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Scene7 被告:桜美七緒
scene7-7 安息への誘惑 前編
しおりを挟む「やぁ、紗々羅嬢……気遣いありがとう」
自室でモニターに向かいコンソールに指を走らせていた良善は、部屋の扉を音も無く開けて入って来た紗々羅に振り返りもせず声を掛けた。
「……はぁ、わざわざ気配を殺したのになんで分かるかな? 暗殺者としての矜持に傷が付くんですけど?」
小さくため息を漏らしてバタンと音を立てて扉を閉める紗々羅。
すると良善はクルリと椅子を回して歩み寄って来る紗々羅と向き合い微笑を漏らす。
「心配に入らない。君の暗殺技術は完璧さ……ただ、私がおかしいだけだ」
卑下というよりはもはや自慢。
紗々羅はベッと舌を出して嫌味な良善の言葉を煙に巻く。
「それよりもどうしたんだい? 私が好きにしてくれと言えば、君は大抵惰眠を貪るタイプなのに、わざわざ私の部屋を訪ねて来るなんて珍しいじゃないか?」
椅子から立ち上がり、部屋の端にあるテーブルにコップを出す良善。
自分のカップにはコーヒーを注ぎ直し、もう一つのカップには隣にある冷蔵庫から牛乳を取り出して注ぎ入れ、テーブルの上を滑らせる。
歩み寄った紗々羅はそのカップがテーブルの縁を越え、ゆっくり床へ落ちていく途中で背中に袈裟掛けた太刀を受け止め、クィッと腰を振りカップを弾き上げ、自身がテーブルの上に飛び座ると同時に両手で中身を一滴も零さず受け止める。
「コクッ……ふぅ。良善さん、司君に何かしたでしょ?」
牛乳を一口飲み、良善の問いを無視してジトッとした目を向ける紗々羅。
良善は一旦目を背けコーヒーを啜り誤魔化そうとしたが、どうせ無駄だと諦めて肩を竦める。
「大したものだな……どうして分かった?」
「フフン♪ 心の機微の読み取りも暗殺者の必須スキルだわ。恋人を失った絶望に追い打ちを掛けて、彼女に出会う前までの自分の不幸続きが全部デーヴァの仕業だったと知り血みどろになりながらも殺意を向けていた彼が妙に落ち着いてて、あの黒髪ちゃんをまるで説得して悔い改めさせようと諭すみたいに話しているんだもん。きっと殴る蹴るのバイオレンスが見られると思っていたのに司君の感情はびっくりするほど凪いでいた。「あ、これひょっとして過去を改変したな」ってピンときたわね!」
得意げに胸を張る紗々羅。
しかし、良善はクスクスと肩を揺らして彼女の尊厳のために早めに種明かしをしてやることにした。
「紗々羅嬢? 司に恋人なんていなかったよ? 全部首領の思い付きで行われた改変だ」
「え? ――うッ!?」
良善の言葉に一瞬呆けた顔をする紗々羅が不意に頭痛を感じた様に頭を押さえて顔をしかめる。
そして、改変の要因を知ったことで、紗々羅は彼女が本来知ってた司の経緯を思い出した。
「くくくッ! 心の機微の読み取りも暗殺者の必須スキル……か。誤認したままでも〝司に変化があった〟という正解を導き出せたのは流石だ……まぁ、結果論ではあるがね」
「あ、あぁ……うぐぅ! あぁもうッ! 〝これ〟すごく嫌いッ!! なんか自分が滅茶苦茶間抜けみたいじゃないッ!?」
両足をバタ付かせて憤慨する紗々羅。それに関しては同感だと思う良善。
茶化し笑ってはいるが、自分とてついさっきまでは今にもその改変を見失うところだったのだから。
「むぅぅ……ッ! それで? 首領はどうしてそんなことしたのか? あの血も涙も全部腐った極悪非道な悪党達の腐肉を捏ねくり固めて服を着せたみたいな人が、どうして司君に慈悲を感じさせる様な……あの人消えちゃうかも知れないじゃん?」
「――ぶふッ!?」
「え? 何?」
「ケホッ、ケホッ! い、いや……気にしないでくれ。同じ苦労を背負う者同士としてシンパシーを感じてしまっただけだよ」
軽く咽つつ、良善は達真の目論見を紗々羅に伝える。
正悪を超越した巨悪を作るという試み。
コンセプトとしては紗々羅も異論はない。
ただ、そんなことをせずとも自分達が全てを虐げ再び世界を支配してしまえばそれでいいのではないかと考える紗々羅は、良善のワクワクした顔に「男子ってこういうの好きよね……」といった感じの冷めた眼差しを向けていた。
