アナザー・リバース ~未来への逆襲~

峪房四季

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Scene2 盲目な正義

scene2-2 精魂尽き果てて 後編

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 司と良善は連れ立って大学を出た。
 途中、良善が「お喋りをするのに都合の良い場所はあるかい?」と言って来たので、司は大学近くにある商店街に店を構える一軒の喫茶店へと案内した。

「ふむ、決して高い豆では無さそうだが……良い味だね」

「はい、ここのコーヒー好き、なんです。まぁ、一月に一回……一杯だけなんですけど」

 そこは司のささやかな贅沢を味わう憩いの場。
 いつの頃からだったかは定かでは無いが、司は無類のコーヒー好きだった。
 豆から挽き淹れる物はもちろん、自販機の安い缶コーヒーであろうともメーカーの試行錯誤に敬意を込めて味わう。

 そして、そんな中で若い夫婦が営むこの小さな喫茶店のコーヒーは、現時点での司の中で最上の味であり、月に一度一番安いコーヒーをチビチビと、しかし冷めて風味が飛ばない内に飲んでいくのが司の至福だった。

「さて……御縁君。とりあえず結論から言うと、私は今の君が疑問に感じていることの全てに答えることが出来る。何から聞きたい?」

 四人掛けのテーブル席。
 コートを掛けた隣の椅子に肘を置き、良善はあえて姿勢を崩してフランクに話を切り出す。

 やはり得体が知れない。
 全てに答えられる? 少なくても司の記憶では昨日初めて会った間柄なのに?
 どこにも信用出来る要素が見当たらない。
 だが……。

(別にもう、どうでもいいよ……)

 カップをソーサーに置いた司は、俯いたまま両手を膝に置いて口火を切った。

「御縁司です。資格は大して持ってません」

「ん?」

「勉強も、スポーツも、得意なことは何もありません。物覚えも悪いです。でも、言われたことなら何でもします。上手く出来るか分かりませんが、多分今なら人だって殺せると思い――」

「ストップ! 待ちたまえ、いきなりどうしたんだ?」

 まるで就職面接でも始める様な話の切り出し。
 しかも誇れることは何も無いと自ら明言し、とても雇用側が採用しようとは思えない自己PR。
 だが、司の口上は止まらなかった。

「お願いします。昨日のお話、受けさせて下さい……そちらで働かせて下さい。使い潰して頂いて結構です。どうか、俺を……」

 俯いたまま、どんどん言葉尻が小さくなる司。
 何とも気まずい空気の中、良善はため息を吐いてこめかみを掻いたあと、やや間を置いてから返答する。

「それはこちらの申し出を受け入れるということでいいのだね? 悪いが「やっぱり無し」は認められない。半歩でもこちらに足を踏み入れたなら、もう君には……戻る道は無いよ?」

 なんともそれっぽい。
 濁り切った目で自分の拳を見下ろしていた司は心の中で小さく苦笑する。

(えっと……なんだっけ? 〝チャカ〟だっけ? いや、こんな俺にそんな貴重な物持たせないか。包丁でも握らせて……どこかに突撃するのかな?)

 勝手に頭に浮かぶ極道モノのドラマで見た半端な妄想。
 最後は無様に死んでドラム缶の中へ入れられてセメントを流し込まれた後、海にでも捨てられるのだろうか?

「ふふッ……ふッ……ウヒヒッ! はい、好きに使って下さい」

 カウンターで食器を磨く店の妻が、俯き引き笑う司を気味悪げに見て温和そうな夫が肘でたしなめる。
 しかし、目の前にいる良善は気味悪がる訳でも無く、嘲る訳でも無く、真っ直ぐに司をしばらく見つめたあと、スーツの胸元から一錠の簡易包装されたカプセル剤を取り出して司の前に差し出した。

「それを噛まずに飲んでくれ」


 ――ゴトッ!?


 夫婦の動きが変わる。
 当然だ。身なりはしっかりしているが、どことなく一般人とは違う雰囲気をした大人と、何かに深く傷付いて落ち込んだ様子の青年。

 そこに差し出される薬剤。
 まともな医者がこんなただの喫茶店で薬を処方するものか。
 夫の方は平静を装いつつも二人の会話に耳をそばたたせ、妻の方は夫の背中に隠れながら少しずつカウンターの端にある電話へ近付く。

「フッ……安心してくれ。これは麻薬の類では無い。覚醒剤だのファッションドラッグだのと言って、結局はただ人を劣化させて使い物にならなくするあの手の技術は私がもっとも嫌悪する物だ。これを飲むことで君の心身が破壊されることは絶対に無く、君が昨日会った雅人まさとも半年ほど前に飲んでいる。まぁ……


「こ、この野郎ッッ!!」


 甲高い陶器の皿が砕ける音が店内に響く。
 一線を越えたと判断したのだろう。
 夫がカウンターを飛び越えて良善に迫り、妻はもはや通報している間はないと切り返して店の外へ人を呼びに行こうとする。

 道を踏み外しそうになる青年を助けようとする無償の献身か。
 はたまた自分達の店のイメージを守るための保身か。

 だが、どちらにしろ間違った行為。
 彼ら夫婦は司の事など気にせず、店も捨てすぐに二人で逃げるべきだった。


「殺すな」

 ――ガシャアアアアアァァァァンッッ!!


