アナザー・リバース ~未来への逆襲~

峪房四季

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Scene7 被告:桜美七緒

scene7-9 勧悪懲善 前編

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「閣下、我々は席を外させて頂きます」

「何かご用命がございましたら、何なりとお呼び立て下さいませ」

「あぁ、ありがとう」

 司が軽く片手を上げ、背後で扉が閉められる。
 密室で向かい合う司と七緒、すると司は両手をズボンのポケットへ仕舞い……。


 ――ビシュッ!!


「ひぃッ!?」

 脚の輪郭が掻き消える様な司の前蹴りが七緒の鼻先でピタリと止まる。
 その爪先はあとほんの数mmでも司が前へ踏み込んでいれば、七緒の鼻骨を跡形も無く砕き潰していただろう。

「凄いだろ? 身体が完璧に自分の思い通りに動くんだ。きっと今の俺ならどんなスポーツでも成功するだろうな。オリンピックに出れば金メダルも取り放題だよ」

 ゆっくりと爪先を下ろす司。
 ただその語り顔はあまりにも冷めた無表情をしていた。

「でも、お前らの理屈から言えば、俺はそんなスーパースターにはなれないんだよな? 他人を弄び悪意を振りまく穢れた犯罪者になる……そうなんだよな?」

 司は一歩前に出る。
 それで確定した。
 もし次に司がさっきと同じ蹴りを放てば、きっと七緒の顔には穴が空く。

「あ、うぐぅ……あ、ぁ……」

 NGシチュエーションでボロボロになった今の七緒の精神では、その恐怖に毅然とした態度を保っていられない。
 自分を恨んでいるはずのこの男は、今すぐにでも自分を八つ裂きにリンチしてもおかしくない。

 蘇るかつての記憶。
 人類共用のサンドバックにされていた日々。
 使い潰されて死んだとしても蘇生させられてまた新品から潰れるまで酷使される。

(やだ……もう、嫌ぁ……どうして? どうして私、こんな命を続けないといけないの?)

 これならば産まれて来なかった方がマシだった。
 地獄に産まれ、奇跡的にそこから生還し、夢見た平穏にあと少しで手が届くところまで来て邪魔が入り、愛した人は醜い本性を曝け出し、自分は何もかも失ってまた地獄へ逆戻り。
 この悍ましい星の下に産まれた命に一体何の甲斐がある?
 もういっそ、ここで目の前の男を罵り激怒させて殺し切って貰う方が幾分か楽なのではないか?

「……おい、どうした? 質問してんだろ? まただんまりなのか?」

「――ッ!? あッ、あぅ」

 真っすぐにこちらを睨んでいる司。
 また暗闇に放置されるかもしれないと焦る七緒だったが、彼女が動揺したのはそれだけではない。

 今の彼は一人だ。
 紗々羅・ルーツィア・曉燕の圧も借りず、変わり果てた絵里達で優位性を着飾ることせず、純粋にたった一人の存在感で七緒を威圧していた。

(まるで別人だわ。それに身体付きも大分違う。恐らくナノマシンに全身の細胞が食らい尽くさせて入れ替えたのね。かつての自分の血肉を剥ぎ落とす……一体どんな痛みだったか想像も付かない。ハハッ、あいつ和成なんかよりよっぽど凛々しくてタフな人ね)

 絶望が過ぎて笑えてしまう。
 自分は一体どれほど盲目だったのだろうか。

 和成が作ってくれたプラネタリウムは本当に感動した。
 和成が手を握ってくれていれば暗闇も耐えれる様になっていた。

 しかし、力を手にした途端、何の戦闘訓練も受けて来なかったくせに平然と戦闘部隊長を引き受け、先任であった自分の忠告にまるで聞く耳を持たない横暴さを曝け出して暴走。
 そのくせ、当然だった窮地に陥ると恥じる素振りも無く当然の様に助力を要求し、最後は気付いたら自分一人で何処かへ消えた。

(私……なんて馬鹿だったのかしら)

 七緒は夢から覚めていた。
 今ではもう、あの共同生活の中で和成がしてくれたことの全てが自分を都合よく飼い慣らすためだったのではないかとしか思えず、その気付きで逆に七緒の身体から力が抜けてしまった。


「えぇ……。あなたは結局最後には悪辣に身を堕とす。それ以外にあり得ないのよ」

 動揺して乱れていた呼吸も落ち着いて表情にも余裕が戻り、七緒はゆっくりと顔を上げて司を見て、この完全に生殺与奪を握られた状況で挑発を返す。

 一瞬脳裏を過った〝もういっそ殺されてしまえ〟と言う気持ちがあるのは確かだ。
 しかし、七緒の中には〝ロータス〟の教えだからという理由だけでは無い信念があった。

「未来に〝Answers,Twelve〟がある以上、あなたの存在は必ず悪意に染まる。それは変えられないのよ。だから、あなたは人類のために死ぬべき……この事実は揺るがない」

 自分に残る最後の信念。
 これだけは譲らないと、七緒は最後まで司の目を見て言い切ってから目を閉じた。

(奏、真弥……そして、千紗。ごめんね、先に逝くわ。きっとすぐに和成の本性には気付くでしょう。悲しい思いをするだろうけど、どうか強く生きて……)

