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Scene5 学ぶ者と学ばぬ者
scene5-4 良善の逆鱗 後編
しおりを挟む「はぁ……貴様は湯浴みも一人で出来ないのか?」
「あ、あぅ……ご、ごめん、なさい……」
〝ルーラーズ・ビル〟 F20。
この階はこのビル内にいる白服達の共有居住区となっており、雑木林を逃げ惑い泥まみれになっていた美紗都が階の一角にあるシャワー室に入ったのがほんの数分前。心も身体もボロボロに疲弊していたが、温かなシャワーはあまりにも心地良くて思わず吐息を漏らした瞬間、自分でも自覚していなかった緊張の糸が切れてしまったのか、美紗都はその場で腰が抜けて倒れ込んでしまい、脱衣所で代わりの服を用意していたルーツィアが慌てて駆け込むと、美紗都はシャワーのホースにしがみ付く様にして動けなくなっていた。
「全く……ほら、流すぞ?」
「は、はい」
シャワーブースの中でルーツィアに髪を洗って貰い泡を流される美紗都。
慌てて駆け込んだせいでルーツィアも全身が濡れてしまい、結局二人ともシャワーを浴びる羽目になったが、そこでさらに美紗都がロクに腕が上がらなくなってしまい、帰還していながらまだ副首領にご挨拶も出来ていないことに焦れていたルーツィアはさっさと身支度を整えるべく、まるで介護の様に美紗都を清めていた。
「あ、あの……ルーツィアさん? ど、どうして私に、その……ここまで……」
「勘違いするな。これは貴様個人に対するモノではなく、貴様が偉大なる博士様の先祖であるが故のモノだ」
「あ……あ、はい……すみません ――うぶッ!?」
乱雑にシャワーを浴びせられ、水気を払われて脱衣所まで運んで貰う美紗都。
そして頭にバスタオルを掛けられたあと「しばし待て」と言われ、急いで自分の洗体を済ませたルーツィアを待つこと数分。
椅子から立ち上がるのもままならない髪をドライヤーで乾かされている時に、徐ろにルーツィアが語り掛けて来た。
「私は数か月前からお前の近辺に潜伏してお前の事を監視していた」
「え? す、数か月前……から?」
「あぁ、お前の死は博士様の死に直結する。如何にあの方が比類無き超越者であられても、その元血筋である貴様が死ねば博士様の存在は消滅してしまう。隠しようの無い弱点に対する備えとして、私に大任をお任せ下さったのだ」
その語り声は美紗都でも分かるほど誇らしげだった。
だが、そこでルーツィアは顔色を変えて目の前の鏡越しに美紗都の顔を見る。
「私は殺戮者だ。これまで殺して来た命の数は優に千を越えるだろう。しかし、それは私が忠誠を誓う〝Answers,Twelve〟に仇名す愚者に限った話であり、あの殺戮幼女の様に狂った価値観でという訳ではない。故に多少は人の感覚も残ってはいるから今の貴様には少々同情する。もしかしたら身体を許すかもとさえ思い新しい下着で出迎えた相手に殺されそうになるとはな」
「にゃああああぁぁぁッッ!! もうやめてぇッ!!」
危うく司にバラされそうになった話を蒸し返されてルーツィアを押し退けようとする美紗都だったが、ルーツィアはそれをひらりと躱し、今度は自分の髪を乾かし始める。
そうしてしばらくドライヤーのモーター音だけが響く脱衣所で、俯いたまま待っていた美紗都は次第に感覚が蘇って来て肩が震え始める。
「ずっと……仲がよかったの。学校でもいつも喋ってたし、一緒にお昼食べたり……親友だと思ってた。な、なのに……和成、わ……私を……」
「知っている……私のナノマシンは広域展開が得意だ。あの時、デーヴァの大隊長があの男を倒さずとも私が守ってやれる状態で待機はしていたさ」
「ナ、ナノマシン? あ……あの黒いヤツ?」
「そうだ。博士様が作り上げた人類を異次元の域にまで高める超人化技術。ちなみに貴様が気を失ったあと、すぐに閣下が貴様を救いに駆け付けたので私は姿を現さず、もうしばらく状況を見ていた。あとで改めて閣下に感謝の言葉を伝えておけ。貴様を背負いロクに戦えない状態で三十人以上の敵の強襲を堪えておられたのだからな」