「まぁ、首領と副首領が決めたんなら従いますよ~~」
どうせ言っても無駄だとあきらめムードでカップを傾ける紗々羅。
そして、差し出された牛乳を飲干し、カップの底をしばし見詰める紗々羅は、徐ろに良善へ流し目を向ける。
「ところでさ……首領、もう一昨日まで来てるって?」
「あぁ……」
「それで、明日には私達に合流するって?」
「あぁ……」
「「………………絶対嘘だね」」
自分達の首領がどんな人物かを熟知している良善と紗々羅は声を揃える。
そして、それと同時に二人してモニターの前に向かい、ビル内の監視カメラを猛スピードでチェックしていくと、ビルの地下駐車場で警備に配置していた警官が複数人地面に倒れ、その横に目指し帽を被ったあからさま過ぎる人影が何故かずぶ濡れで辺りをキョロキョロしていた。
「ほら見た事か!」
「はぁ……おい、先輩。何をしているんだ?」
良善がマイクに語り掛けると、モニターの中にいる人物がビクッと肩を震わせ、さらに辺りを見回して天井部分に吊るされたカメラに気付き、目指し帽を脱いで両手を大きく振る。
『うぇ~~い! 流石だぜ先生! あぁもう、びっくりさせようとしたのな! よく気付いたもんだぜ!』
丸縁のサングラスを掛けた青年――達真は、カメラに向かってピースをしたりとはしゃぎ遊び、良善と紗々羅は所属組織のトップがするにはあまりにもくだらない悪ふざけにガクリと項垂れる。
「首領? 何でそんなにずぶ濡れなんです?」
『お、紗々羅もいんのか! あぁ、これ? いやさ、流石に〝ルシファー〟でこんな街中の上空に来る訳にはいかないじゃん? だから海の沖の方に沈めてから来た! 水深は三百mくらいにしてあっから、多分見つからねぇだろ?』
〝ルシファー〟
それは〝Answers,Twelve〟が未来から乗って来て、達真が過去ツアーに無断で乗って行った時元航行艦の名前である。
「おぉ、君がそんな配慮が出来る様になったとは感心…………ちょっと待て? 沖合の水深三百mに艦を沈めて、君はどうやって陸地まで来た?」
『え? 泳いで』
「「………………」」
『他に何があるって言うんだよ? ちょっと考えたら分かんだろ?』
両手を上げてやれやれと首を振る達真。
その態度が早速癪に障ったので、良善はコンソールを操作して地下駐車場内の隔壁を閉じ、スプリンクラーを作動させてもう一度達真を全身ずぶ濡れにしてやった…………。
地下に喚き声が響いているのと丁度同じ頃。
曉燕の咎が聞いた司は〝ルーラーズ・ビル〟へと戻って来た。
出掛ける前よりも明確化された〝ロータス〟に対する敵意。
ただ、それよりも露骨な変化としては……。
「おい、曉燕……もう戻って来たんだぞ?」
「はい♡」
「あの……いや、だからな? もう戻って来たんだってば」
「はい♡」
出て来た時と同じく、警備に付く警察に誘導されて裏口からビルへ入り廊下を進む司。
そんな司の紙袋を持つのとは反対側の腕には、トロトロに溶けたうっとり顔で司の肩に頬を当てる曉燕が抱き付いていた。
人気の無い雑居ビルの屋上で暖かく抱き締められながら、自分の絶望を丸ごと背負ってくれると言ってくれた司。
曉燕はもういよいよ完全に心を奪われ、もうすっかり司の虜になっていた。
「あぁ……司様ぁ♡」
もはや自分は司のモノ。
どんなご命令にも喜んで服従出来る。
そして、こうして身を寄せているだけでも、今の曉燕には幸せ過ぎて仕方なかった。
「私はもう……あなた様のモノですぅ♡ 何なりとご命令を……♡」
「あぁ、うん……もうあの雑居ビルからここまでで多分五十回は聞いたよ」
甘ったるい猫撫で声で頬擦りして来る曉燕。
ベタベタと引っ付いてきて歩きにくい。
しかし、それをさらりと流せるほど司は女性慣れしてなかった。
(あぁぁぁぁもうぉぉぉぉッッ!! めっっちゃいい匂いするぅぅッッ!! ダメだって! ヤバいからこれッ!! あぁ! 腕が胸に、挟ま、れ………あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛~~~~ッッ!!!)