 突如店内に白いスーツを纏いサングラスを掛けた女性が現れる。
 本当に突然だ……司の目がおかしくなった訳でなければ、その白服は透明になってずっと良善の傍に立っていて、瞬時に全身を色付けした様なあまりにも忽然とした現れ方をした。

 そして、その女性は現れたと同時にすぐさま鞭の如く鋭い蹴りの軌跡を描き、あと数cmで良善の胸倉を捉えかけていた夫の首をあらぬ方向へ蹴り捩じっていたところで、良善の言葉を受け蹴りを一旦空振りさせてから、その勢いで身体を捻り込んだ肘打ちへと切り替えて夫の鳩尾を捉え、テーブルや椅子を巻き込みながら店の奥まで吹き飛ばした。

 そんな夫を見て、あと少しで入口の戸に手が届くところで硬直する妻。
 だが、次の瞬間には即座に死角へ回り込むその白服の振り上げられた掌底が妻の顎先を掠め上げ、意識を刈り取られた妻は糸が切れた人形の様にその場に倒れた。

「……え?」

 僅か五秒にも満たない内に、夫婦を黙らせた美女。
 サングラスを取ったその正体は、良善と同じく昨日初めて会った曉燕だった。

「良善様……お怪我はございませんか?」

「あぁ、問題無い」

 相変わらず徹底した従僕態度で床に跪き頭を垂れる曉燕。
 しかし、そんな頭を下げられている良善は、特に礼を言う訳でもなく、たった一言で彼女の挺身を済ませると、視線すら向けず司を見つめ続けていた。

「さぁ、どうするね、御縁君? この薬を飲むか飲まないかが最終的な君の意思表示になる」

 良善からの最後通告。
 それに対する司は、店の奥で大の字に倒れる夫といつの間にか『open』の札が店の内側に返されてある扉の前でピクリとも動かない妻を見て、最後に目の前に差し出されたカプセルへと視線を巡らせた。

「あの……何で今「殺すな」って言ったんです? ヤバい所見られたんだからてっきり消すのかと……」

「ん? ははッ! 君は私を見境なく人を殺す輩に見えてたのかい? 悪くない目をしているが少しだけ外れだ。私は意味無く人を手に掛けたりはしない。ここは君のお気に入りなんだろう? そこを血塗れに穢すのは忍びないと思ってね。まぁ、店を少々散らかしてしまったし、この夫婦が目覚めたあとには相当パニックになるだろうがね。あと、実は私もコーヒーには少々造詣が深い。いいコーヒーを淹れる者を殺すのは人類の損失だと言えるだろう」

 大袈裟な話をしつつ、添えられた豆菓子を口に運び、香りを楽しんでからカップに口を付ける良善。
 同じ趣向の同志だったか……それはなんだか少し嬉しい。

(まぁ、今更……だしな)

 司は包装からカプセルを出して、躊躇いもせずそれを口に含むと注文前に出された水で流し込む。


 ――ゴクッ!!


「ほぉ……」

 満足げに頷く良善。
 そして、何故か曉燕まで優しげな笑みを向けて来る。

「はぁ、これ……一体何の薬なん――」


 ――ガシャンッッ!!


 目の前のコーヒーカップを床へ弾き落とし、司は顔面からテーブルに倒れ込んで一瞬にして気を失ってしまった。

「うむ。曉燕、運んでくれ。くれぐれも丁重にな」

「はい、もちろんです」

 息をしているのかも怪しいほど動かない司を抱え上げる曉燕。
 するとその表情は急に暗く、何やら悲しげな色を滲ませ始めた。

「あ、あの良善様? 御縁様は……なされるでしょうか?」

「さぁね、それは彼にしか分からないし、何より君が気にすることではない」

 椅子から立ち上がりコートを羽織る良善は、曉燕の言葉を適当に流して入口へと向かう。
 窓から見えるその扉の外には、事前に待機していたらしい大きなボックスカーが周囲からその扉を隠す様に横付けされた。

「早くしろ、曉燕。君が今後彼にどう接するかは好きにすればいいが、とりあえずはまず彼を回収し切ることが先決だ」

 カウンターの端にコーヒー代を置いて視線もくれずに冷たく言い放つ良善の言葉に、曉燕は唇を噛み締めて司を抱き抱え歩き始める。

「決まっております。私は私の大罪を贖罪するために……このお方に命を捧げます」

 動かない司を大事に抱える曉燕。
 司に意識があれば、さぞ困惑しただろう。
 身に覚えの無い殺意の次は同じく身に覚えの無い命を賭した忠義。
 そして、全てを知る良善は「好きにしろ」と鼻で笑い、喫茶店を後にした…………。
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