「あ……ど、どうして……あの人は、そこまで私を……」
美紗都の頬に赤みが差す。
あのボロボロな姿はあまりにも強烈だった。
しかも、それでいながら自分を少しでも安心させようとしてくれていたのは初対面でも十分に伝わっていて、美紗都が気もそぞろになるのは致し方の無い。
だが、ルーツィアはにべも無くあっさり言い切る。
「任務だったからだ。博士様より直々に命を受けたからに決まっているだろう」
「……そう、だよね」
シュンと身を縮める美紗都。
その姿にまだ乾くまでかなり時間が掛かりそうな超長の金髪を温風で舞わせていたルーツィアが、面倒臭そうな顔をしながら嘆息する。
「はぁ……冗談だ。あの挺身は間違いなく命令だけのモノでは無かっただろう。この件は私も伝え聞きなので詳しくは把握していないが、貴様と同じく奴らに命を狙われていた閣下は十数年もの間、真綿で首を絞められる様な生き地獄を強いられていたそうだ。私に言わせれば比べ物にならないと思うが、少なくとも閣下はあの時自分と同じ境遇だった貴様を少しでも安心させようと必死で…………はぁ」
ルーツィアの顔がうんざりした表情になる。
「…………」
鏡越しにチラリと見た美紗都は完全に下を向いて前髪で顔は隠れていたが耳は真っ赤に染まり、せっかく用意してやったブラウスに皺が付くほど胸元を握り、仄かに甘酸っぱい空気を漂わせていた。
「貴様……今自分の置かれている状況が分かって――」
――ガチャッ!!
呆れるルーツィアが釘を差そうとしたその時、脱衣所の出入口が開け放たれていつになく真剣な顔の紗々羅が現れた。
「ルーツィア……ヤバい」
「は? な、なんだ紗々羅? 一体何が……」
「良善さんが私とあんたとその子を招集している。伝えに来た白服の子曰く……煙草を吸ってたそうよ」
「…………確かか?」
手にしていたドライヤーを取り落とすほど唖然とするルーツィア。
何が何だか分からない美紗都は、このビルへ来る途中で緩い自己紹介は済ませていた紗々羅とルーツィアの顔を交互に見る。
「ルーツィア、さっさと支度なさい」
「わ、分かった! すぐに整える!」
いきなり目の色を変えて自分の身支度を急ぎ始めるルーツィア。
その顔は明らかに狼狽えていて、先ほどまでとは別人にさえ思えて美紗都は困惑してしまう。
すると、そんな美紗都の横に歩み寄る紗々羅がちょこんと椅子に座り、震える身体を腕組みで押さえながら美紗都に語り掛けて来た。
「いい、美紗都ちゃん? あなたは今から私達と一緒にこの建物の中で一番偉い人に会う。そして、その人は今、どういう訳かブチギレているの。えっと……この時代で例えるならね……そう! 核爆弾を発射させるスイッチの隣でジェンガをするくらいの危うい状態!!」
微妙に分かりにくい例えに首を傾げる美紗都。
しかし、紗々羅はさらに早口でまくし立てる。
「あなたは下手に刺激しないで。というか、何か聞かれるまで一切喋らないくらいが安牌。いいわね?」
「え、あ……いや、あの……一体、何がなんだか……」
「お願い! あとでいくらでも説明してあげるから、とにかく今からしばらくは私らの言うこと聞いておきなさい!」
紗々羅の手が美紗都の肩に置かれる。
その手はガタガタと震えていて、てっきりいつも無邪気で明るい子なんだろうと思っていたその顔は、一切遊びの無い血の気が引いて強張った顔をしていた。
「あ、えっと……はい、分かりました」
あれこれ聞ける空気ではない。
美紗都は素直に頷き、身だしなみを整え直し軍帽もしっかり被ったルーツィアと三人で、自分達を呼び出したという良善という者のところへと向かう。
幸い、目的の場所まではシャワー室からすぐ近くにあるエレベーターで行けるらしく、フラ付く身体でも少し肩を貸して貰う程度で美紗都も動けた。
そして扉が閉まると、紗々羅では手が届かないこのビルの最上階でらしい〝60階〟のボタンを背中に担いだ白木の鞘で押す。
「すぅ……はぁ……一体いつ振りだ? 博士様が喫煙なさるなど?」
「えっと、確か……あれよ。二代前の№Ⅷが、デーヴァの月間製造個体数を上げてアピールしようとして、細胞発達促進の工程をいくつか無断で省略した時」