そこらのモデルなど歯牙にも掛けない美女が自分にメロメロになっている。男としてそれを喜べないはずもなく、街を歩いて来た道中に感じた周囲からの視線の数々も正直凄まじい優越感だった。
スリスリと心地良さげに頬擦りして目を細めている顔も愛らしくて仕方ない。
ただ、流石にそろそろ離れて貰わねば、良善達から「何して来た?」と白い目を向けられかねない。
「おい、流石にみんなの前ではもう少しシャキッとしろよ? というか、今からもう一度七緒のとこに行くんだし、こんなユルユルの空気はダメだろ!?」
「あぁん、よいではありませんかぁ♡ 寧ろ七緒にも見せ付けて、男らしくて素敵な司様に付き従うことの快感をたっぷりと諭しますぅ♡」
「やめろ! どんな羞恥プレイだよそれ!? とにかく離れろ! 何か俺がただの女たらしみたいになっちまうだろうが!」
エレベーターに乗り込み、いよいよ曉燕を引き剥がしに掛かる司。
流石に曉燕も観念して肩から頬を放すが、その豊満な胸元に挟み込んだままの腕はまだ放してくれなかった。
「分かりました……我慢しますぅ。あ、あの……我慢しますので、その代わりに……」
曉燕は赤らんだ頬のまま目を閉じ、艶のある唇を司に差し向けて来る。
「え? あ、あの……何を?」
「キス、して下さい……司様♡ そうしたら私、日付が変わるまではいい子にします」
「期限付きなのかよ! いい加減にしろ!」
「あぅッ! いやぁ~~! キスして下さいぃ~~! 司様ぁ~~!」
デコピンをされてもめげずにキスをねだって来るあまりに駄々っ子な曉燕。
好きな男性の前で女性がどうなるかなど知らない司だったが、これは流石に豹変が過ぎないだろうか?
ひょっとすると、デーヴァとしてのかつての体験から、他人が向けて来る善意に対して異常なほど免疫が無いのかもしれない。そう考えると両手でこちらの手を掴み甘え倒して来る曉燕の態度もどこか哀れで守ってやりたくなってしまうが、とりあえずこれから尋問を再開しようというのにこの空気は些か緩すぎだ。
「曉燕……俺に言い付けが聞けないのか?」
「あぅッ!? ご、ごめんなさい……はい、いい子にしますぅ」
少しキツめの視線を向ける司。
すると曉燕はすぐに手を離して居住まいを正す。
露骨にしょんぼりするので仕方なく頭を撫でてフォローすると、またすぐにトロトロに溶けた笑みになる。
(はぁ……チョロ可愛い)
司も内心大分やられてはいたが、とりあえず体裁は整えて七緒を幽閉している階へと到着。
そして目的の部屋へ向かうと、何故か扉の前には酷く邪悪な笑みを浮かべて心地良さげに目を細めているルーツィアが立っていた…………。
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