、同時に自分の愚かさも痛感した。

(曉燕義姉様が〝Answers,Twelve〟に下った理由は、これだったんだわ。自分の罪に絶望して心が壊れたのよ……だったら、私も――)

「…………」

 道の真ん中で足が止まる七緒。
 行き交う人々が怪訝な顔を向けて来るが、そんなことにも気付かず七緒は地面を見つめる。
 そして、その地面にポタッと涙の雫が落ちる。

「嘘……でしょ? わ、私……こ、この期に及んで、彼に縋ろうとしてるの?」

 曉燕が司に優しく抱き締められていた光景を思い出し、自分も〝Answers,Twelve〟に下って、司の従僕になる未来を過らせた七緒。

 羨ましかった。
 和成という存在に失望した直後であったこともあり、曉燕が安堵する腕の中を持っていることに七緒は狂おしいほど羨望してしまっていた。

 しかし、自分がそれを求めていいと思うのか?
 これまで散々苦しめて来た者に安息を乞う?

「私ぃ……どれだけぇ……厚かましい、の……よ」

 自分達は……奴隷のままでいた方がよかったのではないか?
 〝Answers,Twelve〟を肯定などしない。
 だが、少なくても奴隷をやっていた頃、自分達は進んで誰かを傷付けたことはなかった。
 しかし、その立場から解放されるやいなや〝Answers, Twelve〟の名を出したとしても首を傾げる起源体達を理不尽に追い込み罵詈雑言を飛ばして最後は殺す。

 やっていることの汚らわしさは〝Answers, Twelve〟と殆ど同レベルではないか。
 そんな自分達が安らぎを求める? そんなこと決して許されない。

 〝ロータス〟の様な無知蒙昧なる集団に組し続けるのももはや耐えられない。
 自分に残されているのは、傲慢に生きた日々を清算するべくこの世から退場することのみ。

 だが、今はまだ駄目だ。
 七緒にはやり残していることがあり、その足は再びフラフラと夢遊病者の様な足取りで街を歩き始めた…………。







 西の空が赤く色付く。
 街が徐々に橙色に染まる中、時よりパトカーのサイレンが聞こえた。

「…………」

 中心地からズレた薄暗い区画。
 そこに立つ一件のボロアパートの廊下。
 汚らしく壊れた骨董品の様な二層式の洗濯機の陰で七緖は膝を抱えて震えていた。

「来ないで……来ないで……来ないで……来ないでぇ……」

 独特な波のあるサイレンの反響音に、七緖はボロボロと涙を流して怯えている。

 追われている。
 罪状はなんだ?
 喫茶店の扉を叩き破った器物破損?
 それとも食い逃げ?

 そうでは無い。
 きっとこのサイレンは、七緖を助けようとしている。
 ……きっと自分を探している。

 扉を壊したことも、お金を払わず出て来たことも申し訳ない。
 だが、そんなことよりも……もう自分があの温かで穏やかな空間の住人に関わることが七緖は耐えられなかった。

「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」

 気が狂いそうな罪悪感。吐き気を催す自己嫌悪。
 奴隷から解放された瞬間から、今この瞬間に至る一分一秒……その全てが大罪に感じる。

「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」

 死ぬべきだ。
 こんな自分に生きている価値は無い。
 何せ、スタートが奴隷……そこから抜け出した先で、奴隷以下の所業をしてきた自分達。
 これで人間を目指すなど……もはや罪だ。

 楽になりたい。
 死んで全てを終わらせてしまいたい。

「で、でも……ダメ……」

 店を出る時、司が口にした
 失礼極まりないが、七緖にはすぐにそれがこのボロアパート……かつて司が住んでいた家で集合するという意味だと察せれた。

 この時間軸の司は住んでいないが、どの道殆どが空き部屋。
 人も僅かな住人しかおらず、現代への帰還時に良善が指定していた〝人気の無さ〟も申し分無い。

「謝る……謝るのよ……か、彼が来たら……す、すぐに…………」

 死ぬ前に自分がやり残していること……それはあの優しい青年になる可能性を失わせてしまったことに対する司への謝罪。
 謝ったところで許される話ではないが、それでも謝らないまま死ぬなど、それこそ七緒には出来なかった。

 ただ、どうやら司はどこか寄り道をしているらしい。
 それに時刻はまだ六時を過ぎた辺りで帰還まではまだ猶予がある。
 そのせいで七緒はもうかれこれ数時間に渡り、永遠にも思える様な懺悔の時間を過ごしていた。

「お願いぃ……謝らせてぇ……ごめんなさい……うッ! えぐッ! ご、ごめん……なさいぃ……」

 気が狂いそうだった。
 こうして待っている間も頭の中にあのいコーヒーの香りの中で慎ましく欲張らず、まさに愛に溢れていた情景がこびり付いて離れない。

「わ、私がぁ……あぁッ! 私が……う……奪……奪ったぁ……」

 奪われる苦しみを知っていたはずの自分が他人の幸せを奪った。
 七緖の心は……完全に崩壊していた。


 ――カツンッ……カツン……カツンッ……カツン……。


「――ッッ!?」

 耳に付く朽ちた階段を登る音。
 泣き腫らクシャクシャになっていた七緖の顔が壊れた洗濯機の影から廊下の先を覗き見る。


「ん? ……なんだ、先に来てたか」


 そこには、七緒が待ち望む断罪者である司がコンビニのビニール袋を片手に立っていた…………。


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