「あぁ……あったな。博士様が必要だからと組んだ工程を勝手に変えたせいで、三百人ほどナノマシン適合率の低いデーヴァが生まれたんだったか。そして、それを知った博士様が……」
「その№Ⅷをベッドに縛り付けて意識があるまま解剖した。開いたお腹から一つずつ内臓を取り出して本人に見せてから防腐液の中に入れて標本にして、最後に脳と眼球を繋いだまま摘出されて十年は持つっていう生命維持装置に繋がれてどっかの博物館に標本として寄贈された。〝Answers,Twelve〟とは関係の無い施設だったから、多分今も展示されてるでしょうね」
ゾッと震える紗々羅とルーツィア。
ただ、その間に挟まれる美紗都は、あまりにも現実感の無いその話で逆に大した恐怖も感じず「何それ気持ち悪そう……」くらいの感覚で全く別の事を考えていた。
(そういえば、色々あり過ぎてすっかり忘れてたけど、今夜父さんと母さん帰って来るじゃん。どうしよう……絶対心配してるよね? 境内滅茶苦茶だったし……何とか誤魔化しでも連絡させて貰えないかな?)
申し出たい気持ちはあるが、ついさっき「喋るな」と言われたばかりなので流石に言い辛い。
とにかく、これから偉い人に会い、その人と話をした後にでも連絡を取らせて貰おう。
そんな風に内心考えていると、エレベーターはようやく目的の階へ到着。
そして、目の前の扉が開き…………。
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁッッッ!!! あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁッッッ!! あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁッッッ!! あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁッッッ!! ぎゃああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁッッッ!!!」
「――うぐッ!?」
人はこんなにも大声を出せるのか?
そんな風に思ってしまうほどの絶叫に、美紗都は思わず身体が後ろへ仰け反る。
すると、固く口を真一文字に結んだルーツィアが美紗都の腕を掴んでエレベーターから降りさせる。
そこはよく言えば〝シンプル〟悪く言えば〝殺風景〟な何も無い円形でドーム状の天井をした真っ白な空間。印象としては照明が消える前のプラネタリウムといった感じだろうか。
場所自体には特筆する程狼狽える要素は無い。
ただ、その空間の中央には、高そうなスーツを纏い咥え煙草から紫煙を漂わせるダンディな男性がいて、その男の手が傍らに鎮座する肘掛け付きの椅子に手足や首を枷で固定して座らされた女性の頭を掴んでいて、そのとてつもない悲鳴はその女性の口から発せられていた。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁッッッ!! あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁッッッ!! ゆ゛る゛し゛て゛ぇぇッッ!! あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁッッッ!! お゛ね゛か゛い゛れ゛す゛ぅぅぅッッ!! ゆ゛る゛し゛て゛く゛た゛さ゛い゛ぃぃぃッッ!!! あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁッッッ!! あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁッッッ!! あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁッッッ!!」
(あの男の人の方が……良善って人なのかな?)