 愛する義妹達に別れを捧げて死を待つ七緒。
 だが、いつまで経ってもその瞬間が訪れない。

(フッ……目を瞑って気付かぬ内になんて許さないってことかしら? いいわよ……だったら最後まであなたの目を見るわ)

 七緒は顔を上げた。
 しかし……。


「暗闇は怖がるくせに死ぬのは怖くないってか? やっぱり大分壊れているよな……お前ら」

「…………え?」


 脱力した少し斜めに傾いた立ち姿で圧を解いた緩い顔をしている司。
 そこにはまるで殺意の圧が無く、七緒は思わず呆気に取られてしまう。

「どうし……て? なんで私の前でそんなに……」

「は? お前を前にして怒り狂って衝動的に殺しに来る俺を想像してたか? お生憎様……なんで俺がお前の想像通りにならないといけないんだよ。冗談じゃねぇ」

 カリカリと耳を掻きながら、もはや世間話に近いトーン。
 恨む相手の思った通りになんてならない。
 言っている意味としては分からないこともないが、そんな相手を前に気持ちを凪させれるその精神状態が七緒にはまるで理解出来なかった。

「理屈云々は無しだ。俺は今俺の思う事を全面的に出して聞く。おい、桜美七緒? 本当に俺は犯罪者になる以外未来は無いか?」

 威圧ではなく、真面目に問うための鋭い眼差しを向けて来る司。

「俺は今確かに平気で人を殺せちまう力と立ち位置を持ってる。お前のことも殺してやりたいとは正直思ってる。でもな……はっきり言ってって程の強烈な衝動って感じでも無いんだわ。お前の事も最悪無傷で野に放っても「あぁ~~くそッ!」みたいなレベル。俺の中に今あるのはただ一つ……〝ロータス〟は許さないって決意だけ。この意味分かるか?」

 出来るけどわざわざやろうとは思っていない。
 そういうニュアンスで語っているというのは七緒も察した。

「そんな心境だからこそ、俺は今感じている。もし仮に今後俺がお前の言う通り犯罪者への道に進むとしたら、それはこれから先の未来で俺の心境が変化する何かが起きるって事だ。それはつまり、俺に何らかが与えられるってことじゃないのか?」

 火の無い所に煙は立たない。
 現時点で司が「犯罪者になってしまおう」などと考えていないのなら、その心境を変化させる火種要因となるモノが今後司に降り掛かると考えるのは確かに自然な流れであり、七緒もその定義に異論はなかった。

(犯罪者になる衝動が無い……まさかこの状況で内心の嘘を隠しているなんて子供染みた考えをしている顔でも無いわね。でも……)

 ディベート討論するまでもない。
 七緒は嘆息して返答する。

「もう自分で答えを出しているじゃない。あなたは〝ロータス〟を許さないでしょ? なら、それに関連付けたことであなたは――」


「じゃあ、俺が悪辣に染まる要因はだな」


「…………」

 七緒の目が見開き息が止まる。
 待て、どうしてそうなる?

「ま、待ちなさい! 私達が要因? ち、違うわ! 論点をズラすんじゃないわよ! 私達はその要因を未然に防ぐためにあなたに干渉した。つまり物事の始まる前に……」

「はぁ……物事の要因はその物事のじゃなくてにあるモノだろ。タイムトラベルなんて技術に慣れ親しんでるせいで時系列感バグってんじゃね? 加えて言えば、その干渉を受けた後でもこうしてフラットな感覚を保てている今の俺が今後また犯罪思想に立ち戻ってんなら、それは相当作為的な干渉を受けることになるはずだ。まぁ、それを実行した時点で悪いのは俺なんだが、そこには同罪レベルの〝もう一人の存在〟がいるんじゃないか?」

「う、うぅ……ッ!」

 矛盾が見当たらない。
 司の仮説に七緒は同意せざるを得なかった。

(この男……こんなに論理的に物事を考えれる人だった? これまで見て来た頭の回転も要領も悪い冴えなさとは別人じゃない!)

 そのを知らない七緒には判る筈も無い。
 そしてジワジワと込み上げて来る吐き気にも似た
 ただ、それが表層に現れる前に司の背後で物音がする。


 ――ガコンッ!


「お、おい待て! 今は!」

「い、いけません! 紗々羅様!」

「ん?」

 司が振り返ると、半開きになった部屋の扉の付近で中へ入って来ようとする紗々羅を掴み止めるルーツィアと曉燕、三人の押し問答が起きていた。

「あぁもう! 退きなさいっての!」

 二人の腕を振り払いトコトコと司の元へやって来る紗々羅。
 無下にあしらうことも出来ないが、流石に今は司にとって大事な話な話の最中だ。
 暇を持て余しているのかもしれないが、邪魔される訳にはいかなかった。

「どうしたんですか、紗々羅さん? 悪いんですけど、今ちょい取り込み中で……」

「あ~~うん、分かってる分かってる。ただ、ちょっと良善さんからのお使いでね。そこの黒髪ちゃんとのを預かって来たわ」

 そう言って紗々羅は袖をまさぐり、掌に収まる小さな物を取り出すとそれを司に差し出して来た。

「え? は、はい? これは一体……」

 思わず受け取ってしまう司。
 手渡されたのは、精巧な飾り彫りが施された木製の台座に挟み込まれ、赤い砂を内包した実に一般的な形をしたどこにでもありそうな砂時計だった…………。
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