ガタガタと椅子が軋むほどに暴れ狂い泣き叫んで許しを乞う女性。
一体何をされているのか? 傍目には傍らに立つ男性が頭の上に手を置いているだけにしか見えず、どう見てもそのままショック死してしまいそうなほど泣き叫ぶ要因は見受けられなかった。
すると、そんなエレベーター前に立ち尽くす美紗都達三人にすぐ横から別の声が掛けられた。
「あ、凪梨さん、それにルーツィアさんに紗々羅さんまで……」
「あ、司君! ちょ、何があったの!? なんで良善さんがあんなバチバチにブチギレてんのよ!?」
壁際で立っていた司。
さらにその横では真っ青な顔で下を向く白服姿に戻った曉燕までいた。
そんな並び立つ二人の元へ駆け寄り声を潜めて問いかける紗々羅。
美紗都とルーツィアも後に続くが、どうやら司もさっぱり状況が掴めていない様子だった。
「知らないっすよ! 談話室で男版デーヴァの話してたら急に雰囲気変わって! 「その男デーヴァと接触した場所はあるか?」って聞かれて、殴られた頬の部分を指差したら何か綿みたいの取り出してその殴られた所をポンポンってしたあと、それを検査機みたいのに入れてしばらくモニター睨んでたら急に眉間に皺が寄って、曉燕や他の白服に指示をしたあと「付いて来なさい」ってここに……。俺こそ説明して欲しいくらいですよ! 何か身体の奥がズキズキして、俺の中の〝D・E〟が良善さんに怯えてるみたいな感じで……」
確かに司も大分顔色が優れずしんどそうな表情をしている。
そしてよく見れば、それは紗々羅・ルーツィア・曉燕も同様であり、ここへ来て一番平気そうにしているのは寧ろ美紗都の方なくらいだった。
そして五人が顔を突き出しヒソヒソと話をしていると、張り裂けんばかりの悲鳴が徐々に小さくなり、皆の目が再び中心へ向くと良善は叫んでいた女性の頭から手を離して、咥えていた煙草に口から外して足下に灰を落としていた。
「ふぅ…………【修正者】大隊長・戸鐫絵里。教えておくれ。あの男性型デーヴァの開発者は誰だ?」
「ハァ――ッ! ハァ――ッ! ハァ――ッ! た、たしゅけ……お、おねがぁ……」
「貴様の要望など聞いていない」
「あッ!? ま、待ッ!? ――ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁッッッッ!!! あ゛あ゛あ゛ぁぁ――ッッ!! あ゛あ゛あ゛ぁぁ――ッッ!! あ゛あ゛あ゛ぁぁ――ッッ!!」
紗々羅とルーツィアは殆ど実感は無いが、美紗都・司・曉燕は信じられないという顔付きだった。
今椅子に固定されて顔をグチャグチャにするほど泣き叫んでいる絵里は、各々がそれぞれ違った関わり方をしているが共通して〝芯の強い男勝りな女性〟という印象を持っていた。
しかし……。
「い゛や゛ぁぁぁぁッッ!! ゆ゛る゛し゛て゛ぇぇッッ!! も゛う゛! も゛う゛逆らいませんッッ!! み゛、認め゛ま゛す゛か゛ら゛ぁぁぁぁぁッッッ!!! 負け゛ッ! 負け゛れ゛す゛ッッ!! た゛か゛ら゛ッ! も゛、も゛う゛ゆ゛る゛ち゛ぃ……ぎゃああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁッッッ!!!」
全身を暴れさせ、必死に首も振って良善の手から逃れようとしている絵里。
簡易な入院着の様な服の胸元がはだけても関係ない。
とにかく今は良善に許しを乞おうと叫び続けていた。
しかし、良善は口元で咥えた煙草をにじり揺らし、苛立ちを露わにして眉間に深い皺を寄せ、絵里の懇願などまるで聞く耳を持っていない。
「司の皮膚から採取したナノマシン片を分析した。あれはあまりにも酷い……私の研究結果をほぼ丸パクリにした上で所々訳の分からんアレンジを加えているせいで、形式は第二世代後期型なのに性能は第一世代デーヴァの良くて七割。私は自分の研究を他人が盗むのは別に気にしない。上手く活用出来るなら寧ろどんな物が出来るか是非見せてくれと言いたいくらいだ。しかし……私の研究を盗み挙句性能を劣化させて陽の下に晒すとはどういう了見だ? まさに羞恥以外の何物でもない……もう一度聞くぞ? あれを作ったゴミの名を言え」
良善が絵里の頭から手を離す。
どうやら何かしら人体に、というよりも恐らくデーヴァには耐え難い苦痛を与える何かがその手から放たれているのだろう。
ガクリと首を落し、顎下までダラリと舌を垂らして掠れた笛の様な息をする絵里は、もう完全に良善に屈服していた。
「ひぃ……ひぃ……は、はひぃ……な、何れもぉ……し、喋り……まひゅ……」
「貴様の意思など聞いていない」
「ひぃッ!? す、すみませんッ! す、すぐ言いま――あぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁッッッ!!!!」
無慈悲に再び絵里の頭を鷲掴みにする良善。
〝Answers,Twelve〟の副首領。
この場にいる誰よりも悪党であり狂人。
それは今まさに目の前でこれ以上に無いほど体現されていた…………。
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